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グリフィス 國民の創生 (The Birth of a Nation) (1915年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/270.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 2 月 24 日 14:57:13: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: グリフィス 東への道 (WAY DOWN EAST) (1920年) 投稿者 中川隆 日時 2019 年 2 月 23 日 15:57:51)

國民の創生 The Birth of a Nation


原作:トーマス・ディクスン 『The Clansman』
監督:D・W・グリフィス
脚本:D・W・グリフィス、F・E・ウッズ、トーマス・ディクスン
撮影:G・W・ビッツァー
衣装:ロバート・ゴールドスタイン
伴奏音楽編曲:ジョセフ・カール・ブレイル
公開 1915年3月3日


動画
https://www.youtube.com/results?search_query=The+Birth+of+a+Nation+1915&sp=mAEB
https://www.nicovideo.jp/search/%E3%80%8E%E5%9C%8B%E6%B0%91%E3%81%AE%E5%89%B5%E7%94%9F%E3%80%8F?ref=watch_html5

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キャスト

エルシー・ストーンマン:リリアン・ギッシュ
フィル・ストーマン:エルマー・クリフトン
オースティン・ストーンマン:ラルフ・ルイス(英語版)
トッズ・ストーマン:ロバート・ハーロン(英語版)
ベン・キャメロン:ヘンリー・B・ウォルソール(英語版)
フローラ・キャメロン:メエ・マーシュ
マーガレット・キャメロン:ミリアム・クーパー(英語版)
ガス:ウォルター・ロング(英語版)
鍛冶屋のジェフ:ウォーレス・リード
エイブラハム・リンカーン:ジョゼフ・ヘナベリー(英語版)
グラント将軍:ドナルド・クリスプ
リー将軍:ハワード・ゲイ(英語版)
ジョン・ウィルクス・ブース:ラオール・ウォルシュ
南軍の兵士:デイヴィッド・バトラー
KKKの団員:ジョン・フォード
連合兵士:ユージン・パレット(英語版)
ベッシー・ラブ
チャールズ・キング
トム・ウィルソン
エリッヒ・フォン・シュトロハイム


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序章として、黒人のアメリカへの流入が簡単に描かれている。

字幕の一部。ウッドロウ・ウィルソン大統領の演説が引用される。また字幕の下部には「DG」という、グリフィスのイニシャルが書かれている

第一部では、物語は北部ペンシルベニア州出身のストーンマン家のフィルとタッドが、級友のキャメロン兄弟を南部のサウスカロライナ州ピドモントを訪ねることから始まる。フィル・ストーンマンはキャメロンの妹マーガレットと恋に落ち、マーガレットの兄ベン・キャメロンはフィルの妹エルジーと愛し合うようになる。そこへ南北戦争が始まり、フィルとタッドの兄弟は南部を去って北軍に加わる。激戦のためにベンの2人の弟とタッド・ストーンマンは戦死する。ベンの故郷の街ピドモントは北軍に攻撃され、ベンは負傷し、偶然にもフィル・ストーンマンの俘虜になるが、エルジーの献身的な看護によって一命を取り止める。

エルジー・ストーンマンとその母は、負傷したベンの解放をリンカーンに請願する。また、フィルとエルジーの父親オースティン・ストーンマンは南部に厳罰を科すよう主張するがリンカーンはこれを許さない。業を煮やしたオースティンは、白人と黒人の混血児サイラス・リンチの手を借りて、直接実力行使に出ようとする。その後、リンカーンの暗殺事件が起きて、その勢力を伸ばす。



子供の遊びからKKK団結成のインスピレーションを受けるキャメロン
第二部では、オースティンは娘エルジーを伴い南部のサウスカロライナ州へ移り、キャメロン家の隣に住み、南部への政治工作を始める。解放黒人軍人たちは街でパレードを行い、選挙権を与えられた黒人たちは白人との結婚の自由を法律化する。混血児リンチは政治権力を与えられて、彼のグループと共に南部で、白人たちにとっては目にあまる行為を始める。これに対して、ベン・キャメロンは白人の子供が白い布をかぶり、幽霊の格好をして黒人の子供を怖がらせているのを見てインスピレーションを得て、南部の白人たちとともに「見えざる帝国」すなわち、クー・クラックス・クラン(KKK)を結成し、その指導者の一人となる。その頃、白人の教育を受けて軍人としての地位も得た使用人の黒人のガスは、キャメロンの娘のフローラに求婚する。フローラはこれを拒否して森に逃げ込み、追いつめられて自ら崖に身を投げ死ぬ。これに激怒したキャメロンとKKK団は黒人のガスをリンチし、有罪判決を下してこれを殺す。



