チャーリー・チャップリンはロマ出身だ。 ロマと言えばヨーロッパでは極貧の民族の代表になっているが、チャップリンもまた幼児期を極貧の中で暮らして、その映画もまたコメディにも関わらずそこに流れているのは極貧の描写である。 チャップリンが貧しい人たちと、虐げられている人たちの中に自分の役柄を置いた根源的な由来が、彼の血がロマ(ジプシー)の出だということで分かったような気がした。
ロマ(ジプシー)は今でも虐げられ、ヨーロッパ全土で差別の対象になっている。 _____ Flamenco Dance https://www.youtube.com/watch?v=xqxJMCQxb_Q
2015-06-09 1000年も「ロマ」と共生できないのに多文化主義など絵空事 http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150610T0603560900.html
ヨーロッパは日本のように島国ではないので、様々な民族が国境を越えて行き来する。多くの民族は土着して、その国の「国民」となっていくのだが、中には定住するのを拒絶し、旅の生活を続ける民族も出てくる。 ヨーロッパではその最大勢力が「ロマ」である。単純な強盗や万引きなどの事件には、流れ者の民族であるロマも関わってくることが多い。 もちろんロマの人たちが全員「盗人」ではないが、やはり彼らの一部が強盗・万引き・麻薬売買に関わっているのは否定できず、ありとあらゆる場所で嫌悪されている。 この「ロマ」はヨーロッパに約1000万人いるというのだから、尋常ではない。国を持たず、流浪する民族が1000万人と言えば、さすがに目立つ。 このロマが定住する最大の国がルーマニアなのだが、ルーマニアもひどく貧しい国であり、そんな貧しい国に定住しているロマはどん底の貧しさであると言われている。 人種も、文化も、宗教も、気質もまるで違っている
ロマがルーマニアに200万人近くいて、人口の一割を占めているとは言っても、この1割のロマが受け入れられているというわけではない。 受け入れられているというよりも、やはりルーマニアでも嫌われていて、「泥棒」の代名詞となっている。 ロマが嫌われるのは、4つの理由があるというのは、以前にも書いた。 (ヨーロッパで、ロマ(ジプシー)が凄まじく嫌われる4つの理由) http://www.bllackz.com/?m=c&c=20101126T0324000900 彼らは、人種も、文化も、宗教も、気質も、何もかもヨーロッパとは違っている。時には言葉すらも通じない。
それでいて忽然と現れて、好きなところに「勝手に住み着く」のだから、地域住民から見たらまさに不法侵入者でしかない。しかも、この民族の子供たちは「万引き」をするために他人にまとわりつく。 「ロマの子供たちは学はないが、泥棒の仕方だけは親に学ぶ」 ヨーロッパの多くの国の観光地で、窃盗・万引き・置き引きが毎度のように発生するのは、ロマの子供たちがいるからであると言われている。 彼らはその街や村にやって来ると、そこの原っぱのようなところで誰の許可もなく勝手にキャンプを張る。 そして、ガラクタにしか見えないものを持ち込み、ゴミも周辺に放り出してゴミ山を作り出す。環境が手に負えなくなったら、ゴミ山を残してさっさと移動していく。これでは地域住民に好かれるわけがない。 そんな民族が1000万人もいる。だから、ヨーロッパではそれこそ1000年も昔からロマは頭痛の種だった。彼らはヨーロッパ中をさまよい歩き、今もその流浪と独自性で嫌悪と拒絶の対象になっている。 ガラクタにしか見えないものを持ち込み、ゴミも周辺に放り出してゴミ山を作り出す。環境が手に負えなくなったら、ゴミ山を残してさっさと移動していく。これでは地域住民に好かれるわけがない。
文化は受け入れられても、民族は排除されてしまった
ロマはロマの文化がある。彼らは以前は「ジプシー」と呼ばれていたが、流浪の民の文化は一部では崇拝を呼ぶほど信奉者も多い。 彼らは陽気で歌や踊りが大好きだ。その中で、最もよく知られているのはジプシー特有のけたたましい音楽だろう。 女性がスカートをなびかせ、足を踏み鳴らし、激しく踊るその様は見ている者を陶酔すら呼び起こすものである。 このジプシーの文化は、やがてヨーロッパ中の音楽にも取り入れられ、その踊りもまたヨーロッパ人に大きな影響を与えた。特に大きな影響を与えたのはスペインだ。 スペインに流れ着いたジプシーたちが、その土着の音楽と自分たちの音楽を融合させて生まれた独特の音楽は「フラメンコ」と呼ばれるようになった。 フラメンコは15世紀にはすでにスペインで定着していたわけで、その歴史は相当古い。まさに歴史的音楽であると言える。 とは言っても、この「ジプシー」がスペインで受け入れられたというわけではなく、やはり忌避されていたのである。 フラメンコという文化はスペインの文化になったが、皮肉にもそれを伝えた「ロマ」は相変わらず嫌われて、スペインのどこに言っても迫害され続けていた。 ジプシーと言えば、「占い」もまたひとつのビジネスだが、この占いもまたキリスト教徒から見れば「悪魔の業(わざ)」のように見えたわけで、キリスト教徒から見て不吉なものでもあった。 リタ・ヘイワースがジプシーの女を演じた映画『カルメン』でも、ジプシー女性がやたらと独自の因習を信じているのが描かれていた。 「黒猫は不吉な存在で、それが目の前を通ると誰かが死ぬ」というようなものだ。 リタ・ヘイワースがジプシーの女を演じた映画『カルメン』でも、ジプシー女性がやたらと独自の因習を信じているのが描かれていた。
Flamenco Dance https://www.youtube.com/watch?v=xqxJMCQxb_Q 「多文化主義」など絵空事であると誰もが知っている
ロマの流浪と文化は本当に異質であり、泥棒文化が嫌われ、何度も何度も地域住民と衝突して、今もヨーロッパはロマとどのように折り合いを付けたらいいのか分からないまま、困惑し、嫌い、排除しようとしている。 もっとも、そのロマも流浪する生活を頑なに守る人々が減っており、そのほとんどが定住するようになっているという。 ところが、定住しても独自文化を守ろうとして、地域の教育も無視するので、どこの国でもロマの人々は極貧の生活を強いられているようだ。定住はしたものの、地域と同化したわけではないということである。 ロマを支援する人々は、支援も理解も足りないと訴えるのだが、当のロマ自体が支援も理解も拒絶して自分たちの独自文化の中に引きこもることもあり、問題の解決は容易ではない。 また、地域に同化させようと努力するロマや、それを支援する人たちがいる一方で、逆にロマを強制的に排除して国から追い出してしまおうとする動きも巨大だ。 イタリアは、ロマの人たちが公営住宅に入れないように、政府が自らロマ排除に動いていたし、スロバキアでも機動隊を投入してロマのキャンプを叩き潰して追い出した。 ロマが200万人も定住するルーマニアでも、ロマは政府と国民に就職も住居も結婚も一般国民と交わらないように「積極的排除」されている。 ヨーロッパでは「多文化主義」など絵空事であると誰もが知っているのは、誰もがロマの問題を解決できないことを知っているからである。 地域に同化させようと努力するロマや、それを支援する人たちがいる一方で、逆にロマを強制的に排除して国から追い出してしまおうとする動きも巨大だ。 http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150610T0603560900.html
