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年金激減がやってくる
「無定年」時代を生き抜く3つの働き方
ニュースを斬る
2018年10月5日(金)
田村 賢司、武田 安恵、吉岡 陽
年金財政の逼迫で、長く働き続けなければならない現実が迫っている。いわば、定年がなくなる「無定年」時代の到来だ。60歳で定年を迎え、悠々自適の余生を送ることは、もう期待できない。シニアになっても働き続けるとはどういうことか。3人の働き方からヒントを探ってみた。
「綿密にシミュレーションをしましたよ」。そう明かすのは、今年3月に大手メーカーを退職した室芳樹氏(57)。役職定年を迎えたのを機に、40代で取得した中小企業診断士を生かした仕事を手掛けようと考えた。
働くシニアが増えている(写真:Trevor Williams/Getty Images)
もっとも、住宅ローンが残っている室氏。子供も小学6年生とまだ小さい。65歳以降に年300万円ほど年金を受け取れるはずだが、少なくともそれまでは稼がないと貯蓄を取り崩すだけだ。
そこで将来の家計収支を試算した。
まず、前提に置いたのは100歳時点でも生活ができること。そして自身の資産や貯蓄と、将来、受け取る年金の予想受給額から見込まれる収入を計算し、生活費や医療費などの想定支出額と照らし合わせた。65歳以降の年金については70歳までは貯蓄に回すことを条件にした。「健康なうちは働き続けたいから」と室氏は話す。
そうしてはじき出されたのが、年収300万円は必要ということ。今はまだほとんど収入がないが、まずは中小企業経営者の人脈を広げようと、様々な交流会に顔を出す。「今は将来に備えた『種まきの時期』。2〜3年で目標を達成したい」と室氏は意気込む。
役職定年を一つの区切りに独立の道を選んだ室氏。一方で定年後も会社に再雇用されて、とどまり続ける道もある。もっとも、それも厚生年金の受給が始まるまで。多くの再雇用者は65歳までに雇用が打ち切られる。
再雇用後も仕事探し
山田孝一氏(仮名、64)は、再雇用されてからも「次の職場」探しをしていた。年齢が高くなればなるほど求人は減り、仕事もなくなるからだ。希望したのは待遇面が嘱託時代と同水準で、社会保険にも加入し、厚生年金を払い続けられるところ。年金を払い続けられれば、本当にリタイアした時に得られる年金額も増える。
見つけたのはギョーザ製造工場の仕事。今は週5日、朝5時半から午後2時半まで働く。職場には70歳過ぎても働き続ける人もいるという。ギョーザ工場はそれまでのキャリアとは全く違う仕事ではあるが、山田氏は「すべてが新鮮」と満足そうだ。
シニアが働き続ける理由は様々(写真:Yagi Studio/Getty Images)
「無定年」時代を生き抜く上では健康であり続けることも肝心だ。年齢を重ねるほど、医療費は膨らむもの。医療費がいくらかかるかで、家計の収支は黒字にも赤字にもなる。いつ来るともしれない「年金激減」に備える上でも、健康寿命を延ばし、医療費をできるだけ抑えることが必要になる。
そんな生き方を体現するのが、食事の宅配サービス「ワタミの宅食」の配達スタッフとして働く田中茂雄氏(84)だ。平日の朝9時に自宅から自転車で10分の営業所に出勤。その後、配達用の電動自転車にまたがり、3時間ほどかけて、近隣の25軒ほどの契約者の家を回って弁当を届ける。
毎日、体を動かしていることが健康の秘訣。田中氏は夫婦ともども医療費がかかることがほとんどないという。しかも、地域の人から必要とされている実感を得られることも大きい。弁当の配達先は田中氏と同年代の高齢者が大半を占める。その多くが単身世帯。「昨日から誰とも話していないんだよ」。一人暮らしの利用者から、そんな声を聞くこともしばしばだ。仕事を通じて地域を支えている。その誇りが、田中氏が働き続ける原動力になっている。
現役世代の未来図ともいえる3人の働き方。だが、本当に働き続けなければならない「無定年」時代は来るのか。その足音は確かに迫っていることは、この夏示された、ある試算が裏付ける。
