2019年08月23日 天皇のY染色体ハプログループ https://sicambre.at.webry.info/201908/article_44.html 天皇というか皇族のY染色体ハプログループ(YHg)について、D1bとの情報がネットで出回っており、確定したかのように喧伝されているので、以前から一度調べてみるつもりだったのですが、さほど優先順位が高いわけでもないので、後回しにしていました。 今回、少し調べてみたのですが、査読誌に掲載された論文や、信頼できる研究機関の報告では見つけることができませんでした。もちろん、そうしたものが存在する可能性はあるわけですが、私の現在の見識と気力ではこれ以上検索しても徒労に終わるだろうと判断して、打ち切りました。 とりあえず、元ネタになりそうな有名人のYHgというサイトを見つけたのですが、そこでは、日本語ブログが典拠とされていました。 Famous people's Y-DNA listed by haplogroup - Eupedia https://www.eupedia.com/genetics/famous_y-dna_by_haplogroup.shtml
その日本語ブログはもう閉鎖されているので、インターネットアーカイブで該当記事を検索すると、
「皇室は、第113代 東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析により、縄文人のD1b(D-M64.1)に属するD1b1a2の系統と言われ」 とありました。「東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析」にはリンクが貼られているのですが、インターネットアーカイブで検索しても見つかりませんでした。 また、2016年5月8日時点での情報ですが、 『天皇家のハプログループについて「第113代 東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析」とあるにもかかわらずリンク先には全くデータは示されていない』 とあります。したがって、東山天皇の男系子孫がYHg-D1b1a2とは確定できないでしょう。もちろん、そうである可能性もじゅうぶんあるとは思うので、否定もできませんが。上記サイトによると、別人の皇族子孫が検査したところ、YHg- D1b1a2b1a1だったそうで、「東山天皇の男系子孫 複数名」の事例と整合的ですが、典拠は明示されていません。 けっきょくのところ、皇族がYHg-D1bとの情報に確たる信頼性を認めるのは難しいように思います。ただ、上述のように、その可能性は一定以上あると思います。仮に東山天皇の男系子孫がYHg-D1b1a2だとすると、同じく東山天皇の男系子孫である現在の皇族(もちろん、男性限定ですが)もYHg-D1b1a2だろう、と推定するのは合理的です。問題となるのは、「間違い」が起きていた場合です。たとえば、エドワード3世に始まる男系では、どこかで系図とは異なる父親が存在した、と明らかになっています。これは海外の事例ですが、日本でも、同様の可能性が起きていた可能性は否定できません(関連記事)。ただ、その可能性はさほど高いとも思えないので、今回は考慮しません。 YHg-D1bは「縄文人」由来と推定されており、最近の研究でもその推定が改めて支持されています(関連記事)。したがって、皇族は縄文時代以来日本列島で継続している父系だ、と考えるのは妥当なところです。その意味で、皇族は「縄文系」と言っても、少なくとも大間違いとは言えないと思います。「縄文人」の現代日本人への遺伝的影響は、アイヌ集団では66%、「(本州・四国・九州を中心とする)本土」集団では9〜15%、琉球集団では27%と推定されています(関連記事)。これは北海道の「縄文人」の高品質なゲノムデータに基づいているので、西日本の「縄文人」のゲノムデータが得られて比較されると、「本土」集団における「縄文人」の遺伝的影響はもっと高くなるかもしれません。 ただ、「本土」集団のYHg-D1bの割合は35.34%なので(関連記事)、父系において不自然に「縄文人」の影響が高いようにも思われます。しかし、皇族がYHg-D1bだとすると、皇族の男系子孫は武士になって日本各地に定着していき、養子も珍しくなかったとはいえ、原則として父系継承だったので、「本土」集団のゲノムでは弥生時代以降にアジア東部から日本列島へ到来した集団の影響が強くても、父系では「縄文人」の影響が強く残ったというか、中世以降に影響を高めて現代のような比率になった、と想定しやすくなります。その意味でも、皇族が父系では「縄文系」だった可能性はじゅうぶんある、と言えるでしょう。 ただ、ここで問題となるのは、皇族がYHg-D1b1a2あるいはそのサブグループD1b1a2b1a1だとして、「縄文系」と断定できるのか、ということです。現時点では、「縄文人」のYHgはD1b2しか確認されておらず(関連記事)、現代日本人で多数派のYHg-D1b1の祖先とはなりません。もっとも、まだ東日本の「縄文人」しか解析されていないので、西日本の「縄文人」の中にはYHg-D1b1も一定以上の割合でいるかもしれませんし、東日本の「縄文人」でも今後YHg-D1b1が確認されるかもしれません。