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デモと暴動の国、露わになったフランスの本質
国を動かすのは「一握りのエリート」
2018.12.18(火) 佐藤 けんいち
【写真特集】フランス全土に広がるデモ、「黄色いベスト」運動
フランス・パリで行われた政府の燃料税引き上げに抗議する「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト)」運動で、道路を走る装甲車(2018年12月8日撮影)。(c)AFP/Zakaria ABDELKAFI 〔AFPBB News〕
(佐藤 けんいち:著述家・経営コンサルタント、ケン・マネジメント代表)
今年2018年は「明治150年」であると同時に「日仏交流160周年」の記念すべき年である。だが、日本におけるフランスのイメージは急速に悪化している。それは、立て続けに発生し、今なお着地点が見えない2つの事件が、日仏両国で交差しながら進行中だからだ。
2018年も押し詰まってきた11月19日、日本の日産自動車と三菱自動車、フランスのルノー3者の会長を兼任していたカルロス・ゴーン氏が逮捕され、フランス政府が出資しているルノーによる日産支配の構造が一般人の目に明るみになった。それだけではない。フランス側の当事者であるマクロン大統領が、12月1日から始まり現在もなお継続中の「黄色いベスト」運動のデモと暴動で窮状に立たされている。
この2つのニュースが連日メディアで流されているので、フランスのイメージが悪化するのは避けられない状況にある。
だが、もともと日本人はあまりにもフランスを知らなさすぎたのである。日本人はフランスの芸術・文化には慣れ親しんでいるが、フランスの政治体制についてはほとんど関心がない。実はフランスという国は中央集権の官僚国家であり、警察国家である。もう記憶が薄れているかもしれないが、南太平洋で核実験を強行した国だ。こういった側面だけを見たら、およそ一般の日本人が憧れたりうらやましいと思ったりする存在ではないはずだ。おそらく例外は官僚だけではないか。日本の官僚にとってフランスの官僚は羨望の対象である。その理由については、おいおい見ていきたい。
とはいえ、せっかくの機会である。この機会にフランスというものをしっかりと見つめてみよう。よく知ったうえで、友好関係を深めていけばいいのだ。
もはや、かつてのように日本人が一方的にフランスに憧れるという時代ではない。日本のアニメやマンガを愛する若者は多く、彼らは日本に熱いまなざしを注いでいる。マンガを読みたいから日本語を学ぶというフランス人も少なくない。
逆に日本では、日本の大学の選択外国語からフランス語が転落して久しい。大学時代に第二外国語としてフランス語を選択した私としては寂しい限りだが、フランスの国際的な相対的地位の衰退を如実に反映しているといえよう。いつの時代でも、若者は先物買いをするものだ。
今回は「明治150年」「日仏交流160年」という意味について文化・芸術面以外の側面から振り返りながら、現在のフランスという国の特質について考えてみたい。
フランスに警察制度を学んだ『翔ぶが如く』の裏主人公
さて、「明治150年」といえば、NHK大河ドラマ『西郷(せご)どん』であろう。一昨日の日曜日(12月16日)に最終回を迎えたが、展開があまりにも早く、西南戦争もたった1話で片付けられたとネット上で賛否両論もあったようだ。だが、私自身はこの大河ドラマは夏前に見るのをやめてしまったので、確かなことは言いようがない。ドラマとはいえ、あまりにも脚色の多い描写に、見る気がなくなってしまったからだ。
その代わりというわけではないが、同じく西郷隆盛を主人公にした18年前の大河ドラマ『翔ぶが如く』の原作を読むことにした。言うまでもなく、司馬遼太郎による歴史小説である。『翔ぶが如く』は、放送当時は日本にいなかったためドラマを見ておらず、原作も読んだことがなかったのだ。今年になってから、書店の店頭に文庫版が平積みになっていたので、思い切って読むことにした次第だ。
文庫本で10冊もある大河小説ともいうべき『翔ぶが如く』の主人公は、実は西郷隆盛(=西郷吉之助)だけでない。倒幕プロジェクトにおいては、同じ薩摩藩出身で無二の盟友でありながら、明治維新後は「近代化」の方向をめぐって対立することになる大久保利通(=大久保一蔵)の物語でもある。「情理」という点からいえば、「情の西郷」に対して「理の大久保」といっていいだろう。むしろ作者の司馬遼太郎は、大久保利通のほうに多く共感を寄せているように思われた。