2010-11-26 ヨーロッパで、ロマ(ジプシー)が凄まじく嫌われる4つの理由 http://www.bllackz.com/?m=c&c=20101126T0324000900 スリランカ・シンハラ系民族の女性に惹かれて付き合っていたことがあるのだが、それが自分の美の概念を根底から変えてしまった。 あっという間にインド・アーリア系の女性の美しさに魅せられ、悩まされ、そして当惑させられ(Bewitched, Bothered and Bewildered)、今でも、世界で一番美しいのはインド女性だと信じて疑わない。 あの瞳、あの笑み、時に甘美で、時に凶暴で、全体的に力強く、視線の強さや、横顔の端正なシルエットは他のどの民族からも受けないインパクトがある。 カルカッタでも、ムンバイでも、そしてスリランカでも、バングラデシュでも、はっとするような女性があちこちに存在する。その美しさに心を揺さぶられる。 ロマが、インド系の民族だというのを知って仰天
だから、アフガニスタンのヘロインがヨーロッパに到達するルートを調べてバルカン半島にまで知識の探究が辿り着いたとき、たまたまロマ(ジプシー)が、インド系の民族だというのを知って仰天した。 子供の頃から、ハイエナはずっとイヌ科の動物だと思っていたのに、実はネコ科のほうだと分かったとき以来の驚きだったかもしれない。 いや、それよりも数倍インパクトが強い。何しろ、ハイエナに恋焦がれたことはないが、インド女性には何度も恋焦がれている。関心の度合いが違う。 ロマ(ジプシー)の存在は私の中では非常に影の薄いものであったが、彼らがインド圏であるというのであれば話は別だ。 アジアは私の最大の関心であり、ましてインド女性は私がもっとも惹かれる民族なのだから、ロマという民族がその血を受け継いでいるのであれば、関心を持たないほうがどうかしている。 ロマ(ジプシー)の少女
今年9月からアジアに流通する麻薬に興味を持って調べていたのだが、トルコからバルカン半島まで入ったところで、関心がロマにそれた。それもまた一興なのかもしれない。 それから急いで数冊の本を買って、時間のあるときに読み耽っているのだが、以前から知っていた何人もの人物が実はロマ(ジプシー)出身だと知ったり、その凄絶な歴史を知ったりして興味深い。 たとえば、ユル・ブリンナーという古い俳優がいたが、彼がロマ(ジプシー)出身だったとは知らなかった。世界ロマ連盟の初代会長がユル・ブリンナーだった。 ユル・ブリンナー
イギリスで「ブレイク・アウェイ」等のヒットを飛ばした女優・歌手のトレイシー・ウルマンという女性もまた母方がロマ出身だったというのも知らなかった。 トレーシー・ウルマン
チャーリー・チャップリンもロマ出身だ。ロマと言えばヨーロッパでは極貧の民族の代表になっているが、チャップリンもまた幼児期を極貧の中で暮らして、その映画もまたコメディにも関わらずそこに流れているのは極貧の描写である。 チャールズ・チャップリン
チャップリンが貧しい人たちと、虐げられている人たちの中に自分の役柄を置いた根源的な由来が、彼の血がロマ(ジプシー)の出だということで分かったような気がした。 ロマ(ジプシー)は今でも虐げられ、ヨーロッパ全土で差別の対象になっている。 ヨーロッパ人が排除したい民族
スイスと言えば、美しいアルプスの山脈と素朴に暮らす人たちの光景が思い浮かぶ。あるいは、時計職人、銀行家というイメージも別にある。 そのどれもが保守的で物静かな感じを受けるのだが、ロマの歴史からスイスを見たとき、スイス人はとても残酷な歴史を隠蔽している民族なのではないかという疑念がふつふつ湧いてくるようなものもある。 たとえば、スイス政府の認定を受け、閣僚も名を連ねる「青少年のために(Pro Juventute)」という組織の十数年にも渡って続けてきた行為などは、私が想像に描いていたスイス人のイメージとは違う。 この団体は、「ロマの子供を両親から引き離し、ロマ民族と文化を殲滅する」というスローガンを抱えて、実際にロマの子供たちを誘拐し、強制収容し、ロマの言葉や文化を一切教えず、暴行や性的虐待を繰り返してきたという。 これが、政府公認だった。誘拐されたのは分かっているだけでも、1,000人を越えており、意味もなく電気ショックを与えていたり、殴りつけていたという。 スイスだけではない。チャウシェスクはロマ民族を毛嫌いしていて、ルーマニア民族優等主義を標榜してロマを迫害・排除に動き、財産や職を取り上げた上で強制隔離してしまった。 ルーマニアではロマ人の隔離された場所をゲットーと呼び捨てていたようだが、ゲットーとはドイツ人がユダヤ人を強制隔離した場所を指す言葉ではなかったか。それと同じ目をロマの人々は味わされていた。 今でもルーマニアではロマ人を差別しており、その差別の内容も一方的で容赦がない。ロマ人に対する、虐待・集団暴行・レイプが今もルーマニアで横行しているという。 では、ゲットーという概念を作り上げたドイツではどうだったのかというと、やはりロマは排除の対象だったようだ。いや、排除ではなく、虐殺の対象だと言うべきだろう。 ナチス・ドイツはドイツ・アーリア人の優等主義を打ち出していて、そこから漏れる民族は片っ端から「強制収容所」に送り込んでいた。ユダヤ人がその最大の被害者だったが、そこにロマ人も含まれていたのである。 アウシュビッツで死んだのはユダヤ人ばかりではなく、ロマ人もまた含まれている。その数は約二万人だと言われており、スイスの「青少年のために(Pro Juventute)」とはケタ違いに被害が大きい。 アウシュビッツのロマの少年少女。アウシュビッツで殺されたのは、ユダヤ人だけではなかった。
迫害される要素をすべて持つロマ(ジプシー)