黒人の使用人ガスに求婚されたフローラは森の中へと逃げる
このためキャメロンの父がKKK団の幇助の罪に問われる。マーガレット・キャメロンと婚約したフィル・ストーンマンは、キャメロンの父を救い出し、キャメロン夫人やマーガレットや黒人の使用人と共に森の丸太小屋に隠れ、彼らの追っ手の一軍との戦闘準備を整える。一方エルジー・ストーンマンはリンチの元に直接赴き、フィルやキャメロン一家の助命を嘆願する。しかし、リンチは彼らの助命と引き替えにエルジーとの結婚を強要する。この「危機」に、ベンの率いるKKKたちはリンチの本部を襲って、リンチ一味を倒してエルジーを救い出し、丸太小屋で殺されかけているキャメロン一家とフィル・ストーンマンを救い出す。

こうして、KKKの勢力は、「南部の混乱」を収拾し、ベン・キャメロンとエルジー・ストーンマン、フィル・ストーンマンとマーガレット・キャメロンの2組の恋人は晴れて結ばれる。


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製作

本作は1914年夏から撮影が行われ、翌年に完成した。もともとは4万ドルの予算でスタートしたが、グリフィスは11万ドルも予算を使ってしまい、当時では最も予算を使った映画となった。撮影だけでも長い期間がかかったが、編集作業も6週間余りの時間を費やした。

専用の映画音楽も作曲されており、フランス映画ではすでに楽譜の提供という形で行われていたが、グリフィスはその効果を意識し、あえてオーケストラ用の伴奏音楽を作曲させ、大規模に活用している。その音楽はジョセフ・カール・ブレイル(英語版)が担当し、リヒャルト・ワーグナーの「ワルキューレの騎行」などの曲が使われた。

史実の追求は(あくまでグリフィスの目線からの『史実』との限定はされるものの)徹底しており、事実の調査は細かく行い、多くの文献を参考にした。リンカーン暗殺のシーンの撮影では、グリフィスは暗殺当日の演目であった『われらがアメリカのいとこ』という作品の台本を探し出し、暗殺の瞬間の舞台上でのせりふまで再現したという。ちなみにリンカーンが暗殺されるフォード劇場のセットは屋外に作られた。ほかにも衣裳にも凝りに凝り、軍服は当時のものを忠実に再現した。

南北戦争の場面では実際の戦場と似たような場所で撮影され、人のいない戦場場面を隠すために発煙弾が過剰に使われた。

製作にはラオール・ウォルシュ、W・S・ヴァン・ダイク、エリッヒ・フォン・シュトロハイム、ドナルド・クリスプ、ジョン・フォードなど、後に映画監督として大活躍する人たちが助監督やエキストラとして参加している。

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公開

1915年2月8日にロサンゼルスで小説と同じ『The Clansman』の題名で作品を公開させていたが、その1か月後の3月3日には『The Birth of a Nation』へ改題され、ニューヨークのリバティ劇場にてオーケストラの伴奏付きで公開された。入場料は当時としては高額の2ドルだったが、作品は大ヒットして44週間にわたり続映された。当時の記録によると、完成後2年間で2500万人が見たという。さらに興業収入は全世界で1000万ドル以上を記録し、アメリカだけでも300万ドルを記録したため、物価上昇率も考慮するとアメリカ映画最大の大ヒット映画となった。

本作はホワイトハウスで上映された史上初の映画であり、当時の大統領ウッドロウ・ウィルソンが鑑賞した。

日本公開は1924年で、公開時のタイトルは『国民の創生』であった。現在の一般的な『國民の創生』の表記は、1990年代に同タイトルで発売されたビデオにおいて用いられた表記が一般化したもので、封切当時のパンフレットや1992年ごろまでに出版された書籍においては、すべて『国民の創生』との表記が用いられている。

