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一帯一路で中国が狙う「物流覇権」再奪取の総仕上げ 習近平国家主席は「ダボスマン」に非ず、国際主義の庇護者を称するのは無理
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投稿者 うまき 日時 2019 年 1 月 23 日 08:40:08: ufjzQf6660gRM gqSC3IKr
 

一帯一路で中国が狙う「物流覇権」再奪取の総仕上げ

【連載】ビジネスに効く! 世界史最前線(第14回)
2019.1.23(水) 玉木 俊明
フロリダ州セント・オーガスティンに係留されたガレオン船
 前回、中国が海禁政策を取り朝貢貿易中心へと政策転換したことが、世界最高水準にあった海運力を衰退させ、これが中国経済にとって致命的な問題を招いてしまったということを述べました(「世界最高水準の海運力を朝貢で失った明代中国の悲劇」 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55162)。今回は、その続編をお届けしようと思います。

中国に銀を運んだポルトガルとスペイン
 世界の歴史を俯瞰すると、19世紀初頭ごろまで、世界で最も豊かな国は、中国であり、それに次ぐのがインドでした。この二大経済大国に比べて相対的に貧しかったヨーロッパは、中国からは絹織物や陶磁器、茶など、インドからは綿などを輸入していました。それに代わる対価を、ヨーロッパ諸国は銀で支払っていたのです。本来ならばヨーロッパの特産品である毛織物を売ることで対価としたかったはずですが、アジアでは毛織物の需要はあまりなかったのです。

 特に中国では、銀の需要が高かったのです。それは15世紀に採用された一条鞭法にしても、康熙帝の時代に導入された地丁銀制にしても、銀による納税システムが採用されていたからでした。ところが銀は中国国内ではほぼ産出されません。そこで外国から銀を得る必要があったのです。

 中国に対する銀の主要な供給元となったのは、まず日本でした。その頃、日本の銀生産高は、世界の3分の1を占めていました。日本銀の産出量は、ボリビアのポトシ銀山に匹敵していたといわれています。日本は中国から綿、絹、生糸、茶などを輸入していたので、その代価として銀を充てていたのです。

 主要な銀山は、島根の石見銀山でした。この日本銀を中国まで運ぶのに活躍したのは、日本人ではありません。というのも、16世紀の安土桃山時代から、日本が外国と正規の貿易ができるのは長崎で、しかも特定の国との間とだけ可能になっていました。つまりポルトガルやオランダ、中国です。主に活躍したのは、ポルトガル人やオランダ人です。彼らが中国で買い付けた生糸などの長崎に持ち込み、対価として受け取った銀を、今度は中国に運び込んだのです。

 中国に運び込まれる銀は、日本産だけではありませんでした。新世界で産出された銀も持ち込まれたのです。この輸送を担ったのはスペインでした。メキシコのアカプルコでガレオン船に銀を積み、そこからフィリピンのマニラに運びます。マニラに到着した銀は、今度は中国のジャンク船によってマカオへと輸送されたのです。

マニラとアカプルコを結んだガレオン船のルート ©アクアスピリット
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 ガレオン船は多いものでは4〜5本のマストを備え、喫水が浅く、スピードが出ました。そして、砲撃戦にも適していた。そのため従来、遠洋航海に用いられてきたカラック船やカラヴェル船に取って代わり、広く使われるようになったのです。

マニラが果たした役割
 マニラに運び込まれた銀は、主に絹と交換されました。マニラは、スペイン王フェリペ2世によって1571年に建設された都市で、17世紀初頭には人口2万8000人の規模になり、さらに1620年には4万1400人へと急増しています。1650年のマニラには、約1万5000人の中国人、7350人のスペイン人、2万124人のフィリピン人がいたという記録も残っています。中には、宗教的迫害を逃れてマニラに住み着いた日本人キリシタンもいました。また、アルメニア人がいたことも確認されています。マニラは、まさに異文化間交易の中心になったのです。

