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(回答先: ベートーヴェン 『交響曲第5番』 投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 24 日 16:00:48)
ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』
Beethoven - Symphony n°6 - Vienna / Walter
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Wiener Philharmoniker
Bruno Walter
Studio recording, Vienna, 17 & 18.XII.1936
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Beethoven: Symphony No. 6, Walter & PhiladelphiaO (1946)
Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Philadelphia Orchestra
Rec. 10 & 12 January 1946
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Beethoven: Symphony No. 6, Walter & ColumbiaSO (1958)
Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Columbia Symphony Orchestra
Rec. 13, 15, 17 January 1958
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交響曲第6番 ヘ長調 作品68は、ドイツ古典派の作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年 - 1827年)が1808年に完成させた6番目の交響曲。
作曲者によって『田園(ドイツ語: Pastorale)』の標題が付されている。
古典派交響曲としては異例の5楽章で構成されており、第3楽章から第5楽章は連続して演奏され、全曲及び各楽章に描写的な標題が付けられるなど、ベートーヴェンが完成させた9つの交響曲の中では合唱を導入した交響曲第9番と並んで独特の外形的特徴を持つ[2]。 また、徹底した動機展開による統一的な楽曲構成法という点で、前作交響曲第5番(作品67)とともにベートーヴェン作品のひとつの究極をなす[3]。
標題について
第6交響曲は、ベートーヴェンの交響曲の中で標題が記された唯一の作品である。ベートーヴェンが自作に標題を付した例は、他に「告別」ピアノソナタ(作品81a)などがあるが、きわめて珍しい。とくにこの第6交響曲は、ベルリオーズやリストの標題音楽の先駆をなすものと見られている[4]。
標題は、初演時に使用されたヴァイオリンのパート譜にベートーヴェン自身の手によって「シンフォニア・パストレッラあるいは田舎での生活の思い出。絵画描写というよりも感情の表出」と記されている[2][5][4]。
また、各楽章についても次のような標題が付されている[6]。
「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」
「小川のほとりの情景」
「田舎の人々の楽しい集い」
「雷雨、嵐」
「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」
これらの標題は楽譜以外にも認められ、1808年12月17日付『ウィーン新聞』に掲載された初演演奏会の予告には「田舎の生活の思い出」という副題が見られる。ベートーヴェンが使用していたスケッチ帳にも同様の記述があり、「性格交響曲(Sinfonia caracteristica) あるいは田舎の生活の思い出」とされ、「シンフォニア・パストレッラ」は音による絵画的描写ではなく感情の表現であることが強調されている[5]。
ベートーヴェンが「絵画的描写ではなく感情の表出」と強調したことについては、以下の理由が挙げられている。
ひとつには、ベートーヴェン自身の理想主義的な作曲理念からのものであり、模倣のための模倣である描写語法を安易なものとして退け、音楽的脈絡や全体的構成の中で不可欠かつ必然性を持たせること、言い換えれば、描写語法のより高い次元での用法をめざしたのである[5]。
スケッチ帳に書かれた「性格交響曲」についても同様であり、この言葉は創作者の世界観を表す純音楽という意味で用いられている。ベートーヴェンは、「誰でも田園生活の考えさえあれば、多くの説明がなくとも、作者の意とするところを自ら考えることができる」といって標題を詳しくすることを避けた[7]。