1921年と1927年には、政治的な観点から短縮ヴァージョンが作られた。1931年にはグリフィスによる監修のもとで再編集と短縮が行われ、オーケストラの音楽や効果音を同調させたサウンド版も作成されている。ビデオ化製品にはより短縮された125分版も存在するが、現在は無削除の190分版のDVDもアメリカで販売されている。


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評価

ランキング

「映画史上最高の作品ベストテン」(英国映画協会『Sight & Sound』誌発表) 1952年:「映画批評家が選ぶベストテン」第24位
1992年:「映画批評家が選ぶベストテン」第61位

1998年:「アメリカ映画ベスト100」(AFI発表)第44位
2000年:「20世紀の映画リスト」(米『ヴィレッジ・ヴォイス』紙発表)第14位
2010年:「エッセンシャル100」(トロント国際映画祭発表)第81位


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人種差別問題

黒人が白人を攻撃するシーン。この作品では黒人は暴力的な人種として描かれ、逆にKKKは英雄として描かれている。

本作は大ヒットすると同時に、人種差別的であるという非難を多く浴びた。この作品では南部の白人の視点で物語られており、後半の南部再編の物語では、現存する人種差別組織クー・クラックス・クランが英雄的に、黒人を悪役として描いている。そのため「南部再編と秩序回復にはKKKの存在が必要不可欠だった」との誤解を与えかねない点で大きな問題があり、上映に際しては反人種差別団体「全米黒人地位向上協会(NAACP)」などが歴史の改竄と人種差別についての観点から、猛抗議と上映禁止運動をさかんに行った。ロサンゼルスでは警察の保護のもとで上映が行われ、シカゴなどの都市では上映が禁止された。そのためこの作品は「アメリカ映画最大の恥」といわれた。後に大統領になったロナルド・レーガンの父は、毎週土曜日、子供たちを映画に連れていったが、人種差別を嫌ったため、子供であるレーガンに、この映画を見せなかったと伝えられる(「レーガン」中公新書)。


黒塗りの白人俳優ウォルター・ロングが黒人のガスを演じた

1952年、ボルティモアで本作のフィルムが焼かれるという抗議行動が行われている。現在でも、本作品の持つ映画史上の意義をはるかに凌駕する差別助長的内容から、積極的な上映は忌避されている。

また、当時のハリウッドには黒人俳優がほとんどおらず、いても差別によって出演が制限されており、白人俳優が顔を黒く塗って愚か者の黒人を演じる(ミンストレル・ショーの流れを汲んでいる)など[1]、全編を通じて人種差別的であるとの批判を公開当時から強く受けている。

上述の、1931年に公開されたサウンド版では、差別的とされるシーンがカットされたが、エルジー役の白人女優リリアン・ギッシュは自伝の中で「結果として、各シーンが脈絡の無いものになった」と酷評している。


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映画技法の特徴

現在まで、この映画が語り継がれているのは、主にこの映画の画期的な技術面からである。グリフィスは映画芸術の基礎を築いた人物として映画史に記録されているが、バイオグラフ社時代の短編作品から試みていたカメラの使い方、各画面の迫力、各種の動的な効果、観衆に訴える的確な編集法などを、この作品で一気に開花しているのである。

第1に、編集の素晴らしさである。当時のそれまでの映画はワンシーンワンカットという、たとえて言えば、舞台上での俳優の動きをカメラ側はひたすら動かず固定する手法で撮られていたのである。この作品では一つのシーンを複数のショットで撮ることで、画面内での動きが実に多彩であるばかりでなく、各画面をとてもよく考えて、それらを計算して繋ぐことによって、映画上で絶えずストーリーが流れていることに成功している。

モンタージュにも工夫を凝らしており、並行モンタージュとも呼ばれるクロスカッティングを駆使していることが一つの特徴であり、黒人たちに襲われる白人たちと救出に向かうKKKのシーンなどでこの技法が用いられ、緊迫感を生み出している。ほかにも複数のショットを総合的に組み立てて全体の出来事を見せるという技法を使って、ストーリーの時間の連続性を保てるだけでなく、迫力やエモーショナルな効果、サスペンス効果を盛り上げることにも成功している。



