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(回答先: <危険!>子供の脳が盗られる教育勅語の手口。司馬遷史記と日本書紀と戦争と騙しと虐殺と従軍慰安婦、これが道徳か!! 投稿者 琴姫七変化 日時 2017 年 4 月 30 日 17:56:31)
日本書紀の徳:国を肇めた皇軍の徳/酒で酔わせて皆殺し/長兄を射殺して即位、わが子に教育するか国家道義のワナ教育勅語
教育勅語と銃剣刺殺と従軍慰安婦
画像:南宋「卻坐圖」却座図、袁盎が、文帝の妾慎夫人の椅子を皇后の椅子より引下げて、後宮で女の闘いが激化しなようにイマシメ計らった、、、図
台湾 国立故宮博物院
https://www.npm.gov.tw/
https://www.npm.gov.tw/dm/album/introduction/main_24.htm
南宋的歷史故事畫
「卻坐圖」取材自《史記‧袁盎傳》,畫西漢文帝(西元前180−157在位)時,袁盎於上林苑中,力諫文帝不得與寵妃慎夫人同坐的情節。
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(「一旦緩急あれば」の出典は司馬遷『史記』>袁盎鼂錯(晁錯)(エン・オウとチョウ・サク)列伝第四十一だそうだから、史記通りに「一旦有緩急」とせねばと思われるが、なぜか「一旦緩急」とされている。)
妾、後宮のいましめ大臣の片言隻句と、日本の運命とは、→《史記‧袁盎傳》
画像とは違うが、本稿では教育勅語の出典:日本書紀の肇国の「徳」を原文で確認したい。@、A。
教育勅語はもはや過去の問題ではない。
「国のため」という名目で、兵隊、騙し殺人、慰安婦パンパンなど道徳的退廃が、今これから子供に襲い掛かるのではないか?
危険な教育洗脳問題とあいなった。
これから子供をどうやってこの非道道徳受忍注入の洗脳から守るのか。
<おいおい殺人や道徳退廃なんか教育勅語に書いてないじゃないか>と思うだろうか?いやいや第一行に書いてある。
そしてその出典御覧下さい。
神武綏靖は何をしたか。日本書紀にある非道が否定されるのではなく、教育勅語によって却って國体とされ肇國の樹徳だと、復活・誇大化された。ここに日本人のその後の歴史的な非道行為の道徳的淵源の一つがあったと直ぐに判るだろう。肇国の時の卑怯な残虐行為を美徳に転化してしまう役割をになったのだ。
第一行の、
皇祖皇宗、肇国宏遠、樹徳深厚。
これが國体である。これこそがこの文章上も以後の歴史上も縛りとなったのだった。
(以下、第二行でこの國体が教育の淵源だとされる。)
肇国の樹徳、これを紐解けば明らかだ。日本書紀でこれを以下見ていこう。
(漢文への復文を見ると、徳々詐欺の全体構造が解り易い。)
〜〜教育勅語の復文・・・(勅語原文には句読点なし。*以外の改行と付番は投稿者による)〜〜引用開始〜〜
https://kambun.jp/izanai/04-10kundokutai1.htm
1、 朕惟、我皇祖皇宗、肇国宏遠、樹徳深厚。
2、 我臣民、克忠克孝、億兆一心、世済厥美、此我国体之精華、而教育淵源、亦実存乎此。
3、 爾臣民、孝乎父母、友乎兄弟、夫婦相和、朋友相信、恭倹持己、博愛及衆、修学習業、以啓発智能、成就徳器、進広公益、開世務、
4, 常重国憲、遵国法、
5、 一旦緩急、義勇奉公、可以扶翼天壌無窮之皇運。
6、 如是、不独朕忠良臣民、又足以顕彰爾祖先遺風。
(*原典の改行)
7、 斯道、実我皇祖皇宗之遺訓、而子孫臣民所当倶遵守。通之古今而不謬、施之中外而不悖。庶幾朕与爾臣民、倶拳拳服膺、咸一其徳。
〜〜〜復分の引用終了〜〜〜
<1> 第一行、肇国の樹徳
国の肇(はじめ)に徳を樹立した、では一体どんな徳か?
