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不破哲三の正体
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/650.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 9 月 28 日 17:54:28: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 朝鮮総連と日本共産党は最初は一体だった 投稿者 中川隆 日時 2019 年 8 月 17 日 23:57:45)


不破哲三の正体

【我那覇真子「おおきなわ」#56】
沖縄「反日」運動の正体〜篠原常一郎氏が語る「日本共産党」の実像[桜H31-2-15] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=VZhWQWt4Mys


2019/02/15 に公開

司会:我那覇真子(「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員・チャンネル桜沖縄支局キャスター)

沖縄「反日」運動の正体〜日本共産党の実像とは
ゲスト:篠原常一郎(ジャーナリスト / 元民主党・共産党国会議員秘書)


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【我那覇真子「おおきなわ」#57】
日本(沖縄)に潜むチュチェ思想の正体〜篠原常一郎氏に聞く[桜H31-2-22] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=9Ldoz5EvGt0


2019/02/22 に公開

司会:我那覇真子(「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員・チャンネル桜沖縄支局キャスター)

@主体思想(チュチェ思想)とは何か
ゲスト:篠原常一郎(ジャーナリスト / 元民主党・共産党国会議員秘書)


▲△▽▼


2018年4月5日
日本共産党の七不思議…不破哲三前議長の大豪邸住まいと”芸名使用”が話題に
https://news-vision.jp/article/188154/


不破哲三日本共産党前議長(88)が時事通信のインタビューに応じ、天皇制や元号問題について語るも、なぜかSNS上では前議長の大豪邸と芸名疑惑に興味が集中、明らかになった超ブルジョアぶりに騒然となっている。

不破氏が久々にメディアに登場、3月24日の時事通信のインタビューの中で、天皇の政治関与を禁止した憲法4条について「昭和天皇の時代には、ほとんど守られなかった」「現天皇は心得ている」とする自論を述べた。また元号問題についても「時代が区分される時代ではない。やめた方がいい」とする提言をみせ、カリスマの健在ぶりを示した。

だが、この不破氏のインタビューに対し、作家・百田尚樹(62)が(内容とは無関係に)「共産党の不破哲三前書記長の邸宅がどれほど凄いものか、末端の共産党員は知っているのだろうか。門から屋敷に辿り着くまで、車で森の中を走る大邸宅なんて、滅多に住めない。凄い蓄財力だ。要するに、これが共産党。ちなみに『不破哲三』というかっこいい名前は芸名で、本名は上田健二郎」といったツイートを投稿して、これが反響を呼ぶ大盛り上がりをみせている。

百田氏の発言へのリツイートの中には「こうした人物が平等を標榜するのだから無茶苦茶」「この中で専属シェフによる高級フレンチを食べてるわけですね。『なぜ差別は無くならないのか?』とか言いながら」「中国共産党と同じ構図ってことですね。知らぬは末端の支援者だけ…」「格好いい名字には小学生の頃憧れましたね」などと平等を説きながら桁外れのブルジョアを謳歌する日本共産党指導者の暮らしぶりに興味が集中した。

■用心棒と運転手、料理人が常駐する小学校よりデカい大豪邸

不破氏の大豪邸は、16年7月の週刊文春(文藝春秋社)の「引退後も特権享受不破哲三は『赤い貴族』」なる記事で紹介されている。場所は神奈川の別荘地・津久井の山中深くにあり、広さは3265平米(約九百八十八坪)。航空写真でみると近所の小学校と変わらぬ大きさを誇っている。

敷地の所有者は不破哲三こと上田健二郎氏ながら、敷地内にある4棟の建物の内、2棟は日本共産党の所有物という公私の線引きのない形態となっている。そして建物には「不破氏の秘書、ボディーガード兼運転手、料理人が常駐していた」と関係者は語っている。

だが、なぜ不破氏は日本共産党のトップといえど、このような大豪邸が建てられたのだろうか。日本共産党の元党員・篠原常一郎氏による月刊正論(16年11月号/産經新聞社)の「幹部の収入を暴露!」という記事によれば、2つの秘密があるという。1つには、一般の党職員と幹部の給与格差がある。日本共産党でエリートといわれている常任幹部会委員で最低年収1000万円以上が保証されている。若い職員や地方の党職員の給料とは雲泥の差があることは言うまでもない。

2つ目は著書の印税に秘密があった。党内では「幹部の印税は中央財政に繰り入れられる」と説明しているがそれはウソだというのだ。幹部が出した出版物は党機関紙のしんぶん赤旗で宣伝しまくり、末端党員に購買をすすめつつ、少なめに刷った最初の「一刷分の印税」を党に寄付した後、二刷分以降の印税すべてを著者の懐に入れるという巧妙な稼ぎのテクニックがあるという。

平等を訴える共産党指導者の、桁外れのブルジョアぶりは世界共通のようである。ただし、名誉のために付記するが、同党の志位和夫委員長(63)のご自宅は慎ましやかな公団分譲マンションなんだとか。くれぐれも志位委員長や小池晃副委員長(57)には庶民の味方という立場を貫いてもらいたいものだ。
https://news-vision.jp/article/188154/

▲△▽▼


不破 哲三(ふわ てつぞう、1930年1月26日 - )は、日本の政治家。日本共産党中央委員会常任幹部会委員、党付属社会科学研究所所長。前党中央委員会議長。元衆議院議員。“不破”はペンネームで本名は上田 建二郎(うえだ けんじろう)。

日本共産党元副委員長の上田耕一郎は実兄。父は教育評論家の上田庄三郎。

経歴

当時上田家には「跡取り」がいなかったため、父子共々養子として引き取られる[要出典]。両親は高知県の出身[1]。

旧制東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)、第一高等学校を経て、東京大学理学部物理学科卒業。

1970年、40歳で日本共産党の書記局長に就任し[2]、当時マスコミから「共産党のプリンス」と呼ばれた。1974年1月29日の予算委員会では、日本分析化学研究所が実施していた放射能測定で、データがねつ造されていることを指摘した(「米原子力潜水艦放射能測定不正事件」)[3]。

1982年に宮本顕治が中央委員会議長になり、不破が幹部会委員長に就任した。1984年にキューバのフィデル・カストロと3時間以上に及んで会談した。

詳細は「日本とキューバの関係」を参照

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%90%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82


1987年に心臓手術のため幹部会委員長を降り、中央委員会副議長になった。村上弘委員長退任後、幹部会委員長に復帰した。選挙で党の躍進が続いた頃、マスコミから「スマイリング・コミュニスト」(微笑する共産主義者)(1998年度流行語大賞特別賞受賞)と呼ばれた[4]。1998年に、31年間対立・絶縁していた中国共産党との交流を再開した。

2000年の党大会で中央委員会議長に就任。2004年の党大会で全面的な綱領改定の提案をおこなった。2006年1月の党大会で高齢などを理由に議長職を退任し、党付属社会科学研究所の所長に就任した。

130冊以上の著作がある。また、「赤旗」の評論員論文・無署名論文の多くを執筆したともいわれる。

年表

1930年(昭和5年)教育評論家の上田庄三郎の次男として東京府豊多摩郡中野町(現・東京都中野区)に生まれる。

1947年(昭和22年)日本共産党に入党する。

1953年(昭和28年)東京大学理学部物理学科を卒業して、鉄鋼労連(現・基幹労連)に書記として就職する。


1964年(昭和39年)日本共産党中央委員に就任する。

1969年(昭和44年)衆議院議員に初当選する(東京都第6区、1996年の小選挙区制導入以後は比例東京ブロック単独で、連続10回当選)
1970年(昭和45年)日本共産党書記局長に就任する。
1982年(昭和57年)日本共産党幹部会委員長に就任する。
1987年(昭和62年)日本共産党中央委員会副議長に就任する。
1989年(平成元年)日本共産党幹部会委員長に再任する。
2000年(平成12年)日本共産党中央委員会議長に就任する。
2003年(平成15年)衆議院議員を引退する。
2004年(平成16年)日本共産党常任幹部会委員・日本共産党中央委員会付属社会科学研究所所長[5]。
2006年(平成18年)日本共産党議長を退任する。日本共産党常任幹部会委員留任[6]。
2010年(平成22年)日本共産党常任幹部会委員・日本共産党社会科学研究所所長[7][8][9]
2014年(平成26年)日本共産党常任幹部会委員留任[10]。
2017年(平成29年)日本共産党常任幹部会委員留任[11]。


