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これを聞けば中国がよく分かります _ 宮脇淳子 「真実の中国史」講義 
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/170.html
投稿者 中川隆 日時 2018 年 4 月 16 日 23:02:09: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 中国人は悪い 投稿者 中川隆 日時 2017 年 12 月 26 日 09:23:16)


これを聞けば中国がよく分かります「真実の中国史」音声講義 
宮脇淳子先生 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=resc8aY9Qes


2017/12/14 に公開
あまりに素晴らしい講義なので、音声だけを再編集させて頂きアップしました。

多くの方に知って頂き、中国がどいう歴史を歩んで来たのか?を知る事で、私達の取るべき態度の支えになると思います。
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
1. 中川隆[-10188] koaQ7Jey 2018年4月17日 16:14:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-10897]

これが原本ですね:

2012/04/21 に公開
チャンネル桜 支援講演会 − 第22回 桜ゼミナール
講師 : 宮脇淳子(学術博士・東京外国語大学講師)
演題 :『真実の中国史を知って、日本の未来を開こう!』
日時 :平成24年3月18日(日)14時
場所 :護国会館(栃木県護国神社内)

【宮脇淳子】『真実の中国史を知って日本の未来を開こう!』 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%80%90%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E3%80%91%E3%80%8E%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%82%92%E9%96%8B%E3%81%93%E3%81%86%EF%BC%81%E3%80%8F+


2. 中川隆[-10187] koaQ7Jey 2018年4月17日 16:22:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-10897]

記念講演【宮脇淳子 近現代史研究家】『満蒙とは何だったのか』
「ポーツマス条約」110周年 国民の集い C 2015.9.5 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=r4W-dqMkgp8

「ポーツマス条約」110周年 国民の集い
〜日露戦争の歴史的異議を考える〜 
日時:平成25年(2015)9月5日 午後2時
会場:星陵会館大ホール

必見! 宮脇淳子先生の記念講演『満蒙とは何だったのか』

 例によって、刺激的な小見出しの連続で会場内を圧倒!

 極めつけは、「中華民国は国ではなかった」

以下、

・清朝な五大種族の同君連合国家
・満洲語・漢語・モンゴル語三体で書かれた『満洲実録』
・清の大宗の皇后はモンゴル人
・1903年にハラチン王府に女学校を開いた河原操子、王妃は満洲皇族
・満洲皇族粛親王の娘、川島芳子はモンゴル人ガンジュルジャブと結婚
・東部内蒙古はのちに満洲国に加わる
・日露協約と満洲の馬賊、張作霖
・1911年の辛亥革命は新軍のクーデター     清国の大部分は加わらず
・中華民国は国ではなかった
・満洲国は当時の世界約60ヵ国の3分の1、20ヵ国が承認していた
・張作霖の乗車車両(内側から爆発、屋根が吹き飛ぶ)
・排日の叫んだ張学良の自宅
・内モンゴル自治運動を率いた徳王

などなど・・・


3. 中川隆[-13383] koaQ7Jey 2018年6月21日 07:15:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15871]
苛酷な学歴社会に生きる中国人が日本の給食や幼稚園に驚く理由
https://diamond.jp/articles/-/172835
2018.6.20 王青:日中福祉プランニング代表  ダイヤモンド・オンライン


中国の大学入試は一大イベント。試験会場の前では、親や親戚が待機し、警察官が警備や受験生のために備える


6月上旬、中国では通称「高考」と呼ばれる大学統一入学試験が行われる。これによって、受験生はその後の人生が決まってしまうといわれるほどの一大イベントだ。この間、中国全土は“戦時下”のような雰囲気に包まれる。受験生への配慮や気の使いようは“異常”ともいえるほどで、この入学制度のあり方や受験生への対応については、中国国内でも疑問視する声もある。(日中福祉プランニング代表 王青)

中国大学統一入学試験は
まるで“戦時下”のような状態

 6月7日〜8日の2日間(地域により7日〜9日の3日間もある)、中国大学統一入学試験(通称「高考」)が行われた。今年は約900万人を超える受験生が試験に臨んだ。この2日間で12年間の学習成果が試され、激しい競争を勝ち抜けるかどうかで、これからの人生が決まってしまうのだ。

 この2日間の様子は、中国がまるで“戦時下”にあるといっても過言ではない。それほど緊迫して重々しい雰囲気なのである。政府関連機関は事前に対応策など準備を万端にする。世間全体も受験生にやたらと配慮し、「高考」一色となる。特に今年の高校3年生は2000年に生まれであり、「21世紀のミレニアム世代」として注目されている。

