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軽くみた少子化、対策の好機を逃す シルバー民主主義 広がる世代間格差 シニアビジネス 模索の末に見えた解  
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/893.html
投稿者 うまき 日時 2019 年 2 月 09 日 12:04:57: ufjzQf6660gRM gqSC3IKr
 


軽くみた少子化、対策の好機を逃す
平成の30年 高齢化先進国(6)
平成の30年 経済 社会
2019/2/9 11:46日本経済新聞 電子版
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平成は少子化ショックとともに始まり、克服できないまま終わろうとしている。世界で最低レベルの出生率に落ち込みながらも、政府内は「いずれ第3次ベビーブームがやってくる」という楽観論が根強く、対策が後手に回った。回復基調にあった出生率もこのところ頭打ち。深刻な少子化は世界に類を見ない高齢社会を出現させた。

君は来るか 僕の腕に この空は青いか 見つめてみないか――。1993年2月19日に厚生省(当時)…
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41022500X00C19A2TM1000/


 

シルバー民主主義 広がる世代間格差
平成の30年
2019/1/19 2:00日本経済新聞 電子版
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1990年、平成最初の衆院選で投票率は60代が87%、20代は57%だった。およそ30ポイントの差は2017年の衆院選で38ポイントほどに開いた。参政権を無駄にする若者に政治は冷たい。年金・医療など社会保障や税制で高齢者の既得権を壊さないようにする政治行動「シルバーデモクラシー」。残ったのは、世代間格差の拡大というやっかいな問題だった。

おさまることがない高齢者の怒りに政治はなすすべを失った。2…
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40164630Y9A110C1000000/? 

 
シニアビジネス 模索の末に見えた解
平成の30年 高齢化先進国(5)
平成の30年
2019/2/2 2:00日本経済新聞 電子版
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高齢化が進む中、消費者としての高齢者に注目度が高まったのも平成だ。膨らむ市場を取り込もうと企業はさまざまな手を繰り出したが、多くは空振りに終わった。ひそかに抱える不安、人生経験が生む価値観の多様化など、心のひだに鈍感だったからだ。平成の終わる今、その反省がようやく実を結びつつある。


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平成が始まる9年前に発表された学生作家、田中康夫氏のデビュー作「なんとなく、クリスタル」。女子大生と音楽家の都会的な恋愛を、高級ブランドなどの注釈付きで描いたミリオンセラー。古アパートでの同居とは様変わりした若者像はバブル消費の予言書といわれた。

同書には不思議なページがある。物語の終了直後、出生率と高齢化率の予測数値を説明抜きで掲載しているのだ。こうした生活は将来続かないのでは――。そんな問いを込めたが「誰も言及しなかった」と田中氏は後に振り返っている。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40780500R00C19A2000000/?   

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コメント
1. 2019年2月09日 12:07:32 : ZzavsvoOaU : Pa801KbHuOM[255] 報告
 1990年、平成最初の衆院選で投票率は60代が87%、20代は57%だった。およそ30ポイントの差は2017年の衆院選で38ポイントほどに開いた。参政権を無駄にする若者に政治は冷たい。年金・医療など社会保障や税制で高齢者の既得権を壊さないようにする政治行動「シルバーデモクラシー」。残ったのは、世代間格差の拡大というやっかいな問題だった。

https://www.nikkei.com/content/pic/20190119/96958A9F889DE6E2E3E4E6E4E1E2E3EAE2E3E0E2E3EBE2E2E2E2E2E2-DSXMZO4016460018012019TM1001-PB1-2.jpg

