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「AIに奪われる仕事」なんて考えても意味がない。本当に考えるべきは… キーワードは「可用性」にあり
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54842
2018.3.19 佐々木 俊尚 現代ビジネス
働くということをどういうスタイルで捉えるのか。古いスタイルを脱ぎ捨てて、新しいスタイルへと変化することが求められている。それは何も、いまは安定している会社を辞めよとか、フリーになって田舎で人生を謳歌しようとか、そういうことを提唱しようとしているのではない。そうではなく、働くということへの認識そのものを改めようということである。
私が提案したいのは、こういう新しい認識だ——人生を全体システムとして捉え、人生の可用性を高めよう。
人生のバックアップシステムとは
可用性というのは、英語のアベイラビリティ(いつでも得られるということ)の和訳で、主にコンピューター業界で使われている。コンピューターシステムは大規模になればなるほど、どこかが故障する可能性が高くなる。一か所の小さな故障だけで、全体が停止してしまうのは困る。そこで部分的に故障がおきても、バックアップがあったり、他の部分で代用できるような仕組みを組み込んでおく。そういうシステムを「可用性が高い」という。
可用性は信頼性とは違う。信頼性というのは、故障しにくいことだ。あるコンピューターの信頼性が高くても、ごく稀に故障は起きる。その時に使えなくなってしまうと、可用性は低い。逆にそのコンピューターの信頼性が低くても、他のコンピューターで代用できる仕組みが用意されていれば、全体としての可用性は高いと言える。
ここで注意しなければならないポイントは、「全体」と「部分」を混ぜて考えてしまわないことである。大事なのはシステムという「全体」であって、ひとつのハードウェアやひとつのソフトウェアなどの「部分」ではない。全体システムの可用性を高めるためには、時には「部分」をある程度犠牲にすることも必要になってくる。
インターネットは、可用性が高いシステムだ。もともとネットは軍事用に開発されたというのは有名だが、攻撃などで一部の通信が破壊されても、迂回して通信が維持されるような仕組みを考えた結果、網の目のように通信網を張り巡らすという構造になった。一本の太いロープを投げ縄のようにして野生の獣を獲ろうとすると、ロープが切れてしまった瞬間に獣は逃げる。しかし細いロープを編んだ大きな網なら、一部が少しぐらい断線しても獣を捕らえるのには問題ない。
人間社会での「可用性」とは
私たち人間の働き方も、コンピューターのシステムやインターネットの構造と同じだ。私たちは、信頼性の高い会社や、安定した職務こそが人生を安定させる道具になると考えてきた。ところが1990年代からの「失われた時代」が長く続いて明らかになってきたのは、んなに信頼できると思われていた会社も、いざとなると案外に脆いということだった。
会社が潰れても、専門の業務があれば大丈夫ーーという考え方も台頭してきた。ところが長い不況とは別のところから、この考えに水を差す勢力が現れた。AI(人工知能)とロボットのテクノロジーである。銀行員の仕事がなくなる、不動産などの営業マンも危ない、公務員の仕事の大半はもうダメだ、それどころか弁護士やデータ科学者だって危ない、などとあれこれ言われるようになって、みんなが戦々恐々としている。
自己啓発もそういう影響を受けて「20年後に生き残る仕事」みたいな本が増えているが、そんなものを的確に予想できるんだったら誰も苦労しない。19世紀の終わりにガソリンで動く自動車が発明されたその時には、高速道路サービスエリアの運営などというビジネスを誰ひとり思いつかなかったように、AIが普及した20年後になんの仕事がなくなり、どんな仕事が現れているのかというのは、ほとんど予測できない。
会社や職務という太いロープも、突然切れてしまうことがあるのだ。そういう認識は持っておいたほうがいい。
だから私たちが考えるべきは、ロープという「部分」の信頼性ではなく、ロープと私たちを合わせた人生というシステム「全体」の可用性である。私たちはともすれば「会社の歯車」「仕事の牢獄」といった言い回しを使いたがるが、労働というものの本質に立ち返れば、私たちは決して会社や仕事という全体の一部分ではない。私たちの人生を一つの全体システムと考えれば、逆に会社や仕事が「部分」である。逆転の発想が必要だ。