川路利良の肖像(出所:Wikipedia)
そして裏主人公ともいうべきなのが、日本の「警察制度の父」となった川路利良(かわじ・としよし)だ。いきなり小説の冒頭でフランスを舞台に登場する川路利良も、また薩摩藩出身であった。もともと西郷にかわいがられた人だが、のちに大久保に心酔し、大久保の「近代化」構想の一翼を担うことになる。西欧先進国にキャッチアップするため、近代的な官僚制の確立を急いだ大久保が根幹に据えたのが内務省であったが、その内務省において大きな役割を果たすことになったのが、治安を守る警察制度であった。
では、どの国をモデルに警察制度を設計すべきなのか? それを検討する責任者として任されたのが川路利良であった。1871年(明治3年)には、司法省が派遣した西欧視察団の一員として欧州各国の警察を視察し、なかでもフランスの警察制度に大きな感銘を受けている。日本に帰国後には、フランスの警察制度をモデルに日本の警察制度の確立に邁進することになった。
西郷隆盛が西南戦争(1877年)で敗北し、鹿児島の城山で壮絶な最期を遂げたことは周知の通りだが、西郷軍の鎮圧には川路利良率いる警察が政府軍として動員されていることは意外と知られていないようだ。陸軍だけではマンパワー不足であったからだ。
大警視(現在の警視総監)の川路は陸軍少将を兼任し、その傘下にあった警視隊で組織された別働第三旅団を率いて参加、分水嶺となった田原坂(たばるざか)の激戦では大きな功績をあげている。ちなみに、主力となっていたのは、「薩摩憎し」の感情に煮えたぎる旧会津藩士たちであった。
日本の警察制度が確立するのは、西南戦争以後のことである。川路利良と警察制度の確立、そして出発点がフランスであったことは、東京の京橋にあるポリスミュージアム「警察博物館」の常設展示で知ることができる。機会があれば、ぜひ訪れてみてほしい。
帝国陸軍もフランスがモデルだった
面白いことに明治政府は、警察だけでなく、発足当時の陸軍もまたフランスをモデルとしていた。日清・日露戦争から第1次世界大戦にかけての陸軍上層部は、フランス式のエリート教育を受けた軍人たちであった。
陸軍がドイツ式にモデルチェンジしたのは、1885年(明治18年)に陸軍大学校教授としてプロイセン陸軍のメッケル参謀少佐が招かれ、その翌年から陸軍改革が開始されて以降のことである。1870年の普仏戦争で、フランス陸軍に勝利したプロイセン陸軍の評価が陸軍内部で高まっていたからだ。
司馬遼太郎の代表作の1つには、おなじくNHKでドラマ化された『坂の上の雲』がある。その主人公で、日露戦争でロシアのコサック部隊を破った「日本騎兵の父」秋山好古もまた、数学中心のフランス式の教育を受けて、フランスに留学して騎兵のなんたるかを学んだ人であった。松山藩出身の秋山は、最後は陸軍大将まで昇進している。帝国陸軍で元帥まで昇進した軍人は、西郷隆盛を除けば歴代で17人しかいないが、そのなかでも薩摩藩出身の上原勇作は「日本工兵の父」であり、秋山好古の同期であった。しかも、同じくフランスに留学したフランス派であった。賊軍となった会津藩出身だが、義和団事件で活躍し国際的に絶賛された柴五郎は砲兵科出身であり、秋山や上原とは同期であった。最終的に陸軍大将まで昇進しているが、子孫のためにのこした遺書によれば、すべてをフランス語で学んだと回想している。
近代日本はまた、教育制度もフランスをモデルに制度設計したことにも、触れておかなくてはならないだろう。陸軍に警察に教育制度。近代日本が中央集権制のフランスから学んだ社会制度は少なくない。その功罪については、いろいろと考えなくてはならない。
フランスを牛耳る「一握りのエリート」
現在の日本の官僚や官僚出身者には、フランスを礼賛する者が少なくない。それはフランスの文化や芸術を礼賛するというよりも、フランスの官僚制を礼賛しているのだ。
すでに見てきたように、フランスは警察国家であるだけでなく、首都パリを中心にした中央集権制で強固な官僚国家である。日本の官僚が羨望のまなざしでフランスの官僚制度を見ているのは、当然といえば当然であろう。とはいえ、官が強すぎるのは考えものだ。経済とビジネスに関しては、同じ大陸欧州の連邦国家ドイツと比べるパッとしないのは、そのためではないか?