名前の由来

『私の戦後六〇年 日本共産党議長の証言』の中で本人が「不破哲三」の由来について、自宅付近にあった塗装業者「不破建設」と、当時の職場である鉄鋼産業労働組合の「鉄」から名付けたと語っている。鉄鋼労連は総評系で日本社会党員(特に右派)が多数を占めていたため、機関誌「前衛」などへの寄稿の際このペンネームを使用していた。
実兄・上田耕一郎は、耕一郎と建二郎とで労農同盟を意味する命名であると語っている。(経済2004年1月号での鶴見俊輔との対談での発言)

エピソード

子ども向けのテレビ番組『ウゴウゴルーガ』(フジテレビ他)において政治家ではなく、登山の講師(「やまのぼりのえらいひと」)として出演したことがあるほど山登りが好き。[12]

時代小説も好きで、少年時代はその方面での作家にもなりたかったと語っている[13]。またテレビ時代劇を愛好し、時代劇専門チャンネルを視聴している[14]。

TBS『クイズダービー』に、「野党の委員長と1年生議員大会」で、当時1年生議員の高崎裕子と出場し10万点を達成した。[要出典]

2010年、読売新聞の連載企画、「時代の証言者」で、「昔は軍国少年だった」と語った[15]。

メガネが最も似合う各界の著名人として、1998年に日本メガネベストドレッサー賞(政界部門)を受賞した[16]。

直木賞作家の水上勉と交流があり、水上勉が死去した際に追悼文を書いている。[17]

妻の七加子が伝記を出版している[18][19]。


批判

日本共産党を離党した筆坂秀世は、離党後行った共産党批判のなかで、不破が2000年に日朝国交正常化交渉で北朝鮮による日本人拉致問題を事実上棚上げにすることを求めた、と主張した。不破は、(拉致問題が疑惑だった段階では)それに応じた緻密な外交努力をするべきと主張したのであって、これを拉致棚上げの主張と非難するのは曲解である、と反論している[20]。

詳細は「筆坂秀世」を参照

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%86%E5%9D%82%E7%A7%80%E4%B8%96


2017年に86歳の不破哲三が常任幹部会委員、84歳の浜野忠夫が幹部会副委員長に就任したことに触れて筆坂は80代で未だに引退せずに自身の元で人事を牛耳らせた男を三役に置いたことに「共産党の幹部の誰一人として異論を挟めない共産党の異常が露見している。共産党が普通の政党になるならばまず物言えない体制こそ改めるべき」と強く批判している [21][22]。

論文「日本社会党の綱領的路線の問題点」の中で、社会党の平和革命路線を批判する中で「『暴力革命唯一論』者の議論は,民主主義を擁護する人民の力を無視した受動的な敗北主義の議論である。しかし,反対に『平和革命』の道を唯一のものとして絶対化する『平和革命必然論』もまた,米日支配層の反動的な攻撃にたいする労働者階級と人民の警戒心を失わせる日和見主義的『楽観主義』の議論であり,解放闘争の方法を誤まらせるものなのである」と述べており、公安調査庁は共産党の「敵の出方論」を裏付けるものだとしている[23]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E7%A0%B4%E5%93%B2%E4%B8%89
 

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コメント
1. 中川隆[-11127] koaQ7Jey 2019年9月30日 11:15:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1693] 報告

飲み屋で不破哲三を批判するとすぐに密告されて共産党を追放される話


【怒れるスリーメン】Part45-D ぶっちゃけ共産党トーク!
ここまで話して大丈夫ですか?! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=O4e-tLB_FkU

9月24日収録

【出演者】
・加藤清隆(政治評論家)
・高橋洋一(嘉悦大学教授)
・篠原常一郎(ジャーナリスト 元日本共産党 国会議員秘書)

2. 中川隆[-11106] koaQ7Jey 2019年10月01日 10:43:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1714] 報告

いますぐ読みたい 日本共産党の謎 – 2009/9/17
篠原常一郎 (著), 筆坂秀世 (監修, 監修)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4198627681/ref=dbs_a_def_rwt_hsch_vapi_taft_p1_i0

内容紹介

100年に一度の大不況下でクローズアップされている、非正規社員や派遣労働者切りなど日本の格差社会が抱える不安と不満の暗部。無党派層や団塊世代ジュニアを中心に政治不信が蔓延するなかで、ネット上では志位委員長の発言が人気を呼ぶなどにわかに「日本共産党の発言力」に注目が集まっている。

そんな20~30代の団塊ジュニア世代にとって「カクメイ」「ニッキョウ」の歴史は教科書では決して教えてくれない新鮮な響きを持っている日本共産党は敵か味方か、はたまた救世主か?!

元日共最高幹部の監修による日本の革命政党の秘密を暴露解説する必読の一冊!!


内容(「BOOK」データベースより)

「蟹工船」なんか読んだって共産党のことはわからない。「共産党」と聞いて抱く疑問やイメージも本書を読めば解決。


著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)


筆坂/秀世

1948年兵庫県生まれ。高校卒業後、三和(現東京三菱UFJ)銀行に入行。18歳で日本共産党に入党。25歳で退職し、党国会議員団の公設秘書に。その後、衆議院議員候補をつとめ、95年、01年に参議院議員に当選。党政策委員長もつとめ、国会でも屈指の論客として予算委員会質疑やテレビ討論会で活躍。03年に議員辞職し、05年に離党

篠原/常一郎
1960年東京都生まれ。18歳で日本共産党に入党。

立教大学卒業後、短期間公立学校非常勤講師をつとめ、その後党専従に。党生活相談所長や国会議員候補者秘書をつとめた後、95年、筆坂参議院議員の公設秘書を皮切りに03年まで国会秘書として活動。この間、党「ムネオ問題追及チーム」などに加わり、筆坂氏の下で働く。

その後、党中央委員会に勤務した後、突如査問を受け04年に党除籍。

以降は、ジャーナリストとして活動し、ビジネス記事や中国などアジア諸国を取材してのルポ記事を執筆(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


カスタマーレビュー


blackstar 5つ星のうち5.0
元「専従」による「お笑い日本共産党」 2009年10月27日

 ワーキングプアの問題、「蟹工船」ブームによってにわかに再評価されたかのように見えた日本共産党。その割には総選挙で議席を伸ばしたわけでもない。若い人はもはや魅力を感じない政党なのか?(方針だけみると民主党がもはや共産党みたいだし)あるいは秘かに党員を獲得しているのか?共産党員の生活は? 

 本書は今一つ実態がつかめない日本唯一の革命政党について、元「専従」(在家ではなく出家みたいなものか)職員がユーモアを交えてわかりやすく明かす「日本共産党の謎」。

 そして予想していた事だが共産党は「もはや革命政党であることは目指しておらず」「天皇制打倒も叫んではいない」し、「自衛隊の存在も暗に認めている」。元々「正社員労働者を指導する党」であったため、派遣社員やホームレス支援に党として積極的であったわけではない。さらに一部の幹部党員 (この本は一種の不破哲三批判本でもある) が裕福な生活を送っているのに比して「専従職員こそワーキングプア」である、という事実を暴露している。そして一部の宗教団体のように党トップの方針が絶対視されるあまり、党員は官僚化・硬直化し世間とズレていってしまう。

 とはいえ著者は共産主義そのものに失望している風でもない。マルクスの著書にはまだまだ読むべきところがあると言っているし、日本共産党の一般党員には無私で他人のためにつくすいい人が多いと言う。愛ゆえの批判本である。
 


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白鯨 5つ星のうち5.0
今のところ最高の日本共産党入門書 2009年10月4日

日本共産党に関する正確な知識が手軽に得られる本。

今の日本共産党の実像を知りたい人は、読むのもあほらしい党文書か、左翼用語満載の新左翼or共産趣味者向けか、ろくに敵を知らないネット右翼の駄文しか選択肢がなかった。それを普通の人にもわかりやすくしたのが、著者の元上司筆坂秀世の「日本共産党」だが、書き慣れていないのと、マーケットの要請でセクハラえん罪事件等にページを割かなければならなかった分限界があった。