ヨーロッパのありとあらゆる国で迫害を受けてきたロマだが、どの国の迫害を見ても分かるのは「凄まじく嫌われている」ということだ。 嫌われ、迫害される主な理由が4つほどある。 ・流れ者の民族で文化が違う。 ・キリスト教徒ではない。 ・コーカソイド(白人系)ではない。 ・個人主義で、決して地域に同化しない。 要するに彼らは異質であり、異教徒であり、異端だった。地域に同化しない人間というのは得てして目立つ。そして、その非協調性によって排斥される。 宗教が違うというのも、また広い意味で、非協調性だと思われるものがあるだろう。つまり、同化しない人間は地域社会から許しがたい存在である。 おまけに肌の色が違ったら、ますます異端者扱いされる。「他所者だ」と思われて、頭から拒絶されるのである。 ヨーロッパでロマという民族は何か得体の知れないものであり、理解できないものであり、地域の秩序を乱すものだと捉えられた。 まして、彼らは一箇所に定住せず、適当な場所に勝手に泊まり、身なりは汚いことが多く、子供たちは平気で物をたかったり盗んだりする。言葉は通じないことも多いし、動物を引き連れていて不気味な集団なのである。 ロマ(ジプシー)という民族を調べながら、私が思ったのは、ここに迫害の要素がすべて詰まっていることだった。 「文化が違う、宗教が違う、人種(国)が違う、個人主義」というのは、迫害される要素の最大のものだ。 ロマは不幸なことに、そのすべてを兼ね備えてヨーロッパを徘徊している。だから、彼らは今もヨーロッパと共存できていない。 (1000年も「ロマ」と共生できないのに多文化主義など絵空事) http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150610T0603560900.html ふと、そのような要素を持つ人間が個人にいることも気がつくが、そういう人は大抵、嫌われ者だ。「他人と違う」というのは、往々にして、そういう悪感情を他人に呼び起こす。 http://www.bllackz.com/?m=c&c=20101126T0324000900
2015-06-12 激しい差別と迫害の中でユダヤ人がサバイバルできた理由 http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150613T0010550900.html
ヨーロッパを流浪する民族「ロマ」は、地域社会に同化せず、独自の文化を頑なに守り続けて今もヨーロッパ社会の底辺をさすらいながら問題を起こしている。 (1000年も「ロマ」と共生できないのに多文化主義など絵空事) http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150610T0603560900.html ところで、ヨーロッパには、このロマと同じく毒蛇のごとく嫌われた流浪の民族もいる。ユダヤ民族である。
ロマが流浪していたのは自らの意思だったが、ユダヤ人が流浪していたのは、国を失ってどこに定住しようとしても排斥されたからだ。 キリスト教社会の中にあって、イエス・キリストを殺した民族として新約聖書に記されたユダヤ人は、キリスト文化が続く限り迫害の対象になる運命だった。 ユダヤ人の流浪は1948年5月14日にイスラエルという国が建国されるまで続いてきた。いや、イスラエルができてもイスラム教徒と激しい闘争を繰り広げ、今もまだ流浪していると言っても過言ではない。 イエス・キリストを挑発し、迫害するユダヤ人の姿
新約聖書の物語は、イエス・キリストが奇跡を行う前半と、ユダヤ人に売られて十字架に張り付けにされる後半に分かれている。イエス・キリストが戦っていたのはユダヤ人だった。 ユダヤ人はイエス・キリストを告訴し、死刑にしろと叫び、実際に十字架に追いやった「主犯」だった。銀貨30枚でイエス・キリストを売り飛ばしたユダという男もまたユダヤ人だった。 「人類の救済者」という位置付けのイエス・キリストを迫害して死に追いやったのはユダヤ人だと、聖書は繰り返し述べているのである。 新約聖書は、イエス・キリストを挑発し、迫害するユダヤ人の姿でいっぱいだ。 そのキリスト教がローマ帝国の国教となり、そこからユダヤ人の受難が始まった。ユダヤ人は「イエス・キリストを殺した民族」として、どこに言っても迫害され続けたのである。 ユダヤ人は流浪するしかない民族となった。そして、どこを流浪しても迫害される民族となった。まさに「イエス・キリストの呪い」を受けた民族だったから、キリスト教徒にとってユダヤ人は許すことのできない敵だったのである。 この迫害は1000年以上も続いてきた。19世紀の東ヨーロッパで「ポグロム」という激しいユダヤ人虐殺が行われたが、このポグロムというのは「破壊」という意味のロシア語である。 「ユダヤ人は殺してもいい」「ユダヤ人からは奪ってもいい」というのがポグロムだった。このユダヤ人排斥は組織的に、そして継続的に行われ、土地を追われたユダヤ人は、新天地を求めてさまよい続けた。 迫害の中で、悠々と屋根の上に登ってバイオリンを弾く英雄は現れなかった。こうしたポグロムの中で、6万人のユダヤ人が殺されたウクライナのリヴィヴ・ポグロムは写真でも記録されている。 ユダヤ人の老人を後ろから蹴り飛ばすウクライナ人。「ユダヤ人は殺してもいい」「ユダヤ人からは奪ってもいい」というのがポグロムだった。
資産家として成り上がって行くユダヤ人も多かった
ロマと共に迫害されていたユダヤ民族だが、ではユダヤ人が各地で極貧の身であったのかと言えば、実はそうではない。 もちろん、ユダヤ人ゲットーという隔離地に押し込まれて、まともな仕事を与えられない貧困のユダヤ人も多かった。しかし、それでもその地で資産家として成り上がって行くユダヤ人もまた多かったのである。 ユダヤ人がどこかに定住して自由にビジネスできるようになると、彼らは常にその地の民族を圧倒して富裕層になっていく。そして気が付けば、ユダヤ人が彼らを雇って主従関係が逆転するようなことにもなっていった。 ドイツでも18世紀にはユダヤ人のゲットー(隔離地)からロスチャイルドという一族が銀行業によって資産家に成り上がっていく動きがあった。 ウクライナでもユダヤ人はその地域の富裕層として君臨し、ウクライナ人の上に立っていたのである。 このあたりは、流浪しながら窃盗や売春や胡散臭い占いビジネスで底辺を這い回っていたロマ民族とは、まるっきり立場も運命も違っていた。 ロマとユダヤのこの差はどこから生まれていたのか。 それは、まぎれもなく「教育」に対する姿勢であったと言われている。 ユダヤ人は「本の民族」であると言われている。迫害されても、貧困に落ちても、流浪の中の絶望にあっても、彼らは教育と書に対する熱意をまったく失わなかった。 モーセ五書を記した「トーラー」と呼ばれる書を子供の頃から教え、子供たちは旧約聖書を何度も何度も反復してそれを暗唱できるまで鍛え上げられた。 そして、激しい迫害の中で、どのように生きればいいのかを「タルムード」を通して教育されてきた。 ユダヤ人排斥の中で、人前で服を剥ぎ取られたユダヤ人の女性。どこに定住しても、ユダヤ人に対する迫害は止まることはなかった。
「迫害される環境から、いかに生き残るか」の書