 その様子は、中国国内だけではなく、海外のメディアにも注目されて大きく報道されるほどだ。

 毎年のことだが、この数日間は、試験会場周辺の道路が車両通行止めになる等、交通規制が実施されるのだが、これは受験生たちがスムーズに到着するためだ。それ以外にも、受験生が安心して受験できる環境を作り出すため、高考期間中は試験会場周辺500メートル圏内で騒音が出る全ての工事、作業が禁止される。

 受験開始時刻に遅れないため、大手タクシー会社は1週間前から予約専用の電話回線を設けて、専用車の予約を受け付ける。そして、会場周辺のホテルは数ヵ月前から予約で満室となる。

 それは少しでも多くの睡眠時間を確保するためと、“缶詰め”状態で最後のひと踏ん張りをするためだ。親も夫婦そろって勤め先を休んで全力で受験生を支える。

 校門の前では、受験生を上回るおびただしい人数の親たちでごった返す。試験会場に入るわが子を見届け、終わるまで待ち続けるのである。

白バイ警察官による送迎は毎年の光景
カンニング対策は「アメリカの空港より厳しい」

 警察や警備員なども大勢に配置されて、さまざまな予期せぬ出来事に備える。

 
大学受験の合否は受験生のその後の人生に大きく左右する。試験会場の門の前では、受験生の母親と思われる女性が心配そうに待っていた

 毎年、必ず受験票や身分証明書を忘れる生徒が現れる。その際に白バイの警察官が取りに行って届けたり、遅れそうな生徒がいれば白バイに乗せてサイレンを鳴らして会場まで送ったりするなどの光景が、毎年報道される。

 ちなみに、7日に深センで起こったことだが、大雨の中で、1人の警察官がわざわざ男子生徒にレインコートを着せて白バイで会場に送ったのに、後日その生徒の母親が警察に電話して、「大雨の中で息子の服がぬれた」と苦情を言った。これはネットで母親を批判する声が殺到し「炎上」した。

 試験会場に入る際、カンニング防止のための厳しい検査も行われる。近年技術が発達してカンニングの手法が巧妙で分かりにくくなってきたからだ。ゆえに、カンニング防止のためのセキュリティーも年々エスカレートしてきた。

 例えば、金属のものは一切身に着けてはいけないと規定されている。今年は受験生のズボンのチャックが金属のため、セキュリティーに引っかかって入場できないケースが続出。女性の場合、身に着ける下着が問題とされることも度々あり、「アメリカの空港より厳しい」と揶揄(やゆ)されるほどだ。

 これら諸々の現象は、中国の現代社会を象徴している。

 経済の急速な発展とともに、社会での競争が増していく中で、誰もが成功の夢を見る。この夢を具体化するには、いい会社に就職して出世し、高い収入を手に入れることだ。

 これはもちろん昔からの中国の伝統的な考え方でもある。都市部では、受験生はほとんど一人っ子であるため、親は過剰に期待し、一族の将来をもその子に託している。農村では、なおさらだ。

 格差が激しい中国では、農村の子どもにとっては、運命を変える唯一のチャンスだ。ある意味では「高考」は数少ない「公平な道」なのである。さまざまな試練を乗り越えて、上り詰めた高校3年生は、たった3日間の勝負に赴く。

 まさに、家族にとって「最も重要な2〜3日間」と考えるのも無理はないのである。

“異常”ともいえる「高考」のあり方は
中国の発展を支えるものなのか

 そもそも中国では、幼稚園から「スタートラインから負けたくない」と考えて、親がお金と時間をかけていろいろな習い事をさせる英才教育が盛んだ。

 名門校に入り、その地区の戸籍に入るため、その学区の不動産「学区房(マンション)」を、通常よりも数倍も高い値段で購入する親もいる。「全財産を投じても惜しくない」と考える親も珍しくはない。

 そして、受験生の子どもには家事どころか、自分の身の回りのことすらさせない。

 上海の名門高校の副校長を務める友人によると、通学の際には7割の高校3年生の親が車か電動バイクで送迎をしている。また、多くの学生が日常生活で身の回りの簡単なことができないという。

「良い成績を取ってくれれば、あなたは何もしなくていいから…」というのが、大半の親が子どもに向かって言うセリフだ。勉強の重圧と親からの期待で鬱々となる生徒が少なくない。そのため、学校は専門の心理カウンセラーチームを設置して、生徒に対して常に心理ケアを行っている。

