★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK256 > 879.html
 ★阿修羅♪
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
追悼! 橋本治が生前に痛烈批判した安倍政権や日本会議が語る「日本」「伝統」…「明治以降の近代人が勝手につくった」と喝破 
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/879.html
投稿者 赤かぶ 日時 2019 年 1 月 31 日 14:15:15: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

追悼! 橋本治が生前に痛烈批判した安倍政権や日本会議が語る「日本」「伝統」…「明治以降の近代人が勝手につくった」と喝破
https://lite-ra.com/2019/01/post-4519.html
2019.01.31 追悼・橋本治が安倍政権と日本会議が語る「伝統」を喝破 リテラ

    
    『性のタブーのない日本』(集英社新書)


 今月29日、作家の橋本治氏が肺炎のため死去した。70歳だった。橋本氏といえば、東大在学中につくった「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーの駒場祭ポスターで注目を浴び、女子高生の一人称で綴られた1977年発表のデビュー作『桃尻娘』(講談社)は大きな話題を呼んだ。

 小説、評論、エッセイ、さらに古典と幅広く活躍してきた橋本氏だが、じつは折に触れて安倍政権と、その政権運営や安倍首相の発言に疑問を抱かない国民について批判してきた。たとえば、2014年に安倍政権が集団的自衛権の行使容認を閣議決定した際には、安倍首相の相手の質問に答えない姿勢と、それに対して批判が起こらない状況について、こう言及していた。

〈尋ねられたことに対して向き合わない。その代わりに近似した別の「自分の思うこと」だけを話して、議論は終了したことにしてしまう。なにかは話されたけれども、しかし疑問はそのままになっている。「なんかへんだな?」という思いが残るのは当たり前ですが、どうやら日本人は、そのこと自体を「おかしい」とは思わなくなっているらしい。少し前までなら、「答えになってないぞ!」というヤジが飛んだようにも思いますが、いつの間にか日本人は「答えになっているかどうか」を判断することを忘れてしまったようです。〉(朝日新聞2014年7月8日付)

 こうした状況はいまも変わりはないどころか、ますます悪化するばかりだが、さらに橋本氏は、安倍政権や日本会議が語る「日本」や「伝統」についても、痛烈な批判をおこなっていた。

 このことについて、本サイトでは2016年2月に記事にして配信した。今回、以下に再録するので、あらためて橋本氏の鋭い指摘を一読いただきたい。
(編集部)

********************

 夫婦別姓に関する最高裁判決や、渋谷区の同性パートナーシップなど、昨年は「家族」「性」に関する新たなかたちを模索する動きが多く生まれた年であった。

 しかし、ご存知の通り最高裁は、かつて「夫婦別姓は家族の解体を意味します。家族の解体が最終目標であって、家族から解放されなければ人間として自由になれないという、左翼的かつ共産主義のドグマ(教義)。これは日教組が教育現場で実行していることです」(「WiLL」ワック/2010年7月号)」との発言を残している安倍首相に忖度したのか、夫婦別姓を認めない規定は合憲であるとの判断を下した。

 また、同性パートナーシップ条例に関しても、安倍首相は昨年2月18日の参議院本会議で「現行憲法の下では、同性カップルの婚姻の成立を認めることは想定されていない」と発言。9条を解釈改憲して安保法制を強行採決させたうえ、日本国憲法は「押しつけ憲法」と語り憲法改正を悲願としているのにも関わらず、この件に関してはなぜか、かたくなに憲法に固執する二枚舌を見せている。

 そして、同性パートナーシップ条例が成立した3月には、「普通の愛情は男女から発生する」「少数派を多数派と同じ扱いをすることが平等ですか」「LGBTが社会を乱している」といったLGBTの人たちへのヘイトスピーチを叫んだ反対派デモが発生。そのデモの主催者である「頑張れ日本!全国行動委員会」は、結成大会に安倍晋三氏、下村博文氏、高市早苗氏、山谷えり子氏、稲田朋美氏といった人たちが出席、なかでも安倍首相は基調演説までしている団体であった。ちなみに、そのデモで配られたチラシには、次のような文言が記されている。

