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バッハ 『マタイ受難曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/827.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 21 日 18:45:19: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 投稿者 中川隆 日時 2019 年 10 月 19 日 08:22:18)

バッハ『マタイ受難曲』


J. S. Bach - Matthäus-Passion - W. Mengelberg (1939)


J. S. Bach
Matthäus-Passion
BWV 244


GRABACIÓN HISTÓRICA EN VIVO
02 ABRIL DE 1939


Tenor (Evangelista): Karl Erb
Bajo (Jesús): Willem Ravelli
Soprano: Jo Vincent
Contralto: Ilona Durigo
Tenor (Arias): Louis van Tulder
Bajo (Arias): Hermann Schey
Amsterdam Toonkunstoor y "Zanglust" Jongenskoor
Maestro de Coro: Willem Hespe
Concertgebouw Orchestra Amsterdam


Director: Willem Mengelberg


_____


J.S.Bach St Matthew Passion BWV 244 (first part) - Walter - NYP (1944)


New York Philharmonic Orchestra / Bruno Walter conductor.
Live rec. April 9, 1944 (only the recording of the first part...)
William Hain (ten) Evangelist / Lorenzo Alvary (bass) Jesus / Nadine Conner (sop) / Jean Watson (alt) / Mack Harrell (bass)  Nerbert Janseb (bass) / Ralph Kirkpatrick (harpsichord) / Edouard Nies Berger (organ) / Janos Sholz (viola da gamba) / John Corigliano and Michael Rosenker (violins) / John Wummer (flute) / Harold Gomberg (oboe) / The Westminster Choir (J.F. Williamson)


_______


J.S. Bach "Matthäus-Passion" Furtwängler Wien 1954


BeschreibungMatthäus-Passion BWV 244 by Johann Sebastian Bach
Elisabeth Grümmer, soprano
Marga Höffgen, contralto
Anton Dermota, Evangelist & tenor arias
Dietrich Fischer-Dieskau, Jesus
Otto Edelmann, bass
Chor der Wiener Singakademie
Wiener Sängerknaben
Wiener Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler, conductor
Wien, 15.IV.1954


______


Bach, Matthäus-Passion BWV 244. Karl Richter (1971)

Munchener Bach Chor,
Munchener Bach Orchester,
[Orquesta y Coro Bach de Munich]
Karl Ritcher, director.


_______


[Karl Richter] Bach: St. Matthew Passion, 1959


Münchener Bach-Chor & Münchener Chorknaben
Münchener Bach-Orchester
Karl Richter (dirigent)
Recording Date: 1958.June-August
(Except 48-Weissage uns: 1979)


▲△▽▼


バッハのマタイ受難曲 (Matthäus-Passion) は新約聖書「マタイによる福音書」の26、27章のキリストの受難を題材にし、聖句、伴奏付きレチタティーヴォ、アリア、コラールによって構成された音楽作品である。BWV244。台本はピカンダー(Picanderは「かささぎ男」という意味の筆名であり、本名クリスティアン・フリードリヒ・ヘンリーツィ、あるいはヘンリーキ)による。正式なタイトルは「福音史家聖マタイによる我らの主イェス・キリストの受難Passion unseres herrn Jesu Christi nach dem Evangelisten Matthäus」となる。


バッハが作曲したとされる受難曲は、マタイ受難曲(2作あったとされるが、「2作目は合唱が2組に分けて配置される」という記述の目録があるので、現在伝わっているのは2作目あるいは何らかの改作後の方であることがわかる)のほか、ヨハネ受難曲(BWV245、1724年)、ルカ受難曲(BWV246)、マルコ受難曲(BWV247、1731年)の計4つが数えられるが、ルカ受難曲は真作と見なされておらず、マルコ受難曲は台本のみが現存し、他は消失している。


初演および復活上演


初演


1727年4月11日、ライプツィヒの聖トーマス教会において初演。その後改訂が加えられ、1736年に最終的な自筆稿が浄書されている。かつては1729年4月11日の初演と伝えられ、未だ支持する者もいるが、完全に否定されている。この誤解は、メンデルスゾーンの初演に用いた楽譜が1729年稿であったこと、初演の広告が「100年ぶりの復活演奏」と銘打ったこと、1728年に没したケーテン侯レオポルトに捧げた追悼カンタータがマタイ受難曲のパロディだったこと(教会音楽を世俗音楽に書き換えることはありえないと信じられていた)などによるものである。


復活上演


バッハの死後、長く忘れられていたが、1829年3月11日、フェリックス・メンデルスゾーンによって歴史的な復活上演がなされ、バッハの再評価につながった。


この復活上演は2時間ぐらいにいくつかのカットが伴われ、また古楽管楽器オーボエ・ダ・カッチャを、同じ音域のオーボエ属楽器であるイングリッシュホルンではなくバスクラリネットで代用し、オーボエ・ダモーレの代わりにA管クラリネットを、オルガンやチェンバロの代わりにピアノを使用するなど、メンデルスゾーンの時代により一般的であった、より現代に近いオーケストラの編成によって演奏された。この編成の演奏を再現した録音CDも存在する。当時の新聞評は芳しいものではなく、無理解な批評家によって「遁走曲(フーガ)とはひとつの声部が他の声部から逃げていくものであるが、この場合第一に逃げ出すのは聴衆である」と批判された。しかしこれを期に、当時は一部の鍵盤楽器練習曲などを除いて忘れ去られていたバッハの中・大規模作品をはじめとする音楽が再評価されることになったのである。近年、メンデルスゾーン版での復元演奏(鈴木雅明やパークマンなど)が試みられることがあり、そのため上記のCDも誕生した。



編成


オーケストラ


以下の編成を2組


フラウト・トラヴェルソT/U、オーボエT/U(オーボエ・ダモーレ持ち替え)、ヴァイオリンT/U、ヴィオラ、ヴィオラ・ダ・ガンバ(独奏用)、オルガンと通奏低音
第1オーケストラは更にブロックフレーテT/U、オーボエはオーボエ・ダ・カッチャにも持ち替える。


通奏低音の低音楽器には、チェロ、ヴィオローネ(またはコントラバス)、ファゴットが、編成にあわせて適宜用いられる。オルガンが2台使用されるが、オルガンの右手は通奏低音の和声充填の他、第1曲等でソプラノ・リピエーノとユニゾンでコラール定旋律を演奏する。


第1オーケストラのヴィオラ・ダ・ガンバは、第56,57曲に用いられるが、初期稿ではリュートが想定されていた[1]。


再演時、第2オルガンの代りにチェンバロが用いられた。これにより弱くなるコラール定旋律を補強するため、ソプラノ・リピエーノの人数が増やされた。また第2オーケストラのヴィオラ・ダ・ガンバが第34,35曲に追加された[1]。


合唱


四声部合唱2組
ソプラノ・リピエーノ(Soprano ripieno または、ソプラノ・イン・リピエーノ Soprano in ripieno)
ソリスト群:テノール(福音史家)、バス(イエス)、及びアリアと福音書中の登場人物を、ソプラノ、アルト、テノール、バスが適宜分担する。
バッハの時代、女性が教会内で歌唱することはなく、すべての声部はボーイソプラノをはじめとする男性によって歌われた。近現代の演奏で、女声を使用する場合、ソプラノ・リピエーノのみをボーイソプラノとして、劇的な演奏効果を狙うことが多い。


編成規模(再演時の記録による)[2]


各オーケストラ:17人の奏者
各合唱隊:12人(各声部3人)
ソプラノ・リピエーノ:3〜6人


マタイ受難曲の構成


マタイ受難曲は大きく二部(通常68曲)からなる。第一部は29曲、イエスの捕縛までを扱う。第二部は39曲、イエスの捕縛、ピラトのもとでの裁判、十字架への磔、刑死した後、その墓の封印までを扱う。物語でありながら、一方で精緻な音楽的構造を持った作品でもある。


聖句


聖句(聖書からの引用)のうち、エヴァンゲリスト(福音史家)はテノール、イエスやピラト、ペテロ、ユダと大祭司カイアファなどはバリトンあるいはバスで、集団は合唱で歌われる。マタイ受難曲中では、全体的に、真実は単純に、悪意や混乱は複雑な対位法で歌われる傾向がある。弟子達や一般の民衆等は四声部の合唱で、イエスに敵意を抱く祭司や長老をはじめとする群衆は八声部の二重合唱で歌われるが、群衆がイエスの言葉として Ich bin Gottes Sohn(私は神の子である)を引用する瞬間、全声部がユニゾンとなる。また「二人の偽証者」を表現するのに、二声部のカノンが用いられている。


イエスが発言する際には常に弦楽器の長い和音の伴奏が伴われるが、これはキリスト教美術によく見られる後光を音楽的に表現したものとされる。しかし最後の言葉Eli, eli, lama sabachthani(わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか)という神への疑いを示す部分だけは弦楽器の後光が伴わない。


アリア、伴奏付きレチタティーヴォ


アリアは合計14曲あり、これらのうち10曲は伴奏付きレチタティーヴォとアリアの組み合わせである。他のアリアはソロで4曲ある。


コラール


有名な「受難のコラール」(おお、血と涙にまみれし御頭、O Haupt voll Blut und Wunden)など。


受難のコラール
15.(21) コラール「われを知り給え、わが守り手よ」(合唱)
17.(23) コラール「われはここなる汝の身許に留まらん」(合唱)
54.(63) コラール「おお、血と涙にまみれし御頭」
62.(72) コラール「いつの日かわれ去り逝くとき」(合唱)


第一部
カッコ内の番号は旧全集の番号[3]


導入の合唱


「シオンの娘たち」と「信じる者たち」との対話形式により、これから起こるイエスの受難が歌われる。Iが、「見よ」と呼びかけ、IIが「どこを」と問い、Iが「その忍耐を」と答える中で、オルガンとソプラノ・リピエーノのコラールが加わる。
1.(1) 「来たれ、娘たちよ、われとともに嘆け (Kommt, ihr Töchter, helft mir klagen)」(合唱)


十字架の死の予告
イエスが弟子たちの前で自らの受難を預言する。

2.(2) レチタティーヴォ(福音史家、イエス)
3.(3) コラール「心より慕いまつるイエスよ」(合唱)


祭司長たちの合議


祭司長や律法学者らがイエスの捕縛を謀る。

4. (4-5)レチタティーヴォ(福音史家、合唱)
香油を注ぐベタニアの女[編集]
ベタニアで罪の女の香油をたらした行為を咎める弟子たちをイエスが咎める。
4.(6-8) の後半部分
5.(9) レチタティーヴォ(アルト)
6.(10) アリア「悔いの悲しみは」(アルト独唱)


ユダの裏切り
ユダが登場し、祭司長らにイエスの売り渡しを密約する。
7.(11) レチタティーヴォ(福音史家、ユダ)
8.(12) アリア「血を流せ、わが心よ!」(ソプラノ独唱)


晩餐
最後の晩餐。イエスは弟子たちの前でユダの企てを暴露する。
9.(13-15) レチタティーヴォ(福音史家、合唱、イエス)
10.(16) コラール「われなり、われこそ償いに」(合唱)
11.(17) レチタティーヴォ(福音史家、イエス、ユダ)
12.(18) レチタティーヴォ(ソプラノ)
13.(19) アリア「われは汝に心を捧げん」(ソプラノ独唱)


オリーブ山にて
イエスが自らの今後の運命と、ペテロと弟子たちが自分を否認し離反することを預言する。
14.(20) レチタティーヴォ(福音史家、イエス)
15.(21) コラール「われを知り給え、わが守り手よ」(合唱)
16.(22) レチタティーヴォ(福音史家、ペテロ、イエス)
17.(23) コラール「われはここなる汝の身許に留まらん」(合唱)


ゲッセマネの苦しみ
ゲッセマネの園で、イエスは自らの今後に苦悩。それをよそに弟子たちは眠りこけてしまう。
18.(24) レチタティーヴォ(福音史家、イエス)
19.(25) レチタティーヴォ(テノール)とコラール(合唱)
20.(26) アリア「われしわがイエスのもとに目覚めおらん」(テノール独唱と合唱)
21.(27) レチタティーヴォ(福音史家、イエス)
22.(28) バスによるレチタティーヴォ
23.(29) アリア「われは悦びて身をかがめ」(バス独唱)
24.(30) レチタティーヴォ(福音史家、イエス)
25.(31) コラール「わが神の御心のままに、常に成らせ給え」(合唱)


捕縛
ユダが再び登場しイエスが捕縛される。
26.(32) レチタティーヴォ(福音史家、イエス、ユダ)
27.(33) 二重唱「かくてわがイエスはいまや捕らわれたり」(ソプラノ、アルト、合唱)
28.(34) レチタティーヴォ(福音史家、イエス)
29.(35) コラール「人よ、汝の大いなる罪を悲しめ」(合唱)


第二部
カッコ内の番号は旧全集の番号[3]


人気なき園に花婿を探すシオンの娘とエルサレムの娘たちの同情
30.(36) アリア「ああ、いまやわがイエスは連れ去られぬ!」(アルト独唱、合唱)


大祭司の審問
イエスの裁判が始まる。偽証人が現われ民衆も煽動される。 イエス自身が神の子であることを認めたことにより、民衆の騒ぎは頂点に達し、イエスは暴行を受ける。
31.(37) レチタティーヴォ(福音史家)
32.(38) コラール「世はわれに欺き仕掛けぬ」(合唱)
33.(39) レチタティーヴォ(福音史家、証人)
34.(40) レチタティーヴォ(テノール)
35.(41) アリア「忍べよ! 忍べよ!」(テノール独唱)
36.(42-43) レチタティーヴォ(福音史家、大祭司)と合唱
37.(44) コラール「たれぞ汝をかく打ちたるか」(合唱)


ペテロの否認
下女たちにイエスと共にいたと告げられ、ペテロはこれを三度否認する (Ich kenne des Menschen nicht.[4])。にわとりが鳴いてイエスの預言の言葉を思い出したペテロは泣き出す。有名な「憐れみ給え、わが神よ」(Erbarme dich) のアリアが歌われる。
38.(45-46) レチタティーヴォ(福音史家、第1の下女、第2の下女、ペテロ)と合唱
39.(47) アリア「憐れみ給え、わが神よ」(アルト独唱)
40.(48) コラール「たとえわれ汝より離れいずるとも」(合唱)