 おさまることがない高齢者の怒りに政治はなすすべを失った。2008年のことだ。後期高齢者医療制度(後期制度)が始まる4月を前に、福田康夫首相は「長寿医療制度」と呼ぶよう周知することを決めた。
 慢性病になったり足腰が衰えたりするリスクが高まる75歳以上の人に限定し、独自の財源を充てる後期制度は理にかなった設計だった。だが野党の民主党が「うば捨て山だ」「家族を分断する」と訴え、テレビが増幅させる番組を流すと、政府側の説明では太刀打ちできなくなった。
 「長寿」という窮余の改称も焼け石に水。福田氏が繰り出したのが加入者が払う保険料の大値引きだ。
 夫婦ともに年金収入が年80万円以下の世帯の場合、月3800円の均等割保険料が9割引きの380円に。大盤振る舞いの財源は赤字国債を発行して賄ってきた。将来世代へのツケ回しである。政治が高齢世代にいい顔をしようとするシルバーデモクラシーが、顕著になっていた。
 その前年、第1次安倍晋三政権の時に燃えさかったのが年金記録問題だ。これを徹底追及して得点を稼いだ民主党は後期制度という格好の材料を得て勢いづいた。09年の衆院選で政権交代を果たした要因の一つに、高齢有権者の多くを味方につけた一連のキャンペーンがあった。
 高齢人口は増え、加えて投票所に足を運ぶ人が多い。この層の暮らしに直結する社会保障や税制で「負担は軽く、給付は厚く」を掲げて選挙を戦う野党。それに抱きつくように同じような主張に傾く政権与党。犠牲になるのは制度の持続性だ。
 小泉純一郎政権の04年、年金改革法を自民、公明の与党が強行採決して成立させたのは、2100年ごろまでを見通して年金財政の均衡を図るという哲学を実現させようとしたからだ。その手段は(1)独立行政法人が運用する積立金を計画的に取り崩す(2)現役世代が払う保険料を段階的に引き上げる(3)高齢者の年金受給額を毎年小刻みに切り下げるマクロ経済スライドを導入する――の3点。一部の与党議員はこれを「100年安心プラン」と銘打った。
 100年安心の実現には3つすべてを満たす必要がある。それから15年。達成度はどうか。(2)は厚生年金の料率が18.3%になった17年に完遂したが、(1)は取り崩し額が想定を超過し、(3)に至ってはマクロスライドの発動が19年度でようやく2回目となる。「ルール違反」は様々な理屈がつけられ、正当化されてきた。
【関連記事】年金抑制なお不十分 マクロ経済スライドやっと2度目
 01年、竹中平蔵経済財政相の手による経済財政白書に興味深い分析が載った。人が生涯を通じ、政府に対してどれだけ負担し、政府からどれだけ受益を得たかを世代別に推計した世代会計だ。1939年以前に生まれた世代は約5700万円の受益超、70〜79年生まれは約1300万円の負担超、80年以降は約4200万円の負担超という結果だった。
 生涯収支が高齢者は黒字、子供が赤字になるのは少子高齢化に直面する日本にとって避けがたい。社会保障の成熟やインフラ建設が途上にあった戦後復興期の現役世代は、勝ち組であってよいという考えもある。しかしシルバーデモクラシーが世代間格差をさらに広げようとしているなら看過はできまい。
 国会が介護保険法を成立させた1997年、首相は厚生族議員のボスを自任した橋本龍太郎氏。型にはまった福祉サービスから、高齢者と家族が主体的にサービスを選ぶ仕組みへ。年金、医療、雇用、労災につぐ第5の社会保険の誕生である。
 このとき保険料の出し手を40歳以上に絞ったのは、負担を折半する産業界に配慮した面がある。当時、厚生省幹部は「自らの老後を考え始め、親が要介護になる可能性があるのが40歳だ」と理屈づけしていた。だが介護総費用がこの間に3倍の11兆円に膨れあがった現実を考えれば、負担年齢の引き下げが政治課題に上る日も遠くなかろう。
 04年に『破産する未来―少子高齢化と米国経済』を著し(邦訳版は05年に日本経済新聞社刊)、激しい世代間格差を「財政的幼児虐待」と形容したのはボストン大のローレンス・コトリコフ教授だ。
 平成が終わろうとしている今、安倍政権は後期制度の保険料の大値引きの是正に一歩踏み出した。
 匿名ブログ「保育園落ちた日本死ね」が提起した待機児童問題の深刻化もあり、安倍氏は全世代型社会保障を掲げ、10月の消費税増税を機に幼児教育の無償化に乗り出す。平成後、シルバーデモクラシーに転機は訪れるか。全世代が目を凝らすべきテーマである。(大林尚)
 証言 亀井善太郎・PHP総研主席(立教大大学院特任教授)が語る

亀井善太郎氏
 2006年から3年ほどの衆院議員時代に感じたことは二つ。
 まず、地元の集会に参加するのは高齢者ばかりだった。もう一つは、後期高齢者医療制度に反感を持つ高齢者のエネルギーだ。高齢者にとって悪い制度ではないのに野党の情緒的批判が火をつけた。シルバーデモクラシーといえるか分からないが、怒りが沸騰したときの恐ろしさは痛感した。
 半面、次の世代を考えた政治をしてほしいと言ってくる高齢者も多かった。改革は痛みを伴うことが多いが、背景を丁寧に説明すると「うん、わかった」と。コミュニケーションが成立していた。高齢者が自らの世代だけのために投票するという思い込みは、高齢者をばかにしていると思う。
 改革の痛みは戦後ベビーブーム期に生まれた団塊の世代にこそ受け入れてほしい。第2次世界大戦に巻きこまれて財産を失い、学ぶ機会も満足に得られなかった上の世代と異なり、高度成長やバブル経済の恩恵を受けたのだから。
 08年に自民、民主の有志議員7人が年金の抜本改革提言をまとめた。両党の橋渡しに一役買ったのは、団塊世代を含め支給開始年齢の引き上げを実現させたかったからだが、それもすでに手遅れだ。
 自民党が下野する09年の衆院選マニフェストに、政調会長代理の園田博之さんに頼んで「年金の持続性を高めるために超党派で協議する」と入れてもらった。年金を争点にして、できもしない高齢者優遇を競うポピュリズム選挙に終止符を打ちたかった。このマニフェストは自民党としての責任を果たした証しだと自負している。
 永田町を離れてから、将来世代の視点を取り入れようと独立した財政監視機関の新設を提案した。今の政治には、受け入れる意志はないようだが……。
キーワード
世代会計
 人の生涯を通じて政府部門への支払いが義務づけられている税金や社会保険料などの負担総額と、社会保障給付や公的サービスの受給総額を試算し、世代ごとの違いを比べる手法を指す。平均寿命まで生きる1人を想定して推計する。日本は一般に、高齢世代は受益総額が負担総額を上回る「生涯黒字」になり、若者やこれから生まれてくる世代は「生涯赤字」になる傾向が強い。「戦後から高度成長期にかけて社会保障制度の整備が道半ばだった」「将来世代の社会保障・税負担が過重になる」などの要因が絡み合った結果といえる。
 かつては内閣府が中心になって推計していたが、ある時期から公表しなくなった。行政府が政治に配慮するようになったためだと解説する識者もいる。また厚生労働省は年金制度について負担と受益を世代別に示すことを避ける姿勢が強いようにみえる。
介護保険
 2000年度にスタートした新しい社会保険制度。給付費は40歳以上の加入者や企業が払う保険料と、税財源などによる国・地方自治体の公費とで折半している。給付を受けるのは原則として介護サービスが必要と認定された65歳以上の高齢者。要介護度(要支援を含む)は心身の状態の軽重に応じて7段階に分かれている。利用者は使ったサービス費用の原則1割を負担する。
 制度開始時の総費用は年3兆6千億円だった。その後、年とともに利用者が増え、18年度は11兆円強に達すると厚生労働省は見込んでいる。団塊世代のはしりが75歳以上の後期高齢者になる22年以降は、総費用の増加ペースにさらに弾みがつくのは確実だ。軽度者の自己負担を上げたり家族介護に限定的に現金を給付したりする制度改革が不可欠になっている。増収対策の切り札は保険料を負担する年齢の切り下げだ。
後期高齢者医療制度
 75歳以上の後期高齢者を現役世代を中心とする健康保険制度から切り離し、独自の財源を確保して医療費を給付する制度。後期高齢者の1人当たりの年間医療費は平均すると95万円程度と、現役世代のおよそ6倍を消費している。慢性疾患にかかる人が急増するなど、この世代の特徴をふまえて制度の持続性を損なわないようにするのが2008年度に施行した狙いだ。都道府県単位で運営している。
 医療給付費の財源構成は保険料が全体の50%、国と地方自治体が出す公費が50%。消費税増税の遅れによって本来は公費で賄うべき資金が大幅に不足している。厚生労働、財務両省は支援金の名目で現役世代の保険料で成り立っている企業の健康保険組合などから財源を召し上げて不足分を補っている。17年度に約1400の健保組合が出した支援金は総額1兆8300億円に達した。
保育園落ちた日本死ね
 子供が保育園に落ちて仕事を辞めざるを得なくなったとみられる母親が2016年にネットに投稿した匿名ブログのタイトル。国会審議で野党議員が取りあげると、与党席から「誰が書いたんだよ」などというやじが飛び、待機児童対策の遅れにうんざりしていた人びとの怒りに火をつけた。抗議が厚生労働省などに殺到し、塩崎恭久厚労相は待機児童の解消を求める2万7600人分の署名を受け取る羽目になった。
 結果として、安倍政権が保育所の増設を加速させるきっかけをつくった。しかし保育士が足りない状況はより深刻になっている。政権は10月の消費税増税による増収分の一部を保育・幼児教育の無償化に充てるが、待機児童対策としての効果ははっきりしない。切り札は保育士資格や配置要件の大幅な緩和などの規制改革と、0歳児を持つ父母がともに育児休業を取りやすくする企業の取り組みだ。
【関連記事】
・年金額0.1%増に抑制、マクロ経済スライド発動 19年度
・[社説]年金マイナス改定を恐れるな
介護の担い手 家族から社会全体に[有料会員限定]
2019/1/12付