〈伝統的な家族制度に混乱をもたらす渋谷区条例〉

 夫婦別姓の問題にせよ、パートナーシップ条例をめぐる議論にせよ、政権側からは、この「伝統的な家族制度」なる言葉が盛んに使われる。しかし、この「伝統」とはいったい何を指しているのだろうか。小説『桃尻娘』や、『古事記』『源氏物語』の現代語訳など古典文学研究の仕事で知られる橋本治氏は、「週刊プレイボーイ」(集英社)16年2月15日号のインタビューでこんな言葉を残している。

「今や建前が好きなのって自民党の政治家だけじゃない? なんか、あの人たちの言う「伝統」やら「日本」やらが私は一番嫌いなんですよね。
 それは明治以降の近代日本人が「勝手につくった日本」だろうっていうのが頭にあってさ。そういうのがいやだから、こうして近代以前に遡りながら「そうじゃない日本」を一生懸命に探しているわけなんですけどね」

 安倍政権をはじめとした保守主義の人々がことさらに喧伝する「伝統」という言葉。しかし、歴史を振り返ってみれば、彼らの言う「伝統」は、「伝統」でもなんでもない。たかだか150年ほど前、明治時代以降、急速な近代化の流れのなかで形づくられたものだった。また、橋本氏はこんなことも語っている。

「平塚雷鳥とかの女性解放運動が出てくるのが明治だから、それ以前の時代の日本って、ずっと女性を抑圧していたように思われているけど、実は一番、男女差別が激しくなるのって、むしろ明治からなんですよね」
「みんな「女は女らしく」っていうのが封建道徳だと思っているかもしれないけど、例えば江戸の芸能って、劇中で女が刀を振り回すシーンとか、カッコいい女盗賊の話なんかも、ごく当たり前にあるのね。ああいうのを見てると、少なくとも江戸時代の人には「女はおとなしくしてなきゃいけない」って感覚はないと思う」

「女は女らしく」という考え方も、結局はたかだか150年前に出てきたものだったと橋本氏は主張する。

「一億総活躍社会」という謎のワードが示す通り、安倍政権は「女性の社会進出」をしきりにアピールしているが、首相が本心からこれを考えていないことは明白だ。前述した「頑張れ日本!全国行動委員会」の結成大会では、「いま私たちは国の基本を解体させかねない権勢に直面している。夫婦別姓の問題も、これは家族という基本にかかわる問題であります。子ども手当を出して、配偶者控除をなくす。これは家族解体への第一歩であります」と演説している。

 この演説から透けて見える安倍首相の本心を代弁するかのように、「文藝春秋」15年6月号のインタビューでは、安倍昭恵夫人がこのような発言を残している。

「女性活用のようなテーマも、主人と話す機会はほとんどありません」

「主人はもともと保守的な考え方の持ち主ですので、女性がみんな働くことが良いとは、今も思っていないのかもしれません。女性には社会で活躍してもらいたいとの思いがある反面、あまりにも多くの女性が社会に出ることで、伝統的な日本のよき家庭の形が崩れてしまうことを恐れているような気がします」

 口では「女性の社会進出」を謳っておきながら、本心では「伝統的な家族制度」の名のもとに女性を家のなかに縛り付けておきたい。それが安倍首相の真の思いである。ただ、先ほどから再三述べている通り、これは本当に「伝統」なのか。先ほど「週刊プレイボーイ」での発言を引いた橋本治氏は、昨年上梓した『性のタブーのない日本』(集英社)のなかで、このように綴っている。

〈この日本は昔から女が力を持っている国です。平安時代以前、女帝は何人もいます。「その女帝は飾り物だ」と言いたがる人もいますが、複数の女帝が存在した結果、父なる天皇から皇位継承を受けた男の天皇というのは、日本の最初の女帝である推古天皇の時以来、平安京を作った桓武天皇になるまで一人もいないのです。桓武天皇になって初めて、男の天皇を父とする天皇が登場します。飛鳥から奈良時代まではそういう時代ですから、この時代の女性達は強いです。自分から進んで兵を率いて戦争をしたり、我が子を天皇にするために現天皇の暗殺を計画したりします〉

