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(回答先: チャンネル桜や正論で大活躍中のアホ右翼・アホ陰謀論評論家 まとめ 投稿者 中川隆 日時 2019 年 2 月 10 日 10:05:09)
自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』は「読んだことない」
加瀬英明 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%8A%A0%E7%80%AC%E8%8B%B1%E6%98%8E
加瀬英明のホームページ
http://kase-hideaki.co.jp/
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「慰安婦問題検証映画『主戦場』で極右論客たちが衝撃のトンデモ発言! 櫻井よしこ,杉田水脈,テキサス親父,加瀬英明…」(『リテラ』2019.04.27 11:30)
a) 戦中の日本軍による慰安婦問題を題材にした映画『主戦場』が,反響を呼んでいる。
出演者には杉田水脈衆院議員やケント・ギルバート氏,藤岡信勝氏,テキサス親父ことトニー・マラーノ氏,櫻井よしこ氏などといった従軍慰安婦を否定・矮小化する極右ネトウヨ論客が勢揃い。「慰安婦はフェイク」と喧伝する歴史修正主義者たちと,慰安婦問題に取り組むリベラル派の学者や運動家らがスクリーンのなかで “激突” するドキュメンタリー作品だ。
同作の見所はなんといっても,慰安婦問題をめぐる国内外の “論客” を中心とする30名余りへのインタビューだろう。
櫻井よしこ氏ら “極右オールスターズ” の面々は「慰安婦は売春婦だった」「合法であり犯罪ではない」「慰安婦像設置の背景には中国の思惑がある」などの主張を展開。これに対して,吉見義明・中央大学名誉教授や「女たちの戦争と平和資料館」の渡辺美奈事務局長,韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の尹 美香常任代表らが反論を展開する。
『リテラ』2019年4月27日櫻井よしこ画像
出演者らは顔を付きあわせて討論するわけではないが,論点を明確にして構成されていることで主張の対立点や強度を意識しやすく,ハイテンポなカット割りも相まって飽きさせない。映画は双方の主張を取材や資料を用いて細かく比較・検証し,その矛盾や恣意性を明らかにしていく。
b) とくに,本サイトがオススメする同作の鑑賞法は,歴史修正主義者の口から発せられる主張のトンデモさをじっくりと吟味することだ。
たとえば保守派の重鎮で,慰安婦否定論者の加瀬英明氏(日本会議代表委員)の場合,「慰安婦問題に関して正しい歴史認識をしている歴史家は?」と聞かれて「私がそのひとり」と自認する。
しかし驚くことに,加瀬は慰安婦問題研究の第1人者のひとりである吉見名誉教授のことは「しりません」と嘯く。それどころか,保守派の歴史家である秦 郁彦・千葉大学名誉教授の著書すら「読んだことない」「人の書いたものあまり読まないんです。怠け者なもんで」などと宣うのだ。
ちなみに,加瀬氏は「『慰安婦の真実』国民運動」という団体の代表も務めている。この極右団体は昨〔2018〕年,監事(当時)の藤井実彦氏が台湾で慰安婦像を蹴り,大きな国際問題になったことも記憶に新しい。ほかにも,同会は加瀬氏自身の名義で地方地じたいが慰安婦問題を扱う映画を後援することにクレームをつけている。そんな人物が,基本的な慰安婦研究すら「しらない」「読んだことない」などと恥ずかしげもなく開陳するのだから,呆れてものもいえない。
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1074664307.html
詳細は
自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html
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加瀬英明
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E7%80%AC%E8%8B%B1%E6%98%8E
加瀬 英明(かせ ひであき、1936年12月22日[1] - )は、日本の外交評論家。
助川 明(すけがわ あきら)の名前も使用[2]。
父は外交官の加瀬俊一、母・寿満子は元日本興業銀行総裁小野英二郎の娘である。また従姉にはオノ・ヨーコがいる[3]。
