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こうしてみれば、大戦後のアジアの管理及び支配体制について、歴史的経緯から言っても、ポテンシャル及びポジションからしても、アジア側のカウンター・パートナーは、中国で在り得ても、日本では在り得ないし、成り得ないことも解かるだろう。
第一、大陸に足掛かりさえ持たぬ点で、そもそもが戦後日本は「日英同盟」の時代には遠く及ばない存在なのだし、アメリカに絡め取られたままでは手下or手先にしか成り得ないのは自明の理というものであろう。
斯くして、中国をジュニア・パートナーとして、日本を封じ込める事を共通の利害に、東アジアを管理・支配する「ポツダム体制」は極めて合理的、且つ論理的必然とさえ言えるのである。
此処で注目しておくべきは、日本の部分を除けば、この管理・支配のやり方は、19世紀半ばまでの―大清帝国とその支配システム=冊封体制の弱体化が顕著になる以前(アジア諸国の植民地化はその結果である)の―大英帝国の東アジアへのスタンスと同じということである。
そして、ここから見れば、カイロ宣言の持つ意味がハッキリと見えて来るであろうし、チャーチルが口実を設けて署名しなかった理由も解るであろう。
カイロ宣言とは、これまでの経緯から英国は参加させるが、あくまで名目上であり、実質は米中による仕切り―中身を探れば、中国の主張をアメリカが受け入れた、というところに在る―つまりはそれは、以後のアジアは米中でやる、ということを宣言したものなのだ。
当然それは、ポツダム体制の裏側の真実、大英帝国にとって代わって、アメリカがそのポジションに座る、ということである。
戦後それが上手く出来なかったのは、言うまでも無く、中国に共産党政権が誕生したからであるが、しかしながら、”ドミノ理論”を掲げて東南アジア諸国に介入したのも、又それが真逆の効果となって、恐れていた通りの結果になったのも、冊封体制以来の、中国の周辺諸国への影響力の根強さを逆に証明することになり、言わば裏側から「ポツダム体制」の妥当性―米中関係が基軸―を示すこととなったのである。
その際、以前の様な主導権は失ったものの、日本に加えて朝鮮半島(韓国)と台湾、即ち大日本帝国の範図(遺産!)を押さえていたことにより、政治的には首の皮一枚繋がった形になったのではあるが、とまれ、周恩来とキッシンジャーの会談(71)での、核武装を含む日本の潜在的な軍事的脅威への認識を一致させることで、米中間において、「ポツダム体制」の有効性を確認したわけである。
これに70年代前半の北東アジアの政治状況を重ねてみるとよい。
日米共同声明(69.11)で、朝鮮半島と台湾海域を自国の安全保障に結び付けて、同地域での軍事プレゼンスの増大を公然と表明した日本を受ける形で、中国は”日本軍国主義の復活”の一大キャンペーンを開始し、北東アジアは俄かにきな臭くなる―70年代前半の斯かる状況に上の米中の認識を重ね合わせれば、一方で日本を焚き付け、唆して、周辺地域での軍事的緊張を作り出しながら、他方でその抑え役としての米軍存在の意義を高めるという、典型的なマッチポンプにアメリカの政治的意図が透けて見えるであろう。
つまり、日本が軍事的プレゼンスを増大させ、軍事緊張を高めれば高める程、米軍の存在理由とその役割も高まり、「ポツダム体制」におけるアメリカのバーゲニング・パワーも高める事が出来る、という訳だ。
このアメリカの仕掛けた罠を回避出来たのは、70年代半ばの、インドシナ半島からの軍事的敗退を伴う東アジアの激変によるものだが、田中政権による電撃的な日中国交樹立とその善隣友好路線で、佐藤路線を、事実上、葬り去った事も見逃せない要素であり、小渕政権までのいわゆる党人派政権でその路線は墨守され、東アジア(日中関係)は平穏だったのである。
局面が変わり、潮流が一変したのは清和会政権が登場してから、別けてもアベの再登板以降、かって(佐藤路線)に戻った―ばかりか、ルビコンを渡った感があるのはご存知の通り。
