アンドレイ・タルコフスキー・インタヴュー 『アンドレイ・ルブリョフ』に関して 私は、アンドレイ・ルブリョフ、15世紀の偉大なロシアの画家の映画を作りたいのです。
私は、創造者の人格と彼が生きた時代との関連に興味があります。生まれ持った感受性のおかげで、画家は自分の生きる時代のもっとも深い意味を理解し、この意味を全き形で提示することができます。この映画は歴史映画でも伝記映画でもありません。 私は画家の芸術的な成熟の過程と、彼の才能を分析する過程に、すっかり魅了されています。 アンドレイ・ルブリョフの作品は、ロシアのルネサンスの頂点を記録しています。 ルブリョフは私たちの文化史でもっとも傑出した人物のひとりです。 彼の人生と芸術はけたはずれに豊かな素材を含んでいます。 台本づくりに着手する前に、私たちは歴史資料とスケッチを研究しました。 もっぱら、映画で見せることができないのは何かを決定するためにです。 たとえば、私たちは時代様式に、つまり、衣装や風景や言語に、限られた興味しか持っていません。 映画での出来事が実際に15世紀に生じているなと思わせようとして、歴史的な細部にこだわると、観客の関心がそれてしまいます。 時代臭さのない室内装飾、時代臭さのない(しかし適切な!)衣装、風景、現代の言葉ーこうしたことすべてが、もっとも重要なことだけを表現する助けになるでしょう。 映画はいくつかのエピソードで成立しますが、直接論理的に関連づけされてはいません。 しかし、すべてのエピソードは共通の思考の流れで内的に関連することになります。 挿話が年代順に並べられるかどうかはまだ分かりません。 私たちは、エピソードのドラマツルギーが三位一体の壮大なイコンを創造する理念を生み出す頃のルブリョフの人格の進化を内的に暗示するものと首尾一貫させたいと願っています。 それと同時に、正典的な制限とその型どおりの論理と形式を伴った伝統的なドラマツルギーを避けたいと思っています。 それらは、典型的な障害で、生の十全さと複雑さを表現するのを不可能にするものです。(中略) 芸術家を題材にした映画は時々こんなようになってしまいます。
つまり、主人公が何らかの出来事を目撃する、そして観客は彼が熟慮に沈むのを見守る、最後に彼は自分の思いを作品に表現する。 私たちの映画でルブリョフがイコンを描く場面はありません。 彼は人生を生きていくだけです。 エピソードのすべてに登場するわけでもありません。 映画の最後の部分、そこだけはカラーで撮影するつもりですが、そこはルブリョフのイコン画に捧げられます。 イコンしか映しません。 ドキュメンタリーのように、細かいところまで、きちんと見せるつもりです。 イコン画が映されるたびに、同じ音楽のテーマが流れます。 そのイコンの理念が現れる時代に対応するルブリョフの生の局面で鳴り響いたテーマです。 映画のこのような構造は、その目標から必然的に導き出されます。 つまり、人間性の弁証法を提示して、彼の精神の生を検証したいと思うのです。 ________________________________________
このインタヴューは、『アンドレイ・ルブリョフ』製作の初期の段階でなされた。
若々しく、新たな理念に燃える監督の姿が鮮やかに映されている。 たぶん、この時期に、自分のこのような試みが多くの反発と猛烈な批判を生み出すとは思っていなかっただろう。 撮影は困難を極め、同志コンチャロフスキーとの反目、そして決別が待っている。 追いつめられた彼は命を削るような撮影を決行して、農民に文字通り殺されそうになる。 映画は完成しても5年間上映禁止になる。 無断でフランスの映画会社が出品したカンヌで国際批評家大賞を受け、そのためにソ連国内で立場はますます追い詰められる。 しかし、そこから出会いも生まれた。 『アンドレイ・ルブリョフ』を見たクラウディオ・アバドは感激して、後に自分の指揮するムソルグスキー『ボリス・ゴドノフ』の演出を依頼し、実りある友情が始まったのだった。 http://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/rublov.html Tarkovsky on Tarkovsky 『アンドレイ・ルブリョフ』 映画の最も重要な慣例のひとつは、映画のイメージは私たちが見聞きする実際の、自然の、生きた形態でのみ体現できるということだ。
