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「テキヤ」は「ヤクザ」として扱うべき存在か 日本の祭りを支えるテキヤの裏側(前編)
2019.2.5(火) 廣末 登
参道脇の露店も初詣の楽しみのひとつ(写真はイメージです)
(廣末登・ノンフィクション作家)
今年の正月三が日、神社の初詣に参拝された方も多いのではないだろうか。正月の除夜の鐘の音は、われわれ日本人の魂に響きわたり、IT化された現代社会にあっても、個々人の内にある日本文化の琴線に触れる何かを刺激するようである。
初詣の参拝は、老いも若きも何がしかの願いを賽銭に込め、投擲後は一心に祈っている。横あいからヒョイと投げ込めばよいものを、寒い中、信心深い人たちは正直に何時間も参道に順番を待っている。願い事といえば、学生は志望校の合格かもしれない。若い男女は、恋路の行方が吉であるように祈っているのだろう。筆者の歳ともなると、賽銭箱の横あいから賽銭を投げ込み、今年も無病息災でモノ書きができるようにと祈るくらいが関の山である。
もうひとつ、正月に参拝する駄賃というか、ささやかな楽しみは、参道の両脇に店を構える露天であろう。筆者なども例に漏れず、一本500円のジャンボ焼き鳥を買い込み、ヤチャ(茶屋)の丸テーブルに陣取って、熱いのを一献傾けることが恒例行事である。
ヤチャ(茶屋)での一休みは参拝の際のささやかな楽しみ(写真:筆者提供)
読者の皆さんも、子ども時代は、願い事もソコソコに、その日に貰ったお年玉を握りしめ、アメリカン・ドッグや、たこ焼きの露店を襲撃し、腹八分になると、金魚すくいや射的に興じた思い出があると思う。ちなみに、射的は、コルクが命中しても、標的がフラフラしながら、惜しいところで倒れず悔しい思いをしたのではないだろうか。
幼児を連れた夫婦ものも、綿あめを子どもに握らせ、「やれやれ疲れた」などと言いながら、細君と仲良く、焼き鳥や、お好み焼きをつつきながら昼間から一杯やっている。この日ばかりは、日本国中どこに行っても無礼講の塩梅である。そして、お日様が西に深く傾くと、露天の照明は夢幻的に神社の参道を照らし、独特の雰囲気が漂う。まこと、ここは、すべての日本人が、心の奥底に宿す原風景ではないかと、筆者は思うのである。
テキヤ稼業
昭和の時代、正月のお茶の間映画といえば、松竹映画の『男はつらいよ』であった。渥美清が演じる主人公の寅さんは、テキヤで一本の稼業人(親分を持たない旅人)である。
『男はつらいよ・寅次郎かもめ歌』(DVD)
彼は、全国を旅しながら「遅ればせの仁義、失礼さんでござんす。私、生まれも育ちも関東、葛飾柴又です。渡世上故あって、親、一家持ちません。駆け出しの身もちまして姓名の儀、一々高声に発します仁義失礼さんです。姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。西に行きましても東に行きましても、とかく土地、土地のおあ兄さんおあ姐さんにご厄介をかけがちたる若僧です・・・」などと、土地の同業者にアイツキ(つきあいの転倒語であり、あらめん=初対面の面通しのこと。博徒は「仁義を切る」ともいう)し、土地の祭りの一角でコロビの商売を許されている。
このアイツキは、最近ではナカナカ見掛けなくなったが、テキヤの稼業人は、これが出来ないと一人前ではない。さらに、一歩作法を外れたら、ゴロ(喧嘩)になりかねない剣呑なサブカルチャーである。たとえば、口上を述べる時、一人前のテキヤであれば、左手の親指は他の四本の指の中に折り込んで隠さなくてはならないし、親分もちの場合は、外に置くというような厳格なルールが存在する。
筆者が知る限りでも、アイツキに満足な返しができず、幹部が旅人さんの親分の在所まで詫びを入れに行ったと聞いたことがある。セリフを噛み噛みでもいいから、ひと通り返せないと恥をかく。ヘタをすれば、親分の顔、一家の看板に泥を塗ることになるから、真剣に臨まないといけない。少しばかり大層な解釈をすると、テキヤ一家の鼎(かなえ)の軽重を問われる、刹那の儀式なのである。