ユダの後悔と末路
ユダがイエスを裏切ったことを悔いて自殺する。
41.(49-50) レチタティーヴォ(福音史家、ユダ、第1と第2の祭司長)と合唱
42.(51) アリア「われに返せ、わがイエスを!」
43.(52) レチタティーヴォ(福音史家)


判決
総督ピラトはイエスを訊問するが、イエスが自分を弁護しないのを怪しむ。ピラトは民衆にイエスの運命を託し、赦免するべきは極悪人バラバかイエスか、との選択を民衆に問う。民衆は赦免すべきは「バラバ!」と叫び、イエスには「十字架に架けるべし!」と叫び、ここにイエスの死刑が決定される。
43. のつづき(福音史家、ピラト)
44.(53) コラール「汝の行くべき道と」(合唱)
45.(54) レチタティーヴォ(福音史家、ピラト、ピラトの妻、合唱)、合唱
46.(55) コラール「さても驚くべしこの刑罰!」(合唱)
47.(56) レチタティーヴォ(福音史家、ピラト)
48.(57) レチタティーヴォ(ソプラノ)
49.(58) アリア「愛によりわが救い主は死に給わんとす」(ソプラノ独唱)
50.(59) レチタティーヴォ(福音史家、ピラト)、合唱


鞭打ち
イエスは鞭打たれ、茨の冠を被らされる。
50. のつづき
51.(60) レチタティーヴォ(アルト)
52.(61) アリア「わが頬の涙」(アルト独唱)
53.(62) レチタティーヴォ(福音史家)、合唱
54.(63) コラール「おお、血と涙にまみれし御頭」


十字架の道
イエスは、民衆の罵声を浴びゴルゴタへと連行される。
55.(64) レチタティーヴォ(福音史家)
56.(65) レチタティーヴォ(バス)
57.(66) アリア「来たれ、甘き十字架」(バス独唱)


十字架上のイエス
ゴルゴタの丘に到着したイエスは強盗とともに十字架につけられる。
58.(67-68) レチタティーヴォ(福音史家)、合唱
59.(69) レチタティーヴォ(アルト)
60.(70) アリア「見よ、イエスはわれらを」(アルト独唱と合唱)


イエスの死
イエスがEli, eli, lama sabachthaniの言葉とともに息絶える。すると天幕が裂け、地震が起きるなどの奇跡が現われ、民衆は「やはりイエスは神の子であったのだ」と思う。
61.(71) レチタティーヴォ(福音史家、イエス)、合唱
62.(72) コラール「いつの日かわれ去り逝くとき」(合唱)
63.(73) レチタティーヴォ(福音史家)、合唱


降架と埋葬
イエスの遺体が下げ渡される。イエスの復活を恐れて墓が封印される。
63. のつづき
64.(74) レチタティーヴォ(バス)
65.(75) アリア「わが心よ、おのれを浄めよ」(バス独唱)
66.(76) レチタティーヴォ(福音史家、ピラト)、合唱


哀悼
67.(77) レチタティーヴォ(バス、アルト、ソプラノ、合唱)
68.(78) 終結合唱「われらは涙流してひざまずき」


https://ja.wikipedia.org/wiki/マタイ受難曲
 

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コメント
1. 中川隆[-14288] koaQ7Jey 2020年1月21日 18:56:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1156] 報告

メンゲルベルクのマタイ受難曲


バッハ マタイ受難曲  メンゲルベルク
http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%EF%BC%881685-1750%EF%BC%89_000000000002339/item_%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%EF%BC%9A%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%8F%97%E9%9B%A3%E6%9B%B2%E3%80%81%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%80%8E%E6%82%B2%E6%84%B4%E3%80%8F%E3%80%80%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF_1371954

Willem Mengelberg [Matthäus-Passion]
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9021434
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9138508
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9139225

http://www.youtube.com/watch?v=ipwV_F27v2M
http://www.youtube.com/watch?v=BjWxmD2uKy0


ウィレム・メンゲルベルク ディスコグラフィ
http://www.nmt.ne.jp/~toksbw/wai/symphny/mengelberg.htm
http://www.mengelberg.net/mengel.html

メンゲルベルク 動画
http://www.nicovideo.jp/tag/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF
http://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF&oq=%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF&gs_l=youtube-reduced.3..0l3j0i5.8061.8061.0.8324.1.1.0.0.0.0.190.190.0j1.1.0...0.0...1ac.Bt6jrO73rY4
http://www.youtube.com/results?search_query=Mengelberg&oq=Mengelberg&gs_l=youtube-reduced.12..0l4.13074.13074.0.14286.1.1.0.0.0.0.82.82.1.1.0...0.0...1ac.ZH0EiDCQsDs

マタイ受難曲はメンゲルベルクが毎年復活祭に演奏してきたもので、1939年の演奏がフィルムを使った録音で残されました。LPから復刻した音はとても67年前のものとは思えないものです。2枚に納めるためのカットはせずに3枚組としました。メンゲルベルク最高の遺産が味わえます。合わせてこれも貴重な41年録音の‘悲愴’(37年録音とは別)を組み合わせました。(オーパス蔵)


バッハ:マタイ受難曲(1939年4月2日ライブ PhilipsLPA00150-53)

カール・エルプ(福音史家)
ウィレム・ラヴェリ(イエス)
ジョー・ヴィンセント(ソプラノ)
イローナ・ドゥリゴ(アルト)
ルイス・ヴァン・トゥルダー(テノール)
ヘルマン・シャイ(バス)
ツァングルスト少年合唱団
アムステルダム・トーンクンスト合唱団
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ウィレム・メンゲルベルク(指)

_________


宇野功芳
「こんばんは!とうとう最終回になりましたけど。今日はどんなお話しましょうかね?」

横原さん
「そうですね…。前回言いました、合唱での体験でバッハのマタイ受難曲がすごく印象深いという風に話しましたけれど。」

宇野功芳
「マタイは感動的だなぁ。」

横原さん
「長い音楽の歴史の中でも究極の作品という…。」

宇野功芳
「まったくその通りだなぁ。僕はバッハ嫌いなんだけどね。
バッハとかねブラームスとかね、Bのつくのは嫌いなの。
Bのつくので良いのはバッファローズとかね、ブルックナーとかね(笑)。
ハハハ!重くって暗いのは苦手なんですが、でもマタイはそんなもの飛び越えちゃってるよね!」


宇野功芳

「一生に一度は聴いて欲しいマタイ受難曲です。

しかし長い!!3時間はたっぷりかかる。実演だとカットすべきだと思います。

 マタイ受難曲の中で、素晴らしいのはメンゲルベルクの1939年のライブ録音です。

メンゲルベルクはとてもロマンティストなので、バッハのスタイルを逸脱してロマン派の曲のようになっている。だから誉める人はスゴく誉めるし、貶す人はメチャクチャ貶します。僕はスゴく誉めます!

 対抗はヘレヴェッヘ。とてもあっさりしている。

メンゲルベルクはまさに受難です。物語性がスゴい!」

バッハ マタイ受難曲第2部第62曲コラール「いつか私が世を去るとき」

ヘレヴェッヘ(指揮) コレギウム・ヴォカーレ
メンゲルベルク(指揮) コンセルトヘボウ管弦楽団


宇野功芳

「マタイ受難曲の中にはコラールが沢山あって、その中で有名なのが最後のコラールです。キリストが十字架に架けられて死んで、その時民衆が

「自分が死ぬときに、そばに居てください。」と歌う。

 その時のメンゲルベルクの演奏が本当に弱いんです。遅いテンポで祈るように・・・。バッハのスタイルを超えていますね。

 片やヘレヴェッヘは普通の演奏です。今、21世紀のクラシックファンは様々な音楽を知っている。バッハ時代が『こうだった』からと当時の演奏をされても感動しない。」
http://blog.fmosaka.net/kurakore/blog/night/


先日渋谷のHMVをうろうろしていたら、通常は5,000円〜6,000円のメンゲルベルクの「マタイ」3枚組(1939年4月ライヴ)が1,050円(税込み)で出ていたので思わず目を疑ってしまった。しかも、余白にはチャイコフスキーの「悲愴」まで入っている。ついに購入!

これは昔からフィリップスから出ているものとは異なり、オーパス蔵のLP復刻盤である。本CDには宇野功芳の解説が付いていた。

−−我々の宝、メンゲルベルクの「マタイ」がいよいよオーパス蔵のCDで聴けることになった。オーパス蔵の復刻盤は、とくに声楽パートの音の抜けが良くなった。久しぶりに「マタイ」全曲にじっくりと耳を傾けることが出来た至福のひとときに感謝したい。(宇野功芳)

このメンゲルベルクの「マタイ」第1曲の合唱「来なさい、娘たち、ともに嘆きましょう」には筆舌に尽くしがたい感動を覚える。今では聴くことができない、大変なアゴーギク、テンポ・ルバートが時代を超えて迫ってくる。ここにはアナクロニズムでは済まない、 真の感動がある。
http://blog.goo.ne.jp/katsura1125/e/be02ece9ea269402e8884b7fe0edb65a


宇野功芳 V S礒山雅?

 たまたまバッハ学者、礒山雅氏の『マタイ受難曲』(東京書籍)を読んでいたのである。あの傑作に含まれる1曲1曲についてあれこれ解説を加えた本だ。とはいえ、一般読者を想定して、語り口は平易。『マタイ』好きなら、持っていてよい1冊だ。特にバッハがキリスト教をどう自分のものにしていたかということが詳しく触れられているのが私には興味深い。

 この本の最後のほうでは、約40種類の録音について著者の意見が記されている。これがなかなかおもしろい。

高く評価されているのは、たとえばレオンハルトやショルティ。この組み合わせには、えっと思う人もいるかもしれない。その反面、かねてより名演奏と誉れ高かったクレンペラー、カラヤン、そしてメンゲルベルクには冷たい。そして、古楽系でもコープマンには否定的。

氏の判断基準ははっきりしている。彼らが個性的な指揮者だとは認めたうえで、作品そのものの表現や力や性格を無視しているのがダメだと言うのだ。
クレンペラーについては、かつて若き日に愛聴したものと記したうえで、問題点が指摘されている。

メンゲルベルクに対してはことのほか厳しい。

「この演奏に感動して涙する若い聴き手がいると聞くのだが、そういう人はどうやって耳の抵抗を克服しているのか、知りたいものである」

「聴いていて途方に暮れる」

「うんざりする」

のだそう。もっとも、その理由はきちんと記されているし、もし自分が聴衆のひとりだったら、圧倒されるだろうとも記されているが、何だか大人の配慮というか、言い訳っぽい。

 ちょうどこの本を読んでいたら、そのメンゲルベルクの新たな復刻(オーパス蔵)が送られてきた。開いてみると、解説書の中で宇野功芳氏が大絶賛している。

「われらの宝」

「バッハ時代のスタイルを金科玉条のものとし、この演奏に感動できない人の、なんと哀れなことか」。

礒山氏の意見とはあまりにも見事に正反対なので、笑ってしまった。
はいはい、礒山氏は哀れなわけね。

 この場合、どちらの意見もそれなりに正しいというしかないだろう。メンゲルベルクならではの演奏様式が平気な人にとっては、一回限りの燃えるライヴの魅力が味わえようし(特に合唱の没入ぶりはすさまじい)、生理的に我慢できないという人には、論外な演奏だろう。ただし聴いているうちに慣れてきて、抵抗感が薄まる可能性は高い。音質のほうも聴いているうちに徐々に慣れてくる。手元にあるフィリップスのCDと比べたら、ノイズをカットしていない分、音質は明瞭。この演奏が好きなら、買い換えてもいいだろう。

 とはいえ、初めてこの曲を聴くなら、まずはもっと新しい音で聴いたほうがいい。古楽ならレオンハルトの演奏がよいけれど、オランダ系古楽の常でドラマ性が薄く、残忍、残酷、血の匂い、要するに生々しさが足りない。古楽系は、最後まで聴いてもカタルシスがなく、。あの終曲があまりにもあっさりしてしまうのだ。
私が一番好きなのは、リヒターの最後の録音である。昔から褒められている最初の演奏より、いっそうドラマティックで濃厚である。

 バッハと言えば、今年のラ・フォル・ジュルネはバッハ関係である。例によって小さなホールの公演はあっという間に完売になるのが困ったものだ。それに、せっかくコルボが「マタイ」をやるのに、とてもクラシック向けとは言えない巨大ホールが会場というのも困る。コルボ自身はPAを気にしないというが、聴くほうはそうではない。せっかくの催しだけれど、毎年あのホールだけは何とかならないかと思う。幸いコルボは、「ロ短調ミサ」のほうはまだしもまともなほうのホールで演奏してくれる。

ちなみに、礒山氏はコルボの「マタイ受難曲」は「厚化粧の美女」みたいと言っている。いいじゃん、厚化粧の美女。嫌いですか。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 
http://www.hmv.co.jp/news/article/902250082/


音楽を語るのに、音楽以外のあれこれを持ち出して論議するのを嫌う人がいます。それでも、時にはそういう「あれこれ」にふれずにはおれない演奏というものがあります。 このメンゲルベルグ指揮のあまりにも有名な「マタイ受難曲」も、その、「ふれずにはおれない演奏」の一つです。

 今の趨勢から見れば「論外」と切って捨てる人もいます。

 まずもって、大編成のオーケストラと合唱団を使った演奏スタイルが許せないと言う人もいるでしょう。至るところに見られるカットも我慢できないと言う人もいるでしょう。解釈に関わる問題でも勘違いと間違いだらけだと憤慨する人もいるかもしれません。(例えば、フェルマータの処理をそのままフェルマータとして処理している、等々。今ではバッハのフェルマータは息継ぎの指示程度にしか受け止められていません。)

 しかし、どのような批判をあびたとしても、やはりこの演奏は素晴らしく、20世紀の演奏史における一つの金字塔であることは確かです。

 この演奏の数ヶ月後、ナチスドイツはポーランド国境になだれ込んで第2時世界大戦が始まりました。一年後には、中立国だから戦争とは無縁だとの幻想にしがみついていたオランダ自身もまた、ナチスに蹂躙される運命をむかえます。

