http://www.asyura2.com/18/hasan128/msg/305.html
Tweet |
騙されるな、空前の電気自動車(EV)ブームは空振りに終わる 次世代環境車の穴馬はLPG自動車か?
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57205
2018.08.27 大原 浩 国際投資アナリスト 人間経済科学研究所・執行パートナー 現代ビジネス
マスコミが騒ぐ新技術のほとんどは眉唾である
相変わらず次世代環境車の議論が盛んで、その本命として扱われるのが電気自動車である。
しかし、新聞やテレビで大騒ぎする「新技術」の大半は「空騒ぎ」に終わる。実現する前に起こる大ブームは、大抵、投資を引き寄せるためか、政治的思惑で過剰に囃し立てられるものだからである。
例えば、戦後しばらくして米国で「空飛ぶ自動車」がもてはやされた時期があって、米国のマスコミはもちろんのこと、権威あるシンクタンクまでが「空を飛ばない自動車は時代遅れのポンコツになる」というようなレポートを出していた。
だが、今でも空を飛ぶ自動車を実際に観たことがある人間はごくまれだろう。
また、20〜30年前に「常温超電導」なるものが日本の株式市場でもてはやされ「関連銘柄」が急騰したことがあった。が、こちらもいまだに常温での「超電導」(電気抵抗がゼロになるので、現在発生している莫大な送電ロスがゼロになる)は実現しておらず、絶対零度(マイナス273℃)あるいは、それよりも少し上くらいの環境でしか実現できていない。
現在「電気自動車関連銘柄」に投資をしている、あるいは「電気自動車関連産業」に就職を検討している読者の方々も、この事実をしっかり心に留めておく必要があるだろう。
さらに言えば、ここ20年くらい開発が停滞している「常温核融合」「量子コンピュータ」なども同じような運命をたどる可能性がかなりある。
さらにいうと、今、戦後何回目かの「AI(人工知能)」ブームがやってきている。だが、実のところAIはまだこの世の中に存在していない。
読者は、「じゃあ、IBMのワトソンとかはどうなの?」という突っ込みを入れたくなると思うが、IBMのワトソンは、あくまで「エキスパートシステムであって人工知能(AI)では無い」とIBM自身が説明している。
「エキスパートシステム」とは、例えばチェス・将棋・碁をプレイしたり、クイズに答えたりする「人間の脳の特定の機能」に特化したシステムである。
それに対して人工知能は、人間の脳の<音楽を奏でたり、今晩のおかずの献立を考えたり、方程式を解いたり、政治論議をしたり>という極めて多くの機能を再現しなければならない。そのような多機能なコンピュータが実現されるのははるかに先のことであろう。
1950年頃にはIBMが大型コンピュータ(文字通りビルほどの大きさの巨大な代物)を商用に発売。当時のビジネス界は、「コンピュータによって人間の仕事が奪われる」と現在のAI騒動と同じような混乱に陥った。
実はピーター・ドラッカーもその騒ぎの中で「管理職、マネージャーの仕事はコンピュータによって奪われる」という主張をしていた一人である。当時、管理職やマネージャーの仕事は書類を読んでハンコを押すような単純なものと考えられていたので、簡単にコンピュータ化ができると考えられていたのだ。
もちろん、現実にはそのころから管理職、マネージャーの数は爆発的に増大しているのであり、ドラッカーも著書の中で判断の誤りを大いに反省している。
政治主導の電気自動車、消費者は本当に買うのか
欧州あげて次世代環境車として推進していた「ディーゼル車」が大コケした後、ドイツを中心とした欧州の各国政府が急速に電気自動車普及へ舵を切ったのは明らかである。
また、中国が電気自動車導入に必死なのもアナログなガソリン自動車やハイブリッドでは日本勢に永遠に追いつけないからである。
しかし少なくとも現状では「ハイブリッド」が環境車の本命である。自動車自身で発電するため送電ロスがほぼない(つまり超電導が必要無い)だけでなく、これまで無駄に捨てていた、ブレーキを踏んだ時の抵抗力などもエネルギーとして再利用できるすぐれものである。
しかしこの分野ではトヨタやホンダ(特にトヨタ)が市場を席巻している。欧米や中国の政府が、自国メーカーが立ち打ちできない分野を無視するのも当然である。
マレーシアではプロトン、ロシアではラーダ(シグリ)のように、誰も買いたくないような自動車を国策(国産)として生産しているのは自動車産業が極めて政治的な象徴性(米国でもビッグスリーは国家の象徴)を持っているからだが、プロトンやラーダは愛国的な人々でも積極的には買いたくない製品である。
実用性に乏しい電気自動車も政府が独裁的に「配給」などの手段で普及を図ることも可能かもしれないが、中国は別にして民主国家ではそこまでの強制はできない。
