http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/890.html
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<危険!>子供の脳が盗られる教育勅語の仕組み、
そのウイルスと感染、手口。戦争と騙しと虐殺と従軍慰安婦、これが道徳か!!
残虐人体実験731部隊と教育勅語、従軍慰安婦と何のかんけいがあるのか教育勅語と?
対米従軍慰安婦・パンパンと教育勅語、これこそ「臣民道徳」で「國体ノ精華」だ。日本書紀を見よ
「皇軍」の一兵士は戦争中どんな残虐非道行為をおこなったか、恥かしくも人道に背いて、なぜ命じられるままに行なったのか。その仕組みがあったのだ。
いや「同胞」の「日本人」に対してさえも、あった。
米軍爆撃の戦災後に対米軍従軍慰安婦が組織されえたように、
都市の戦災孤児に警官が刈込み駆けて檻に収容したり、トラックで田舎に捨ててきたり、
(朝鮮戦争まえの映画、家城巳代治監督 悲しき口笛1949、美空ひばりセリフ:「聞いたよ、遠いところへ連れてって売るやつがいるんだって。」
https://www.youtube.com/watch?v=Ec-HP6L4nuw
家城巳代治監督はこの映画でレッドパージにされちゃったんだそうです。そして米軍、朝鮮戦争へという流れ。教育勅語の廃止決議はこの映画の前の年。)
じつに残酷に機能した道徳的な仕組みが教育勅語にはあったのである。
そこではかつての仏教や儒教にもとづく封建道徳が抜き去られてしまって替りに官僚の押し着せ道徳が注入される仕組みが作られていた。
いったい日本のヒャクショウ百姓は税は盗られても家来になったことはない者がほとんだ。
いままで戦(イクサ)に徴られた事もない、誰かの「臣」になったこともない、ど田舎の民ヒャクショウにまで、ナンジは「臣民」だと教育勅語が押し付けられはじめたは1890年からだったのた。
731部隊の人体実験、従軍慰安婦、戦後の対米軍従軍慰安婦・パンパン・・・これらこそ教育勅語の「國体ノ精華」そのもの、「臣民道徳」の顕現した華であった歴史的事実だろう。教育勅語は魂の抜き取り装置であったとも言えよう。
<一旦緩急有れば云々>これからの日本人は、こんなモノに騙されちゃいけない、たといカッコイイ響きだナンテ思っても歴史事実の結果を見て考えなきゃ、またもや臣民ロボットを再演してしまう。
中国戦線の日本兵の多数が何故に兵ではない無抵抗の中国人農民を、銃剣で「刺突しろ」と命令されただけでブルブルしながら従ったのか。道徳はどこに行ったのか。
拒否した者は極々甚少であった。
天下泰平時代の徳川封建道徳をば、「チン」と「臣民」との「万世一系」の「國体」道徳に組み替えた道徳的組み換え、その手順指示書が教育勅語であったと言えよう。。
「教育勅語」本文にあるとんでもない<大カラクリ>を取り上げたい。それこそが「教育勅語」のたった58年の歴史でそれによって何が為し遂げられ、どんな酷い事がおこなわれ得たのかの秘訣。教育勅語本文の中にこそ手品の仕掛けと原因があるのであった。
偽造の現代語訳が「明治神宮」によって流布され、ワケも知らずに有難がっているヴァカ者・若者がいるからだ。「いいことも書いてある」とか、「道義」の主従関係だとか「道義国家」だとか・・・じゃ原文や原文の出典原典に当たって見ろトンデモないことが書いてあるから。
達人釣り師は、針に餌着けるのが上手く、大詐欺師もネタの周りで上手な嘘をつくのが天下一品だ。
「一旦緩急有れば」云々以外は、「なんだ教育勅語にたいした道徳なんか無いじゃないか」と、「封建道徳の言葉が貼付けてあるだけなんじゃないか」と最初は感じるだろう。そこが味噌だ。たいしたこと無いファイルにこそ、「皇軍の臣民道徳」が後から送り込まれて来るのだ、軍事官僚や治安官僚によって。それが僅か58年の教育勅語の歴史が果たした亡国作用であった。
官僚作文「教育勅語」だが、そこにいう道義・道徳とは何か。原典にもとづいて実例を3つ。
。
1、 イワレヒコ(のちの神武天皇)、和議の酒酣(さけたけなわ)の とき奈良の郷土防衛戦士たちを一斉皆殺し
ハツクニシラススメラミコトと諡おくりなされた/肇国の徳1
2、 長兄を射殺して即位した三男こそが第二代 綏靖(スイゼイ)天皇/肇国の徳2
