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タルコフスキー 僕の村は戦場だった (1962年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/244.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 2 月 15 日 12:35:25: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: タルコフスキー アンドレイ・ルブリョフ (1966年) 投稿者 中川隆 日時 2019 年 2 月 15 日 10:59:09)


タルコフスキー 僕の村は戦場だった (1962年)

動画(英語字幕)
https://www.youtube.com/results?search_query=%D0%98%D0%B2%D0%B0%D0%BD%D0%BE%D0%B2%D0%BE+%D0%B4%D0%B5%D1%82%D1%81%D1%82%D0%B2%D0%BE&sp=mAEB


監督 アンドレイ・タルコフスキー
原作 ウラジミール・ボゴモーロフ
脚本 ウラジミール・ボゴモーロフ ミハイル・パパーワ
音楽 ヴァチェスラフ・オフチンニコフ
撮影 ワジーム・ユーソフ
公開 1962年4月6日
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%83%95%E3%81%AE%E6%9D%91%E3%81%AF%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F

キャスト

Ivan コーリヤ・ブルリヤーエフ
Kholin V・ズブコフ
Galystev E・ジャリコフ
Katasonov S・クルイロフ
Gryaznov N. Grinyko
Maska V. Maryavina
Ivan's Mother I. Tarkovskaya
The Oldman D. Milyucheko

映画のストーリー

イワン(コーリヤ・ブルリヤーエフ)がいまも夢にみた美しい故郷の村は戦火に踏みにじられ、母親は行方不明、国境警備隊員だった父親も戦死してしまった。

一人とり残された十二歳のイワンが、危険を冒して敵陣に潜入し少年斥候として友軍に協力しているのも、自分の肉親を奪ったナチ・ドイツ軍への憎悪からであった。

司令部のグリヤズノフ中佐、ホーリン大尉、古参兵のカタソーノフの三人が、イワンのいわば親代りだ。グリヤズノフ達はイワンをこれ以上危険な仕事に就かせておくことはできない……これが、少年を愛する大人たちの結論だった。しかし、イワンはそれを聞くと頑として幼年学校行きを拒否した。憎い敵を撃滅して戦いに勝たねば……やむなくイワンをガリツェフ(E・ジャリコフ)の隊におくことにした。

ドイツ軍に対する総攻撃は準備されていたがそのためには、対岸の情勢を探ることが絶対必要であった。出発の日、カタソーノフはざん壕から身をのり出し敵弾に倒れてしまった。執拗に彼の不在の理由をきくイワンにはその死は固く秘されホーリン、ガリツェフの三人は小舟で闇の中を対岸へ。

二人が少年と別れる時がきた。再会を約して少年は死の危険地帯の中に勇躍、進んで行く。その小さな後姿がイワンの最後だった。終戦。ソビエトは勝った。が、そのためには何と大きな犠牲を払われねばならなかったか……。

かつてのナチの司令部。見るかげもなく破壊された建物の中に、ソビエト軍捕虜の処刑記録が残っていた。その記録を一枚一枚調べるガリツェフ。あった。イワンの写真が貼りつけられた記録カードが。戦争さえなかったらイワンには平和な村の毎日だった筈なのに……。
https://movie.walkerplus.com/mv13198/

 

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コメント
1. 中川隆[-12144] koaQ7Jey 2019年2月15日 14:37:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249] 報告

僕の村は戦場だった


噂には聞いていましたが、これほどまでの傑作とは思いませんでした。すばらしい映画でした。

タルコフスキーならではの詩的な映像と、独ソ戦争の悲劇を現実的にとらえた対照的な映像が見事にコラボレートして、一歩間違うとおとぎ話のような陶酔感の中で迎える衝撃的なラストにうなってしまいました。