 アジアとの交易は、当時のヨーロッパ諸国にとって莫大な富を生み出す手段でしたが、スペインは、例えば中国に直接アクセスするのではなく、マニラを中継地としてアジア市場に参入するという手段を選びました。とうのも、当時のアジア諸国との貿易を支配していたのは、まずはポルトガル人、ついでオランダ人でした。そこに後発のスペインが割って入ることは難しかったのです。

 中国に直接アクセスできないスペインは、マニラを中継地とし、ガレオン船を駆使して、太平洋沿岸貿易に力を注ぎました。18世紀末には、多数のマニラ産の葉巻が、アカプルコ経由でスペイン領アメリカに輸送されるようになります。

 ポルトガルは、スペインがフィリピン諸島で独占的な活動をしていたことに反感を持っていましたが、なぜか自ら太平洋に乗り出そうとはしませんでした。ポルトガルは、本国から見て西はブラジル、東はマカオ―マラッカ―モルッカ諸島までを帝国の範囲とするにとどまったのです。

 それに対しスペインは、太平洋をスペインの海にしようとしていました。そのために必要だったのが、ガレオン船とアカプルコから輸送される銀だったのです。

中国に銀が流入した理由
 中国に銀が流入した理由については、一条鞭法や地丁銀制という銀による納税システムをとっていたため、と説明しましたが、もう一つ大きな理由があります。それは、中国とスペインの金銀比価の相違です。つまり金1と交換するのに必要な銀の比率です。

 1592年から17世紀初頭にかけ、広東での金銀比価は、1対5.5から1対7であったのに対し、スペインでのそれは1対12から1対14ほどでした。中国では銀が高く評価されており、そのため、銀が中国へと流入したのです。逆に言えば、明や清は、アカプルコからマニラに銀を運び込んでくるスペイン人の船がなければ、経済を維持することができなかったのです。

 鄭和の大航海以降、明は海禁政策に舵を切り、外国地の貿易は基本的には朝貢貿易が原則になっていきます。そのせいもあり、中国はメキシコからの銀の輸入も、スペイン人の手を借りなければなりませんでした。スペインにとってみれば、このガレオン貿易は莫大な利益を生み出すドル箱で、太平洋貿易にますます力を注いでいきます。

 それがひいては太平洋をまたにかけた巨大な海上帝国を築き上げる力になって行きます。

 当時、経済的にはまだ中国はヨーロッパを凌駕する豊かさを誇っていましたが、スペイン人やポルトガル人は大型船を操り、徐々に世界を一つにしていきました。

 中国は、豊かであったがゆえに、物流の重要性を軽視しました。すべての商品は中国を目指していたので、あえて冒険して、海上に乗り出し、物流システムを開拓する必要はなかったのです。それが、その後の中国の経済的没落とヨーロッパの勃興へとながっていったのです。

「一帯一路」の世界史的意義
 1990年代以降、中国は大きく経済成長しました。現在のGDP総額は、世界第2位になっています。経済大国の地位に見事返り咲いたわけです。現在の習近平国家主席は、その地位を盤石のものとし、アメリカと並ぶスーパーパワーとして世界に君臨しようとしています。彼がぶち上げた「一帯一路」構想は、それを実現するための政策といえるでしょう。

 一帯一路構想とは、2013年に習近平国家主席が「シルクロード経済ベルト」と「21世紀海のシルクロード」を含む「一帯一路」構想を正式に検討したことから始まります。注目すべきポイントは、これがユーラシア大陸全体におよぶ物流システムの再構築だということです。すなわち、ユーラシア世界の陸上物流と海上物流が、中国を中心として結合されるということです。そのためには中国は、中国が主導して設立したアジアインフラ投資銀行(AIIB)を通じて、関係各国への莫大なインフラ投資も厭わない姿勢を示しています。現代の中国が、いかに物流を重視しているのかが現れていると言えるでしょう。

「一帯一路」構想 ©アクアスピリット
 その具体的ルートは、中国西部―中央アジア―欧州を結ぶ「シルクロード経済帯」(一帯)と、中国沿岸部―東南アジア―インド―アフリカ―中東―欧州と連なる「21世紀海上シルクロード」(一路)からなります。