しかし、現時点で「縄文人」においてはYHg-D1b1が確認されていない、という事実は無視できないと思います。YHg-D1b1が弥生時代以降にアジア東部から到来した集団に由来する可能性も現時点では一定以上ある、と私は考えています(関連記事)。その意味で、仮に皇族がYHg-D1b1a2だったとして、父系では「縄文系」と断定するのは時期尚早だと思います。 https://sicambre.at.webry.info/201908/article_44.html ▲△▽▼ 2019年05月12日 神武天皇のY染色体 https://sicambre.at.webry.info/201905/article_21.html 皇位継承にさいして男系維持派がY染色体を根拠とすることについては、すでに11年半近く前(2007年11月)に当ブログで述べましたが(関連記事)、今でも男系維持派がY染色体を根拠とすることもあり、一部?の界隈ではすっかり定着したようです。この問題について当時も今も思うのは、皇位継承のような物語性の強い社会的合意事項に安易に自然科学の概念を持ち込むべきではない、ということです。重要なのは、少なくとも6世紀半ば以降、皇位(大王位)が男系で継承されてきた、という社会的合意(前近代において、その社会の範囲は広くなかったでしょうが)であり、それは自然科学の概念とは馴染まない、と思います。
男系継承においてY染色体を根拠にしてしまうと、生物学的確実性が要求されるわけで、どこかで「間違い」が起きた場合、それ以降の天皇の正統性が損なわれることになります。もちろん、現実には宮中においてそうした「間違い」が生じる危険性はかなり低いとは思います。ただ、皇位(大王位)の男系継承が6世紀半ば以降としても、すでに1400年以上経過しているわけで、どこかで1回「間違い」が起きた可能性は無視できるほど低いものではないと思います。 この問題でよく言及されるのは『源氏物語』でしょうが、これはあくまでも創作であり、じっさいに「間違い」が起きた根拠にはできませんし、そうした「間違い」が起きる危険性はかなり低かったのかもしれません。ただ、皇后に仕えて後宮の事情に精通していただろう紫式部が『源氏物語』でわざわざ「間違い」を取り入れたのは、ある程度以上の現実性があったからではないか、とも考えられます。もっとも、『源氏物語』での「間違い」の結果でも、「初代天皇」と生物学的に父系でつながっていない天皇が即位したわけではありませんが。具体的な「間違い」ではありませんが、状況証拠的な事例としては、江戸時代初期の猪熊事件があります。 現実の「間違い」としては、崇光天皇の皇太子に立てられた直仁親王が、公式には花園院の息子とされていたのに、実は光厳院の息子だった、という事例があります(佐伯智広『皇位継承の中世史 血統をめぐる政治と内乱』P179〜180)。直仁親王が崇光天皇の皇太子に立てられたのは光厳院の意向で、花園院の甥の光厳院が親王時代に世話になった叔父に報いた、という美談として当時は受け取られたかもしれませんが、裏にはそうした事情があったわけです。なお、光厳院は院政を継続するために、直仁親王を皇太子に立てるさいに養子としています。もちろん、直仁親王が光厳院の実子だったのか否か、DNA鑑定がされたはずもなく断定できるわけではありませんが、少なくとも光厳院は直仁親王が実子だと確信していました。もっとも、直仁親王の事例にしても、『源氏物語』と同じく、初代天皇」と生物学的に父系でつながっていない男性が天皇に即位する予定だったわけではありませんが。なお直仁親王は、正平一統により皇太子を廃され即位できず、その子孫が即位することもありませんでした。 持統天皇以降には火葬された天皇も多く、また飛鳥時代以前には天皇(大王)の陵墓も確実ではない場合がほとんどで、そもそも天皇陵とされている古墳の調査には制約が大きいので、天皇(大王)だったかもしれない人物のDNA解析は実質的に不可能です。また、仮にほぼ天皇と間違いない遺骸のDNA解析が技術的には可能だとしても、じっさいに解析して現代の皇族と比較するようなことを宮内庁、さらには政府が許可するとも思えません。その意味で、Y染色体を根拠とする男系維持派も、その多くは、実質的にDNA解析は不可能だと考えて、無責任にY染色体を根拠としているのでしょう。しかし上述したように、皇位の父系継承の根拠としてY染色体を持ち出せば、生物学的確実性が要求されるわけで、女系容認派や天皇制廃止派に付け入る隙を与えるだけの愚行だと思います。少なくとも6世紀以降の皇位継承が男系を大前提としていたことは明らかで、そのさいに重要なのは、あくまでも皇位継承者が「初代天皇」と男系でつながっているという社会的認知であり、Y染色体を持ち出す必要はまったくないばかりか、有害でしかありません。何よりも、Y染色体を根拠とすれば過去の女性天皇の正統性が損なわれるわけで、父系で「初代天皇」とつながっている、という社会的合意があれば充分でしょう。 少なくとも6世紀以降の皇位継承が男系を大前提としていたことは、例外がないことからも明らかです。称徳→光仁・称光→後花園・後桃園→光格といった事例のように、前天皇とは血縁関係の遠い人物が即位したことは歴史上何度かありますが、いずれにしても男系で皇統につながっています。