 メンゲルベルグによるこの演奏会は、その様な戦争前夜の緊張感と焦燥感のもとで行われたものでした。

 特にオランダのおかれた立場は微妙なものでした。

 侵略の意図を隠そうともしないナチスドイツの振る舞いを前にして、自らの悲劇的な行き末に大きな不安を感じつつも、日々の生活では中立的な立場ゆえに戦争とは無縁だという幻想にしがみついて暮らしていたのです。

 悲劇というものは、それがおこってしまえば、道は二つしかありません。

 踏みつぶされるか、抵抗するかであり、選択肢が明確になるがゆえにとらえどころのない焦燥感にさいなまれると言うことは少なくなります。しんどいのは、悲劇の手前です。

 人間というものは、その悲劇的な未来が避け得ないものだと腹をくくりながらも、あれこれの要因をあげつらってはあるはずのない奇跡に望みを託します。この、「もしかしたら、悲劇を回避できるかもしれない」という思いが抑えようのない焦燥感を生み出し、人の心を病み疲れさせます。

 この演奏会に足を運んだ人たちは、その様な「病みつかれた」人たちでした。そして、疑いもなく、自らを受難に向かうキリストに、もしくはそのキリストを裏切ったペテロになぞらえていたことでしょう。

 冒頭の暗さと重さは尋常ではありません。そして、最後のフーガの合唱へとなだれ込んでいく部分の激烈な表現は一度聴けば絶対に忘れることのできないものです。

 そして、マタイ受難曲、第47曲「憐れみたまえ、わが神よ」
 独奏ヴァイオリンのメロディにのってアルトが

「憐れみたまえわが神よ、したたりおつるわが涙のゆえに!」

と歌い出すと、会場のあちこちからすすり泣く声が聞こえてきます。
 ポルタメントを多用してこの悲劇を濃厚に歌いあげるヴァイオリンの素晴らしさは、今の時代には決して聴くことので着ないものです。

 まさに、この演奏は第2時世界大戦前という時代の証言者です。

 ちなみに、この4年後、1943年にローゼンストックによる指揮でマタイ受難曲が東京で演奏されています。記録によると、その時も会場のあちこちからすすり泣きの声が聞こえたと言われています。

 逆から見れば、バッハのマタイは時代を証言するだけの力を持っていると言うことです。

ノンフィクション作家として有名な柳田邦夫氏は、この演奏に関わって傾聴に値するいくつかのエッセイを書かれています。

 ピリオド演奏を標榜する一部の人たちは、このメンゲルベルグの演奏を酷評し、それだけでは飽きたらず、この演奏を聞いて感動する多くの人々を冷笑しています。(例えば、国立音楽大学のバッハ研究者〜と自分で思っている人;ちなみに柳田氏はこの人物を磯山雅と実名をあげていますが・・・))

 柳田氏の一文は、このようなイデオロギーによって押し進められているピリオド演奏という潮流が、いかに音楽の本質から外れたものかを鋭くついています。
http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=19


「1,600万円のオーディオ装置」 2008.3.28

先日のブログにも書いたことだが、とある友人の紹介でオーディオ輸入業を仕事とされている方のご自宅を訪問させていただき、ご自慢の装置でいくつか音盤を聴かせていただいた。

何とスピーカーや高性能アンプ、CDプレーヤーなどで正味1,600万円ほどだという。地下1階の防音の効いた30畳ほどのリスニング・ルームにどっしりと鎮座している様は誠に神々しい。

あらゆるジャンルの音楽(J-Popから民族音楽風のもの、Jazz Vocal、クラシック音楽など)を耳にしたが、どうやらこのマシーンはオーケストラを聴くために調整してあるらしく、やはりクラシックのしかも管弦楽曲が抜群の音色で鳴っていた。レヴァイン指揮するサン=サーンスの「オルガン」交響曲第 2楽章冒頭やアバド&ルツェルン祝祭のマーラー「復活」冒頭、ドビュッシーの「海」第3楽章終結などなど、まるで目の前で実際に演奏されているかのごとくめくるめく錯覚をおこすほどの見事さであった。その彼曰く、

「世間の人は生演奏で聴くのが一番いいというじゃないですか。

確かに「実演」がベストです。でも、実演が必ずしも良い演奏とは限りません。先日などは3万円も払ってベルリン・フィルを聴きに行ったところ金管の何某がとちったものだからアンサンブルがガタガタになり、最低だったんですよ。
だから、名演を聴くならしっかり調整された最高のオーディオ装置で聴く方が良い場合が多いんです」と。

なるほど、確かにそう言われればそうかもしれない。ついでに彼が言っていたのは

「それまで名演だと思っていた演奏がこの装置で聴くと、特にオーケストラの良し悪しが手にとるようにわかるようになり、がっかりさせられることも多々ある」

ということ。ゲルギエフの「ハルサイ」などはその典型らしい。
へぇ、そうなんだと感心しながらもちょっと腑に落ちないなと感じる。

僕はSP復刻盤といわれる戦前録音された録音レンジの狭いCDを時折聴く。音質が悪いとはいえ感動させられてしまうのだから音の良し悪しを超越するエネルギーがあるのだろう。メンゲルベルクのチャイコフスキー「悲愴」やフルトヴェングラーのベートーヴェンなどはその際たるもので、今の時代に聴いてもその音楽の素晴らしさは最新録音盤を超える何かが確かにある。

「音」を聴きたいのではなく「音楽」を楽しみたいのである。音がいかに完璧に再生されるかに興味があるのではなく、心が震える感動体験がしたいのである。
確かにCD ラジカセじゃ限界があろう。でも、僕は今もっているオーディオ装置で充分だなと正直思ってしまった。そこそこ優秀な装置があれば音楽は「愉悦」を運んでくれる。そして何といっても、多少の瑕があろうと実演・生演奏のもつ波動が一番だ。

こう書くうちに以前柳田邦男氏が、「人生の1枚のレコード」と題するエッセーでメンゲルベルクの指揮するバッハの「マタイ受難曲」に言及し、その感動的な演奏に対する深い想いを書いておられることを思い出した。その中で「追記」された文章があり、それがとても印象的で、僕の今回の体験と何となく同じようなニュアンスを感じたので、その部分を抜粋させていただく。
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メンゲルベルク指揮のマタイ受難曲は、心を病んでいた私の次男・洋二郎も何度となく聴いていたレコードだった。1993年夏、自ら命を絶った洋二郎の遺体を病院から引き取って家に帰った時、偶然にもマタイ受難曲のアリア「主よ憐れみたまえ」がテレビから流れた。

「憐れみたまえ、わが神よ」をテーマ曲にしたアンドレイ・タルコフスキーの映画『サクリファイス』が、まさに終わろうとしていたのだった。私は、立ちすくんだ。それ以後、マタイ受難曲は、私にとって人生全体をゆさぶられるような重い曲となっている。

なお、音楽美学やドイツ音楽史の専門家で国立音楽大学教授の礒山雅氏は、詳細な作品研究の著書『マタイ受難曲』(東京書籍)のなかで、メンゲルベルク指揮のこの演奏を、バッハの基本からはずれていて、とくにテンポの伸び縮みがあまりにも恣意的だと、きびしく批判し、

「聴いていて途方に暮れ」
「うんざりする」

とまで書いている。批判は演奏に対してだけでなく、聴き手に対しても向けられ、
「この演奏に感動して涙する若い聴き手がいると聞くのだが、そういう人はどうやって耳の抵抗を克服しているのか、知りたいものである」

と冷笑している。どうやら楽譜を読みこなす力のない私や息子は、マタイ受難曲を聴くには失格らしいのだが、音楽とは人生の状況のなかでの魂の響き合いではないかと考えている私は、「それでもメンゲルベルク指揮のあの演奏は私の魂をゆさぶる」という感覚をいまも抱いている。

「かけがえのない日々」(柳田邦男著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/410124913X/250-8550177-4320268?ie=UTF8&tag=asyuracom-22&linkCode=xm2&camp=247&creativeASIN=410124913X
より
http://classic.opus-3.net/column/16002008328/


『私達が一日一日を平穏に暮らしていられるのは、この広い空の下のどこかで名も知れぬ人間が密かに自己犠牲を捧げているからだ。』     
タルコフスキー

タルコフスキー サクリファイス(1986年)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2026762
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2025583
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2025880
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2026086
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2026399
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2027422
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2029092
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2031292

柳田邦男 『犠牲サクリファイス わが息子・脳死の十一日』
http://www.amazon.co.jp/%E7%8A%A0%E7%89%B2-%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%B9-%E2%80%95%E3%82%8F%E3%81%8C%E6%81%AF%E5%AD%90%E3%83%BB%E8%84%B3%E6%AD%BB%E3%81%AE11%E6%97%A5-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9F%B3%E7%94%B0/dp/4167240157

 を読んだのは、もうずいぶん昔の話になりますが、自ら死を選んだ洋二郎さんの、その自死の試みから死に至るまでを看取った記録の中で、私が忘れられない文章があります。

生前、洋二郎さんは、「僕の村は戦場だった」で知られる、旧ソ連の映画監督タルコフスキーの作品「サクリファイス」に深く傾倒していらしたそうです。

深い精神性を探求し、後期から晩年にかけて、人類の救済をテーマとした作品を作り続けたタルコフスキーの遺作であるこの作品の冒頭と最後に流れるのが、バッハのマタイ受難曲の『憐れんでください、私の神よ』という美しいアルトのアリアです。
キリストに最も近かった弟子のひとりであり、キリストから愛された弟子であったペテロは、自らの死の恐怖ゆえに、捕らえられ、これから死に渡されるという主イエスを拒みました。

有名な「ペテロの否認」の場面です。

ペテロが裏切りを悔いて号泣したあとに響く美しいアリア『憐れんでください、私の神よ』はこのように歌われます。

     憐れんでください、私の神よ、
    私の涙ゆえに。
    ご覧下さい、心も目も
    御前に激しく泣いているのを。
    憐れんでください、
    憐れんでください! 
    
洋二郎さんの遺体が自宅に迎えられた、まさにその時、一体なんという偶然だったのか、たまたまNHKで放送されていたのがタルコフスキーの「サクリファイス」でした。

そしてテレビから流れていた曲がこのアリアだったというのです。
私は立ちすくんだ。洋二郎は神に祈ったことはなかった。かたくななまでに祈らなかった。

私も目に見えない大きなもの、全てを超越したものとしての神の存在への畏怖の念を抱きつつも、全身全霊を投げ出して祈るという行為をしたことがなかった。
だが、このとき私は神が洋二郎に憐れみかけ給うてほしいと心底から祈る気持ちになった。

どういう神なのかと考えることもせずに。
アリアの旋律はいつまでもいつまでも私の胸に響き続けた。
                    
柳田邦男 『犠牲サクリファイス わが息子・脳死の十一日』


ここに見る柳田氏の祈りには、だれの神でもない、全てを超越した、ただ大いなる存在への究極の祈りがあります。

バッハの音楽という深遠な祈りから流れ出した、存在としての神への想いだと思います。。
http://follia.at.webry.info/200704/article_4.html


【至宝】マタイ受難曲【孤高】

30 :名無しの笛の踊り:2009/12/26(土) 01:12:55 ID:HTT21VMr
メンゲルベルグに勝るのはないけどあれは別格だから比較してやるのは酷だよな

31 :名無しの笛の踊り:2009/12/26(土) 09:32:44 ID:NsakSB43
コーホーキター

32 :名無しの笛の踊り:2009/12/26(土) 11:38:51 ID:SpwrheL0
>>31
それは言わない約束...

33 :名無しの笛の踊り:2009/12/26(土) 12:07:57 ID:R0pHYM6a
いまだにメンゲルベルク聞いてる化石みたいな人がいるのか…

104 :名無しの笛の踊り:2010/02/26(金) 23:10:10 ID:ZQbqNsb1
メンゲルブルクのマタイがいいと思うんだけど、もう古すぎで人気はあまりないのかな?

105 :名無しの笛の踊り:2010/02/26(金) 23:25:27 ID:NMcArXh1
歴史上メンゲルブルクのマタイが人気あった時代なんてあるのか

106 :名無しの笛の踊り:2010/02/26(金) 23:27:21 ID:2ODLQTtp
>>104
人気というと微妙だけど、何度も再販されてる(Naxosなんかからも出てる)し、需要は意外とあるんじゃないの?
ランドフスカやヴァルヒャのモダンチェンバロ演奏みたいなもんだろう。

157 :名無しの笛の踊り:2010/03/27(土) 12:10:03 ID:PBoDjzzB
メンゲルベルクの演奏は、カッコいい第51曲が無いんだね。残念。
意外と音質が良いのは光学録音の所為かな?

255 :名無しの笛の踊り:2010/07/04(日) 07:16:46 ID:WxgCQUsO
メンゲルベルク指揮のライブ盤には、すすり泣く聴衆が聞こえる。
でも泣く、泣かないはさして問題にする事ではないと思う。
むしろクリスチャンなら、マタイを聴いて深く内省し己れの罪深さを悔い改め、新たな歩みをはじめるということでは。
その表れとして泣く人もいるだろうし、そうでない人もいて構わないと思うが。

256 :モーフィアス:2010/07/04(日) 13:48:50 ID:QGmDeOF9
メンゲルベルクのマタイ受難曲、ドイツの侵略前の異常な雰囲気の中で行われた歴史的名演でしょうね〜
翌年オランダは侵略されメンゲルベルクはナチに協力させられる!
ユダヤ人は収容所に送られ、人々は正に受難の時代を迎える訳です〜
咽び泣くようなバイオリンを聴いたら二度と忘れられない筈だ〜
メンゲルベルクでの一番のお勧めは〜チャイコフスキーの「悲愴」なんだが〜
マーラーの交響曲4番もメンゲルベルク的 天上の世界を堪能できる演奏で〜大い〜好き〜!