もうひとつは、ベートーヴェンの作曲当時までによく書かれていた自然描写音楽へのアンチテーゼである[5]。 その典型的なものとして、ベートーヴェンより少し早い世代の作曲家ユスティン・ハインリヒ・クネヒト(1752年 - 1817年)に15の楽器のための『自然の音楽的描写』(1784年)という標題音楽があり、この作品の5つの楽章は本作とほとんど同じ標題を持つ[7]。 また、クネヒトには『雷雨によって妨げられた牧人の喜びのとき』(1794年)というオルガン作品もあった。
ベートーヴェンがこれらの作品を知っていたかどうかについては現在まで確認されていないものの、田園交響曲との標題内容との一致から、ベートーヴェンがこれらの先行作品を意識していたことはほぼ確実と考えられている[5]。
ベートーヴェンは田園を好み、ウィーンでは近郊を歩き回り、夏には田舎に生活して大自然に親しんだ。彼のスケッチ帳には
「森の中で―自分は幸福だ―樹々は語る―汝を通して―おお神よ―なんと素晴らしい……」、
「どの樹もみな自分に語るではないか。聖なるかな。聖なるかな。森の中は恍惚たり」
などと書き付けてある。日本の音楽評論家門馬直衛は、こうした心情を音楽で語ったのがこの第6交響曲であるとする[1]。
作曲時期
1807年暮れからスケッチが開始され、第5交響曲がほぼ完成した後の1808年初春から1808年初秋にかけて作曲された[8]。
従来、交響曲第5番と第6番は同時期の作曲と見られていたが、ベートーヴェンのスケッチ研究の成果によって、両者の作曲時期はそれほど重なっていないことが明らかにされている。
第6番のスケッチは、主として1808年初頭から同年9月ごろまでにベートーヴェンが使用していた「パストラール・シンフォニー・スケッチ帳」で確認できることから、実質的な作曲時期は1808年春からの約半年間である。
一方、同スケッチ帳には第5番のスケッチはまったく現れておらず、第5番は前年の1807年中に筆が進められ、1808年の初頭には仕上げに入ったものと考えられる[8]。
過去の研究では、19世紀の音楽学者グスタフ・ノッテボーム(1817年 - 1882年)によって、第6交響曲のスケッチは1806年に始まり、翌1807年夏ごろから本格的に取りかかり、1808年に仕上げに入って同年6月ごろ完成とされていた[9]。 こうした事情から、これまで『田園』交響曲に対する見方は『運命』交響曲との比較論が中心で、両曲の性格の相違が強調される傾向にあった。例えば、『運命』での極度の精神的緊張、創造力の爆発的な噴出に対して、ベートーヴェン自身が精神的バランスを維持するための創造形式が『田園』である、といった見方である。しかし、このような情緒的解釈は、交響曲様式の革新性において第5番に劣らない本作の意義を見落としかねない[10]。
なお、1803年6月ごろから1804年4月ごろまで使用していた「ランツベルク6」と呼ばれるスケッチ帳に第6番の主題のわずかな萌芽を見ることができる。1807年7月から8月にかけて使用された「ハ短調ミサ・スケッチ帳」にも第6番第1楽章の主題に発展する原形が見られるが、これらはすべて断片的であり、本格的な創作は「パストラール・シンフォニー・スケッチ帳」使用期と見られる[8]。
初演・出版
1808年12月22日、オーストリア・ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場において、ベートーヴェン自身の指揮によって初演[1]。 第5交響曲やピアノ協奏曲第4番、合唱幻想曲などとともに演奏された。このとき、本作は「第5番」とされ、現在でいう第5番が「第6番」となっていたが、1809年に出版されたパート譜では現在の番号となっている[11]。
ロプコヴィッツ侯爵、ラズモフスキー(en:Andrey Razumovsky)伯爵に献呈された[12][注 1]。 1809年5月に管弦楽パート譜、1826年5月に総譜が、ともにライプツィヒのブライトコプフ・ウント・ヘルテル社より出版された[12][1]。
楽器編成
ピッコロ 1(第4楽章のみ)、フルート 2、オーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット 2
ホルン 2、トランペット 2(第3楽章〜第5楽章)、トロンボーン 2(アルト、テノール)(第4楽章と第5楽章)
ティンパニ(第4楽章のみ)
弦5部(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)[8]
前作第5番と比較すると、コントラファゴットが使用されず、トロンボーンは3管から2管に減少しているものの、通常の2管編成に加えてピッコロやトロンボーンが使用されており、これらの楽器の定着化と楽器編成の拡大が推し進められている[13]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/交響曲第6番_(ベートーヴェン)
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