これが國体であり教育の淵源だという。
だから國体のもととなったその「徳」は何か問わねばならない。
国とは何か?
イワレヒコの皇軍に、酒酣のとき皆殺しになった奈良盆地の郷土防衛軍のエミシ達。残された女はどうなったか?「従軍慰安婦」になったのか。それとも「従米軍慰安婦」になったのか?
今奈良に子孫はDNAを繋いでいるか?
これが皇軍の徳だ!と宣言したのに等しいのが教育勅語。
(家はいちおう共同体だ。子供が味噌汁おかわりする度に代価を請求する家は現代でさえいないだろう。だから家ではいちおうコミューン原理が成り立っていることになる。さて国と家とは違うが、国税を民に押し付けるべく国と家とをひっ付けて、あたかも家であるかのように「国家」用語が発明された。国家は共同体だなどとヌカす奴が現れた。他方、日本語クニとは楽浪郡・帯方郡の郡がグン→クニとなったものであろう。銭セン→ゼニ、蝉セン→セミ。高句麗か百済経由の語かもしれない。元は中国由来の制度だとわかる。)
僅か58年間の歴史のなかで、日本人の国内外での非道行為の道徳的淵源として教育勅語の出典を検証してみた。
すなわち皇軍道徳・臣民道徳の非人道・非道徳とは何であったか。
日本書紀に見る。
@ 、イワレヒコ(後の諡:神武天皇またはハツクニシラススメラミコト)、
和議の酒酣(さけたけなわ)のとき一斉に皆殺し
コウソコウソウの肇國のとき樹徳深厚だといってる官僚作文の教育勅語、だが実際は『日本書紀』に何と書いてあるか。
和議の酒宴での騙し討ちだ。
これが非常に重要なのは、後世でも援用する奴が続出したからである。
(1)神話では熊襲タケルを女に化けて刺殺したヤマトタケルの例がある。
近世では北海道のアイヌ民族に対しても武田氏松前藩が適用した。和議と偽って酒宴の席で殺した。
(2)1669年、シャクシャインの蜂起
(3)1457年、コシャマインの蜂起
(4)17世紀の町奴の幡随院長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ)も、酒宴で、着物をわざと汚され風呂をすすめられて裸でいるところを、旗本水野に殺されたとされている。
(5)酒宴での落とし舞台による皆殺し伝説は「花魁淵おいらんぶち」(東京都の奥多摩の多摩川上流)にもある。甲斐武田金山で使役した後の人夫を、慰労と偽って迫り出した舞台の上に花魁まで連れてきて酒盛り、宴酣たけなわに舞台の縄を切って谷底に落としたが、花魁の死体が流れついたところが花魁淵だそうな。金山の口封じだったそうだ。甲斐武田は時々押し出して来て、多摩地域の瑞穂村からさえも百姓をさって行ったそうだ。
(6)アイヌ民族側の伝承では蜂起鎮圧以外でも和議酒宴騙し討ちが行われていたらしい。
「 シャモ(和人)の金堀が金を掘るために、シブチャリ川の奥のシュムベツに入って川底を掘って川を濁らすため、川に魚が登らなくなった。そこでシブチャリ川の魚を糧にしていたペッパナやイチブイ、ルベシベなどのコタンの人々が生活に困ったので、酋長たちが「川を濁らせないよう」に抗議した処、「悪かった」と言って酋長たちを招いて、詫びの酒宴を開いたが、それに出かけた酋長たちは、一人も戻らなかった。それはシャモが落とし穴の上で酒宴を開き、宴たけなわを見計らって、落とし穴上の舞台を落として、酋長たちを皆殺しにしたのだ。」
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ainugakuin/ainuhistory/kinseishijyonokankeico.htm
神武天皇即位前イワレヒコだが、どうしても奈良に攻め込めないので一計を案じた。和議を結ぶことにし酒盛りをする。敵が酔ったところで歌を歌うから歌聞いたら、おまいら一斉に刀を抜いてやっちまえ!
