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中高年のひきこもり61万人の衝撃。誰がどう救う?
松本 健太郎
株式会社デコム データサイエンティスト
2019年12月4日
1 80%全5086文字
公的統計データなどを基に語られる“事実”はうのみにしてよいのか? 一般に“常識“と思われていることは、本当に正しいのか? 気鋭のデータサイエンティストがそうした視点で統計データを分析・検証する。結論として示される数字だけではなく、その数字がどのように算出されたかに目を向けて、真実を明らかにしていく。
※文中にある各種資料へのリンクは外部のサイトへ移動します
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長期化する中高年のひきこもり、通称「8050問題」(80代の親がひきこもり状態にある50代の子の面倒を見ている問題)に注目が集まっています。2019年1月には札幌で、82歳の母親と自宅にひきこもる52歳の娘が遺体で発見されました。死因は寒さと栄養失調による衰弱死でした。
そんな中で、19年3月に内閣府から発表された「生活状況に関する調査(平成30年度)」において、40歳から64歳までの中高年層のひきこもりが全国で推定61.3万人いると推定され、大きな話題をよびました。
報告書によると、「全国の市区町村に居住する満40歳から満64歳の人たち4235万人」から層化2段無作為抽出法によって選ばれた5000人のうち、回答を回収できた3248人中47人(約1.45%)が、この調査におけるひきこもりの定義に該当すると分かりました。
約1.45%に4235万人を掛けると61.3万人になります。100人の中高年がいれば1人はひきこもり、という衝撃的な結果です。
ちなみに、この調査で定義するひきこもりは「自室からほとんど出ない」「自室からは出るが家からは出ない」「ふだんは家にいるが近所のコンビニなどには出かける」という“狭義のひきこもり”に加えて「ふだんは家にいるが、自分の趣味に関する用事のときだけ外出する」という“広義のひきこもり”も含みます。ただし「現在、なんらかの仕事をしている」「身体的な病気がキッカケで現在の状態になった」「専業主婦・主夫だけど、最近6カ月間に家族以外とよく会話した・ときどき会話した」人たちは除かれます。
過去2回行われた、ひきこもりに関する調査(平成22年の若者の意識に関する調査、平成28年の若者の生活に関する調査)は、15歳から39歳までを対象にしており、これまで中高年層のひきこもりの実態は謎のままでした。過去2回の調査を読むと30代の「ひきこもりの長期化」が顕著に表れており、実態解明は急務だったと言えるでしょう。
しかし、この調査に対して「3000人に聞いただけで中高年のひきこもりが60万人なんて拡大解釈過ぎる」「たった1%なんて誤差みたいなものでいい加減」という意見もあるようです。果たしてそうなのでしょうか?
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標本調査をちゃんと知ろう
確かに、日本中全ての住居に対して調査すれば、正確なひきこもりの実態が分かります。こうした方法を「全数調査」と言います。5年に1回行われる国勢調査や経済構造統計(経済センサス)が該当します。
全数調査は間違いなく正確ではあるのですが、大変な手間と膨大な費用がかかります。ちなみに10年に行われた国勢調査の費用は約650億円でした。そこで、全体から一部の人を抽出する「標本調査」という方法が選ばれます。今回の「生活状況に関する調査(平成30年度)」も4235万人から5000人を抽出している標本調査です。
標本調査は、全数調査のデメリットである「手間と費用」を軽くしてくれる代わりに、メリットである「正確さ」の精度が落ちます。全数調査を行えば得られたはずの結果に対し、標本調査で得られた結果との差分は間違いなく発生します。その差を「標本誤差」と言います。標本誤差の幅は、以下の表で示したように抽出した人数(表中の「n」)が大きいほど狭まります。
標本数などによって標本誤差の幅は変わる
出典:内閣府「生活状況に関する調査」
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上の表は、標本数によって95%の確率で生じる標本誤差の幅を示したものです。これを見れば分かるように、n=3000人に聞いた場合、ある質問に対してAと答えた割合が10%なら、全数調査をすれば得られたはずの結果に対して95%の確率で±1.1%の誤差が生じるのです。
計算式は単純です。1.96×√{p×(1-p)÷n}で求まります(1.96は定数)。今回は3248人に聞いてひきこもりの比率が1.45%なのですから、1.96×√(0.0145×(1-0.0145)÷3248)=±0.41%の誤差が生じます。
つまり4235万人のうち約1.45%(±0.41%)が広義のひきこもりなら、実態の数は44.0万〜78.8万人程度だと考えられます。
ただし、標本誤差は「全数に聞いたのと同じぐらい、抽出した標本に特徴がよく表れている」という前提条件があります。例えば渋谷の街角で20代100人に聞いたからといって、それが20代全員を代表する意見とは限りません。そこで全数から標本を抽出するには、最初に紹介した「層化2段無作為抽出法」をはじめとする様々な手段が用いられます。
全数と標本の話は、よく味噌汁に例えられます。味噌汁の味を知るのに、全てを飲むのは大変です。だから、おたまで少しだけすくって味見をします。これが標本調査です。ただし、全体をよくかき混ぜないと、すくう場所で味が変わってしまいますよね? 「よくかき混ぜる」ことが前提条件です。
標本調査についてもっと詳しく知りたいと思われた方は、総務省統計局「統計学習の指導のために(先生向け)」の標本調査に関するWEBページをご覧ください。
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内閣府は何もするつもりがない? それとも…
ようやく明らかになった中高年のひきこもりに対して、内閣府はどのような対策を取ろうとしているのでしょうか? それは、調査目的を読めば分かります。一部を引用します。
(略)40 歳以上でひきこもり状態にある者の状況等について把握することで、子供・若者がひきこもり状態となることを防ぐために必要な施策や、ひきこもりの長期化を防ぐための適切な支援を検討するための基礎データを得ることを目的とする。
私自身、この一文を読んでハッとしました。目的は「子供・若者のため」であり、40歳以上のひきこもり状態にある人たちの支援のためではないのです。
そもそも中高年層のひきこもりの実態を調べる法律や根拠はないのです。以前から行われている「ひきこもり対策推進事業」は、法的なよりどころを「子ども・若者育成支援推進法」に求めています(参照)。過去2回のひきこもりに関する調査も、この推進法第17条によるものです。
ひきこもりを支援するために全国各地に設けられている「ひきこもり地域支援センター」も、年齢制限が課せられている例が少なくありません。例えば東京都では、訪問相談の対象を「義務教育終了後の15歳からおおむね34歳まで」と区切っていました。19年の6月になってようやく、東京都も「義務教育終了後の15歳以上」に変更され、35歳以上でも利用できるようになりました。
「ひきこもり対策推進事業」によると、中高年層のひきこもり対策は生活困窮者自立支援制度が該当するようです。19年6月には、厚生労働省から各地方自治体の生活困窮者自立支援制度主管部(局)長宛に「ひきこもりの状態にある方やその家族から相談があった際の対応」に関する通知が出ています。要は「関係各位と連携してちゃんとケアしてね」ということらしいです。
しかし、生活困窮者自立支援の目的はあくまで「自立の支援」、つまり「就労」です。しかし、さきほど紹介した"広義のひきこもり"の方たちの「ひきこもりの状態になったきっかけ」は、その大半が「仕事」なのです。様々なつらい経験を乗り越えて再び就労するとなると、1年以上の時間軸で考えねばならないでしょう。それに、ひきこもりの方々の支援に必要なのは「就労」でしょうか? まずは、社会との接点を回復し、健やかな日常を通じて、社会を担う一員になることが必要ではないでしょうか。なんでもかんでも「就労」に落とし込んでしまうのがいいこととは思えません。
ひきこもりの状態になったきっかけ
出典:内閣府「 生活状況に関する調査(平成30年度)」(単位:人、複数回答)
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次ページ8050問題に20年後はない
生活困窮者自立支援という名目の場合、他にも気になる点があります。法律によると「生活困窮者」とは経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することができなくなる恐れのある者を指します。しかし、"広義のひきこもり"の方たちが暮らし向きをどう思っているかをみると、全員が全員、困窮しているとは言えないのです。困窮していなければ、支援を受けられないということにならないでしょうか? あるいは困窮していないのに支援を受けていると、周囲から批判にさらされないでしょうか?