見えぬ危機に無策 年金・医療で巨額借金[有料会員限定]
2018/4/7 2:00

 高齢化が進む中、消費者としての高齢者に注目度が高まったのも平成だ。膨らむ市場を取り込もうと企業はさまざまな手を繰り出したが、多くは空振りに終わった。ひそかに抱える不安、人生経験が生む価値観の多様化など、心のひだに鈍感だったからだ。平成の終わる今、その反省がようやく実を結びつつある。

 平成が始まる9年前に発表された学生作家、田中康夫氏のデビュー作「なんとなく、クリスタル」。女子大生と音楽家の都会的な恋愛を、高級ブランドなどの注釈付きで描いたミリオンセラー。古アパートでの同居とは様変わりした若者像はバブル消費の予言書といわれた。
 同書には不思議なページがある。物語の終了直後、出生率と高齢化率の予測数値を説明抜きで掲載しているのだ。こうした生活は将来続かないのでは――。そんな問いを込めたが「誰も言及しなかった」と田中氏は後に振り返っている。
 翌81年。国鉄(社名、団体名は当時。以下同)が「フルムーンパス」という商品を発売した。合計年齢88歳を超す夫婦に割引などの特典を与える内容で、往年の青春スター、高峰三枝子と上原謙の入浴CMが話題を集めた。若い女性を旅に誘う70年代の「ディスカバー・ジャパン」とは対照的な中高年シフト。高齢者を「消費者」として位置づけた先駆例だ。「長期予測が得意な鉄道会社だけに少子高齢化が見えていた」と、あるベテランマーケッターは読む。
 平成に入りバブル景気が終了。どこかに隠れた有望市場はないか。勘のいい企業が目をつけたのが高齢者だった。自分たちが行きたい旅を企画する近畿日本ツーリストの「クラブツーリズム」。文字を大きくしたNTTドコモの携帯電話「らくらくホン」。法人の宴会低迷を補おうと有名ホテルは中高年女性向けに「ランチビュッフェ」に力を入れた。
 成功例ばかりではない。孫への贈り物を買おうと百貨店業界が呼びかけた「孫の日」は定着したとはいえない。「経済的に余裕がなく困る」「孫より自分の趣味」。平成の高齢者の本音を読み違えたからだ。
 2000年を過ぎた頃、高齢者マーケティングは一気に過熱する。団塊世代が60歳を迎え始める2007年問題が注目され、退職金と自由時間を手にした「人口の山」を狙う企業が急増したからだ。
 豪華客船による世界クルーズ。地方や海外への移住や国内留学。書斎づくりなどの自宅改装や別荘購入。出版業界は「団塊パンチ」など、旅や趣味の情報を満載した雑誌を相次ぎ創刊した。
 こうした雑誌の大半は数年を経て休刊になった。シニア専門のマーケティング会社や企画も行き詰まった例が多い。多くの企業で定年が延長となり自由時間を手にしそびれたり、リーマン・ショックや地価下落で資産が目減りしたりといった外部要因もある。しかし最大の原因は、企業が高齢者の心理を読み違えたことではないか。
 昔に比べ、長生きになり体力もある。しかし高齢者は高齢者であり健康、経済、孤独という「3K」不安を抱えている人は多い。しかも同じ「団塊世代」といっても、歩んだ人生の違いは大きい。仕事面での「成功」の度合いも大きな差がある。
 家庭では、妻の多くは子育てを数年前に卒業し、同性の友人たちと自由な消費や交際をすでに楽しんでいる。「夫婦2人でゆっくり」というのは夫側の勝手な期待だった。
 これにシニアマーケティング特有の難しさが加わる。「高齢者向け、シニア向けと名づけた瞬間に、当の高齢者たちはそっぽを向く」と企業の商品開発担当者。「大人の××」などと新たな呼び方の工夫も重ねたが、年齢で切り取られ若者と分離されたと感じただけで、心がざわつくのが高齢者だ。
 この時期に成功を収めた例が2つある。01年開業の「東京ディズニーシー(TDS)」と05年上陸の簡易フィットネスクラブ「カーブス」。両方とも米国系だ。TDSは酒をおき、ベンチを増やし、散歩するだけで外国気分を味わえる景観を整備。独自開発のぬいぐるみ「ダッフィー」も大人の女性に人気だ。カーブスは50歳以上を中心とする女性限定の運動施設。小ぶりで廉価、プールなどはない。男性や若い女性の目を気にせず体を動かせ友人も増やせる。
 数々の失敗と11年の東日本大震災を経て、日本企業の戦略も地に足がついたものになった。安く名作を見られる「午前10時の映画祭」、非日常ではなく上質の日常を提供したとトップが語るJR九州の周遊列車、体力面に配慮した短期クルーズや各種ツアー、旧交をあたためる同窓会の幹事代行業、居場所づくりと健康増進に役立つよう改装したイオンのショッピングセンターなどだ。
 懐の中のカネだけを見るのではなく、まず心に寄り添う。地道な努力が増える高齢者の共感を呼ぶ。(石鍋仁美)