ユダヤ人は、国もなければ安住の地もない。常に迫害され、差別され、時には略奪の対象とされて、築いてきたものは一瞬にして破壊された。 彼らは生き延びるために、土地にも財産にも共同体にも頼れなかった。頼れるのはただひとつ、サバイバルするための「頭脳」だけだったのである。 だから、教育は彼らの最大の武器であり、旧約聖書も、トーラーも、タルムードも、「迫害される環境から、いかに生き残るか」について微に細を入れて書かれていた。 ユダヤ人にとって本を読むというのは娯楽ではない。教育とはサバイバルだったのだ。本を読んで学ぶことが、ユダヤ人にとっては殺されるか生き残るかの苛烈な社会の中のサバイバルの指針だったのである。 だから、同じ流浪の民族であっても、ロマ民族と、ユダヤ民族は、その運命はまるで違っていた。 ユダヤ人は、外からふらりとやってきて底辺を這い回るのではなく、その頭脳によっていつしか富裕層に成り上がって現地の民族を支配する立場になっていく。 それが激しい恐怖を生み出し、宗教的な憎しみも加わって、激しい虐殺を生み出す元になっていったのだ。 東ヨーロッパで吹き荒れた「ポグロム」は、1930年代以降は自分たちの上に君臨する豊かなユダヤ人から奪うという歴史的な背景もあった。 異質な民族が自分たちの上に君臨して自分たちを支配することの恐怖も、ユダヤ人に対する過剰な虐殺の原因のひとつであったとしても不思議ではない。 ユダヤ人の武器である「教育」とは、それほどまで凄まじいものであったとも言える。 集団で暴行され、服を脱がされるユダヤ人女性。こうした「ポグロム」の後、ユダヤ人はナチスによる「ホロコースト」で民族虐殺に追いやられていった。 http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150613T0010550900.html
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チャーリー・チャップリンはジプシー系英国人であった。
喜劇王チャップリンは、その類い希なる才能ゆえに、「もしかしたらユダヤ人じゃないのか?」と囁かれていた。チャップリン本人は「ユダヤ人」という噂を否定していたので、筆者も「たぶん違うんじゃないか」と思っていた。そうしたところ、2010年頃になって、ようやくチャップリンの親戚が認(したた)めた手紙が表に出て来て、彼の母親がジプシー藝人であることが判ったのである。 ("The secret letter that claimed Charlie Chaplin was the son of a gypsy queen", Daily Mail, 21 February 2011) チャーリーの母ハンナ・チャップリン(旧姓 / Hannah Hill)は旅藝人の役者で、「リリー・ハーレー(Lily Harley)」という藝名で通っていた。 ところが、息子が3歳の時に夫のチャールズと別れてしまったという。チャーリーは大人になっても母親をいたく慕っており、その優しさを忘れられなかったのか、愛する女性にも亡き母の面影を求めていたらしい。 ただし、母親の素性に関しては固く口を閉ざしていたから、ジプシーの血筋だけは絶対に明かしたくなかったのだろう。「サー(Sir)」の称号をもらった名優が、ジプシーの倅(せがれ)だなんて、恥ずかしくて人に言えないじゃないか。(これは筆者の勝手な推測だが、チャップリンが左翼思想のを持っていたのは、人間を家系や種族で差別する西歐人が赦せなかったからだろう。) Charlie Chaplin 4Hannah Chaplin 1Charles Chaplin Sr 1 (左: チャーリー・チャップリン / 中央: 母親のハンナ・チャップリン / 右: 父親のチャールズ・チャップリン)
ちなみに、チャップリンの母親は三人の子宝に恵まれたけど、その人生は悲惨なものだった。二番目の夫チャールズに出逢う前、彼女はシドニー・ホーク(Sydney Hawke)という男に惚れてしまい、一攫千金を夢見る夫に従って南アフリカにまで移住したのだが、その地で亭主から売春を強要されてしまったのだ。恐らく、この商売が原因で、彼女は梅毒に罹ったのだろう。ハンナはこの“碌でなし”との間にシドニーという長男を出産し、二番目の夫であるチャールズとの間に次男のチャーリーをもうけている。 ところが、間もなくチャールズとも離婚。この再婚相手と別れた後、ハンナはレオ・ドライデン(Leo Dryden)という役者と恋に落ち、彼との間に三男のウィーラー・ドライデンを産んだという。しかし、梅毒のせいで精神に異常をきたし、衰弱したハンナはやがて息を引き取る。 後に、恋多きコメディアン、我らがチャーリー・チャップリンが女性と寝るとき、矢鱈と神経質で性病に感染するのを極度に恐れたのは、母親の病気が深く心に刻み込まれていたからだろう。それにしても、有名な喜劇王がベッドに入る前、股間に沃素(ようそ)を塗るなんて、ちょっと哀しくて笑う気になれない。 _____ 2018年03月23日 ララ・クロフトの素性はどこにあるのか? / スウェーデンにおけるジプシー http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68707220.html
二番煎じのシリーズ映画 Alicia Vikander 10Alicia Vikander 3 (写真 / 「ララ・クロフト」を演じたアリシア・ヴィキャンデル)
ハリウッドは新しいネタ不足なのか、やたらとヒット作のシリーズ化やスピン・オフの制作、リメイク版での再稼働で儲けることばかり考えている。ディズニー社は映画『スター・ウォーズ』を3セットの三部作で終わらせず、アニメ化やスピン・オフ作品を展開させ、向こう百年先まで稼ぐつもりだ。マーヴェル・コミックを原作としたヒーロー映画も同じで、キャプテン・アメリカやスーパーマン、アイアンマン、ワンダーウーマン、超人ハルク、マイティー・ソーなどはバラ売りされたり、セット商品として利用され、配給会社のドル箱になっている。 Angelina Jolie 22(左 / アンジェリーナ・ジョリー ) 今年公開された『トゥーム・レイダー / ファーストミッション(Tomb Raider)』も、アンジェリーナ・ジョリー主演でヒットした『ララ・クロフト / トゥーム・レイダー(Lara Croft : Tomb Raider)』の改新版(reboot)である。2001年の第一作と2003年の続編はパラマウントが配給会社となっていたが、同じタイトルでも2018年度版はワーナーブラザーズへと変わっていた。そして主人公の「ララ・クロフト」役もアンジェリーナ・ジョリーから、スウェーデン出身女優のアリシア・ヴィキャンデル(Alicia Vikander)に交替している。同じシリーズでも役者が変わると、批評家と観客の賛否が分かれ、「以前の女優の方が良かった」とか、「今度の役者も中々いい」、「主役が代わっても同じだ」など、意見が様々だ。 Tobey Maguire 6Andrew Garfield 2Tom Holland 1 (左: トビー・マグワイアー / 中央: アンドリュー・ガーフィールド / 右: トム・ホランド ) シリーズ物で観客の意見が割れるのは珍しくない。例えば、映画『スパイダーマン』では主役のピーター・パーカー役がトビー・マグワイアー(Tobey Maguire)からアンドリュー・ガーフィールド(Andrew Garfield)、トム・ホランド(Tom Holland)に替わっていたし、映画『バットマン』になると、一作ごとに主役が替わっていたのだ。