“広義のひきこもりの“人たちは家の暮らし向きをどう思っているか
出典:内閣府「生活状況に関する調査(平成30年度)」
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これは仮説に過ぎませんが、生活困窮者自立支援という名目では、中高年層のひきこもりを支援する枠組みのままでは限界が生じるため、「まずはどれくらいの人数がいるかを明らかにしよう」と考えたのかもしれません。そこで、行政を含む関係各位が知恵を絞り、「子供・若者のため」という建前で40歳以上のひきこもり状態の可視化に挑まれたのではないか、と私は考えています。
だとしたら、本来なら政治家がこのボールを拾って「中高年層のひきこもり支援のために包括的な法整備をしようよ」と号令をかけるべきです。しかし、今どなたが、どの政党がこの問題に興味をもたれているのでしょうか。
8050問題に20年後はない
ものすごく当たり前ですが、現時点で、8050問題に直面しているほとんどの親と子には20年後はありません。大半の親が亡くなる可能性が高いからです。普通に考えれば、100歳の親が70歳の子どもの面倒を見続けることがそうそうあるとは思えません。しかし、戸籍上でならどうでしょうか。本来は死亡している90歳、100歳の親が戸籍上は同居し70歳の子どもの面倒をみているということは起こりえます。親1人子1人の家庭で親が亡くなった場合、死亡届が出されない可能性があるからです。
先ほどの内閣府の「生活状況に関する調査(平成30年度)」によれば、"広義のひきこもり"の方たちのうち、「生計を立てているのは主に誰か」を調べたところ、3分の1は父か母になっています。父母の持つ資金は年齢から考えれば「年金」か「貯金」でしょう。
“広義のひきこもり”の人たちの家の生計を主に立てているのは父親か母親
出典:内閣府「生活状況に関する調査(平成30年度)」
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親の死亡が明らかになれば生計の源が絶たれます。死亡届を出すメリットと、死亡届を出さないメリット、その両者をてんびんにかけたとき、後者が選ばれる可能性は否定できません。
10年に年金不正受給問題が発覚して以降、いわゆる「高齢者所在不明問題」には厚生労働省が中心となり対応に当たっています。調べてみると11年2月に「昨年夏に把握した所在不明高齢者事案に関するその後の状況」が発表されて以降、5回の調査結果が報告されています。しかし15年12月の「年金受給者の現況確認の結果と差止め等の状況について」を最後に、報告は止まっています。
果たして、こうした形でこの調査を止めて止めてしまっていいのでしょうか? 15年以降も年金の不正受給事件は発生しています。18年4月には父の年金を止められたら生活できないことを理由に遺体を放置し、年金を詐取したとして板橋区に住む女性が逮捕されています。ちなみに15年の「年金受給者の現況確認の結果と差止め等の状況について」では、調査時に75歳以上の方で、市町村が健在と確認できなかった 7207人を調べたところ、死亡が233人、行方不明が89人いたとしています。
20年代、8050問題の当事者が「死亡届を出したら生きていけない」という理由でやむにやまれず犯罪に手を染める可能性は大いにあります。しかもそれは年に5件、10件というレベルではないでしょう。19年3月の調査結果からすると月に40件、50件のペースで発生してもおかしくないのです。さらに、今後、中高年のひきこもりが増えていけばなおさらです。
厚生労働省では「地域共生社会に向けた包括的支援と多様な参加・協働の推進に関する検討会」と題した検討会において、複合的な課題に一元的に対応できる自治体窓口の創設など「断らない相談支援」の必要性を強調した中間報告がまとめられました。今後、財政支援も含めて検討されるようです。
あの家にはひきこもりがいるらしい。子どもさん、なかなか顔を見ないよね。そんな噂話一つが、社会復帰を困難にすることもあるでしょう。そんな彼らに付き添い、盾になって守る行政、政治家、市民がいれば、8050問題はここまで深刻にならなかったのではないかとも考えています。
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コメント2件
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ねぎぼうず
全数調査をすれば得られたはずの結果に対して95%の確率で±1.1%の誤差が生じる
むちゃくちゃな説明ですね。「データサイエンティスト」を語るお方なのに... 基本中の基本が説明できないとは。文章全体の信頼がなくなります。
2019/12/04 06:24:27返信いいね!