自由社社長。同名の別会社・自由社(石原萠記社長)の取締役。元月刊『自由』編集委員会代表。加瀬英明事務所(自営)所長。「教育における体罰条項を考える会」会長。日本・イスラエル親善協会副会長。一般社団法人「国家ビジョン研究会」会長[4]。公益社団法人全日本きものコンサルタント協会理事。日本躾の会評議員。社団法人「日本文化協会」会長[5]。
経歴
東京生まれ[1]。慶應義塾大学卒業後、イェール大学・コロンビア大学に留学。1967年から1970年までブリタニカ国際大百科事典の初代編集長を務める[1]。青年時代から、外交官である父・俊一の影響を受けて育った事などがきっかけで、評論・執筆活動をおこなうようになる。世界各国での講演活動も多く、シカゴ大学・ペンシルベニア大学などで講演している。政財界でも活動し、福田赳夫内閣・中曽根康弘内閣の首相特別顧問、福田赳夫・大平正芳・鈴木善幸内閣の外相特別顧問などを歴任している。
日本会議代表委員[6]・東京都本部会長[7]、史実を世界に発信する会代表を務める[8]。新しい歴史教科書をつくる会(つくる会)の賛同者でもあり、歴史論争、歴史教科書問題にも積極的にコミットしている。同会の分裂で、八木秀次らが設立した「日本教育再生機構」の代表委員となったが、一方で、つくる会の新たな教科書発行元として自らが役員を務める自由社をつくる会に紹介。教科書運動に関して二股をかけた状態であったが、2008年9月、同名の別会社・自由社の社長に就任し、つくる会支持を鮮明にした。
体罰を容認する著名人で作る「体罰の会」会長[9]。「慰安婦の真実」国民運動代表[10]。
主張
1993年3月に出版された朴泰赫著『醜い韓国人』(光文社刊)は、“元新聞記者の韓国人ジャーナリストが自国の歴史認識を反省し日本による朝鮮半島植民地支配(韓国併合)を肯定した”(=親日派の)本として話題を呼び、ベストセラーとなった。後書きを加瀬が執筆していたことから、発売直後から韓国内では黄民基や統一日報の申東薫記者らが「著者の肩書きは偽名であり、加瀬によって書かれた物ではないか」と非難の声が上がった[11][12]。加瀬はそれを否定し、1995年に朴との共著として『醜い韓国人 歴史検証編』(光文社刊)を出した。一方、申の側は非難を続けた[13][14]。加瀬自身はプライベートでは韓国と親密であり、2006年12月には同棲していた韓国人女性の不審死のスキャンダルを週刊写真雑誌に暴露されている。
第二次世界大戦に関して日本は責めを受ける立場にないと主張している[15]。ただし週刊サンケイ誌上で「日韓併合は不幸な過去だった。」と発言したことがある。日本文化チャンネル桜が中心となって在日アメリカ大使館に手渡した抗議書にも賛同者として名を連ねた[16]。
2007年12月6日には東京千代田区の九段会館で行われた「南京陥落70年 国民の集い 参戦勇士の語る『南京事件』の真実」(南京事件の真実を検証する会主催)の冒頭挨拶で改めて南京事件の虚構性を主張した[17][18]。反面、中国共産党政府・人民解放軍幹部ときわめて親密である親中国派の顔をもっており、教育再生会機構側のブログによると、加瀬の自宅には頻繁に人民解放軍幹部が来訪宿泊し、加瀬は自著で「江沢民先生」「胡錦涛先生」などの尊称を多用、中国訪問時に人民解放軍最高幹部の加瀬への歓迎会を盛大に催したことなどを臆面もなく講演会などで自慢している。
編集委員会代表を務める月刊誌「自由」2007年10月号の「巻頭言」では、終戦時の昭和天皇の態度について「要は天皇以下、当時の指導者たちには、国民に対する責任感が全くなかった。この無責任な人間としての心を失った姿が、戦後日本の狂いの初めであると思う。苦境に際して、己の責任を回避して、他に責任を転嫁、己の生き残りを優先する。迷惑をかけた人々に対し、何らの責任を取ろうとしない。この無責任体制が、今日の日本をもたらしたと言えないか」、「先の参議院選挙で、戦後最強の保守勢力・自民党が歴史的大敗北をした。その時とった、安倍総理の姿勢をみて、思わず敗戦時の昭和天皇のことを想い出した。安倍総理も彼を支える側近の人たちも、終戦時の天皇同様、責任を回避する言動に終始し、党・支持者に対し、責任を取る発言をしなかった。そして世論の過半数が辞めるべきだというなか、総理は内閣続投の意思表示をするだけだった。敗戦時に天皇や側近者たちが、敗戦の責任を国民に詫びることなく、天皇制度の維持画策に狂奔したのと全く同じである」と書き、昭和天皇に対しての激しい批判を展開した。
1979年2月24日に結成された民間団体スパイ防止法制定促進国民会議[19]の発起人に名を連ねている。
天皇の譲位に関して「畏(おそ)れ多くも、陛下はご存在自体が尊いというお役目を理解されていないのではないか」「天皇が『個人』の思いを国民に直接呼びかけ、法律が変わることは、あってはならない」と徹底的に批判している。[20]。
著書