詳細は2018年10月8日号の「日経ビジネス」、「日経ビジネスDigital」で公開します。
このコラムについて
ニュースを斬る
日々、生み出される膨大なニュース。その本質と意味するところは何か。そこから何を学び取るべきなのか――。本コラムでは、日経ビジネス編集部が選んだ注目のニュースを、その道のプロフェッショナルである執筆陣が独自の視点で鋭く解説。ニュースの裏側に潜む意外な事実、一歩踏み込んだ読み筋を引き出します。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/100400866
中高年は「肩書のない余生」に備えよ
和田秀樹 サバイバルのための思考法
人生を決定した小室直樹先生との出会い
2018年10月5日(金)
和田 秀樹
いつかは肩書がなくなる(写真:PIXTA)
たまたま、とある医学の世界の重鎮に招かれて、パーティのようなものに行ったのだが、驚くべき光景を目にした。今年58歳になった私と同年代か、それより少し上の東大医学部教授たちが、その重鎮に媚びを売って、猟官運動をしているのである。
東大の医学部の教授というと、受験の世界では最難関とされる東大医学部の卒業生の中の、勝ち組の中の勝ち組と言える存在である。
その彼らが、定年を数年後に控えて、次のポストのために実力者にペコペコしていた(これは私の主観かもしれないが、そうとしか見えなかったのである)。
私は、30代の後半から常勤の医師をやめ、フリーターのようなことを続けてきたので、定年なるものを意識したことはないが、「人生100年時代」には、定年後の余生があまりに長いので、現役のころの肩書がいくら立派でも、その後の人生のことを考えておかないとサバイバルできないと痛感した。
今回は、肩書が通用しなくなってからの生き方とその準備について論じてみたい。
週刊誌でのバイト時代に開眼した
実は、私が肩書に頼らない生き方、つまり、東大の医学部を出ている以上、東大は無理でもどこかの教授を目指すとか、大病院の院長を目指すというありきたりの人生でない生き方、を志したのは、大学5年生の夏のことである。
その頃、学校の成績が悪かったこともあるが、小室直樹という不思議な学者と出会ったことが、その後の人生を決定づけた。
当時、私は週刊プレイボーイという雑誌で、フリーの記者のアルバイトをしていた。キャンパス情報や医学ネタの取材記者を主にやっていた。
大学5年生の7月に、ある編集者から、今度、「小室直樹博士のヤング大学」という連載企画をやるから、東大生なり、議論のできるような学生を集めてくれと言われた。学生を集めるだけで、それなりの原稿料がもらえるので一も二もなく引き受けた。
当時、小室直樹氏の名前くらいは知っていた。世間で悪者にされていた田中角栄氏や戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏を擁護していた変わった学者という認識だった。
しかし、雑誌の収録用に講義が始まると、発想の斬新さに驚かされることの連続だった。私もそれほど教養がある方ではないが、恐らくは、世の中の定説とは違うものだろうというくらいのことはわかった。
それ以上に驚かされたのは、その生き方である。
京都大学を出て、当時、日本のトップレベルの経済学者を集めていた大阪大学の経済学研究科の博士課程を経て、米マサチューセッツ工科大学の大学院や米ハーバード大学の大学院で経済学を学びながら、社会学に転向して、日本の師に破門され、今度は東大法学部の政治学の大学院に入り、最終的に法学博士の学位を東大から受けるというのに、常勤の大学教員の地位を得ることはなかった。
深酒し路上で寝る破天荒な先生
そこで自主ゼミを開いたが、そこからそうそうたる面々を輩出している。最近、その評伝がでたのだが、そのゼミ出身者で彼を師と仰ぐ面々が推薦の言葉を寄せている。橋爪大三郎氏、宮台真司氏、大澤真幸氏、そして副島隆彦氏である。