 先日、本サイトでも取り上げた古典エッセイストの大塚ひかり氏が指摘している通り、日本の家族制度は古来、母系的な社会であったと言われている。

〈そもそも母系社会とは、「祖母、母、娘というように、代々女性の血縁関係(出自)をたどって、社会集団をつくりあげ、相続・継承の方法を決定する」(須藤健一『母系社会の構造』)社会のことで、日本では厳密な意味での母系社会はなかったという説もありますが、貴族社会は長い時代を通じて「母系的」であったことが結婚形態などからうかがえます。
 母系社会の主な結婚形態は、夫が生家から妻方へ通う「妻問い婚」と、夫が妻の実家に入る「婿入り婚」(婿取り婚)。日本では、武士が台頭する鎌倉時代までは、この二つのミックス形態が主流で、婚姻時は、夫が妻方に通ったり、妻方の実家に住み込んでいたものが、夫婦に子供が生まれるなどすると独立するのが常です〉(『本当はエロかった昔の日本 古典文学で知る性愛あふれる日本人』新潮社)

 この世界には、安倍政権の人々が主張する家父長制的な「伝統」とは真逆の光景が広がっている。「一家の大黒柱のお父さんに、専業主婦のお母さん」といった役割分担ではなく、身の回りの雑事などを担うのはむしろ男の役目である。

 また、子育てに関しても今とは違う認識が広がっていた。『うつほ物語』では、娘におしっこをかけられた夫が「この子を抱いてください」と頼んでも「まぁ汚いこと」と言ってそっぽを向く母親に対して、「彼女は内親王で、究極のお嬢様だから」と、育ちのいい証拠としての肯定的な評価が書かれている。今なら「育児放棄」と言われて世間から糾弾されるところだ。「母性」という考え方も、今と昔では違うのである。

 また、ここまで時代を遡らずとも、だいぶ現代の我々の生活様式に近づいた江戸時代でも、女性たちが家のなかで縛られているということはなかった。「ユリイカ」(青土社)16年1月臨時増刊号のなかで、ジェンダー論・女性学などを専門とする社会学者の上野千鶴子氏は春画に描かれているストーリー設定を考察して、このようなことを語っている。

「家制度のなかにおける正妻の地位は高い。商家なんかはおかみさんが権力を握っています。そのなかでも一番強いのは後家さんです。他家から入ってきた後家さんが家の代表になるというのは家制度の面白い点です。日本の経営者の女性比率は国際的に見ても高いんです。大企業の雇われ社長ではなく、同族経営の中小企業では後家さんが家業を引き継いで経営する傾向が強いですね。
 春画にも後家さんがすごく多いでしょう。若い男を引き入れているような図柄がよくあります。家制度のもとでは、後家になって家督相続人の母になれば権力も自由も手に入る(笑)」

 安倍政権が言う「伝統的な家族制度」が、いかに最近つくられたシステムであったがよく分かる。

 同性パートナーシップの問題に関しても同様のことが言える。前述したヘイトデモで配られたチラシには、先に引いた〈伝統的な家族制度に混乱をもたらす渋谷区条例〉という文章の他に、こんな文言も書き記されていた。

〈若者が多く集まる渋谷区の路上や職場で、男性同士、女性同士が公然と抱き合ったり、キスをしたりする姿が日常の光景となり、やがてエイズが蔓延してしまうことを、誰も歓迎しておりません〉
〈条例案は、日本の伝統と文化に対する挑戦状〉

 正直、引用するのもはばかられるような差別的テキストだが、ここでもとくに熟慮することなく無邪気に使われている「日本の伝統と文化に対する挑戦状」という言葉。この「伝統」も果たして本当に「伝統」なのだろうか。

 敢えて述べるまでもなく、日本には古来より同性愛の文化があった。

〈周知のように、日本の仏教界では、平安初期の昔から女犯の罪を避けるため稚児との男色が公認されていたし、平安末期の上流貴族が中・下流貴族と関係することで結束を強めていたことは五味文彦も指摘しています(『院政期社会の研究』)。
 江戸時代には、葭町(芳町)をはじめ、男娼の集まる町が多数ありました。
 そこでは、男性同性愛者だけでなく、異性愛(両性愛)の男や、女も、男を買っていた。
 井原西鶴の『好色一代男』(1682)の主人公が、54年間に関係した相手は女3742人、少年725人という設定で、日本では、こと男に関しては「両性愛」であることが「色好み」の条件とも言え、平安末期の多くの皇族貴族たちも妻や女の愛人がいながら、男の愛人もいたのです〉(前掲『本当はエロかった昔の日本』)