話を戻すと、寅さんの業態であるコロビとは、テキヤの業界用語であり、ゴザを広げた上に商品をコロがし「さて、いいかねお客さん、角の一流デパート、赤木屋、黒木屋、白木屋さんで、紅オシロイつけたお姉ちゃんから、ください、ちょうだい、いただきますと、5000や6000、7000、一万円はする代物だ。今日はそれだけ下さいとは言わない・・・」などと、流ちょうな口上つきで売るタンカバイ(商売)という伝統的な商売スタイルである。昨今、このような流ちょうなタンカバイは見かけなくなった。
一昔前の昭和中期は、ガマの油売りや、蛇の油で作った軟膏のような薬種を扱うジメ師=大ジメともいう(沢山の人を集める、人=ヒトを集める=シメることからジメという)などが、巧みなタンカの強弱で聴衆を集め、笑わせ、ナルホドと感心させてバイを行ったと、テキヤの頭(かしら)に聞いた。
そのほか、縁日のテキヤの商売にはいくつかのスタイルがある。商品を並べるだけのナシオト(音がしない、大人しいなどの意味で、キャラクターのお面や風船を売る商売)、コロビ(ゴザの上に商品をコロがし、タンカにメリハリをつけて商売する)、サンズン(組み立てた売台で三尺三寸のサイズ、あるいは、軒先三寸はなれた露店からきた呼称であり、タコ焼きや焼き鳥の売台はこれにあたる)、ハボク(植木商)、タカモノ(曲芸、見世物、幽霊屋敷など)、ハジキ(射的屋)、ロクマ(占者)、ヤチャ(茶屋、休憩所)、ジク(籤)などがある。
縁日とテキヤ
寺は、その祀る本尊の縁(ゆかり)の日に法会を催す。すなわち、縁日である。そこから一般の人は、夜店・昼店の出る法会を「縁日」とよびならわすようになった。神社もまた、祭神のゆかりで、時を定めて祭祀を行う。年に一回のものもあれば、春秋のものもある。夏は一般的に多い。これらは例祭(たかまち)で、ほかに大祭がある。
こうした寺社における法会、例祭には人が集まるから、参詣に往復する人を当て込んで、露店が並ぶようになった。参詣に来た人がお参りし、お賽銭をあげ、神籤を引く。帰りには露店で喫食し、子どもの玩具を買う。これで、寺社の側と、テキヤの側とが共に儲かるという計算である。さらに、寺社側は、テキヤからショバ代(場所貸し代金)を、奉納という形で取るわけだから、いい商売である。電気代も三寸一台あたりでいくばくかの代金を集めていたが、これについては、テキヤ側と寺社側の取り分がどうなっているのか、筆者は知らない。
この寺社の大小、祭の規模のいかんに応じて、露店の出方にも、大・中・小がある。出店できるスペースのいかんにもよるわけである(参考:添田知道『テキヤ(香具師)の生活』、雄山閣出版)。
何れにしても、出店の配置を割り振るのは、その庭場(ニワバ=ヤクザでいう縄張りと似て非なるもの)を取り仕切る親分の采配により、実際は幹部が行う。これをテイタ割り(手板=場所割り)という。
テイタを割る前段階として、まずはチャクトウ(到着簿)をつけ、ネタ(商売で扱う品)の種別、業態、他所の土地から商売に来る旅人の一家名と、本人の名を記していく。これらのネタと業態、そして旅人の持つ一家の看板の重さ、業種の様々などを検討し、上(カミ=神殿寄り)、中、下に店を割り当てる。この作業は、旅人の顔を立て、商売の相殺を防ぐためである。テイタを割るのは世話人である親分であるが、彼の存在が無ければ、祭は混沌とクレームのるつぼと化すから一筋縄でいかない。その理由は、後編でお話する。
テイタ割りを世話するのは、テキヤ仲間の仁義である。今日の庭場の親分でも、よその土地に行って商売をしようと思えば、自分の身内の者が旅人として世話になる。したがって、テイタ割りは、同業者の互助的なルールであると同時に、旅人の顔を立てるという配慮が不可欠であるから、緻密さと熟練が求められる。ちなみに、この詳細は、彼らの秘中の秘らしく、筆者がどんなに頼んでも教えてくれなかった。
テキヤは間違いなくガテン系