その時の歌が久米歌(來目歌)であるというのが日本書紀。
これが徳か。そうか、こういう道徳教育をやるのか。これが道徳や道義か。列島人種に対し和議・酒宴で騙し討ち、これが徳だと言い為したのが教育勅語である。
日本書紀本文には、「陰謀」という語が使われている。堂々と。
虜不知我之有陰謀,任情徑醉
(日本人の先祖は侵略者との和議に侵略者の陰謀が有るとも知らず、「任情徑醉」 だったとさ。)
(虜(エミシ)、我ニ陰謀(カクシタルハカリゴト)有ルヲ知ラズ,情ニ任カセテ徑(タダチ)ニ醉ヒタリ)
我が猛卒(たけきいくさ)を選んでおいて、和議の酒盛りでエミシと雑居させた。
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki03.htm#sk03_02
===(『日本書紀』原文は中国語)===
・・・而選我猛卒,與虜雜居。
(・・・我ガ猛卒(たけきいくさ)ヲ選ミテ虜(えみし)ト雜リ居ラシメタリ。)
陰期之曰:「酒酣之後(さけたけなわなるのち),吾則起歌。
汝等聞吾歌聲,則一時刺虜!」
已而坐定酒行。虜不知我之有陰謀,任情徑醉。時道臣命乃起而歌之曰:
忍坂の 大室屋に 人多に 入居りとも 人多に 來入居りとも
瑞瑞し 來目子等か 頭椎い 石椎い 持ち 擊ちてし止まむ
時我卒聞歌,俱拔其頭椎劍,・・・
***
虜不知我之有陰謀,任情徑醉
(虜(エミシ)我ニ陰謀(カクシタルハカリゴト)有ルヲ知ラズ,情ニ任カセテ徑(タダチ)ニ醉ヒタリ)
・・・酒酣(さけたけなわ)のとき一時に皆殺しになって、また残る者無し・・・
皇軍は大悦びで天を仰いでわらった。因って之を歌って曰く:
蝦夷(*えみし、原文では「愛瀰詩」)を 一人 百な人 人は云へども 手向ひもせず
えみしを ひだり ももなひと ひとはいへども たむかひもせず
(又歌之曰、
(愛瀰詩えみし)
愛瀰詩烏 毗儾利 毛々那比苔 比苔破易陪廼毛 多牟伽毗毛勢儒
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_03.html )
===以上、日本書紀===
戦(イクサ)が終わってアアよかったと和議の酒を、任情徑醉で飲んでたら
ブスッ・・・だもんな。これじゃ「一人当百」のエミシ愛瀰詩といえど皆殺しになっちまう。これが肇國のときの樹徳深厚なのだ。酒の席で皆殺しして
天をあおいでアハハと笑って詠んだ歌まで書いてある。さてさて、どんな徳を樹てたのか。
一時に虜エミシを殺す、虜またのこる者なし。
皇軍大いに悦びて、天を仰ぎてわらう。よって之を歌って曰く:・・・
今、來目部(クメベ久米部)の歌いてのち大いに哂わらう、これそのゆえなり。・・・
===日本書紀===
・・・一時殺虜,虜無復噍類者。
皇軍大ス,仰天而咲。因歌之曰:
今はよ 今はよ 嗚呼しやを 今だにも 吾子よ 今だにも 吾子よ
今來目部歌而後大哂(わらひ),是其緣也。
又歌之曰:
蝦夷を 一人 百な人 人は云へども 手向ひもせず
えみしを ひだり ももなひと ひとはいへども たむかひもせず
===以上、日本書紀===
後世の武士まで騙し討ちを常道にするもんだから沖縄戦の後に完成した米軍映画「汝の敵日本を知れ」
https://youtu.be/zBIfnPyK4rw
では「武士道は裏切りを認めそれを処世の術とした」などと指摘される始末であったが、
また、明治以降の天皇神格化教育で、子供の時から
「日本人は神の子の子孫であり、
世界を支配する民族だと教え込まれる。
同朋以外への裏切り・強姦・残虐行為は正当化される。」