『源氏物語』のなかで使われる有名な言い回し「女にて見む」は、改めて指摘するまでもなく、「(相手の男を)女としてセックスしたい」という意味であると解釈されている。

 また、時代は下り、江戸時代、男色は春画のモチーフとしても多く描かれることとなった。

〈武家の男色は男どうしの絆を高める社会的な習慣であり、表向きは禁令が出されて以降も、武家の男子にとってはなんら異常ではない恋の慣習であった。それゆえに近世の春画にも、愛し合う恋人どうしとしての少年と念者の恋が描かれるようになったといえよう。心身ともに結ばれた春画の男たちの姿は、武家社会における男の絆の、性愛も含めた緊密性を鮮やかに伝えている〉(「ユリイカ」16年1月臨時増刊号所収、佐伯順子「春画の“少年力” 魅惑という権力」)

 ここで「表向きは禁令」という表現が出てくるが、それは、あまりにも男色が盛んになってしまったがゆえの秩序統制のための禁令であり、松尾芭蕉も「われもむかしは修道ずき」と書き記しているし、平賀源内は『江戸男色細見』という男色遊びのガイドブックまで書いている。先ほどあげた『好色一代男』もそうだが、『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんも「両刀づかい」として描かれている。

 安倍首相は、『新しい国へ 美しい国へ 完全版』(文春新書)のなかで、多様な家族観を描く高校の家庭科教科書に対し、こんな疑問を記していた。

〈同棲、離婚家庭、再婚家庭、シングルマザー、同性愛のカップル、そして犬と暮らす人……どれも家族だ、と教科書は教える。そこでは、父と母がいて子どもがいる、ごくふつうの家族は、いろいろあるパターンのなかのひとつにすぎないのだ〉

〈「お父さんとお母さんと子どもがいて、おじいちゃんもおばあちゃんも含めてみんな家族だ」という家族観と、「そういう家族が仲良く暮らすのがいちばんの幸せだ」という価値観は、守り続けていくべきだと思う〉

 しかし、ここまで述べてきたように、これまで我が国が歩んできた「家族」「性」に関する考え方は、安倍首相が断じているほど画一的に述べられるようなものではない。むしろ、本当の意味で日本の「伝統」というものを考えるならば、「家族」や「性」といったものに対し、もっと多様性を認める考えのほうがよっぽど「伝統」なのではないか。

 国家統制を強めるため、国民を国家に奉仕させるために、明治政府が「勝手につくった」にすぎない「国家」や「家族」というフィクションを、「伝統」などと持ち上げる安倍政権の詐術にはだまされたくないものである。

(井川健二)

































 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 赤かぶ[3649] kNSCqYLU 2019年1月31日 15:13:09 : 90EZJT5uPI : 4gKn5wchQzA[212] 報告


2. 赤かぶ[3650] kNSCqYLU 2019年1月31日 15:13:57 : 90EZJT5uPI : 4gKn5wchQzA[213] 報告


3. 赤かぶ[3651] kNSCqYLU 2019年1月31日 15:15:00 : 90EZJT5uPI : 4gKn5wchQzA[214] 報告


4. 2019年1月31日 17:30:09 : o3QrDJ9g1w : 4hlkJk4rXAQ[647] 報告
最近はアベとかデンツーとか変な奴等がウソをね、平気で真実として吹聴している。
夫婦別姓から恵方巻きまで全て「真っ赤な偽り」だよな。

日本はもともと夫婦別姓である。
歴史学や民俗学に少しでも触れたことがある者ならばみな知っているはずだ。
妻の紋が実家の紋であって夫の家の紋を使わないのはこのことの現れで、明治まで遡って墓石を見れば夫婦墓の夫婦の名字が別々であることなどザラにある。

明治政府が伝統をねじ曲げて夫婦同姓に改変したのだ。
ちなみに中国や朝鮮などの周辺国でも伝統的に夫婦別姓であり、今もそれが続いている。

5. 2019年1月31日 17:32:02 : zcdeKZFDYI : u5c0ON4oSpA[5] 報告
> いつの間にか日本人は「答えになっているかどうか」を判断することを忘れてしまったようです。〉(朝日新聞2014年7月8日付)