『二十歳の眼 ある大学生の世界紀行』(東都書房 1958年)
『日本第二帝国論』(実業之日本社 1971年)
『新聞批判入門』(浪曼 1974年)
『英国と日本』(自由社編集部 自由社 1975年)
『天皇家の戦い』(新潮社 1975年) のち文庫
『会社人の英語教室 英語がシンから楽しくなる本』(徳間書店 1976年)
『日本人の悲劇 日本を滅ぼすものはなにか』(日本経済通信社 1976年)
『誰も書かなかった北朝鮮 「偉大なる首領さま」の国』(サンケイ出版 1977年)
『日本人の発想・西洋人の発想 新個人主義のすすめ』(講談社 1977年)
『大爆発』(サイマル出版会 1978年)
『日本の良識をダメにした朝日新聞』(山手書房 1978年)
『個性の時代 ミーイズムのすすめ』(講談社 1979年) のち文庫
『個性時代の生き方 自分をどのようにつくるか』(竹井出版 1980年)
『なぜ第三次大戦か つのる危機・自由世界崩壊のシナリオ』(徳間書店 1980年)
『鏡のない国 世界の知識人がみた日本』(山手書房 1981年)
『日米同盟今後の二十年』(自由社 1981年)
『日本外交の二つの選択 日本は正念場に立たされた』(グラフ社 1984年)
『神秘なる天皇』(日本教文社 1985年)
『自立のすすめ 覇気と個性を創造するために』(講談社 1986年)
『私の日本外交危機白書 アメリカはふたたび日本を敵とするか!?』(学習研究社, 1991年)
『日本人を語る いまだかつてこんなユニークな日本人論はなかった!』(たちばな出版 1994年)
『「恨(ハン)」の韓国人「畏まる」日本人』(講談社 1988年)
『総理大臣の通信簿 政治実績から歴史感覚の有無まで、戦後・歴代総理23人を全採点!』(日本文芸社 1995年)
『アジアは激動の時代に入った こうすれば日本は生き残れる』(廣済堂出版 1997年)
『金正日最後の選択 その日、“核"が日本だけを襲う』(祥伝社 1999年)
『イギリス衰亡しない伝統国家』(講談社+α新書 2000年)
『これほど軍歌が歌われている国はない 私の半成記』(黙出版 2001年)
『ムルデカ17805』(自由社 2001年)
『ユダヤ・ジョークの叡智 逆境も窮地も、笑いで切り抜ける』(光文社知恵の森文庫 2003年)
『独裁者 その怖ろしくて滑稽な実像』(グラフ社 2003年)
『日本を誤らせた国連教と憲法信者』(展転社 2004年)
『ユダヤの訓え「大物」になる勉強法』(三笠書房 2007年)
『昭和天皇三十二の佳話 天気予報と空襲警報下の四方拝』(実業之日本社 2008年)
『徳の国富論 資源小国日本の力』(自由社 2009年)
『人生最強の武器笑い(ジョーク)の力 ユダヤ人の英知に学ぶ』(祥伝社新書 2010年)
『自分を「最高に高める」頭の使い方』(三笠書房知的生きかた文庫 2011年)
『ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか』(祥伝社新書 2011年)
『なぜ、両国は運命共同体なのか/日本と台湾』(祥伝社新書 2013年)
共編著
『国際人になるために 親子対談』加瀬俊一 芙蓉書房 1977年)
『朝鮮半島のすべて』(福田恒存 高木書房 1977年)
『日本人に生まれて損か得か』(バーナード・クリッシャー 山手書房 1978年)
『80年代日米経済を読む 日本経済の強味と弱味 トライアングル対談』徳間書店 1979年)
『アメリカ人の発想・日本人の発想 “合わせる"文化と“個"の文化 トライアングル対談』(ハーバート・パッシン、竹村健一 徳間書店 1979年)
『イスラムの発想 アラブ産油国のホンネがわかる本 対話』(山本七平 徳間書店 1979年)
『鉱物資源戦争 これからの舞台はアフリカだ』(ケネス・L.エーデルマン 室山正英訳 学陽書房 1982年)
『世界紛争地図の読み方 孤立しては生きられない!!』(グリーンアロー出版社 1986年)
『韓国人はなぜ日本人が大嫌いか 友好的環境づくり7の提言』佐桑徹 日新報道、1987年)
『皇室の伝統精神と即位礼・大嘗祭』(広池学園出版部 1990年)
『新しい世界が生まれる 紀元2000年までを読む』(日本教文社 1990年)
『昭和が燃えた日 私の昭和史』加瀬俊一 光言社 1990年)
『敵としての日本 アメリカは何を怒っているのか』(J.カーボー 監訳 光文社 1991年)
『背広とチョンマゲ こんな時にどうする? 異文化摩擦で失敗しないマナー教本』(アンドリュー・ホルバート. 徳間書店 1992年)
『アメリカの対日依存が始まる 日米関係の真実』(J.カーボー 監訳 光文社 1992年)
『日米知ってるつもり大論争』(ケント・ギルバート 日本教文社 1993年)