米国社会には、「リボルビングドア」(回転ドア)があるといわれる。トップクラスのビジネスパーソンが政治任命でホワイトハウス入りしたり、政治家が落選後や退任後には再びビジネス界やシンクタンクに転職というケースが多いことを指している。だが、フランスはその比ではない。「一握りのエリート」によって、高級官僚から大企業の経営職にいたるまで、要職がたらいまわしされているといっても言い過ぎではない。
冒頭でも触れたが、いま日本とフランスで焦点となっているゴーン氏と、暴動に翻弄されるマクロン大統領という因縁の2人もまた、それぞれ一握りのエリートの1人であり、似たもの同士である。カルロス・ゴーン氏は官僚出身ではないが、ルノー前会長は高級官僚出身者であった。エマニュエル・マクロン氏も、投資銀行出身であることが強調されているが、キャリアの第一歩は高級官僚である。エリート中のエリートである財務総監(日本でいえば財務省)の上級公務員であった。
こういったフランスのエリート官僚制度を人材面で支えているのが、「グランゼコール」と呼ばれる高等教育機関の卒業生たちだ。グランゼコール(Grandes Ecoles)とは、日本で表現すれば「大学校」となるが、フランスでのプレステージは「大学」よりもはるかに高い。日本人はフランス最高峰の大学というとソルボンヌ、すなわちパリ大学を想起する人が多いかもしれないが、実はそうではないのだ。
そのなかでもとくに、「エコール・ポリテクニーク」(日本語の通称は「理工科学校」)、「エコール・ノルマル・シュペリュール」(日本語の通称は「高等師範学校」)、「エコール・ナシオナール・ダドミニストラシオン」(略称はENA、日本語の通称は「国立行政学院」)の3つが最難関かつ最高峰とされている。自分の頭脳と成績に自信をもつ者が目指す、憧れの存在だ。
ゴーン氏はエコール・ポリテクニークを卒業した上で、さらにエコール・デ・ミーヌ(パリ鉱業学校)を卒業している。エコール・デ・ミーヌは1学年100人程度しか学生がおらず、フランス最高のエリート校という評価もある。かつては鉱山技術者養成の学校であったが、現在では理工系のビジネススクールのような存在に変化している。いかに超優秀な超エリートであるかがわかるだろう。
一方、大統領のマクロン氏は、パリ第十大学(通称「ナンテール」)でヘーゲル哲学を学んだあと、アンスティチュート・デチュード・ポリティーク・ドゥ・パリ(日本語の通称は「パリ政治学院」)で公共問題を専攻したあと、エコール・ナシオナール・ダドミニストラシオン(ENA)を卒業している。
このように、ゴーン氏が理系の超エリートなら、マクロン氏は社会科学系の超エリートである。しかも、ともに哲学も修めているのである。グランゼコールや大学の入学資格である「バカロレア」の試験には哲学が課されるからだ。これはフランスの際だった特色である。
余談めいた話になるが、私は日本の大学を卒業後に米国に留学して、米国最古の工科大学である「レンセラー・ポリテクニーク・インスティチュート」(略称RPI、通称レンセラー工科大学)でMBA(経営学修士号)を取得している。日本に帰国後に、とある飲み会の席でそのことを話したところ、えらく驚かれたことがある。会話相手の日本女性はフランス留学経験があり、「ポリテクニーク」に過剰反応したようだった。うるわしき誤解(笑)は、その場でただちに修正しておいたが、それほどゴーン氏の母校の1つであるエコール・ポリテクニークはフランスで評価が高いのだ。
ナポレオンが創設したエコール・ポリテクニーク
グランゼコールのすべてを解説している余裕はないので、ここではエコール・ポリテクニークを中心に取り上げることにしよう。
エコール・ポリテクニークは、フランス革命中の1794年に創設されたが、実質的な創設者は1804年に皇帝となったナポレオンである。拙著『ビジネスパーソンのための近現代史』でも、同時代と後世に多大な影響をあたえたナポレオンの業績について詳しく取り上げているが、ナポレオンは、もともと土木技術者養成のために設立されたエコール・ポリテクニークを、軍事技術者養成のための学校として改組し再建した。