 上海市では、毎年のように「高考」を直前に控えて精神的に耐えきれない、あるいは予想よりも低い点数を取って「高考」を失敗した生徒が自殺するケースが出ているという。

 しかし、この“異常”ともいうべき「高考」のあり方はもとより、これらに直面した後の生徒らは、今後の中国の発展を大きく支える「柱」となるのであろうか。

 最近、専門家は問い掛け始めた。彼ら彼女らの大半が「一人っ子」として、6人の大人(自分の両親とその父母)に大事に育てられてきた。いわば「小皇帝、小公主」だ。総じて「わがまま」で「自己中心」な性格になりがちである。「成績が良くても、人に対しての思いやりや、コミュニケーション力がなければ、たとえいい会社に就職ができても、今後の人生はうまくいかないのではないか」と指摘されている。

 近年、上海や北京を中心とする都会では、民間の教育機関により「IQ育成教室」がはやっている。およそ3〜12歳の子どもを対象に、週1回約1時間の授業を行う。

 プログラムは、「忍耐力、自己判断力、自己管理力、自信付け力、コミュニケーション力、礼儀作法、思いやり」などを養う内容で構成されている。費用は年間約2万元(約32万円)となる。

 先日、上海で小学校5年生の息子を持つ友人に会った際に、その友人は「去年から息子をIQ育成教室に通わせている」という。「最近は人に会うとちゃんと挨拶するようになった。ご飯の後も自分の食器を片付けしてくれているのよ」とうれしそうに話してくれた。

中国で話題となった
日本の学校給食や卒園式の様子

 中国では「成績と人格、どっちが大事?」、「勉強だけできて、何になる?」というような議論をする時に、しばし「我々の隣の国を見てみろ」と言わんばかりに、日本の例が引っ張り出される。

 去年秋に日本の公立小学校で給食の光景を撮影した映像が、中国のネットで大きな話題となった。

 子どもたちが料理を運ぶ様子から最後のお片付け、掃除まで、当番の生徒が中心となりクラス全体が協力して行うこと、そして食べ物を残さずにきれいに食べていたことなど、多くの人が驚き、感動したという。

 それに続き、日本のテレビ番組の「衝撃と感動の映像」という、「6歳の泣き虫少年が起こした奇跡の瞬間」という物語が、今年の「高考」の数日前にネット上で爆発的に拡散されて話題となった。

 鹿児島県霧島市に住む幼稚園年長組の男の子・凌くんは、普段は泣き虫。体育の跳び箱が苦手でいつもできなかった。ある時、家庭の事情で学校を離れることになる。学校は彼のために1人の卒園式を行う。その卒園式では、10段の跳び箱があった。全校園児の激励のかけ声の前で、凌くんは、泣きながら何回も挑戦したが、跳ぶことはできなかった。

 最後に皆が凌くんを囲んで輪になり、「できる!できる!できる!」と勇気づける。すると凌くんは渾身の力を発揮して、一気に跳び越えたのだ。

 会場からは拍手が沸き上がり、皆抱き合って泣いた。

 この映像が中国のSNSで拡散され、「超感動した!涙止まらなかった!」「勇気と自信を生徒に与える日本の教育は素晴らしい!」という賞賛の声が、数え切れないほど投稿された。

 そして、「中国だったら、凌くんは弱虫だと笑われるだけ」、「日本の子どもが普通にできている挨拶やお片付け、自分のことを自分でやる躾(しつけ)は、中国ではお金を出して教育機関に任せないとできないのか」などのコメントも多数あった。

「高考」の試験制度も含めて、社会制度はその国の社会や歴史、文化を反映しているものだが、そうした制度が時代や社会の変化や要請に必ずしも適合しているとは限らない。隣国日本のテレビ番組の映像がネットを通じて拡散され、大きな反響が出るまでになった今、中国の人々もさまざまな「比較」の視点を獲得して意識するようになってきた。

 こうした意識の変化は、自国のことを変えるきっかけとなるかもしれない。


4. 中川隆[-13382] koaQ7Jey 2018年6月21日 07:21:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15871]