一人の半裸の少年が森にたたずんでいます。

蝶が舞い、その蝶を視線が追いかけるとカメラが蝶の視線のごとくふわっと舞い上がります。

ショットは変わって少年の前に一人の母親らしき女性。

うれしそうに駆け寄る少年。

次の瞬間、ぼろ小屋で飛び起きる少年。

実はこの少年はソ連側からドイツに潜入して情報を探るゲリラ兵なのです。ショッキングなオープニングに一気に引き込まれます。


湿地の中を必死で駆け抜けてソ連領に舞い戻ったところから本編が始まります。


戦場の場面がリアルに生々しく語られる現実と、少年が夢見るときにみる平和な頃の詩情あふれる映像の対比が実に効果的で、本当に美しい。

湿地の中を進む場面で水面に映る照明弾の光の動きの中で船をこいでいくショット、

少年が夢の中でみる母親が井戸の外で倒れたところに降りかかる井戸水のショット、

あるいは少年が愛らしい少女とリンゴを積んだトラックに乗っていく中で、リンゴが道にこぼれだし、馬が拾い食いするショット

などタルコフスキーならではのファンタジックな映像もふんだんに盛り込まれています。


すでに両親の行方もわからない少年イワンの親代わりは戦場の3人の兵士たちだった。そして、冒頭のゲリラ斥候を終えたイワンにその兵士は幼年学校へ行くように勧める。

しかし、それに反対し、再度斥候にでる。無事ソ連領に送り届けた兵士たち、しかしまもなく戦争は終結。

ドイツの収容所を制圧した兵士たちがそこでみたのはドイツ軍が捕まえたソ連からの斥候たちの処刑のリストファイルだった、そしてそこにはイワンの名が・・・・


処刑される寸前に見たであろうイワンの幻想は愛くるしい少女と一緒に浜辺を駆け抜ける場面でした。

タルコフスキーならではの映像美の世界とサスペンス色あふれるストーリー展開、そして悲劇的なラストに見せる切ない現実への警告。完成度の高い見事な作品でした。
http://d.hatena.ne.jp/kurawan/20100510


▲△▽▼

19 :無名画座@リバイバル上映中:2006/02/25(土) 18:52:48 ID:nrY8uN4r

原作は「イワンの少年時代」というタイトルですよね。

でも何だか皮肉な題だなあ。少年時代を少年のまま過ごすことも叶わず、
戦争によって踏みにじられ、大人にならざるをえなかったイワン。

回想シーンがあどけない笑顔を浮かべてたのに、現実のシーンでは微笑を忘れた
一切感情を押し殺した表情をしてたのが余計に哀しい。


25 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/09(木) 10:25:13 ID:za8+WElc
もし、記憶違いなら悪いけど少年のお母さんが腋毛生やしてたような・・・


26 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/09(木) 14:54:33 ID:pWzQBXUM
おっ、いいところに目をつけましたね。なかなか目ざといですな。
あのお母さんはどうも色っぽすぎていかんです、ハイ。

28 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/09(木) 21:33:09 ID:BSZv+BGP
いや、ほんとに。
少年の回想シーンとは思えないほど肉感的ですね。


『鏡』を観ててもそう思うんですが、

どうもタルコフスキーにとって母親というのは
そういう肉感的な存在としてイメージされるみたいです。


29 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/10(金) 21:02:41 ID:G7Eo1+60

母親役はイリーナ・タルコフスカヤ。


30 :無名画座@リバイバル上映中:2006/03/11(土) 13:38:57 ID:UEITlvEh

おそらくイリーナ・タルコフスカヤさんは監督の最初の奥さんではないかと。
(同姓同名でなければ、イリーナという奥さんがいたはず)


38 :無名画座@リバイバル上映中:2006/05/12(金) 17:13:15 ID:9534X0Wy
浜辺で母が手を振って立ち去ろうとするところ恐いぐらい。


48 :無名画座@リバイバル上映中:2006/09/03(日) 23:38:29 ID:VbWH5bGO
ラストの水はすごかった
http://mimizun.com/log/2ch/kinema/1139048950/