最初は、マイケル・キートン(Michael Keaton)で、次がヴァル・キルマー(Val Kilmer)、三番目がジョージ・クルーニー(George Clooney)で、その後にクリスチャン・ベール(Christian Bale)が起用されて、やっと落ち着いたという感じである。007シリーズは今のところダニエル・クレイグ(Daniel Craig)で続行しそうだ。 Michael Keaton 2Val Kilmer 1George Clooney 1Christian Bale 11 ( 左: マイケル・キートン / ウァル・キルマー / ジョージ・クルーニー / 右: クリスチャン・ベール ) 役者を変えて失敗した例も幾つかある。有名なのは『ターミネーター』シリーズだ。アーノルド・シュワルツネッガーがカルフォルニア州知事になってしまったので仕方がないが、第4作目でサム・ワーシントン(Sam Worthington)が「ターミネーター」役になったが、これといったインパクトが無く凡庸な作品となってしまった。そして、第5作目でシュワルツネッガー復帰となった訳だが、残念ながら脚本が殊のほか酷く、見るに堪えない代物だ。筆者も期待を膨らませて劇場に足を運んだが、肩すかしを食らったような気分だった。だいいち、初老のターミネーターなんて冗談みたいな設定である。蛇足だが、「ジョン・コナー」役の交替も酷かった。名作の「T-2」ではエドワード・ファーロング(Edward Furlong)が好評だったのに、続編の「T-3」ではニック・ストール(Nick Stahl)が演じることとなり、ファンは「えぇ〜ぇ、何これ?」と唖然としたものだった。ニックには悪いが、美少年が数年後に劣化したという感じが否めなかった。誰か別の二代目が見つからなかったのか、と疑問に思う。 Arnold Schwarznegger 1Sam Worthington 1Edward Furlong 4Nick Stahl 3 (左: アーノルド・シュワルツネッガー / サム・ワーシントン / エドワード・ファーロング / 右: ニック・ストール ) その他にも主役を変えて駄目になった作品は多い。例えば、人気TVドラマの『24』である。このシリーズはキーファー・サザーランド(Kiefer Sutherland)が「ジャック・バウアー」を務めるから成り立つ作品なのに、スピン・オフのような『24 Legacy』では、事もあろうに黒人俳優のコリー・ホーキンズ(Corey Hawkins)を主役に抜擢してしまったのだ。制作陣は「ジャック・バウアー」の代理を黒人俳優にしてヒットするとでも思ったのだろうか? 筆者は最初から興味が無かったので観なかったが、案の定、日本でも米国でも人気沸騰とならず、シーズン1で打ち切りだ。まぁ、当然だろう。いくら凄い経歴のキャラクターに設定しようが、アフリカ系の「ジャック・バウアー」なんて、ブロンクスかデトロイトのチンピラ黒人を見ているようで不愉快だ。 Kiefer Sutherland 4Corey Hawkins 1 (左: キーファー・サザーランド / 右: コリー・ホーキンズ)
脱線したので話を戻す。再始動となった『トゥーム・レイダー』の評価は微妙だ。「スリリングなアクション映画に仕上がっていて良かった」と褒める批評家もたいが、「まるで『インディアナ・ジョーンズ』シリーズの『失われたアーク』みたいだ」と酷評する観客もいたそうだ。筆者も予告編の宣伝映像を観たとき、「あれっ、何かハリソン・フォードのインディアナ・ジョーンズをパクった映画みたいじゃないか ?」と思ったものである。映画のストーリーは、主人公のララ・クロフトが亡き父の残したプロジェクトを引き継ぐという内容だ。彼女の父リチャード・クロフトは日本近海に浮かぶ「ヤマタイ島」を探っていた。(映画の中でララが広げた地図によると、「ヤマタイ島」は四国の近くにある。だが、日本人の我々には馴染みがない、というより聞いたことがない。) このミステリアスな島には、「ヒミコ」の墓があり、その石棺の中には世界を変える不思議な魔力が秘められているという。リチャードはこの謎を追っている途中で亡くなってしまったのだ。 リチャードの娘ララは「クロフト・ホールディングズ」ビルを訪れ、父のビジネス・パートナーであるアナ・ミラーに会う。ララは父が遺した「カラクリ(karakuri)」という仕掛け箱を渡され、ルービック・キューブのように捻っていると、偶然その箱から写真と鍵を手にすることが出来たのである。彼女は「エンデュアランス」号の船長ルー・レン(Daniel Wu)を連れ、「ヤマタイ島」を目指す。(ここでも“やはり”人種的配慮を示し、アジア系男優をセッティングして、マイノリティー観客にアピールだ。本当に、イヤらしい胡麻スリである。) 彼女を待ち構えていたのは「トリニティー」という組織と、悪党のマティアス・ヴォーゲル(Walton Goggins)であった。驚いたことに、父のリチャードは生きていた。ヴォーゲルは捕まえたララにヒミコの墓暴きを命じる。しかし、日本の女王が眠る棺の中には、財宝といった素晴らしいものではなく、人間を一瞬にして殺してしまう恐ろしいウィルスだった。このウィルスを拡散させぬために、リチャードは自らの命と共に爆薬で破壊してしまうのだ。 Daniel Wu 2Harrison Ford 3 (左: ダニエル・ウー / 右: ハリソン・フォード) ララが墓の洞窟に侵入して色々な罠や仕掛けをかいくぐるシーンは、ハリソン・フォードが演じたインディアナ・ジョーンズとソックリだ。コンピューター・グラフィックスを駆使して豪華にしているが、肝心の脚本が凡庸なので、あまり感心するようなオリジナルティーは無い。「お決まり」のスリルと派手なアクションで画面を飾っているだけ。これならアメリカ人の観客が「なぁ〜んだ、この程度か !」と呆れてしまうのも無理はない。(もっとも、アメリカ人の観客はこういった単純明快なアクション映画が好きなので、もしかしたら続編も有り得る。) 映画の質はさておき、ヴィキャンデルの評価は高く、まあまあの好感度を得ている。アンジェリーナ・ジョリーほどのセクシーさを持っていないが、クラシカル・バレーをやっていただけのことはあって、均整の取れた肉体を持っていて素晴らしい。以外と「ララ・クロフト」役に合っているのかも知れない。 Alicia Vikander 14Alicia Vikander 12 (写真 / 地肌のアリシア・ヴィキャンデル)