私たちが提示するものは自然主義的でなければならない。 私が自然主義と言うとき、実在の不愉快な側面に執着するという否定的な意味ではなく、映画的なイメージの感覚知覚におけるその役割という意味だ。 スクリーンに描かれた夢は、生そのものの自然の形態と同じように明確に目に見える要素で構成されていなければならない。 映画はルブリョフに関するものです。 …しかし私たちにとって映画の真実の精神的なヒーローは、ボリスカです。 映画の狙いは、非常に困難な時代から出現する伝染性の、狂熱のエネルギーを示すことです。 つまり、そういうエネルギーがボリスカのなかで目覚めて、燃えさかり、鐘鋳造につながるのです。 http://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/selfcomment.html アンドレイ・タルコフスキー 『アンドレイ・ルブリョフ』を語る 美は、植物が種子から生長するように、悲嘆から育つ
私たちは『アンドレイの受難』と題された脚本をアンドレイ・コンチャロフスキーと書いています。
偉大なロシアの画家アンドレイ・ルブリョフの人生をあつかった映画です。 友人のなかには、戦争でめちゃめちゃにされた子ども時代の映画、どう見たって現代的な映画から、「時代物」、ロシアの中世にどうやって移ることができるのか分からないって言ってます。 別に変なところはないでしょう。
主題テーマが、利用される叙述の形式を支配するだけのことです。 素材は15世紀から引っ張ってきますが、現在の問題を語るつもりです。 私は、芸術家とその時代、当時の民衆との絆に興味があります。 私は芸術の力に関する自分の見解を述べてみたいと思います。 ルブリョフは彼の作品において人間性の偉大な理想を称えています。
友愛の理念、人間の連帯が映画で最も重要なものになるでしょう。 真に偉大な芸術は時とともにますます貴重になります。 どれほど多くの人の思い、感情、希望が何世紀にわたってルブリョフの絵に染みこんでいったことか、そうに違いありません! 私はスクリーンにそういう希望を伝えたいと思います。 映画は15のノヴェッラ:小話で構成されます。
アクションはルブリョフ、ダニル・チェルニー、キリルの3人の人物をめぐって集中します。 詩的な構造は全編にわたって保持されますが、叙述の連鎖を数回断ち切ることになります。 長年、映画は劇場のドラマツルギーに依存してきましたが、今や映画芸術は詩に近づいてきています。私には、詩における探求と近代映画の探求に非常に密接な関係が見えます。 私は、アレゴリー、隠喩、直喩を用いるのを好みます。 私は、不可能に思えるものが向かい合う状況が好きです。 認識からすり抜けるように思える複数のテーマを対峙させることは、私の内部に、イメージにあふれた最も深い思念を揺り動かします。 ますます多くの映画が詩的イメージに基づいて作られようとしています。 新作で私は古典的ロシア詩の比喩体系を具体的に利用するつもりです。(1963年) 映画のアイデアは「僕の村は戦場だった:イワンの少年時代」をやっている頃にすでにあった。 自分のアイデアじゃないと認めますね。