そういった経緯があるので、エコール・ポリテクニークは現在でも国防省管轄の大学校であり、初年度は新入生全員が兵役につくことになっている。7月14日の革命記念日のパレードで先頭に立つのは、制服に身を包んだ学生たちなのだ。
ただし現在では、この学校を卒業して職業軍人の道を進む者はきわめて少数だ。圧倒的多数はゴーン氏の場合のように、その他のグランゼコールに進学する者が圧倒的に多いようだ。
エコール・ポリテクニークは、学業成績による入学者選抜を行っているが、それだけでなく体力テストも合格基準をクリアしないと入学できない。軍の学校である以上、当然といえば当然だが、フランス型エリートがフィジカルエリートでもあることは強調しておくべきポイントだろう。確かにフランスでも英米でもエリートは一般人とは体格が違うことが多い。この点は、異なる教育システムではあるとはいえ、英米とも共通している。
エコール・ポリテクニークは、エコール・ノルマルやENAといったトップクラスのグランゼコールと同様、学費が無料であるだけでなく、公務員扱いとして給与が支給されるのも特色だ。日本で同様の存在といえば防衛大学校が該当するが、国内でのプレステージにおいてはフランスとは比較にはならないだろう。
卒業順位ですべてが決まるENA
グランゼコールは、基本的に入学者の選抜を学力によって行っているが、第2次大戦後に創設されたENA(国立行政学院)は、国家上級官僚を養成する実学コースであり、卒業順位ですべてが決まる仕組みになっている。
一番から順番に、自分が希望する官庁に配属されることになっているが、一番人気は国務院と財務総監(日本でいえば財務省)であり、会計検査院である。職業キャリアの第一歩を財務総監の上級公務員から始めたマクロン氏が、いかにエリート中のエリートであるかがわかるだろう。成績が一生つきまとうという点において、日本の陸軍大学校はENAと同じ仕組みであった。だが、その結末がいかなるものであったかは、ここであえて指摘はしない。
官僚人気が衰えた現在の日本では、試験の成績だけで入学者を選抜し、卒業順位ですべてが決まるフランス型のシステムには違和感を抱く人も少なくないだろう。だが、実はこの選抜システムは、フランス革命の申し子なのだ。身分や財産ではなく、学力のみで選別するのは、まさに「機会均等」を全面に打ち出した啓蒙思想の成果であり、「近代」を体現しているフランス革命の申し子であった。
デモと暴動でしか社会変革ができない国
今回フランス全土に拡大した暴動は、格差社会における「一握りのエリート」への反乱といっていい。燃料費値上げから始まった「黄色いベスト」運動のデモが、異議申し立ての段階から暴動にまで発展しているのは、食糧暴動から始まって民主化運動に発展した2011年の「アラブの春」とよく似ている。SNSでの呼びかけで始まり、明確なリーダーが不在なまま急速に拡大していった姿も共通している。
【写真特集】フランス全土に広がるデモ、「黄色いベスト」運動
フランス・パリで行われた政府の燃料税引き上げに抗議する「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト)」運動で、機動隊の前にひざまずいて両手を頭に乗せるデモ参加者(2018年12月8日撮影)。(c)AFP/Sameer Al-Doumy〔AFPBB News〕
先進国フランスを支える一握りのエリートと、グローバルな理念やタテマエばかりを語る上から目線の大統領。これに「ノン」をつきつけたのが、中産階級から転落した勤め人たちだ。かつてのような大学生や労働者階級を中心としたイデオロギー主導のデモではない。移民や難民が中心の暴動でもない。仕事と生活に不可欠なクルマの燃料費が普通の勤め人たちの家計を直撃しているのである。それだけ切実なものが背景にある。
民主主義の先進国でありながら、デモと暴動でしか社会変革ができないフランスは、変革を一歩一歩確実に実行していく本来の意味の「保守主義」とは、ほど遠い場所に位置している。妥協を余儀なくされたマクロン大統領のもと、今後なんらかの改革は行われるだろうが、正直いってフランスに対する評価はネガティブにならざるをえない。ドイツのメルケル首相の指導力が失速しつつあるいま、フランスのマクロン大統領がEUの盟主になるかと思われたが、その可能性は遠のいた。いや、はたしてそういう日が来るのかどうかさえ不明であり、EU崩壊の可能性も絵空事ではなくなるかもしれない。
