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(回答先: 身体拘束「なぜ心が痛むの?」「地域で見守る?あんた、できんの?」精神科病院協会・山崎学会長に直撃したら…(東京新聞) 投稿者 蒲田の富士山 日時 2023 年 7 月 08 日 18:05:13)
2023年9月24日 17時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/279360/1?rct=tokuhou
https://www.tokyo-np.co.jp/article/279360/2?rct=tokuhou
北海道浦河町。精神障害がある人も、街中で当たり前に暮らす町だ。当事者研究の第一人者で知られる社会福祉法人「浦河べてるの家」の向谷地生良むかいやちいくよし理事長(67)らが40年以上かけ、それぞれがありのままに暮らせる素地を作ってきた。精神障害者の「入院、拘束やむなし」の風潮に、向谷地さんは「精神医療分野は、遅ればせながら大きな地殻変動が起きている」と話す。
だが、精神医療の現場には、長期入院や身体拘束を肯定する考えが根強く残る。民間の精神科病院でつくる公益社団法人・日本精神科病院協会(日精協)の山崎学会長(82)は本紙の取材に「治療の一環で拘束している。患者さんの安全を考えて拘束して、なぜ心が痛むの?」「地域で見守る? 誰が見てんの? あんた、できんの?」などと持論を展開した。
浦河べてるの家では、150人の当事者がグループホームなどで暮らしながら就労し、自ら生きやすいまちづくりを提案している。向谷地さんは「変化を受け入れ、この国の新たな理想を語ってほしい」と訴える。山崎会長から投げかけられた問いの答えを探すため、浦河町を訪ねた。(木原育子、写真も)
◆職員も利用者も一緒のミーティングで
「今日の気分はまぁまぁかな」「私は寝不足です」
9月上旬の「浦河べてるの家」。「三度の飯より」と言われるほど重要な、朝のミーティングが始まった。顔と顔が見える場所に、職員も利用者も輪になって混ぜこぜに座る。一見、誰が当事者か分からない。
べてるのミーティングは課題を指摘する場ではなく、励まし合い、良い点を出し合う場。「まぁまぁは順調の兆しね」「お昼寝できるといいね」と言葉を送る。疾患を含めて誰も自分のことを隠そうとせず、よく話し、よく笑う。
JR札幌駅からバスで4時間弱。襟裳岬近くに位置する浦河町。人口1万2000人ほどで、精神科病院も精神科病床も今はない。サラブレッドなど競走馬の生産と漁業が主産業の港町だ。
べてるに関わる「当事者さん」は150人ほど。自宅に戻った人もいるが、多くは公営住宅や町内に点在するグループホームや共同住居で暮らす。コンブ販売やイチゴの選別作業、清掃、出版などの仕事をこなしながら地域に溶け込んで生きる。
◆「精神病という職業」の男性にかけた言葉
「調子はどうですか」。別の部屋では面談が始まっていた。べてるの理事長の向谷地さんがゆっくりといすに腰を下ろす。向かい合ったのは、20年以上通い続けている統合失調症の男性だ。
「結局さ、精神病って職業なんだよ。プロ野球選手と同じ。だって、精神病になるための人生しか用意されていないんだから」
「ほほう、なるほど」。向谷地さんが相づちを打つと、男性はそのまましゃべり続けた。「何やってもうまくいかなかったけど、精神病という職業だけは就けた。でも最近、病気がよくなって解雇されちゃった」
向谷地さんが少し笑って言葉を添えた。「じゃあ再雇用しましょう。いつでもべてるに来てください」
◆札幌からバスで4時間、見学者は年間2000人
べてるにとって「語り合い」は重要だ。語ることで「弱さ」を公開し、互いに知り、自分の苦労をみんなの苦労に共有し、回復につなげてきた。そんな取り組みで、アクセスがいい場所ではないにもかかわらず、全国から年間2000人が見学に訪れる先進地に発展した。
だからこそ、「地域で見守る? あんたできんの?」との日精協・山崎会長の言葉に、向谷地さんは「社会資源が全くない所から積み上げてきた自負はある。山崎会長の言う治安維持のための医療モデルはもはや受け入れられない」と語る。
両者の根本的な違いは何か。向谷地さんは言う。「精神病を医師などの専門職があの手この手で治してあげるという時代はとうの昔に過ぎ去った」とし、「病気という形でその人に内在化された生きづらさから、いかに地域や社会が学んでいけるか。個人を『治す』のではなく、みんなの『回復』につなげていく。これからはそんな姿勢が問われていくのだと確信している」
◆「注射で薬漬けにして収益を上げていた」
べてるも最初から順風満帆だったわけではない。
