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マクロン大統領は救世主の仮面を付けた妨害工作者
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2018年4月27日 マスコミに載らない海外記事
Finian CUNNINGHAM
2018年4月24日
フランスのエマニュエル・マクロン大統領には、民主主義を求める人々をぞっとさせるに違いない、冷酷な野望という要素がある。
ワシントン・ポストによれば、今週のアメリカ合州国公式訪問で、マクロンはトランプ大統領の“対極”で、“欧米における中道リベラルの旗手”を装っている。
皮肉なことに、先週も彼は、火曜日ストラスブールの欧州連合議会での基調演説で、またしても自らを“ヨーロッパの救世主”として売り込んだ。
ストラスブール演説は、フランス大統領が、アメリカやイギリスとともに、対シリア共同大空爆をしかけて僅か四日後のことだ。
彼の高潔な見せ掛けをあざ笑うかのように、マクロンが、民主主義の壮大な構想でEU議員を喜ばせている中、労働者の権利を廃止する彼の計画に反対して戦う全国規模の産業ストライキで、彼の国は麻痺していた。
40歳のマクロンは最も若いフランス大統領で、オーストリアのセバスティアン・クルツ (31)とともに、現在最も若いEU指導者の一人だ。
クルツは、ヨーロッパの時代精神ポピュリスト政治家の一人で、自立した民族主義的政策ゆえに、マクロンが“退行的”と見下したがるオーストリア首相だ。
フランス大統領は、若々しい容貌と“民主主義”に対する熱意らしきものにもかかわらず、極めて古い、独裁主義や、民主主義の軽蔑という暗い傾向を示している。
マクロンは先週約750人の欧州議会議員に“民主主義の擁護”について講義する鉄面皮なのだ。ストラスブール議会での彼の演説は“民主主義の権限で、独裁主義”に挑戦するという類の陳腐な言葉に満ちていた。
確かに、フランス大統領は、ストラスブールで無事に済んだわけではない。演壇で講演する中、何人かの議員が“シリアに手を出すな”というプラカードを掲げていた。
マクロンには多くの魅力的なイメージや、リベラルに聞こえるキャッチフレーズがある。彼はある種の進歩派を装うのも巧みだ。だが上辺からほど深くない内面は、冷酷で反民主的な権威主義のエリート主義者なのだ。
逆説的に、ストラスブール演説で、28ヶ国のブロックが、彼がその旗手を装っている自由民主主義と、勃興する“ポピュリスト独裁体制”間の“内戦”に直面していると主張して、ヨーロッパの実存的危機というドラマを、彼は芝居がかって演じた。後者は、オーストリアのテバスティアン・クルツや、最近三度目の再選に勝利したハンガリーのオルバーン・ヴィクトル首相などの民族主義政治指導者を指している。
マクロンは、クルツやオルバーンのような人々や彼らの反移民政策を、社会構造と、EU圏の団結を破壊するヨーロッパの嫌われものとして描き出そうとしている。
ニューヨーク・タイムズは報じている。“マクロンは、EUは、第二次対戦後の構想を作り上げた自由民主主義と、反対意見を押さえ込み、法の支配を大切にしない新たなポピュリスト独裁体制との戦争状態にあると述べた”
ちょっと待った。“法の支配を大切にしないだと”? この客寄せ口上は、十中八九、実際起きてもいない化学兵器攻撃事件に関する根拠の無い主張を背景に、主権国家シリアを爆撃したばかりの人物が発言したものだ。
マクロンは、2014年、国連安全保障理事会からの委託無しに、シリア爆撃を開始した前任者フランソワ・オランド政権の閣僚でもあった。
オーストリアのクルツや、ハンガリーのオルバーンや、彼らの国粋主義政治というレッテルが何であれ、いずれもマクロンを大いに支持しているが、この二人の指導者は、いずれも主権国家を爆撃していないことを指摘しておこう。
先週末、フランス大統領は、ドイツのアンゲラ・メルケル首相をベルリンに訪れた。“主権、法の支配、民主主義と平和”という“リベラルな価値観”を奉じるよう呼びかけて“再度、ヨーロッパの救世主”という彼の孔雀の羽を広げた。