吉田清治の強制連行の嘘を長年報道し続けた朝日新聞[1]はいつの間にか「答えになっているかどうか」を判断することを忘れてしまったようです、が正しい。

> 自分から進んで兵を率いて戦争をしたり、我が子を天皇にするために現天皇の暗殺を計画したりします〉

テレビで見る朝鮮王朝ドラマでは、兵を率いて戦争をしたり、我が子を朝鮮王にするために現朝鮮王の暗殺を計画したりばかりしている。
古代の朝鮮式の紛争は朝鮮の帰化人が天皇を唆したのかもしれない。

「国家統制を強めるため、国民を国家に奉仕させるために、明治政府が「勝手につくった」にすぎない「国家」や「家族」というフィクションを、「伝統」などと持ち上げる安倍政権の詐術」
と詭弁を弄するリテラにはだまされたくないものである。

[1] 記事を訂正、おわびしご説明します 朝日新聞社
慰安婦報道、第三者委報告書
http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122337.html
吉田清治氏関連の記事について
新たに2本、全文・一部取り消し
 朝日新聞は今年8月5日付の検証紙面で、吉田清治氏(故人)を取り上げた記事16本を取り消しました。
 吉田氏は存命中、日本の植民地だった韓国・済州島で戦時中、女性を慰安婦にするため暴力を使って無理やり連れ出したと証言していました。
 記事取り消しは、吉田氏の証言を虚偽だと判断したためでした。8月以後、改めて過去の報道を再調査した結果、吉田氏の虚偽証言に基づく記事がほかにも3件掲載されていたことを確認しました。個々の記事には次のように対応し、長期間を要したことをおわびいたします。
 「連載 韓国・朝鮮人2(27) 命令忠実に実行 抵抗すれば木剣」(80年3月7日付川崎・横浜東部版)は全文を取り消し、掲載したことをおわびします。
 この記事は、吉田氏への取材をもとに「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」などと伝えています。
 しかし、研究者らへの取材などから、吉田氏が所属したとする山口県労務報国会は、指揮系統からみても職員が直接朝鮮に出向くことは考えにくいと判断しました。慰安婦に関する吉田氏の証言を取り上げた記事と同様に、証言を虚偽と判断して扱います。
 「連載 うずく傷跡 朝鮮人強制連行の現在(1) 徴用に新郎奪われて」(84年1月17日付夕刊社会面〈大阪本社版〉)についても、吉田氏の証言に関する部分を取り消し、おわびします。この記事は、吉田氏が朝鮮人強制連行業務の一端に連なった、と書き、同氏が韓国・天安に建てた謝罪の碑の除幕式の様子を紹介しました。除幕式があったのは事実ですが、前記の連載記事と同じ理由で証言を虚偽だと判断します

6. 2019年1月31日 23:12:45 : 2FOSukKJfI : rRlUD7YvIXs[77] 報告
そもそも自民が推奨する「専業主婦(ハウスワイフ)」というものは近代欧米文化の産物。
(その件についてはアン・オークレーというアメリカの人類学者が『主婦の誕生』という本を書いているほどだが、興味のある人は読まれたし)

本来、狩猟採集の昔からはもちろん、農耕基盤の文化を築いてからもずっと、女はいつだって働いてきたし、女が働きゃなきゃ人間社会は続かなかった。
「会社で働く父親と家事しかしない母親」しか知らない人が、それが家庭というもののあり方だと思うのも仕方ないのかもしれないが、農家や家族経営の工房や個人商店で育った人は必ずしもそうではないだろう。そうでなくても、大抵の人なら、ちょっと自分の田舎のひいばあさんあたりがどんな生活をしていたか調べてみればわかることでもある。

