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日曜日記71
2019年10月20日
「アリの一言」を書いたあと、もっとこう書けばよかった、と悔やまれることはしょっちゅうある。「ラグビーW杯・『君が代』より『ビクトリーロード』」(10月15日)もその1つだ。「ラグビーに『君が代』は似合わない」と書いたが、似合うかどうかの問題ではない。
そう思っている時、後藤正治著『清冽 詩人茨木のり子の肖像』(中公文庫)で、茨木をまた1つ見直した。
茨木のり子(1926〜2006)は1990年、甥とその婚約者と、ボストン交響楽団の演奏会をNHKホールに聴きにいった。その時のことだ。
< 演奏の前、交響楽団は来日の儀礼ということであったのだろう、「君が代」を演奏した。周りのほとんどの聴衆が起立したなか、茨木はじっと座っていた。小声で、治と薫(甥と婚約者―引用者)にこういった。
「今日、私は音楽を聴きに来たのでね…。私は立たないけれど、あなたたちは好きにしなさい」>
それから4年後の1994年、茨木は「鄙(ひな)ぶりの唄」という詩を書いた。後藤氏は「おそらくこの日(ボストン交響楽団演奏の日)のことを想起しつつしたためた詩句であろう」と解説している。
それぞれの土から
陽炎のように
ふっと匂い立った旋律がある
愛されてひとびとに
永くうたいつがれてきた民謡がある
なぜ国歌など
ものものしくうたう必要がありましょう
おおかたは侵略の血でよごれ
腹黒の過去を隠しもちながら
口を拭って起立して
直立不動でうたわなければならないか
聞かなければならないか
私は立たない 坐っています
演奏なくてはさみしい時は
民謡こそがふさわしい
(中略)
それぞれの山や河が薫りたち
野に風は渡ってゆくでしょう
それならいっしょにハモります
(後略)
この詩より約20年前、天皇裕仁は記者会見(1975年10月)で「戦争責任について」聞かれ、こう答えた。「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」
この裕仁の発言への憤りを、茨木のり子は「四海波静」という詩(1975年11月)でこう書いた。
戦争責任を問われて
その人は言った
(中略)
思わず笑いが込みあげて
どす黒い笑い吐血のように
噴きあげては 止り また噴きあげる
三歳の童子だって笑い出すだろう
文学研究果さねば あばばばばとも言えないとしたら
四つの島
笑(えら)ぎに笑ぎて どよもすか
三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア
(後略)
この茨木のり子にしてあの詩あり。
国歌など必要ない。
https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/3a02bfcdfb72789870e305561896a58f
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