「ノーブレス・オブリージュ」という表現がある。人の上に立つエリートは、自らを犠牲にしてでも、率先垂範して義務を果たさなくはならないという思想の表明である。そもそも「ノーブレス・オブリージュ」(noblesse
oblige)というフレーズはフランス語だ。英語でもそのまま使用されるが、日本語に直訳すれば、「高貴さは義務を負わせる」となる。
フランスの「一握りのエリート」たちに、はたしていまでも「ノーブレス・オブリージュ」が存在するのかどうか。ゴーン氏の行状やマクロン氏の惨状を見ていると、疑問をもたざるをえないのだ。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54962
辻仁成が見る仏暴動「なぜ黄色いベストなのか?」
過去の暴動とは違う。国民の声から「ジレ・ジョーヌ運動」の特異性が聞こえる
2018.12.18(火) 辻 仁成
フランス「黄色いベスト」デモ、4週連続 機動隊と衝突 略奪も
フランス「黄色いベスト」デモ、4週連続 機動隊と衝突 略奪も。「親愛なるブルジョワの皆様 お邪魔して申し訳ありません 私たちは皆、尊厳を持って生きさせて頂いてもよろしいでしょうか?」と書かれたプラカードを掲げる人〔AFPBB News〕
(作家、辻仁成)
※編集部注:一部デバイスでは辻のしんにょうの点がひとつになりますが、正しくはふたつです
なぜ、彼らはジレ・ジョーヌ(黄色いベスト)を着るのか。世界中の人々はこのデモ衣装の統一を不思議に思ったのではないか。
実は数年前、ここフランスでは、自動車内に黄色いベストの携帯が義務付けられた。だから、私の車にもこの黄色いベストが常備されている。事故が起こった時、運転手は車外に出て危険から自らの身を守るためにこれを着る。
ガソリン税の増税が決まった時、これに反発する人々が皮肉を込めてこれを羽織り、危険から身を守るためにデモ行進をはじめた。この皮肉こそが政府の増税政策に不満を持つ人々の心を掴んだ。つまり、私もしようと思えば自分のジレ・ジョーヌを羽織って簡単にデモに参加することが出来るのだ。この黄色いベストは空港でも、工事現場でも、工場でも、路上でも、ありとあらゆる人々が危険から身を守るために日常羽織っているものだから。同時にそれは労働者のシンボルでもある。どこかの団体を意味するマークではなく、まさに市民運動の象徴ということになる。
「ガソリン代を払えないなら電気自動車を買えばいい」
パリはクリスマスを前に規模は縮小したもののまだ予断を許さない状態が続いている。
マクロン大統領をマリー・アントワネットに譬える批評もある。「パンがないならブリオッシュを食べればいい」と言ったアントワネットの言葉が「ガソリン代を払えないなら電気自動車を買えばいい」に変換され皮肉られている。
個人的な話だが、私はマクロン大統領誕生時に強い期待を持った一人だった。マクロン一人を悪者にしていいのか、という記事も確かにあるし、彼がこの30年の政治的なツケを背負わされた格好であることも事実であろう。
しかし、フランスの国民に同情する気持ちはなく、その怒りは想像を超えて拡大した。なぜか?
黄色いベストを着た人たちがパリでデモを始めた5週間前、マクロン大統領はこの運動を重要視していなかった。現場に駆けつけることもせず静観した。これは初動対応のミスであり、大統領という立場上責められても仕方がない。マクロン大統領は代議士の経験も自治体を代表したこともないので市民に耳を傾けることや市民との駆け引きに長けていないのではないか。事態が深刻化してやっと12月10日テレビで謝罪した。初動対応の悪さやその最中の態度の冷たさによって、予想をはるかに超える状態となった。立ち上がったフランス庶民の声も「マクロン、辞任!」へと傾きつつある。
フランス人は今の状況をどう思っているのか?