企業から離れたときの「気づき」私は1980年代の終わりに新聞社という古い組織に入社し、社員として10年以上働き、グローバリゼーションが始まろうとしていた90年代終わりに会社を去った。辞めるときには、まるで家族から引き離されるような「ロス」的な鬱な気分に陥って、正直言えば退職を後悔したこともあった。フリーになってからずっと仕事は不安定だったけれども、2008年にリーマンショックが起き、引き続いて出版業界が不況になり、潰れる出版社がいくつも現れたとき、ひとつの「気づき」があった。
それは老舗の出版大手に勤める編集者と話していた時のことだ。彼女は出版不況を嘆きながら、「まさかこんな太い会社の行く末を心配しなきゃいけない日が来るなんて……もし潰れちゃったら私の行き先なんてどこもないですよ」。
彼女は有能な編集者だったので、行き先がないなんてことはないだろうと思ったが、私は別のことも考えていた。それはこういうことだ——私は彼女よりもずっと不安定だけど、気がつけば今は10社ぐらいの出版社と取引していて、いろんな仕事をしてる。だから1社ぐらいは潰れて仕事がなくなっても、とりあえずは大丈夫かなー。
つまり、フリーの私の人生という「全体」にとってはひとつの出版社は「部分」でしかないということだ。会社や仕事という「部分」が壊れても、人生というシステム「全体」が続いて行く。そういう可用性の高い人生が求められている。
信念は曲げずに領域を広げる
この気づきを得てから、私は仕事の幅を思い切って広げるようになった。それまでは「ジャーナリストは筆一本、という気迫が必要だ」と思っていて、他の領域に侵食することは避けていたのだけれど、そういう考えは捨てた。自分でメールマガジンを発行するようになり、求められれば自らの知見をもとに企業へのアドバイスやさらには出資などもするようになり、自分でトークイベントも計画し、ありとあらゆる方向でいろんな人たちと一緒に仕事をするように変えて行った。
どんなこと起きても、自分の人生の可用性を保つということを最優先事項に据える。もちろん、それで自分の書くことの世界観や信念を曲げるわけではない。自分の思想の軸を保ちながら、その軸を曲げないように領域を広げて可用性を確保していく。そういう長期戦略を立ち上げて行ったのだ。
この視点を一歩進めると、ナシーム・ニコラス・タレブの最近翻訳された著書『反脆弱性』(ダイヤモンド社)の哲学にもつながってくる。「脆弱(フラジャイル)」というのは「脆い」という意味で、その反対語というと普通は「頑強」「耐久性」などをイメージするが、タレブはそうじゃないと言っている。鋼鉄は頑強だけど、ぽきっと折れたり曲がったりしやすい。だから重要なのは頑強であることではなく、「反脆さ(アンチ・フラジャイル)」なのだという。
じゃあ反脆さとは、何か。タレブは著書で書いている。
「反脆さは耐久力や頑健さを超越する。耐久力のあるものは、衝撃に耐え、現状をキープする。だが、反脆いものは衝撃を糧にする」
たとえばレストラン業界は「反脆い」。ひとつひとつのレストランは脆くて、店はよく潰れる。でも個別の店が潰れることで、他の店の生き残りの可能性を高めるし、新しい店も進出できる。だからレストラン業界は全体では、反脆いということだ。もし逆に、ひとつひとつのレストランが法的に保護されて、絶対に潰れないようになっていたらどうだろう。そうするとレストラン業界には健全な新陳代謝がなくなってしまい、外食という文化そのものが衰退することになる。そうすればレストラン業界は脆くなる。
脆い世界にいるからこそ行動する
このように私たちの社会に潜む「脆い」と「反脆い」の関係を明らかにしたのがタレブの凄いところなのだが、これは私たちの人生システムにも当てはまる。会社や仕事は脆いかもしれない。でもそれらが脆いがゆえに、私たちは常にあたりに目を光らせ、次の飯の種を考えておかなければならない。「明日会社が潰れるかも」「もうすぐリストラされるかも」「今やってる仕事は10年後にはないかも」という危機感が、私たちを行動に走らせ、活動し考え抜いて行くための糧となる。そういう脆さを常に抱えているからこそ私たちは動き回り、だからこそ人生の全体システムは「反脆い」になり、可用性が高まるのだ。
最初に述べたように、これは「働く」ということのスタイルを変えるという提案である。スタイルを変えるということは、決して転職や独立とイコールではない。今やっている仕事は大切にしつつ、そして会社と上司と同僚と部下とも仲良くするのは大切だ。でもそれ以上に、心の中では、自分の人生という全体システムの可用性と「反脆さ」を常に意識し、このシステム「全体」が壊れないように計算し、戦術と戦略を立てて、前に進んで行く。いつ何どき、会社や仕事という「部分」のパーツが壊れても大丈夫なように。
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