電通シニアプロジェクト代表 斉藤徹氏
■証言 斉藤徹・ソリューション開発センターフォアキャスト研究部主任研究員
 西武百貨店や流通産業研究所などを経て1997年から電通で高齢者関連のプロジェクトに携わる斉藤徹・ソリューション開発センターフォアキャスト研究部主任研究員(60)にシニアマーケティングの課題を聞いた。(以下談)
 日本の高齢者市場は団塊世代とともに動いてきた。国鉄のフルムーンパスのCMも、モデルの2人は60代以上だが利用の下限は夫婦で88歳から。これから増えるミドル層を意識したとわかる。
 日本の高齢者は長く「福祉」の対象であり、「消費者」とみられなかった。遊び、学びなど消費の対象として意識され始めたのが平成以降、しかも2000年を超えてから。人口減少が本格的に課題となり始めたためだ。
 団塊向け雑誌がうまくいかなかったのは、若者雑誌の手法で「入門」記事を載せたから。長く生きた人に浅く広く総合的な情報は役立たない。高齢者といっても一様ではない。よく「アクティブ(活動的な)シニア」というが、皆がアクティブであるはずがない。
 長寿化の結果、長生きの不安も膨らんでいる。悠々と引退するわけにはないかない。ハッピーリタイアは幻想だ。12年から定年が延びた団塊世代が引退し始めたが、以前と異なり、幅広い視座から取り組む企業が増えている。
 団塊世代も70代。これから企業に必要なのは、高齢者の課題の解決につながるビジネスや商品だ。健康志向の食品、自宅周りで買い物が済み娯楽も味わえる施設や催しなどが求められる。
 在宅介護をする家庭に合わせた家庭用洗剤、高齢者が家を借りる時の支援などで成功例が生まれている。一網打尽型の大ヒットではなく、規模は小さいが確実に役に立つ企画や商品、サービスが有望となるのではないか。
キーワード
■「自然体」と「センス」
 40代から60代の中高年が言われてうれしい言葉を、博報堂「新しい大人文化研究所」が継続的に調べている。2015年調査では「センスがいい」が初めて「若々しい」を上回り首位になったそうだ。3割を超す支持を集めたこの2語に比べ、「成熟した」は6%台。自分自身がどうありたいかという質問でも「あるがままの自分・自然体の自分でありたい」が「いつまでも若々しい大人でありたい」を上回った。
 昭和の頃、高齢者は落ち着きや枯れ、悟りを備えた成熟、円熟した姿が良しとされた。若さは未熟と同義だった。しかし平成の高齢者は成熟よりも若々しさを目指すようになる。そして今、次の段階として、時に痛々しい若さ志向よりも、「自然体」と「センス」がミックスした無理のない元気さ、前向きさが求められ始めたと同研究所の阪本節郎所長は読み解く。ポスト平成のシニア像かもしれない。
■終活
 「終活」の新語が誕生し、従来「縁起でもない」と避けてきた「死」を巡る議論が活発になってきた。墓のデザインや葬儀の演出といったわかりやすい話題を入り口に、死までの時間をどう充実させるか、医療や延命をどこまで求めるかなど、深い議論が始まりつつある。
 主導者は大衆になじみのある文化人、特に女性だ。内館牧子さんは小説「終わった人」「すぐ死ぬんだから」で高齢者の本音を描き、橋田寿賀子さんは尊厳死や安楽死への考え方を提言。樹木希林さんはがんとの共生や死の受容を実践してみせた。男性でも脚本家の倉本聰さんは高齢者の集合住宅が舞台のドラマ「やすらぎの郷」でまだ生臭く、艶っぽいが、仲間の死を前に寂しくも思う姿を活写し高視聴率を獲得した。
 ポスト平成は団塊世代が人生の完成期を迎える。数の力で社会制度を変えヒット商品を生んだ集団は、幕引きでもその力を発揮しつつある。
■孫
 平成のシニア市場で一時、期待を集めたキーワードが「孫」だった。学費や住居購入の援助、3世代レジャーの支出負担など、孫のため、あるいは孫と過ごす時間のためなら財布のひもも緩むだろうとの期待があった。自治体も「祖父母手帳」の発行や講座の開設などで「孫育て」に参加しようと呼びかけた。
 実際、祖父母の家事・育児支援は女性の社会進出を支えた。一方で今のシニア層に「孫疲れ」感が広がりつつあるのも事実だ。誰もが経済的に余裕があるわけではない。趣味や友人との交際で日々忙しいシニアにとっては、保育園の送り迎えなどはかなりの負担だ。帰省に伴う孫の世話は高齢者にはストレスだとの調査結果も出た。子育て中の夫婦が「お金と時間に余裕があるが、孫の世話以外に楽しみに乏しい」という昭和の高齢者像を自分の親に期待すると、思わぬ不和を招くことになる。
■神保町
 シニアの世代交代に伴い人気の街も変わりつつある。東京の例では、これまで高齢者に人気の街といえば巣鴨か日暮里だった。昔ながらの商店街があり、和菓子や総菜の店、茶屋、神社、寺などが並び散歩やおしゃべりを楽しめる。主な支持者は女性だ。
 これに対し近年、中高年の間で人気が高まってきたのが神保町だ。こちらは男性の姿が目立つ。本来は学生相手の古本屋街だが、中高年が店主となり、同世代を意識した趣味的な古書店を開く例も出てきた。映画、音楽、古い雑誌やサブカルチャーなど、従来型の古書店とは少し品ぞろえが違う。もっぱら昔の日本映画を上映する映画館も誕生し、平日の昼間からシニア男性が詰めかけている。
 こうした新世代シニアの需要は東京に限らない。これからの街おこしのヒントが神保町に詰まっている。