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ポイントオブビューによる主観の切り替え

第2に、多くの映画技術を使用して表現したことである。上記のクロスカッティング以外にもカットバック、フラッシュバック(物語の現在より過去に起きたシーンを挿入すること)、クローズアップ、パン(カメラを左右に動かすこと)、移動撮影などがグリフィスが本格的に使った技法で、これらの技法を使いこなしてシーンを構成し視覚的効果を上げている。効果的に用いている。

第3にショットの距離である。1シーンをロングショット、ワイドショット、標準、バストショット、クローズアップなどのそれぞれ距離の違うショットに分解して、しかもそのショットの長さも変化させ、これを組み立てることによって迫力のあるシーンを編集できたのである。中にはロングショットと極端なクローズアップを交互に繋ぎ合わせる場面も見られる。

また、当時のフィルムはオルソクロマティック・フィルムといい、階調度は低いが近景から遠景までピントを合わせることができたので、これらの様々な撮影技法にはうってつけであった。

第4に、アイリス・アウト(絞りを開く)の活用である。これは、画面の一部だけから絞りを開いて全体の光景を見せるという技術である。この作品で使われたのは非常に原始的な方法で、レンズの前に穴を開けた紙を置いて、それを破るか外して撮影したと推定される。これは、1つの事象に対してその原因を劇的に提示したのみならず、心理的な効果も狙ったものである。

第5に、シンボリックな表現を多用している、ということである。これは、画面にある事物を置いて、登場人物の意識なり状況を象徴させるという方法である。これも、セルゲイ・エイゼンシュテインらが後に多用した方法である。


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公開時のポスター:リンカーン暗殺の場面黒人の主要な登場人物は上記の通り白人の黒塗りであったが、さらに男性がキャメロン家の女中を演じていた。

オースティン・ストーンマンは実在のペンシルベニア州の下院議員をモデルとしている。
D・W・グリフィスはこの作品の製作前に、すでに1巻ものの南北戦争をモデルとしている短編を13本制作していた。

クランスマンの白衣装はロサンゼルスで広告に使われた。
大量の劇場用プリントが1本しか存在しないネガから作られたために、後にプリントを作るたびに画質はどんどん悪くなった。

オリジナルのタイトル"The Clansman"では映画のテーマの広大さに合わないとして改名させられた。

カメラ技師のカール・ブラウンによると、これは恋愛映画になることを予想していた。しかし、プレミア上映の時、ロサンジェルス・フィルハーモニックのフル・オーケストラが劇場に入り、指揮者がタクトを振り上げスコアを演奏し始めたのには、そのような初の試みとあまりの大音響のために文字通り腰を抜かすほど驚いたという。しかもグリフィス自身もいくつかのテーマを鳴らすとき、指揮者に合図を送っていたという。

それぞれの登場人物が伴奏音楽のテーマを持っていた。また、上映劇場の形態によってオルガン用とオーケストラ用のスコアがそれぞれ用意された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%8B%E6%B0%91%E3%81%AE%E5%89%B5%E7%94%9F  

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コメント
1. 中川隆[-11856] koaQ7Jey 2019年2月24日 15:00:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[123] 報告

國民の創生(THE BIRTH OF THE NATION) 1915


トーマス・ディクスンの小説『クランズマン』を翻案し、映画化された。アメリカ映画最初の長編作品でもある。物語は、南北戦争とその後の連邦再建の時代の波に翻弄される、アメリカ北部・アメリカ南部の二つの名家(ペンシルベニア州のストーンマン家とサウスカロライナ州のキャメロン家)に起こる息子の戦死、両家の子供達(リリアン・ギッシュ、ヘンリー・B・ウォルソール)の恋愛、解放黒人奴隷による白人の娘のレイプ未遂と投身自殺などの出来事を、南北戦争、奴隷解放やエイブラハム・リンカンの暗殺などが、ドキュメンタリー映画を思わせる迫真の映像とともに、白人の視点から描かれる。

史実の追求は(あくまでグリフィスの目線からの『史実』との限定はされるものの)徹底しており、エイブラハム・リンカン暗殺のシーンのため、グリフィスは暗殺当日の演目であった『われらがアメリカのいとこ』という作品の台本を探し出し、暗殺の瞬間の舞台上でのせりふまで再現したという。