実際、タカマチ(祭礼)の稼ぎ込みは忙しい。「なんだ、楽勝そうや」などと、テキヤに憧れる若い人が居るが、テキヤ稼業ほど大変なものはない。まず、例祭の数日前から小屋組みをしないといけない。これは、ヤチャの小屋を組むことから始まり、次に三寸を組んで行く。組むというと簡単に聞こえるが、テキヤの商売は、祭りが終わると迅速に商売を畳まないといけないので、全てが紐で組んである(規模が小さな祭りは、一日で商売を畳んで、他所の祭りに移動することも普通である)。筆者などは、小屋組みの終盤には、指先の感覚が無くなり、歯で紐を結んでいた位である。
つぎに、祭りが近づくと、大量の材料を仕入れる。キャベツやネギなどの青物は業者がトラックで持って来るが、これを若い衆が一列に並び、バケツリレーよろしく手渡しでテントの中に収納するのである。最初の10箱くらいはマアマアだが、30箱も手渡ししていると、腰にくる。実際にはキャベツだけでも100箱位はあったと思う。
テキヤ稼業ほど大変なものはない。(写真:筆者提供)
祭りの当日には、それらを各三寸なり調理する場所に運び、延々とキャベツ切りをしないと間に合わない。主に、お好み焼きや焼そばといったコナモノに用いる。ちなみに、お好みソースなどは一斗缶で、山のように届くためテントの中に壁ができる。
調理器具の燃料であるガスボンベは、重たい上にかさ張るから難儀である。資材小屋の裏手は、まるでお寺の裏手にある墓場のように大小のガスボンベで埋め尽くされる。さらに、調理に使用する飲料水も、ポリタンクで事務所から運び込む。これはトラックで輸送するのだが、際限がなく嫌になる。いつまで続くのかと尋ねるのは愚問である。誰にも分からないのだから。ひとつ言えるとしたら、事務所のポリタンクが無くなるまでである。最近では、これらに加えて、各所に消火器を設置しないといけないから、尚更大変そうである。
テキヤはヤクザか
筆者がマスコミで話をすると、「暴力団博士」と呼ばれることしばしばであるが、筆者はヤクザの飯を食ったことはない。しかし、テキヤには一宿一飯の世話になったことがある。
手前味噌で恐縮だが、小倉の商店街でタンカバイに慣れていたお陰で、ほかの三寸より多く売り上げたから、例祭の最終日に親分からわざわざ礼を言われたし、給料袋に5万円ほど多く入っていた。何と、旅人さんから、スカウトまでされる始末である。
筆者の経験に照らして、テキヤとヤクザは別物であると自信を持って言えるのである。なぜなら、ヤクザなら「縄張り」と称すところを「庭場」と呼ぶ。商売でしかカネを儲けない。恐れるのは、暴対法ではなく食品衛生法であり、保健所に頭が上がらない。かなりシンドイ作業に幹部であっても従事する。
『ヤクザになる理由』(廣末登著・新潮新書)
何より、神農であるテキヤは祀神が違う。テキヤの盃事の儀式には、農業と薬の神である「神農黄帝」の軸を掲げる(ヤクザの場合は「天照大神」を中央に掲げ、「八幡神」、「春日大社」を左右に掲げる)。さらに言うと、筆者は覚せい剤などの薬物使用には鼻が利く方だが、稼ぎ込みの日に15時間労働でへとへとになりながら、違法薬物を用いている若い者を見たことがない。
ただ、そうはいっても、テキヤがヤクザと没交渉なわけではない。そのあたりは、次回紹介したいと思う。(後編に続く)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55394
こんなに違う、「テキヤ」と「ヤクザ」
日本の祭りを支えるテキヤの裏側(後編)
2019.3.5(火) 廣末 登
日本の祭りの風景を演出してきたのはテキヤの面々ではなかったか(写真はイメージです)
(廣末登・ノンフィクション作家)
前回、筆者の経験則から「テキヤとヤクザは別物であると自信を持って言えるのである・・・ただ、そうはいっても、テキヤがヤクザと没交渉なわけではない」と言及したところで筆を擱いた。記事をお読み頂いた読者の諸兄は、消化不良の感を持たれたのではないだろうか。
(前回)「テキヤ」は「ヤクザ」として扱うべき存在か http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55394