東大非常勤講師以外に肩書のないこの学者は、家に電話も引いておらず、ときにお酒を飲み過ぎて、道端に倒れているという暮らしを営んでいた。私の上司の編集者が彼の話を聞いたり、原稿を書いてもらうために、電報を打ったり、道に倒れていないかを見に行ったりしているのを知り、肩書に頼らない生き方に憧れを抱くようになっていった。
妻をもらい、後に生活はかなり改まったようだが、執筆と講演は77歳で亡くなる直前まで精力的に続けられた。
のちのソ連の崩壊を日本で初めて(下手をすると世界で初めて)予言する本を、私が出会ったころすでに書いていた(誰も信じなかったようだが、この本は売れた)のだが、肩書より言っていることの面白さで生きる方がずっとすごいと憧れることになったのだ。
肩書欲しさに重鎮にペコペコ
僭越なようだが、このときの決意が今の自分(小室先生ほど世間の評価は高くないだろうが、肩書に頼らず、700冊以上の著書を出し、映画監督など好きなことができているのは確かだ)のベースとなっている。引退のない仕事なので、定年の心配もしていない。
一方で、私が医学界の重鎮のパーティで見たのは、60歳近くなって、肩書の呪縛から逃れられない人たちである。
東大教授を退官した後、医者の免状があるのだから、開業もできるだろうし、週の半分も医者のバイトをすれば、子どもが独り立ちしていれば十分生活でき、趣味の世界に生きることもできるはずだ。それでも東大を退官後も立派な肩書が欲しいから、くれそうな人にペコペコしているように見えた。
ただ、一つ言えることは、仮に別の大学の医学部で教授のポストを得たり、大きな病院の院長職を得られたとしても、70歳前後で、それも引退しないといけなくなる。
60歳前後で開業するなら、そこから流行るクリニックも目指せるが、70歳過ぎだと、いくら元東大教授でも難しいだろう。文筆であれ、新たな医学ビジネスであれ、別の世界でデビューするならなおのこと難しくなるだろう。
私も長年、老年精神医学に取り組んできているが、定年前の社会的地位の高い人に限って、定年後、引退後の適応が悪く、それ以降の第二の人生を見出すのが困難な人が多いし、うつのようになる人も多い。
最後は誰しもフリーターかニート状態に
運よく定年後、例えば官僚の天下りのような形で、それなりのポストを得られることがあっても、それは有限である。自営でないので、ある年齢がくるとその地位を去らないといけないのだが、今の時代は、その後の人生が長すぎるのである。
平成29年の厚生労働省がまとめた生命表によると、60歳男性の平均余命は23.72年、70歳男性の平均余命は15.73年、女性の場合は、70歳で20.03年ということである。70歳まで、運よく肩書を得られたとしても、男性で15年以上、女性は約20年、残りの人生が待っている。
私の経験と人生体験から言わせてもらうと、肩書に頼らない生き方の準備やスタートは早いに越したことはない。20代のフリーターを見て、いつになったら定職につくのだと見下す人は多いが、人間、最終的にフリーターやニートに戻ることを考えると、そういう人生でしぶとく生きるすべを身に着けている人の方が老後の適応がいいことさえ考えられる。小室直樹は雑誌の企画で、なんと自分のことを「ルンペン」と自称して、対談相手だった横山やすしを激怒させたことがあると評伝に書かれていたが、若い時期から肩書きに頼らず影響力をもつという生き方を続けてきたことが晩年の旺盛な執筆活動や講演活動につながったようだ。
定年後に起業する人のためのコンサルタントと対談したことがあるが、成功するのは、みんな40代で準備した人だそうだ。定年後に始めると前頭葉の老化のためにいいアイディアが浮かびにくいし、定年前から準備をしておくと人脈が作りやすいとのことだった。
もちろん、現役時代は、少しでも高い社会的な肩書を得ようと苦闘するのを否定する気がないし、みんながそのような形で頑張らないと社会が成り立たないのも事実だろう(人工知能や人間以上の能力を有するロボットの時代になるとそれもわからないが)。ただ、いつかは肩書を外さないといけないという覚悟と準備が必要だと言いたいのだ。
天賦の才は無関係