あるときモスクワ郊外の森を散策していたんだ、私とコンチャロフスキーと映画俳優のヴァジル・リヴァーノフでね... ちょうどそのときにリヴァーノフが3人でルブリョフの脚本を書こうと提案した。 彼はぜひ主役をやりたいと。 でも、いろいろあってリヴァーノフは脚本書きに参加できなかった。 一方私たちのほうはすっかり虜になったその企画をあきらめることはできなくなった。 私たちはずいぶんすんなりと仕事を進めた。 1年後(もう少し後か)台本の異稿が3つ出来上がっていた。 私たちはもう一度見直しをして、時代考証のさまざまなソースを恐ろしくたくさん研究しなければならなかった。 少なくとも、旧来の出来合いの考え方を捨てることができるためにね。 台本の最終ヴァージョンにかかっているときに私たちはまだどこかしっくりこない部分があると感じていた。
でも出来上がったとき私は台本が成功作であると感じることが出来た。 それから良い映画が作れると感じたから、成功なんだね。 脚本家として私は経験が浅かった。 『ルブリョフ』の前に私は2作しか仕事をしていなかった。 すべてに満足したわけではなかったが、一貫性、首尾の統一の印象はそれが良い作品だと示唆していた。 私がつくろうとしているまさにそのたぐいの映画にうってつけの脚本だから立派な仕事だというわけだ。 俳優、ロケ地、カメラマンの貢献をあてにしているけど、この脚本は私たちの仕事を最後まで導いてくれる主導テーマを含んでいる。 当然、シーンを追加しますよ、省くシーンもあるだろうし、ただ土台はしっかり出来上がりました。 「この映画で私が何を言いたいのか」という質問に答えるなら、おおまかなことしか言えません
芸術と民衆との絆について直接何か述べるつもりはありません。 これはまあ、明らかでしょう。 脚本に明確に出ていると私は思います。 私は、自然の美を探り、美というものは、種子から植物が生長するように、悲劇から、災厄から育つことを観客に気づいてもらいたいとは願っています。 私の映画は美しい、族長的な古いロシアをめぐる物語にはならないでしょう。 私の願いは、輝かしく驚異に満ちた芸術が隷属、無知、文盲の悪夢の「続き」として出現することがどのようにして可能であったのかを示すことです。 私はこうした相互依存の関係を見つけだし、この芸術の誕生を跡づけたいと思います。 こういう条件が満たされたときはじめて私はこの映画が成功作だと思えるでしょう。 ここでオマール・ハイヤームの絵に触れておきましょう。
ご存じですか、薔薇の木があって、その根元に虫が何匹も食らいついているという絵を? しかし、死からのみ、不死は生まれるのです。 不死を理解するときに、私たちは死を理解するでしょう。 絡み合った白と黒とでも言いましょうか そういう周期性を、生を理解する客観的で弁証法的様式と、例示の様態と共に、この映画を形作る基礎にするつもりです。 私たちはカメラマンのヴァディム・ユーソフとロケ地を選びました。 彼とは『イワンの少年時代』で既に仕事をしています。 脚本の仕事が続いている頃、ユーソフは別の映画作りに参加しました。 映画の歴史的な側面から、たくさんの人が必要な大きなシーンが求められ、そのために少なからぬ困難が生じることを忘れてはいけないでしょう。 例えば、クリコヴォ平原の戦いは省くことが出来ません。 ロシアがはじめて外国からの侵略者に対する道徳的な優越を悟る象徴になっているのですから。 ロシアが形成されるこの時代はディミトリー・ドンスキーの勝利抜きでは考えられません。 実現するのは面倒でしょうが、とにかく絶対に欠かせないエピソードです。 それは、(ロシアの王子が片棒を担いだもので、裏切りと腐敗の個人的な象徴となった)タタール人のウラジミール襲撃や、新しい鐘の鋳造のエピソードが欠かせないのと同じです。 これらのシーンはどれも小規模な解決が許されません。 こみ入った準備が必要です。(1965年) 伝記映画?