向谷地さんは1978年、浦河町の病院にある精神科専属の新人ソーシャルワーカーとして赴任。一時は130床の精神科病床があった。痛烈に感じたのは「囲い込みの医学と管理の看護、そして服従の福祉」。精神科の病床稼働率が病院経営を下支えする現実があった。「精神科の患者は退院しないことを前提に病院の財源に組み込まれてきた。精神科病床が一番の稼ぎ頭。毎日注射を打って薬漬けにし、ものすごい収益を上げていた」
向谷地さんは「精神医療に関わる専門職こそ病に陥っており、まずは自らがどう『病識』を取り戻し、いかに回復するかが重要だった」と振り返る。
現状を変えるために最初に取り組んだのは、精神科病院から退院した人らとの共同生活だった。病院近くの教会の一角で3年半、一緒に暮らした。当然ながら思い通りにいかないことばかり。ある時、同居していた男性に首を絞められた。妄想状態の中で「敵」と間違えられたためで、男性は毎日、窓から「敵機来襲」と叫び続けた。
「なぜ鉄格子に閉じ込めたくなるのか、苦しいほど分かってしまった」。限界に達し、警察の力を借りて医療保護入院という強制入院を敢行。嫌がる男性を力ずくで病院へ引きずりながら「敗北感しかなかった。申し訳ない思いと、仕方がないと言い聞かせる自分で壊れそうだった」。
◆「きれいごとではできない」…でも
日精協の山崎会長がインタビューで言ったように、「確かにきれいごとではできない」とうなずく。
ただ、向谷地さんと山崎会長との分岐点は「どうしたら地域でもう一度暮らせるか」とあきらめなかったことだ。「べてるに来る人たちは、社会で生きにくくなった時に、ぱぴぷぺぽ(調子が悪い状態)になる。大事なのは本人だけでなく地域も元気になること」
生活や病気の苦労をテーマにロールプレーを重ねてコミュニケーションスキルを練習するSST(社会生活スキルトレーニング)や当事者研究という自助活動を創案。コンブ販売など就労プログラムを充実していった。
べてるが軌道に乗るのとは逆に、病院は採算が取れず、経営を圧迫していった。総合病院は単科の精神科病院と違って医師や看護師の配置基準が少ない「精神科特例」が適用されず、一方で診療報酬は単科並みの安さだからだ。
◆「新たなビジョンを」日精協の山崎会長に求める
2000年に精神科病床数は当初の半分以下の60床に。向谷地さんは03年に退職し、べてると後進を育てる大学教員に専念。受け皿と地域サービスが整ったことで、退院の流れは加速し、14年についに精神科病床が町から消えた。向谷地さん1人だったソーシャルワーカー職も、現在は地域で30人ほどが活躍する。
「精神科病院に入院し続けることは幸せなのか」との問いに、「そう思う」と答えた日精協の山崎会長。
向谷地さんは「精神科病院を束ねるトップとして本来はこの現状をどうしていくか、みんなで知恵を出し、新たなビジョンを提示すべきだ」と語る。
日精協だけの話ではない。「例えば、刑事司法では、逮捕されたらすぐに弁護士が付いて人権を守るが、精神科は同じ拘束でも厳密な扱いはない。最も基本的な人権が制約されていることをもっと大げさに考えなければならない」と訴える。国に対しても「地域移行の方が病院や地域にメリットがあるよう、診療報酬で思い切った政策に舵かじを切るなど、国の責任を果たすべきだ」と苦言を呈した。
午後、べてるの作業場を訪れた。イチゴの甘酸っぱい匂いの部屋を訪れた人らが、粒の大きさや形状別に慣れた手つきで選別していた。「どれもイチゴ。みんなイチゴ。でしょ?」。にこっと純真無垢むくな笑顔を向けた統合失調症の男性。「弱さは私たちがつながり合うための潤滑油。誰でも問題だらけは当たり前なんですから」。向谷地さんは静かにそう語った。
◆デスクメモ
小さなイチゴをつまむ人、なごやかなミーティング、面談する人の言葉を頭から否定しない向谷地さん…。穏やかで、人間にとって大事なものを思い出す場面だ。厳しい現実もあるだろうが、積み重ねた時間が、大事な居場所であることを証明している。多くの人に目を向けてほしい。(本)
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浦河べてるの家 1979年から向谷地さんらが、精神科を退院した人らと教会の一角で共同生活を送ったことをきっかけに、84年に設立。就労支援事業所、グループホーム、共同住居などを運営する。「べてる」はドイツで精神障害者が集まったコミュニティー「ベーテル」が由来。ナチス・ドイツが障害者の絶滅政策を強いた際、地域の人らがベーテルを守った歴史にあやかった。
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