日本においては、現在、90歳以上の人たちが若かった時代はまだ、田舎では各家庭が田畑で食料を自給生産するのはもちろん、綿花を栽培し、あるいは養蚕を営み、糸を紡ぎ機を織って衣類をも自給していた。嗜好品であるお茶も、しばしば家の周囲でお茶の木を栽培し焙烙で煎って作っていた。家の改築や修繕も何世代かに渡って自分たちで山の木を育てておき、それに備えた。つまり、基本的に自分たちに必要な物資は自分たちで作るのが「普通の生活」だったのだ。そんな中で、女性の働きはけして男性に劣るものではなかった。(たとえば、女たちによって織られた布は市に出されたり専門の業者に買い取られて、農家にとっては貴重な現金収入になっていたようだ。私の知人の家は曽祖父の代に火災に遭って零落しかけたが、二人の娘が機織り上手でその働きで持ち直し、蔵まで建てたと言う話が伝わっているという)

当時と今の違いは、「職住」がはっきり分離していなかったので「生活の場は生産の場でもあった」ということ。かつては日本のみならず、世界の大多数の場所でそうだった。それが企業というものが作られて「職住分離」が始まり、そこで働く報酬は金銭という単一の形で支払われるようになる。そうなると幼い子供を会社や工場に連れていけない子持ち女性は外で働けなくなり、次第に「専業主婦」が成立していく。

企業経営者にしてみれば、既婚女性を雇うよりは、男性や未婚女性を雇ってとことん働かせ、その報酬は賃金で支払う。一方で、彼らの日常的な世話や将来の労働力である子供の養育、そしてもはや労働市場では価値のなくなった老人の世話などは既婚女性にやらせた方が「効率的」であり、また彼らの生活に必要な食品、衣料その他のすべての物資は「消費者」として、自分や家族が得た賃金で商品を購入することによって贖わせれば、企業も儲かる。そうして急速にそのような生活が当たり前の社会になっていった。

(差別語であることは重々承知で使わせてもらえば、昔「子連れを使うなら、びっこを使え」という言葉があったと聞いたことがあるが、その辺の事情を語ったものだろう。また、かつて林真理子とアグネス・チャンの間に「アグネス子育て論争」というものがあったが、要は、子供、特に乳幼児というものは、ひたすら効率を求める産業社会の「職場」に存在したら「極端に非効率的な邪魔者」でしかないということを露わにしたに過ぎない。ついでに言えば、自給自足的な社会では子供は自分の親や周囲の大人たちから「生きていく術(すべ)」をほぼ学ぶことも出来たが、「企業人としてどこかの会社に就職しなければならない」となると、長期にわたって学校に通って教育を受け「学歴をつける」ことも必須になっていく)

つまり、職住分離は労働形態を変えただけでなく、かつては各自、各家庭がある程度の生産を行い、自給自立的な生活をしていた人々を賃金と商品経済に全面的に依存する「消費生活者」に変えていったのだ。そうして「専業主婦」となった女性は「生産の場」からは排除されてしまっている一方で、家族の生活を整えるために「消費」はしなければならない。夫の稼ぐ賃金で食品その他の生活物資を「買って使うだけ」の生活をするしかないのだ。それはそれでけして楽なことではないのだが「人間は金を稼げば稼ぐほど偉い」という価値観の沁み渡ってしまった今の社会では、そんな妻たちの立場はどうしても弱くなり、実際に口に出す出さないは別として、しばしば「誰が稼いで食わしてやっているのだ?」という夫からの圧力を受けることにもなる。

思えば、この国でも国民の大多数がそのような生活をするようになってまだ数十年しかたってはいない。今後もそのような社会であることが人類的な進歩なのかどうか、考え直す理由は大いにあると思う。

(歴史的に言えば、江戸時代の武士の家庭は「夫だけが外で働く給料生活者」という点で、しばしば現代の「サラリーマン家庭」に例えられるが、実際には中流以下の地方の武家はたいていが畑を持ち、家族総出で自分たちの食べる野菜くらいは自給していたし、お茶栽培や養蚕も行い、女たちは機を織ったりして農民とあまり変わらない生活をしていたようだ)


7. 2019年2月01日 12:32:12 : Y5gj0pWAJM : D44z13cp1Yc[1] 報告
薩長には、これからDDTをかけてやろうよ。薩長剤という名の殺虫剤をね。

山口、鹿児島は害虫、寄生虫共の温床なんだしね。田布施というトコに特に。

▲上へ      ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK256掲示板 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK256掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
政治・選挙・NHK256掲示板  
次へ