ダメおやじ
痴呆公務員
不登校や引きこもり経験者の「両親が私を信じて見守ってくれたから、立ち直れた」というインタビューを良く聞きますが、親が見守った結果、立ち直ることなく中高年になってしまった人の話は聞くことが出ませんね。
このバイアスがかかった情報で(相談に行っても「子供を信じて見守ろう」しか言われない)、不登校や引きこもりの子供をただ見守るだけの親がなんと多いことか。残念です。
2019/12/04 07:10:12
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00067/112000017/?P=5
みずほ証券、早期退職を来年1月開始−50歳以上、規模定めず
中道敬
2019年12月3日 18:26 JST 更新日時 2019年12月3日 20:20 JST
みずほフィナンシャルグループ傘下のみずほ証券は来年1月、早期退職希望者の募集を開始する。対象者は条件に応じた割増退職金を受け取る。規模は決まっていない。
広報担当の丸山敦史氏によれば、募集は50歳以上63歳以下の社員が対象。定年後も視野に入れた社内外でのキャリア形成支援のために従来の制度を見直した。
丸山氏は「人員削減を目的とする制度ではまったくない」とした上で、「定年後も長年にわたり仕事をするのが当然のこととなりつつある状況を踏まえ、ベテランの社員に対して社内外を含めた柔軟かつ多様な選択肢を提供していきたい」と述べた。
みずほ証券は2024年3月期までに国内外合算の経常利益で前期(19年3月期)比2.7倍の1000億円、リテール預かり資産残高で同25%増の50兆円を目指している。飯田浩一社長はブルームバーグとのインタビューで、法人・リテールともに顧客本位の商品提案ができる態勢が整ったと、目標達成への自信を見せていた。
みずほ証のウェブサイトによると、3月末時点の従業員数は7541名。国内259拠点、海外10拠点を持つ。
(更新前の記事は対象者の年齢を訂正済みです)
(従業員や拠点数を追加します)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-12-03/Q1XIWAT0AFB601?srnd=cojp-v2
銀行の人員削減、年初から世界で7万人超−欧州がその大半
Nicholas Comfort
2019年12月4日 1:01 JST
欧州の銀行で人員削減が加速している。マイナス金利や景気減速で域内の銀行はコスト削減を余儀なくされている。世界の各銀行が年初から発表した人員削減は7万3000人を超えるが、その大半は欧州に集中している。
イタリアの銀行ウニクレディトは3日、約8000人の人員削減計画を発表した。同行の新たな4年計画の一環だ。各銀行が発表した人員削減は今年に入り世界で7万3400人。このうち86%が欧州となっている。
Job Losses
European banks have disclosed the higher number of targeted job cuts
Source: Company filings in 2019
通商を巡る国際的な対立が輸出主導型の欧州経済を直撃しているほか、マイナス金利が銀行の融資収入を一段と圧迫していることから欧州の銀行で弱さが目立った。
原文:Global Bank Job Cull Exceeds 70,000 in 2019 With UniCredit Cuts(抜粋)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-12-03/Q1XTGMT1UM1601?srnd=cojp-v2
「半分グレてる」どころでない、変容する「半グレ」
従来の視点ではとらえ切れなくなった犯罪者集団
2019.12.4(水)
廣末 登
時事・社会
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(廣末登・ノンフィクション作家)
暴力団の勢力が衰退するとともに、半グレによる事件が増えているように思える。暴力団というオオカミが、暴力団排除条例(暴排条例)で身動きが取れないため、半グレという野良犬の活動領域が拡がった。とりわけ、オレオレ詐欺の火付け役は半グレであった。
溝口敦氏の著書『詐欺の帝王』をみると、当時は半グレ予備軍のチーマー等が様々な詐欺に関与していた様子がうかがえる(文藝春秋、2014年)。このチーマーやカラギャン(カラーギャング)、暴走族などの不良が、やがて「半グレ」とカテゴライズされていった。
半グレとは何者なのか
石垣島に半グレが進出し、繁華街で悪質な客引きや店舗への脅迫が相次いだ2019年9月、琉球新報は、同月14日の新聞紙面で、半グレを以下のように定義している。
<半グレ 暴力団などに所属せずに犯罪行為を行う集団。元暴走族や同じ出身地域の先輩後輩でつながるメンバーで構成されている。違法賭博や特殊詐欺などの犯罪行為で資金を得ているとみられる。得た資金で合法的に会社経営を行っているグループもいるとされる。暴力団と一般人の中間を意味する造語で「半分グレてる」や黒と白の間を意味する灰色(グレー)などが命名の由来とされている>
この琉球新報による半グレ定義にケチをつけるつもりは筆者には毛頭ない。しかし、十把一絡げ的な「半グレ」というネーミングが、「半グレについて何だかわかりにくい感」を作り出している。だから、今年7月に放送されたNHKスペシャル『半グレ 反社会勢力の実像』が、制作者の意図から離れ、彼らを若い視聴者に宣伝する結果となったのかもしれない。
実際、他のメディアでもこの番組に登場した「半グレ」について、「高級ブランド品で固めた自身のコーデや毎晩飲み歩く派手な姿を(インスタに)投稿し続ける・・・『今風』で、不良漫画から飛び出してきたようなアウトローといった印象を視聴者はもったはずだ」と述べられている(NEWSポストセブン 8月17日付け記事)。
半グレの定義を整理する…
筆者から言わせると、「半グレ」は半グレに非ず。彼らは「グレグレ」「全グレ」であり、れっきとした犯罪・非行的集団である。
「半分カタギで、半分犯罪者」などという輩は存在しない。オレオレ詐欺やアポ電強盗が「ハーフクライム」なら、「フルクライム」とは余程凶悪な「強のつく」犯罪しか残らなくなってしまう。それならば、路上で殴打した、女性にわいせつな行為をした等は犯罪の内に入らなくなってしまうのか。そんな道理が通るはずがない。犯罪に「半分」も「全部」もない。故意または過失によって他人に何からの損害を与える行為は、全て不法行為であり、れっきとした犯罪なのである。