メルケル女史は、うまいことを言うヨーロッパ最高の政治家たらんとする野望を持ったフランス大統領にうんざりしつつあり、EU最強の国家としてのドイツを脇に追いやる企てで、アメリカのトランプ大統領ににじり寄っていると見ているのではあるまいかと思いたくなる。
マクロンは食わせ者だ。彼はウソをつく上で、恥知らずなのだ。
改革主義者、進歩的な先見の明のあるヨーロッパ人としての彼のイメージ作りは、虚栄心とこれみよがしの理想の反映だ。それが何を意味するにせよ彼の“中道リベラル”なるものの引き立て役として、トランプを利用したのと同様、ある種高貴な対極のふりをするために、マクロンは、オルバーンやクルツや他の連中のポピュリスト政治家を見下しているのだ。
マクロンは実際は、オルバーンや彼の同類がそうなり得る以上に、遥かに危険な独裁主義者だというのが真実だ。
4月14日、彼による国際法の衝撃的な無視で、対シリア・ミサイル一斉射撃をした後、マクロンは“反対意見を押さえ込む”独裁主義者に関して厚かましくも講義した。
この発言から数日後、先週金曜日、学生の平和な座り込み抗議を解散させるため、何百人ものフランス警官が、警棒を振り回しながらパリの大学に暁の急襲をしかけた。
マクロンによる雇用の権利剥奪を止めるため、街頭に繰り出した何百万人ものフランス労働者と失業者に加わり、大学生たちが大学のキャンパスに繰り出したのだ。
マクロンは自分の計画を婉曲的に“改革”と表現している。何百万人ものフランス国民は、労働法の放棄は、民主的権利に対する全面的攻撃だと見ている。こうした権利は何十年にもわたって労働者が勝ち取ったもので、資本主義経済を比較的品良くするのに貢献した。現在マクロンは、大企業と国際資本のため、フランス労働者の権利を破棄したがっているのだ。
昨年マクロンが一体どうして選出されたのかは興味深い疑問だ。当選前まで元ロスチャイルド投資銀行員は、で選挙で選ばれ、地位についたことはなかった。彼は旧オランド政権(2012年-2017年)で、選挙によってではなく、政治任用で経済相に指名された。
マクロンの大統領としての負託は、うさんくさい。昨年4月-5月の選挙では、彼女の党のファシスト的歴史ゆえに、国民戦線のマリーヌ・ルペンに投票したくなかったので、多くのフランス有権者が棄権した。マクロンが不戦勝で選ばれたことはほぼ間違いない。
だが大統領の座について一年で、彼の反民主的“改革”に対する積極果敢な抵抗で、彼はフランス国民を団結させることに成功したように見える。
ヨーロッパ“再生”なるマクロンの飾りたてた言辞は、もったいぶったたわごとだ。
ヨーロッパの主要な問題は、国民の民主的代表が欠如していることだ。民主的なニーズが絶えず無視されているため、政府や政治家は軽蔑されている。公共投資や福祉は衰退し、労働者の権利は踏みにじられ、年金生活者は無視され、政治家たちが、大企業や資本や海外での軍国主義という計略に仕えすぎるがゆえに、ごく少数の連中によって、何の正義もなしに戦争が推進されている。
EU中で暮らしている5億人の人々の大多数にとって、民主的な説明責任は皆無に見える。この機能不全は、エマニュエル・マクロンのような虫のいいエリート主義の政治家たちのせいなのだ。彼は破綻した欧米ブルジョア政治の化身なのだ。支配階級の資本主義と帝国主義志向に迎合しながら、自らを“救世主”として描き出す鉄面皮だ。
マクロンは、ヨーロッパ民主主義の妨害者だ。ヨーロッパ中におけるポピュリズムの勃興は、マクロンのような連中が上から目線でけなしているような何らかの外来現象ではない。彼が好んで激しく非難する人々よりも遥かに危険な独裁主義的傾向があるマクロンのようなペテン師連中に対する反発なのだ。
救世主であるかのような言辞で身を隠す、まさにマクロンのような政治家連中のおかげで、ヨーロッパ民主主義は危機に瀕しているのだ。
記事原文のurl:https://www.strategic-culture.org/news/2018/04/24/france-macron-saboteur-with-savior-mask.html
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