「チャイナドレス」と「漢服」〜伝統文化のない中国〜 2013-04-27

 「中国の歴史は5000年」だと、中国人はことある毎に言います。

 学生と話をしていても、文化や歴史の話になれば必ず上記のフレーズが出てきます。

 「だから中国は凄いんです」と。

 しかし、中国人が「歴史」「歴史」という割には、現代の中国には伝統的な文化と言うものはほとんど残っていません。

 「文化大革命で文物が破壊された」とか、「故宮の貴重な文物は台北にある」とか、そういったレベルの低い話ではありません。

 中国人には長い歴史があるにもかかわらず、受け継いできた「伝統」と言うものがないのです。

 思想・精神的な文化については、昨日の記事に書いたとおりです。

 中国に来て中国人を見ても、「東洋学」で語られる中国人の姿というのは一切見ることが出来ません。

 今日はそれ以外の「文化」において、伝統のない中国の姿を書きたいと思います。

歴史の浅い代表的文化

 「チャイナドレス」というと、日本人にとっては中国の代表的な民族衣装と思われるでしょう。

 実際に現代中国においても「正装」として捉えられてきました。

 しかし、この「チャイナドレス」というのは、清朝時代の服装であり、清朝時代の支配者層である「満州族」の服装です。

 中国の大多数の「漢族」の伝統的な服装でないだけでなく、その歴史もせいぜい数百年しかないのです。

 「京劇」と言えば、中国の代表的な歌舞演劇です。

 しかしながら、これも清朝時代に発祥したもので、300年ほどの伝統しかありません。

 日本人が好きな『三国志(演義)』や『西遊記』にしても、話の題材は三国時代や唐代にさかのぼるわけですが、こうした小説が「講談」として民間に広く広まるのは明代の事になります。

 中国人が誇る中華料理もその最高の料理は「満漢全席」であり、その名の通り「満」つまり満州族と漢族の料理を合わせたものなのです。

 清朝時代以降の伝統であることは言うまでもありません。

伝統を守ってこなかった

 中国の歴史は「被侵略」の歴史であり、その度に破壊と殺戮が繰り返されました。

 (ただし、中国では歴史上の侵略者は現在「中華民族」なので問題にならない。歴史上中国を支配してしまった民族は「中華民族」としなければ、「中国」の正統性につじつまが合わなくなるため。)

 しかしながら、王朝交替毎に破壊があったにせよ、そもそも中国人には「伝統を守る」という思想がほとんど感じられない。

 「歴史書」やその他の「書籍」を歴代王朝が保管したりして来たこともありますが、その保存状態が悪く、劣悪な保管状況で受け継いできたことは有名な話です。

 徳富蘇峰も「奉天では清朝廷室の宝物蔵の文溯閣を見物し、膨大な古今の貴重な文物に接しながら、その数の多さと保存状態の悪さに閉口し」(徳富蘇峰『世界紀行文学全集』修道社、昭和46年。参考:樋泉克夫のコラム【知道中国 875】http://melma.com/backnumber_45206_5780893/ )と記しています。