2. 中川隆[-12143] koaQ7Jey 2019年2月15日 14:40:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249] 報告

アンドレイ・ タルコフスキーは、ヴォルガ川近郊のザブラジェで1932年4月4日、アルセニー・タルコフスキーとマリア・イワノヴナ・ヴィシニャコーワの息子として生まれた。

父は詩人で、その詩作によって後年にはかなりの名声を獲得することになる。

両親はモスクワの文学大学に学ぶ。

タルコフスキーが生まれた村は、もはや存在しない。

ダムがその地域に建設されて、人工湖の水底に眠っているのだ。

しかし、タルコフスキーが子ども時代を過ごした場所とそのイメージは、彼に消えることのない影響を及ぼし、作品に深甚な影響を残すこととなった。

一家がモスクワ郊外に引っ越した1935年には、父母の間の関係にひずみが見えはじめ、やがて、2人の離婚と、父の出奔を招くことになった。

アンドレイは、母、祖母、及び妹の家族構成、つまり男手のない家庭で成長した。

1939年に彼はモスクワの学校に入学したが、後に戦時中の疎開でヴォルガ河畔の親類の元に移った。

戦争の勃発で、父は兵役に志願、負傷して片脚をなくすことになる。

一家は、1943年にモスクワに戻った。

そこで、タルコフスキーの母は、印刷所の校正係として働いた。

戦時の年月は、少年の心に2つの大きな懸念が重くのしかかる日々であった。

死なずにすむだろうか? そして父は前線から無事に帰ってくるのだろうか? 

しかしながら、アルセニー・タルコフスキーがやっと戻ったとき、赤い星の勲章で顕彰されていたが、彼が家族の元に戻ることはなかった。


息子が芸術分野の仕事を見つけることを、タルコフスキーの母は一貫して望んでいた。

芸術の価値に対する彼女の信念は、彼が正式に授けられた教育に反映されている。

音楽学校、後には、美術学校に学んだタルコフスキーは、自分の映画監督の仕事はこうした訓練がなければ到底考えられないと、後年になって述懐している。

1951年から、彼は東洋言語大学で学んでいる。

これらの勉学は、しかしながら、スポーツによる負傷によって終わりを告げ、タルコフスキーは、シベリアへの地質調査団に加わり、そこでほぼ1年の間滞在し、ドローイングとスケッチのシリーズを製作した。

1954年に、この旅から戻った時、彼は、モスクワ映画学校 ( VGIK )に首尾よく合格し、ミハイル・ロンムの元で学ぶことになる。


タルコフスキーの商業映画第1作『僕の村は戦場だった』 (1962年)は、きわめて見通しの悪い状況で生まれた作品であった。

この映画は、E・アバロフ監督で撮影が開始されていたが、撮影されたシークェンスの質が不良なので中止されたプロジェクトだった。

後に、やはり映画を救済しようという決定がなされて、タルコフスキーがその完成の責任を負った。

こんな状況であのような情緒的なインパクトをもつ作品を創造できたという事実は、映画監督としての彼の力量とヴィジョンの強さを証言するものである。

彼のものでない素材が混ざっているにもかかわらず、このフィルムは彼の子供といってもいいだろう。そして、彼のスタイルの紛れもない刻印を帯びている。

大人に早くならざるをえなかった幼い少年、最後には戦争によって殺された少年の運命を描いている。

タルコフスキーは、自身の子ども時代とイワンの子ども時代との見かけの平行関係を否定して、両者の共通点は年齢と戦争という状況にすぎないと述べている。

映画は、ヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞し、タルコフスキーの国際的な名声を一気に確立させた。


『鏡』 ( 1974ー75年)は、自伝的な要素を強くもち、親密な幻視の強度を有している。

伝えられるところでは、映画には実話でないエピソードが全くない。

それゆえに、『鏡』はタルコフスキーの最も個人的な作品であり、特にロシアでは、(その主観主義のために)厳しい批判にさらされることになった。

しかしながら、幼年期を描出するその驚異的な手法と、子どもの、魔法のような世界観は、タルコフスキーの全作品に横溢する暗示的な技法を理解する鍵を我々に提供している。
http://homepage.mac.com/satokk/petergreen.html