また、皇后の在り様からも、8世紀初頭においてすでに、皇位継承が男系に限定されていた、と窺えます。皇后の条件は令においてとくに規定されていませんが(これは、天皇について令で規定されていないことと通じると思います)、妃の条件が内親王であることと、藤原氏出身の光明子を皇后に立てるさいの聖武天皇の勅の歯切れがきわめて悪いことから、皇后には皇族(内親王)が想定されていた、と考えるのが妥当でしょう。これは、6〜7世紀には皇后(大后)の即位が珍しくなかったからだと思います。その意味で、光明子が皇后に立てられたのは画期であり、これ以降、皇后が即位することはなくなります。皇族でなくとも皇后に立てられるという先例ができた以上、皇后を即位させるという選択肢がなくなったのでしょう。 藤原氏が皇后を次々と輩出し、天皇の外戚となることで権力を掌握したことも、男系での皇位継承を大前提とする体制に順応したと解釈すべきだと思います。藤原氏はあくまでも、娘を天皇もしくは皇位継承の有力者の「正妃」とすることで権力を掌握しようとしたのであって、自身が即位しようという具体的な動きは確認されていません。また、藤原氏出身の女性を母とする天皇は奈良時代以降多いのですが、これを母系的観点から解釈することは無理筋だと思います。藤原氏自身も父系的な氏族であり、藤原氏の娘は基本的に母系ではなく父系により高貴な出自を保証されているからです。 もちろん、古代に限らず、日本において母方も財産やそれに基づく政治的地位に大きく貢献していますが、それは現生人類(Homo sapiens)において普遍的な、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続ける、という特徴に由来するのだと思います。こうした特徴が人類社会を重層的に組織化した、との観点は重要だと思います(関連記事)。その意味で、古代日本社会を双系的と解釈する見解には一定以上の妥当性があると思います。しかし、少なくとも皇族(王族)や有力氏族は6世紀半ば以降に父系的構造を形成して維持しており、母方も重要だからと言って母系的とは言えないでしょう。支配層の母系継承かもしれない事例としては、9世紀〜12世紀の北アメリカ大陸のプエブロボニート(Pueblo Bonito)遺跡が挙げられていますが(関連記事)、それは古代日本の皇族・有力氏族の地位・財産継承とは大きく異なります。 そもそも、人類は父系的な社会から現在のような多様な社会構造を築いた、と私は考えています(関連記事)。人類社会において父系的な継承が多いのは、それが長く基準だったからで、「唯物史観」での想定とはまったく異なり、農耕開始以降に初めて出現したわけではない、というわけです。現代および記録上の人類社会では、父系的とは言えないような社会構造も見られます。それはアフリカから世界中への拡散を可能とした現生人類の柔軟性に起因し、「未開社会」に父系的ではなさそうな事例があることは、人類の「原始社会」が母系的だったことの証拠にはならない、と私は考えています。そもそも、「未開社会」も「文明社会」と同じ時間を過ごしてきたのであり、過去の社会構造を維持しているとは限らない、という視点を忘れるべきではないでしょう。人類におけるこうした社会構造の柔軟性をもたらしたのは、上述したように、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続ける、という特徴に由来すると思います。少なくとも現生人類にはこの特徴が顕著に発達していますが、それはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など他系統の人類にもある程度以上共通している可能性もあるとは思います。 最後に話を皇位継承に戻すと、現在の規定において皇位継承が危機に瀕していることは、この問題に関心のある人が等しく認めているでしょう。それでも解決策の検討が具体的に進展しないのは、悠仁親王の存在が大きいと思います。しかし、現行の規定でも数十年後の皇位継承を可能とするには、もはや悠仁親王が男子を儲けるしかなく、それに期待すると言ってしまうような政治家はあまりにも無責任で(関連記事)、政治家失格と言うべきでしょう。これも、政治家をはじめとして有力者には50代後半以上が多く、悠仁親王の結婚と子供が本格的に問題になる頃にはすでに死んでいるか、現役ではないからだと思います。これは解決困難な問題の先送りに他ならず、多くの解決困難な問題を抱える現代日本社会の弱点ですが、現代日本社会でとくに深刻というわけではなく、人類社会に普遍的な事象だと思います。とくに皇位継承問題は、政治家にとって票になりにくい上に、どのような解決策でも影響力があり声の大きな複数の著名人に批判されることになるので、政治家が先送りにしたいという心情はよく理解できます。 正直なところ、1980年代に小学校高学年だった頃から近年までずっと天皇制廃止論者だった私としては、このまま男系維持派に大きな声を挙げ続けてもらい、天皇制が自然に消滅してほしい、とさえ考えたくなりますが、近年では天皇制廃止論にやや否定的になったので、天皇制の自然消滅を強く願っているわけではありません。