暴力団の取材を重ねるうち、昨今の裏社会に言及する上では、半グレのことも避けて通れなくなってきた。現時点では学術的な研究ではないので、以下では、筆者がインタビューした限定的な範囲で半グレの実態を要約し、筆者なりの見解を述べたいと思う。
半グレの定義を整理する
半グレという用語が定着したのは、ノンフィクション作家の溝口敦氏が、新書で『暴力団』(新潮新書、2011年)を著し、半グレについて言及した頃からではないかと考える。溝口氏は、同書の第六章 代替勢力「半グレ集団」とは――において、半グレを次のように解説している。
「半グレとは暴力団から距離を置くものであるといいます。その理由は、暴力団に入るメリットがなくなったからです。若い暴力団員が貧しくなり、格好良くなくなりました。暴走族を惹きつける吸引力を無くしています。暴走族としても、今さら暴力団の組員になっても、先輩の組員がああいう状態では、と二の足を踏みます……暴力団に入ると不利なことばかりですから、わざわざ組員になって、苦労する気になれません。それより暴走族のまま、『先輩――後輩』関係を続けていた方が気楽だし、楽しいと考えます」
「彼らがやっているシノギは何かというと、たいていのメンバーが振り込め詐欺やヤミ金、貧困ビジネスを手掛け、また解体工事や産廃の運搬業などに従っています。才覚のある者は、クラブの雇われ社長をやったり、芸能プロダクションや出会い系サイトを営んだりもしています」
「こういうシノギに暴力団の後ろ盾がある場合もあるし、ない場合もあります。ですが、ほとんどのメンバーはない方を選びます。下手に暴力団を近づけると、お金を毟られるだけですから、できるだけ近づけたくないのです」と。
この本を溝口氏が執筆していた時期、すなわち、2010年11月には、市川海老蔵殴打事件が六本木で発生した。実行犯は関東連合と呼ばれる半グレ集団である(当時)。彼らは、東京の六本木に活動拠点を置く、暴走族・関東連合のOBからなるグループである。
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この事件以降、「半グレとは暴力団なの?」というような感じで、世間の注目が集まった。その時、世間の疑問に答えたのが、溝口敦氏の『暴力団』だった。
半グレの種類…
この半グレという不良集団は、以降、勢力を伸長させ、様々な問題を起こしている。筆者が2014年に助成金をもらって、暴力団離脱者の研究を行った時も、関西で様々な半グレと袖ふれあった。そして、2018年から2019年にかけて、福岡県更生保護就労支援事業所の所長として、老若男女の刑余者と接し、時代の流れの中で、半グレというものが、溝口敦氏が紹介した当時の姿とは異なってきているのではないかという疑問を有するに至った。
半グレの種類
昨今、マスコミや新聞に書かれている「半グレ」像が、どうもズレているような気がする。10代の不良も、20代の青年も、40代の元暴も一緒くたにして、半グレと括るのは、ちょっと乱暴であり、大雑把すぎるのではないかという考えに至った。
筆者が様々なフィールドにおいて面談し、見聞きした範囲から、半グレとは少なくとも以下の4パターンが存在するのではないかと考える。@旧関東連合や怒羅権(ドラゴン)に代表される筋金入りの半グレ(現在は30代から40代の年齢)。Aオレオレ詐欺の実行犯(これは、昨今では暴力団の手先となっているケースが多いと聞き及ぶ)。B正業を持つ半グレグループ。C元暴アウトロー、4パターンである。
最後の元暴アウトローは、暴力団を離脱したものの正業に就けず、違法なシノギで食いつなぐ者だ。
@関東連合や怒羅権に代表される半グレに関しては、これは暴力団になるのはちょっと面倒くさいが、十代の頃の暴走族やグレン隊の非行集団の仲間関係を引きずり、どちらかというと、暴力団に近い「準暴力団」的な活動(ミカジメや薬物関係、債権回収など)をシノギとしている集団。先述の溝口敦氏のいう「半グレ」がこれにあたる。
Aに関しては、(少し反社がかった)一般人の若い人。カネが欲しく、真っ当に働きたくないが、暴力団や@カテゴリーの半グレにもなりきれない集団。年齢的にも10代から20代前半位の構成員で、比較的若い集団である。この集団が暴力団の走狗となってオレオレに加担する傾向がある。現在、筆者が保護観察などで扱う少年の多くが、このパターンである。
ただし、このカテゴリーは、@カテゴリー「半グレ」の実行部隊として使嗾されるケースがあるようだ。@カテゴリーの構成員から「誰かこのシノギやる奴いないか」と言われ、「オレらがやります」といった具合でシノギの実行を請け負い、犯罪で得たカネの一部を上納する。もし、そのシノギでしくじったら、トカゲの尻尾切りで、逮捕、即退場となる使い捨てにされるグループ。業界では、彼らのことを「つまようじ」と呼ぶむきもある。先が曲がったら捨てようか――という、消耗品的な人材だからだ。
2019年11月10日の静岡新聞に、<詐欺「受け子」枯渇か 外国人や女性、少年に移行 警察の包囲網強化で人材、資金不足>という見出しの記事が掲載された。この記事によると、「静岡県内で発生した特殊詐欺事件で『受け子』と呼ばれる現金やキャッシュカードの受け取り役が最近、首都圏の若者から、被害者の近隣などに住む少年や女性、外国人に移行する傾向が強まっている。背景には県警などの包囲網の強化で詐欺グループが人材と資金の不足に陥り、コストの削減を図りながら組織末端の『受け子』を賄う窮状が透けて見える・・・他県警が逮捕した受け子らに行った調査では、半数以上が約束された報酬を受け取っていないと回答。詐欺グループが末端を軽視している実情が浮き彫りになった」とあり、この最新の記事をみても、筆者の分類が肯定されている。
半グレについて真剣に調査・研究する時期にき…
Bこれは、上記2つに比較すると、マトモな半グレといえる。正業を持っている集団。あるいは、地下格闘技のような団体に所属し(していた)、ITベンチャーの若い社長などのボディーガード的な役割から、徐々にIT関係に詳しくなり、ビットコインのような取引、アダルトサイトの運営などで食っている小集団を指す。ただし、彼らは、「地下格闘技」などを通じて、@カテゴリーの半グレにもなり得る集団といえる。
C最後の元暴アウトローは厄介な存在である。近年、暴排条例の影響により、暴力団離脱者は増加傾向にある。しかし、職業社会に復帰して更生する人数は僅少だ。社会復帰できなかった、暴排条例の元暴5年条項で暴力団員等とみなされ、行き場のない彼らは、結局、覚せい剤の売買や闇金、オレオレ詐欺、下手をすると@カテゴリーの半グレの配下となったりして、悪事を重ねることになる。