今回の「電気自動車ブーム」が始まってすでに10年は経つと思うが、読者が街で電気自動車に遭遇することはまず無いはずである。逆にハイブリッド車とは数え切れないほど出会っているはずである。消費者目線で考えれば結論は明らかなのである。
第一、電気自動車は不便である
電気自動車はフィルクス・ワーゲンやダイムラーをはじめとするドイツ自動車産業の礎を築いたフェルディナント・ポルシェ博士(1875〜1951年)の時代から実用化されていた。
しかし、その後極めて安価な原油が採掘されるようになって、ガソリン自動車全盛の時代がやってくる。電気自動車が伸びなかったのは「電池」という決定的弱点があったことが大きな原因である。
化石燃料と比べ、単位質量あたりのエネルギー量が全く少ないうえ、それを補充するのに相応な時間が必要になるのである。
航続距離や充電時間の問題は、現在のリチウムイオン電池の技術の延長上でも、ガソリン自動車に肩を並べるレベルでの解決はできない。
例えば、テスラの電気自動車の航続距離性能が良いのは、簡単に言えばたくさん電池を並べたからに過ぎないのだ。その分、大型化し、高額化してしまっている。
また充電時間はもっと絶望的だ。日産「リーフS、X、G」(EV)の80%の充電を行うのに、急速充電で40分かかる。テスラ「モデルS」は専用充電器で80%から満タンにするのに30分から1時間必要である。三菱「i-MiEV」は80%充電するのに15分から30分であるが、それでも3分で出来上がるカップラーメンの5倍から10倍の時間である。しかも、例えば、2台分の充電設備しかないところに5台の車が一度にやってきたら、最後の車は最大2時間(充電時間が長めの1時間として)待たなければならない。
普通の人は最大90秒(意外かもしれないがこれ以上の待ち時間の信号は日本には存在しない)しかない交通信号の待ち時間でさえ耐えがたく思うのだから、この充電の問題が解決されなければ、消費者目線で考えて電気自動車が一般化するなどということは考えられない。
電解質を全く新しいものに変える「全固体電池」のような技術的ブレーク・スルーが無ければこの問題は解決できない。しかし、この全固体電池も研究が始まったばかりで、成功するとは限らないし、まして現在のブームに間に合うようなものではないのだ。消費者目線で考えて、これはとてつもなく大きな問題である。
さらに、電気自動車は電気代が安いことがメリットの1つだといわれるが、これが充電ステーションの普及に逆風となっている。
充電ステーションの販売価格には色々なものが上乗せされると考えられるが、家庭用電力料金を基本に考えると、1000km走るのに必要な電気代は約1000円である(日産ホームページの「リーフ」使用事例を参考にした)。
300km分充電したとして約300円。充電ステーションの料金に上乗せするとはいっても限界がある。30分から1時間も場所を占有されて雀の涙ほどの料金しかもらえなければ、誰も充電ステーションなど建設したくない。したがって商業レベルでは充電ステーションは普及しないということになる。
欧州各国や中国政府の電気自動車が普及する、させるという話は、官僚が頭で考えた机上の空論である。
その上、電気はクリーンでは無い
そもそも、燃料のガソリンの安定供給が長期に見込めるのに、電気自動車が脚光を浴びた理由は何か。
説明するまでもなく地球温暖化が世界的な問題として急浮上し、ガソリン自動車は二酸化炭素排出の元凶としてやり玉に挙がったからだ。
確かに電気自動車そのものは二酸化炭素を排出しないかもしれないが、いまだ発電所は化石燃料を燃やす方式が主流を占めている。
しかも、化石燃料を直接内燃機関で燃やす方式より、発電所から長い距離を送電し充電してからの使用となり、その間、相当なエネルギー損失が発生する。つまり電気自動車は、化石燃料の効率悪い使い方に過ぎない。結局、環境を破壊しているのである。
世界の発電を見れば、石炭火力が約40%、天然ガスが約20%、水力発電が約17%、原子力が約11%。原子力を含めれば、自称環境保護運動家が主張する環境にやさしくない発電が7割以上を占めているのだ。
しかも、今後、電気自動車が普及すれば今以上に莫大な量の電気が必要になるから、環境を破壊する発電所を新規に大量に建設しなければならなくなる。日本だけでも自動車は8000万台もあるのだ。
一方、再生可能エネルギーは実際のところ役に立たない。太陽光発電のように晴れた日の昼間しか発電できない役立たずはともかく、風力も24時間稼働するとはいえ、風速にはかなりの幅がある。
精緻なシステムで運営されている電力網にとっては、このような不安定な電気はシステムの維持に悪影響を与える「無いほうがまし」とさえいえるような代物である。
また、太陽光パネル設置のためにはげ山にするというような問題だけでは無く、使用済みの太陽光パネルの処分を環境を破壊せずに行うのは簡単ではない。
福島原発事故の前には、自称環境保護運動家たちが「原子力発電は二酸化炭素を排出しないからクリーンエネルギーだ」と主張していたが、彼らはいったいどこに消えたのだろうか?