257 :名無しの笛の踊り:2010/07/04(日) 17:40:42 ID:WxgCQUsO
現在では、メンゲルベルクのようなロマンチックな情感あふれる演奏スタイルは受け入れられないと思う。しかし、当然のことながら演奏スタイルは時代と共に変化するものだ。
だから今のピリオド・スタイルもやがては古くさいと言われるようになるだろう。
それよりも現在は、小手先の技術にはたけているが、真に心打たれ、心の心底に響く演奏者がいない方が嘆かわしい。

258 :名無しの笛の踊り:2010/07/04(日) 17:44:31 ID:TREkPtmj
>>257
>>それよりも現在は、小手先の技術にはたけているが、真に心打たれ、心の心底に響く演奏者がいない方が嘆かわしい。
現在の演奏家をいったいどれだけ聴いてその台詞言ってるんだ?

261 :名無しの笛の踊り:2010/07/04(日) 19:39:24 ID:WxgCQUsO
>>258
ナマ、CD、DVDを含め数え切れないほど聞いてだ。

529 :名無しの笛の踊り:2011/04/10(日) 08:52:11.20 ID:H+IudkUT
イエス入滅の後、神殿の幕が裂け、地が唸る・・・
このあたりの凄みは
フルトヴェングラー/VPO
カラヤン/BPO
メンゲルベルク/ACO ですね。
古楽器では太刀打ち出来ません。

577 :名無しの笛の踊り:2011/05/20(金) 22:25:15.36 ID:+wRTeaKf
「どんな演奏を好きなろうと自由だが、こんな演奏(メンゲルベルクのマタイ)に『感動した』などど言う人の感性を疑う」
と磯山センセ―は酷評してるけど
すげー好きなんだよなメンゲルベルクのマタイ。

581 :名無しの笛の踊り:2011/05/21(土) 21:13:01.54 ID:MyqNfgHp
メンゲルベルク盤しか持ってないけど、音質良いな。
これだけでも聴き応えあるな

820 :名無しの笛の踊り:2012/03/30(金) 06:50:55.55 ID:cKfTewFX
メンゲルベルクのマタイは一度は聴いておくほうがいいですか。
聴衆のすすり泣く声が聞こえるという有名な売り文句の録音です。
磯山雅氏は「すすり泣くどころか、笑える」とこき下ろしていますが。

831 :名無しの笛の踊り:2012/04/01(日) 21:41:17.01 ID:0naC49N4

| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| ここですすり泣いてて |
|_________|
    ∧∧ ||
    ( ゚д゚)||
    / づΦ

821 :名無しの笛の踊り:2012/03/30(金) 07:16:49.19 ID:NUZdPbgd
話の種に聴いておいても損はないよ。
磯山雅は音楽学者であって評論家じゃないから、一個人の意見として聞いておけばいいよ。
そしてどちらを笑うのかは、あなたが判断して下さい。

822 :名無しの笛の踊り:2012/03/30(金) 10:21:38.66 ID:bOAx3/Ux
一言多すぎるんだよなI教授は

823 :名無しの笛の踊り:2012/03/30(金) 15:28:41.48 ID:gu7NGkmZ
メンゲルベルクのは1曲目を数分聞けばこの後延々何が続くかは容易に想像できる

824 :名無しの笛の踊り:2012/03/30(金) 19:17:02.91 ID:ateoKotK
音楽学者だからって時代考証の専門家だからバカにできない
歴史ドラマとクラシック音楽って遠いようで近い

825 :名無しの笛の踊り:2012/03/30(金) 20:15:20.97 ID:aLr5i5L3
文学芸術系の学者・インテリってのは、
自分なりの人類史を持っていることが前提だからな

828 :名無しの笛の踊り:2012/04/01(日) 21:13:56.07 ID:4Xcb05hA
まあでも、マタイの演奏史を語る上で、ポルタメントを多用したメンゲルベルクの濃厚なロマンチック演奏は避けて通れないと思う

829 :名無しの笛の踊り:2012/04/01(日) 21:19:50.43 ID:Cqzr8xqE
あくまでも演奏史上の価値な
もっともリヒターの様式で受難曲を演奏する奇特な人も日本にいるようだよ
メンゲルベルクもそこまで復権するかな?
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1261008362/


メンゲルベルクの…
投稿者:Frau 投稿日:2007年 4月26日(木)23時58分47秒
 
メンゲルベルクの「マタイ」のエヴァンゲリストはカール・エルプでしたっけ!?
実は私が初めて聴いた「マタイ」はメンゲルベルクのものでした。とにかくメンゲルベルクなら何でも買う(聴く)といった頃でして、宇野功芳氏が絶賛してるのを未だ知らない状態で聴きました。フィリップスの国内盤で宇野氏が絶賛してるのを読み、また実際に自分でも素晴らしい演奏と感動致しました。
「マタイ」はメンゲルベルクで充分との思いもあり、一般に名演とされるリヒターの旧盤なぞ購入したのはその後随分と年月が経ってからでした。
今でもメンゲルベルクの「マタイ」は好きなのですが、随分と後になって遅ればせながら聴いたリヒターの「マタイ」のヘフリガーの素晴らしさはカール・エルプに匹敵するとの思い、そしてこれが決定的なのですが、第二部のイエスが息を引き取った後にでてくる
Warlich,dieser ist Gottes Sohn gewessen
「まさにこの方は神の子であった…」
という部分の合唱の表現がメンゲルベルクよりもリヒターのものの方が好みで、それ以来メンゲルベルクには申し訳無いのですが、リヒターの旧盤が私にとってのベスト「マタイ」になってしまいました。
ついでに言えば、「マタイ」には幾つも聴き所があると思いますが、私がもっとも好きな場面(箇所)は前述の合唱の部分なのです。
正直に申せば初めてメンゲルベルクの「マタイ」を聴いたときに最初から感動した訳ではなく(やはり、カットしてるとはいえ長いですし)、有名なアルトやソプラノのアリアや度々挿入されるコラールの旋律以外は少々退屈な思いで聴いていた様な記憶があります。
ところが、前述の合唱のところで「この世にこんなにも綺麗な音楽(旋律)があるのか!!」との強い衝撃を受けました。本当に短い部分ですが、この合唱の演奏表現が今のところリヒター旧盤(と日本ライブ盤)が私の一番のお気に入りとなっております。
メンゲルベルクは今でも好きですが、「マタイ」の牙城が崩れた今では、メンゲルベルクの演奏で最も好きなのは第九(勿論、ベートーヴェンの)でしょうか…。此方は「第九はフルトヴェングラーとメンゲルベルク以外は不要」というくらい好きです。
http://6502.teacup.com/mengelberg/bbs/290


 蘇る伝説の巨匠 ウィレム・メンゲルベルク 
「彼のヴァイタリティ、オーケストラ養成についての知識、霊感あふれる情熱、それらは独自の高みに達していた。音楽の分野において、これほどの巨人は稀である」( レオポルド・ストコフスキー )
 マグマの底から全人類の祈りが、絶望的な悲しみを超えて沸き上がって来るかのような、壮絶を極める曲冒頭の合唱の渦・・・・そして第四十七曲。エヴァンゲリストの悲痛な訴えに続き、静やかに奏されるヴァイオリン・ソロの、何と優しく、また哀しいことだろう。よく耳を澄ますと、聴衆の嗚咽すら聞こえて来る。音楽というのはこれ程までに、人の心に訴えかける力を持っていたのか!
伝説の指揮者・メンゲルベルクによる、一九三九年四月の棕櫚 (しゅろ ) の日曜日におこなわれた演奏会の実況録音のバッハ「マタイ受難曲」。私はこのレコードを学生時代に初めて耳にした時、ひざがガクガクと震え、わけもなく涙が溢れてきて仕方がなかった。そして、このバッハの音楽、それにこの指揮者の演奏が、これからの自分自身の人生に、決して欠かせないものになるだろうという、確信のようなものを抱いたのである。
 早いものだ。あれからもう三十年になる。案の定、バッハの音楽は私の心の糧として今も大活躍してくれているし、一方、指揮者メンゲルベルクに対する愛着の念も、日増しに強まるばかりだ。
 ヴィレム・メンゲルベルクは、一八七一年に生まれ、一九五一年に没したオランダの名指揮者である。彼は一八九五年、わずか二十四歳の若さで名門アムステルダム・コンツェルトゲボウ管弦楽団 (現・ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 )の第二代常任指揮者となり、一九四五年第二次世界大戦の終結と共に、ナチス・ドイツに協力したかどで、その地位を追われるまで、実に五十年の長きにわたって、このオーケストラを世界一流のアンサンブルに鍛え上げた。
 彼と同世代の指揮者フルトヴェングラー、トスカニーニらが戦後も活躍し、急速に発達した録音技術によって、現在でもかなり明晰な音質でその芸術が堪能出来、現在でも多くのファンを持っているのに対し、メンゲルベルクは先に述べたたように、その活動時期が第二次世界大戦集結までのSPの全盛期に限られているため、残された録音の音質面でのハンディは覆うべくもない。
 メンゲルベルクの名は戦後の一時期、我が国はおろか本国オランダでさえも、急速に忘れ去られていった。フルトヴェングラー、トスカニーニ亡きあとも、ワルター、クレンペラーら後期ロマン派スタイルの指揮者がステレオ期まで生き延びて活躍し、その後はカラヤン、バーンスタインといった時代の寵児ともいうべきスターたちの活躍が、クラッシック界の話題の中心となった。一方メンゲルベルクの録音はまったくの過去のものとして、まるで「なつかしのメロディ」のごとくに、時折思い出したように断片的に発売されるのみだったのである。
 ところが一九八〇年代以降、レコードがCDに取って変わってから、状況は一変する。スターの時代は終わり、指揮者の名前だけではCDが売れない時代になったのだ。世界的にオーケストラの演奏技術や指揮者の棒振りのテクニックは高まった反面、強烈な個性を発散する指揮者は影をひそめ、またオーケストラのカラーもは世界的に均一化の傾向を見せるに至り、それに飽き足らない現代の多くのファンたちは、いきおい過去の巨匠たちの録音を求めるようになって来た。
 また、レコード時代とは比べ物にならない位の低コストで制作できるCDというメディアが普及したことにより、従来はメジャーのレコード会社主流で、スタンダードなレパートリーしか流通し得なかったレコード市場に、個性的な企画を売り物とするマイナー・レーベルが数多く参入するようになった。そして最新のデジタル・リマスタリング技術により、古い録音でもノイズを軽減するなどして、比較的良好な音質で過去の巨匠たちの演奏を楽しめるようになって来たのである。
 このような状況の変化により、メンゲルベルクの録音も見違えるような良い音質で続々と復刻され、これまでの単なる「なつメロ」としてではなく、現代人にとってまったく新鮮なスタイルの演奏として、抵抗なく受け入れられつつある。
 一時期、時代に迎合することが得意な一部評論家たちから、メンゲルベルクの演奏が「十九世紀の遺物」「時代遅れのロマンティシズム」と決め付けられていたのが、いかに誤りであったかということが、多くのファンに認識される日も近いのではないだろうか。なぜならばたとえ時代は変遷しても、人間の「感動する心」は、いつまでも不変なのだから。
 では次に、メンゲルベルクの芸術に具体的に触れてみることとしよう。

        2

 メンゲルベルクの使用したフル・スコアの写真を見ると、実に様々な書き込みがなされているのに、まず驚かされる。彼は演奏に先だって事前に徹底的にスコアを研究し、テンポ、強弱・バランス、アーティキレーション等すべてにわたって、念入りにスコアに書き込んだ。また必要と思われる場合は、オーケストレーションの改変も積極的に行なっている。そしてそれをオーケストラの各パートに伝達し、厳しいパート練習をへて、初めてオーケストラ全体の練習を行なった。オーケストラ練習の際でも、メンゲルベルクはその曲の解釈について、楽員たちに長々と講釈をするのが常だったという。
また、練習前のチューニング ( 音合わせ )も非常に厳しく、チューニングだけでリハーサルが終了してしまったというのも、有名なエピソードである。
 メンゲルベルクのこうした演奏に対する姿勢から伺われるのは、その徹底した職人気質である。例えばフルトヴェングラーは、聴衆を前にした演奏会における「即興性」を重視した指揮者だった。そのため、指揮者・オーケストラ・聴衆の三者が一体化した時には、素晴しい名演となるが、反面出来不出来も多い。それに比してメンゲルベルクの場合はたとえ何百回演奏しても、その演奏レベルは常に全く同じであった。かといって「作り物」くささは微塵もなく、実際に聴いた人々の証言によると「たった今生まれて来たばかりのような、霊感に満ちた演奏だった」という。徹底的に事前の作業をやり尽くし、しかも本番の時に、そのことをすこしも聴衆に感じ取らせない。職人冥利につきるというのは、こうした演奏のことを言うのだろう。
 こうした彼の演奏の特質は、名盤の誉れ高いチャイコフスキーの「悲愴交響曲」( 一九三七年十二月二十一日録音/テレフンケン原盤 )を聴くと一目瞭然だ。自由自在なテンポの変化、まるで一人で奏いているかのようなヴァイオリンの甘美な音色、録音年月を思わず忘れてしまいそうになる絶妙なバランスなど、一流レストランのシェフの味にも通ずる、まさに職人芸の極致である。
 ところでメンゲルベルクの演奏を語る上で、よく取り上げられるのが弦楽器のポルタメント奏法 ( 音をずり上げ・下げする奏法 ) である。メンゲルベルクの演奏を「時代遅れ」呼ばわりする人々の多くが真っ先に問題にするのが、このポルタメント奏法であるが、実は今世紀半ば頃までは、この奏法は弦楽器奏者にとっては全く自然で、当り前のものだった。それが今世紀の中頃から、次第に新古典主義的・即物主義的音楽感が演奏スタイルの主流を占めるようになり、ポルタメント奏法は「時代おくれ」の烙印を押され、次第に姿を消して行くこととなる。
しかしながら、後期ロマン派の音楽を語る上で、このポルタメント奏法は決して無視することは出来ないのである。たとえば後期ロマン派の偉大なシンフォニスト、グスタフ・マーラー ( 1860〜1911 ) の交響曲のフル・スコアには、このポルタメント奏法をわざわざ指定してあるところが何箇所もある。
メンゲルベルクによるマーラーの交響曲の録音は、第四番のライブ録音 (1939年11月9日 ) と、第五番の有名なアダージェット (1926年5月 ) のみであるが、特に後者など、むせび泣くようなポルタメントが、この音楽の本質を語るうえに、いかに欠かせないものであるか、ということを実感させる貴重な証拠である。
マーラー自身も、彼の交響曲の演奏では今日一般に最も評価の高い直弟子のワルターよりも、メンゲルベルクの演奏の方をより高く評価していたと伝えられている。そのことは、マーラーがのちに「第五」「第八」の二曲をメンゲルベルクに献呈したことからも充分に伺い知ることが出来るし、メンゲルベルクもそれに対して、マーラーの交響曲・全曲演奏シリーズという史上初の取り組みで答えた。
 また、ノルウェーの生んだ大作曲家エドゥアルト・グリーク (1843〜1907 ) は、メンゲルベルクが指揮するコンツェルトゲボウ管弦楽団の演奏を聴き、感動のあまり椅子の上に立ち上がり、その指揮ぶりを絶賛して、「諸君、我々はこのような芸術家の存在を誇りに思うべきである」と演説したと伝えられている。
メンゲルベルクはグリークの作品では「ペール・ギュント」の第一組曲 ( 1943年4月15日 ) と、「二つの悲しき旋律」( 1931年6月3日 ) の二つの録音を残しているが、特に後者では、甘くやるせないポルタメントにより、過ぎ去った春の日々と自らの青春の日々とを重ね合わせて涙するグリークの心が、切々と聴き手に伝わってくる、まことに素晴しい演奏である。近年この曲は、特に第一曲目の「胸の傷み」など、やたら深刻ぶった「北風」のような演奏が蔓延しているが、グリークが真に望んでいたのは、メンゲルベルクのように心の底から優しく暖めてくれる「太陽」のような演奏だったのだ。
 今日、特にバロック音楽の世界ではオリジナル楽器で演奏される事が当り前のようになり、楽曲が作曲された当時の演奏スタイルについて、実に様々な研究がなされている。しかし反面、今まで取り上げてきたマーラーやグリークなど後期ロマン派時代の音楽については、それが今日でも広い人気を持ち数多く演奏されているにも拘わらず、ポルタメント奏法をはじめとする作曲当時の演奏スタイルが、現在まったくと言ってよいほど顧みられていないのは、私にはとても不思議な気がするし、また残念である。なぜならば、マーラーもグリークも彼等が生きていた頃のオーケストラの音〜 例えばメンゲルベルク指揮するコンツェルトゲボウ管弦楽団のような響き 〜を念頭において作曲していたはずなのだから。
 いまメンゲルベルクの録音が貴重なのは、これまで述べてきたように、「今日ナマの演奏会では絶対に聴くことのできない音と演奏スタイル」を持っているからに他ならない。現代のような音楽状況が、もしこれからも続くとすれば、メンゲルベルクの録音はますます存在価値を持って、その輝きを増すことだろう。
「人類の至宝」とも言うべきメンゲルベルクの貴重な録音の数々が、今後一枚でも多く復刻され、一人でも多くの方々に聴いていただけることを、私は心から願ってやまない。

