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(回答先: 「黒い雨」訴訟 援護区域を広げるべきだ(情報操作に限界!?) 投稿者 戦争とはこういう物 日時 2020 年 7 月 30 日 13:06:10)
低線量の内部被ばくでも発がんなどの障害が発生した、という訴えを認めず無視し続けた国の75年に、司法が〔珍しく?〕まっとうな判断を下した。
国は控訴で高齢原告を苦しめる事を考えているのだろうか。
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「40年以上訴え続けた声が届いた」 全面勝訴に原告ら喜び 広島「黒い雨」訴訟
毎日新聞2020年7月30日 11時07分(最終更新 7月30日 11時07分)
*判決後の報告集会で喜ぶ原告ら=広島市中区で、山田尚弘撮影
https://www.google.co.jp/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Fmainichi.jp%2Farticles%2F20200730%2Fk00%2F00m%2F040%2F051000c&psig=AOvVaw3ag6oowXnwMp5nUaGmVWcd&ust=1596168493054000&source=images&cd=vfe&ved=0CAIQjRxqFwoTCKjdopKN9OoCFQAAAAAdAAAAABAD
75回目の「原爆の日」を間もなく迎える広島で、29日の地裁判決は、あの夏「黒い雨」を体験した人たちの訴えを認めた。「被爆者として認めてほしい」との一心で長い裁判を続けてきた高齢の原告たちは、つらかった日々を振り返りながら「真実が認められた」「頑張ってきたかいがあった」などと喜び合った。【小山美砂、池田一生、手呂内朱梨、園部仁史】
*判決後の報告集会で感極まった表情を見せる原告の砂池貢さん=広島市中区で、山田尚弘撮影
*https://cdn.mainichi.jp/vol1/2020/07/30/20200730ddlk34040483000p/8.jpg?2
原告団から代表の1人として法廷に入った広島市中区の前田千賀さん(78)は、高島義行裁判長が判決を読み上げた約20分間、頭を下げて耳を澄ませた。判決は長く、理解が難しかったが「原告らは、『放射線の影響を受けるような事情の下にあった者』と認められる」との最後の一文を聞いて「全員が認められたんだ」と実感したという。傍聴席で前田さんは「言葉にならない。40年以上訴え続けてきた声が、ようやく届いた」と涙をこぼした。
横断幕を手に広島地裁に向かう原告団=広島市中区で、山田尚弘撮影
裁判所の前で判決を待った原告らは「全面勝訴」と書かれた垂れ幕が掲げられると、拍手でお互いをねぎらった。同市安佐北区の森園カズ子さん(82)は「私は事実しか話していない。それを真実として裁判所が認めてくれた。亡くなった仲間に判決を聞かせてやりたかった。何と言って喜んでくれるだろう」と声を詰まらせた。
安芸太田町の佐々木義光さん(88)は、爆心地から北に約20キロ離れた安野村(現安芸太田町)で、当時友人たちと虫取りをしていた時に黒い雨を浴びた。40年ほど前から肝機能障害などの症状に苦しんだ。判決後、広島弁護士会館であった報告集会に向かった佐々木さんは「長い間私たちは被爆者として認められずに生活してきた。原告以外の被爆者救済に向けても、本当に喜ばしいことだ」と感慨深そうだった。
佐伯区の沖昌子さん(79)は「裁判所に行きたかったが、雨の中、つえを2本持っているので、傘を差すことができない」と弁護士会館で判決を待った。朗報に「半分諦めていた。安堵(あんど)して、聞いた途端に涙が出て。良かったです。みんなが喜んでくれるでしょう」と涙を拭った。
同じく弁護士会館で待機していた安佐北区の上野静夫さん(86)も「今まで頑張ってきて良かった」と笑顔で話した。仲間が撮った「全面勝訴」の写真をスマートフォンで見せてもらったといい、「大腸がんや白内障の手術を受けた。認めてもらえてうれしかった。頑張ってきたかいがあった」と語った。
佐伯区の日下武子さん(77)は、2歳の時に爆心地から北西に約16キロ離れた旧砂谷村(現佐伯区)の自宅近くの畑で黒い雨を浴びた。幼い記憶に唯一残るのは「大量の黒い蛇が落ちているような光景」。一緒にいた兄2人は、いずれも成人前にがんで亡くなった。自身も幼少期から貧血や関節症がひどく、今では頻繁に手が震える。日下さんは弁護士会館で他の原告らと「本当によかったね」と震える手で肩を抱き合っていた。
安芸太田町の栗栖久千枝さん(86)は「原告の中で勝ち負けが分かれてしまうことを恐れていた。全員勝訴には満足している。私も残された時間は短い。行政は控訴せず、すぐ判決に沿った対応をしてほしい」と求めた。
報告集会でマイクを握った佐伯区の砂池貢さん(88)は「もうおしまいだな、諦めなくてはいけないか、と思ったこともあった。支えてくれた人に感謝したい」と話した。
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