篠原常一郎氏は、かなりの筆達者の上に、筆坂氏に課せられていた制限も受けない。マルクス・レーニンの素養(これがない日共の多いことw)もあれば、共産党の内部にも詳しい。個人的に驚いたのは、労働者派遣法改悪(と書いてある。個人的には改正だと思っていた)時に現在の派遣社員の状況を共産党は正確に見抜いていた(私は見抜けなかった)ことだ。これに気がつき、同じ危機感を共有していた大手人材派遣会社もあったという。にもかかわらず、日本共産党中央委員会は・・・

その他、恋愛事情や共産党議員のスーツなど、小ネタも満載。かつての仇敵佐藤優の寄稿など盛りだくさん。不破哲三のマルクス論を笑える人から、民青の勧誘に困っている大学生まで十分な知識が得られるだろう。

それにしても日本共産党、これからやりづらいだろうな。こんな本を書く人が民主党の政策秘書になってんだからw

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sonojordan VINEメンバー 5つ星のうち5.0
共産党よどこへ行く? 2009年12月26日

子どもの頃(70年代)BCL(ブロード・キャスティング・リスナーズ)をしていて朝鮮の声を聞いていると「共産党に入党させられるぞ」と脅されたものだ。
そのころの共産党とは日本では革命路線を叫んでいたが、すでに世界の共産主義圏と日本の共産党は断絶していたのだということを本書で知り目から鱗だった。

今、筆者は選挙では共産党に勝手に連帯しているが、そんな浮動票(無党派層)には日本共産党の入門書としてわかりやすく、しかも意外におもしろい。
もはや「科学的社会主義」の真髄はどこへやらの日本共産党の今後は何処へ?

3. 中川隆[-11096] koaQ7Jey 2019年10月01日 16:28:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1724] 報告

不破哲三が金の亡者になった経緯

緊急特番「チュチェ思想研究会inチャンネルくらら」
篠原常一郎 上念司【チャンネルくらら・3月4日配信】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EI0I2uJDl1A

4. 中川隆[-11080] koaQ7Jey 2019年10月03日 03:33:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1742] 報告

不破哲三が金の亡者になった経緯 2


#2019-09-13 テーマライブ「拉致被害者とチュチェ思想」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=osnB_Q3PXNI

5. 中川隆[-11030] koaQ7Jey 2019年10月05日 17:46:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1795] 報告

篠原常一郎 オレの話し。古き良き時期の日本共産党幹部たちの思い出 #2019-09-09 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xTAQ5To7IpQ


2019/09/08 に公開

ご要望にお応えしての共産党良き時代の思い出話。
正森成二、吉岡吉典、上田耕一郎のエピソード、現職国対幹部に不正行為をやらされ話。

6. 中川隆[-11015] koaQ7Jey 2019年10月07日 09:28:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1813] 報告
#2019-09-14 オレの話し。マルクス主義とレーニン主義。
コミュンテルンからチュチェ思想まで。 破綻しても共産主義の強い影響力 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=13D9s1RxP1U


#2019/09/14 オレの話し。マルクス主義とレーニン主義。コミンテルンからチュチェ思想まで。 破綻しても共産主義の強い影響力。

マルクス主義とレーニン主義は違う?
元共産党員が語る共産主義のあれこれ〜コミンテルンからチュチェ思想まで
体制としての共産主義が破綻しても、21世紀の今まで強い

体制として破綻しても21世紀の今まで強い影響を持つ共産主義。マルクスから解き明かし、独裁主義につながる民主集中制を持ち込んだレーニン、さらにコミンテルン結成とその支部として生まれた日本共産党。一方で平和的な議会主義のドイツ社民党の中に生き続けるマルクシズム、マルクス・レーニン主義を掲げて日本共産党と覇を競った旧日本社会党…泡盛を啜りながら問題意識を語りました。

7. 中川隆[-14818] koaQ7Jey 2019年11月19日 21:06:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1905] 報告

チュチェ思想と不破哲三さん




なんと、不破哲三さんが最近もチュチェ思想批判に関わる本を出していた!…チェックせず大反省だが、中身は志位和夫さんの言ってることと違う(汗)
8. 中川隆[-13067] koaQ7Jey 2020年4月20日 18:51:26 : at6ayMU0Ck : WklkR3pzU3dhZmM=[55] 報告
残酷を直視できない「事なかれ主義」の日本人 2020年04月20日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1097.html

「残酷を直視できない事なかれ」は1960年代末の全共闘運動のなかで、すでに見られた。

 「命を賭して」なんて勇ましいかけ声があふれかえるなかで、東大安田講堂や新宿の路上騒乱でも、飛び交うのは命どころか、せいぜい、石と火炎瓶程度にすぎなかった。

 対する警察側も、せいぜい警棒とジュラルミンの盾、それに催涙弾程度だった。
 「命を賭した」ならば、実弾が飛び交うのが筋であり、結末は天安門事件のように残虐な死体の山ということになるべきだった。

 私も興奮しながら参加した、あの当時のデモも、結局、かけ声ばかりで、残酷を直視する姿勢はなく、「事なかれ主義」が横行していたのである。

 今回の新型コロナ騒動の全体像が、日を追うごとに鮮明になりつつあるが、それらの流れのなかで、浮き上がってきた問題点も、はっきり見え始めている。
 私が、1月末の報道(主に羽鳥MS)から一貫して感じているのは、日本政府や関係者の共通点、うんざりするほどの「事なかれ主義」である。

 安倍晋三がコロナ禍をひどく軽く考え、オリンピック開催を第一義に情報操作する姿勢を見せていたのは、はっきり分かった。
 PCR検査をしたがらないのも、疫病パンデミックという恐ろしい事態を矮小化、小さく、軽く見せようとして、なんとか無理矢理でもオリンピックを実現したい、という軽薄な考えの上に、見せかけだけの対策を行っている姿がはっきり見えていた。

 とにかく、事態の深刻さを直視したくない。政権の人気取りだけは大げさに報道するが、直面する事態を軽く見せかけ、すぐにでも解決できるようにしか公表しない。

 期待していた「オリーブの木」の黒川君までも、コロナ禍に関して「事なかれ」姿勢が見えたので、本当にがっかりした。そういう姿勢では、これからの恐ろしい時代を真正面から切り開くことなどできるはずがない。
 靖国神社を参拝するなどの無益な冒険を敢行できるなら、もっと真剣に問題を受け止められるはずだ。

 メディアの司会者の大半も、事態の深刻さを理解できている者は、テレ朝の玉川徹を除いて、ほとんどいなかった。
 日本人は、どうして、ここまで現実にある問題の矮小化=「ことなかれ」が好きなのだろう?
 私は、「残酷を直視できない」日本人の文化的パーソナリティに大きな問題があるような気がしている。

 外国映画やドラマを見ていると、日本では、まずお目にかかれない残虐シーンが、これでもかと豊富に出てくる。
 フリンジ・NCIS・Bones・lie to me 手元にあるDVDをみても、ほぼすべてのドラマが、まるで残虐シーンの競争をしているように、これでもかと破損腐敗した遺体をリアルに題材にしている。

 戦争映画でも、ライアン・地獄の黙示録・プラトーン・フルメタルなど、すべての映画に、銃弾で頭が吹っ飛ぶシーンとか、銃器自殺とか、本当の殺人シーンを再現しているような迫力のある残酷シーンが目白押しだ。

 翻って、日本映画やドラマで、遺体の出てくるシーンがあったとしても、アンチリアリティの制約でもあるのかと思える実に抽象的で陳腐な表現ばかり。
 人が死んでいても、アメリカドラマのように脳味噌が吹き飛んだり、腐敗してウジが湧いていたり、血糊が変色して黒ずみ、真っ黒の臓物が飛び出していたりするシーンは、ほとんど見たことがない。

 以下は、残酷と称する映画の予告編だが、アメリカの映画関係者が見たら、お笑い芸人の遊びにしか見えないだろう。
 https://www.youtube.com/watch?v=DK0Z2F06U5A

 血が噴き出たり、肉片が飛んだりの現実感が希薄なのだ。だから、座頭市など日本映画のチャンバラシーンは、現実感のない観念的な映像ばかりだったので、「殺人でなく、体操にすぎない」と、海外では不評だった。
 後に、勝やタケシが、少しはリアリティのある殺陣を公開してみても、どこか芝居じみて現実感に乏しい表現から逃れられないでいる。