このCカテゴリーの半グレ=元暴アウトローがなぜ厄介かというと、それは犯罪のプロである暴力団に所属していた過去があるからである。彼らは、そこで蓄積された人脈や知識を有するがゆえにプロの犯罪者といえる。
警察庁によると、2015年に離脱した元組員1265人のうち、その後の2年間に事件を起こし検挙されたのは325人。1000人当たり1年間に128.5人。これは全刑法犯の検挙率2.3人と比べると50倍以上になる。元暴のアウトロー化を否定できない現実がある。
半グレについて真剣に調査・研究する時期にきている
こうした性質が異なるグループを、十把一絡げにして「半グレ」とカテゴライズするから、一般の人には、どうも分かりにくい。反社集団としての対策も、@からCでは、それぞれ異なったものとなる筈である。
溝口敦氏が「半グレ」という用語を用いた2011年、この年には全国で暴排条例が施行され、「反社」カテゴリーに含まれる裏社会への風当たりは強まった。そして、暴力団が旧来のように公然とシノギができないことから、半グレは様々な形をとって違法なシノギを行う人間を吸収してきた。
さらに、筆者が得た数々の証言では、暴力団と半グレのシノギは共有され、短い期間で、違う形態へと変異している。特殊詐欺ばっかりをマークしていると、その裏では違うシノギが新たに顔を出すというように、シノギは変化し続けているのである。
安心・安全な社会について考えるのであれば、いま、このタイミングで、新たな裏社会の住人として暗躍する「半グレ」について、真剣に調査・研究すべきではないだろうか。
元暴アウトローを生む現状、半グレのシノギの実態などに関する詳細は、筆者が来年の陽春の刊行を目処に、半グレ・メンバーの声をリアルに紹介する新刊を準備中であるので、ご期待頂きたい。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58443
彼らがヤクザになった理由
過酷な環境にいた少年たちを、社会は本気で救おうとしたのか
2018.12.10(月)
廣末 登
大阪・道頓堀の繁華街
ギャラリーページへ
筆者は、2003年から今日まで、ヤクザについて犯罪社会学というツールを用いて研究を続けてきた。その中で、過去100人以上のヤクザ(元ヤクザ、親分や元親分)、姐さん(組長や若中の妻)などに話に耳を傾けてきた。そして、彼らの声を、書籍として紹介するという形で、世に出してきたわけである。
ページ上に活字で残されたヤクザたちの声というものは、よく書店で見掛ける「大組織を束ねる名が知れた大物」ではない。彼らの多くは、市井、すなわち、我々の生活空間で生き、子育てをしつつも、ヤクザとして何らかのシノギをして、細々と生きている人々である。2018年9月3日、AbemaTV(アベマTV)が企画したヤクザの日スペシャルで、「ヤクザの年収はどの程度か」と、スピードワゴンの井戸田潤氏から質問された。筆者が回答した年収額は、スタジオの出演者には衝撃的だったようである。
ヤクザのイメージは、良かれ悪しかれマスコミによって作られている。その中で取り上げられる彼らは、ビッグショットであり、金回りが良さそうに見えるかもしれない。しかし、我々一般人でも、給与はピンキリである。自営業者でも、蔵が立つような者も居れば、春の確定申告に備えて、領収書をかき集める者もいる。表の社会も裏の社会も人間の営みであり、得てして同じようなものである。しかし、彼らの生い立ちは、我々には想像もできないほど悲惨な例が多い。今回は、ヤクザになる以外に、生きる道がなかった人たちの人生行路につき、読者の皆様にお伝えしたい。
生まれながらに背負っているもの
人は誰しも生まれながらに背負っているものがある。それは両親から受け継ぐものが多い。
しかし、それは、子どもの時分には、さほど重たいものではないかもしれない。だから、平均的な家庭で育った人は、昼は学校に行き、放課後は友人と遊び、帰宅して風呂に入った後、家族と食事をしてテレビを観るというありふれた日常を経験している筈である。クリスマスには、枕元にプレゼントが置かれていた記憶もあるだろうし、正月には両親や祖父母からお年玉をもらって、好きなものを買いに行った思い出もあるのではないだろうか。これが、一般的な少年時代であろう。
では、ヤクザの人たちはどうであったか。
一言でいえば、規格外である。クリスマスも、盆も正月もなく、常に腹を空かせ、生きることに必死であった。総じて厳しすぎる少年時代を経験している。
筆者が取材した元ヤクザの中でも記憶に刻まれている人がいる。それは、彼らが経験した少年時代の過酷さゆえである。以下、どん底の代表格2名を紹介したい。
小学校4年生でゴミ箱を漁って飢えをしのぐ
一人は拙著『ヤクザの幹部やめて、うどん店はじめました』(新潮社)の主人公、中本氏である。彼は小学校の4年生の時に両親が失踪し、市場のゴミ箱を漁って飢えをしのいだという。近所の人が両親の失踪に気づいて、親戚筋を探し出して預かってもらったものの、そこでの生活は野坂昭如の作品『火垂るの墓』の清太と節子を彷彿とさせる。親戚の家に住んでいながら、トイレですら屋外でさせられている。寝室も当てがわれず、廊下で寝た。たらい回しにさせられた親戚の家で、モノが無くなったら本人が疑われた。あげくの果てには、親戚の叔母ちゃんの目が悪くなったら「お前のせいだ」とまで言われ、いわれのない非難を受けている。
『ヤクザの幹部をやめて、うどん店はじめました。ーー 極道歴30年中本サンのカタギ修行奮闘記』(廣末登著、新潮社)
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当時「腕白でもいい、逞しく育ってほしい」という丸大ハムの宣伝が流れていたが、彼の場合は腕白などという上品なレベルではない。まさにサバイバルな少年時代であった。学校には行っていたのだから、本来であれば学校の先生が気付かないといけない訳だが(毎日、同じ服を着て登校しているから、彼の置かれている窮状に気づかないはずは無い)、中本氏は「何も言われなかった」と回想している。
最初に就職した先は床屋。ここでは坊主の駆け出しで、月の給料は3万円であったという。筆者と、中本氏は、少し年齢が違うが同じ世代を生きている。筆者が中卒で世に出た頃の時給は450円だったと記憶するから、朝から晩までこき使われて月給3万円は、修行中とはいえ、割に合わない。
