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セバスチャン・ユンガー: なぜ退役軍人は戦争が恋しくなるのか
2016/7/22(金) 13:01配信
https://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20160722-00001999-ted&utm_source=taboola&utm_medium=exchange
(動画)
(転写開始)
翻訳
これからお話する内容は 人によっては 不快に思われるかもしれません
一般市民は当然のこと 兵士たちも 戦争で苦しんでいます 自分たちが巻き込まれた戦争を 恋しいと感じる 一般市民はいないでしょう 私は20年近く戦争を取材していますが もっとも驚くべきことの1つは 多くの兵士たちが 戦争を恋しいと感じていることです 想像しうる最悪の経験を耐えぬいて やっとの思いで祖国に戻り 愛する家族の待つ家に帰ってきた者が なぜ戦争を恋しいと思うのでしょうか? どうして? なぜそうなるのか? 我々は この疑問に答えなければなりません そうしなければ 兵士たちは永遠に もといた社会に 戻ることができないのです そして 戦争を終わらせるには 戦争のメカニズムを 理解する必要があります
やっかいなことに 戦争というものは 単純で明確な真実だけで 語ることができません 非常に複雑で多面的なのです
健全な人であれば戦争を嫌います
戦争という考えを憎み 一切関わりたくないと思うでしょう 近づきたくもないし 知りたくもないでしょう それが戦争への健全な反応です しかし こう聞かれたらどうでしょう 今まで お金を払って映画館へ行き ハリウッドの戦争映画を観て 楽しんだことがあるでしょうか おそらく ほとんどの人が手を上げるはずです これこそが 戦争の複雑な点です 自信があるのは もし 平和を愛する人々が 戦争に惹きつけられるものを感じるなら 同じく 20歳の訓練を受けた兵士も そのように感じるのです 間違いありません これは理解しておくべきことです
先ほど言った通り 20年近く戦争を取材してきましたが もっとも強烈だった経験は アフガニスタンでの アメリカ兵の戦闘です
90年代には アフリカや 中東 アフガニスタンを取材しましたが これは2007年から2008年 アメリカ兵を取材していた時です 非常に激しい戦闘に 直面しました コレンガルバレーという谷でのことでした アフガニスタンの東に位置する 6マイルほどの小さな谷です 谷には150人の部隊がいました しばらく そこにいましたが アフガニスタンの全ての戦闘の およそ2割もが たった6マイルに集結したのです 150人の兵士が戦闘に巻き込まれました NATO軍のアフガニスタンにおける― 2ヶ月間の戦闘の 5分の1を占める規模です 強烈な戦闘でした 私が主に取材したのは 小さな前哨地点で― レストレポという名でした 衛生小隊にちなんだ名です
2ヶ月もの間 戦闘で犠牲者を出していました ベニヤの仮設兵舎がぽつぽつと 谷の斜面に建てられていました 土のうやシェルター 銃座が設置され 20人の兵士がいました 第2小隊の戦闘部隊です そこで長く取材をしました 水道水はなく 風呂にも入れません そこで男たちが1ヶ月過ごすのです 服を脱ぐこともなく ただ戦い 働くのです 寝る時でさえ 戦闘服のままです 1ヶ月たつと 部隊の本拠地に戻ります ボロボロになった戦闘服は 焼却処分し また新品を手にするのです インターネットも電話もありません 外の世界とは 完全に遮断されています 手作りの料理など食べられません 若者が好むようなものは 何もないのです 車も 女性も テレビも 何もありません あるのは戦闘のみです そして戦いを好きになっていくのです
とても暑い日のことです 季節は春でした おそらく 2週間ほど 戦闘がありませんでした 普段なら 襲撃が後を絶たないのに 2週間も戦闘がなかったのです 兵士たちは退屈と暑さで― ただ呆然としていました 大尉が目の前を歩いていきました 上半身裸でです 異常に暑かったのです 上半身裸で 呟いていました “神よ どうか今日襲撃がありますように” それほど退屈だったのです これも戦争だと 大尉は言いました “頼むから 何か起きてくれ― ―でないと 気が狂いそうだ”