ここまでのことを読んで、例えば、小室直樹が会津の歴史に残る秀才だったからとか、小生が医者の免状を持っていたり、たまたま文筆の才能を持っていたから、そんなことが言えるのであって、自分には無理と思われた方もいるかもしれない。
小室先生はともかくとして、私は文筆の才能などあるとは思っていない。高校時代まで、国語の学力や作文の能力は、灘という学校の中とはいえ(灘校にしても数学は全国でトップレベルだったが、国語は並の上くらいの気がするが)ビリに近い状況だった。
たまたま学生時代に雑誌のライターの仕事をもらって編集者にボロクソに言われながら直してもらった(今のこの連載だって、相当、編集者に直しを食っている)たまものだし、長い間文筆業をしていると書き慣れも生まれてくる。
現在は、ブログというものがあるので、面白い体験やものの考え方をしている人が肩書に頼らずにそれで生活をしているようだ。どうしても著書を出すというと、それなりの実績や肩書がないと難しいのだろうが、ブログの場合は、誰でも参入できる。
うつ病から人気ブロガーに
実は、最近、うつ病ブロガーのほっしーさんという人が本を出版するにあたって解説を頼まれた。
新卒3カ月で双極性障害を発症し、会社をやめることになった青年が、その闘病と回復から得られた経験をブログにしたところ、たちどころに人気ブログになり、それ(とそれにまつわる講演依頼)で生活ができるようになったとのことである。さらに、これまでいろいろと試してきたうつの対処法を一枚の表にまとめてマッピングしたところ、4万もの「いいね!」がついたから、それが出版につながったというのが編集者の話だった。
自分の闘病体験だって、肩書に頼らない飯のタネになるのである。
最近、スーパーボランティアの尾畠春夫さんが、行方不明の男児を発見して国民的なスターになったが、ボランティアを地道に続けていると日の目を見ることがあるという話は多くの人を勇気づけた。
私は、実は、臨床心理の大学院の教員を長年続けているのだが、私の大学院の場合、場所が東京・青山(今年から赤坂に移転)にあるという立地条件のよさと、大学の学部はどこを出ていてもいい(一般的には大学は心理系の学部を卒業していることが要求される)こともあって、いろいろな社会人が入学してくる。卒業して、試験に受かれば臨床心理士の資格(今後は公認心理師の資格も)を得られることが大きいようだ。
その中に、例年2〜3人大企業を定年退職になった人が入ってくる。心の問題に昔から興味があったとか、部下のメンタルヘルスで苦労したとか動機は様々だが、その年でも資格試験に合格する人が普通のパターンだ。
公認心理師という国家資格ができたので今後どうなるかわからないが、臨床心理士は国家資格でなかったこともあり、決して収入には恵まれる職業とは言えない。しかし、それなりの尊敬を受け、社会への貢献度も高く、また定年のない仕事と言える。
現役時代より収入が減っても生活できる人にはよい職業かもしれない。
こういう例を見ていると、昔より肩書に頼らない人生が実現しやすい時代になっている気がする。
ただし、ほっしーさんも尾畠さんも、あるいは臨床心理の大学院に入った学生も、それぞれの分野でまじめに取り組んできたから実を結ぶのも確かだ。例えば、ほっしーさんはものすごくよくメンタルヘルスの治療や対処法について調べていて、著書のゲラをみると、医者の私にも役立つ患者目線の情報が網羅されていた。
少なくとも、中高年以降になれば、肩書に頼らない人生の準備や情報収集を集めるのが、長寿社会のサバイバル術になると私は信じている。(=一部敬称略)
このコラムについて
和田秀樹 サバイバルのための思考法
国際化、高齢化が進み、ストレスフルな社会であなたはサバイバルできますか? 厳しい時代を生き抜くアイデアや仕事術、思考法などを幅広く伝授します。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/122600095/100300038
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