 平成は少子化ショックとともに始まり、克服できないまま終わろうとしている。世界で最低レベルの出生率に落ち込みながらも、政府内は「いずれ第3次ベビーブームがやってくる」という楽観論が根強く、対策が後手に回った。回復基調にあった出生率もこのところ頭打ち。深刻な少子化は世界に類を見ない高齢社会を出現させた。

https://www.nikkei.com/content/pic/20190209/96958A9F889DE6E3E2E0E0E7E2E2E2E5E2E0E0E2E3EB869FE3E2E2E2-DSXMZO4102248007022019TM1001-PB1-5.jpg

 君は来るか 僕の腕に この空は青いか 見つめてみないか――。1993年2月19日に厚生省(当時)が主導する「WELCOME BABY キャンペーン」ソング「僕らが生まれた あの日のように」は発売された。作詞・作曲は小田和正さんと飛鳥涼さん(CHAGE&ASKA)。玉置浩二さんやカールスモーキー石井さん、浜田麻里さんら時代を代表するミュージシャンも多数参加し、子どもを持つ素晴らしさを高らかに歌い上げた作品だ。
 平成初年の89年、合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産むと推計される子どもの数)が1.57に落ち込み、戦後最低を更新。「1.57」ショックといわれた。
 2004〜06年に内閣府参事官として国の少子化対策を担う増田雅暢氏は81年に厚生省に入省。当時は少子化担当ではなかったが「今振り返れば牧歌的な対策。人気歌手を動員し、キャンペーンを張れば出産が増えると少子化を軽くみていた」と指摘する。
 「僕らが生まれた あの日のように」はシングルCD年間売り上げで50位以内に入り、楽曲としては成功した。だが最新の出生率は1.43(17年)。1.57を一度も上回ることなく、平成は終わろうとしている。
 人口維持の分岐点は出生率2.07だ。この水準を下回りながら、政府も「第3次ベビーブームがやってくる」と楽観していた。
 最初のベビーブームは終戦直後。このとき生まれた団塊世代が結婚・出産の適齢期を迎えた70年代前半に第2次出産ブームは起きた。そしてその団塊ジュニア(71〜74年生まれ)が適齢期を迎えればやがて3度目のブームが来ると踏んでいた。
 将来推計人口では出生率の見通しが甘く、00年代前半まで下方修正を繰り返す。甘い期待は外れ、平成に入って間もなく、バブル経済が崩壊。経営難に陥った企業は新卒採用を絞った。学校を卒業しても正社員になれず、若者世代の非正規化が進んだ。
 団塊ジュニアはそのあおりを真正面から受けた。中京大学教授の松田茂樹氏は「非正規雇用だったり正社員であっても収入が低かったりした男性は結婚できなかった。雇用劣化が未婚化を促し少子化に拍車をかけると当時の政府は見抜けなかった」と説明する。
 出生率低下に歯止めがかからず、政府も90年代後半にようやく本腰を入れる。保育サービスの拡充や仕事と子育ての両立支援などを柱とする少子化対策推進基本方針を99年12月にまとめる。
 01年に厚生、労働両省が統合され、厚生労働省が誕生。初代の雇用均等・児童家庭局長に就いた岩田喜美枝氏は「01年5月に小泉純一郎首相が所信表明演説で待機児童ゼロ作戦を打ち出した。総理のお墨付きで、財務省との予算交渉がしやすくなるなど保育所整備が加速した」と振り返る。この時期の成果は03年に制定した次世代育成支援対策推進法だ。
 従業員301人以上(現在101人以上)の企業に子育て支援計画作りを義務付けた。法定を上回る育児休業や短時間勤務、在宅勤務などが普及。出産しても働き続ける女性社員が増えた。SCSKは同法に基づき3年の育児休業や妊娠期にいつでも取れる有給休暇などを導入した。「制度が整い、社内の出産が増えている。働きながら2人目、3人目を出産する女性がここ10年で2倍以上になった」(同社)
 企業の両立支援が整い、出生率も05年の1.26を底に回復傾向を示した。ただ、いまだ待機児童が解決できていないなど積み残された課題も多い。出生率はここ数年は横ばい。出産数の減少はさらに深刻だ。平成を3つに区切って年間出産数の減少をみると平成元〜10年は4万4千人減にとどまっていたが、平成11〜20年8万7千人減、平成21〜30年14万9千人減(推計値)と減少幅は拡大した。
 増田氏は内閣府参事官(少子化担当)を務めた2004〜06年に「団塊ジュニアが出産期にいる10年までが最後のチャンス」と政府内を説いて回った。
 だが財政再建や高齢者向け施策が優先され、少子化対策に十分な財源を確保できなかった。「子どもを産み育てられる年齢層が格段に減った今、保育の無償化など思い切った施策を打っても手遅れ。適切な時期に有効な手立てを打たなかったツケは未来に回る」
        