 歴史的に見れば、海上ルートは、明の時代に7度の大航海を指揮したムスリムである鄭和が遠征したルートであり、それはおおむねムスリム商人が利用した商業ルートです。陸上ルートは、いくつかの部分が、シルクロードで活躍したアルメニア商人の商業ルートと重なっています。

 中国政府は、あるいは多くの人々がこれらに対して「新しいシルクロード」という表現を使っていますが、「シルクロード」という表現は、私には適切には思えません。シルクロードとは、商人たちが自発的に形成したルートであり、その形成に国家はあまり関与してこなかったからです。

 しかも陸上のルートに関しては、旧来のシルクロードの流通量は、決して多くはありませんでした。現代の中国政府は、その陸上ルートに膨大な量の商品を輸送する計画なのです。国家が関与する巨大な流通ルートは、本来の「シルクロード」とは意味合いがまったく違います。

 ともあれ、かつて世界で最も豊かだった中国は、物流をあまり重視しない朝貢に貿易の軸足を置いたことで、経済力の衰退を招きました。経済力を回復した現代の中国は、その地位をさらに強固なものとするため、一帯一路という超・物流重視政策に力を入れています。膨大な資金や関係諸国との良好な関係も不可欠な事業なので、成功するか否かはまだ不透明ですが、中国経済史、あるいは中国物流史を踏まえれば、中国が一帯一路構想にのめり込むのはある意味当然のことと理解できるでしょう。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55276

 
習近平国家主席は「ダボスマン」に非ず
称賛された講演から2年、国際主義の庇護者を称するのは無理
2019.1.23(水) Financial Times
(英フィナンシャル・タイムズ紙 2019年1月21日付)

習主席、保護主義に警鐘 トランプ新政権にらみ、ダボス会議で講演
スイス・ダボスで開催された世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)で講演する中国の習近平国家主席(2017年1月17日撮影)。(c)AFP/FABRICE COFFRINI 〔AFPBB News〕

 今から2年前、今週また始まる「世界経済フォーラム年次総会(通称ダボス会議)」で、中国の習近平国家主席は自らをグローバル化の庇護者として位置づける講演を行った。

 「好むと好まざるとにかかわらず、グローバル経済は逃れられない大きな海だ」

 米大統領に選出されたばかりのドナルド・トランプ氏が敵、味方を問わず貿易戦争を仕かけるのにいそしむ傍ら、習近平氏はこう言った。

 「経済国の間を行き交う資本、技術、製品、産業、人の流れを絶ち、大海の水を孤立した湖や川へ戻そうとする試みは、とにかく不可能だ」と断言し、中国の経済開放があらゆる形で中国と世界の双方を豊かにした例を挙げてみせた。

 それも、もう終わりだ。

 あのダボス会議の1年後、習氏は国家主席の任期制限を廃止し、毛沢東時代へと逆戻りする策を講じた。

 中国は改革について逆行し始め、非生産的な国有企業のさらなる成長を促し、競争を減退させ、すでに進んでいた景気減速を悪化させた。

 この減速に対処するうえで、中国政府は昔のやり方に頼った。債務で問題を覆い隠すやり方がそれだ。

 大企業が国有銀行から多額の融資を受ける一方、より生産性の高い民間部門は締め出された。

 モルガン・スタンレー・インベストメント・マネジメントのルチア・シャーマ氏によれば、今では中国で1ドルの経済成長を生み出すために3ドルの債務が必要になっている。

 トランプ氏は国際体制をひっくり返したことで多くの批判を浴びた。それも受けるべくして受けた批判だった。

 しかし、中国は十分に批判されていない。

 トランプ氏の関税は確かに、何年も前からくすぶっていた米中対立を浮き彫りにした。だが、最大のイベントはトランプ氏ではない。

 「トランプは極端な対策を取るが、我々は自然とこの段階に至ったはずだ」

 中国のプライベートエクイティ(PE)業界の大物投資家、単偉建氏はこう話す。

 同氏の新著『Out of the Gobi』は毛沢東時代の中国で育った回顧録だが、中国にとって、なぜ市場の方が国家管理よりうまく機能したかを調べた研究でもある。

 「中国に変わってほしくないと考える既得権益が存在する。実際には、もし貿易戦争が国を本格的な改革の実行や知的財産権の保護に追い込むのであれば、それは良いことかもしれない」(同氏)。