本稿では、その消化不良を解消すべく、テキヤとヤクザの交わる部分について、テキヤ経験者としての私見を述べてみたい。
警察も黙認しているテキヤ稼業
テキヤはヤクザか――結論から言って終わっては身もフタもないが、溝口敦氏の『暴力団』(新潮新書)によると、その点につき、以下のように書かれている。
「人気の映画『男はつらいよ』の寅さんこと、車寅次郎は暴力団の組員なのでしょうか。テキ屋が彼の稼業ですから、今の法律では確かに暴力団に分類されます・・・まじめに街商をやっている人たちを、一律に暴力団とみなして祭礼の境内などから追い払えば、お祭りだって楽しくなくなってしまう、という声はとても多く、地域によっては警察も見て見ぬ振りをしているのです」と。
この意見は、筆者も体感的に納得するところである。実際、縁日の雑踏を、これでもかという威圧的な人数で、警察官がパトロールしていたが、こちらから挨拶をしても、返事を返されたためしがない。
ただ、溝口氏は関東在住だから、テキヤ系指定暴力団の極東会に目が慣れているのでヤクザ色が強く感じられるのかもしれない。しかし、西日本のテキヤは、関東よりも商売熱心な気がするし、指定暴力団ではないから、当局の目も関東に比べると緩やかであるようだ。
こうした傾向を象徴する出来事が、新年28日に朝日新聞の記事になった。代々木公園の平日(ヒラビ=常設屋台)摘発である。この出来事は、暴排における当局の本気度と、異例とはいえ、テキヤの肩身の狭さを象徴する出来事であった。
朝日新聞のデジタル版によると「代々木公園(東京都渋谷区)の占用許可を都から得ている常設の屋台を警視庁が調べところ、全7店舗の出店者計7人について指定暴力団極東会系の関係者と分かったとして、同庁は28日、東京都に連絡した。都は出店者に聞き取りし、占用許可の取り消しを検討する。7店舗のうち3店舗は現在営業していない。都によると、都立公園で営業中の屋台に関し、暴力団の関与を理由とした占用許可の取り消しは極めて異例だ」とされる。
同様の取り締まり強化が、他所の地域に飛び火しないことを祈るばかりである。テキヤへの締め付けは、誰にとっても益がない。たとえば、筆者の生活する福岡市では、九州の夜の街を代表する中洲のイベント「中洲まつり」がある。このイベントも、数年前からテキヤの屋台が姿を消し、素人の飲食ワゴンなるものが台頭した。結果、祭の殷賑が半減し、博多っ子も「今日は何がありよっと? あ、中洲まつりね」という具合である。
縁日のルールの根底には親分の顔がある
日本の原風景を継承してきた縁日の仕掛け人「テキヤ稼業」の陰には、その祭りを支える親分と、若い衆の並々ならぬ苦労がある。露店で食中毒を出さないため、調理プロセスや衛生管理に目を光らせるのは、親分の務めである。縁日の後の掃除――参道に輪ゴムの一本落ちていないように境内を掃き清めるのも庭場を仕切る一家の責任である。
テキヤの商売には、それなりのルールがある。そのルールの管理人は、庭場の親分である。親分の顔にかけて、庭場の若い衆も身体を張ってその秩序を保つし、旅人も在所の親分の顔に泥を塗るようなことはしないよう、自前の若い衆を戒めるのである。
たとえば、フライドポテトとして割られた場所で商売を始めたとしよう。この稼業人は考えるかもしれない。「折角フライヤーがあるのだから、アメリカンドッグもできるし、唐揚げもできる。よっしゃ、一石三鳥やで」と。そうすると、近隣のアメリカンドッグ屋や、唐揚げ屋から苦情が出る。しかし、直接、文句を言うと喧嘩になる恐れもあるし、そうなったら、庭場の世話人に迷惑を掛けるから、とりあえず本部事務所にケツを持ち込む。
唐揚げとプライドポテト。親分の目が光っているので、商品を勝手に変えたりすることはできない(写真はイメージです)
すると、親分は、若い衆にナシ(話)をつけて来いと命令する。早速、若い衆が一石三鳥の店主を諭して、フライドポテトに専念してもらうという寸法である。日本人でないとこうした道理が分からない。だから、外国人の経営する露店が、縁日では見掛けられないのである。
お巡りさんがテイタ割り?
