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岩崎家が激怒して残った「三菱銀行」のブランドと、財閥名にこだわらない三井の違い
https://biz-journal.jp/2019/04/post_27492.html
2019.04.18 文=菊地浩之 Business Journal
東京・西新宿の損害保険ジャパン日本興亜本社ビル(写真:アフロ)
損害保険ジャパン日本興亜が、2020年春に損害保険ジャパンに改称すると発表した。理由は、「社名が長くてわかりづらいから」。では、なぜ長いのか。それは、度重なる合併の所産である。
損害保険ジャパン日本興亜は、損害保険ジャパンと日本興亜損害保険が合併して誕生した。ちなみに、損害保険ジャパンは安田火災海上保険・日産火災海上保険・大成火災海上保険・第一ライフ損害保険の合併企業(実際は安田火災・日産火災の合併後、第一ライフ損保の契約を包括移転し、大成火災破綻後の清算会社を吸収合併した企業)、日本興亜損害保険は日本火災海上保険・興亜火災海上保険が合併した後、太陽火災海上保険が合併してできた企業である。
■合併社名の3パターン
合併した企業の社名は、大別して以下の3つのパターンに分かれる。
1、A社とB社が合併してA社
2、A社とB社が合併してC社
3、A社とB社が合併してAB社
損害保険ジャパンは事実上、安田火災・日産火災・大成火災の3社統合なので、上記の2。日本興亜損害保険は事実上、日本火災・興亜火災の2社統合なので、上記の3に分類される。
実は、戦前の企業合併では圧倒的に1、2が多く、3は戦後に多い。1は事実上の吸収合併と見られてしまうので、以前は2が選択されることが多かったが、旧来の社名に愛着があったり、ブランドとして世間的に認知されていたりすると、旧社名を残すかたちで3が選ばれる。特に戦後は両社の融和をアピールする意味で、3が選択されることが多かったように思われる。
なお、2と3の中間系として、長野の八十二銀行がある。1931年に長野の第十九銀行と六十三銀行が合併した際、単純に社名を足し算して八十二銀行になったのだ。ちなみに第十九銀行と六十三銀行は戦前のナンバーズバンクで(第一国立銀行から第百五十三国立銀行まであった)、第八十二銀行という銀行も鳥取にあったのだが、1923年に安田銀行(富士銀行を経て、現・みずほ銀行)に吸収合併されている。
東京・虎ノ門の商船三井本社ビル看板(写真:ロイター/アフロ)
■破談になってもいい名前
「3、A社とB社が合併してAB社」というパターンでもっとも露骨だったのが、大阪商船三井船舶(現・商船三井)だ。
1964年に「海運集約」といって、海運不況を乗り切るため、多すぎる海運会社を合併・集約させたことがあった。その時、三井船舶は1963年9月に川崎汽船との合併を発表したが、合併後の社名に三井を付けるか否かで揉め、結局、合併は破談。3カ月後に大阪商船との合併を決め、1964年4月にゴールイン。世間を驚かせた。
通常なら、合併後は大阪三井商船、三井大阪船舶などのような名前になるだろう。ところが、単純に2社の社名をくっつけただけの社名(大阪商船三井船舶)に、世間は二度びっくりした。「合併が破談になっても、片方を消せばいいような社名にしたのだろう」という噂すらあったのだが、結局両社はその後離婚することなく末永く続き、今では商船三井と名乗っている。
■本音が透けて見える英文表記
ちなみに、大阪商船三井船舶の英文表記は“Mitsui O.S.K. Line”である。合併前に海運業界2位だった“大阪商船”を日本語表記で先に書き、英文表記は海外に著名な“三井”を先に書くという、いいとこ取りの社名になっている。この違いを問われた関係者は、「あいうえお順、アルファベット順で、早くなる社名を先にした」と煙に巻いたという。
日本語表記と英文表記の順番が異なる事例には、“三井住友”がある。いうまでもなく、三井グループ企業と住友グループ企業が合併した企業である。日本語表記はすべて三井が先だ。しかし、英文表記は違う。
日本語表記→英文表記
・三井住友銀行 →Sumitomo Mitsui Banking
・三井住友信託銀行 →Sumitomo Mitsui Trust Bank
・三井住友建設 →Sumitomo Mitsui Construction
・三井住友海上火災保険→Mitsui Sumitomo Insurance
つまり4社中、三井が先になっているのは1社だけ。ご想像の通り、合併する前、三井と住友のどちらが強かったかの力関係が如実に表れている。
住友銀行とさくら銀行(旧太陽神戸三井銀行)の合併は、住友銀行によるさくら銀行の救済合併と揶揄されたぐらい両社に実力差があった。それにもかかわらず、日本語表記は三井が先になっている。この違いを問われた関係者は、「社名変更する時、看板から最初の二文字を外せば良いから」とうそぶいたという。救済合併のようなものだから、そのうち行名を住友銀行に戻すというブラックジョークだ。そんな本音が英文表記に表れている。
三菱財閥の創設者である岩崎弥太郎(撮影時期不明、Wikipediaより)
■社名には「三菱」と付けるべし!