 ですから、書籍は破損、欠落、さらには散逸し、歴史学者はその散逸、欠落した文章の収集に追われたりします。

 挙げ句の果てに「偽書」が出回り、すでにどれが真書でどれが偽書なのかわからない書物も多く存在します。

 現在「真書」として歴史的価値のある書籍は、そのほとんどが日本にあり、中国人が書籍の真偽を確かめるために日本の版本を確認するというのは何とも皮肉な事実です。

技術を教え伝えない

 「伝統を守る」思想のない中国のおいては、工芸・芸術の方面でも伝統を受け継ぐことが出来ませんでした。

 日本が弟子にその技術の全てを教えて、後世に技術を伝え残すのと対照的に、中国では「技術を残す」ということがなされません。

 これは中国人の思考が「ゼロサム」思考であるが故のことです。

 自分の技術を弟子に教えてしまえば、弟子がその技術で独立して自分が損をすることを恐れてしまうのです。

 企業で中国人と関わった事のある人ならご経験があるでしょうが、中国人は部下に仕事を一切教えません。

 ただ「命令する」だけです。

 企業だけでなく、料理人の世界でもそうです。

 腕のいい料理人が店を開いても、そこで働く下働きには技術を教えません。

 で、最初は味がいいと評判になり大きな収入を得ると、オーナーシェフはもう料理を作らず遊んでしまいます。

 しかし、技術を教えていないものだから、当然味が落ち、結局客足が遠のくというのをよく見かけます。

 これは料理のみならず、あらゆる「職人」の世界で見られる現象です。

農村の伝統行事

 たまに学生の故郷に呼ばれて、農村だったりすると、いろいろな伝統行事も見ることが出来ます。

 日本の各地の祭りのように何か特徴があるかと、最初の頃は非常に楽しみにしてあちこちうかがっていたのですが、ほとんどが結局がっかりさせられることになります。

 きちんと教え伝えていないのでやっている事のクオリティーが低すぎるのです。

 「とりあえずやっています」的な。

 例えばチャイナタウンで見られるような竜の踊りもある村でみました。

 竜の人形を、人が持つたくさんの棒で支えて、あたかも竜が動き回っているように見えるあれです。

 しかし、その村での竜の踊りは、なんとなく安物の衣裳を着た若い人達が、竜を支える棒を持って、村の中をうろうろするだけでした。

 躍動感や、何か伝統を感じるようなものではなく、ただ村の各家の玄関をめぐってくればそれで終わりという。

 非常に期待はずれだったことを思い出します。

 少数民族の伝統行事なんかを見ると、漢族の行事との差は歴然です。

「漢服」を復興

 最近は「日本の和服は中国の唐代の『漢服』が元になっている」などというのを広めているようです。

 日本の和服への憧れとともに、「あれは中国の文化がもとになっている」という優越感よって満足を得ているようです。

 しかしながら、「漢服が元になっている」と言ってみたところで、現代の社会にその「漢服」が一切無く、中国の衣裳と言えば「チャイナドレス」になってしまっていることに危機感は感じているようです。

 そこで、今は「漢服」を「伝統衣裳にしよう」という活動が、国の主導のものに随分と熱心に行われているようです。

 しかしながら、既に500年以上もすっかりと忘れ去られていた文化であり、「伝統のないもの」を「伝統文化にしよう」としてもそう簡単ではありません。

 その結果は「日中合同成人式、「着物の方が断然キレイ」と不満の声が殺到―中国版ツイッター 」の記事を見てもらえればわかります。

 小手先だけの「伝統」を叫んでみたところで、本当の「伝統」が無ければ、全くの安物になってしまうのは一目瞭然です。

 また、「中国の「漢服」知らぬ“愛国者”、和服と間違え罵倒の嵐 」なんてこともありました。

 こんな事件も発生するぐらいですから、「伝統」など失われているのは一目瞭然です。

「伝統を守らない」のが「中国の伝統文化」

 日本のみならず、世界各地の伝統は、伝統のために「犠牲」を払う個人の存在によって守られているという側面があると思います。

 今もお金のために破壊と建設を行い、お金のためにしか動けない中国人に、今後も伝統が守られるとは考えにくいと思います。

 中国人自身がまず、「伝統を守らない」のが「中国の伝統文化」だと気付かないといけませんね。

 小手先だけのやり方では、「教育」と同じく、いつまでたっても価値ある文化が作られないでしょう。
http://ameblo.jp/xiang-xia/entry-11516221799.html


5. 中川隆[-13381] koaQ7Jey 2018年6月21日 07:22:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15871]

「混沌の大国」中国と中国人を知る エコノミスト 田代秀敏氏
http://www.ikaganamonoka.com/intr/tashiro1/

行ったことはあるのですが、どうにもその行動や価値観が理解しにくい国「中国」と「中国人」について、田代さんに一から教えてもらいました。聞いてびっくり。わたしは中国のことについて、知ってるようでいて、実は何にも知りませんでしたね。万人のための「中国入門」です。


『中国に人民元はない』(文春新書588)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AB%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%83%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%94%B0%E4%BB%A3-%E7%A7%80%E6%95%8F/dp/4166605887


そもそも「中国人」は外国人がつくった概念


運営者 北京オリンピックや毒餃子事件を介して中国のプレゼンスが庶民のレベルでまた高くなっています。

 今まで企業のレベルでは生産基地として、あるいはこれからの大消費地として非常に意識されてはきましたが、今や市井の人たちも無視することはできない主要なプレイヤーになってきているということです。

 田代さんに伺いたいのは、そういう存在である中国の民、中国人と言い切れるほどひとつのまとまりはないと思うのですが、それはどういう人たちだとわれわれは考えるべきなのか、その辺のことからお話していただきたいんです。

田代  まず中国というのは、本当に、多様というよりも混沌・カオスなんです。だから一口には何も言えません。中国に関するお話は、とめどもなく、まとまりがありません。

運営者 中国自体が、まとまりのない国だからですね。

田代  だから中国に関する話で、まとまりがよかったり、日本人が聞いて分かりやすかったりしたら、それは疑ってかかるべきなんです(笑)。

 よく言われることですが、中国の統計がよくまとまっていたら、それは嘘だということです。

運営者 統計的にすら、把握ができない国ということですね。

田代  そもそも、中国人という概念は、外国産なんです。中国人同士にとっての、「あなた何国人?」というのは、国籍を聞いているのではなくて、北京人か、上海人か、広東人かを聞いているのです。ちょうどアメリカで、What is your religion? と聞いたら、プロテスタントの宗派を聞いているのと同じようなものです。