ヴィレム・メンゲルベルク/略歴
〔1871・3・28〕
オランダ・ユトレヒト市に生まれる。
両親共ドイツ人で、先祖はドイツの名家の出。
〔1888〕
ユトレヒト昔楽学校に学び、のちにケル
ン音楽院に入学。同音楽院のピアノ料、指揮科、作曲科をそれぞれ首席で卒業・ケルンのギュルツェニッヒ管弦楽団を指揮して、指揮者としてデビュー。
〔1893〕
八十名の候補者の中から選出されて、ルツェルン市音楽監督に就任。
〔1895・10・24〕
アムステルダム・コンツェルトゲボウ管弦楽団の第二代常任指揮者に就任。グリーク、マーラー、R・シユトラウス、ハンス・リヒターに認められる。
〔1898〕
アムステルダム・トーンキュンスト合唱団指揮者に就任。コンツェルトゲボウを率いて、ロシア、ノルウェー、イタリアに演嚢旅行
〔1899〕
パルム日曜演奏会で、バッハの「マタイ受難曲」を演奏。その後毎年の恒例となる。
〔1903〕
初のオランダ音楽祭開催。
〔1904〕
マーラーをコンツェルトゲボウに招く。
その後マーラーは、メンゲルペルクに「第五」「第八」を献呈した。
〔1905〕
アメリカに渡り、ニューヨーク・フィルを指揮。
〔1922〜1930〕
新編成ニューヨーク・フィルの常任指揮者に就任。
〔1928〕
二ューヨーク・コロンビア大学名誉博士号を受ける。
〔1933)
ユトレヒト大学音楽教授に任命される。
〔1938・1・27〕
ロイヤル・フィル協会の招きにより、ロンドン・フィルを指揮。
〔1945〕
第二次大戦終了後、戦特中に政治的に無知だったメンゲルベルクが、両親や先祖と同国人のドイツ人に協力して、国内及びドイツで指揮を取ったかどで迫放され、スイスに亡命。
〔1951・3・21〕
追放解除の噂がチラホラ聞こえ出した頃、スイスの別荘で淋しくこの世を去る。
  
     ( 管 一著・「ウィレム・メンゲルベルク」ディスコグラフィー
      〔音楽の友社刊行「レコード芸術」誌〕による )
http://www.medias.ne.jp/~pas/mengelberg.html

2. 中川隆[-14008] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:49:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-677] 報告

クラシック音楽 一口感想メモ
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685- 1750)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F

バロック音楽の総決算を行った作曲家の一人。卓越した技法と深々とした味わい深い情緒とスケールの大きさと普遍性の高い音楽で、後世に絶大な影響を与えた。

一部の曲は誰も凌駕出来ない高みに達しているが、一方で仕事としてさらさらと書いたような作品も多い。また、音楽が四角くて一拍の中にタンタタというのを納めたものを並べている感がある部分が多いこと、時として辛気臭く神秘主義であるのは欠点だと思う。


宗教曲

•ミサ ロ短調BWV232 Messe h-Moll 1724-49 ◦6点


バッハの宗教音楽の総決算となり、マタイ受難曲ならぶバッハの最高傑作。最高の充実度の曲が27曲で組み上げられた大伽藍を形成していて、何度聴いても飽きない。円熟した技術の粋が込められている。最後は感動的。合唱が主体で聴きやすい。

•マニフィカト ニ長調BWV243 Magnificat D-Dur 1728-31◦4点

受難曲

•マタイ受難曲BWV244 1727-29◦6点


この曲こそクラシック史上最もドラマティックな最高の作品だろう。特に二部はバッハの中でも極めつけの名曲揃いで、しかも話が進むにつれ音楽が深くなるという奇跡的な作品。最終合唱は涙を流さずにはいられない。


•ヨハネ受難曲BWV245 (Johannes-Passion) 1724/25-29 1746/49年改作◦4.5点


マタイに比べれば極めつけの名曲という感はないが、これもバッハの最高級の宗教音楽の一つ。


オラトリオ

•クリスマス・オラトリオBWV248 (Weihnachts-Oratorium) 1734 ◦4点


長いし全部が名曲ではないが、クリスマスらしい明るく希望に満ちた音楽でよい。

•復活祭オラトリオBWV249(Oster-Oratorium) 1725/35◦3.5点


40分程度とコンパクト。冒頭がトランペットを活用して華やか。その後は叙情的なバッハの宗教曲の世界を手軽に楽しめる。


モテット


オルガン曲

•トリオ・ソナタ第1〜6番 変ホ長調BWV525 1730頃 6つのトリオ・ソナタ

•トッカータとフーガニ短調BWV565 1704頃 ◦4点


個人的には残念ながら偽作と思っている。あまりに後年のバッハと違うので。有名なイントロから始まるトッカータはいいのだが、フーガはいまいち。

•トッカータとフーガ ホ長調BWV566 1706頃
•フーガ ト短調BWV578 1703-07 BWV542と比較され、小フーガとも呼ばれる

•フーガ ロ短調BWV579 1708-17

•パッサカリアとフーガ ハ短調BWV582 1706-12 ◦4点


パッサカリアを重々しく使っていて、何かの儀式でも執り行われるのかというような荘厳さが徹底しているところが魅力的。


クラヴィーア曲

•2声のインヴェンションと3声のシンフォニアBWV772 - 801 1720-23◦3.5点


初心者が練習する教材として有名だが、観賞用としてもシンプルな中に歌心があるのでそれなりに楽しめる。バッハ得意の半音階で深い世界に旋回しながら降りていくへ短調のように高度な内容の曲もある。


イギリス組曲

•イギリス組曲1番BWV806 1717◦3.5点


長調の正統派。奥ゆかしく味わい深い叙情を湛えた曲。美しい曲や印象的な曲がいくつもある。

•イギリス組曲2番BWV807 1717◦3.5点


短調の組曲として、憂いの美が活かされている、なかなかの曲が集まっている。早い曲と遅い曲の組み合わせの効果も良い。1曲目から魅力的だし、遅い曲も暗すぎない。正統派の楽しみを感じる。舞曲としての躍動も良い。

•イギリス組曲3番BWV808 1717◦3.3点


平凡で一瞬はっとしてもすぐにまた平凡と感じるような曲が並んでいる。短調らしい素朴さのある美しい曲は多あ。時々その美しさに感動してテンションが上がる。メロディーには霊感をあまり感じないが。

•イギリス組曲4番BWV809 1717◦2.5点


いまいち面白くない曲ばかりで、あまり価値が高くない組曲だと思う。そそられるような魅力がない。バッハならば技術を用いてさらっと書けそうな曲ばかり。

•イギリス組曲5番BWV810 1717◦3.3点


うら悲しい短調の美しさと、テクニカルな力強さを両立した曲。なかなかのどっしりとした手応えがある曲。

•イギリス組曲6番BWV811 1717◦3.3点


長大な大作であり、瞑想や情熱を見せたり、様々な表情を見せる。5番同様に聴き応えがあるが、うら悲しい感じはあまりなく、雰囲気はかなり異なる。


フランス組曲

フランス組曲はBWV812 - 817 1715

•1番◦3.5点


バッハらしい短調に殺文句的なエモーショナルな情念を響かせる曲。バッハとしては典型的な場面も多いが、一方ではっとさせる場面もところどころにあり、概ね感情を揺らされるのを楽しみながら刺激的な音楽として聴ける。

•2番◦2.8点


1番と比較するとはっとするような感動と発見がかなり少ない。さらさらと音楽が時間とともに流れていく。バッハらしい必殺の響きがなくて、聴き終わったあとにあまり印象に残らない。

•3番◦3.0点


1番と3番の中間の出来だと思う。ところどころに聴きどころはある。工夫も見られる。突き抜けたインスピレーションはあまりないが、曲想に意図が込められていてそれなりに楽しめる。

•4番◦3.3点


前半は心の現れるような美しさで素晴らしい。しかし、後半はありきたりの音形をありきたりの変化をつけて繰り返すばかりで面白くない曲が続く。前半の感動が吹き飛んでしまう。

•5番◦4.0点


この曲は単品で昔から何度も聴いている。他の曲とフェアに比較できないのだが、やはりどの楽章もキラキラとした音の美しさと愛おしい詩情に溢れていて、かなりの名作である。個々の曲の描写が優れているとともに、曲の組み合わせが浮き沈みを演出していて、美しさが心に強く染み渡っていく。そして捨て曲がない。

•6番◦3.5点


5番と似た曲調だが、ブリリアントな要素がなくて、しなやかで叙情的。これもなかなか心の琴線に触れる美しさをもっている曲だと思う。バッハらしい懐の深さと奥ゆかしさの楽しみもある。


パルティータ

パルティータはBWV825 - 830 1726-31

•1番◦3.5点


落ち着いた奥ゆかしさと熟成感がたまらない。豊かさに身を委ねてゆったり聴ける楽しみ。熟練した技術に裏打ちされた安心して幸せな時間を過ごせる音楽である。

•2番◦3.8点


1番と感想はほぼ同じ。短調でも高い品格と音の研ぎ澄まされた感性に従って、安心して幸せな時間を過ごせる。短調の美しさがあって、ロマン派のような情緒も見え隠れするたて1番よりさらに素敵に思えた。

•3番◦3.3点


1番2番と同じように雰囲気は素晴らしいようでも、どこかにマンネリを感じてしまう。霊感のヒラメキが弱いように思う。中間部分に目新しい場面はあるものの、前半と終わりの方があまり面白く無い。

•4番◦3.3点


長い曲であり、広大なキャンバスにゆったりとした時間の流れの中で絵を描いていく趣である。スケール感は魅力だが、満足度はそれほど高くない。もどかしい感じを常に感じながら時間が流れていくようであり、一歩間違えれば長いだけの曲になりかねないほどだが、詩情と円熟と洗練された技法はやはりあるため楽しめる。

•5番◦3.3点


規模が小さくて明快という点でフランス組曲と似た外面を持つものの、やはり熟成感と当たりの柔らかさが違う。特に良いという感じの曲は少ないため心に深く刺さるほどではないが、音に揺られたり、時に舞踏的になる楽しさは充分にある。

•6番◦3.0点


演奏時間も長いし、最初の辺りではバッハの渾身の大作かと期待する。しかし、悲劇性の強調の仕方が似ている曲が多い。だんだん飽きてくる。そうなると曲が長いのが負の効果を表してくる。対位法的な曲の多さとその中の執拗な繰り返しが悲劇性の一つの表現になっているが、やりすぎである。特に最後の曲は聴いていてしんどい。


その他

•フランス風序曲 ロ短調BWV831 1734◦3.5点


元はハ短調で出版時に移調されたそうだが、バッハのロ短調らしい独特の線の細い悲哀を帯びた美しさをもつ。特に序曲のフランス風序曲らしい華がありそれが余韻を最後まで保つことがあるため、各種の組曲との比較して聞き映えがして、聴いていて楽しい。