でも、一つだけ気になることがある。アリシア・ヴィキャンデルはスウェーデン出身なのに、どうも北歐人に見えない。どちらかというと南米に住むヨーロッパ系女優みたいだ。筆者は最初に彼女を目にしたとき、「あれっ、ペルーかブラジル出身のヨーロッパ系モデルかな?」と思ったほどである。彼女自身が認めている通り、その皮膚はユリのように白い肌というより、ちょっと日焼けした感じの小麦色であった。映画やドラマに出演しているときは、白粉を塗って色白にしているという。彼女の両親は共にスウェーデン人である。母親のマリアは女優で、父親のスヴァンテは精神科医であるそうだ。マリアの家系にはバルト系フィン人やドイツ人がいても基本的にはスウェーデン人であったし、スヴァンテの家系も代々スウェーデン人であるという。アリシアは対談番組の中で、どうして自分の肌が小麦色なのか不思議であると語っていた。彼女は「スウェーデン人がみんな色白なんて単なる先入観だわ」と述べていたが、たぶんそれは事実だろう。 異民族の血が混じっていたスウェーデン人 人間の遺伝子というのは複雑怪奇で、生まれてきた子供は基本的に両親の面影を宿すが、祖父母の肉体を再現する場合もある。いわゆる「隔世遺伝」というのがあるから、両親とはちょっと違った容姿を持つ赤ん坊が生まれてしまうケースが稀にあるらしい。とりわけ、米国オハイオ州で生まれた双子のケースは刮目に値する。男の子のガブリエル(Ghabriael)は青い目と金髪を持って生まれたのに、女の子のトリニティー(Trinity)はくすんだ色の肌に、黒い瞳と黒い縮れ毛を持っていた。彼らの両親は異人種カップルで、父のチャールズ・カニンガム(Charles Cunningham)は黒人。一方、母のクリスティー(Khristi Cunningham)は白人女性だ。ただし、息子のガブリエルは白人でも顔附きはアフリカ人に近く、その金髪は縮れている。ABCテレビがこの家族を取材し、報道番組で支那系局員のジュージュー・チャンが紹介していた。この番組はいかにも極左放送局が作ったという内容で、人種平等のイデオロギーに凝り固まっている。 Cunningham, Ghabriael 1Cunningham, Trinity 1Cunningham twins (左: ガブリエル・カニンガム / 中央: トリニティー・カニンガム / 右: 二人で一緒に撮影された写真 ) もっと驚くのは、1955年に南アフリカで生まれたサンドラ・ラング(Sandra Laing)のケースである。彼女の父アブラハム・ラング(Abraham Laing)と母サニー(Sannie Laing)は共に白人で、彼女の弟はややくすんだ肌ではあるが「白人」と見なされたので差別されずに済んだ。興味深いことに、サンドラの祖父母や曾祖父母も白人であったのだ。ところが、彼女だけ黒人の肉体に生まれてしまったのである。サンドラの先祖に黒人はいないとの話だったが、もしかしたらムラート(mulatto / 白人と黒人との混血児)がいたのかも知れない。アフリカ系混血児と結婚する白人は、セックスで自分の容貌が変形・変色する訳じゃないから以外と無頓着だが、妊婦から生まれてくる赤ん坊には黒人の遺伝子が優性となる可能性が高いのだ。たとえ息子や娘に浅黒い子供が生まれなくても、孫や曾孫の代に黒い子供が誕生する虞(おそれ)がある。それにしても、数世代を経て黒人の遺伝子が子孫に現れてくるんだから、肉体を形成する塩基配列とは不思議なものだ。 Sandra Laing & her motherSandra Laing & brother & motherAbraham Laing 1 (左: サンドラ・ラングと母親のサニー / 中央: 母と弟と一緒に写っている幼い時のサンドラ / 右: 父親のアブラハム・ラング)
アリシア・ヴィキャンデルは自分の血統について詳しくは知らない、と語っていたが、もしかしたら祖先の誰かに有色人種、もしくは非北歐系の混血児がいたのかも知れない。筆者は彼女のケースについて何も言えないが、スウェーデン国民の中にはジプシーの血が混ざっている人がいるので、数世代を経てアジア人的容貌を持つ人が現れたりする。つまり白人なんだけど、骨格とか人相、皮膚の点で北歐人らしからぬ人が居るということだ。日本人でもちょっとアフリカ人的な容貌を持つ人がいて、髪が太くて縮れていたりする。また、ある人はタイ人とかベトナム人みたいな顔附きなりで、友達からアジア系混血児と誤解されて憤慨したりすることもあるらしい。最近は、フィリピン人とかタイ人の母親を持つ幼稚園児が増えたので、従来の日本人とは違った子供が珍しくない。 Gypsies in SwedenGypsies 4 (写真 / ヨーロッパにやって来るジプシーたち )
北歐人らしからぬ国民がなぜいるのか、という謎を解く鍵がスカンジナヴィアの歴史にある。実は、1512年頃にジプシーがスカンジナヴィア半島にやって来たのだ。スウェーデンの年代記『En Swensk Cröneka』によれば、大天使の聖ミカエルを祝う9月29日にエジプトの方から旅行者の一団が上陸し、彼らはアントニウス伯爵に伴う取り巻き連中であった。古文書の中では、「放浪者(zigeunae)」とか「タタール(tattare)」と呼ばれているが、要するにジプシーのことだ。人権屋が「ロマ」と呼ぶ浮浪者どもは、オリエントからやって来た野蛮人のように見えたから、誤って「タタール」と呼ばれてしまったのだろう。ジプシーの民族的起源は定かではないが、ある学説によるとインドから各地に散らばった流浪民らしい。現在、ジプシーはフランスとかブリテンにも住んでいるけど、元々はバルカン半島やアナトリア地方をうろついていた人々である。随行者としてスウェーデンにやって来たジプシーだが、現地人からは歓迎されなかったようで、1637年7月28日の勅令で、「タタール」の追放が決まったそうだ。そして、1914年から1954年の間、ジプシーのスウェーデン入国は禁止されていたのである。 tumblr_n3rsh3Nordic baby 6Nordic Male 4 (左: 北歐系の女性 / 中央: ゲルマン人の子供 / 右: スカンジナヴィア系の男性 ) ナチス・ドイツによる対ジプシー政策は悪名高いが、スウェーデンにも人種や民族に関する暗い過去がある。日本ではほとんど知られていないのだが、スウェーデン政府はジプシー達の個人情報を“こっそり”集め、違法なデータベースを作っていたのだ。この機密ファイルは2013年、スウェーデンの報道機関にリークされ、一般国民に知られるようになった。人種を基本にした最大のジプシー登録ファイルには、4029名の個人情報が記載され、そのうちの842名が10代の少年達で、52名が赤ん坊であったという。(Mattias Gardnell, "Sweden's dirty little secret", Open Democracy, 9 October 2013) 発覚当初、スウェーデンの警察当局はファイルの存在を否定したが、このデータベースの作成は通常行われる情報収集の一環であると、仄めかしたそうだ。まぁ、手癖の悪いジプシーによる犯罪は結構多いから、警察としては防犯対策と犯罪捜査を兼ねた極秘資料であったのだろう。 ジプシーの入国が禁止されていた1920年代に、政府当局は残存していたジプシー達をどう扱うべきか頭を悩ませていたらしく、治安担当者はジプシーとスウェーデン人を統合することは無理と考え、彼らを「解決不可能な問題」と見なしていたそうだ。それゆえ、この問題を解決できるのはただ一つ、彼らをスウェーデンから追い出すことであった。政府当局者はジプシーの国内移住に制限を設け、勝手気ままに放浪できぬようにすることで、彼らがスウェーデンを“自主的”に去るよう仕向けたのである。