長編映画でも4巻(約40〜50分)ものが主流であった当時としては前例のない、12巻(上映時間2時間45分)、制作費は6万1千ドル、広告費などを合わせた経費は約11万ドルかかったが、公開するや作品は大ヒットし、ニューヨークでは実に44週間にわたり続映された。当時の記録によると、完成後2年間で2500万人が見たという。1931年には、音楽や効果音を同調させたサウンド版も作成されている。

映画技法の特徴 [編集]現在まで、この映画が語り継がれているのは、主にこの映画の画期的な技術面からである。この映画では、グリフィスが直前まで働いていたバイオグラフ社時代の短編で映画監督としての修業を積み、カメラの使い方、各画面の迫力、各種の動的な効果、観衆に訴える的確な編集法などを次第に身につけてきたのが、一気に開花しているのである。

第1には、場面の動きの見事さである。当時のそれまでの映画はワンシーンワンカットという、たとえて言えば、舞台上での俳優の動きをカメラ側はひたすら動かず固定する手法で撮られていたのである。

主観の切り替え技法この作品では画面内での動きが実に多彩であるばかりでなく、各画面をとてもよく考えて、それらを計算して繋ぐことによって、映画上で絶えずストーリーが流れていることに成功している。また1場面をワイドショット、標準、バストショット、クローズアップなどのショットに分解して、しかもそのショットの長さも変化させ、これを組み立てることによって、迫力のあるシーンを編集できたのである。

また、当時のフィルムはオルソクロマティック・フィルムといい、階調度は低いが近景から遠景までピントを合わせることができたので、これらの様々な撮影技法にはうってつけであった。

第2に、カメラの機能と編集である。明るい場面、暗い場面、鋭角的な場面、ロングショット(遠景)、クローズアップ、パンショット(カメラを左右に動かす)、移動撮影などを多用しているが、1つのカットには1つの事柄のみを含ませてそれらを総合的に組み立て全体の事件を見せるという技法や、1カットの事柄が終わらぬうちに別のカットを入れ込みそれらが統合して新しい意味を生み出すという技法などを用い、エモーショナルな効果やサスペンスを盛り上げることに成功している(モンタージュ効果)。

モンタージュ効果はエドウィン・S・ポーターの『大列車強盗』(1903年)の前例があるが、グリフィスはそれをさらに本格化させており、これらの技法は後にエイゼンシュテインやプドフキンらがモンタージュ理論として体系化された。特にサスペンスが盛り上げる時、クロスカッティング(日本では「カットバック」とも呼ばれる)を多用している。

第3に、フラッシュバックの使用である。フラッシュバックとは、プロットにおいて、映画の物語の現在より過去に起きたアクションやシーンを提示することである。これは、グリフィス自身がすでに以前の作品で試みているが、この作品ではとても効果を上げている。

第4に、アイリス・アウト(絞りを開く)の活用である。これは、画面の一部だけから絞りを開いて全体の光景を見せるという技術である。この作品で使われたのは非常に原始的な方法で、レンズの前に穴を開けた紙を置いて、それを破るか外して撮影したと推定される。これは、1つの事象に対してその原因を劇的に提示したのみならず、心理的な効果も狙ったもの である。

第5に、シンボリックな表現を多用している、ということである。これは、画面にある事物を置いて、登場人物の意識なり状況を象徴させるという方法である。これも、エイゼンシュタインらが後に多用した方法である。

最後に、専用の映画音楽が作曲されたということである。フランス映画ではすでに楽譜の提供という形で行われていたが、グリフィスはその効果を意識し、あえてオーケストラ用の伴奏音楽を作曲させ、大規模に活用したのである。

これらは姿・形を変えつつも現代の映画技法に日常のように受け継がれている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%8B%E6%B0%91%E3%81%AE%E5%89%B5%E7%94%9F


『イントレランス』、『散り行く花』、『東への道』、グリフィスはとっても有名ですね。けれども『國民の創生』は、もっと古いですから、ご存知ない方があるかもしれませんから、ちょっとこの大事なグリフィスの名作の話をしましょうね。

で、『國民の創生』ってなんでしょう?BIRTH OF NATION、『國民の創生』ですね。
これは、どんな話かと申しますと、南北戦争が始まる前に、南のお嬢ちゃんと北の坊ちゃんが仲良かったんですね、仲良かったけれども、南北戦争で二つに別れたんですね、この男女は生き別れになったんですね。