違います、このフィルムは誰かの伝記を飾るエピソードが銀幕に再現されることはありませんから、伝記映画のジャンルに入りません。 ルブリョフの生涯を再構築することが私の意図だったのではなく、既に触れたように、私は主に人間に興味があるのです。 また過去の時代の雰囲気に興味があるのです。 しかし、だからといって時代劇になるわけじゃありません。 私の意見では、歴史的正確さは出来事を歴史的に再構築するという意味ではありません。 私たちが示したいことにとって重要なのは、それが真実味を帯びたあらゆる特性を保持すべきだということです。 俗に言う「時代もの」はしばしば、あまりに装飾過多で芝居がかっています。 異国趣味をすべて排除することも私の意識的な決定です。 エキゾチシズムは過去のものなら何でも凄いなと驚かせてそれでよしとする所まで来てしまいました。過去を含めて、すべてを通常の展望に収めて眺めるように努力しましょう![ノ] ソロニーツィンに関して、私はただただ運が良かった。
最初、私はこの役を有名な俳優に任せることはできないと分かっていただけでした。 悪魔に憑かれたような一念が目に見えるような、強い表現力のある顔でなければならないと私は悟りました。 ソロニーツィンは、打ってつけの肉体的な外観であるだけでなく、複雑な心理過程の偉大な解釈ができる人物です。(1969年) 主役の俳優は映画に一度も出たことがない人物でなければならかった。
誰もが自分なりのルブリョフ像をもっているのだから、他の役を思い出させる人を使うことは出来ない。そういうわけで、それまで端役しかやったことのないスヴェルドロヴスクの劇場の俳優を選んだのです。 ソロニーツィンは、月刊「イスクーストヴォ・キノ」に載った脚本を読んで、モスフィルムまで自前ではるばるやって来て、自分以上にルブリョフをやれる者はいないと宣言したのです。 スクリーンテストをして、実際、はまり役だと私も納得しました。 『アンドレイ・ルブリョフ』をカットした者はいません。私以外にはね。
自分でいくつかカットをしました。 第1版で映画は3時間20分でした。第2版は3時間15分。 私は最終版を3時間6分まで短縮しました。 最後の版がベストで、もっとも成功していると私は確信しています。 長すぎるシーンをカットしただけです。 観客はそれらがないことにも気づきません。 カットは主題を変えてもないし、私たちにとってこの映画で重要であるものを変えてもいません。 言い換えると、意味のないひどく長いシーンを省いたのです。 観客に心理的なショックを引き起こすために野蛮なシーンをいくつか短縮しました。 ただの不愉快な印象を引き起こすためではありません。 それでは私たちの意図が台無しになります。 長いディスカッションの間カットするように忠告してくれた友人と同僚みんなの判断は、結局正しかったのです。 それを理解するのにしばらく時間が必要でしたがね。 最初私は、彼らが私の創造的個我を抑圧しようとしているのではないかと思いました。 後になって、私はこの最終版が私の要求以上の成果を挙げていることを理解しました。 だから映画が現在の長さに短縮されたのを全然後悔していません。[ノ] 画家のように色彩のハーモニーに敏感でない限り、日常生活で色彩に注目することはない。
例えば、私にとって映画のリアリティは白黒の階調に存在しています。 しかし『ルブリョフ』で私たちは生とリアリティを一方では芸術と関連づけ、もう一方でその絵と関連づけなければならなかった。 最後の色彩のシークェンスとモノクロフィルムの間の、このような関連は、私たちにとってルブリョフの芸術と彼の生の相互依存を表出する方策でした。 言い換えると、一方で、日常生活が合理的に現実的に提示され、他方でー彼の生を因習的な芸術で総括をして、次の段階で、その論理的な継続が来る。 アンドレイ・ルブリョフの壮麗なイコンをそんな短い時間で示すのは無理です。 だから私たちは選び抜いた細部を呈示し、観客を細部の断片の連続から、ルブリョフの至高の創造である、あの名高い「三位一体」のフルショットまで導いて、彼の仕事の全体像の印象を創造しようと努めました。 私たちは色彩のドラマツルギーのようなもので観客をこの作品まで導き、印象主義的な流れを創造し、観客が断片から総体へと移動するように願いました。 色彩のフィナーレは、およそ250メートルのフィルムを占めますが、観客に休息を与えるために必要だったのです。 モノクロームの最後のシーンが終わるとすぐに観客が映画館を出ていってほしくなかった。 