 今のところ、そうはなっていない。

 米国はトランプ氏の指揮下で、昔ながらの金融化のシュガーハイ(興奮状態)に頼った。

 減税と企業の自社株買いが、10年間に及ぶ低金利と記録的な債務の後、調整の機が熟し、ぐらつく市場を支えてきたのだ。

 中国も同じことの中国版を行い、いつもの不要な建設プロジェクトの数々を支え、金融政策を緩和し、資産バブルが膨らむのを容認している。

 グローバル化と多国間主義を軸とした新たな課題を促進するどころか、習氏は市場の国家管理を強め、クアルコムからアップル、ビザ、マスターカードまで、多くの企業が事業を営むのを難しくした。

 また、中国政府は急成長を遂げるハイテク産業に対する統制も強め、国内外の企業に検閲への関与を深め、国家の治安対策に協力することを義務づけている。

 これは、中国流の中央集権こそハイテク産業に必要なものだとする危険な物語の一環だ。

 この説によれば、人工知能(AI)とビッグデータの時代にあって、監視国家を邪魔する市民の自由が存在しないために、中国は米国企業に対する優位性を持つ。

 世界最大の人口から生み出されるすべての情報に自由にアクセスできることから、中国のハイテク業界は急速に前進していく。

 これは最近、米国や欧州連合(EU)での規制強化の動きを押し返すために米国ハイテク企業のトップが駆使している訴えだ。

 筆者はこの説を信じない。中国の監視国家はイノベーションよりも抑圧をもたらすだろう。

 国際NGO(非政府組織)「フリーダムハウス」が最近公表した報告書によれば、中国は監視技術を少なくとも世界18カ国に輸出しており、ザンビアやベトナムといった国の政府が自国市民を弾圧するのを容易にしている。

 中国の指導者は、中国の減速は自然で歓迎すべきことであり、新しい消費主導経済への移行だと話している。

 一方で、景気減速は統制政策への回帰がもたらした結果だと言う人も大勢いる。

 ワシントンのシンクタンク、ピーターソン国際経済研究所のニコラス・ラーディ氏は、中国で次第に大きくなる国有企業の重荷は、世界金融危機以降、大幅な生産性の伸び減速を招いたと考えている。

 これを反転させるために必要なのは、国家管理を強めることではなく、逆に緩めることだ。

 習氏が2017年のダボス会議の講演で指摘したように、中国は1980年代に経済を開放した後、1.7兆ドル以上の外国投資を呼び込み、世界経済の成長に多大な貢献をした。

 現在、資本フローと成長双方が減退している。減速の一部は米中貿易戦争のせいだ。だが、米国の経済問題が国内で始まるように、中国のそれも国内で始まる。

 トランプ氏は完全にでっち上げられた移民危機の一環として何の必要もない政府閉鎖を指揮するのに忙しいため、米国代表団のダボス訪問をキャンセルした。

 中国の代表団は今年もダボスへ行く。だが今年は、中国政府が自国をグローバル化の庇護者として位置づけるのは、以前よりずっと難しいだろう。

By Rana Foroohar

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55269
 

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コメント
1. 2019年1月23日 20:02:16 : o3QrDJ9g1w : 4hlkJk4rXAQ[617] 報告
ダボスマン?国際主義?
中国がダボスの敵だとすると、それは中国を支持する有力な理由となる。
ダボスの祖先ローマクラブに一人っ子政策を押しつけられ、今に至る大きな歪みを生じることとなった怨みを中国は忘れまいよ。

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