•平均律クラヴィーア曲集第1巻BWV846 - 869 1722-23◦3.5点


フーガは宇宙の摂理のようにあまりにも客観的であり、高度な内容とはいえ楽しむための音楽という感じではない。前奏曲もフレーズを重ねたものでロマン派の小品のようには楽しめない。ピアニストの旧約聖書などとも言われているが、一般的な鑑賞者にとっての重要性はベートーヴェンのソナタとは比較にならないほど小さい。ピアノ演奏の学習者にとっての重要性は高いのかもしれないが。高度な作曲技術により生み出された高貴で崇高で広大な音楽世界の素晴らしさは、特筆に価する。しかし、神秘主義や辛気臭さが鼻につくところもある。

•平均律クラヴィーア曲集第2巻BWV870 - 893 1738-42◦3.8点


第1集と比較して、若々しいストレートな伸びやかさが生み出すギラギラした感じが抑えられており、複雑な奥ゆかしさが増すとともに、しなやかさになっている。個人的には、バッハの晩年らしい良さが表れていて、第1集よりも好みである。順番に曲を聞いていくと、森羅万象のような気宇広大な多彩さと深遠さがあり、卓越した作曲技術に基づくエネルギーと伴っているため、激しく精神を翻弄される。あまり類を見ない独特の愉しさがある局集である。とはいえ、基本的には第1集と同様に、宇宙の摂理を音化したような客観的な音楽である。聞くのにある種の覚悟が必要と感じるような敷居の高さが難点。

•半音階的幻想曲とフーガ ニ短調BWV903 1719◦4.0点


緊張感が高く激情的な表現、緻密な構成は、バロック期をはるかに越えている。スリリングなフーガはアクション映画を見ているかのようにテンポよく進む。ベートーベンが研究したそうだが、熱情ソナタによく反映されている。

•イタリア協奏曲 ヘ長調BWV971 1734◦4.5点


バッハファンからすると軽すぎるかもしれないが、ノリノリで楽しい音楽で、一人なのにリズムや音の重ね方の工夫で驚くほど分厚い協奏的な音楽が楽しめる。

•ゴルトベルク変奏曲BWV988 1742◦5.5点


非常に長大な変奏曲。変化に富んでおり、飽きずに一気に楽しんで聴ける。充実した上品で平穏な音楽がさらさらと流れていく。楽しく幸せになれる曲。しかし短調になったり、さまざまな気分に変化していくところは、物語的でもある。よく調べると1音ずつずれていくカノンなど驚きの仕掛けもある。主題が魅力的であることも大きい。すべての物語が終わって最後にまた再現される時には、なんともいえない万感の想いになる。


室内楽曲

無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ、パルティータ

•無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番 ト短調BWV1001 1720◦4.0点


荘厳な1楽章、無窮動の情熱的な4楽章、全部の楽章がいいが、傑作は2楽章のフーガだろう。主題の魅力と展開と対位法の充実感が半端ない。

•無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番 ロ短調BWV1002 1720◦3.5点


バッハ無伴奏ヴァイオリン曲では一番劣ると思う。特に前半は特徴が乏しく並の曲である。後半はやや印象的な曲が続く。

•無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番 イ短調BWV1003 1720◦4.0点


1番と比較して、1楽章は荘厳な1番が上、2楽章は同レベルの充実した素晴らしいフーガ、3楽章は2番のシチリアーノがかなり好きなので2番が上、4楽章は同レベルだが、単なる無穹動でない2番の方が楽しい。ということで、同じ位素晴らしい曲。

•無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調BWV1004 1720◦シャコンヌ 6点
◦その他は3.5点


シャコンヌはバッハのみならず独奏器楽曲の最高峰だろう。深々として厳しい精神性の高さ、欲しいところに音がある音感の良さ、主題の素晴らしさと変奏の絶妙さ、音の価値の高さ、中間の感動、後半の絶妙な終わりに向けた動き。その前の5曲はシャコンヌへの前奏曲という感じ。

•無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番 ハ長調BWV1005 1720◦3.8点


2楽章のソナタは主題こそ魅力が足りないものの、新しい主題を加えながら次々と変化していくので楽しく聴ける。しかし3楽章が面白くないし、1、4楽章もいい曲だが傑作とまではいかない。

•無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番 ホ長調BWV1006 1720◦5点


楽しく親しみやすい曲のオンパレードで名作集のような密度であり、満足感が半端ない。ものすごい名作だと思う。


無伴奏チェロ組曲

•無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調BWV1007 1717-23◦5.0点


オーソドックスで無理が無い音の運びがされており、豊かさと人肌のような温もりや包み込むような父性を感じる。そして根源的な舞曲としての楽しみも味わえる。素晴らしい名曲。

•無伴奏チェロ組曲第2番 ニ短調BWV1008 1717-23◦4点


瞑想的な一方で汗をかいているような情熱を、低音の渋さをうまく活用して味わうことが出来る。

•無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調BWV1009 1717-23◦3.3点


ハ長調で広々としたスケールの広がりとかっちりとした構築性を感じる。しかしながら、曲としては1番と比較して霊感が無く、面白くない。有名な5曲目のブーレだけがいい曲と思う。

•無伴奏チェロ組曲第4番 変ホ長調BWV1010 1717-23◦3.5点


前半は3番と似たようなレベルの曲だが、後半の3曲が素晴らしいので、飛び抜けていい曲は無いがトータルでは3番より良い。

•無伴奏チェロ組曲第5番 ハ短調BWV1011 1717-23◦3.5点


短調の曲として2番ほどメロディーの魅力はないものの、特に前半のレティタティーボのような渋い力強さの魅力が素晴らしい。漆黒のような黒い響きがする。後半はやや普通の曲になる。

•無伴奏チェロ組曲第6番 ニ長調BWV1012 1717-23◦3.3点


曲の雰囲気はまったりしていて1番と少し似ている。曲想は好きで発想は割と豊かだと思うが、5弦用の曲という事で普通のチェロだとハイポジションが多用されるので聴いていて疲れる。


その他

•無伴奏フルートのためのパルティータ イ短調BWV1013 1720初頭◦3.5点


バッハの無伴奏らしい和声の進行を感じさせる手法や、音域の音色の差異で伴奏を代替したりすることや、リズムと旋律が一体化させる手法が活用をされている。無伴奏チェロ曲に似ているが、少し違うフルートならではの音色の良さでバッハを楽しむための曲。良くも悪くも非常にバッハ臭が強いので好みは分かれるかもしれない。休符がないのは素人目にみるとフルート的ではない気がする。


•ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ1〜6BWV1014

•ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ第1〜3BWV1027 1720-39頃

•フルートとチェンバロのためのソナタ第1〜3BWV1030 1735頃

•フルートと通奏低音のためのソナタ第1〜3BWV1033 1720頃

•2本のフルートと通奏低音のためのソナタ ト長調BWV1039 1720頃


協奏曲

•ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調BWV1041 1717-23頃◦3.5点


1楽章の跳躍する美しい短調の主題や2楽章の何度も回帰するオーケストラの主題、3楽章のバロックらしいテンポの良さなど聞きどころは多い。

•ヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調BWV1042 1717-23頃◦4.0点


1楽章と3楽章のキャッチーな分かりやすいメロディーは、上品で優雅でバロックらしい楽しさに満ちている。2楽章がやや地味なので弱点になっている。

•2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調BWV1043 1718頃◦4.5点


1楽章はすぐに覚えてしまう短調らしい印象的な主題で始まり、コンパクトで楽しい曲。2楽章はG線上のアリアにも匹敵しそうな非常に美しい緩徐楽章。3楽章は1楽章と2楽章ほどの圧倒的な素晴らしさは無いが、ヴィヴァルディに似ており活発なダイナミックさを楽しめる。


•チェンバロ協奏曲第1〜8BWV1052

•2台のチェンバロのための協奏曲第1番BWV1060 1736◦2.5点


散逸した協奏曲の編曲もの。曲が冴えなくて陳腐という印象が強い。編曲は頑張っているものの、あまり面白くない。

•2台のチェンバロのための協奏曲第2番BWV1061 1736◦3.5点


初めからチェンバロ協奏曲として書かれたのに相応しいしっくりとくる感じがよい。明るく華やかな心踊るような独奏の活躍ぶりは、バッハの欠点を表面に出していない。そして裏に隠された抒情が素敵さを演出している。3つの楽章全て良い。

•2台のチェンバロのための協奏曲第3番BWV1062 ◦3.0点


本人の名作2台のヴァイオリンのための協奏曲の編曲。しかし、チェンバロは一つの音のみ価値が小さいし音に伸びがないため、この編曲はかなり地味な印象になっている。あまりこの編曲で聴くメリットを感じない。

•3台のチェンバロのための協奏曲第1番BWV1063 1733◦2.5点


四角い箱に詰め込んで敷き詰めたようなバッハの音楽になってしまっている。協奏曲の楽しみを感じる場面が時々あるなど、4台の協奏曲よりはましだと思うが、あまりいい曲とは思えない。

•3台のチェンバロのための協奏曲第2番BWV1064 1733◦3.0点


1楽章の音の分厚さを生かした勢いのある豪勢な音楽が良い。うきうきした気分になれる。残りの楽章も、1番や4台用よりも聴き応えがあり、不満は少ない。

•4台のチェンバロのための協奏曲 イ短調BWV1065 1730頃◦2.5点


ヴィヴァルディの編曲。4台でもピアノほどの重さはないが、音がよく聞き取れない。そして編曲としてはあまり良さが感じられない。


ブランデンブルグ協奏曲

•ブランデンブルク協奏曲第1番 ヘ長調BWV1046 1717? 2hrn,3ob,fg,vn,弦楽,BC ◦3.5点


楽器構成が一番大規模なので、管弦楽のように豊富な音を楽しめる。曲は4楽章構成で、曲が終わったと思ったらさらに追加曲があるような印象。内容は四角くかっちりと構築されていて、テンポは遅めでほのぼのしている印象。

•ブランデンブルク協奏曲第2番 ヘ長調BWV1047 1717-18? tp,bfl,ob,vn,弦楽,BC ◦3.0点


6曲の中では地味な存在。トランペットがいるので音は華やかで明るいが、メロディーに耳を引くものがない。

•ブランデンブルク協奏曲第3番 ト長調BWV1048 1711-13頃 3vn,3va,3vc,BC◦4.0点


キレの良い1楽章の完成度が高い。3楽章もきびきびしているので、キレのよさがとにかく印象に残る。2楽章がチェンバロだけというのは面白い。早い2つの楽章の間で休憩するための曲になっている。

•ブランデンブルク協奏曲第4番 ト長調BWV1049 1720頃? vn,2bfl,弦楽,BC ◦3.5点


フルートの大活躍が目立つ曲。裏でのヴァイオリンの技巧的な活躍も面白い。メロディーがテンポ良く次々と繰り出されるのを楽しめる。

•ブランデンブルク協奏曲第5番 ニ長調BWV1050 1720-21頃? fl,vn,cemb,弦楽,BC ◦1楽章 5.5点
◦その他 3.5点


1楽章はバッハの多くの作品の中でも突き抜けた奇跡的な完成度と充実した内容の作品。宮殿のようなきらびやかな優雅さと、多くのエンジンを使って前へと進む推進力、豊富で有機的な動機を使っており、大きな作品でありながら構成が完璧である。まさに圧巻であり、類似例を思いつかないほどの完成度である。カデンツァがまた凄い。単体のクラーヴィアでここまで豪華さと推進力を出せるのかと驚く。2楽章と3楽章は並の曲。

•ブランデンブルク協奏曲第6番 変ロ長調BWV1051 1708-10頃? 2va,2Gamb,vc,BC ◦3.5点


ヴァイオリンが無いので地味ながらも、低音で奏でられる音楽は滋味あふれており『まろやか』で美しい。

管弦楽組曲

•管弦楽組曲第1番 ハ長調BWV1066 1717-23頃 2ob,fg,弦楽,BC ◦4点


着飾った貴婦人が華やかな広間の階段を降りてくる情景をまさに想像するような上品な曲。3番よりも管楽器が活躍し、叙情的な側面もあるし、舞曲の楽しみも満喫出来る。

•管弦楽組曲第2番 ロ短調BWV1067 1730頃 fl,弦楽,BC ◦4.0点


フルート協奏曲のようにフルートが大活躍する曲。ロ短調の哀しく美しく透明感のある響きに乗せた軽やかなフルートの動きを楽しめる。この美しさは独特だと思う。

•管弦楽組曲第3番 ニ長調BWV1068 1729-31頃 3tp,tim,2ob,弦楽,BC◦G線上のアリア5.5点
◦その他 4点


G線上のアリアの豊饒でまろやかで内声の豊かな味わいは素晴らしい。その外の楽章は上品であり、トランペットとティンパニが華やかで外面的な華麗さで、祝典的な雰囲気が楽しい。

•管弦楽組曲第4番 ニ長調BWV1069 1717-23頃 3tp,tim,3ob,fg,弦楽,BC◦3.5点


管弦楽組曲の中で唯一の地味曲。管弦楽組曲は華やかさを楽しむ曲なので、地味だと聴く順番はどうしても最後になる。といっても、3番までと比較して大きく劣るわけでは無く、あくまで比較しての話であるが。


対位法的作品

•音楽の捧げものBWV1079 (Musikalisches Opfer) 1747

•フーガの技法BWV1080 (Die Kunst der Fuge) 1742頃-49 未完◦4点


バッハのフーガ技術が尽くされており、音楽的にも成熟の限りで充実感がすごい。音楽的にもバッハらしい奥ゆかしい精神世界を存分に楽しむことが出来る。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F

3. 中川隆[-14007] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:51:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-676] 報告
教会カンタータ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%28%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BF%29

1-20番

•1 暁の星はいと美しきかな 1725 ◦3.8点


長大な冒頭合唱は、ホルンの明快な信号に乗るように始まり、柔らかさと複雑な豊かさをもった非常に幸福感に満ちた時間を過ごせる曲。同じフレーズの繰り返しでも、全然飽きない。それどころか、終わってももっと聞き続けたいと思わせるものがある。次のアリアも晴れ晴れとした気分と敬虔さの混ざった絶妙な良いもの。しかし最後のアリアは面白くない。コラールで締めくくられる。

•2 ああ神よ、天より見たまえ 1724 ◦3.0点


冒頭は変な半音階的な主題のフーガの曲。なんとも分かりにくい、どう聴いたら良いのかピンとこない曲だ。アリアは時々見せる陰影は美しいが、全体としてはまあまあと思う。次のアリアは迫力がある力強い曲で悪くない。