そういうような話なんですけれども、この映画で見事だったのは北軍と南軍の大戦争ですね。もの凄い戦争ですね。これでもしも戦争が激しく、激しく、激しくなったら、アメリカは二つに別れなくちゃならなかったんですね。

さあ、そこでこういう言葉があるんですね、House Divided、二件に別れた家、というような言葉がアメリカにあるんですね。それは南北戦争のことですね。南北戦争がもし燃え上がって、燃え上がって、リンカーンが暗殺されなかったなら、この二つの国が生まれるんですね。

これは見事に治まったことで有名な話なんですけど、そこで初めて『國民の創生』、アメリカいうものが出来たんですけれども、この映画で何が凄かったかいうと、アメリカのこの歴史ですね、いかに、いかに、北軍が南部の黒人達を憎んだか、いうことが見事に出てるんですね。

というのは、グリフィス自身が北軍の人なんです、北軍びいきなんですね。それで黒人を随分、随分苛めたんですね。だからこの映画に始めて、K.K.K.というのが出て来るんですね。クー・クラックス・クランとか言うんですね。

これは顔をかくして、白い服を着て、馬に乗って、何か木の棒を持って、ずーっと廻り歩いて黒人見たら殺すんですね。 怖い、怖い連中、K.K.K.、今でもこのK.K.K.、アメリカにいるんですね。

黒人はみんな、みんな殴り殺すんですね。黒人の家を焼くんですね。なぜそんなことをするんだろう、いや、黒人はいやなやつだ、黒人は悪いやつだ、顔がブラックでいやだ、そういうような時代があったんですね。

この南軍北軍の物語、この映画の終わり、やっとアメリカが一つになった、アメリカが一つになった、タイトルが『國民の創生』ですね。 というような話なんですけれども、当時、本当にそのころ日本に北軍の唄が流れて来たんですね、“ダンダンダダンダダンダ...”と流れて来たんですね。 私が幼稚園の頃、日本に流れて来たんですね。で、日本の唄になったんですね。“アナタノアーイノ、ツユウケテ、キーノウハージメテ、ワラッテヨ”まあ、そんな唄になったんですね。

よく考えたら「あなたの愛の露受けて、昨日始めて笑ってよ」、いやらしい唄ですね、というような事で、その時分にもうすでに北軍の行進曲が日本に入ったいうこと、それもおもしろいですけど、『國民の創生』は、その時代の話ですよ。
【解説:淀川長治】

http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo2270.html

D・W・グリフィス監督による「国民の創生」は、あらゆる意味で映画史に名を残すに足る作品である。その理由はあまりにありすぎて、ここにすべてを書くことがためらわれるくらいだ。

 まず、「国民の創生」が超大作であるという点だ。当時、映画のほとんどはまだ短編が中心だった。イタリアでは1914年に「カビリア」といった作品がすでに長篇として世に出ていた。しかし、ことハリウッドにおいては、まだまだ短編が中心だった。 そんな中、現在私たちが見ることができる「国民の創生」は2時間35分の超大作だ。これは、今の映画と比べても長い。長いということは大したことではないように思えるが、当時の興行においてはこれがかなり賭けであったことは想像できる。当時の他の作品と比べて莫大な製作費をかけたこの作品は、映画館での収益が収入のすべてであった当時において、観客が入らなければ出資者たちを破綻へと導くことになる(後にグリフィスは「イントレランス」(19196)でその憂き目に会う)。

 興行的には「国民の創生」は大ヒットを飛ばした。通常の入場料よりも高い2ドルに設定したという入場料もものともしなかった。「国民の創生」は、アメリカ映画において国民的な大ヒットを初めて飛ばしたという意味でも映画史に名を残すに足る作品といえるだろう。

 これ以降、肥大化していくハリウッドにおいて、これほど監督の名が強く刻印される作品が製作され、そして大成功を収める例は少ない。「国民の創生」にグリフィスは出資もしており、映画はグリフィス一色といってもいいくらいなのだ。唯一の例外は同時代においてはチャップリンくらいだろう。

