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日本の炭鉱は「廃墟」「終わった産業」──とも限らない
https://www.newsweekjapan.jp/nippon/season2/2018/08/218320.php
2018年08月09日(木)16時37分 ニューズウィーク日本版ウェブ編集部 ニューズウィーク
日本に残る最後の炭鉱、北海道釧路市の太平洋炭鉱(2001年撮影、現・釧路コールマイン)の鉱員たち Kimimasa Mayama-REUTERS
<過去の遺物と思われがちな「炭鉱」だが、世界では今も1次エネルギー源の28%が石炭であり、日本の炭鉱も消え去ってはいない。その歴史的意義と今日の可能性とは>
「炭鉱」という言葉に、どんな印象を持つだろうか。地下や岩山の奥へと伸びる坑道は危険な場所で、そこでは過酷な重労働が課されていた――そんなイメージを思い浮かべる人が多いだろう。暗い歴史を持つ過去の遺物としてネガティブに語られることも多い。
その一方で、炭鉱の遺構はノスタルジーを掻き立てる「廃墟」として注目を集めてもいる。文化財や産業遺産としての価値も認められるようになり、2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」がユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産に登録された。
炭鉱とは何だったのか。それが現代日本にどうつながっているのか。炭鉱とそこで生きた人々の歴史的意義と今日の可能性に光を当てた『炭鉱と「日本の奇跡」――石炭の多面性を掘り直す』(中澤秀雄/嶋ア尚子・編著、青弓社)からは、知られざる炭鉱の姿を垣間見ることができる。
■石炭がなければ酷暑は乗り切れない
炭鉱とは、石炭を掘り出すための鉱山だ。石炭は、植物が長い年月を経て地層の中で炭化したものを言う。日本列島付近に埋蔵されている石炭は、造山運動の影響を受けて、北海道や九州、山口県といった列島の「端っこ」に広がっている。
国内の炭鉱は、最大時(1952年)には1047もあったと言われるが、現在でも石炭の坑内採掘を行っているのは、北海道釧路市にある釧路コールマイン(KCM。元・太平洋炭鉱)だけ。その他には露天掘りの炭鉱が道内に数カ所あるくらいだ。
現在、全ての炭鉱を合わせた生産量は、年間100万トン程度だという。炭鉱や石炭産業を過去のものと捉えていれば、この数字は意外かもしれない。だが、最盛期に記録した5600万トン(1940年度)と比べれば、微々たる量だと言える。
高度経済成長期において、経済を支える主要産業の座は重工業からハイテク産業へ、さらにサービス産業へと切り替わった。同時に、石炭というエネルギー源も、石油・原子力に取って代わられた......ように見えるが、それは大きな誤解だと本書は指摘する。
その証拠に、世界全体の1次エネルギー源の構成比を見てみると、石炭の占める割合は1971年には26%だったが、2015年でも28%であり、依然としてその地位を保っている。
国内でも、東日本大震災による事故を受けて、一時全ての原子力発電所が停止した。その後は再稼働が進んでいるが、現在稼働している原子炉はわずか6基。そんな状況で「危険な暑さ」と称されるほどの異常な夏が到来し、命を守るために冷房の使用が奨励されても停電せずにいられるのは、実は石炭火力発電所のおかげだ。
■海外で生き残る日本の炭鉱技術
石炭は相変わらず人類に欠かせないエネルギー源であり続けており、それはつまり、世界では現在でも数多くの炭鉱が操業していることを意味する。
炭鉱とは「グローバルな共通言語」なのだという。歴史上非常に重要な存在というだけでなく、技術や機械は同じようなものが用いられ、また、そこで培われる文化にも似通った部分があるのだろう。炭鉱の苦楽を共有する者同士は、言語が違ってもすぐに理解し合えるらしい。
日本の炭鉱も「世界で」生き残っている。石炭需要を輸入に依存するようになり、ほとんどの炭鉱が閉山してもなおゼロにはならなかった理由のひとつに、海外への技術移転がある。
実は、高い生産効率を前提に設計されている現代の炭鉱現場は、きつい肉体労働というイメージとは程遠く、複雑な機械を使いこなす技術と高いモチベーション、危険察知能力が必要とされる。安全な操業のためには、熟練者による保安指導が欠かせない。
かつて日本の炭鉱では「生産第一、安全第二」の時代が長く続いた。それゆえ数多くの事故や災害によって、おびただしい数の犠牲者を生んだ。歴史に影を落とす大事故の中には、600人以上の死者を出したものもある。1944年には鉱山災害による死者が2000人を超えた。
そうした時代が過ぎ、産業としては衰退していったが、技術面や管理面では日本の炭鉱はアジアの最先端だった。その後いくつかの炭鉱が「安全第一、生産第二」への移行に成功したことで、炭鉱そのものが閉山しても、その技術を移転する事業は2018年の現在でも脈々と続いている。
当然ながら、国内にも恩恵をもたらしている。新幹線やリニアを通すために全国各地で長大なトンネルが掘られているが、それを可能にしているのも、炭鉱が残した高度な掘削・保安技術だ。
■現代産業が炭鉱から学べること
「長い歴史を振り返れば、あらゆる産業は一時的なもの」であると本書は言う。重工業を追いやった日本の電気・電子産業も、シャープや東芝の現状が象徴するように、今では危機的状況に陥っている。そうした「暴力的」なまでの構造転換の余波を最初に受けたのが、石炭産業だった。
同時に、最大で45万人以上の労働者を抱えていた炭鉱の閉山は「戦後最初のリストラ」でもあった。だからこそ、これから大規模な変革が起こるであろう多くの産業にとって、石炭産業が辿った道のりや、そのときに取られた離職者対策や地域振興策などは、大いに参照すべき事例となる。
例えば、北海道を代表する炭都として12万人近くが暮らしていた夕張は、本書によれば「石炭忘却による新奇な観光産業の創出」を目指した挙げ句、破綻した。この強烈な事例のおかげで、かつての炭鉱の町はどこも廃れてしまっていると思われがちだが、そうでもない。
地元の資源と炭鉱技術を生かして産業転換を成功させた常磐(茨城県・福島県)や、石炭の記憶と歴史を文化資源として再利用し、世界遺産へとつなげた三池(福岡県・熊本県・佐賀県)や長崎、そして今でも石炭を掘り続け、技術移転の中心を担う釧路といった明るい事例もある。
このように明暗がくっきりと分かれた旧産炭地の現状は、現在原発を抱える自治体にとって、廃炉後の町の可能性を示すものになるのではないだろうか。
ちなみに、炭鉱の賃金は多様な関係者の要求を反映させながら体系的に制度化され、常に調整される複雑なもので、一般にホワイトカラーの仕事よりも、直接富を生む現場採炭夫のほうが好待遇だった。この事実が読者を驚かせるとしたら、炭鉱を学ぶ意味が残っている証拠である。(14ページ) |
確かに、日本の炭鉱は「終わった産業」だと本書も認めている。だが、単なる歴史の一ページになってしまったわけでもない。日本の近代化を支えた巨大産業は、現代社会のあらゆる側面の礎となっているだけなく、今なお未来につながる多くのヒントを与えてくれる「生きた先進事例」なのだ。
『炭鉱と「日本の奇跡」――石炭の多面性を掘り直す』
中澤秀雄/嶋ア尚子 編著
青弓社
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