ジプシーは自由を奪われることが嫌いで、好きな時に好きな事をする性分だから、スウェーデンが「居心地の悪い土地」になれば、自然と居なくなるという訳だ。 それでも、国を去らずに居坐る者がいたので、スウェーデン政府は個別にジプシーを尋問し、一人一人に「Zナンバー」を割り振り、彼らの性格を詳しくファイルに書き留めたのである。例えば、Aというジプシーは「狡賢い」とか、「怠惰である」、「暴力的だ」などと記載したそうだ。ところが、このプロファイリングは単なる人別帳に留まらなかったから問題になった。というのも、当時は「優生学」が全盛期の時代だ。歐米諸国では何処でも健全な社会を目指していたから、少しでも社会の負担となる犯罪者や精神異常者、福祉依存者、厄介者を減らそうとしていた。その一環として「断種」という手段もあったのだ。学会では悪質な性格は遺伝すると考えられていたので、その「悪循環」を断ち切るためにも、あるタイプの女性たちに不妊手術を施していたのである。 Sweden women 2Gypsies 5 (左: スウェーデン人の女性たち / 右: ジプシーの親子)
スウェーデン政府はジプシーを劣等民族と見なしていたので、彼らの悪質な特性が広まらぬよう、つまり彼らがスウェーデン社会で繁殖しないよう、ジプシー女性を掻き集め、「断種」に同意するよう強制したのだ。もし、彼女達が拒否すれば、その子供を取り上げて引き離すぞ、と脅したらしい。「Zファイル」に登録された賤民は、「国民」に属さなかったから、当然、スウェーデン国民の権利も無かった。1960年代半ばまで、ジプシーたちは完全な公民権を持たず、投票権も無かったらしい。参政権というのは正式な国家の成員に対して付与される特権だから、浮浪者のジプシーに渡すなど狂気の沙汰だ。現在では各方面から糾弾されているが、スウェーデン政府の方針は間違っていないと思う。 しかし、人権団体や左翼活動家にとっては許しがたい暴挙だ。とりわけ、この「Z登録書」が非難されるのは、ナチスによるユダヤ人認定と似ていたからだろう。少なくとも1996年まで、「Zファイル」に登録されたジプシーは、血統的に「完全」「半分」「4分の1」と分類されていたそうだ。さらに、この登録書にはジプシーの評価も記されていたそうで、「単純な性格だが、まあまあ良い」とか「陽気だが、大した知能は無い」、「暗愚である」「知恵遅れ」といった観察結果が附け加えられていたという。でも、こうした人物評定は如何にも北歐のヨーロッパ人らしく、厳格なゲルマン人の精神科医とか文化人類学者、ないしは動物学者の鑑定を偲ばせる。歴史に無知なアメリカ人だと、正義漢ぶって高飛車に非難するが、第二次大戦前はアメリカ人も似たようなもので、優生学がアカデミック界で流行っており、断種強制も珍しくなかった。優生学や人類学に関する米国史を述べると長くなるので割愛するが、アメリカ人はドイツ人を糾弾できるほど清廉ではなかった。人種差別に関しては似たり寄ったりである。 ジプシーの母を持っていた喜劇王 同種族が多数派の日本だと、「ジプシー」と聞いても、いまいちピンとこない。せいぜい、音楽や映画で耳にする程度なんじゃないか。例えば、日本の人気ロック・バンド「アンセム」が奏でる名曲「Gypsy Ways」とか、英国の「ディープ・パープル(Deep Purple)」でお馴染みの曲「The Gypsy」とかである。筆者はジプシーに関して二つ挙げたい。一つは子供の頃に観たアラン・ドロンの映画『ル・ジタン(Le Gitan)』である。日本ではあまり話題とならなかったが、ドロンがジプシーの血を引く犯罪者を演じており、世間から蔑まれる「よそ者」が妙に似合っていたのを覚えている。たぶん、ドロンにも人に隠しておきたい過去があったから、警察に追われる犯罪者で流浪民の「ジタン」を上手く演じることが出来たのだろう。単なる子供に過ぎなかった筆者だが、アラン・ドロンの哀愁を帯びた表情が印象的で、今でも記憶に残っている。 Alain Delon 523Alain Delon Le Gitan 1 (右: 私生活でのアラン・ドロン / 右: 「ル・ジタン」に出演したアラン・ドロン) もう一つは、チャーリー・チャップリンがジプシー系英国人であったことだ。喜劇王チャップリンは、その類い希なる才能ゆえに、「もしかしたらユダヤ人じゃないのか?」と囁かれていた。チャップリン本人は「ユダヤ人」という噂を否定していたので、筆者も「たぶん違うんじゃないか」と思っていた。そうしたところ、2010年頃になって、ようやくチャップリンの親戚が認(したた)めた手紙が表に出て来て、彼の母親がジプシー藝人であることが判ったのである。("The secret letter that claimed Charlie Chaplin was the son of a gypsy queen", Daily Mail, 21 February 2011) チャーリーの母ハンナ・チャップリン(旧姓 / Hannah Hill)は旅藝人の役者で、「リリー・ハーレー(Lily Harley)」という藝名で通っていた。ところが、息子が3歳の時に夫のチャールズと別れてしまったという。チャーリーは大人になっても母親をいたく慕っており、その優しさを忘れられなかったのか、愛する女性にも亡き母の面影を求めていたらしい。ただし、母親の素性に関しては固く口を閉ざしていたから、ジプシーの血筋だけは絶対に明かしたくなかったのだろう。「サー(Sir)」の称号をもらった名優が、ジプシーの倅(せがれ)だなんて、恥ずかしくて人に言えないじゃないか。(これは筆者の勝手な推測だが、チャップリンが左翼思想のを持っていたのは、人間を家系や種族で差別する西歐人が赦せなかったからだろう。) Charlie Chaplin 4Hannah Chaplin 1Charles Chaplin Sr 1 (左: チャーリー・チャップリン / 中央: 母親のハンナ・チャップリン / 右: 父親のチャールズ・チャップリン) ちなみに、チャップリンの母親は三人の子宝に恵まれたけど、その人生は悲惨なものだった。二番目の夫チャールズに出逢う前、彼女はシドニー・ホーク(Sydney Hawke)という男に惚れてしまい、一攫千金を夢見る夫に従って南アフリカにまで移住したのだが、その地で亭主から売春を強要されてしまったのだ。恐らく、この商売が原因で、彼女は梅毒に罹ったのだろう。ハンナはこの“碌でなし”との間にシドニーという長男を出産し、二番目の夫であるチャールズとの間に次男のチャーリーをもうけている。ところが、間もなくチャールズとも離婚。この再婚相手と別れた後、ハンナはレオ・ドライデン(Leo Dryden)という役者と恋に落ち、彼との間に三男のウィーラー・ドライデンを産んだという。しかし、梅毒のせいで精神に異常をきたし、衰弱したハンナはやがて息を引き取る。後に、恋多きコメディアン、我らがチャーリー・チャップリンが女性と寝るとき、矢鱈と神経質で性病に感染するのを極度に恐れたのは、母親の病気が深く心に刻み込まれていたからだろう。それにしても、有名な喜劇王がベッドに入る前、股間に沃素(ようそ)を塗るなんて、ちょっと哀しくて笑う気になれない。 