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(回答先: ウェーバー オペラ 『魔弾の射手』 投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 23 日 00:02:53)
シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』
クナッパーツブッシュ指揮 『交響曲 ハ長調 D 944 』
Schubert: Symphony No. 9 - Vienna Philharmonic Orchestra/Knappertsbusch (1957)
Vienna Philharmonic Orchestra
HANS KNAPPERTSBUSCH, cond.
Recording: Musikverein, Wien, 27 October 1957
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フランツ・シューベルトの交響曲第8番ハ長調 D 944 は、1825年から1826年にかけて作曲され、1838年に初演された4楽章からなる交響曲
本記事で扱うシューベルトの交響曲は、古くより番号が様々に呼ばれ、20世紀初頭までは「未完のものを除いて7番目」なので第7番と呼ばれることが多かった。
次いで、1951年にオットー・エーリヒ・ドイチュがシューベルトの作品目録を作成しドイッチュ番号を振って以降は、未完ながら演奏される2曲(D729のホ長調のもの、および、D759のロ短調の『未完成交響曲』)を含めて第9番と呼ばれるようになった。
その後ドイチュの死後の1978年にヴァルター・デュルWalther Dürr(独語版)、アルノルト・ファイルArnold Feil(独語版)らによってドイチュ番号の改定が行われ、自筆譜のままで演奏できるという意味で完成されていると認められる交響曲の8番目のものであることから第8番とし、テュービンゲンの「国際シューベルト協会」(Internationale Schubert-Gesellschaft e.V.)をはじめ多くの楽譜出版社がこれに従ったため、第8番とすることも多くなってきている。
ただし、そういう場合でも混乱を招かないように、第8(9)番と紹介することも少なくない。世界的には現在も第9番としている例も多く[注 1]、日本でもCDや楽譜のタイトルには第9番とついている場合が多いので、注意を要する。
本記事の交響曲は通称『ザ・グレート』(独:Die große C-dur 、英:The Great C major)と呼ばれる事があるが、この呼び名はシューベルトの交響曲のうちハ長調の作品に第6番と第8番の2曲があり、第6番の方が小規模であるため「小ハ長調(独:Die kleine C-Dur)」と呼ばれ、第8番が「大ハ長調」と呼ばれることに由来する。
この『ザ・グレート』はイギリスの楽譜出版社が出版する際の英訳によって付けられたものであるが、本来は上述のように第6番と区別するために付けたため「大きい方(のハ長調交響曲)」といった程度の意味合いしかなく、「偉大な」という趣旨は持たない。しかしそのスケールや楽想、規模は(本来意図したものではないにせよ、偉大と言うニュアンスでも)『ザ・グレート』の名に相応しく、現在ではこの曲の通称として定着している。
指示通りに演奏してもゆうに60分以上かかる大曲であり、シューマンは曲をジャン・パウルの小説にたとえ、「すばらしい長さ (天国的な長さ)」[注 2]と賞賛している。ベートーヴェンの交響曲の規模の大きさと力強さとを受け継ぎ、彼独自のロマン性を加えて完成された作品となっており、後のブルックナー、マーラー、20世紀のショスタコーヴィチなどの交響曲につながっている。
シューマンによる発見と初演
完成直後の1826年、シューベルトは同曲の楽譜をウィーン楽友協会へ献辞を添えて提出したが、わずかな謝礼こそ得たものの、演奏困難との理由で演奏されることはなかった。1828年にも同協会に提出したが、同様に演奏されることはなかった。
この作品は、シューベルトの死後、1839年にシューマンが、すっかり忘れ去られてしまっていたシューベルトの自筆譜を発見して世に知られるようになった。前年にシューベルトの墓を訪れていたシューマンは、同年1月1日にウィーンのシューベルト宅を訪れるまでは、シューベルトはあくまで歌曲や小規模な室内楽、ピアノ曲などを演奏する、気心知れた仲間内の演奏会「シューベルティアーデ」の作曲家という認識しか持っていなかった。