これを理解するには まず 今だけは 戦争を道徳的に考えてはいけません それはとても大切なことですが ここでは 道徳的に考えるのでなく 神経学的に考えてみましょう
戦闘中の兵士の脳内では いったい何が起きているのでしょうか まず第一に 戦闘体験というのは とても奇妙なものです 実に 非日常的な体験です 私にとっても意外だったのですが ほとんどの兵士は恐怖を感じません もちろん戦場は恐ろしい場所です しかし いざその場にいると 怖くないのです 戦闘が起こる前は恐怖を感じ 戦闘が終わった後も恐怖を感じ その恐怖が何年も続くことすらあります この6年 銃撃戦とは無縁の日々です しかし 今朝も悪夢で目が覚めました 戦闘機の機銃掃射を受ける夢です 6年も経っているというのに 戦闘機に狙われたことなどないのに そんな恐ろしい夢を見るのです 時間がゆっくりと流れるようになり 奇妙なトンネルビジョンが現れます 特定の場面は詳細に記憶しているのに その他を覚えていないのです 精神にわずかな変化が起こっているのです 兵士たちの脳には 大量分泌されたアドレナリンが 送り込まれるのです
若い男性の場合 かなり長い時間 この状態が続きます これは人間に生まれながらに備わっている機能で ホルモンの影響で起こるものです 若い男性が 暴力や事故で亡くなる確率は 女性に比べて 6倍にもなります 事故にはこんなことも含まれます 危険な場所から飛び降りたり 危険な物に火をつけたり つまり 私が言いたいのは 男性は女性より 6倍も死にやすいのです 統計的に見ると 消防隊員だとか 大半のアメリカの都市で警官の仕事をするより 10代の男子が 今日は何をしようかと 近所をブラブラしている方が 統計上は危険なのです
戦場ではどうなのか 容易に想像できるでしょう レストレポでは 誰が死んでもおかしくありませんでした もちろん私もです 親友だったティム・ヘザリントンもです 彼はのちにリビアで戦死しました 生き延びた兵士たちの戦闘服も 銃撃で穴だらけでした 運よく銃弾が服をかすめただけで 体に命中せずに助かったのです
ある朝 私は土のうにもたれて休んでいました ちょっとした休憩のつもりでした すると突然 砂が私の頬に― 砂が 横から飛び散ってきたのです
なにが飛び散ってきたのか 初めはわかりませんでした
銃について少しお話すると 銃弾は音よりもずっと速いのです 数百メートル先から 誰かに撃たれたとします 銃弾がこちらにたどり着くまで 0.5秒もかかりません 音は後からやってきます 顔に砂がぶつかってから0.5秒ほど経ち ダダダダダと音がしました マシンガンです その銃撃を皮切りに 1時間もの銃撃戦が始まりました 最初の銃撃は 私の頭の3、4インチ横に当たったのです 想像してみて下さい 私は 正確に思い出せます 軌道のズレで 命拾いをしました 400メートルの距離で 3インチのズレです 奇跡的に救われたのです 戦場にいた人なら誰でも 同じような経験をしています 少なくとも一度は 九死に一生の経験をしているのです
若い兵士達はそこで1年ほど過ごし 帰還します 軍隊から離れた者のなかには 後に 深刻な精神疾患に苦しむ者 もいます また 軍隊に留まっても 程度の差はあれ 精神的には問題ない という人達もいます
ブレンダン・オブライアンという兵士を 取材していました 彼とは今でも良い友達です 彼は帰国後 除隊しました ある夜 ディナーパーティに 彼を招待しました 彼は 私の友人の女性と 話していました 彼女は戦場がいかに過酷か知っていたので こう聞きました “ブレンダン―” “アフガニスタンに戦争へ行って たった1つでも―” “よかったと思えることはある?” 彼はしばらく考え込んでから こう答えました “私は 戦争が恋しくてたまりません” 彼は 取材してきた中で もっとも 心に深い傷を負った人間の1人です “戦争が恋しくてたまらない”