そんな時、銭湯に行った時、溝下親分と出会い、彼の中でヤクザへの憧れが花開いていった。彼が理想とする男というロールモデルに出会ったからである。以降、彼はひたすら男道に生きようと研鑽努力を重ね、指定暴力団の専務理事にまで登り詰める。一体、ヤクザのサブカルチャー以外で、彼の能力を磨く場所があったであろうか。現在、繁盛うどん店を切り盛りする中本氏の人格を磨き上げたものは、決して清い水だけではない。水質の清濁を問わず、日夜磨かれ続けた結果の現在である。
小学生の妹を妊娠させた義父…
小学生の妹を妊娠させた義父
筆者が主に取材をするのは関西方面である。理由はいろいろあるが、地元で取材をすると、狭い街なので何かと面倒であるということと、九州ヤクザは口が重たいというのが主たるものである。
2014年、西成の一角で取材した一人のヤクザの人生は、鮮烈に筆者の記憶に刻まれている。なぜなら、彼は筆者と同級生であるが、彼の少年時代は、壮絶という言葉では表現できないものであったからである。拙著『ヤクザになる理由』(新潮新書)に収録されている中から抜粋して「生の声」紹介する。
「おれの家は、オヤジが指名手配犯やったんですわ。せやから、あちこち逃げ回る生活でしたんや。おれが小学校に上がる前の年に関東で死にまして、オカンはおれを連れて、郷里(の西成)に帰ってきたんです。そんとき、オカンの腹には妹がいてましたんや。
帰郷して直ぐに、オヤジの友人いうんがなんや世話焼く言うて、家に出入りし、そんうちにオカンと内縁関係になりよりました(義父になった)。おれとしてはどうということは無かったんですが、おれが小学一年の時に起きたある事件――言うてもしょうもないことですわ――をきっかけに、虐待が始まったとですわ(ある事件とは、アイスクリームばかり食べる彼を窘めた義父にヤマを返したこと)。
まあ、殴る、蹴るの虐待の毎日ですわ。こっちは子どもですやん、手向かいできんかったですわ。それからですよ、路上出たんは。
まあ、小学校低学年ですやろ、公園のオッちゃんらのタンタン(焚き火)当たりたいですが、怖いやないですか。で、あるとき、気づいたんですわ。こん人らが飲みよる酒(ワンカップ)持っていったら仲間に入れてもらえんちゃうかとね。子どもの手は、自販機に入りますから、相当抜いて持っていきましたわ。案の定、オッちゃんら喜びはって『若! 大将!』とか呼ばれて仲間になってましたわ」
『ヤクザになる理由』(廣末登著、新潮新書)
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彼は小学生の頃からスリの常習犯でもあった。小学校四年生の時には、同じような境遇の仲間を組織して電車専門スリ団を結成して新聞にも載ったほどである。子供の頃は野宿か児童相談所、教会の養護施設のどこかに居たという(この養護施設は、現在でも西成の三角公園前に存在する)。
「そないな生活のなか、初めて遊園地や動物園に連れて行ってくれたんは、近所のアニキでした。この人は、筋金入りの不良やってましたんやが、おれら子どもには優しかったんですわ。アニキに連れて行ってもらった動物園、生まれて初めて見るトラやキリン……今でも鮮明に覚えてますわ。いい時間やった。
おれもこのアニキのようになっちゃる思うて、不良続けよったある日、まあ、いつものように年少(少年院)から出て、妹の通う小学校に行ったんですわ。すると、担任が「おまえの妹はここに居らんで」言うて、児相(児童相談所)に行け言うとですわ」
妹は小学校5年生なのに妊娠していた。相手は彼に虐待を繰り返していた、オッちゃんだった。
「もう、アタマの中、真っ白ですわ。出刃持って家に帰りましたら、ケツまくって逃げた後やったです。あの時、もし、そのオッちゃんが家に居ったら、間違いなく殺人がおれの前歴に刻まれとった思います。
ヤクザになったんは、それから数年してからです。動物園とかに連れて行ってくれたアニキと、久々に街で会いまして、『おまえ、どないしてんのや』言うんで、『まあ、不良やっとります』言うたんです。そしたら『そうか、ブラブラしとんのやったら、おれんとこ来い』と言うてくれました。
それからですわ、ヤクザなったの。『よし、おれはアニキだけ見て生きてゆこう。アニキ立てるんがおれの仕事や』と、決心しましてん。アニキと看護婦の嫁さん、それとおれの3人での生活がはじまったんです」
筆者が出会った時、彼はアニキの死を転機としてヤクザから足を洗っていた。しかし、世間の暴排の風は余りに強く、日雇いですら居場所を見いだせなかった彼は、アウトローに身を落としていた時期であった。以後、紆余曲折を経て、現在は元の組織に戻ったと聞いている。筆者は、その方がいいと思う。彼らのような経験をしてきた人でも受入れてくれる、居場所を与えてくれる社会は、まだ現在の日本には少ない。そうであれば、細々とでもヤクザとして仲間と寝食を共にする日々の方が幸せであろう。そのような観点から、三代目山口組二代目柳川組組長・谷川康太朗氏の言葉を、社会学的に捩ると「ヤクザは哀愁の共同体」であるといえるのかもしれない。
安心、安全、そして「健全な」社会へ…
安心、安全、そして「健全な」社会へ
暴排の嵐が吹き荒れる現在、ヤクザは反社会的集団と烙印を押され、辞めても「元暴5年条項」に基づき、5年間は銀行口座すら作れないことは前回の記事(「辞めるも残酷、残るも地獄──平成ヤクザの現在(いま)」https://post.jbpress.ismedia.jp/articles/-/54645)で紹介した。もっとも、東京都や福岡県の社会復帰協議会では、暴力団離脱者の「元暴5年条項」解除に向け、改善の方向を模索しているが、自治体ごとの温度差は否定できない。
そうした中、世間のヤクザ観は、暴排条例制定というターニングポイントを経て、大きく変わった。ヤクザであることは自己責任であると断罪され、排除された結果、社会的孤立を招く時代である。
しかし、それでいいのかと、筆者は社会に問いたい。暴力団構成員、暴力団離脱者が、生まれた時から「おんどりゃあ、はんどりゃあ」と泣いて、暴力をふるっていただろうか。彼らが十数年かけて発達する中で、家族社会、近隣社会、交友と、様々な社会的諸力を受けて、暴力団加入に至っているはずである。例えるなら、人生とは様々な要因によって縒り合されたロープのようなものである。そして、その始点は、家庭である。先に紹介した事例のように、家庭に問題があって、ヤクザに進むしか選択肢がなかった人たちもいる。彼らは人生のスタート時点から放置され、過酷な人生を歩まざるを得なかった社会的被害者とみることもできよう。