 映画誕生当初、映画はこじんまりと職人的に製作されていた。その代表例は、トリック映画でおなじみのジョルジュ・メリエスである。そんな状況は変化し、映画は産業として、製品として製作されていくことになる。大会社によって、工場に近い形で映画は製作されていく。グリフィスも(チャップリンも)、当初はひたすら生産される映画作品の部品の1つに過ぎなかったが、徐々に製作者の立場となり、自らの作りたい作品を撮るようになる。そのグリフィスの夢の結実が「国民の創生」であり、続いて製作される「イントレランス」である。両者の間に横たわる最大の違いの1つは、「国民の創生」は興行的に成功したということだ。

 映画が産業へと移行していく過渡期において、1人の人物が映画を製作し、そして大成功を収めたという記念碑的な作品として、「国民の創生」はやはり映画史に名を残すに足る作品といえる。

「国民の創生」は、南北戦争前後の南部を背景として、2部に分かれている。1部は、南北戦争の勃発からリンカーン大統領の暗殺までが描かれる。2部では、実権を握った黒人と、それに反発する白人たちとの間の争いが描かれる。

 1部は戦争の悲惨さがひたすら描かれる。親交の深かった2つの家族は、南北戦争によって敵同士となってしまう。敵となっても、戦場で顔を合わせれば、それはかつての友人に違いはない。2つの家族の兄弟たちは、それぞれ戦死者を出して、ついには1人ずつとなる。帰りを待つ家族の悲しみ。敗色濃い南部側の家では着るものを売り払わなければ生活していけなくなる。何とか生き延びた南部の家の兵士が帰り着くとき、そのボロボロになった心と身体が、荒れ果てた家が、ボロの服を精一杯着飾って迎える妹が、悲しさを助長させる。出征のときの街をあげてのどんちゃん騒ぎの影はどこにも見られない。あるのは、戦争が産んだ悲劇だけである。

 この戦争の悲惨さに加えて、メロドラマも語られる。やがて敵同士となる南北の2人の友人。北の男には妹がいた。南の男は、その妹の写真を見ただけで一目ぼれしてしまい、写真をもらって戦場でも大事にする。やがて、戦場で負傷した南の男が、北軍の医療所に収容されると、そこには夢にまで見た(演出もまさに夢を見ているようにされている)写真の女性がいた。メロドラマは、2部への伏線ともなっている。

 2部では、リンカーン暗殺後に、黒人が権力を握った南部が描かれる。北側の意向により、南部では黒人が議会では多数派を占めるようになり、白人は隅へと追いやられる。黒人はそれを利用して、傍若無人に振舞うようになる。

 戦争によって敵同士となった親交の深かった南北の2つの家は、再び親交を取り戻している。北部の家族は、家長の療養も兼ねて南部の家へと居候することになる。この家長こそ、黒人に実権を持たせるように決定した人物であった。病院で運命の出会いを果たした男女も、ここで再会する。2人の再会によって愛が燃え上がるわけではない。それよりも、描かれるのは、白人と黒人の対立だ。黒人の横暴に耐え切れなくなった南部の家の男は、自警団を結成することを決める。悪名高きKKKだが、この作品では、KKKは白人の命を守る正義の士として描かれている。黒人によって、妹を殺され、家族や愛する女性が黒人に命を狙われたことを知った南部の家の男は、KKKを率いて仲間である白人を救出するのだった。

 「国民の創生」の内容もまた、映画史に名を残すに足るものとなっている。その理由は2部にある。2部の内容は、白人を持ち上げ、黒人をさげすんでいる。そのことは明らかだ。「国民の創生」が公開されたとき、有色人種の団体から猛烈な反対が起こったというし、映画監督への賞であるデビッド・W・グリフィス賞は「国民の創生」における思想の問題において近年別の名称へと変更されている。

 確かに、「国民の創生」における黒人の描かれ方はひどい。ひどすぎるといってもいい。例えば、議会で靴を脱いで机に足を乗せる人物がいたり、密かに酒を飲む人物がいたり、あからさまに好色な人物がいたりという描写は、一方で白人の議員が礼儀正しく座っていることもあり、黒人を人として描いていないとまで言えるだろう。

 この黒人観は、まさにグリフィスによるものだ。グリフィスも、この作品にKKKに参加している人たちと同じように、南部の出身である。しかも、父親は軍人であった。そんな、グリフィスにとって、「国民の創生」における黒人観は当然のものであった。グリフィスはグリフィスの正義を「国民の創生」に注ぎ込んでいる。グリフィスは自らの主張のために、あらゆる配慮をせずにこの作品を作っていることだけは確かだ。