•3 ああ神よ、いかに多き胸の悩み 1725 ◦3.3点


冒頭合唱も最初のアリアも、軽いひねりの入った主題であり落ち着かない。感情の没入はしにくい。次のアリアは二重唱であり、これはなかなか音の絡みかたが濃厚で感情の揺れ動きかたが良い曲で聞きごたえがある。伴奏もそれをサポートするよいもので、この曲だけで聞く価値がある。

•4 キリストは死の縄目につながれたり 1707/8 1724年改訂◦3.3点


レティタティーボがない。8曲ありざわざわとした鋭くて落ち着かない曲や不安感を煽るような曲が連続するため疲れる。その中で3曲目のような柔らかくて癒される曲は本当にオアシスのように感じる。半音階が多用されており、合唱も畳み掛けるような掛け合いが多くて、心が疲れながら落ち着く場所を求めて聴く感じになった。

•5 われいずこに逃れゆかん 1724 ◦2.8点


1曲目はあまり感動がない。次のアリアは泣きのフレーズを散りばめていてい悪くないが、強く感動するほどではない。次は男声と輝かしい金管の対比の曲で、これも悪くはないがたいした曲ではないと思う。全体的にあまり楽しめなかった。

•6 わがもとにとどまれ、はや夕べとなれば 1725 ◦3.0点


短調の正統派の曲であり、それなりの迫力はある。しかし、強く何か感動を与えるものに到達しておらず、予想を超える何かを見せてくれた印象はなかった。

•7 われらの主キリスト、ヨルダン川に来たれり 1724 ◦3.3点


冒頭合唱は繰り返しの運動性のある伴奏の音形と合唱との絡みが心地よいインパクトを与えてくれる。2曲目もチェロの独奏がマタイ受難曲を思い出させるもので、しみじみとした音楽を聴かせる。その曲調は最後まで同様に続き、明るく弾けることなくしんみりと終わる。

•8 最愛の神よ、われいつの日に死なん 1724 1735/50年改作◦3.5点


冒頭合唱の管楽器の同音連続が与える清冽な印象は素晴らしい。少年合唱の美しさと管楽器の絡みの美しさとあいまって、美的にある到達点まで極まった素晴らしさに到達している。他の楽章はそれなりの出来であり強い印象はない。

•9 救いはわれらに来たれり 1732-35
•10 わが心は主をあがめ 1724
•11 神をそのもろもろの国にてほめ讃えよ 1735 昇天祭オラトリオ
•12 泣き、嘆き、憂い、慄き 1714
•13 わが溜め息、わが涙は 1726
•14 神われらとともになかりせば 1735
•15 汝、わが魂を冥府に捨て置きたまわざれば 1703 1726年改訂。全2部9曲。偽作=J.L.バッハ作
•16 主なる神よ、我ら汝を讃えん 1726
•17 感謝を捧げる者、われを讃えん 1726
•18 天より雨と雪の降るごとく 1713-15
•19 かくて戦起れり 1726
•20 おお永遠よ、いかずちの声よ 1724


21-40番

•21 わが心には憂い多かりき 1714 1723年改訂
•22 イエス十二弟子を召寄せて 1723
•23 汝まことの神にしてダヴィデの子 1723
•24 飾りなき心ぞ 1723
•25 汝の怒りによりてわが肉体には 1723
•26 ああ、いかにはかなくいかに空しき 1724
•27 わが終わりの近きをたれぞ知らん 1726
•28 感謝せん、今ぞ年は終わりゆく 1725
•29 神よ、われ汝に感謝す 1731
•30 喜べ、救われし群れよ 1738-42 世俗カンタータ『楽しきヴィーデラウよ(BWV.30a)』のパロディ・カンタータ
•31 天は笑い、地は歓呼す 1715
•32 愛するイエス、わが願い 1726
•33 ただ汝ひとりに、主イエス・キリストよ 1724
•34 ああ永遠の炎、愛のみなもと 1746? 同名の結婚カンタータ(BWV.34a)を聖霊降誕祭のために改作したもの
•35 霊と心は驚き惑う 1726
•36 喜びて舞いあがれ 1731
•37 信じて洗礼を受けし者は 1724
•38 深き悩みの淵より、われ汝に呼ばわる 1724
•39 飢えたる者にパンを裂き与えよ 1726
•40 神の子の現れたまいしは 1723


41-60番

•42 されど同じ安息日の夕べに 1725
•43 歓呼のうちに神は昇天したもう 1726
•44 かれらは汝を追放せん 1724
•45 人よ汝によきこと告げられたり 1726
•46 考えみよ、かかる苦しみのあるやを 1723
•47 おのれを高うするものは低うせられ 1726
•48 われ悩める人、われをこの死の体より 1723
•49 われは生きて汝をこがれ求む 1726
•50 いまや、われらの神と救いと力と 1740頃 断片、合唱1曲のみ
•51 全地よ、神に向かいて歓呼せよ 1730
•52 偽りの世よ、われは汝に頼まじ 1726
•53 いざ来たれ、待ち望みたる時よ 1730頃 偽作=G.M.ホフマン作?
•54 いざ罪に抗すべし 1714
•55 われ貧しき者、われは罪のしもべ 1726
•56 われは喜びて十字架を負わん 1726
•57 かの人は幸いなり 1725 Lehms
•58 ああ神よ、心の痛手いと多く 1727
•59 われを愛する者は、わが言葉を守らん 1724
•60 おお永遠よ、汝おそろしき言葉よ 1723?


61-80番

•61 いざ来ませ、異邦人の救い主よ 1714
•62 いざ来ませ、異邦人の救い主よ 1724 BWV62
•63 キリスト者よ、この日を銘記せよ 1716以前
•64 見よ、父なる神の大いなる愛を 1723
•65 彼らはみなシバより来たらん 1724
•66 よろこべ、汝らの心 1724 ケーテン侯レオポルトのための誕生日カンタータの改作
•67 イエス・キリストを憶えよ 1724
•68 かくも神は世を愛したまえり 1725
•69 わが魂よ、主を讃えよ 1742-48
•70 目覚め、祈り、心を備えよ 1724
•71 神はいにしえよりわが王なり 1708
•72 すべてただ神の御心のままに 1726
•73 主よ、汝の御心のままにわれはあらん 1724
•74 われを愛する者は、わが言葉を守らん 1725 第1-第2曲を第59番より転用
•75 貧しき者は饗せられん 1723
•76 天は神の栄光を語る 1723
•77 汝主なる神を愛すべし 1723
•78 イエスよ、汝わが魂を 1724
•79 主なる神は太陽にして楯なり 1725?
•80 われらが神は堅き砦 1724? 1727年-31年改作


81-100番

•81 イエス眠りたまえば、われ何に頼るべし 1724
•82 われは満ち足れり 1727
•83 新しき契りのよろこびのとき 1724
•84 われはわが幸に満ち足れり 1727
•85 われは善き牧者なり 1725
•86 まことに、まことに、われ汝らに告ぐ 1724
•87 今までは汝らなにをもわが名によりて 1725
•88 見よ、われは多くの漁る者を遣わし 1726
•89 エフライムよ、われ汝をいかにせん 1723
•90 おそろしき終末、汝らを奪わん 1723
•91 讃えられよ、イエス・キリスト 1724
•92 われは神の御心のままに 1725
•93 愛する神のみに従う者 1724
•94 われは何ぞ世を思い煩わん 1724
•95 キリストこそわが命 1723
•96 主キリスト、神のひとり子 1724
•97 わがすべての行いに 1734
•98 神なしたもう御業こそ、いと善けれ 1726
•99 神のみわざはすべて善し 1724
•100 神なしたもう御業こそ、いと善けれ 1732-35


101-120番

•101 主よ、まことの神よ、われらから取り去り給え 1724
•102 主よ、汝の目は信仰を顧みるにあらずや 1726
•103 汝ら泣き叫ばん 1725
•104 イスラエルの牧者よ、耳を傾けたまえ 1724
•105 主よ、裁きたもうことなかれ 1723
•106 神の時こそいと良き時 1707/08? 哀悼行事のための
•107 汝なんぞ悲しみうなだるるや 1724
•108 我、去りゆくは汝らの益なり 1725
•109 我は信ず、愛する神よ、不信仰なる我を助け給え 1723
•110 われらの口を笑いで満たし 1725 序曲は管弦楽組曲第4番(BWV1069)の序曲を転用したもの
•111 わが神の欲し給うこと常に起こらん 1725
•112 主はわが忠実な牧者なり 1731
•113 主イエス・キリスト、汝こよなき宝 1724
•114 ああ、愛しきキリストのともがらよ、心安んぜよ 1724
•115 備えて怠るな、わが霊よ 1724
•116 汝平和の君、主イエス・キリスト 1724
•117 至高の善に賛美と栄光あれ 1728-31
•118 おおイエス・キリスト、わが生命の光 1736/37 合唱のみ。2つの稿が現存。楽曲の規模から新バッハ全集ではモテットに分類
•119 エルサレムよ、主をほめまつれ 1723
•120 神よ、人はひそかに汝をほめ 1728/29


121-140番

•121 われらキリストを讃えまつらん 1724
•122 新たに生まれしみどり児 1724
•123 最愛なるインマヌエル 1725
•124 わがイエスをわれ捨てず 1725
•125 平安と喜びもてわれは逝く 1725
•126 主よ、我らを汝の御言葉のもとに保ち 1725
•127 まことの人にして神なる主イエス・キリスト 1725
•128 ただキリストの昇天に 1725
•129 主に賛美あれ 1726/27
•130 主なる神よ、われらこぞりて汝を頌め 1724
•131 主よ、深き淵よりわれ汝を呼ぶ 1707?
•132 道をそなえ、大路をまっすぐにせよ 1715
•133 わが喜びは汝にあり 1724
•134 時は日と年を作り 1724 1731年改作
•135 ああ主よ、哀れなる罪人なるわれを 1724
•136 神よ、われを調べ、わが心を知り給え 1723
•137 力強き栄光の王なる主を讃えよ 1725?
•138 何故に悲しむや、わが心よ 1723
•139 神によれる者は幸いなるかな 1724
•140 目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声 1731


141-160番

•141 こはまことに信ずべき言葉なり ? 偽作
•142 ひとりの御子われらに生まれたり ? 偽作
•143 わが魂、主を讃えよ 1708/14? 偽作?
•144 おのがものを取りて、行け 1724 偽作?
•145 わが心よ、われは生きて汝を慰めん 1729? 偽作=G.P.テレマン作
•146 われらあまたの苦難をへて 1728?
•147 心と口と行いと生活で 1723 コラール『主よ、人の望みの喜びよ』はこのカンタータに含まれている
•148 主にむかいてみ名の栄光を讃えよ 1723?
•149 人は喜びもて勝利の歌をうたう 1728/29
•150 主よ、われ汝を仰ぎ望む 1708-09
•151 甘き慰め、わがイエスは来ませり 1725
•152 信仰の道を歩め 1714 全6曲
•153 愛する神よ、見たまえ、わが敵のいかにあるやを 1724
•154 いと尊きわがイエスは見失われぬ 1724
•155 わが神よ、いかに久しく 1716
•156 片足は墓穴にありてわれは立つ 1729?
•157 われを祝福し給わずば、われ汝を離さじ 1727
•158 汝に平安あれ 1728–31
•159 見よ、われらエルサレムにのぼる 1729?
•160 われは知る、わが救い主の生きるを ? 偽作=G.P.テレマン作


161-180番

•161 来たれ、汝甘き死の時よ 1715
•162 ああ、われは見たり、婚礼に行かんとする今 1715 1723年改作
•163 神はただ万人のために 1715
•164 汝ら、キリストの者と名のるともがら 1725
•165 おお、聖霊と水との聖なる洗礼 1715 1724年改作
•166 汝はいずこに行くや 1724
•167 人よ、神の愛を讃えよ 1723
•168 務めの報告をいだせ、と轟く雷の言葉 1725
•169 神にのみ わが心を捧げん 1726
•170 満ち足れる安らい、うれしき魂の悦びよ 1726
•171 神よ、汝の誉れはその御名のごとく 1729?
•172 鳴り響け、汝らの歌声 1714
•173 高められし血と肉と 1724? 1727年-31年改作
•174 われ、いと高き者を心を尽くして愛しまつる 1729
•175 彼はおのれの羊らの名を呼びて 1725
•176 反抗し臆するは 1725
•177 われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ 1732
•178 主なる神、われらがもとにあらざれば 1724
•179 心せよ、汝の敬神偽りならざるや 1723
•180 装いせよ、おお愛する魂よ 1724


181-200番

•181 軽佻浮薄なる霊の者ども 1724
•182 天の王よ、よくぞ来ませり 1714 1724年改作
•183 彼ら汝らを追放せん 1725
•184 待ちこがれし喜びの光 1724
•185 永遠の愛の慈悲深き心よ 1715 1723年改作
•186 おお魂よ、憤ることなかれ 1723
•187 ものみな汝を待てり 1726
•188 われはわが信頼を 1728
•189 わが魂はほめ讃う ? 偽作=M.ホフマン作
•190 主に向かいて新しき歌を歌え 1724/30 不完全
•191 天のいと高きところには神に栄光あれ 1740
•192 いざもろびと、神に感謝せよ 1730?
•193 汝ら、シオンの門よ 1727 全7曲のうち6曲のみ現存
•194 こよなく待ちこがれし喜びの祝い 1723
•195 光は正しき人のためにさし出で 1741 1749年改作
•196 主はわれらを思いたもう 1708
•197 主、かたき望み 1736?
•198 侯妃よ、願わくばなお一条の光を 1727 哀悼頌歌(Trauerode)
•199 わが心は血の海に泳ぐ 1714
•200 我はその御名を言い表さん 1724頃? 断片、1曲のアリアのみ