なお、小学校高学年から天皇制廃止論者だった私は、当然のごとく改憲を支持しており、日本国憲法第9条も改正して軍隊の保有を明記すべきだ、とずっと考えてきました。これは今でも変わりませんが、少数派の改憲論だという自覚は小学生の頃からあったので、ネットでの匿名での発言以外では、誰かに打ち明けたことはありません。 現状では、皇位継承の長期的な安定性を確保するには、男系維持の立場からの旧宮家の男性の皇族への復帰か、まだ若い女性皇族がいるうちに女系継承も認めるかのどちらかしかないと思います。皇位継承が長期にわたって男系を大前提としてきたことは間違いありませんが、誕生時には皇族ではなかった男性が即位した事例(醍醐天皇)もあるとはいえ、父系では600年以上さかのぼらないと天皇にたどりつかない人物が、即位はもちろん皇族に復帰することもあまりにも異例の事態で、正直なところ、国民の理解が得られるのか、はなはだ疑問です。少なくとも現時点では、女系継承の方が国民の圧倒的に多くの支持を得られそうです。しかしこれも、愛子内親王への国民の期待によるところが大きく、旧宮家の男性で、人格・知性・体力・容貌に優れた人物がいれば、旧宮家の皇族復帰が国民の圧倒的支持を得られるようになるのではないか、と思います。 私は、男系による皇位継承は長期にわたって大前提ではあったものの、天皇(大王)の本質としては、時代の変化に柔軟に対応して存続してきたことの方が重要だと思うので、日本が今後属すべき社会の価値観という観点からも、若い女性皇族がまだ複数いるうちに女系継承を認めるべきだと思います。ただ、政府、とくに現在の安倍晋三内閣がそう決断するのは、支持基盤の問題もあって難しいでしょうから、このまま女性皇族が結婚により次々と皇族を離れていき、悠仁親王に息子が期待できないような状況になってやっと、皇室典範の改正により旧宮家の男性の皇族復帰が検討されるようになるのではないか、と予想しています。まあそれでも、天皇制廃止よりはましなのかな、と最近では考えています。 https://sicambre.at.webry.info/201905/article_21.html
▲△▽▼ 2019年09月09日 Y染色体ハプログループDの改訂 恥ずかしながら、3ヶ月近く前(2019年6月19日)に遺伝子系譜学国際協会(ISOGG)がY染色体ハプログループ(YHg)Dの分類を改訂していた、と先週(2019年9月第2週)知りました。YHg-Dは世界でも珍しく、日本人の「特異性」の遺伝的根拠として、「愛国的な」人々がよく言及しているように思います。そのため、現代日本社会ではYHg-Dへの注目度が高いようで、このYHg-Dの改訂も「愛国的な」人々の一部の間では割と早くから知られていたようです。 具体的な改訂点ですが、現代日本人で多数派のYHg- D1b1がD1a2aに変更されています。「縄文人」で確認されているD1b2はD1a2bに変更されています。なお「縄文人」では、現代日本人で多数派のD1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません(関連記事)。これは、現代日本人のD1a2aが弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した可能性を示唆します(関連記事)。もちろん、現時点では東日本の「縄文人」でしかYHgは確認されていないので、今後西日本の「縄文人」でD1a2aが確認される可能性は低くないでしょう。しかし現時点では、現代日本人のD1a2aが「縄文人」ではなく弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団に由来する、という想定も有力な仮説の一つとして扱われるべきだと思います。なお、チベットで多数派のD1a2はD1a1bに、フィリピンで見られるD2はD1bに変更されています。 このように変更された理由は、今年6月10日に公開された研究(Haber et al., 2019B)で、じゅうらいはYHg-DE*とされていたナイジェリア人の系統が、YHg-D0と新たに分類されたためだと思います。新たに提唱された分類名なので、既存の分類名を優先して整合的な分類とするため、D0と提唱された系統はD2にされたのだと思います。この研究は、じゅうらいのYHg-Dの名称を変更せずにすむように、D0という分類名を提案したので、そのままにしておけばよいのではないか、とも思うのですが、門外漢の私が的外れなことを言っているだけかもしれませんので、抗議するつもりも、否定してじゅうらいの分類名を使い続けるつもりもありません。 参考文献: Haber M. et al.(2019B): A Rare Deep-Rooting D0 African Y-Chromosomal Haplogroup and Its Implications for the Expansion of Modern Humans out of Africa. Genetics, 212, 4, 1241-1248. https://doi.org/10.1534/genetics.119.302368