(石塚由紀夫)
証言 川本敏・元経済企画庁国民生活局審議官

川本敏 経済企画庁国民生活局審議官
 1993年1月に経済企画庁国民生活調査課長を務めていた私の手元に、通常国会冒頭で経済企画庁長官が行う経済演説素案が届いた。ざっと読み、目を疑った。少子化に関する記述が全くなかったからだ。
 国民生活調査課は国民生活白書を担当する。前年11月にまとめた92年版国民生活白書の副題は「少子社会の到来、その影響と対応」。89年に合計特殊出生率が1.57に落ち込み、戦後最低を更新した。少子化は将来日本に大禍を及ぼすと考え、92年に課長に就くとすぐにその年の白書のテーマを少子化に決めた。実際、白書が世に出ると大きな反響を呼んだ。ちなみに広辞苑(岩波書店)は「少子化」について「1992年度の国民生活白書で使われた語」と今も記述する。
 白書で話題になったテーマは翌年の経済演説で言及するのが通例だ。だから当然、少子化に触れると信じて疑わなかった。問題の深刻さを理解していないと怒りに駆られ、担当部署にすぐに電話し、修正を迫った。だが担当者は「時間的余裕がない」と素っ気ない返事。少子化は政策に乗せて早く対応を取っていくべき重要な課題だという認識が経済企画庁も当時薄かった。国立社会保障・人口問題研究所の将来人口推計も出生率はやがて回復するとみていた。政府内でも楽観論が支配的で少子化対策は着手が遅れた。
 保育サービスの充実や労働時間の短縮、男性の家事・育児参加など白書が提示した少子化対策は今でも色あせない。「30年近くも前にこれだけの有効策をよくまとめましたね」と今でも言われる。そう話す人たちは白書を賛辞する気持ちなのだろう。だが担当した我々にとっては当時の問題がほとんど解決されず時間が流れたことを意味し、少子化に歯止めをかけられなかった責任を感じている。
キーワード
■未婚率

https://www.nikkei.com/content/pic/20190209/96958A9F889DE6E3E2E0E0E7E2E2E2E5E2E0E0E2E3EB869FE3E2E2E2-DSXMZO4102243007022019TM1001-PB1-2.jpg

 平成の少子化は未婚率の上昇が主因だといわれている。30代前半女性の未婚率は1990年13.9%だったのに2015年34.6%に上る。生涯未婚率も年々上昇し、15年に男性23.4%、女性14.1%に達した。ただ、出生動向基本調査でみると「一生結婚するつもりはない」とする独身者は15年男性12.0%、女性8.0%にとどまる。92年(男性4.9%、女性5.2%)と比べて増えているが、現実の生涯未婚率が大きく上回る。結婚するつもりはあっても「できない」「しない」のが実情だ。少子化が深刻な地域は自治体主導の「官製婚活」に力を入れている。
■少子化の罠

https://www.nikkei.com/content/pic/20190209/96958A9F889DE6E3E2E0E0E7E2E2E2E5E2E0E0E2E3EB869FE3E2E2E2-DSXMZO4102241007022019TM1001-PB1-2.jpg

 出生率の低下は先進国共通の現象だ。終戦直後に各国はベビーブームに沸いた。その後、低下傾向に転じて1970年代以降は多くが出生率2.0を割り込む。ただここから2つのグループに分かれた。フランスや英国、スウェーデンなどは上昇に転じ、日本やドイツ、イタリア、スペインなどは低迷から抜け出せない。保育サービスの充実や子育て手当の拡充、仕事と子育ての両立支援などで国が有効な対策を打てたか否かが、グループの分かれ目といわれる。「男は仕事、女は家庭」といった性別役割分担意識が強い国ほど低迷から抜け出せないともいわれている。
 低出生率が常態化するほど回復には多くのコストと労力が必要になるため、少子化の窮地から抜け出せなくなってしまうとする説もある。こうした状況は「少子化の罠(わな)」と呼ばれる。日本は平成の30年間で少子化の罠にどっぷり嵌(は)まってしまった。近年ドイツが低迷グループから抜け出し、少子化の罠から逃れようとしている。男性も使いやすい育児休業の導入や児童手当の拡充などが奏功したといわれる。ただ2016年の年間出生数約79万人のうち、母親が外国人の子どもが18万5千人を占めるなど移民の急増が出生率回復に寄与したという特殊事情もある。日本は希望出生率1.8を目標に掲げるものの、従来施策の延長で少子化の罠から脱出するのは容易ではない。
■リプロダクティブ・ライツ
 1994年に国際人口開発会議(カイロ会議)がエジプトで開かれ、子どもを産むか否かの決定権(リプロダクティブ・ライツ)は個人が持つ重要な権利だと確認された。国力増強を目的にした国による介入は制限された。日本も戦前の41年に「人口政策確立要綱」を閣議決定し、富国強兵のために「産めよ増やせよ」を提唱した。その反省もあり、深刻な少子化に陥っても政府はリプロダクティブ・ライツを尊重し、出産奨励策は採っていない。ただ与党国会議員は「子どもをつくらない女性(の老後)を税金で面倒見なさいというのはおかしい」(2003年)、「女性は産む機械」(07年)といった失言を繰り返し、その度に女性の反感を買った。女性のライフスタイルが平成に多様化してきた一方、女性は子どもを産んで当たり前といった固定観念も根強く残る。女性が生きづらさを感じる社会環境は女性を出産からますます遠ざける。