 テレビドラマで、毎回死体が登場する、沢口靖子の科捜研シリーズとか、内藤剛志の刑事シリーズなども、24時間経た遺体の血糊が顔料赤のままになっていて、リアリティからほど遠い子供だまししか感じ取れず、現実感・空気感・肌に染み入る衝撃を感じることができないことにより、とてもアホらしくて見ていられない。

 日本製の映画やドラマが評価されないのは、こうした真実・現実から乖離した観念的でリアリティのない表現ばかりであることが最大の原因だろう。演出家たちは、かつて川内康範が作詞のリアリティを得るため日航機事故の遺体置き場に通ったような努力が必要だろう。

 というより、こうした「残酷を直視できない事なかれ」は、戦後のある時期までは、戦争の残虐を体験させられたことの反作用だったのだろうが、その後、日本人から勇気や精神的タフネスを奪うために、意図的に演出された路線だったような気さえするのだ。

 もう少し言えば、これはCIAの日本国民コントロール政策に含まれた陰謀だったかもしれない。
 「血を見ることを嫌悪する」心優しい日本人ばかり作って、小さな犠牲を厭わず戦闘的な姿勢を奪い去る仕掛けだったかもしれないのだ。
 こうした傾向は、1960年代末の全共闘運動のなかで、すでに見られた。

 「命を賭して」なんて勇ましいかけ声があふれかえるなかで、東大安田講堂や新宿の路上騒乱でも、飛び交うのは命どころか、せいぜい、石と火炎瓶程度にすぎなかった。
 対する警察側も、せいぜい警棒とジュラルミンの盾、それに催涙弾程度だった。
 「命を賭した」ならば、実弾が飛び交うのが筋であり、結末は天安門事件のように残虐な死体の山ということになるべきだった。

 私も興奮しながら参加した、あの当時のデモも、結局、かけ声ばかりで、残酷を直視する姿勢はなく、「事なかれ主義」が横行していたのである。
 「これが日本人の文化的パーソナリティ」と言ってしまえば、それまでだが、世界の他国では、アメリカの映画やドラマに出てくる残酷こそが真実なのだ。
 日本人は、あるべき真実を、たくさんのオブラートで包んで、雰囲気だけを味わって「行き着くべきところに行き着かない」という臆病さがあると考えるべきだろう。

 こうした日本的臆病が、今の日本政府の「事なかれ主義」による重い重い、無意味な政策の羅列につながっていて、日本人が事態を正しく直視することを妨げている。
 それどころか、日本的事なかれ主義は、今や、ネット界の主流にもなってしまっている。
 ユーチューブも、残酷シーンがわずかでも含まれている動画は、片っ端から削除していて、昔のような自由な情報収集が不可能になっている。
 今、私が、この文章のなかで「残酷シーン」を紹介しようとしたら、ほぼすべてのシーンが削除されてしまって、これでは「残酷」とは何であるのか、子供たちに理解させることさできなくなっている。

 まさに日本流事なかれ主義が、世界のSNSを制覇しているような状況で、かつてイスラム国が捕虜の首を切断する生々しい映像も、今や探し出すことさえできない。
 逆に言えば、ネットSNSを利用している世界中の読者は、世界には残酷が存在しない、蝶と花だけの世界であるかのような洗脳をもたらしているのではないか?

 ネット上には、ネットの残酷シーンに拒絶反応を示して、追放を要求する知性も思索もない馬鹿が溢れているが、現実社会が蝶や花だけの世界と勘違させられている連中が、いざ、コロナ禍のような事態に遭遇して、対策を正しく考えることなどできるはずがない。

 我々の人生には、苦もあれば楽もあり、天国もあれば地獄もある。人生に真正面から対峙し、苦難を克服するには、良いことも悪いことも、あらゆるすべての情報が必要なのだ。
 ユーチューブのように、「残酷排除」のような愚かな姿勢では、子供たちは正しい人生観を持てなくなる。
 我々は、すべての真実を隠蔽しないで見せるメディアを必要としているのではないのか?
 もう、いいかげん「事なかれ主義」は追放されなければならない。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1097.html

9. 2020年6月05日 15:54:47 : CHEpe0BMzk : Zy4uZzNMa2NtWDY=[9] 報告
「不破哲三」夫人が逝去 共産党の“実質トップ”だった素顔
週刊新潮 2020年6月4日号掲載

姉さん女房だった(他の写真を見る)

 5月17日、91年の人生をひっそりと閉じた上田七加子(なかこ)氏。日本共産党の前議長・不破哲三氏(90)=本名・上田建二郎=の奥方である。

速報自民党議員がご近所トラブル 焼肉店に「ダクトとファンを使うなら1日150万円払え」

「長野生まれの七加子さんは、戦後、19歳で共産党に入党。不破氏と出会い、大恋愛の末に結婚して、晩年までおしどり夫婦ぶりは変わらなかったといわれています」(共産党ウォッチャー)

 生涯、党の役職には就かず、一党員として不破氏に寄り添った七加子氏。
 日本共産党にその晩年の様子を尋ねてみても〈お立場は、私人であり、党としてコメントすることはありません〉と、そっけない。

 しかし、

「私人だなんてとんでもない。七加子さんは紛れもなく、共産党の最高実力者でしたよ」

 そう笑って話すのは、元共産党員。

「選挙の遊説でも不破さんの行くところには七加子さんがお供して、商店街の方たちなんかに頭を下げて回っていました。それに、不破さんの演説を赤旗が記事にする際には、事前に七加子さんに見せるんです。彼女が原稿を削ったり書き加えたりして、まったく違う内容の文章になることも」

 七加子氏が特にご執心だったのは東京都委員会。

 元共産党政策委員長の筆坂秀世氏によれば、

「不破さんの地盤でしたから、自分の庭くらいに思っていたのではないでしょうか。あまりに口出しをするので、中国共産党の毛沢東の妻・江青をもじって“ああせい、こうせい”なんて呼ばれていましたね。不破さんにとって彼女の言うことは絶対でした」

 晩年は神奈川・北丹沢の大豪邸で優雅に隠居生活。大往生であった。
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/06050802/?all=1

10. 2020年6月05日 17:47:24 : CHEpe0BMzk : Zy4uZzNMa2NtWDY=[13] 報告
日本共産党の七不思議…不破哲三前議長の大豪邸住まいと”芸名使用”が話題に


不破哲三日本共産党前議長(88)が時事通信のインタビューに応じ、天皇制や元号問題について語るも、なぜかSNS上では前議長の大豪邸と芸名疑惑に興味が集中、明らかになった超ブルジョアぶりに騒然となっている。

不破氏が久々にメディアに登場、3月24日の時事通信のインタビューの中で、天皇の政治関与を禁止した憲法4条について「昭和天皇の時代には、ほとんど守られなかった」「現天皇は心得ている」とする自論を述べた。また元号問題についても「時代が区分される時代ではない。やめた方がいい」とする提言をみせ、カリスマの健在ぶりを示した。

だが、この不破氏のインタビューに対し、作家・百田尚樹(62)が(内容とは無関係に)「共産党の不破哲三前書記長の邸宅がどれほど凄いものか、末端の共産党員は知っているのだろうか。門から屋敷に辿り着くまで、車で森の中を走る大邸宅なんて、滅多に住めない。凄い蓄財力だ。要するに、これが共産党。ちなみに『不破哲三』というかっこいい名前は芸名で、本名は上田健二郎」といったツイートを投稿して、これが反響を呼ぶ大盛り上がりをみせている。

百田氏の発言へのリツイートの中には「こうした人物が平等を標榜するのだから無茶苦茶」「この中で専属シェフによる高級フレンチを食べてるわけですね。『なぜ差別は無くならないのか?』とか言いながら」「中国共産党と同じ構図ってことですね。知らぬは末端の支援者だけ…」「格好いい名字には小学生の頃憧れましたね」などと平等を説きながら桁外れのブルジョアを謳歌する日本共産党指導者の暮らしぶりに興味が集中した。

■用心棒と運転手、料理人が常駐する小学校よりデカい大豪邸

不破氏の大豪邸は、16年7月の週刊文春(文藝春秋社)の「引退後も特権享受不破哲三は『赤い貴族』」なる記事で紹介されている。場所は神奈川の別荘地・津久井の山中深くにあり、広さは3265平米(約九百八十八坪)。航空写真でみると近所の小学校と変わらぬ大きさを誇っている。