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_24.html ▲△▽▼ 2019.5.13
縄文人は現代の日本人と比べ肉や魚を消化しやすい遺伝子を持ち、遺伝的な多様性は低いことがゲノム(全遺伝情報)の解析で分かった。国立科学博物館などの研究チームが13日、発表した。 日本人全体ではゲノムの10%、アイヌ民族ではゲノムの70%が縄文人に由来することが分かった。 今回の解析では、国内の地域ごとに縄文人から現代人に受け継がれたゲノムの割合が大きく異なることもわかった。 東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、 北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。 縄文人は現代の日本人と比べ肉や魚を消化しやすい遺伝子を持ち、 遺伝的な多様性は低いことがゲノム(全遺伝情報)の解析で分かった。 国立科学博物館などの研究チームが13日、発表した。
縄文人が狩猟や漁労を中心に小集団で生活していたことが遺伝情報からも裏付けられた。 チームは北海道・礼文島の船泊遺跡で出土した3500〜3800年前の縄文女性の歯から採取したDNAを分析。 その結果、肉など高脂肪食の消化を効率的に助けるタンパク質を作るよう遺伝子が変異していることが分かった。 アザラシなど肉食が中心の北極圏のエスキモーに多くみられる現象で、現代の日本人にはみられないという。 また、ゲノムの多様性が低い状態が旧石器時代から約5万年にわたり続いていたことも判明。 小集団で生活していたことを示すもので、獲物を求め移動を繰り返す縄文人の生活を反映しているらしい。 このほか日本人全体ではゲノムの10%、アイヌ民族ではゲノムの70%が縄文人に由来することが分かった。 また、縄文人は1万8000年〜3万8000年前に大陸民族から遺伝的に分かれたことも判明した。 https://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/190513/lif19051317590013-n1.html ▲△▽▼ 現在のアイヌ人のY-DNA出現頻度調査まとめ D1a2* 81.25%: 縄文系 D1a2a1 6.25%: 和人系 C2 12.5%: オホーツク文化人系 現代琉球人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2--45.1% : 縄文系 O1b2-23.3%(旧表記O2b) :長江系稲作民 O2---18.9%(旧表記O3):漢民族系 C2----1.5% :縄文系 C1----6.8% :縄文系 O1b1--0.8%(旧表記O2a) :長江系稲作民 現代日本人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2a--32% :以前は縄文系だと言われていたが否定された、四川省の焼畑農耕民の可能性が高い O1b2-32%(旧表記O2b) :長江系稲作民 O2---20%(旧表記O3):漢民族系 C2----6% :縄文系 C1----5% :縄文系 O1b1--1%(旧表記O2a) O1a---1% : 長江系稲作民 N1----1% D1a,Q1--1%未満 (2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390) 韓国人のY-DNAハプロタイプの出現頻度
O2: 43.3% : 漢民族系 O1:30.0% : 長江系稲作民 C2: 11.3% : モンゴル・ツングース系 現在の台湾の先住民系民族のY-DNAハプロタイプの出現頻度
O2 :11.7% : 漢民族系 O1 :80.3% : 長江系 http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-2.htm 現在の中国の自称漢民族のY-DNAハプロタイプの出現頻度 O2 53.3% : 漢民族系 O1 24.5% : 長江系稲作民 C2 7.8% : モンゴル・ツングース系 N 6.9% : トルコ系 http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-16.htm ▲△▽▼
日本人のガラパゴス的民族性の起源 Y-DNAハプロタイプ 2019年6月版 ツリー http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm
日本人のガラパゴス的民族性の起源 mtDNAハプロタイプ 2019年5月取得ツリー増補版 http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-1.htm 日本人のガラパゴス的民族性の起源 2018/10/18 日本人の源流考 v1.6 http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-2,0-5,15-28,18-2.htm#0-2
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