3、 教育勅語「一旦緩急有れば」はたとい出典が史記であっても有難がるのは馬鹿げている。日本人が国家を挙げて命を懸ける言葉だろうかよく見てほしい。地の文ではなく老退官僚の喧嘩セリフに過ぎない。漢の呉楚七国の乱の時に、鎮圧将軍周亜人にたよりにされた博徒劇孟。(だが列伝に名を連ねた劇孟が果たして何をしたか司馬遷は具体的に書いていないが、書けないような貢献を呉楚七国の乱鎮圧に際に果たしたのかもしれないが、)この任侠劇孟との付合いを袁盎(エン・オウ)が地元の富人に問われた。が、袁盎(エン・オウ)は逆切れして居直って罵しってしまった。このときの(多分ボケの入った)老退官僚の捨て台詞だ。なんだいあんたなんか何時も数騎のお供つれてたって「一旦緩急あればなんぞ恃むにたらん」と(「諸侯多袁盎」と諸侯には評判良かったと司馬遷は書いたすぐ次の段で袁盎(エン・オウ)は刺客来るのが判ってながらノコノコ問占に出かけた。還り、果たして刺客に刺殺されてしまった。この縁起悪さ。
「道徳なんか無いじゃないか」と誰しも感じるであろう。が、これこそが「道徳」、彼らの目指した國体道徳・官僚注入の道徳なのであった。
それは後の戦争で明らかなように残虐道徳という歴史の結果となった。皇軍道徳、これは道徳の中身は、もはや徳川時代の封建道徳じゃ無くなった。
官僚が「道徳」の中身を決定したのだ。
「チン」に対する「臣民」
政府官僚が道徳を決定するという<関白宣言>ならぬ<官僚宣言>が教育勅語であった。天皇陛下の命令だと上官が命じたらそれが道徳だとされた。このことを忘れてはいけない。なぜそんな非道がまかり通ったのか。この洗脳の端緒が「教育勅語」だったのだ。
教育勅語の果たした役割は、単に読誦や暗記で思考を狭めただけではない。
発布と同時に、日本書紀神武即位前記にあった皇軍の大虐殺・しかも卑怯手段による、を正当な徳として公認したことになったのである。後の日本軍の残虐な上官による命令も淵源はここだろう。
日本書紀の記述は、後世への影響も重大だった。武士が酒の席で刺殺とか、アイヌ民族反乱へも何度も適用、17世紀の町奴の幡随院 長兵衛もこの手口の変化形だったし・・・。
国家が徳・道義の内容を自由に書き換えたい装置が教育勅語だろう。大した徳目なんかないんじゃ無くて国家のためにあらゆる非道徳さえ容認する手羽先を雛のうちにスリコミたいのが教育勅語礼賛者の意図だろう。日本書紀を全肯定したことで作成者の本心云々はとっくに踏み越えられてしまっている。口語訳でどんどん書き換えられていったのだ。戦後版の口語訳や道義国家論も同じだろう。
一旦有緩急_史記_袁盎
史記 袁盎晁錯列傳 第四十一
http://www.xysa.net/a200/h350/01shiji/t-101.htm
漢書 -> 傳 -> 爰盎晁錯傳
http://ctext.org/han-shu/yuan-ang-chao-cuo-zhuan/zh
古诗文网 司马迁 《史记 袁盎晁错列传》 宋尚斋 何平 译注
http://www.gushiwen.org/GuShiWen_238ceaa26f.aspx
台湾 国立故宮博物院
https://www.npm.gov.tw/
https://www.npm.gov.tw/dm/album/introduction/main_24.htm
南宋的歷史故事畫
「卻坐圖」取材自《史記‧袁盎傳》,畫西漢文帝(西元前180−157在位)時,袁盎於上林苑中,力諫文帝不得與寵妃慎夫人同坐的情節。
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- 日本書紀の徳:国を肇めた皇軍の徳/酒で酔わせて皆殺し/長兄を射殺して即位。わが子に教育するか国家道義のワナ教育勅語 琴姫七変化 2017/4/30 20:54:19
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- 従軍慰安婦、従米軍慰安婦と、教育勅語と徴兵、戦争、原爆、の関係。中国側baidu百度百科の「教育敕语」 琴姫七変化 2017/4/30 19:39:28
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