我々は、岸―佐藤路線が続いていたら―何が起きたのか?をこれから見せつけられることになるわけだが、アベにとって不幸なのは(という事は我々にとって僥倖ということだが)北東アジアの状況が一変していることである。 少なくとも50年前であれば、韓国や台湾に「反共」を前面に掲げる軍事政権が健在で、又人脈を中心に、大日本帝国の遺産とも言うべきものも残っており、日本の軍事プレゼンスの増大に呼応する動きも期待出来たのだろうが、今日ではそれが全く望めない状況になってきているのである。
―穿った見方をすれば、「帝国の遺産」が尽きようとする時だからこそ「帝国遺産の継承人」が登場した―ということだろうが。
従って、これは皮肉でも何でもない、歴史の不可逆性を示すものだが、アベの登場が却ってその傾向に拍車を掛けたと見るべきである。
わけても、歴史的経緯から、隣国日本の政治動向に人一倍敏感にならざるを得ない韓国にとって、”戦後レジームのチェンジ”を掲げ、「拉致問題の解決」を前面に立て、政治の中心に躍り出て来たアベの「日本を取り戻す」の意味するものが、瞬時にして、分かったことだろう。
かっての栄光を取り戻す!―かってと同様、その為の舞台であり、踏み台、即ちその犠牲にされるのが朝鮮半島である、ということが。
明治日本が帝国主義化していく出発点が「江華島事件」であり、踏み台にしたのが朝鮮半島である、又戦後いち早く蘇り、経済大国へのジャンプ台になったのも”朝鮮特需”=朝鮮戦争である。 そもそもが、上記の「日米共同声明」にも顕われてる様に、対外的なプレゼンスを高めようする時に―古代から此れまで、又地政的に言っても―先ず布石を打つ対象が朝鮮半島だったのである。
清和会政権以降ギクシャクし出した日本と韓国の関係だが、アベ登場と共に悪化の一途を辿った理由はここまで読んで来た人は解ると思う―繰り返すが、隣国日本の政治動向に人一倍敏感にならざるを得ない韓国にとって、半世紀前の「声明」のいよいよの具現化であり、自民党右派―近代日本の”レコンキスタ(失地回復)”を狙う―の中心人物の登極で、極東で、これから何が起きるか?−起こそうとしているのか?―が予想されたのである。 ―50年越しのマッチポンプの、その火つけ役が登場するに及んで。
従って、現在起きてる”日韓摩擦”の本当の意味は、アベの日本が、再び明治の様に、朝鮮ナショナリズムの圧殺者として登場して来たことを示す。
―のだが、それでは、此のまま、1930年代の様に、三度、アジアのナショナリズムの圧殺者になって行くのか?というと、ここまで読んで来られたら、これまた、それはあり得ないことは理解されたことと思う。
トランプの真の意図も読まず、当初の対北強硬発言の尻馬に乗って、「圧力」一辺倒でハシャギ捲くり、”核ミサイル危機”を世界に訴えかけても呼応し同調する動きは皆無、却って東アジアの周辺諸国から完全に浮き上がってる現実があからさまになる―ばかりか、トランプの態度急変に異様な醜態を晒す羽目になった事は、如何にこの政権が世界の流れから外れ、時代に取り残されているかを露呈する事になったのである。 ―この事が示す通り、精々出来てアメリカのバーゲニングパワーの―しかも格落ちの―手駒であり、恐らくは半世紀前程にも、その政治的、或いは軍事的影響力を発揮することは不可能なのである。
今回だって、アベの主観的には、日韓貿易摩擦を米中貿易摩擦の第二戦線として、日米一体化の一環とでも位置付けているかも知れないが、”トランプ亜流”と見做されて、軽蔑と警戒を呼び起こし、国際的には大きなマイナス要因でしかないだろう、第一、米中貿易摩擦の展開も含めて、ババを掴むだけに終わることだってあり得るのである。
しかも、である。 その結果、アベ登場以前は最も太かった北朝鮮とのパイプを断ち、自らを、対北の外交的袋小路に追い込んだ様に、朝鮮半島への(最後に残った!)経済的足掛かりをさえ、自ら断ち切ろうとしているのである。
斯くして、強硬度を増せば増すほど自らの首を絞め、これまで見てきた事で解る様に、内政外交共に、アベのやる事なす事全てマイナスの、負の連鎖のプロセスに入っている、と断ぜざるを得ないのだ。
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