彼の部屋を管理していた兄フェルディナントはシューベルトの死後そのままに仕事机を保管していた。シューマンは、その机の上にあった長大な交響曲を発見し、シューベルトを歌曲の作曲家と見ていた自らの認識を覆すその作品に驚愕した。シューマンはぜひこれを演奏したい、楽譜をライプツィヒの盟友メンデルスゾーンに送りたいとシューベルトの兄に懇願し、ようやく許可を取り付けてメンデルスゾーンのもとに楽譜が届けられたという。
1838年3月21日、メンデルスゾーンの指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏によって、この交響曲は初演された。シューマンは初演には立ち会えず、翌年の再演でようやく聴くことが出来た。
グムンデン・ガスタイン交響曲
シューベルトは、幻の「グムンデン・ガスタイン交響曲」なる曲を作曲したとされる。これは作曲家の日記や手紙から1825年に彼がグムンデンおよびバート・ガスタインに滞在し、そこで作曲したとされるものであるが、その曲がどれに当たるかは解明されていない。
このD 944の交響曲は、かつては直筆譜の日付から1828年の作曲と考えられてきた。
しかし用紙のすかし模様が25年ごろに用いられていたものと一致すること、28 が 25 の読み間違いの可能性があることなどの理由から、現在では1825年から26年にかけての作曲であると考えられている。
このため、このD 944が「グムンデン・ガスタイン交響曲」ではないかとする説が提唱された。
その後、シュトゥットガルトでD 849にあたるホ長調の交響曲の筆写譜が発見されて、ギュンター・ノイホルト(英語版、ドイツ語版)指揮のシュトゥットガルト放送交響楽団による演奏の録音が南ドイツ放送でFM放送され、また出版もされた。
ゲルハルト・サミュエル指揮のシンシナティー・フィルハーモニー管弦楽団でCD化されている。
現在はこのD849をグムンデン・ガスタイン交響曲とみなす説もある。
D 849 は D944と主題がそっくりで、演奏時間は60分ぐらいと規模も同じであり、D 944のための下書きとして書かれたものと考えられている。
この作品が『未完成』の後に書かれた交響曲であり、『ザ・グレート』はグムンデン・ガスタイン交響曲の脱稿直後に取りかかった作品となる。
しかし、現在もこのD 849とされるホ長調の交響曲がシューベルトの真作であるかどうかは確定していない。
データ
ドイッチュ番号:944
作曲時期:1825年から1826年
初演:1839年3月21日、ライプツィヒにて、メンデルスゾーン指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。(遺作)
楽器編成
フルート 2、オーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 2、トランペット 2、トロンボーン 3、ティンパニ 1対、弦五部
作品構成
第1楽章 Andante - Allegro ma non troppo
ハ長調、2/2拍子、序奏付きソナタ形式(提示部リピート付き)。
ホルン2本のユニゾンでおおらかに始まる。この開始部分はシューマンの交響曲第1番『春』やメンデルスゾーンの交響曲第2番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番のモデルとなっている。
この序奏部分が楽章全体を構成する主要なモチーフを提示している点に大きな特徴がある。第1主題は音の大きく動く付点のリズムと3連符に特徴がある。第2主題が5度上の属調であるト長調ではなく、3度上のホ短調で書かれているのも大きな特徴(再現部では同主調のハ短調で1度、平行調のイ短調でもう一度奏されており、ソナタ形式としての整合性が取られている)。変イ短調に始まるトロンボーンの旋律が第3主題とされることもあるが、動機としては序奏の旋律の断片である。リズミカルなモチーフを主体として主題が構成されている点には、尊敬してやまなかったベートーヴェンの特に交響曲第7番と多くの共通点を持つ一方で、大胆な転調や和声進行にはシューベルトらしさが満ちあふれている。第662小節から最終685小節にかけて、序奏の主題が、音価を2倍に引き伸ばされた形で(結果として序奏と同じテンポに聞こえる)2度力強く再現され、楽章を終える。なお、この手法をシューベルトは交響曲第1番第1楽章ですでに用いている。
なお、初版においては拍子が4/4拍子に改竄されていた。現在では、本来の自筆譜通り(2/2)に戻されている。
第2楽章 Andante con moto
イ短調、2/4拍子、展開部を欠くソナタ形式の緩徐楽章。