どういう意味でしょうか? 彼はサイコパスではありません 人を殺したいわけでもありません 彼は正常です 自分が銃で撃たれるのも 友人が殺されるのも嫌なのです 彼が恋しいもには何か? それを理解しなくてはなりません 戦争を終わらせるには その答えを知る必要があります
私が思うに 彼が求めているのは 仲間との絆です つまり これは 殺しとは正反対のものです 彼が懐かしく思っているのは 共に戦った 仲間たちとの絆です この絆は 友情とは違います 友情は社会の中で生まれるものです 誰かを好きになれば その人の為になろうとするものです 仲間との絆は違います 相手をどう思うかは関係ありません 集団の目的達成のために行動しようという 相互意識です 集団の安全のためなら 自らをも犠牲にできるのです つまり こういうことです “自分を愛するよりも 仲間たちを愛そう”
ブレンダンは部隊のリーダーでした 3人の部隊です アフガニスタンでの地獄のような日々で 彼は何度も死にかけましたが 気に病むことではありませんでした
彼にとって アフガニスタン最悪の出来事は 部下が頭を撃たれたことでした ヘルメットを撃たれて倒れる姿を見た誰もが 命は無いと思いました 大きな銃撃戦のさなかでした 誰も救助に行けませんでしたが 数分後― カイル・シュタイナーは起き上がったのです まるで死からよみがえったように 彼は意識を取り戻したのです 銃で倒れはしたものの 弾はヘルメットに弾かれていたのです 彼には仲間たちの声が聞こえていました 意識が半分あったのでしょう 彼が聞いたのは “シュタイナーは頭を撃たれて死んだ” という声です 彼は思いました “僕は まだ死んでない” と そして起き上がったのです 後に ブレンダンはそれを知り 部下を守れなかったと痛感しました 彼がアフガニスタンで涙を流したのは 後にも先にも その時だけでした これが仲間との絆です
このような感情は昔からありました 『イーリアス』を読んだことがあるでしょうか アキレウスは命をかけて 友であるパトロクロスを救おうとするのです 第二次世界大戦時にも このような例がたくさんあります
戦闘で負傷し 野戦病院へ運ばれた兵士が 脱走するのです 窓やドアから 見つからないように 無断で 怪我をしたままで そして前線に戻って 仲間たちと合流しようとするのです さきほど紹介したブレンダンも その他のすべての兵士たちも このような思いを心に抱いているのです 小さな集団のなかの 20人の仲間たちへの愛 自分への愛を越える愛 それがいかに美しいものか 想像してみてください 兵士たちは1年間その絆のなかで過ごし 帰ってくるのです そして我々のいる社会に 投げ出されます 誰を頼ればいいのかも分からず 誰が愛してくれるのか 誰を愛せばいいのかも分からず 家族や友人がいざという時 何をしてくれるかも分からない これは恐ろしいことです それに比べれば 戦争は 彼らにとって 心理的な安らぎの場となりうるのです 社会での疎外感が 彼らを苦しめているのです これが答えです 我々が理解しなければならないことであり 社会を変えなければならない理由です
ご清聴ありがとうございました
(拍手)
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戦争が恋しいという一般市民はいませんが、そのような兵士は珍しくありません。ジャーナリストのセバスチャン・ユンガーが話すのは、アフガニスタンのコレンガルバレーでの体験。前哨地点のレストレポで目にした、アメリカ兵の壮絶な戦闘です。戦争によってもたらされる“もう1つの心の状態”、なぜ兵士たちは戦争で強烈なつながりを経験するのでしょうか。そして、それこそが兵士たちが恋しいと感じる "もう1つの戦争の姿" なのでしょうか? ( translated by Chikara Shimizu , reviewed by Halle Komatsu )
(転写終了)
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