『日本と韓国表の論理・裏の論理 新しい共存・共栄関係に向かって』(1993年) 佐桑徹 日新報道
『宮中晩餐会 お言葉と答辞』(日本教文社 1993年)
『醜い韓国人 歴史検証編』(朴泰赫 光文社 1995年)
『これからのアジア』(李登輝 光文社 1996年)
『なんで日本はこうなった』(秦野章 廣済堂出版 1997年)
『21世紀日本は沈む太陽になるのか』(ロナルド・モース,花井等 廣済堂出版 1998年)
『起て!日本 日本を救う八つの提言』(渡部昇一 高木書房 1999年)
『イスラムの読み方 なぜ、欧米・日本と折りあえないのか』(山本七平 祥伝社 2005年)
『徹底解明!ここまで違う日本と中国 中華思想の誤解が日本を亡ぼす』(石平 自由社 2010年)
『中国はなぜ尖閣を取りに来るのか』(藤岡信勝共編 自由社 2010年)
『なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか』(ヘンリー・スコット・ストークス 祥伝社 2012年)
『世界で一番他人(ひと)にやさしい国・日本』(マンリオ・カデロ 祥伝社 2016年)
訳書
『戦争 ワルシャワから東京まで』(ルイス・スナイダー 加瀬俊一共訳 人物往来社 1962年)
『アメリカ民主主義の発展』(ユージン・マッカーシー 時事通信社 1963年)
『人に認められる法』(L.D.ブレナン 恒文社 1964年)
『日本報道三十年』(ヘッセル・ティルトマン 新潮社 1965年)
『民主主義と高等教育』(ルイス・G.ガイガー 時事通信社 1965年)
『チャーチル名言集』(講談社 1965年)
『平和部隊の理想と任務』(サージャント・シュライバー 時事通信社 1966年)
『笑みを浮かべた将軍 アジアの偉大な指導者スハルト』(O.G.レーダー グヌング・アグング商会 1970年)
『ユダヤ5000年の知恵 聖典タルムード発想の秘密』(マーヴィン・トケイヤー 実業之日本社 1971年)のち講談社+α文庫
『ユダヤ発想の驚異 旧約聖書の英知と教え』(トケイヤー 実業之日本社 1972年)
『中国を考える ガルブレイス訪中記』(J.K.ガルブレイス 番町書房 1973年)
『ユダヤ人の秘密』(ラビ・V.M.ソロモン 実業之日本社 1973年)
『ユダヤの力』三笠書房知的生き方文庫
『ユダヤ・ジョーク集』(トケイヤー 助川明訳 実業之日本社 1973年) のち講談社+α文庫
『ユダヤ格言集』(トケイヤー編著 助川明訳 実業之日本社 1975年) のち三笠書房知的生き方文庫
『日本には教育がない ユダヤ式天才教育の秘密』(トケイヤー 徳間書店 1976年)
『日本病について 蝕まれた国の診断書』(トケイヤー 徳間書店 1977年)
『ユダヤ人の発想 不確実性時代を生き抜く条件』(トケイヤー 徳間書店 1978年) のち文庫
『ユダヤ処世術 5000年の苦難を生き抜いた英知』(トケイヤー 徳間書店 1980年)
『米陸軍日本語学校 日本との出会い』(ハーバート・パッシン TBSブリタニカ 1981年)
『ラビ・トケイヤーの校長日記 21世紀型教育のすすめ なぜ誰もが英才児になるのか』(マーヴィン・トケイヤー 徳間書店 1996年)
『ユダヤ人5000年のユーモア 知的センスと創造力を高める笑いのエッセンス』(ラビ・マーヴィン・トケイヤー 助川明訳 日本文芸社 1998年)
『私は一流新聞の犬記者』(マコ 講談社 1999年)
『ユダヤ商法』(マーヴィン・トケイヤー 日本経営合理化協会出版局 2000年)
『ユダヤ5000年の教え 世界の富を動かすユダヤ人の原点を格言で学ぶ』(ラビ・マービン・トケイヤー 実業之日本社 2004年)
『ユダヤ製国家日本 日本・ユダヤ封印の近現代史』(トケイヤー 徳間書店 2006年)
『富と成功の秘訣―ユダヤ5000年の叡智』(トケイヤー 日本経営合理化協会出版局 2007年)
関連映画
『プライド・運命の瞬間』 - 監修担当。
『ムルデカ17805』 - 監修担当の『ムルデカ17805』製作委員会代表。
『南京の真実』 - 2007年1月24日に行われた映画製作発表記者会見の当初より賛同者[21]。
『Iris Chang: The Rape of Nanking』 - 2007年に公開されたアイリス・チャンを描いたカナダ映画。日本未公開。インタビュー出演。南京事件は無かったと答えている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E7%80%AC%E8%8B%B1%E6%98%8E
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