観客は、ルブリョフの生から自らを引き離し、省察する時間を与えられるべきなのです。 私たちの狙いは、色彩を眺めながら私たちがつけた音楽に耳を傾けることで、観客が映画の全体から一般的な性質の結論をいくつか引きだして、心の中でその主要な道筋を選り分けることができるということです。 手短に言うと、観客に本をすぐに手放してほしくないんです。 もし『ルブリョフ』が「鐘」のエピソードでそのまま終わっていたら失敗作になっていただろうと思います。何としても観客を映画館にとどめる必要があったのです。 彼がどれほど偉大であったかを示すために、芸術家の生の継続のようなものを、付け加える必要がありました。 彼はそれらすべての経験を、最悪の経験を生き抜いたという事実をです。 そして、そうした体験からはじめて、彼の作品の色彩は得られたのだということをです。 こうした思いのすべてを観客に伝える必要がありました。
フィルムが雨にうたれる馬のイメージで終わることを指摘したいと思います。 私にとって馬は生命と同義であるので、象徴的なイメージなのです。馬を見ていると、私は生命そのものの本質にじかに触れているという感じがします。 もしかすると馬がとても美しい、人に優しい動物であるからなのでしょう。 それに馬はロシアの風景の特徴といってもいいでしょうから。 『ルブリョフ』には馬の出るシーンが数多くあります。 気球で空を飛ぼうとして人が死ぬ冒頭のシーンを思い出してください。 一頭の悲しげな馬は沈黙の目撃者なのです。 最後のシーンの馬の存在は、生命そのものがルブリョフの芸術のすべての源泉であったという意味なのです。(1969年10月) 原作者の特権を行使して私たちはアンドレイが沈黙の行に入るように決めました。
しかしそれは私たちが彼に同意するという意味ではありません。 それどころか、その後のエピソードで私たちは観客にアンドレイの沈黙が無意味であるということを納得させようとします。 その後の事件に直面すると、それは無駄なのです。 私たちの主人公は芸術家として何も出来ないのです。 彼は参加することが出来ないのです。 彼の沈黙は私たちにとって非常に幅広い、抽象的な、ほぼ象徴的な意味を持っていました。 アンドレイが沈黙しているエピソードで、映画の意味にとって根元的な重要性を帯びた出来事が生じます。 狂った村娘の登場人物がありますね、ブラゼナーヤです。 彼女は突然タタール人と一緒に行ってしまいます。 タタール人のひとりが好きになり、彼と一緒に行ってしまう。 狂った者だけが侵略者に輝かしく喜ばしいものを見いだすことができます。 彼女の狂気によって私たちは状況の馬鹿さかげんを強調したかった。 正気の人間ならあんなことはしないですよ。 しかしアンドレイは何か行動を起こすべきだったし、彼の責任ある立場に対するこの攻撃を許すべきではない。 なぜなら昔のロシアではブラゼナーヤは神聖な者と見なされました。
ブラゼナーヤ、ユロージヴィを侮辱することは当時大きな罪だと思われていましたから。 ところが彼は何も反応しない。 彼は誓いを守り、一言もことばを発さない。 アンドレイは他者のために立ち上がりもしなければ自分を守ることも出来ない。 ローラン・ブイコフの演じる旅芸人は、自分を警備隊に売ったのはアンドレイだと思う。 なぜなら彼が踊りながら貴族をからかった浮薄で批判的な歌を歌うのを眺める群衆の中にアンドレイがいるのを見たからです。 長い年月が経って、鞭打たれ多くの苦難を経験した流刑から帰ってきて、旅芸人は人々の面前でルブリョフを裏切りの罪で訴えます。 ルブリョフは身の潔白を証明できません。 彼は最後まで無言です。 彼は聖三位一体大寺院の壁画を描くように召喚されます。 彼はそれでも無言のままです。 彼は自分に引きこもり、自分の才能を埋もれさせて、狂人のように生きます。 何もかもが狂っている。 ルブリョフは正常な人間が行動するように行動しない。 祖国を愛する誇り高い市民が当然なすべき事をやらない。 自らの信念の力によって、鐘づくりに賭けた確信と情熱によって、ボリースカだけがアンドレイを沈黙から呼び覚まします。 強靭さ、人間の愛すべき創造力、忍耐力、そして自らの運命に対する信頼がルブリョフを罪深い誓いを破らせるように強制します。(1967年2月1日) http://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/rublov2.html
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