人間の種類を区別する際に、どれが良くてどれが悪いと決める基準は無い。アフリカの部落では黒人が普通で、たまにアルビノ(突然変異で肌が白い子供)が生まれたりするけど、大半はアフリカ人の容姿を素晴らしいと思っている。この大陸を侵略するヨーロッパ人なんか白い悪魔に過ぎない。一方、ゲルマン種族が住む北歐では白い肌の人間が普通で、アフリカ人と違った容姿の者が美しいと評されている。北歐人は黒い縮れ毛よりも、ゆるやかに波打つ栗色の毛や直毛の金髪を尊ぶ。鼻の形もユダヤ人のような鉤鼻とか、アフリカ人のような獅子鼻を嫌い、鼻孔が狭く筋の通った細い鼻を良しとする。日本のテレビや雑誌は理想的なアーリア人を採用するが、白人の中にも様々なタイプがいるから、全員が美男美女という訳ではない。各民族はそれぞれ独特の美意識を持っているので、「ミス・ユニバース」や「ミス・インターナショナル」みたいに世界基準を設けようとするのが、そもそもの間違いの素である。 スウェーデンの世論は「Zファイル」を糾弾するが、ジプシーに関する議論が白熱することを望まない人々が居ることも確かだ。なぜなら、スウェーデンにはジプシーの血統であることを恥じる人々がいるので、自分の祖先を他人に知られたら一大事。就職や結婚、住宅購入の際にどんなトラブルが起きるか分からない。もし、「Zファイル」の情報が世間の注目を浴びれば、隠していた個人の秘密が“ひょんな事”でバレる恐れもある。人権屋とか大学教授は「民族差別はけしからん !」と大騒ぎするが、一般人は綺麗事で暮らしていないから、やはり穢らわしい血筋を隠そうとするし、理屈はどうあれ内緒にしようとするのは人情だ。日本でも朝鮮人の家系を恥じる在日鮮人や帰化鮮人がいて、1980年代くらいまでは必死に隠そうとする人が多かった。現在では朝鮮人の出自を明らかにする人が増えたけど、できれば闇に葬りたいと願う人もいるはずだ。 kids in thai 2Filipino children 3 (左: タイ人の子供たち / 右: フィリピン人の子供たち) 最近の日本では多民族共生とか国際化時代と叫んで、大いにアジア人やアフリカ人との結婚を祝福しているが、本当に問題が無いのか日本人はよく考えるべきだ。例えば、黒人と結婚する日本人女性も増えたが、彼女達は子供や孫の感情を考えたことがあるのか? 確かに、アフリカ人留学生とか米軍の黒人兵と恋に落ち、結婚をして妊娠するけど、生まれてくる赤ん坊は母親と違った人種になるし、通常は黒人の遺伝子が優性となる。また、もしも、実家の両親が生まれたての初孫を見れば、「えっ、この子が?!」と驚きの表情となるだろう。自分の娘が産んだ子供とは思えないから、かなりのショックを受けるはずだ。祖父母としては動揺を隠せない。なぜなら、たとえ自分達が納得したとしても、隣人や友人、後輩、同僚といった第三者がどう思うのか不安だからだ。表面上、笑顔で孫を受け容れてくれたとしても、他人が心の奥底でどう受け止めるのか判らない。詮索好きな近所のオバちゃんたちは、ファミレスか病院の待合室に集まり、あれこれ陰口を叩くから、やはり世間の目が気になる。 Mixed race family 1Mixed Race 5 (左: 白人と黒人のカップルとその子供 / 右: 混血児の子供) 悲劇はまだ続く。こうした混血児が物心をつく年齢になれば、周りの子供と自分が肉体的に違う、と厭でも気付くだろう。その時、日本人の姿をした母親は、どのように子供と向き合うのか? もし、幼稚園や小学校で馬鹿にされた息子が、「ママ、どうしてボクだけみんなと違うの?」とか、お洒落に目覚めた娘が「私、パパみたいな顔じゃイヤだ。ママみたいになりたい !」と泣き出したら、出産した責任のある母親は何と答えるのか? 「そんなの気にするんじゃない !」とか、「差別する友達の方が悪いのよ !」と言い聞かせても無駄である。たとえ幼くても子供は現実を解っている。恋愛時代には気付かなかった重大事項を、育児になって気付く日本人女性は少なくない。日本人は自分がしっかりすれば、困難を克服できると信じる傾向がある。だが、遺伝子だけは自分の努力ではどうにもならない。自分の容姿に劣等感を持つ娘が、その腹癒せに学校でグレ出したら、母親は通常通りに叱る事ができるのか? もし母親から怒られた娘が、「じゃあ、日本人の体にしてちょうだい !」と反撃したら、普通の日本人女性は言葉を失ってしまうだろう。 black kids 1Korean & Black family 1 (左: アフリカ人の少女たち / 右: 黒人と朝鮮人の家族) 一般の日本人は我が子を可愛がり、その子の将来を考えて一生懸命に働く。しかし、黒人と結婚した場合の悲劇は考えない。浅黒く生まれた息子や娘から責められるのは辛いものである。が、その孫からも責められればもっと辛いだろう。もし、アフリカ人の形質を受け継いだ孫から「お婆ちゃんが黒いお爺ちゃんと結婚したからだ !」と責められたとき、日本人の祖母はどう答えるのか? 「あたしゃ知らないよ !」と逃げる手もあるだろう。だが、大抵の祖母は「済まないねぇ。赦しておくれ」としか言えないんじゃないか。優生学を学校で習わなかった日本人は、結婚するとき「子孫への配慮」など考えない。相手がどんな素性・容姿であれ、惚れたから夫婦(めおと)になる、というのが一般人の行動パターンだ。教科書では「人種平等」とか「人類兄弟」、「多民族共生」と書いてあるから、多数派の国民はそれを鵜呑みにしてしまうが、現実社会は違うぞ。他人事なら仙人ヅラできるけど、自分の事となれば大変だ。 最近のテレビ局は、異常なほど外国人をバラエティー番組に招いて喋らせたり、日本に暮らすアジア人やアフリカ人を取材し、無防備な視聴者をターゲットにして東南アジア人や北アフリカ人、南米人などに親しみを持つよう刷り込んでいる。つまり、「今や、様々な外国人があなたのご近所に住んでいるんですよ」と言いたい訳だ。伝統的な日本社会をぶっ壊したい左翼制作者は、内部から徐々に、しかも着実に破壊しようと企む。同質的な素晴らしい共同体を崩壊させるには、日本人の質を変えてしまうことが最も合理的である。手間暇掛けて日系人に反日思想を植え付けるより、最初から“日本人ではない”外国人の子供を増やす方がたやすい。ある個人の肉体に、アジア人やアフリカ人の遺伝子が50%含まれ、次の世代で75%に上昇し、三世代目で87%くらいまで増加したら、もう自分が日系日本人であるとの意識は無くなるだろう。こうした「日本国民」は単なる「島民」に過ぎない。やがて日本は「よそ者」が群がる雑居ビルとなるから、国民同士の連帯は消え失せ、天皇陛下も江戸城に住む「知らない外人」となってしまうだろう。 アリシア・ヴィキャンデルの話からだいぶ逸れてしまったけど、我々は今「静かな」変質の時代に生きているというこだ。 http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68707220.html
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