電気に頼ると社会は脆弱になる
一時期は「火事が起こらない安全性」が強調されて人気を博していた「オ―ル電化」だが最近はほとんど耳にしない。東日本大震災の際に、オール電化は停電したらどうしようもないということがよくわかったからであろう。ガスの供給が止まるリスクよりも停電のリスクの方がはるかに高い。
石器時代、青銅器時代、鉄器時代という歴史区分があるが、現在は明らかな「電気時代」である。電気の供給が1週間止まるだけで、現代文明は崩壊するであろう。それなのに、電気の供給というのは極めて脆弱である。
日本ではシステムがきちんと管理されているので目立たないが、米国を含めた海外では停電は決して珍しくない。
しかも、地球温暖化よりもはるかに恐ろしいのが「太陽風」による「磁気嵐」である。この「太陽風」は美しいオーロラを楽しませてくれるが、大規模なものは、電磁波によって地上の電気システムをすべて破壊してしまうのだ。
1859年の太陽嵐は有名で、現代であれば同規模の嵐がやってきたら「電気文明」はひとたまりもないはずだが、1879年にエジソンが白熱電球を発明する前の出来事で、「電気時代」以前であったため事なきを得たに過ぎない。
我々の「電気時代」はまだ百数十年程度の歴史しかないのであるから、どのような潜在的リスクが潜んでいるかわからない。過度に電気に依存すべきでは無く、むしろ電気以外のエネルギー源を模索すべきなのである。
ちなみハイブリッド車は、「自家発電」できるので、このような災害の際にも大いに頼りになる。
環境自動車の伏兵LPG自動車に注目
電気自動車と並ぶ次世代環境自動車の花形は水素自動車だが、こちらも普及への道のりは平坦では無い。
水素ステーションの建設がネックなのだが、トラックやタクシーなどの決まったルートや範囲を走る業務用自動車においては、ステーションの数の少なさは問題になりにくい。トヨタ自動車が、業務用での水素自動車普及に力を入れているのは当然とも言えよう。
もし、この業務用での普及がうまくいけば(トヨタはタクシー車両の9割を独占しているとされる)水素自動車の普及に弾みがつくかもしれない。基本的にはガソリン自動車と同じように扱えるので消費者にとって利便性が高いのだ。
しかし、それよりもはるかに合理的で普及の可能性が高いのがLPG自動車あるいはその延長上のLNG(液化天然ガス)自動車である。
LPGはタクシーにおいては既にメジャーな燃料であり全国に分布するLPGスタンドはおよそ1900軒。30000軒以上あるとされるガソリンスタンドに比べれば見劣りするが、この数でも十分機能するのであり、水素ステーションも目標の1000軒を達成すれば加速度的に普及するはずである。
二酸化炭素排出量を全くゼロにするというのであれば水素しか選択枝が無いが、LPG、LNGもガソリンやディーゼルに比べれば二酸化炭素などの環境負荷はかなり低いのだ。しかも燃料費が安い。タクシーにLPGが普及した最大の理由が価格の安さである。
LPGステーションで水素を製造することも比較的簡単に簡易設備でできるが、LPGは要するにプロパンガスであり、すでに全国的に普及し販売網・流通網が整備されている。
何よりも10年間で数十万q走るタクシーに使っても何の問題もないどころか、大いに経費、燃料費を節約しているのである。
自動車産業は政治的思惑に左右されることも多いが、投資家などは消費者フレンドリーなこのLPG・LNG分野にこそ注目すべきである。発電においても、石炭・石油から環境負荷の少ない天然ガス(LNG)への移行が着実に進んでいることを見るべきであろう。
▲上へ ★阿修羅♪ > 経世済民128掲示板 次へ 前へ
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 経世済民128掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。