7番の第2楽章と同じような構造(A-B-A-B-A(コーダ))である。主としてオーボエが主旋律を担当する第1主題部(A)は、スタッカートが特徴のリズミカルな動機を主体とし、かつ3つの異なる旋律から構成され、ピアノとフォルテシモの頻繁な交代を特徴としている。第2主題(B)はヘ長調で書かれ(7番第1楽章と同じ調性関係)、第1主題とは対照的に息の長いレガートを主体とした下降旋律を特徴とする、シューベルトの面目躍如たる美しい旋律であり、対旋律の美しさも特筆に価する。中でも第148小節から12小節に渡るホルンと弦との対話はシューマンが絶賛していた。再現部では、第1主題が劇的に発展し、第2主題は主調の同主長調であるイ長調で再現する。第330小節からのコーダでは第1主題が短縮された形で再現する。
第3楽章 Scherzo. Allegro vivace
ハ長調、三部形式、3/4拍子の大掛かりなスケルツォ。
ベートーヴェンのスケルツォよりはメヌエットの性格を残している。後のブルックナー後期作品を思わせるような息せき切るような主部の旋律と、シューベルトらしい旋律に溢れた雄大な中間部トリオ(イ長調)の対照が効果的である。スケルツォ主部はそれだけでソナタ形式の構造をしており、提示部に加え、展開部+再現部にもリピートがつけられており、特に後者は省略されることも多い。トリオの旋律はベートーヴェンの交響曲第4番の第3楽章のトリオのそれに似ている。
第4楽章 Finale. Allegro vivace
ハ長調、2/4拍子、自由なソナタ形式(提示部リピート付き)。
1,155小節にも及ぶ長大なフィナーレ。第1楽章同様付点のリズムと3連符、そしてこの楽章ならではのオスティナートと強弱のコントラスト、激しい転調に特徴があり非常に急速で息を付かせない。ところどころ同じ和音が数小節にわたって続くところを如何に聞かせるかが、演奏者の腕の見せ所である。シューベルトはピアノソナタ第18番以降、同音連打を積極的に導入しており、このフィナーレでも存分にこれが展開される。
開幕の付点音符を素材とするハ長調の第1主題は非常に躍動的で、確保された後にト長調で抒情的な第2主題が木管によって朗々と歌われる。これが発展し、劇的な展開を見せた後にコデッタを経て、変ホ長調でこの曲の真の展開部。クラリネットが奏する第1・2主題と全く異なる旋律はベートーヴェンの交響曲第9番の「歓喜の主題」が改変されて引用されており、ベートーヴェンに対するオマージュと考えられる。歓喜の歌も含めた展開、やや変型された再現部の後にppまで落ち、972小節目から始まるコーダでは2つの主題と歓喜の歌が組み合わさって堂々たる終結を迎える。
演奏上の問題
第1楽章においては、序奏がコーダで再現されるところで、両者のテンポ設定をどうするかが問題となる。かつてピリオド楽器による演奏がバロック音楽や古典派音楽に留まり、ピリオド楽器による初期ロマン派音楽の演奏が一般的でなかった時代においては、自筆譜の拍子及びメトロノームに忠実に基づいてテンポ設定をするとコーダが速すぎて楽章全体のクライマックスを築けない、という感覚が一般的であったため、多くの録音ではテンポを徐々に落としたりAndanteに戻していた。
しかし、ピリオド楽器による演奏や、ピリオド系の演奏でキャリアを築いてきた指揮者がモダン楽器のオーケストラを指揮した演奏[注 3]では、当時の演奏習慣の研究から楽譜に指示のないテンポダウンは後の時代の習慣だとしてコーダをそのままの速さで演奏する例が多く、徐々にそのような演奏が増えつつある。コーダをそのままの速さで入ることを最初に提唱したのは、ルネ・レイボヴィッツである。[4]彼は、ベートーヴェンの交響曲を作曲者のメトロノーム通りに演奏することを主張したことでも著名な存在である。
そして上述のとおり、終楽章の同じ和音の連続をどう処理するかが問題となる。ピリオド楽器で手がけても、終楽章で弦楽器に要求されるBPMは一秒間に12パルスを超えており、モダン楽器を備えた現代人にとっても簡単ではない。
シューベルトの多くの作品で見られることだが、自筆譜に書かれた記号の(>)が、アクセントにしては異様に長く、デクレッシェンドにしては短く、どちらなのか判然としない書き方も見られる。「どちらでもない」演奏が一般的だが、時に極端な解釈も見られる。特に最後の小節に関しては、それまでの楽曲の流れを重視して強奏で終わることが通例となっているが、クレンペラーやアーノンクールのようにデクレッシェンドとして演奏する例もある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/交響曲第8番_(シューベルト)
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