3. 2022年5月16日 09:56:11 : C6PUscOcec : VHcuTXBHTXZJY2s=[9] 報告
『僕の村は戦場だった』戦争を「沼」で描くタルコフスキー
Wed, February 17, 2021
https://ameblo.jp/madamezelda/entry-12656412114.html

戦争映画はアクション映画。全てがその図式にあてはまるわけじゃありませんが、戦争映画ファンの多くが期待するのはそこじゃないでしょうか。戦闘機に戦車、兵器、軍装!それぞれの出来栄えを論評するのもお楽しみのひとつでしょう。

しかしタルコフスキーは、そんな戦争映画ファンの期待にこたえてくれるほど甘くはありません(笑) 『惑星ソラリス』が世界三大SFの1つに数えられながら、宇宙らしい絵ヅラのシーンは殆どなくて、「SF??」な作品であるように、『僕の村は戦場だった』も、アクション要素は皆無。軍用車両と言えばジープくらい、戦闘機も飛ばず、地上戦の映像もありません。

宇宙が舞台であろうが、戦争の時代であろうが、タルコフスキーが描くのはいつも同じ、人間の内面にある心象風景。「写真」よりも「絵」に近い、一旦タルコフスキーの中をくぐりぬけたイメージです。

本来他人には見えないはずの心の世界を映像詩として現出させるのがタルコフスキーであり、それが彼の作品が常に唯一無二である理由。だから、戦車や機関銃のディテールのような三次元的リアリティは、タルコフスキーの映画には不要。それどころか、世界観を損ねるものですらあるのかもしれません。

母が殺された時、少年の心も死んだ(ネタバレ)
冒頭、美しい夏の森で、少年(イワン)が楽し気に戯れています。

そこに水桶を抱えた母親(イルマ・ラウシュ:当時のタルコフスキーの妻)が現れ、少年は嬉しそうに駆け寄って、母の水桶から思う存分に水を飲みます。

「ママ、郭公が鳴いてるね!」

水桶から顔を上げて母を見上げる少年の笑顔! 母がいて、母が汲んだおいしい井戸水があって、森の木々がそよぎ、野生の鳥が鳴いている。それが少年の欲しいもの全て。喉を潤した彼は満ち足りて幸せそうです。

しかし次の瞬間、母を異変が襲います。地面に倒れる母。少年の叫び声・・・何が起きたのかは分からない、ただ、少年の母親が命を奪われたという事実だけが伝わります。

そして場面が変わり、舞台は闇に包まれた戦場へ。照明弾の光が不気味に閃く川の対岸の敵地から戻ってきたのは、冒頭の少年・イワン。ずぶ濡れの体で歩いているところを味方の兵士に怪しまれ、尋問されます。

この場面で、観客はイワンの変貌ぶりに驚かされることになります。

さっき母親に甘えていた無邪気な少年と同じ少年とは思えないほどやつれ、子供らしさが消えた彼の顔。もはや戦い以外の生きる目的をすべて削ぎ落してしまったような、ある種老成しきった少年の佇まいに、何か鳩尾がひんやりするような感覚をおぼえます。

尋問する将校が、

「俺に、命令する気か!」

と怒り出すほど淡々とした横柄な口調で、司令部に連絡すればわかる、連絡しないと責任問題になるぞ、と繰り返すイワン。彼が連絡先として伝えた電話番号は、将校が普段かけることを許されていない番号。しかしイワンに脅されて連絡をした結果、ポーリンという大尉が車でイワンを迎えにやってきます。イワンの話は本当でした。