敷地の所有者は不破哲三こと上田健二郎氏ながら、敷地内にある4棟の建物の内、2棟は日本共産党の所有物という公私の線引きのない形態となっている。そして建物には「不破氏の秘書、ボディーガード兼運転手、料理人が常駐していた」と関係者は語っている。

だが、なぜ不破氏は日本共産党のトップといえど、このような大豪邸が建てられたのだろうか。日本共産党の元党員・篠原常一郎氏による月刊正論(16年11月号/産經新聞社)の「幹部の収入を暴露!」という記事によれば、2つの秘密があるという。1つには、一般の党職員と幹部の給与格差がある。日本共産党でエリートといわれている常任幹部会委員で最低年収1000万円以上が保証されている。若い職員や地方の党職員の給料とは雲泥の差があることは言うまでもない。

2つ目は著書の印税に秘密があった。党内では「幹部の印税は中央財政に繰り入れられる」と説明しているがそれはウソだというのだ。幹部が出した出版物は党機関紙のしんぶん赤旗で宣伝しまくり、末端党員に購買をすすめつつ、少なめに刷った最初の「一刷分の印税」を党に寄付した後、二刷分以降の印税すべてを著者の懐に入れるという巧妙な稼ぎのテクニックがあるという。

平等を訴える共産党指導者の、桁外れのブルジョアぶりは世界共通のようである。ただし、名誉のために付記するが、同党の志位和夫委員長(63)のご自宅は慎ましやかな公団分譲マンションなんだとか。くれぐれも志位委員長や小池晃副委員長(57)には庶民の味方という立場を貫いてもらいたいものだ。

https://news-vision.jp/article/188154/

11. 中川隆[-5594] koaQ7Jey 2021年4月17日 18:25:16 : RSLdzPRb1s : Y0wwMFV6MDlreDI=[48] 報告
コミンテルン成立後は、各国への政治的干渉と、組織化があり、北欧各国や英国には、たくさんのソ連スパイがいた。それは冒頭の番組に取り上げられたように、小さな町の女給さんやお手伝いさんに至るまで共産党スパイ組織が存在した。

 当時、日本でも同じように、コミンテルンによるゾルゲ事件が起きていた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%B3#:~:text=%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%B3%EF%BC%88%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E8%AA%9E%3A%20%D0%9A%D0%BE%D0%BC%D0%B8%D0%BD%D1%82%D0%B5%D1%80%D0%BD%E3%80%81,%E3%81%AE%E6%8C%87%E5%B0%8E%E7%B5%84%E7%B9%94%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82

 日本の場合は、日本共産党がコミンテルンの代理人として、国内の共産主義拠点を成立させることに奔走し、たくさんの共産党員を生み出した。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)

 だが、共産党はコミンテルンの下部組織であり、すべてソ連共産党中央委員会の指示に従わねばならず、主体的で良識ある活動家は、共産党から離れていった。
 また、不可解なことに、宮本顕治・野坂参三・市川正一など、共産党草創期の大幹部たちは、山口県、それも田布施周辺出身者が多い。岸信介・佐藤栄作兄弟、明治天皇になった大室寅之佑などだが、この謎は、まだ分かっていない。

 私の若い時代、1970年代でも、古い共産党オルグが無数にいたが、原水禁運動を巡って共産党の独善的な運動破壊が起きて、頗る評判を落としたことで、共産主義運動は勢いを失っていた。
 それは、「原水禁運動」が国民運動として巨大な盛り上がりを見せているそのときに、突如、共産党が「原水協」を結成し、「社会主義・共産主義国家の核兵器は民衆に必要なもの」という屁理屈を押しつけることで原水禁運動を破壊したことによるものだった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%B0%B4%E7%88%86%E7%A6%81%E6%AD%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A

 また、私が高校生だったころも、学内に全共闘派と民青同盟派の深刻な争いがあって、運動の統一と団結が決定的に阻害されていたが、これもコミンテルン崇拝残党の指示だったともいわれる。
 私個人のコミンテルンに対する印象をいえば、スターリンがコミンテルンを私物化し、ソ連の利権にのみ奉仕させる機関に変えたことで、日本共産党も硬直し、徹底的な組織主義的行動で、人間的な温かみや説得力を失い、共産党離れの決定的な原因を作ったと考えている。

 日本共産党が、組織主義を前提に、トップの志井体制が20年以上も続いている、いわば独裁体制が成立していることで、組織は極めて風通しの悪い、非民主的性格を帯びていると思わざるをえず、もはや共産党の国民思想運動としての復権はありえないだろう。
 また、共産党は東大のようなブランドに執着しているエリート崇拝者が多いともいわれ、これでは広く人々の支持を集めることは不可能だ。

 ソ連邦が解体され、ロシアが復活した今では、ソ連時代の独善的な本質が露骨に表に出てくるようになり、プーチン体制とは、私権、私利私欲、強欲な利己主義の代名詞になっている。プーチンは、ただ自分の権力を誇示し、自己陶酔したい一心で領土拡張に邁進し、北方領土の返還も拒否している。

 また、中国共産党が、人間性を崩壊させた強欲ぶりを発揮していることから、人々の共産主義や共産党勢力への不信感を加速させている。
 まさに、中国・ロシアのむき出しの強欲、非人間的行為が、共産主義思想の崩壊を招いているというべきだろう。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1466.html

12. 中川隆[-10880] koaQ7Jey 2024年4月16日 17:23:19 : HONZEEU5Kw : cVFmQW5SS1dDU2s=[4] 報告
<■366行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2024年04月16日
飯山陽が劣勢な理由 / 左翼の長い影
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68956522.html

日本の若者は国家意識を無くした

student riots in Japan 213Japan in 1980s
(左 : 全共闘に精を出す大学生 / 右 : 80年代のバブル景気に浮かれた日本人)

  日本の政治が混迷し、没落の一途を辿っているのは、日本人にデモクラシーが適していないからだ。そもそも、民衆が代議士を選ぶことじたいが間違っている。「政治は武士の役割」というのが日本の國體(constitution)だ。幼い頃から忠君愛国を叩き込まれた武士と、目先の利益だけを追求し、受験勉強が唯一の苦労というのが平民の子供だから、才幹と気概の点で後者は比べものにならない。

  しかも、昭和の教育が劣悪で、敗戦となるや、共産主義者と反日主義者が大繁殖。日本の政治を“左傾化”させ、“鬱血状態”や“没落の悪循環”に導いたのは、何も占領軍だけのせいじゃない。アメリカ軍の“威光”を利用して出世を謀った「敗戦利得者」や学生運動で“有頂天”になった「アンファン・テリブル(enfant terrible)」*にも原因がある。(*「他人に迷惑を掛けても平気なガキども」という意味。) 歐米諸国と同じく、我が国も「高学歴社会」となっているから、政治家や官僚、企業経営者、地方公務員、ホワイトカラーの専門職、研究所や工場の技術者などは、程度の差こそあれ、「大卒者」で占められている。となれば、大学教師は未成年の精神構造に大きな影響を与える立場にあるはず。日本人の精神がどこか異常で、奇妙なくらいに歪曲しているのは、小学校から大学に至るまで、左翼陣営の「非国民化イデオロギー」が浸透しているからだ。

  日本の先を歩く米国では、幼稚園から大学までリベラル派の独擅場となっている。以前、ブルックリン・カレッジのミシェル・ランバート(Mitchell Langbert)准教授と、ヘテロドックス・アカデミー(Heterodox Academy)研究所のショーン・スティーヴンス(Sean Stevens)所長が大学教員に関する調査を行ったことがある。彼らが実施した教員の政治意識調査によれば、民衆党支持者が共和党支持者を大きく上回っており、約「9対1」の割合であることが判った。(Christian Schneider, 'Democratic professors outnumber Republican ones by 9 to 1 ratio, according to new data', The College Fix, January 22, 2020.)ランバート氏とスティーヴンス氏は、政党に登録している1万2千372名をサンプルにして大学教授の政治指向を調査したが、驚くことに、そのうちの48.4%が民衆党員であり、共和党員はたったの5.7%しかなかった。これが一般国民だと違っており、29%が民衆党員で、26%が共和党員となっている。この調査では、政治献金についても質問がなされており、民衆党の候補者に献金した教授と共和党の候補者に献金した教授の比率は、「95対1」であったというから、まさしく目眩がする数字だ。