 D・W・グリフィスによる「国民の創生」は、演出ももちろんグリフィスによって行われている。グリフィスといえば、クロース・アップやカット・バックといった技法を完成させた人物(発見した人物ではない)として名高い。そして、「国民の創生」はその完成形としても高く評価されている。

 「国民の創生」においては、その群集処理が高く評価されている。確かに、その長い長い兵士の行列シーンなど、当時評価されていたことはわかる。だが、他にもたくさんの似たようなシーンをみてきた私にとっては、それはさほど心を打つものではなかったというのが正直なところだ。

 また、黒人の襲われる白人たちと、白人たちを救うために馬に乗ってかけつけるKKKの一団のカットバックも、「国民の創生」を語る上で欠かすことのできないものだろう。しかし、このカットバックは見ていてドキドキするほどのものではない。これは、最後には間に合うことを知っているとういことと、KKKをどうしても正しいものとして見ることができないということからくるものだろう。

 だからといって、この作品は今見るとまったく楽しめない作品ということではない。時間を割かれて描かれるリンカーンの暗殺シーンや、黒人に追われて崖へと追い詰められる白人女性のシーンの緊張感はなかなかのもので、グリフィスの演出や編集の確かさを知ることができるだろう。

 また、わざわざ字幕で「本を参考に忠実に再現した」と断るだけあって、リンカーン暗殺の場となる劇場や黒人の議員に選挙された議場などのセットは見事だ。

 役者たちで最も印象深いのリリアン・ギッシュだ。グリフィス一門の中でもすでに古参の1人となっていたギッシュは、少しの表情の変化で感情を見事に表現している。病院のシーンで登場する、ギッシュ演じる看護婦に見とれる兵士は、実際にもギッシュに見とれていた男を起用して急遽挿入した人物なのだという。本筋の展開以外に遊びの部分がほとんどない「国民の創生」において、異色なシーンにはこんな理由があるのだ。

http://d.hatena.ne.jp/cinedict/searchdiary?word=THE+BIRTH+OF+THE+NATION&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail

リリアン・ギッシュの白い肌と銀幕


國民の創生とは、歴史的大作の皮膚を被った実に私的なフィルムである。

 それは何処に現れているか。 リリアン・ギッシュのあの白い肌に、である。

あからさまに他の女優達とは違う聖母性を授かったリリアンは「イントレランス」の時とは違って多種多様な表情を見せてくれる。 リリアンの魅力だけで言うのなら「散り行く花」並のリリアンの表情の多さと悲惨さとそして、決定的なスター性とでも言うようなモノがこの映画には溢れている。


 思い出して欲しい。 クローズアップの決して多くないこの映画で一番クローズアップを受け止めていたのは誰かを。間違ってもそれをヒロインだからなどと言わないで頂きたい。

彼女がヒロインなのは映画の中だけではない。監督と主演女優の境界がない世界でも確実にヒロインのはずだ、それはヒッチコックととあるモナコの王妃との関係に似ているかもしれない。

 決定的な迄の一方通行さ。それが映画の中に類い稀な奇跡を導入している。

 今一度思い出してみれば、リリアンの小鳥とのキスシーンの何とエロチズムに溢れた逆説的に監督からのリリアンのキスシーン拒否とも取れる演出の中に潜むデイヴィッドからのリリアンと恋愛を演じる俳優への嫉妬心が見え隠れしてはいなかっただろうか。

 その後のリリアンがキスを終えて部屋ではしゃぎまわる件はどうだろう。 ベッドの支柱に彼を思い顔を頬を寄せるリリアンに対してキャメラは決して羞恥を隠さずに思い切ったクローズアップを展開する。

 そうしてその後この映画に起こる出来事に対してリリアンは多種多様な演技を見せてその魅力の一辺を垣間見せてくれる事に祝砲をあげよう。

 父にとっての銀幕は5セントの劇場でも夢工場でもなく、間違いなくリリアン・ギッシュのあの白い肌にその果てしない願いをぶつけれる銀幕を見ていた筈だから。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=7799#2

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