世俗カンタータ

•201 速く、速く、渦巻く風よ(アポロとパンの争い) 1729頃 全14曲
•202 しりぞけ、もの悲しき影 1718-23 全9曲、通称『結婚カンタータ』
•203 裏切り者なる愛よ 1723以前 偽作?
•204 わたしの心は満ちたりて 1726/27 全8曲
•205 破れ、砕け、壊て(鎮まれるアイオロス) 1725 全15曲
•206 忍びよれ、たわむれる波よ 1736? 全11曲
•207 互いに争いをやめ 1726 全11曲
•207a 響け、はれやかなラッパよ 1735
•208 楽しき狩こそ我が悦び 1712?/13 通称『狩のカンタータ』
•209 悲しみを知らぬ者 1729/34?
•210 おおやさしい日、待ち望んだ時 1738
•211 おしゃべりはやめて、お静かに 1734 通称『コーヒー・カンタータ』
•212 わしらの新しいご領主に 1742 通称『農民カンタータ』
•213 われら心を配りしかと見守らん 1733 または『岐路に立つヘラクレス』
•214 轟け太鼓よ、響けトランペットよ 1733
•215 恵まれしザクセンよ、汝の幸を讃えよ 1734
•216a 選ばれたプライセの町 1728-31
•217 主よ、我らが境遇を忘れ給うな ? 偽作

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%28%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BF%29

4. 中川隆[-12993] koaQ7Jey 2020年3月06日 11:46:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[541] 報告

バッハ論

バッハは非常に人気がある作曲家である。

多くの作曲家の曲が発掘された現在は、昔ほどバロック時代の中で人気の差はなくなってきていると思うが、それでも今でもずば抜けて人気がある。


その理由は挙げてみると多くある。

音楽に父性と豊饒さと複雑さと温かみがあること、音感が優れていること、メロディーに分かりやすく耳を捉えるキャッチーさがあること、雰囲気がバラエティーに富んでいること、器楽曲が多いこと、古今のさまざまな音楽を取り込んでおりバラエティ豊かであること、出来が良い曲においてみせる完成度の高さと凄み、このあたりであろう。


一方でルネッサンスからバロックの大きな流れがバッハのにおいて集大成として最高峰の音楽として結実した、バッハを聞けば全てが分かる、のような評価は過大評価であろう。

バッハがバロック作曲家の中でも非常な芸術的高みに長い時間と努力の末に到達したのは確かである。

しかし、バッハが集大成だというような評価に基づく音楽の聴き方は、バロック時代の多様性をスポイルしてしまう。


例えば、今後ロック、ソウル、ポップス、ヒップホップ、ヘヴィーメタルの要素を持つ素晴らしいアーチストが仮に現れたとする。それが20世紀半ばからのロック・ポップスの流れ全てを総合したような偉大な音楽家であり、その音楽家を聞けばすべてが分かるなどということがあり得るだろうか。20世紀の音楽は、たとえどんなに偉大な音楽家であっても、一人ですべてを代表できるようなことはあり得ないというのは誰もが納得だろう。


ごく普通の仕事のためにさらっと書いたような大量の曲もある。

まあ、全曲が最高という作曲家はいないのはバッハも同様であり、それらの曲は同じバッハであるだけにとっつきやすいのだが、魅力はそれほどたいしたことがないと思う。

出来れば、それらを聴く時間を省略して、他の多くの多彩なバロック作曲家の曲を聴いたほうがよいと思う。


他のバロック作曲家より人気がある理由

バッハが他のバロック時代の作曲家と比較して人気がある理由は複合的である。もう少し詳しく書いてみる。

•音楽が複雑である


バロック時代の通奏低音による音楽は、現代からみて単純すぎるものが多く、飽きたり物足りなかったりする。しかしバッハは当時としては極めて複雑な音楽であり、また現在でも有効な複雑さであるために、飽きずに聴ける。

•音楽性自体に分かりやすい特徴がある。(例えば、豊饒さ、温かみ、父性など)


音楽自体の明確な個性の魅力があり、一般的な鑑賞者に訴求するものがある。

例えばヴィヴァルディの活力やヘンデルのようなキラキラとした輝かしさのように、個性は人それぞれであるが、バッハの魅力は単純に「いいなあ」と大抵の人に思わせるものがある。

•曲に明確な個性を持たせている


個別の曲に対して、それぞれに明確な個性を意図的に与えており、順番に聴く場合に刺激が多い。バロックの作曲家にありがちな、同工異曲で似たような曲ばかりの、曲に強い個性を与える意思を感じない作曲家よりも、鑑賞していて楽しい。

•メロディーに分かりやすく耳を捉えるキャッチーさがある


曲の個性と同様であるが、バッハの音楽は、分かりやすく印象に残りやすいメロディーを配置した曲が多い。

美メロディーを量産するようなタイプではないのだが、他のバロックの音楽家と比較して、聴き手の印象に残るようなインパクトのあるメロディーを選択する傾向がある。まるで現代のヒットメーカーのようだ。

•雰囲気がバラエティーに富んでいること


これも、現代のヒットメーカーのようだ。

他のバロックの音楽家と比較して、様々な雰囲気を作り出す。そのため、いろいろ聴いた時に飽きないのである。

いい曲ではあるが同じような曲ばかりという多くの作曲家よりも、現代においては価値が高いのである。

•器楽曲が多いこと


バロック音楽は声楽が重要であるが、声楽は歌詞が分からないことと、現代のポピュラー音楽がライバルになるために一般性を持ちにくいところがある。

ヘンデルはバロックを代表する素晴らしい作曲家だが、声楽が中心であるために人気の点で不利になっている。

その点、声楽の教会音楽が一番重要であるものの、器楽曲でも重要作を多く書いたバッハは有利である。

•古今のさまざまな音楽を取り込んでおりバラエティ豊かであること


同じような形式の音楽ばかり聴いていては、同じ作曲家ばかり聞いているとしまいには飽きてしまう。

バッハは古今の音楽を取り込んだので、形式的に豊富で刺激が多い。

•出来が良い曲においてみせる完成度の高さと凄み


例えば無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌなどが挙げられる。

通常作品とは隔絶した世界遺産級の文化遺産となる完成度の高さをもった作品だと思うのだが、バッハの時代は、まだ完成度の極めて高い作品を作ろうという発想自体がほとんど無かったと思う。

明らかに本人が意識して特別に高いレベルの作品を作成しようとしたのは、文献が残っていなくても作品自体を見れば明らかだ。

そして、そのような作品を本当に作ることが出来たことが、多くの音楽家から特別な尊敬を受けることとなった。

•音感が優れていること


優れた作曲家はそれなりに音感が優れているものだが、最も優れた人が必ずしも最も優れた作曲家になるわけではない。

バッハは、そこに音が欲しいという箇所に確実に音を配置したり、単純な中にちょうどよい複雑さや刺激を配置できるような、優れた音感を持っていた。

それが、普通の鑑賞者にも音楽的に優れているとなんとなく感じさせるものになっている。

5. 中川隆[-13951] koaQ7Jey 2020年3月16日 13:50:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[924] 報告
マタイ受難曲はJ. S. バッハ (Johann Sebastian Bach/1685-1750)の代表的なオラトリオの2つの受難曲の1つの考察。
2020年03月12日
https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/de38833bf5a096f2ee2dc51f289b116e



LS3/5aの補修も無事終了し、音楽を聴き思うは、此れ以上の音質はいい加減良しとして、膨大な音楽の追求が本来のことなんであろう、此の様な時間のあるときには最近良く聴いているJ.S.バッハのオラトリオを考えて見る。

下の写真はJ.S.バッハにも大変馴染み深い、教会音楽のゆかりのバチカン市国にあるカトリック教会の総本山サン・ピエトロ大聖堂



オラトリゥム語源とするイタリア語である。この名の元になっているのは祈祷室、礼拝堂や小聖堂を意味するその後1575年にこの祈りの会・オラトリオは、

教会から正式認可を受けた教会活動となる。後になってオラトリオ上演が、教会堂から宮廷のサロンや一般音楽ホールへと場を広げていくのである。 題材も一般の歴史物語や世俗的な題材をとるオラトリオも生まれていく。

ナポリでシーズンごとにオペラが上演されるようになったのは、1658年以後のことである。そしてオペラ誕生である。



此の楽譜はマタイ受難曲BWV244だそうである、J.S.Bach(1685-1750)には2曲の受難曲を含めると5つのオラトリオが残されている。

一般に受難曲とオラトリオを別ものとして種別されている。しかしこの二つの違いは、キリストの受難と他の聖書物語という題材以外に区別はない。

そのため受難曲は、オラトリオに含まれる一つの楽曲形態であると、捉えている。厳密な意味でのバッハのオラトリオは下記の通り3つである。受難曲については5曲あったともされるが、

現存するのは2曲つまり「ヨハネ受難曲BWV245」と「マタイ受難曲BWV244」のみである。
かろうじて作品番号BWVが与えられている「マルコ受難曲BWV247」は、台本しか残存していない。

しかし、明確ではないが太鼓の音に特徴がある「クリスマス・オラトリオBWV248」作曲時には残存していて、パロディとして転用されたと考えられている。

下記の表は作品番号BWV順でなく、作曲年順で表記した。ちなみに独語ではイタリア語のオラトリオを、ラテン語と同綴りのOratoriumオラトリゥムである。名の元になっているのは祈祷室、礼拝堂や小聖堂を意味するオラトリオである。

修道院などでは聖務日課の共同の祈りをオラトリオで行われることも多い。



ヨハネ受難曲BWV245(1724年)
1725/28/29/32/39/46/49年改作 初演:1724年4月7日聖金曜日聖ニコライ教会

復活祭オラトリオ BWV249(1725年)
1732/35年改作 ヘンリーツィ=ピカンダー 初演:1725年4月1日

1725年:カンタータとして作曲

1732〜35年:オラトリオとして改作

マタイ受難曲BWV244 1727年

1736年改作 ヘンリーツィ=ピカンダー 初演:1727年4月11日聖金曜日聖トーマス教会

マルコ受難曲 BWV247 c.1731年 ヘンリーツィ=ピカンダー 消失 、台本のみ残存

クリスマス・オラトリオBWV248 1734年 一部
ヘンリーツイ=ピカンダー、他部は不明 初演:1734年12月25日〜1735年1月6日に、カンタータとして上演していった

昇天祭オラトリオ BWV11 1735年? ヘンリーツィ
 =ピカンダー 初演:1735年5月19日
大部分は自作カンタータからの転用



『復活祭オラトリオ Oster-Oratorium / Easter Oratorio』(BWV 249)は、バッハが1725年に作曲したオラトリオ(聖譚曲)。

同年4月1日の復活祭の日にライプツィヒの教会で初演された(ヨハネ受難曲の翌年)、
J. S. バッハが作曲した3つのオラトリオの一つ(昇天祭オラトリオ、クリスマス・オラトリオ)。

J. S. バッハ『復活祭オラトリオ』では、ソプラノ・アルト・テノール・バスの4つのパートは、それぞれキリスト教の聖人を表しているとい、ソプラノは、イエスの母マリアの姉妹のマリア (クロパの妻) 「ヨハネによる福音書」でイエスの磔刑を見守る場面に登場する女性。

アルトは、イエスの死と復活を見届けた証人マグダラのマリア(マリヤ・マグダレナ)マグダラのマリア(マリヤ・マグダレナ)。

テノールは、新約聖書に登場する使徒シモン・ペトロ(ペテロ/パウロ)。「ヨハネによる福音書」によれば、イエスの復活時には使徒ヨハネと共にイエスの墓にかけつけた。

バスは、新約聖書に登場する使徒ヨハネ(福音記者ヨハネ)。「イエスの愛しておられた弟子」として一般的に理解されており、イエスが十字架にかけられたときも弟子としてただ一人「愛する弟子」が十字架の下にいたと福音書に書かれている。

さて一番良く聴かれるオラトリオは・・・J. S. バッハ最大の名曲、勿論クリスタルの感じが強いマタイ受難曲BWV244であろう。



一般的には指揮者はカール・リヒター指揮するARCHIVレコードが有名である。

演奏者 エルンスト・ヘフリガー(福音史家、アリア:テノール)、キート・エンゲン(イエス:バス)、アントニー・ファーベルク(第1の女、ピラトの妻:ソプラノ)、マックス・プレープストル(ユダ、ペテロ、ピラト、大祭司:バス)、イルムガルト・ゼーフリート(アリア:ソプラノ)、ヘルタ・テッパー(アリア、第2の女:アルト)、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(アリア:バス)、ミュンヘン少年合唱団

楽団 ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団

第一部


第二部



カール・リヒター指揮 / ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団、1958年盤



《マタイ受難曲》 BWV 244、

この曲は、「マタイ福音書」第26〜27章を基本テキストとして作られた。初演は、1727年4月11日の聖金曜日である。これが第1稿で、1729年の聖金曜日にも再演された。

しかし、1736年3月30日の聖金曜日に再演するにあたり、改訂を施し第2稿を作成した。

この時、第1部の終結コラールを、「ヨハネ受難曲」第2稿(1725)の冒頭合唱だった「おお、人よ、その大いなる罪を悲しめ」に差し替えた。これが現在の形である。

これぐらいの傑作になればもう誰の演奏だろうと曲の有つ感動の深さには大差ない。せいぜいソプラノやアルトの詠唱に好みを見出すくらいである。膨大な演奏者が此の受難曲を演奏いているので自分に合った演奏者を見つける事も楽しみかたである。

因みに筆者は最近はヘルマン・マックス(Hermann Max)でマタイを聴くことが多いのだが・・・・



小説家五味先生曰く

『マタイ受難曲はユダヤ人メンデルスゾーンによって再発見され、演奏された。バッハ音楽への関心はここに高まった。その意味ではメンデルスゾーンのぼくらに果してくれた功績はじつに大きい。

あれほどメンデルスゾーンを、ユダヤ人を憎悪したワグナーもこればかりは異論のはさみようがあるまい。

だが、バッハの偉大な音楽――とりわけマタイ受難曲を含めたそれを、今日、われわれが生活するに際しての一つの道徳的指針とすら見做し得るまでに一般化してくれたのは、誰が何と言おうとレコードで聴く機会が持てたからだと私はおもう。』と述べています。



吸音材を補修したHos LS3/5aで聴くが、此の小さなスピーカーでマタイ受難曲を良さは十分感じる。

何度も聴けば、徐々にこの曲のクリスタルな感じが理解できる。

https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/de38833bf5a096f2ee2dc51f289b116e

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