そこで今のフランスの空気を読みほどきたく、様々なフランス人にインタビューを試みた。「あなたは今この状況を、そしてマクロン大統領をどう思うのか」
テレビ局勤務50代「これはこの30年あまり、政府が庶民のことを無視し続けた結果です。物価や税金はうなぎ上り。その一方、SMIC(最低賃金)が1200ユーロ弱(15万円程度)でどうやって庶民は暮らしていけますか? 華やかな印象の『パリ』とは対照的にフランスの貧困層は明らかに膨張している。今回のデモの発端となったガソリン税増税は郊外に暮らし、車が必要不可欠な人たちにとっては大打撃となる。President des riches(金持ちのための大統領)と言われるマクロン大統領に対する不満は爆発しました。この怒りは理解できるし、その怒りを主張する行為こそフランスの伝統なのです」
ホテル従業員40代「クリスマス前なのに、毎週末、買い物することができない状況が続いています。その結果、購買力低下が大きな社会経済問題になっています。観光面からいうと過去3年はテロの問題で旅行客が激減した。2018年、やっと取り直しつつあったのに、この問題が起き、またパリから旅行客の足が遠のいている。ホテルの予約もデモ5週目に入り、キャンセルが相次ぎ、今日現在(12/15)では客室稼働率が50%ですよ。信じられますか? クリスマス前、パリ中心部での出来事です」
カフェ勤務ギャルソン20代「政府が国民の声を一切聞かないから、ジレ・ジョーヌが出てきたんだよ。政府は俺たちの生きる気力を奪うほどに高い税金を市民に果たしてるからね、こうなったのも当たり前だと俺は思う。いいか、俺の仲間たちの中には、この8年間バカンスも取れずに働き続けている奴もいれば、ばかげたことに税金を、ローン組んで払ってる奴さえいるんだ。日本じゃ考えられないことだろ?」
工場勤務30代「マクロンはテクノクラート(技術官僚)であり、冷たく傲慢な男だ。国民や市民に全く寄り添っていない。僕が求めるのはお金じゃない。彼が大統領の座から去ることです」
銀行勤務30代「政府への反感を表明することには賛成しますが、自分個人の意見としては、今回の騒動、特に暴力で解決を促す流れには一切共感を見出せない。黄色いベストを纏った人たちの暴力行為は100パーセント無意味だし、やっちゃいけない。恐らく多くのフランス人もそう思っているはず。中流階級と呼ばれる所得税、住民税、等をきちんと納めている人達は、今回の騒動の最中は暴動行進に参加しないと思いますよ」
労働者、最低限の人たちだけの問題ではなくなっている
12月10日にマクロン大統領はデモの沈静化狙い演説。それを聞く「ジレ・ジョーヌ運動」の参加者たち。(写真:Abaca/アフロ)
企業に勤める中産階級の中にはデモを否定的にみる人たちがいる一方で、やはり大多数の庶民、労働者たちは政府への不満を募らせている。他方、ブルジョア階級や知識人の中にもデモに理解を示す意見があった。マクロン大統領を支持する人たちは都市部のどちらかというと富裕層かもしれない。その富裕層も一枚岩ではない点が今回の特徴と言える。
フランスのデモと言えばそれに便乗し破壊活動や略奪をするカッサー(破壊者)が有名だが、彼らは郊外に暮らす鬱憤を持った若者たち、仕事を持つことのできない行き場のない移民を中心とする低所得者の子供たちだが、そこに一部、政治的意図を持ったプロや単なる窃盗グループが混じっていることも注意しなければならない。
ともかく今回の大きな特徴は怒りが頂点に達しているジレ・ジョーヌにカッサーが合流し大きな暴動へと発展した。カッサーの行動は常に批判の対象となってきたが、そういう子たちを産んだ社会と政府の責任を問う声も大きい。物価が高くなり税金が高騰するフランスで富裕層を優遇しているととらえられた政府の長にその矛先が向かうのも当然かもしれない。
パリはすでに5週間にもわたって暴動が続き、その間にテロまで起こり、世界中が不安視している。これがフランス革命のようなものにまで発展するとは考えにくいが、けれども1968年の五月危機とは異なった流れを生みつつある現実は無視できない。五月危機では学生を中心に暴動が起きたが、その時は政府側がデモ隊側の条件改善要求を大部分受け入れ事態を収拾させている。ところが今回のデモ隊は五月危機の時の組織ある集団ではなく、あらゆる層を巻き込んだ市民であることに着目しなければならない。
大統領はSMIC(最低賃金)の人たちに毎月100ユーロの支援、残業代を課税対象から外すなど幾つかの妥協案を提示したが、お金で解決しようとする姿勢が裏目に出ている。すでに最低賃金の人たちだけの問題ではなくなりつつある。
なぜデモ隊は黄色いベストを着ているのか、この根底にある問題をマクロン大統領が直視する時、このフランスの政治的綱渡りの糸口が見えるのかもしれない。黄色いベストが赤いベストにならないことをパリで生きる一人として私は祈る。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54983
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