 北京と上海では、言葉語も、食事料理も、文化も全然違うわけですから。だから彼らは、「同じグループに属している」という意識はあまりないんです。

運営者 日本では新任大臣が「日本は単一民族」と食言したらクビになりますが、中国では「中国は単一民族」と発言してもクビになることはないということですね。

田代  そういうことです。そんなことを言っても、まったく意味がわからないわけですから。中華人民共和国は国民国家ではないので、「国民」という言葉は避け、「人民」とか「老百姓」とか「中華民族」という言葉が使われます。「老百姓」は「昔からいるいろいろな姓」という意味で、「中華民族」は「漢族と55の少数民族との共同体」という意味です。ちなみに「漢民族」は日本語で、中国では「漢族」です。

 ではどうして「支邦人」、「中国人」、「チャイニーズ」という言葉ができたかというと、清国の終わりに留学生がアメリカや日本に行ってからのことです留学生が学校で、「チャイニーズ集まれ」と言われても、みんなが誰のことかわからないわけです。「チャイニーズって誰なんだよ?」と聞き返したら、「お前とお前のことだよ」と言われて、「びっくりした〜。上海出身の俺と、福建出身のアイツが同じカテゴリに属しているのか!」と驚いて書き残した留学生の日記が見つかっています。

運営者 へえー。

「具体的なことしか信じない人たち」


田代  東京大学や早稲田大学でも同じようなことがあったんです。彼らが中国に帰って、「知ってるか、おれたちは中国人だぞ、支邦人だぞ、Chineseだぞ」と、ふれまわったわけで、中国人というのはそういう概念なんです。

 だから、中国人についての一般論は、とても難しいのですが、むりやり一般化すると、中国人とは次の2つの特徴をもつ人たちなのです。

 ひとつは「漢字だけを使う人たち」

 もうひとつは「具体的なことしか信じない人たち」

 二番目の特徴を、吉川幸次郎という中国学の碩学は、中国人の思考の特徴は自分の素朴な感覚への絶対的な信頼であり、だから、中国人は感覚を超えた存在をあまり信頼せず、冷淡になりやすいと述べています。

運営者 感覚というのは五感ですか。

田代  五感ともちょっと違うんです。中国では「味わう」というのが非常に重要な感覚なんです。フランス人はよく「美しい」と言いますが、中国人は「おいしそう」と言います。「食べたらうまそう」というのが最高の褒め言葉なんです。だから、他人の家にお呼ばれされたときには、その家の子供を「子豚のようにかわいい」と褒めると、その子もその子の親にもよろこばれます。

 中国人という概念はこういうふうに非常に漠としたものなのですが、漢字だけを使い、なおかつ、自分の素朴な感覚を100%信じている人たちということが最大公約数だと考えるのが好いでしょう。中国人は、自分の素朴な感覚の対象にならないものや、感覚を超えたものは信じません。

運営者 例えばコンセプトとかも信じない。

田代  「死」なんかもそうなんですよ。中国の人は死について極めて無頓着です。ほとんど考慮しません。感覚を超えた死後の世界について考えている節があまりない。

 あえて言うと中国人は、死もいまの世界の延長だと考えています。だから中国の葬式では、金箔や銀箔を貼ったお金のおもちゃを燃やします。どうやらATMがあの世にあって、燃やすとそのお金がATMに入っていってお父さんやお母さんがそのATMからお金を引き出せると考えているらしいんです。

 「あの世でもお金がいるんですか」と聞いたら、「それはそうでしょう。ものを買うにしても、役人を買収するにしてもお金が必要ですよ」と答えます。
 だからあの世にも今と同じ世界があると考えていて、商店があって、役人も腐敗していて、現世の仕組みが死後もそのまま続いているのだと信じているわけです。

運営者 本当の現実主義者ですね。「天国はパラダイスであって、地獄はどうしようもないところだ」という感じではなくて、「あの世もこの世の延長でしかないのだ」という認識ですか。

田代  だから中国人の想像力、イマジネーションはおもしろいですよ、日本人と全然違っていて。ただしよく気をつけてみるとすべて「感覚の内側」にとどまっているんです。哲学的なこと、形而上学的=メタフィジカルなことはまったく関心を持ちません。関心があるのはフィジカルなことだけです。