「いやいや、そうした家庭に生まれても真っ当に生きている人もいる」というむきもあるかもしれない。それは、家庭に問題があったけれども、その後、発達の中で、近隣、交友、学校社会などの何れかの時点で「いい出会い」という幸運があったからではなかろうか。
一般化するつもりはないが、筆者が取材してきたヤクザの人たちは、生まれた時から「重すぎる何か」を背負って生きていかなくてはならない境遇にあった。彼らの過酷な生い立ちを一顧だにせず、非難し、排除することは簡単である。しかし、国が再犯防止推進計画を策定し、オリンピックに向けて、安心、安全な社会を世界にアピールするのであれば、元ヤクザの人たちも社会の仲間として受入れ、やり直すチャンスを与える度量と理解を日本社会に期待する。世界に安心、安全そして健全な日本をアピールするために。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54882
ヤクザの子が背負う「資本の格差」という宿命
格差のタマゴ――見えない「2つの資本」という不平等
2019.1.7(月)
廣末 登
生活・趣味
非行に走る子は社会的資本や文化的資本の貧しい家庭で育っているケースが多い(写真はイメージです)
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前回、『彼らがヤクザになった理由――過酷な環境にいた少年たちを、社会は本気で救おうとしたのか』と題した記事を書いたところ、読者の方から、多くの示唆に富むご意見を頂いた。まさに賛否両論であったが、良くも悪くも、ヤクザの問題が「対岸の火事ではない」と感じて頂けたことは、筆者として嬉しい限りであった。そこで、紙幅の都合上書けなかった部分につき、今回、補足をしたいと思う。
福岡少年院(法務省ホームページより)
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ここ数年前から、「格差」というワードが頻出するようになった。一億総中流と言われた時代に生まれた筆者からすると、格差社会というものは社会の機能不全であり、何らかの処置を施す必要性を痛感する。そうしないと、様々な格差が、いわば肌の色のように世代から世代へと受け継がれる可能性が否めないからである。
『ヤクザになる理由』(廣末登著・新潮新書)
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そう感じるのは、とりわけ筆者の職業から日々思い知らされるからである。筆者は、ノンフィクション作品や社会病理研究のため、大阪の西成のドヤ(簡易宿泊所)を拠点に取材をしている。さらに、地元の福岡県では、少年院在院者などに対して更生保護就労支援を行っている。関西では、元暴や姐さんと言われる方々のお宅にお邪魔し、福岡では非行少年の家族と接触している。実際、多くの家庭を見てきたわけであるが、残念ながら拙著『ヤクザになる理由』(新潮新書)で指摘した非行深化の要因が、肯定される結果となっている。
格差のタマゴ
子は親の背を見て育つという。カエルの子はカエル。これらは至言であると、この年になってつくづく実感するようになった。その理由につき、あれこれ考えた結果、筆者は「人生とは様々な要因が縒り合されたロープに例えられる」と主張してきた。そして、「その始点は家庭である」とも述べた。
夏目漱石や芥川龍之介という資本
では、家庭のもつ何が、ロープの長さや太さを変えるのかというと、それは家庭の文化が内包する「資本」である。資本というと、金銭、財物的な発想をしがちであるが、本稿で述べたいのは、社会的資本(正しい役割を学ぶ人とつながる機会)と、文化的資本(感性を育てる学びの機会)についてである。どちらも目で見えるものではない。しかし、これらは、人の人生を大きく左右し、人生において様々な制約を生む、何なら「格差」のタマゴともいえる生来的な要因なのである。
お金に代えられない2つの資本
非行少年やヤクザの家庭に生まれた人たちは、小さい頃から社会的資本や文化的資本が貧しい家庭で生育してきている。この社会的資本とは、親の人的なネットワークや信用であり、親自身はもとより、子どもの友人や付き合う人、所属するグループを方向付けることになる。カエルの子はカエルであり、付き合う友人もカエルになるということである。
次に、文化的資本であるが、これは、社会的資本以上に大切であると考える。簡単にいうと、家庭に活字の本があるかどうか、クラッシック音楽などのCDがあるか、子どもの頃から博物館や美術館、音楽会に連れて行ってもらったかどうかである。このような資本は、目に見えないが、子どもの感性を刺激し、後年になって教養として表出する。したがって、文化的資本を利用、消費することは、高等教育や高い文化水準との係わりを容易にするといえる。
夏目漱石や芥川龍之介という資本
この文化的資本に関してもう少し触れたい。筆者の例で恐縮であるが、家庭はとても貧しかった。だからテレビというものがない。仕方ないので、幼稚園児の頃から夏目漱石の『坊ちゃん』を、小学校低学年では芥川龍之介の『羅生門』などを読んでいた。むろん、意味はよく分からない。読めない漢字は親にルビを振ってもらっていた。音楽は聴いていないので音感が無い。絵画などもサッパリ分からないから、東京でデザイナーとして働いている時は、恥ずかしい思いをした。ただ、そうはいっても、現在、本を書いたり、雑誌記事を書いたりと、文章で僅かばかりの小銭を稼げるのは、子どもの頃に読んだ、漱石や芥川龍之介のお陰であろう。
ママ、面会に来て
さらに言うと、小学校から中学、高校とマトモに行っていない筆者が、27歳から大学に入ったのも、33歳で大学院に進学したのも、子ども時代に、家庭内文化によって植え付けられた価値観ゆえであろう。何も、大学に進学しなくとも、普通の生活はできるにもかかわらず、回り道をしたわけである。当時は、意識しなかったが、十代でグレてろくに勉強もしなかった筆者が、いわゆる「学び直し」出来たのは、家庭の文化的資本のお陰であり、それが如何に重要か、お分かり頂けると思う。
ママ、面会に来て
筆者は『組長の妻、はじめます。:女ギャング亜弓姐さんの超ワル人生懺悔録』(新潮社)という本を2017年に執筆した。この時の取材対象は、現役ヤクザの姐さんであり、一児の母である。旦那さんの組長は、赤落ち(刑務所に入ること)して、不在であったから、姐さんの家庭は、姐さんママ友の集いの場と化していた。ちなみに、彼女たちの大半は大学(刑務所のこと)経験者である。
『組長の妻、はじめます。:女ギャング亜弓姐さんの超ワル人生懺悔録』(廣末登著・新潮社)