話を元に戻そう。三井船舶が川崎汽船との合併を破談にしたのは、合併後の社名に三井という財閥商号を残すか否かが理由だった。ただし、三井グループ企業はむしろ三井商号に未練が少ないというか、執着することが少ないほうだ。執着心MAXなのは、三菱と住友。なかでも三菱グループでは三菱商号に対する執着が半端ない。
戦時中、国策で大手銀行の合併が勧められ、1943年に三井銀行が第一銀行(現・みずほ銀行)と合併、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)が第百銀行と合併した。三井・第一は合併して帝国銀行と名乗ったが、三菱・第百は三菱銀行のままとした。
規模は第百銀行のほうが大きかったので、第百側は対等合併を希望し、大蔵省(現・財務省)も合併後は行名を変更するように三菱銀行に働きかけた。ところが、三菱財閥のトップ・岩崎小弥太はあくまで「吸収合併でなければならない」と主張し、合併後も三菱銀行を名乗ることに成功した。さすがは日本有数の財閥トップである。主管官庁の要請なんか聞きやしない。「名は体を表す」という格言の通り、合併後は旧三菱側が完全に主導権を握り、現在に至っている。
そして、軍部の要請で三菱商事が海運部門を分離し、既存の海運会社と合併させて別会社にする話が浮上した。当初の相手だった辰馬(たつうま)汽船(のち山下新日本汽船、ナビックスラインを経て、現在の商船三井)は、合併後に辰馬でも三菱でもない、ニュートラルな社名をつけるべきだと主張した。
これを聞いた岩崎小弥太は、「三井(銀行)は第一(銀行)と合併し帝国銀行とした。三菱ではそんな馬鹿なことはせぬ。第百(銀行)を合併し三菱銀行とした。世間に対しては三菱が責任を負はねばならぬからである。汽船会社も三菱と名付くべきである。(その)為めに話が壊れても宜し」と言って合併交渉を破談にしてしまった。かくして、三菱商事は船舶部を分離して岡崎汽船と合併させ、三菱汽船(のち三菱海運。海運集約で日本郵船に吸収合併)を設立した。
三菱商号を残すか否かで合併を破談にさせるのは、決して昔話ではない。2005年1月、三菱製紙が中越パルプ工業との経営統合を発表したが、新社名に「三菱」を残すか否かで、その4カ月後に交渉が決裂した。つい十数年前のことである。
■消える「三菱」「住友」
合併後の社名に財閥商号が残せるか否かは、合併で主導権を握れるか否かにかかっている。ところが、最近では財閥商号を残せない事例が増えている。
1999年、経営不振に陥った三菱石油が日本石油に救済合併された時、社名は日石(にっせき)三菱となったが、2002年に新日本石油と改称、その後合併を重ねてJXTGホールディングスとなり、いまや三菱の名残などない。
同様に、2012年に住友金属工業は新日本製鉄と合併して新日鉄住金と改称。住友金属工業は「住友御三家」の一角を占める住友グループの有力企業だが、住友商号を残すことができず、略称・住金を残すにとどまった。第三者から見ると“住友”も“住金”もたいして変わらないように思えるのだが、住友グループにとっては大違い。しかも結局、今年4月には日本製鉄に改称し、住友の名残を完全に消し去ってしまった。
住友金属工業の子会社・住友軽金属工業も、2013年に古河スカイと合併してUACJ(United Aluminium Company of Japanの略)と改称し、住友商号を捨てている。
もはや生き残るためには財閥商号になんて構っていられない。世知辛い世の中になったものである。
(文=菊地浩之)
●菊地浩之(きくち・ひろゆき)
1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『徳川家臣団の謎』(角川選書、2016年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)など多数。
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