2. 2019年2月09日 12:41:22 : zdKGiunAs0 : IQ6AhH25DvA[5] 報告
>保育サービスの充実や子育て手当の拡充、仕事と子育ての両立支援などで国が有効な対策を打てたか否かが、グループの分かれ目といわれる。「男は仕事、女は家庭」といった性別役割分担意識が強い国ほど低迷から抜け出せないともいわれている。

これ、赤川学が検証して否定的な結論を出している。
広くいろいろな国を見れば、女性の社会進出が進めば少子化になるし、特定の国の歴史もそう。また、日本独特の雇用人事の問題を差し置いて仕事と子育ての両立といっても難しいだろう。

3. 2019年2月09日 13:58:18 : ZzavsvoOaU : Pa801KbHuOM[258] 報告


赤川学が否定的なのは、子育て支援策

そして彼は別に日本人が消えても、子育て世帯が苦しんでも、あまり気にしないタイプ

www.amazon.co.jp/子どもが減って何が悪いか-ちくま新書-赤川-学/product-reviews/4480062114/ref=cm_cr_arp_d_viewpnt_rgt?filterByStar=critical&pageNumber=1

5つ星のうち2.0誰のリバタリアニズムか知りませんが
2014年2月13日
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2004年の本です。たまたま図書館で手に取ったので拝読させていただきました。2014年現在から見て当然ながら、相当内容が古めかしく感じます。
今や男女共同参画うんぬんの騒ぎではなく、男女ともに働かずに子供を育てられる家庭はわずかです。いまの社会で子供を育てるのは一定の「社会的リスク」を負うと自覚しながらも、それぞれが勇気と愛情を持って出産・育児するというのが若い人の共通感覚ではないでしょうか。著者がいう「少子化は受け入れて制度設計」をという議論はもうすでにされておりますし、実際そうするしかないでしょう。

著者は「子供がどんな重度の障害をもって生まれてきたとしても、愛情をもって育てる覚悟を持てた男女だけが子供を産めばよいのだ」
と記します。著者が障害のあるお子さんをお持ちなのかは存じ上げませんが、はしばしで顔を出すリバタリアニズム的文脈になんだか心に空っ風が吹くような気持ちになり、寒気がしました。

また、筆者は、ロールズの正義論、格差原理から考えると、子育て支援・両立支援は「到底正当化されない」所得移転だといいます。
「産んでも産まなくてもサンクションのない社会を」といいながら、「子供を産んだ人たちがもたない人たちよりも恵まれていないはずはない」と断言してしまうところが疑問です。こんな論理はある意味サンクションではないでしょうか。
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sc
5つ星のうち1.0単に想像で書いただけの本
2015年12月30日
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データの裏付けも無く、単に世間知らずの学者が想像だけで書いた本。多少なりとも海外とやり取りする仕事をした経験がある人が読めば、この著者の意見に賛同出来ない点が多く戸惑うだろう。この著者の思想を簡単に述べると、@日本が滅びる事は全く問題ない。A中国様が日本に悪意をもつこと等有り得ない。B子育てで苦労する人を助ける必要など、全く無い。C人に貢献する人と、全然しない人、両者を全く公平に扱うべきである。D世間の人は皆、自分だけが大事で他人はどうでも良い。自分も他人も皆、そう思っている筈だ。・・・こんな感じである。 
この人の主張は全く世の訳に立たない。想像だけで、全く人の役に立たない主張を述べる、有害無益な本である。
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たこたこ屋
5つ星のうち3.0これぞ研究
2008年6月19日
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一般に普及している言説に真っ向から挑む姿勢が日本の学者には求められています。この本の中ではリサーチリテラシーという言葉が使われていますが、研究に限らずメディアリテラシーの向上を図る必要があると思います。
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5つ星のうち3.0民よ、明日のない策と知っても……
2005年1月20日
形式: 新書
著者のあとがきによれば、キャプテンハーロックは、「男には、負けるとわかっていても戦わねばならない時がある」と述べたそうだ。 著述の倫理的動機がアニメの登場人物のセリフというのはすごいが、主張していることはきわめて「正論」だ。
「男女共同参画」派の知識人たちが、自派の言説を補強するためだけに、統計データをいいかげんに扱っているのは、国民を騙す行為であり、けしかんという著者の指摘はそのとおりだし。
「男女共同参画」が必要なら、必要とどうどうと主張すればいいのであって、そのせいで小子化するなら、そのデメリットを国民が公平に負担するシステムをきちんと構築すべしという主張も正論だ。
小子化は、都市化の進んだ豊かな社会におとづれる「必然」であって、いいかげんな政索でそれを回避しようとすれば、かえって悲惨な事態を引き起こす可能性もある。まして小手先のデータ操作で、有効性のない政索をあたかも有効であるかのように見せかけるのは言語道断ということか…。
ただ、既得権益のからむ政治的な場面で、この著者の主張がどれだけ支持されるかは疑問だ。公平な負担というのは、現在、利益を得ている者にとっては、損害を意味するからだ。私たち国民は、宇宙海賊の倫理を、どこまで受け入ることができるだろうか?
本当は星は四つでもよかったのだけれど、主張が正論すぎるところが、どこかひっかかって星三つ。
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くろやぎ
5つ星のうち3.0オタク学者(?)が書いた問題提起本
2005年4月18日
形式: 新書
 著者は、男女共同参画社会を目指すのは結構なことで自分も賛成であるが、それが出生率を上昇させるというのはウソだ。と言いきります。そもそも10年前には「女性の社会進出が少子化の原因」と語られていたのに、短期間に少子化の原因が180度逆転するのはおかしい。その論拠となる統計は、一部のデータがわざと外されているような恣意的なデータなのだから、学問に携わる者の務めとして「間違っているものは間違っている」と発言することにしたのが本書です。
 1章から3章までは、「男女共同参画社会の実現は出生率低下に影響を与えない」ということを、重回帰分析を駆使して数字で証明します。
 4章からは、子どもを産んだからといって報奨されるのはおかしい、共働きが夫婦にばかり優遇するような制度は、お国が国民の生活の方向性を規定しようとすることだから、「選択の自由」の理念に反している。と、ますますパワー全開です。とうとう本書のタイトルである「子どもが減って何が悪いか!」を叫び、「現行の年金制度が破綻するなら、新しい方式にすればいい」と大胆に言い切りました。
 どうも、学者としての良心に忠実であろうとしているようなのですが、読んでいて、ちと疲れました。
 「選択の自由」のためには、何かを選択しても懲罰も報奨されない制度が望ましい、というのは、正しい理念なのかもしれません。でも、実際の私たちの生活は、配偶者控除や児童手当や奨学金などの“報奨”を国から受けています。ヘンな理念に合わせるために、これらを全廃するなんて無理な話です。
 政治は妥協と駆け引きの産物ですから、学問の世界から正論を叫ばれてもタテマエにしか聞こえません。
 本書のタイトルは、機動戦士ガンダムでブライト・ノアが「殴って何が悪いか!」と叫んだのをもじったものとか。
 自らがオタクであることを隠さない元気な学者が書いた問題提起本でした。
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あぶはち
VINEメンバー
5つ星のうち3.0タイトルが不適
2005年1月13日
形式: 新書
難しいですから、タイトルのインパクトにつられて安易に読むと、訳が分からなくなるのと同時に、期待を裏切られます。
このタイトルなら「子どもが減ったって、ちっとも心配することはないんだあ!」という内容に思えるじゃないですか。
現行の少子化対策を丁寧にくそ丁寧に反証しているのはなるほど凄いですが、だから「子どもが減って…!」という、タイトル通りの結論に落ち着いているとはとうてい思えません。せいぜい「子どもが減っても、ま、大丈夫ですよ。考え方次第ですよ」というのが関の山です。
だから、そういうつもりで読んでください。
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T.Amakusa
5つ星のうち3.0研究者、何やってんの!
2006年3月1日
形式: 新書
 「少子化問題」と「男女共同参画社会」はセット関係なのか。「少子化」の傾向は問題といえるのか。つまり、タイトル通り「子供が減って何が悪いか!」についての論考。