形而下に止まる思考形態


田代  彼らがどんなに想像力を膨らませたとしても、すべてフィジカルな範囲内にとどまっています。

 たとえば孫悟空が、お釈迦様の手の平から、キン斗雲に乗って飛び出して、世界の果てまで行こうとしますよね。そうすると世界の果てには5本の柱が立っていたので、孫悟空は「ここが世界の果てだ」と思って、その柱に落書きをして帰ってきます。

運営者 斉天大聖ここに来たりて曾遊す。

田代  すごく気宇壮大に見えますけれど、結局はフィジカルな世界の中にとどまっている話なんです。

運営者 それが彼らに理解できる範囲内なんですね。

田代  インド人は、もっと抽象的に話が広がっていくのですが、中国人にはそれはない。だから吉川幸次郎は、「中国人の想像力は、まりが跳ねるようなものだ」と言っています。地面から少し離れたとしても、いつかは地面に戻って、地面の上を這って、どこかで止まる。地表の上をわずかに離れるんだけれど、基本的には地表の上を転がっていくようなものだと分析されています。

 インド人の思考は、ヒューンとはるかかなたに飛んでいくんですけどね。

運営者 なるほどね。お話を聞いてみると、なるほどと納得するのですが、日本人がなぜ中国人のその部分を理解していないかというと、日本人にとっては、どちらもできるからだと思うんです。

田代  そうですね、私が深く尊敬する混血の天才中国語学者に言わせると、中国語よりも日本語のほうが哲学的なんだそうです。中国人の思考には哲学性が希薄なのだからだそうです。

運営者 言語の構造は、当然、使っている人たちの認識を反映するはずですからね。

田代  またその認識を制約しているはずですよね。

 実はね、「中国語」というものは存在しないんです。実際にあるのは、北京語だったり、上海語だったり、広東語、四川語なわけです。例えば「我」という言葉も、それらの言葉で全く発音が異なります。中国人にとっても、自分の地方の言葉でない言葉は、勉強しなければ皆目わかりません。方言ではなくて、違う言語なんです。

運営者 北欧の国の言葉が違う言語だというのなら、それらの言葉も全く違う言語だと言えるでしょう。

 台湾に行って驚いたのは、すべての番組に漢字の字幕が出ていることですよ。漢字さえ出しておけば、だいたい分かるということなんですね。

田代  それしか方法はないんです。大陸も全く同じで、特に胡錦涛総書記が出てくる演説の放送では、3段も4段にもわたる非常に詳細なフルテキストの字幕が出ます。しかし共産党の最高指導者の発言だけでなく、どんな人でも同じですし、映画の字幕も同じです。

漢字の国の人たちは言語を信じていない


田代  もうひとつ中国の特徴は、言葉に対する信頼がないということです。

運営者 でも、言葉に対する信頼がなければ、ものが考えられないし、政治も難しくなっちゃいますけどね。

田代  中国人は漢字という、人類の言葉の中でも最も精緻な文字の体系を作り上げた人々なのですが、その彼らは言語に対して非常に不信の念を持っています。

 「言語というのは、せいぜい物事を暗示するだけであって、決して真理そのものや、自分の本当の気持ちというのは決して語りえない」と思っているんです。

運営者 それはひとつの見識ではありますがね。それに対して、「語りえぬものについては沈黙するしかない」と言った人もいますが。

田代   言語観の違いは、中国人と日本人との摩擦の原因になるんです。たとえば、「本音と建前」というのは純粋な日本語であって、中国人には説明できません。
 さっきの天才中国語学者が作った日中辞書典では、本音を「真実話」、建前を「原則」と翻訳されています。「ちょっと違うんじゃないですか?」と聞いたら、「だってこうしか説明できないじゃないか」と言われましたけどね。

 日本人だと、「君の本音を一言で言ってごらん」といえますが、中国ではまったく無理です。中国では自分の本当の気持ちは、たとえ百万言を費やしても語りえない。せいぜい暗示するしかできないと考えられているんです。

 真理についても同じです。中国人にとって真理とは、かすかに、わずかに暗示できるだけであって、わかる人にはわかるけれど、ほとんどの人にはわからないものだと考えられているんです。

 だから、われわれが学校で習う漢文なんかも非常にシンプルですよね。

運営者 そうですよ。どうしてあれがそういう具体的な意味を的確に表していると断言できるのか、テストでいつも不思議に思っていたのですが。違う解釈もできるだろうと。

田代  あれはもともと、孔子が言っているように「文は言を尽くさず」、つまりどんなに文書を書いても言いたいことは言えないし、「言は意を尽くさず」、どんなに言葉を重ねても自分の心は語れないというあきらめが先にあるんです。