  たぶん、日本でも状況は似たり寄ったりだろう。国立や私立の区別はなく、ほとんどがプロ左翼かピンク・リベラルとなっている。今では「遠い昔の出来事」となっているが、1960年代から70年代にかけての大学は、左翼分子の特殊部落であった。文学部や法学部、教育学部、史学部などはもちろんのこと、自然科学を専攻する学生でも、全学連や全共闘に加わって暴れ回っていた。明治から昭和の前半くらいまで、教師と学生との私的な交流というものがあったが、フランスの極左学生みたいな連中が増えたことで、日本の伝統はズタズタになってしまった。教授を皆の前で罵倒し、吊し上げることを喜んでやっていたんだから、支那の文化大革命と同じだ。

Jean-Pierr Duteuil 213343(左 / ジャン・ピエール・デュトゥール)
  1968年5月には悪名高きフランスの左翼暴動が起きたけど、日本でもこれに触発されたのか、左巻きの大学生がキャンパスで猿真似に興じていた。パリの5月暴動で学生の先頭に立っていたのは、札付きの“赤い三人衆”で、ドイツ生まれのアシュケナージ・ユダヤ人たるダニエル・コーン・ベンデット(Daniel Cohn-Bendit)、アルザス出身のユダヤ人であるアラン・ジェスマル(Alain Geismar)、そしてPSUに属していた社会主義者のジャック・ソヴァジョ(Jacques Sauvageot)であった。コーン・ベンデットの親友であったジャン・ピエール・デュトゥール(Jean-Pierr Duteuil)は、アナーキストのマルキスト。父親も筋金入りのマルキストであったから、親子代々の共産主義者だ。

Daniel Cohn Bendit 0324Alain Geismar 21334Jacques Sauvageot 324Oda Makoto 992
( 左 : ダニエル・コーン・ベンデット / アラン・ジェスマル / ジャック・ソヴァジョ / 右 : 小田実)

日本の左翼学生も様々で、ある者はマルクス・レーニン主義の心酔者。また、ある者はスターリンの独裁政治を批判し、志半ばで斃れたレオン・トロツキーを尊敬するクルクルパー。ユダヤ人の共産主義に馴染めない田舎者は、毛沢東主義者となって「アジアとの共存」を掲げていた。小田実(おだ・まこと)に感化された極左は、ベトナム戦争に反対し、観念論で「アジアとの連帯」を呼びかける始末。

Ooe Kemzaburo 324(左 / 大江健三郎)
  ちなみに、小林秀雄から「気味の小説は小説じゃない」と酷評にされた小説家の大江健三郎は、フランスの左翼やユダヤ人哲学者のサルトル(Jean-Pierr Sartre)に憧れていたのか、ナイト・クラブの酌婦の前では「僕、アルジェ生まれ」と嘯(うそぶ)いていた。一緒に居た阿川弘之は「何言ってやがんだ! お前は愛媛生まれじゃないか!」と腹を立てていたけど、遠藤周作は隣で笑っていたのかも。

  とにかく、呆れてしまうが、当時の左翼学生は“本気”なのか“ファッション”なのか、何が動機で学生運動に参加したのか判らない。だだ、60年安保闘争の世代と同じく、70年代に新左翼にのめり込むような連中は、カルト宗教の信者と変わりがなかった。ヘルメットをかぶり、ゲバ棒を持って機動隊に突っ込んだ連中は、まさしく人生を棒に振ってしまったし、逮捕された者は「前科者」となって、まともな就職先が見つからなかった。闘争の末に障碍者となった学生は、「後悔先に立たず」を実感する。しかし、上手く立ち回った連中は、藝能界やマスコミに潜り込んだ。法学部の学生は、仙谷由人のように法曹界を土俵とし、人権派弁護士になっていた。朝鮮人の支援者になる弁護士が多いのも、左翼教育の結果である。

Kan Naoto 8243(左 / 菅直人)
  「ズルカン」と呼ばれた菅直人は、東工大の暴力学生ではなかったが、日本への憎しみを“売り”にする「市民活動家」へと変貌していた。師匠の市川房枝からも「駄目な奴」と思われていたのに、マスコミの支援で我が国の総理大臣になれたんだから、永田町には悪魔と貧乏神が混在しているんだろう。だいたい、民主党の「サポーター」には国籍条件が無かったから、在日朝鮮人が「サポーター」になっていてもおかしくはなかった。

  菅直人はあるインタビューで自分の過去を偽っていた。「暴力では社会は変えられない。私はもともと、社会の矛盾をひとつひとつ解決していくという改革派なんです。そういう意味では、いまに至るまで挫折感はない」*と語っていたが、単に“卑怯者”だから仲間を見捨てただけだろう。 (*註 / 臼井敏男『叛逆の時を生きて』朝日新聞出版、2010年, p.197.)後に、機動隊を率いていた佐々淳行が茶化していたけど、菅直人は武闘派の学生じゃなかった。第五列や第六列といった後方に隠れ、逃げ足だけは早い卑劣漢であったから、障碍者にならず、弁理士になれたのだ。菅は「市民運動」とやらに邁進したが、その根底には松下圭一(法政大学教授)のドス黒い政治思想が流れていた。

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(左 / 坂本龍一)
  「元左翼」というのは藝能界 にも潜んでいる。例えば、都立新宿高校で左翼運動に熱心だった故・坂本龍一は、東京芸大に進んでYMOを結成したが、高校時代は左翼生徒であった。1980年代、シンセサイザーを演奏する坂本氏は、大量の電気を浪費するが、一向に気にする様子はなかった。「エコロジー」なんて頭の片隅にも無かったはずだ。当時は一風堂の土屋昌巳と同じで、「JAPAN」のデイヴィッド・シルヴィアンに憧れたのか、お化粧の方に夢中だった。

  ちなみに、同校で運動に加わっていたのは、坂本氏の先輩で、後に安倍内閣で官房長官となる塩崎恭久だ。塩崎と坂本の二人は、機動隊が入る前の安田講堂に足を運んだそうで、中にいた全共闘の学生らと話すことが出来たという。なるほど、生徒会長になった不良生徒(塩崎氏)が、荒れ狂う東大に赴いて、「自由」や「個性」を学んだというわけだ。さすが、二年生を率いて校長室を占拠する生徒会長は、ひと味もふた味も違っている。

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(左 / 塩崎恭久 )
 大臣を経験した塩崎氏は、議員を引退すると地元の愛媛で里親の支援をしているそうだが、自身の「転向」をどう思っているのか? だいたい、高校生の時からバリケード封鎖をしていた不良生徒が、政界に入って厚労大臣となり、不憫な子供に“温かい家庭”を斡旋するんだから、機敏なカメレオンだってビックリだ。息子の塩崎彰久はオヤジの地盤を引き継ぎ、今では自民党の代議士で、厚生労働政務官となっている。ホント、岸田文雄に林芳正、河野太郎、小渕優子、小泉進次郎といい、永田町にはボンクラの世襲議員がゾロゾロいる。一般国民というのは、自分の投票で子や孫の将来を台無しにしているが、その自覚が無いところに真の悲哀がある。

  演出家のテリー伊藤も、日本大学で学生運動に勤しんだ一人である。ただ、機動隊との衝突で一生涯の障碍を背負ったから悲惨だ。彼が機動隊から逃れる時、後ろに居た誰かが石を投げたという。不幸にも、その石が偶然、彼の左目に当たってしまい、伊藤氏は斜視になってしまった。藤竜也みたいに、同大学の芸術学部に入って映画界にスカウトされる方が、よっぽどマシである。下らない大学をさっさと辞めて、大好きなスポーツ・カーを買った方が遙かに健全だ。真田広之も日大の学生だったが、左翼分子にはならず、役者の世界に入った。二枚目俳優だから当然だけど、デビューして直ぐに『忍者武芸帖 百地三太夫』の主役なんだから凄い。(筆者も劇場で観たけど、真田氏の出演作品の中では一番いい。現在、彼はハリウッドの『Mortal Kombat』や『Shogun将軍』に抜擢され、ステレオタイプの「日本人」を演じているが、昔の方が良かった。)

  NHKの贔屓を得た小説家の高橋源一郎も、横浜国大で暴れ回ったうちの一人だ。彼は学生運動で逮捕されたり拘留されたりと、散々な青春時代を送っていたが、後に小説を書いて有名人となった。拘置所では“沈黙”を貫いたそうで、朝八時から夜の八時まで、12時間もずっと下を向いて黙っていたというから、ある意味“真面目な奴”だ。でも、取り調べの後に独房入りだから、正常な精神状態ではなかったはずだ。実際、一種の失語症に罹ったみたいで、喋るときの発音が難しくなったそうである。大学を除籍になり、筋肉労働者になっても、小説家になれたんだから良かったじゃないか。しかも、明治学院大学で教授になれたし、無事退職したことで“オマケ”として附いてくる「名誉教授」にみなれた。しかし、国際学部の学生はどんな気持ちで彼の授業を受けていたのか?