とまで纏め上げられてしまったのだ。日本人の残虐と道徳心の無さは天皇神格化教育にあったと指摘されたが、じゃ米軍はどうなんだよと言いたところで無意味だ。日本人の残虐と非道徳は事実であるばかりか、外人に対してだけでなく日本人にも向けられた事実があるからだ。
A 、兄を射殺して即位、第二代 綏靖(スイゼイ)天皇
第二代 綏靖(スイゼイ)天皇(渟名川耳ヌナカワミミ)
神武の第三子で、すでに長兄手研耳命(タギシミミ)が
すでに「久歷朝機」(久しく朝機を歷す)だったのだ。が、次兄と謀って渟名川耳(ヌナカワミミ)が戸をあけた瞬間に、次兄が長兄を射殺するてはずに合意した。いざその時、次兄が手脚ぶるって矢を放てない。すぐに渟名川耳(ヌナカワミミ、のちの綏靖)が次兄の持つ弓矢をさっとひき取って、長兄の手研耳命(タギシミミ)を射た。一発は胸に中り、再発は背に中って、ついにこれを殺した。・・・即位して綏靖天皇。日本書紀に中国語で書いてある。
「国を肇ること宏遠に、徳を樹つること深厚なり。」
手腳戰慄,不能放矢。
時神渟名川耳尊,掣取其兄所持弓矢,而射手研耳命。一發中胸,再發中背,遂殺之。
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki04.htm
凄惨な殺戮しかも騙し討ちの皆殺しが、肇国の初めにあったと書いてある。そのあと神武の死亡直後に皇位継承で長兄射殺があったとある。ここまで悪しざまに書いたのは、中国皇帝の易姓革命説を輸入して書いたところの、後の王統による前王朝の歴史編纂ではないか説など、第十代崇神天皇、第十五代応神天皇、第二十六代継体天皇での不自然の記載があり、王統断絶説が出されたのは、治安維持法や教育勅語が廃止になった戦後になってからだそうだ。
しかし万世一系で肇國の時だというならば神武綏靖の時であろう。
<2>この皇軍道徳は勅語本文には載せずに別の教科書や軍で行い、教育勅語の解釈も時々の官僚が決めたという
教育勅語のトリック
子供の脳に小さく産み付けて大きく精神改造したのが教育勅語だったということはその出典と教育勅語の歴史とを突き合わせて見れば直ぐ判るであろう。けっして最初に空箱を受け入れさせた後からそこに官僚が都合のいい道徳を吹き込んだのではなく、空箱と見えた最初の教育勅語自体に出典として残虐道徳が仕込まれているのだ。かつ憲法を超越するものと位置づけたために、時々の官僚の国民操縦や戦争動員の恰好の道具となったのであった。日本人のもっていた徳川時代の儒教道徳をも破壊し改造する運命の洗脳装置であったと言えよう。いくら執筆者が臣民の内心の自由のために腐心しようとも皇祖肇国の樹徳をば徳の基礎に据えてしまっては無理であった。
(教育勅語には、政府・官僚にとって都合のいい使い捨て国民を作り出すための使い勝手のよいトリックがそこに仕込まれていたし、また現在、明治神宮などの口語訳なる戦後偽造勅語もその手口が不変だからである。
小さく産んで大きく育てる。つまり子供の精神に小さく産みつけて無抵抗力にし、一旦緩急あれば国のため上官・官僚が都合よく吹き込んで大きく改造して育てるという同じトリックの手口を仕込んでいる。つまり口語訳とは同じ手口のための戦後版勅語であろう。(「口語訳」なるものの「道義国家」とは国家が道義の内容を決めるということの謂いだ。))
<3> 現実の歴史上での皇軍道徳の発露。
縛り上げた「支那人」の銃剣刺突や戦後の従米軍慰安婦などと、教育勅語の関係は