大尉の姿を見て、

「ポーリン!」

と抱きつき、何度もキスを交わすイワン。イワンはいわゆる「連隊の子供」。自ら申し出て司令部の斥候として働いていたのです。

イワンは司令部の面々に可愛がられていて、彼らはイワンの安全のために幼年学校に入学手続きをしますが、イワンは頑なにそれを拒否し、復讐のために前線で戦うことを選びます。

どうやら母親だけでなく妹も殺され、父親は戦死したらしいイワン。母親や妹がいた幸福な時代の夢ばかり見る彼にとって、家族をうしなった世界で生きる意味もないのかもしれません。

或る日、いつものように偵察に出て、そのまま戻らなかったイワン。戦後、ポーリンはイワンの消息を最悪の形で知ることになります。

原作はウラジーミル・ボゴモーロフの小説。

タルコフスキーは戦場も平和も命も、水で表現する


(これは平和な時代。水辺で妹と追いかけっこをする少年イワン)

卒業制作の『ローラーとバイオリン』(1961年)から一貫して、水を演出に取り入れているタルコフスキー。長編デビュー作となった1962年の本作でも、それは変わりません。

彼の描く戦場は、美しい白樺が林立する沼地や、対岸に敵陣がある川辺。敵は姿を現さないものの、身を隠す場所のない川面をボートで敵陣側へと渡る危険、いつ泥に足をとられるかもわからない冷たい沼地を照明弾の光に怯えながら前進する困難、そういう形でタルコフスキーは戦場の厳しさ・命の瀬戸際を表現しています。

さらに言えば、本作の中での水は、命そのもののシンボルでもあります。

少年イワンが母親の夢を見る時、母はいつも井戸水を汲んでいます。イワンを夢から目覚めさせるのは、母が倒れ、井戸水がこぼれる瞬間。母親の命の理不尽な蹂躙が、こぼれた水で表現されているんです。

その井戸は、イワンと家族にとって命の井戸だった。母との思い出もそこには詰まっていました。美しい母と、母が汲んでくれるおいしい井戸水がある幸福な日々の夢は、それをすべて失った今のイワンの心の空洞を、否が応でも見せつけてきます。

彼はその空洞を復讐心で埋め尽くした。まだあどけない少年の中に漲る憎悪は痛々しく、そのまま戦争の悲惨さとして胸に迫ります。

逆光の十字架の不吉さ


「水」に加えて本作で巧みに使われているのが逆光の効果。

独軍の爆撃を受け、無残に傾いた教会の屋根の十字架を、タルコフスキーは逆光の中で黒く浮き上がらせます。爆撃シーンに実際の爆撃映像はなく、そこは爆撃音だけで流すのですが、爆撃機が去った後の焼け野原に焼け残った十字架を逆光が照らすこの映像だけで、戦争の禍々しさ、悲惨さが映像から噴き出してくるようです。

絵画による伏線


(デューラーの『ヨハネの黙示録の四騎士』。左下が死の騎士)

名画も、タルコフスキーが作品内で多用するアイテムの1つですよね。

『惑星ソラリス』にはブリューゲルの『雪中の狩人』が、『鏡』にはダ・ヴィンチの画集をめくる場面が、『ノスタルジア』にはピエロ・デッラ・フランチェスカの『出産の聖母』が、といった具合い。そこには深い意味が込められているようでもあり、単にタルコフスキー自身の記憶の一片のように見えることもある・・・ただ、タルコフスキーがそれらの名画に対して特定の強いイメージを抱いていたことは間違いない気がします。

もっとも本作では、とても分かりやすい意図をもってデューラーの『ヨハネの黙示録の四騎士』が使われています。

イワンが基地にあるわずかな本の中から見つけ出したデューラーの版画集。独軍からの戦利品らしいその画集をめぐりながら、イワンは『ヨハネの黙示録の四騎士』に目を留め、中でも「死」の化身である老騎士に興味を抱きます。

「この男に似たドイツ兵を見たことがある」

まさか! こんな骨と皮の老人が戦場に?と思ってしまうのですが、敵味方誰もが死相をひっさげ、殺意をギラギラさせながらうろついている戦場のこと、「死の騎士」に似ている男がいたとしてもおかしくはありません。

この「死の騎士と出会った」というイワンの言葉は、彼の辿る運命の伏線でもあります。

美少年と大人の友情


それにしても本作で少年イワンを演じているニコライ・ブルリャーエフの美少年ぶり!