ポルシェに乗っていた左翼学生

  大学で暴れていた一般の左翼学生というのは、一種の“お遊び”に興じていた不真面目な人々で、内心では政府転覆など考えてもいなかった。要するに、みんなでワッショイ、ワッショイ、と騒いでいると、何となく自分が日本全体を動かしているように思えたのである。令和の大学生が聞けばシラけてしまうが、全共闘に共鳴するアホな学生は、「チェ・ゲバラに倣え、我らも社会主義革命を!」とか、「差別の元兇たる天皇制を打倒せよ!」、「ベトナムを侵掠する米帝國に反対!」「在日米軍基地を許すな!」と本気(?)で叫んでいた。

  筆者が高校生の時、御茶ノ水駅附近にある楽器店でギターを買ったことがある。そのついでに神田の三省堂に立ち寄ろうとしたが、途中で目にした明治大学の風景のせいで気分が悪くなった。入り口や塀には汚い看板がズラリと並んでおり、殴り書きの文字(日本や米国を呪う罵倒のスローガン)が踊っているように見えた。当時、筆者は看板を眺めながら、「アルフォンス・ミーシャ(Alfons Maria Mucha)のようなアール・ヌーヴォー風じゃなくてもいいから、もっと美しい文字で綺麗なイラストを附ければいいのに・・・。」と思ったものである。しかし、怨念に凝り固まった学生には、美術的センスは皆無だ。どいつもこいつも紅衛兵みたいな奴らばかり。「安保反対」を掲げながら「国防軍の創設」を主張しない学生は、一体どんな頭をしているのか? 左翼学生というのも呑気なもので、フォーク・ギターを片手に、ボブ・ディランやジョン・レノンの歌を奏でて喜んでいる。一方、ノンポリの学生達は酒を飲みながら、共産主義の幻想に酔いしれていた。

student riots 1970sStudent riots in Paris 2134
(左 : 学園闘争に熱中する日本の大学生 / 右 : パリで抗議行動に没頭するフランスの大学生)

  ゲバ棒を振るう学生達も甘えん坊だ。自分たちは思いっきり火焔瓶を投げつけているくせに、いざ機動隊が反撃すると「暴力反対!」と叫ぶ。彼らは警察官が決して発砲しないことを確信していたから、安心して角材を振り回していた。国家に刃向かっても、“国家権力(暴力装置)”は決して民衆を射殺しない、と信じ切っている。支那大陸で北京政府に反抗したら、即座に“皆殺し”か戦車で轢き殺されるのがオチだ。北朝鮮なら学生全員が逮捕され、どこかの広場で公開処刑だろう。もしかすると、あっさりとした銃殺じゃなく、「てるてる坊主」みたいに軒先で縛り首だったりして。場合によっては、牢獄で餓死とか。

  まぁ、みんなと一緒に「武力闘争」をしているうちは、危険なようで気楽である。ところが、いざ卒業が目の前にチラつくと大変だ。おちゃらけ学生は急に“現実”が怖くなる。長髪でジーンズ姿の青年も、就職面談となれば、長い髪を切って清潔感を出すしかない。彼らは親に買ってもらった背広を着込み、真剣な面持ちで会社に赴く。面接で過去を詮索されないか、とヒヤヒヤする青年は、慎重に言葉を選びながら答える。でも、過去がバレて不合格になれば意気銷沈だ。もし、晴れて合格となれば「ああ良かった!」と胸をなで下ろす。

  在学中に勉強しなかった学生は、どうしたものかと思い悩んだ。でも、「体育会系」を前面に出してアピールすれば何とかなった。「一生懸命頑張ります!」と言えば鉄鋼メーカーに入れることもあったし、営業部では忍耐と体力が重要だ。理系の学生ならもっと有利で、金属プレス加工や化学製品のメーカー、あるいは精密部品の製造企業に受け容れられたりする。ちょっとコネがあれば総合商社に入れたし、テレビ局や新聞社、出版社は「ゴキブリ・ホイホイ」みたいな受け容れ先だった。元々労働組合やリベラル知識人が強いから、“学生運動の落ちこぼれ”でもOK。上司にも「左翼シンパ」や「左翼崩れ」がウヨウヨ居るから大丈夫。読売のナベツネだって元左翼(共産主義者)じゃないか。

  東京大学や早稲田大学、日本大学、法政大学などで左翼運動に係わっていた連中は、どこから“資金”を得ていたのか判らないが、上層部の学生には“とんでもない奴”が紛れていた。例えば、早稲田大学の荒岱介(あら・たいすけ)は飛び抜けている。彼は1965年に法学部に入るが、1968年に除籍となっていた。荒氏は「社学(社会主義学生同盟)」の委員長や「全国学生対策部長」に就任した人物で、東大安田講堂の闘争では兇器準備結集罪で指名手配を受けていた。彼は1969年4月に逮捕され、裁判に掛けられて有罪判決を受ける。刑務所には三年間服役し、1977年に出所したそうだ。塀の中に入る人間というのは“懲りない面名”なのか、荒氏は人生で七回も逮捕されたという。ちなみに、府中刑務所では民族派右翼の野村秋介(のむら・しゅうすけ)と一緒だった。

  学生運動を知らない世代は、マスコミのプロパガンダ記事に騙され、純粋で真剣な学生が腐敗した政府に反抗したと思っている。だが、教室を占領した連中なんて、ほとんどが“チンピラ左翼”か“俗物”でしかない。令和の大学生が驚いてしまうのは、荒氏が「ポルシェ」に乗っていたことだ。彼は世間の倫理道徳や組織上層部の説教が嫌いで、自らの欲望を満たすことに何の躊躇(ためら)いも無かった。荒氏は言う。

 ・・・そういうこと(道徳主義)に若者を縛り、革命的規律という名の下に、好きなことをさせない、何を買っちゃいけないとか言って、市民社会からかけ離れていくということを、俺は突破したくてね。当然、若者がBMWに乗りたいというのもいいわけじゃない。・・・俺は文化に出あいたかったんだよ。自動車はドイツ生まれで、ポルシェで言えばフェルナンド・ポルシェが作った文化である。そういう文化を知りたい、乗って味わいたいと思った。そんなの当たり前だと思う。(宮崎学『叛乱者グラフィティ』朝日新聞社、2002年、pp.84-85.)