しかし、こうした庭場も、近年は減少の傾向がある。なぜなら、テキヤの規制が厳しくなり、跡を継ぐ若い者が減ったりして、親分不在の庭場が出てきたからである。そうなると、庭場の番人をするのは、われらが公務員であるお巡りさんにお鉢がまわってくる。
お巡りさんもナカナカやるもので、ちゃんとテイタを割ってくれる。この警察によるテイタ割りのことを、業界では「ヒネ割り(ヒネとは警察を指す隠語)」と呼ぶ。しかし、テイタを割ったあとの保守点検までは手が回らない。だから、もし、先述した一石三鳥の店主のような業腹な人間が出てきたとしても、そのケツを所轄署に持ち込んだところでどうにもならない。食中毒が出たといって、警察署長が謝罪するなという図は想像できない。これでは、やった者勝ちである。
ヤクザは一般人からクレームを付けられることはないが、テキヤにとって、お客さんからのクレームは、組の看板、ひいては親分の顔に泥を塗ることになる。筆者が居候していたテキヤでも、かつて食中毒が出た時は、幹部が土下座もので謝罪したと聞いた。もっとも、お客さんがテキヤの事務所に怒鳴り込むというのではなく、クレーム自体は、神社の社務所に上がるのであるが。
そのほかにも、目に見えない、いわゆるテキヤのサブカルチャーともいうべき、掟の下に彼らの稼業は成り立っている。
テキヤの不文のならわし
テキヤは業態が移動であり、様々な人間が入ってくる。筆者が居たテキヤにも、ガテン系元公務員や農村の力自慢の若い衆が居た。しかし、稀に在所を追われたヤクザも来る(筆者がテキヤの世話になった時は、一般の求人誌に掲載されていた)。応募者がヤクザの場合は「どこそこの何某が、当方の世話になりたいと来ているが、そちらのお身内だった方ではないか」などと、電話で身元確認を行う。黒字破門か除籍程度で、かつ先方の親分さんが、「何某は、いまは当家とは関係の無い者です。在所の誰それ親分さんにはご面倒掛けますが、よろしゅう・・・」などと言ってくれたら、身柄を引き受けるが、ヤクザとして重大なマチガイをやらかして、赤字破門や絶縁と判明した場合は、テキヤでも引き受けない。
歴史的にみても、玉石混交の組織であればこそ、仲間の緊密性が不可欠となる。移動はしても本拠地を持たねばならない。それを持たない若い衆は、親分を持つことで、テキヤ=露天商の資格を得ることができる。こうして親分・子分の関係が成り立ち、一家なるものが形成される。これは、稼業上の疑似家族制度の構築である。この家名を名乗ることで、旅から旅のテキヤも、営業のための場を渡り歩くことができるし、行く先々で土地の親分に便宜をはかってもらえる。そして、かれらは緊密な仲間を指していう――おれの「ダチ」と。古来より、彼らの口伝による決まりごとはシンプルだ。バヒハルナ(売上金を横領するな)、タレコムナ(仲間内のことを警察に訴えて出るな)、バシタトルナ(仲間の妻女を犯すな)である。こうした禁忌を犯せば、一家から破門され、テキヤ渡世はできなくなる(参考:添田知道『テキヤ(香具師)の生活』)。
テキヤとヤクザとの関係
花見の席のこと。その名所は、神社がちょっとした丘の上にあり、坂道がまっすぐに伸びている。もちろん、その両脇にはテキヤの三寸が、肩を寄せ合うように並んでおり、威勢のいいタンカが飛び交う。
そのような中、スーツを着た男性が「ご商売中にすいません。私はどこそこ一家の者ですが、親分が花見にお邪魔させていただきます。よろしくお願いいたします。これは些少ですが、お飲み物でも」と言って、ピン札の諭吉が入った封筒を手渡していた。まあ、平坦な参道ではなく、坂道に並ぶ三寸全てに挨拶していたから、春とはいえ汗だくである。ちなみに、親分はというと、通行禁止の立て看板を、ガードマンが(恭しく)外してくれたから、上の花見の席まで車で登って行った。