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大体、ヤクザは子ども好きである。彼女たちが集まると、少子化という現実がにわかに信じがたい。3LDKの部屋は、子どもの遊技場になり、泣いたり喚いたり、走り回ったりという修羅場と化す。夜も遅くまで寝ないで騒いでいるので、脳が発達するか心配になったものである。
そのような子どもたちを見ていて思うことは、「モッタイナイ」である。筆者が観察する限り、幼児である彼らは無垢そのものであるが、既に、この段階でヤクザのサブカルチャーに染まり始めている。たとえば、子どもを同伴して、近所に買い物に行くと、柵があればその後ろに回り「ママ、面会に来て」と言う始末である。あるいは、「ヤクザの子や、弾いてまうぞ」という決めゼリフを口にする。姐さんたちは笑えるかもしれないが、普通の親ならドン引きしてしまうだろう。そして、おそらく我が子に耳打ちすると思う……「あの子と遊んじゃだめよ」と。
一方、家庭の中を見渡して、童話集や、百科事典、文学小説などというものは存在しない。散乱しているものは、実話誌の類や、テレビ番組雑誌くらいであるから活字に親しむ機会は少ない。むろん、クラッシック音楽なぞ耳にする機会もなく、カラオケに行って、ママ友が熱唱するド演歌を耳にする程度である。これが、彼らの家庭が有する文化的資本の程度である。組長クラスですらこれであるから、組員のそれは容易に察することができる。
子どもは、周囲にいる大人の行動や態度から日々学習する。周囲の大人が口にする何気ない言葉、行動、態度を、子どもはよく観察している。そして、それを愚直に内在化させてゆき、朱に染まるのである。この組長の妻、家庭に出入りする姐さんたちは、子どもに優しい。しかし、彼女たちの振る舞い、行動、会話からの学習が、我々の一般的な社会で「プラスに評価される」かというと、決してそうしたレベルにはない。それは残念ながら、その子らが生まれ落ちた家庭が有する資本の質であり、運命的に与えられた人生のスタート地点なのである。
社会で育てる
ちなみに、姐さんや組長は、自らの家庭の主がヤクザであるから、子どもにヤクザ渡世を継いでもらいたいとは考えていない。よく、筆者に対して「この子には真っ当になってもらいたい。ちゃんとした学校に行って、いい会社に就職してもらいたい」と、しんみりと口にしていた。
そうした場合、筆者は最低限、次のように助言している。「まあ、今のうちに活字に慣れることですよ。そのためにも、毎晩、寝る時間には、お母さんが童話を呼んであげるといい。そして、子どもが字を読める年齢になったら、今度はお母さんに読んでねと、活字を通して言葉のキャッチボールをしなさい。ただし、これは毎日必ずやって下さいね。習慣というものは恐ろしいものです。これを継続すれば、きっといい結果が出てきますから」と。
残念ながら、筆者が推奨した幼児教育は履行されておらず、小さな暴れん坊将軍たちは、腕白に育っている。
中流階級のモノサシ
アメリカの社会学者が「中流階級のモノサシ」という概念を指摘した。これは、学校や職場の中で学生や従業員を評価する際に用いられるものである。もちろん、学力テストという評価手段とは別物であり、普段の行いを、このモノサシに照らして評価するということである。我が国では、それは「内申書」「勤務態度」などという形で、教員や上長によって行われる。ここで、一定以上プラスに評価されるためには、その評価者と同等、あるいはそれ以上の資本を有する家庭の薫陶を受けている必要がある。
社会的・文化的資本に恵まれなかった子どもが、一流の大学に進み、一流の企業に就職したという例を、筆者は知らない。資本が欠乏した家庭で育った子どもの最盛期は、中学時代ではないかと思う。ここまでは、腕っぷしが強い、抜け目がないなどの地アタマがあれば、ガキ大将として、なんとか人の上に立てる。しかし、彼らは、十代の半ばに、最初の社会の壁に直面する。それが高校受験である。教養も知識も持たず、先生の評価が高くない彼らには、この壁は超えることは至難である。受験とは、社会における篩であり、試験を経てホワイトカラー、ブルーカラーが選り分けられる。
結果、ヤクザの子どもたちは、否応なく「人生で成功するチャンスのない細い道」に追いやられることとなるのである。そうすると、彼らは資本の再組織化をはかり、道徳や順法精神という資本の基盤は軽視され、彼ら独自のルールで、以前とは異なった形で資本が再構築される。たとえば、中卒で解体や土工のテゴ(見習い)をしても大手企業の年収はとても得ることが出来ないが、薬物を売買するネットワークを構築すれば、若くして大手企業の給与に匹敵する稼ぎを可能とするのである。
社会で育てる
一昔前、昭和の時代は「お出かけは、ひと声掛けて鍵掛けて、向こう三軒両隣」などという牧歌的な地域社会が存在した。ここでは、親が共働きで子どもの世話が疎かになると、隣近所のオッチャンやオバちゃんが、親の役目をある程度肩代わりしていたものである。そうすると、家庭に不足する資本を、他の家庭から補うチャンスもあったわけであるが、現代社会でそれは望むべくもない。
地域社会が機能せず、隣人は何する人ぞという時代、家庭は閉鎖的社会となり、家庭の資本の質が、子どもの人生を左右する度合い、人生において様々な制約を生む「格差」のタマゴの存在が明らかとなっているように筆者には思えるのである。
暴力団排除だ、半グレが新たな脅威だと慌てふためき、場当たり的な対策を講じるのは根本的解決にはならない。青少年の厳罰化など論外である。格差対策こそ長い目で見た時に最も有効な対策ではないか。彼らは、筆者から見ると社会の被害者であるように見える。生きんがため、見下されないため、カネを得るためには、非合法なシノギをするしかない。それは、選択肢が限られたチャンスの無い細い道に追いやられた結果であるように思える。
このような時代だからこそ、子どもは社会全体で育てないといけない。ましてや少子高齢化時代、子どもは社会の宝である。しかし、現実はどうか。「格差」「貧困」というワードが、度々紙面に登場しているにもかかわらず、為政者が格差対策に本腰を入れて乗り出す気配はない。オリンピックの成功に、国家の威信が掛かっていることは、百も承知、二百も合点である。しかし、わが国の将来を考えるとき、門地を問わず全ての子どもたちの格差解消への努力、教育格差の解消への試みは、何にも増して有効な未来への投資となるのではなかろうか。
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