  平成の緊縮財政で貧しい生活を“当然”と考えるようになった学生からすれば、「いった、どんな奴なんだ?」と思ってしまうだろう。しかし、1950年代から70年代までの日本だと、意外にも高額所得者の子供で左翼になる者が少なくなかった。(「元左翼財界人」に関しては別の機会で紹介したい。) チェ・ゲバラに憧れ、ベトナム戦争に反対し、人民解放のために革命を目指す荒氏であったが、段々とレーニン主義者や新左翼に懐疑的となったそうだ。彼は1990年代になると従来の思想を棄ててしまい、今度は「エコ左翼」というか、世田谷か吉祥寺に棲息する「環境革命家」へと転向する。荒氏によれば、左翼闘争はゲバ棒から火炎瓶、さらに重火器から爆弾へとエスカレートするので、世間との隔たりが大きくなってしまうという。彼は次のように述べた。

  まぁ、現実との関係においては、現実に理論が接近するんじゃなくて、現実に理論が接近できなくなってしまって、あるべき姿の方向に現実を接近させろというふうにますますなっていったんだよ。(上掲書、p.88)

  つまり、左翼学生がどんな理想を語りかけようが、世間の人々は振り向かず、むしろ軽蔑の眼差しで“距離を取る”という訳だ。確かに、1970年代の新左翼運動の頃から、一般の大学生には、ある種の“変化”が訪れていた。安保闘争の世代は、Tシャツにジーンズといった薄汚い格好であったが、新世代の学生は、米国のアイビィー・ルックを真似て、紺色のブレザーにネクタイを締めていた。街を歩くと、身綺麗な若者が、「VAN」のロゴが印刷された紙袋を手に提げ、友人や恋人と楽しそうに話している。こんな光景を目にした若者からすれば、新宿や代々木でマルクス理論を語るなんて野暮天だろう。恋人と一緒に銀座へ赴き、ウィンドー・ショッピングを堪能する方がいい。ウッドストックでのヒッピー姿なら分かるけど、麻布や目黒、あるいは新橋や神楽坂で、日本人がヒッピー・スタイルを真似ても、それは滑稽でしかない。

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(左 : 東部の有名大学に通うエリート学生 / 右 : アイヴィー・スタイルのアメリカ人 )

  高級ブランドのVANで身を包んだお坊ちゃん達は、早稲田や法政の田舎者とは違っていた。美形の女子学生と一緒に喫茶店に入り、ジャズでも聴いている方が“格好良く”思えたのだ。一世を風靡したVAN-JAC社は、1978年(昭和53年)に営業不振で潰れてしまうが、1980年代の大学生は、もう学生運動には戻らなくなっていた。好景気は青年の精神を変えてしまうものだ。この世代は小難しい哲学議論より、ショット・バーに通って仲間と談笑したり、人気のディスコで踊り明かす方をキャンパスライフと考える。デートになればスポーツカーを用意し、女の子を乗せて軽井沢に直行だ。苗場のスキー場に赴けば、ロマンティックな夜で意中の女性を口説こうとする。「ブハーリン」と聞いても、「それ、ロシアのウィスキー?」と尋ねる世代に、共産主義革命なんて無理だろう。

  それでも、学生運動が忘れられない世代は、財界やマスコミ界で息を潜め、嘗ての仲間や後輩の左翼学生を支援する。朝日新聞と連携するテレビ朝日などは、『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞を得た猪瀬直樹を持て囃し、「朝まで生テレビ」や「ビートたけしのTVタックル」に招いていた。当時の一般視聴者は猪瀬氏の過去や素性を知らず、『昭和16年夏の敗戦』を書いた著者とか、道路公団を批判する反骨の知識人、と思っていた。(『国民新聞』の読者は違うけど。)

Inose Naoki 823(左 / 猪瀬直樹)
  東京都の副知事から都知事に登り詰めた猪瀬氏は、作家になる前に、信州大学の全共闘議長を務めていた。闘争は1969年6月、文学部のバリケード封鎖から始まったというが、猪瀬氏は全共闘の主力部隊を率いていたそうである。しかし、学生運動には国家を根本的に変える中身が無かった。口先だけの学生達は、単なる観念論じゃだ。動物園で飼われているナマケモノが、「百獣の王」を気取っているようなものだ。職員から餌をもらっているシマシウマに、弱肉強食のジャングルなど解らない。学生運動にのめり込んでいた猪瀬氏も、何となく「世間の風」という“壁”に気づいていたのだろう。

  ある時、彼は国際反戦デーや佐藤栄作首相の訪米阻止のために上京するが、そこで目にした光景は彼の人生を変えるものであった。東京にやって来た猪瀬氏は、新宿の裏通りでコーラを買おうとしたそうだ。そこで、猪瀬氏は表通りから裏通りに足を運んだわけだが、迷い込んだ場所にはパチンコ屋があって、軍艦マーチが流れていたという。突然、猪瀬は通りを一つ隔てただけで“別の世界”があることに気づく。彼は当時を回想し、次のように述べていた。

 そこには日常性があるわけですよ。そのころから、学生運動はこんなものだな、という自覚はあった。学生運動で世界が変わるなんて思っていなかった。日常性の連続がふつうの生活なんです。そして日常性から日本の近代やナショナリズムをもう一度とらえなおさないといけにないと思った。(臼井敏男『叛逆の時を生きて』、p.145.)

  猪瀬氏によれば、1960年代の学生運動は、69年の佐藤訪米阻止闘争で終わったそうである。(上掲書、p.144.) 「あの時点で九割の人は学生運動を止めた」というから、岩波書店の『世界』や『朝日ジャーナル』で活躍していた左翼知識人は、闘争時代の「残滓」なのかも知れない。猪瀬氏は信州大学を卒業後、東京の出版社に勤め、そこの給料で大学院への資金を貯めるにしたそうだ。

  まぁ、左翼組織が強い明治大の大学院だから、心からの“転向”は無かったと思うが、『週刊ポスト』に連載を持ったり、実際の政治に係われば、イヤでも“現実の世界”が判ってくる。学生時代には“綺麗事”を並べていればそれで良かったが、実際の仕事になれば汚いことだって進んでやるしかない。代表作の『ミカドの肖像』だって、“ネタ本隠し”があったそうで、元ネタは早川和廣の『堤義明 悪の帝王学』や草野洋の『西武商法 悪の構図』であったという。たぶん、“パクリ本”とバレるのが恥ずかしかったのか、猪瀬氏は引用先の出典を挙げていなかった。でも、佐野眞一がそれを暴露したから万事休す。『ミカドの肖像』を作成するに当たって、ノンフィクション作家の池田房雄とジャーナリストの岩瀬達哉が協力したそうだ。この二人がネタになりそうな題材とデータ集めに奮闘したそうで、猪瀬氏は触れられたくない過去の暴露に怒っていた。

  最近、国会議員の裏金問題化や悪徳知事の横暴が話題となっているが、そもそも日本人にはデモクラシーなんて“体質”に合わない。選んでいる国民が、選んだ政治家を嫌っているんだから本末転倒である。例えば、愛知県の大村秀章知事は、衆議院で出世の見込みがないと分かった鞍替え組で、津田大介に理解を示すなんちゃって左翼。静岡県の川勝平太知事は、支那人と昵懇で国益の売却者だ。しかも、大学教授の時からパワーハラスメントの常習者ときている。徳島県知事に鞍替えした後藤田正純は、“下半身検査”で不合格となった不適格議員。2000年から2022年まで、ずっと再選を果たしてきたのに、なぜか一度も大臣になれず、衆議院に見切りをつけての知事選だった。

  赤く染まった北海道は、反日や共産主義者の産地となっている。知事の鈴木直道は北海道出身じゃないけど、支那人に国土を明け渡す売国奴。有名な「夕張リゾート」は2017年、支那企業の「元大(げんだい)リアルエステート」に“たった2億円”で売却されてしまい、2019年になると、この支那企業が香港系のファンドに15億円で転売だ。本当に酷いけど、これが現実の北海道である。二階俊博に可愛がられるくらいだから、鈴木知事がどんな人物なのか、誰にでも分かるだろう。

  今、東京15区の補欠選挙が世間の注目を集めているが、世論調査で首位に立っているのは、共産党の支援を受けた立憲民主党の酒井菜摘(さかい・なつみ)である。二番手は日本維新の金澤結衣(かなざわ・ゆい)で、日本保守党の飯山陽(いいやま・あかり)は、地元民からの知名度を得るだけで精一杯。もし江東区民が正常なら、飯山氏がトップに立っているはずだけど、地元民は「この人誰?」といった反応だ。

飯山あかり00213(左 / 飯山陽)
  飯山氏は移民流入の深刻さを解っているので、平穏な暮らしを望む庶民からすれば、彼女が最も相応しい国会議員となるはず。だが、一般国民は左翼教育のせいで健全な判断能力を持たない。普段は常識的な人でも、政治となれば、ちょっと左寄りとなってしまい、無意識のリベラル派で候補者を選ぶ。左翼教育の影は長く、薄くなったように思えても、人々の脊髄に残っている。我が子や地元の将来を大切にする庶民が、知名度だけで左翼分子に投票し、自ら「故郷の破壊者」となってしまうんだから、本当に憐れだ。せめて自民党支持者の七割くらいが飯山氏に投票するのであれば、まだ救いがある。しかし、左巻きにされた国民が正常な判断を下すとは思えない。乙武候補がコケたことくらいが救いである。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68956522.html

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