こうなるとテキヤは大忙しである。頭(かしら)から指示が飛ぶ「おい、○○一家の親分が来るらしいから、焼き鳥、イカ、タコ、キビを、どんどん焼け。シケネタ(古い素材)なんか使うなよ、マブネタ(新しい素材)使えよ」と。
若い衆も緊張して、鉄板を磨きだす者、車のアイスボックスに仕舞っていたマブネタを取りに行く者、にわかに慌ただしくなる。花見のバイは、鉄板に桜の花びらが落ちてくるから厄介だ。それでも、着々と調理は進み、鉄板の両脇に、出来立ての献上品が積まれてゆく。
沢山の料理が出来上がって、さて誰が花見の席にもって挨拶にゆくかという段になって、若い衆はお互いに顔を見合わせてモジモジしている。誰の顔にも「遠慮します」と書いてある。仕方がないので、客として頭の三寸で遊んでいた筆者が手を挙げた。すると、「でも、先生、二人じゃ持てんよ」と頭が言うので、「そこの、坊ちゃんのベビーカーを使わんね」と提案した。5分後、ベビーカーは、パーティープレートを満載したワゴンと変貌した。
この一件でもわかるように、テキヤの若者は、ヤクザを「ホンマもの」として、敬遠する傾向がある。実際、花見の席で先方の若中頭に挨拶をしていたテキヤの頭も、かなり気を遣って真剣だった。頭もヤクザを指していう「ホンマもの」と。
盃の媒酌はお家芸
縁組の盃をはじめとする盃事については、テキヤ自身のものと、テキヤが助っ人に呼ばれる場合の解説をする必要がある。前者はテキヤの代目披露や兄弟盃等の儀式である。後者は、テキヤがヤクザに依頼されて媒酌人を務める盃事である。テキヤ自体も、盃事は稼業上欠かすことができないが、ヤクザは尚更である。盛大にやるのが代目披露であり、当代の親分から次の親分候補に代を授受する跡目公式発表の式である。テキヤの場合は、正面にしつらえた祭壇の中央に神農黄帝、その左右に天照皇大神、今上天皇の軸が掲げられる。しかし、ヤクザの場合は、右側から八幡大菩薩、天照皇大神、春日大明神が掲げられる。
こうした神事は、古式に則って行われるが、格式張っているから作法通りにできる人間が、そこらには居ない。そこで、テキヤの出番である。テキヤは寺社仏閣に馴染みがあり、そうした修行が行き届いているから、ヤクザの盃事があると、媒酌人として白羽の矢が立てられる。もちろん、寺社仏閣を庭場とし、テキヤ社会の社交性の上に立って、諸披露の式を行ってきたテキヤからしたらお家芸であるし、先に紹介したエピソードのように、大なり小なり関係する相手ということもあり、作法に長けた幹部が、若い助手を連れて媒酌人の任を果たす。東京では、浅草の雷門を本拠地とする丁字屋会が有名で、吉田五郎会長は「平成の名媒酌人」と呼ばれ、六代目山口組、五代目稲川会、六代目松葉会、四代目道仁会など大組織の媒酌を行っている。
いずれにせよ、テキヤとヤクザの関係とは、筆者が知る限り、この記事に紹介した程度である。威勢のいい祭の担い手は古今東西テキヤであった。テキヤは商売をしてナンボの稼業人であるし、雰囲気作りの達人である。シャブの売買や闇金などで違法にシノいでいるわけではない。したがって、筆者はテキヤを暴力団のうちに数えることには納得ができない。日本人の心の深奥に残る縁日を風化させないためにも、当局には「見て見ぬ振り」の姿勢を踏襲して頂きたいものである。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55394
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