タルコフスキーの作品には殆どの作品で少年が登場しますが、その中でも自らの意思を持って行動し、観客を共感の渦に巻き込む吸引力では、イワンがダントツ。彼がとびきりの美少年であることも、その吸引力の源泉になっていることは間違いないでしょう。

タルコフスキーはニコライ・ブルリャーノフを次作『アンドレイ・ルブリョフ』(1966年)でも起用しています。お気に入りだったのかもしれないですね。

面白いことに、『ローラーとバイオリン』でも本作でも、タルコフスキーは青年と少年の友情を描いています。しかも、その男同士の友情と対比するかのように、男女の恋愛も描かれているのですが、どちらのケースも男女の恋愛は浅いものとしてしか描かれていません。

本作の中で、イワンをとてもかわいがっているポーリン大尉が、女性の看護中尉・マーシャを森に誘い出し、誘惑しようとする場面があります。

ただ、マーシャのほうがその気になろうとすると、ポーリンのほうは引いてしまいます。どうやらポーリンは、マーシャに気があるらしい将校にちょっと嫌がらせをしたかった風情。本気で彼女と付き合う気持ちはなかったようです。

初期のタルコフスキーの作品には、恋に恋する女心に対する嫌悪感のようなものが感じられる気がするのは気のせいでしょうか? 逆に、男同士の友情、それも年長の男性が少年を対等の存在として尊ぶ関係性に美しさを見出していた。

タルコフスキーの父親は、家族を捨てて別の女性と生活していたようですが、父に対する思い、父を奪った女性への思いも、彼がこういう構図にこだわった背景の1つなのかもしれません。

タルコフスキー的美意識から乖離したゲッベルス一家の遺体
戦闘機も戦車も使わず、戦争のリアリティーを映像に持ち込むことを嫌ったかのように見えた本作ですが、終盤突如様相が変わります。

というのは、本作にはベルリンが陥落して独ソ戦が終結した後の描写があり、そこで自決したナチ幹部の遺体を写した映像が挿入されているのです。その中にはゲッベルス夫妻と幼い6人の子供たちの遺体もあります。

タルコフスキーは後年『鏡』でも戦時中の記録映像を挿入していますが、そこで映し出されているのは、広大な沼地(ここでも「水」!)を、兵士たちが筏に乗せた戦車を押しながら行進していく様子。戦闘や人の死を映し出すものではありませんでした。

本作が作られた1962年は冷戦の真っただ中。ソ連を代表して国際映画祭に参加した本作に、当局の息がかかっていないはずはない。当局の指示でこうなったのか、タルコフスキー自身が敢えてそれをしたのか、たしかなことは言えませんが、それまでのテイストとは打って変わって、突如映像に生々しさが注ぎ込まれる違和感からみても、前者だったのではないかという推測もあながち間違いではないのかもしれません。

クライマックスは爆撃ですっかり破壊されたナチの収容所。残された書類によって、そこで連合国側の捕虜の処刑が行われていたことが判明します。

ジュネーブ条約はどこへ行った?という話ですが、同時に、「カティンの森は・・・」とつい言いたくなってしまう。

このあたり、冷戦時代の西の教育を受けた私としては、どうしても違和感を持ってしまうんですよね。それもまた一種のバイアスなのですが。

結局、両者同じことをしていた。

戦争になったらルールは無意味になってしまう。子供の無邪気さも、命も奪ってしまう。

戦争だけは、嫌ですね。


https://ameblo.jp/madamezelda/entry-12656412114.html

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