教育勅語は僅か1890〜1948年の58年の間に、日本人と外国人にどんな大きな被害を与えたか歴史的事実に明かだ。そのなかで多くの日本人が非道行為を拒否できなかったことの精神的淵源の一つに教育勅語があったのだからである。
上官の命令は天皇の命令だと、兵隊臣民は言い聞かされ、銃後ではあらゆる犠牲がお国のためだと身体も供出させられた。
731部隊などの非人道人体実験ばかりか、軍隊での徹底した新兵いじめ、中国人農民や「捕虜」を無抵抗に縛り上げたうえでの銃剣刺突という悪の修行による新兵洗脳、さらには占領米軍に提供する従軍慰安婦集めの戦後にまでまかり通った精神道徳こそ、「一旦緩急あれば」云々の臣民道徳という精神崩壊装置であった。
<4>現代の教育勅語復活
つまり徳川時代の儒教道徳にさえ許されなかった非道な行為が行われ、また何故に正当化され受容され得たのか。
この精神構造の非道改造を、今の日本人自身が自己の精神に問い正さなければならないわけは、なぜならもう過去の歴史上の問題ではなく、過去に清算できなかったツケで、今これからの我が子の未来を棄民カルトの洗脳からどうやって守るかの現在問題となったからだ。
見よ今やあちこちに跋扈しているではないか。そういう非道を自己中心に据えている狭小な精神が、国内外で戦争挑発などして日本改造をしている。国有財産を私物化しながら。今さらに喫緊の教育課題であるばかりか詐欺と闘う最先の社会治安問題である。
自己のまわり以外にたいしては、ウソも詐欺も、殺人さえも許されるという「道徳」に浸りきっているので、部外者は獲物であり敵であるから幾らウソついても良心が痛まない。
ひとをうまく罠に嵌めたらアハハハと笑って喜ぶというこの精神構造の淵源が教育勅語の皇軍道徳であろう。このように出典をみれば明らかだ。(ここでは日本人の精神構造改造を問題にしているのであって、当然に敵国側の残虐行為を論じていない。)
何から何までウソであったこと、これと現代に教育勅語をなどと言う政治家が何度でもウソ吐いてシラッとしていることと軌を一にしていることがわかるであろう。
チンとかシンミンとか、奇怪な言葉で子供の脳をガツンとやった。そうやって子供の親から教え込まれていた道徳心を壊して作り変えていった。(覚えの良い子・悪い子で差別しながら子供の心を操縦した。わけわからなくても覚えると良い子だと褒められて、チンケな殺人道徳を植え付けられてしまうだろう。)
1、「朕チン」
2、「爾臣民なんじシンミン」 、「國体」
2、チンに対する臣民の奉仕が道徳だったとは、大多数の日本人んにとってありもしなかった歴史だったが、これを偽造して教え込んだ。
3、言葉の表面上は徳川時代の儒教道徳に似せてはいるが、じつは換骨奪胎のまったく別の國体「道徳」となった。
5、「一旦有緩急、義勇奉公」の中身は官僚が後から送り込むという、国家官僚道徳だった。武士ではない平民まで徴兵されるとされた。
2、の「億兆一心」はその後の昭和の開戦の詔勅で盛り込こまれ再び繰り返された一句だった。条件反射のスイッチが入れられたことだろう。
日本会議に己が出世を牛耳られた文科省の官僚や、末端官吏の教師は、どうするだろうか。
道徳の授業で、徳目として日本書紀=教育勅語の徳目を出して、子供にスリコミしてくるだろうか。
明らかに違憲・違法だ。
酒宴殺人道徳、慰安婦受忍詐欺道徳だからさらに悪質だ。
これをどう隠して、<国家のための道徳>を子供に注入するか彼らは考えているだろう。
明治神宮の「口語訳」のように。
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