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(回答先: 3万人が虐殺された「4.3事件」から75年 「悲劇繰り返さないで」と遺族は願う(東京新聞) 投稿者 蒲田の富士山 日時 2023 年 4 月 05 日 09:17:40)
2023年4月26日 16時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/246185?rct=world
韓国・済州島チェジュドの島民ら3万人が軍などに虐殺された「4.3事件」から75年。家族や親族6人を失いながらかろうじて生き残った高完順コワンスンさん(83)が、今も癒えない当時の記憶を語った。軍事政権の続いた韓国で虐殺の事実は長く隠され、国内の理解が進んでいるとは言い難い。逆に、事件を正当化するような一部保守層の動きが目立ち始めている。 (済州島で、上野実輝彦、写真も)
4.3事件 日本の植民地支配後、朝鮮半島南部が米軍政下にあった1948年4月3日、南側だけでの単独選挙は分断を固定化するとして、済州島民の一部が武装蜂起。鎮圧を名目に本土から軍や警察、極右団体が送り込まれ、無関係な住民を含む島民らを6年以上にわたり拷問、虐殺した。中山間の村を焼き払う「焦土化作戦」も行われ、犠牲者は2万5000〜3万人と推定されている。
◆女性や子ども含む住民を連行 順番に銃殺
「みんな今日、殺されてしまう」。1949年1月17日朝、外出先から自宅に戻った母がそう叫んだのを高さんは覚えている。間もなく扉が銃剣で破られ、軍人が「出てこい」と怒鳴った。外に出ると、民家が焼かれたのか一帯に黒い煙が立ち込めていた。
数日前、軍人が島民側武装勢力に殺害されたことへの報復だった。母と姉、弟と近くの小学校に連行されると、集落のほぼ全員が集められていた。軍人が銃を取り出し、前にいた3人の男性が撃たれて倒れた。それを合図に、機関銃の一斉掃射が始まった。
「伏せて」と叫んだ母とはぐれた。気付くと隣で赤子を抱えた女性が倒れていた。掃射が終わり、離れた場所で泣きじゃくる3歳の弟の側頭部を、軍人が「うるさい」と銃剣で殴るのが見えた。
生き残った人々は近くの畑に集められ、順番に銃殺されていった。その時はもう、心がまひして何も感じなかった。突然、1台の車が近づき「射撃中止」と命令。理由は分からないが一命を取り留めた。「立て」と命じられたが足に力が入らなかった。地面に流れた誰かの血が凍り、太陽の光を反射していた光景が目に焼き付いている。
◆長く歪められてきた事件の歴史
「弟は13日後に命を落とした」。高さんは語りながら涙を拭った。集落の死者は400人以上とされ「アカ(共産主義者)を倒すため、無関係で罪のない一般人を巻き込んだのは誤りだ」と語気を強める。だが、悲劇は韓国で一般に浸透していない。
87年まで続いた軍事政権は、事件を正当化するため「共産主義者の起こした暴動」と説明してきた。虐殺だったと反論することは共産主義者と疑われ、就職や結婚で不利になることを意味していた。
済州市の姜秉杉カンビョンサム市長(48)も「20歳ごろに初めて父が当事者だと知った。それまで父は何も語らなかった」と話す。調査で犠牲者の3割以上が女性や子ども、高齢者だったと判明し、政府が虐殺を公式に認め謝罪したのは2003年、革新系の盧武鉉ノムヒョン政権になってから。教科書で学び始めたのも最近のことだという。
◆「事件は共産暴動だった」極右団体が追悼式で横断幕
近年は、軍事政権と同様の主張をする極右団体が目立ち始めた。今月3日の追悼式に先立ち、島のあちこちに「事件は(北朝鮮の)金日成キムイルソン主席と南朝鮮労働党が起こした共産暴動」との横断幕が掲げられた。式典当日も会場で、団体関係者とみられる人々と遺族側との小競り合いが起きた。
事件を研究する心理医学博士の金志aキムジミンさん(32)は、犠牲者の名誉を傷つけ心の傷痕をえぐるような行動を懸念し、こうした動きを制止しない現在の保守政権に問題があると指摘する。
「被害者たちは国から見捨てられたと感じている。歴史をゆがめたり侮辱したりする行為を規制できる法整備を進めてほしい」
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