 著者は「男女共同参画社会」と「少子化」をセットで説明する研究者のデータの恣意的操作・読み取りについて、研究者の立場としてフェアではないと批判している。また「少子化問題」のみについても、データの恣意的操作・読み取りがあり、対策についても、逆効果の可能性さえもあると指摘している。

 しかし、だからといって「男女共同参画社会」について否定しているわけではなく「望まない性別や性役割を拒否したからといって、いかなる不利益も被るべきではない」一方で「自ら望む性別や性役割を生きる自由も尊重されなければならない」と主張。

 ここまでは納得だが、「少子化がもたらすデメリットを、出生率回復で克服するのではなく、低出生率を前提とした制度設計によって、社会全体でその負担を引き受けるべき」という著者の結論には賛成しかねる。少子化のメリットをもっと積極的に模索していくべきではないかと思う。よって☆☆☆。文章そのものは読みやすいが、データの解釈については、よくわからないものもある。タイトルは『機動戦士ガンダム』ブライト・ノアのセリフから。
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canberraact

5つ星のうち2.0「社会学」の問題解決能力の欠如を露呈
2005年1月8日
形式: 新書
本書は、少子化現象に伴って、女性の勤労と子育ての両立を支援するという内容の「男女共同参画社会政策」に関する言説が、統計上はそれが実際には少子化解消には貢献しないと明らかにした上で批判したものである。
評者としては、本書の存在意義はきわめて低いと評価する。それは、本書は単にフェミニズム系論客の批判に最終的には終始しており、本文の中で繰り返し述べられる「少子化を前提とした社会制度設計」には、何ら問題解決策を提示しないものであるからだ。
すなわち、著者が最も重点を置くのが、統計学的解析を用いた、「男女共同参画社会政策」にまつわる言説批判であるが、これが、統計を丹念に用いて「実態」を明らかにするというよりも、言説批判のための単なる対抗言説であるという印象しか受けない。それは、このような新書においては、読者層の設定ということからも、統計的専門用語は出来る限り回避し、議論の本質を丁寧に提示すべきであるが、そうした作業にはあまり関心がないことにも示されている。
こうしたことは、もし統計の専門家が新書を執筆すれば通常では行われないと思われる。しかし、著者自身の専攻は「歴史社会学」であるということからも、言説批判のために拙速に統計的手法に飛びついたと指摘されても致し方ないであろう。
このことで示されるのは、著者であれ、著者が批判する「参画社会派」であれ、観念論的傾向に走りがちな「社会学」の問題解決能力の決定的な低さということであろう。同じ問題を取り扱った新書としては、マクロ経済の観点による『人口減少社会の設計』がはるかに有益な指摘を行っている。
少子高齢化をめぐって多種多様な論争が繰り広げられる中で、さまざまな書物が刊行されている。そうした中で、本書は、そうした「市場の広さ」に伴って発生しがちな、言説の世界に終始し、問題解決に何ら貢献しない「低質の議論」というべきものであろう。
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https://telling.asahi.com/article/11765635
東大・赤川学先生、「子育て支援は独身税」じゃないですよね!? 

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