運営者 そこですよ、そこであきらめるかどうか、真理に肉薄していこうとするかという態度の違いが非常に大きいと思うんです。

田代  日本人はあきらめないですよね。必死になって説明しようとします。でも中国では最初からあきらめている。

運営者 日本人が持っているのは、ルネサンス的な姿勢だと思うんです。

田代  そうですね。

運営者 中国人がそれをあきらめているということは、また別の思想体系がそこにあるんだと思うんです。

テレサ・テンの歌に見る自己中心的世界観


田代  一方で、中国の人たちの世界認識は極端にエゴセントリック(自己中心主義的)です。徹底して自分を中心とした世界像を描いています。

 アジアの歌姫テレサ・テンの歌でこういうのがありますよね。

 「だからお願い そばにおいてね 今はあなたしか愛せない」

運営者 「時の流れに身をまかせ」ですな。

田代  この歌は日本語の歌詞が元ですが、中国語に翻訳されていて、今では全中国人の愛唱歌になっています。みんなすごく大好きな歌なのですが、これの中国語訳はこうなんです。

 「所以我求求[イ尓] 別離我離開[イ尓]」

運営者 ふむ。

田代  日本語の歌詞では、一言も、「わたし」とか、「あなた」とか言ってないでしょ。

運営者 そうですね。

田代  ところが中国語ではこんなに短いことばの中に、「我」が2回、[イ尓]つまり「あなた」も2回出てきています。こういうふうにしなければ、そもそも言葉として成立しないんです。

 直訳すると、「だから私、あなたにお願いお願い、私をあなたのそばから離れさせないで」になります。

運営者 すごいですね。日本語でそんなこと言われたら、ちょっと引いちゃいますね。

田代  中国語では、こう言わなければそもそも意味が伝わらないんです。

 中国語では徹底して、まず一人称の「我」(ウォー)があって、次に二人称の「イ尓」(ニー)つまり「あなた」がいて、その次に三人称の「他」(ター)つまり「わたしでもあなたでもない他の人」があるんです。「ウォー・ニー・ター」、人称代名詞はこれでおしまいです。英語のような格変換はありません。複数にするときはその後に「們」(メン)をつければいいだけです。以上、おしまい。

運営者 便利ですね。つまり中国語は、他者認識が、世界の言語の中でも恐らく最も単純であるということですか。

田代  もっと言うならば、非常に強烈に自分を中心に世界を組み立てているのですね。

 まず私があって、次にあなたがあって、それから第三者がいて、それでおしまいなんです。

でもこの関係性は重要で、「だからお願い、そばにおいてね」と言うだけでも、私とあなたが2回ずつ出てこなければならない。

感覚で分かるものには徹底してアプローチする


田代  日本語が話せる中国の人がふだん冷静に日本語で話しているときは普通の日本語ですけれど、興奮してくると、「わたしあなたに言った、あなたわたしにこう言った。わたしあなたにこうした・・・」って言うじゃないですか。

運営者 そうですね。それは彼らにとっては普通なんだ。

田代  中国語を直訳しているだけになっているのです。日本人も興奮すると、英語で話していてるときに興奮すると、明らかに日本語の単語を英語に置き換えただけになってるじゃないですか。

運営者 "We Japanese"って言っちゃいますからね。それはよくわかります。

 そういう世界認識、世界の中での自分の位置が、中国人にはまずあるわけですね。

田代  まず「我」が中心です。その周りにあなたがいて、その周りに第三者がいると。

運営者 現実主義であり、言い方は悪いけれど自己中心主義であると。

田代  現実主義というよりも、徹底して形而下のことにしか関心がないんです。それが善いか悪いは、別の問題ですよ。

運営者 もちろんです。文化の差異についての話ですから。

田代  だから漢字の体系も、形而下のことに注目する文明の産物です。漢字はよほど字の形を、きちんと見なければいけないようにできています。

 例えば「犬」と「太」と「大」の違いなんて、字の中に点「、」のあるなしと位置の違いだけですよね。アルファベットしか用いない人々は、なかなか覚えられません。

運営者 なんか白川静先生の世界になってきたな。

 なるほど、アルファベットしか使わない連中は字の形におおざっぱですからね。そういえば漢字圏でない外国で漢字の本を読んでいると、えらく感心されて「これをお前も書けるのか」と聞かれますよね。  

田代  漢字の精密なシステムは、いかに中国人が、感覚的なものに対しては、執念を持って見ているかを、よく表しているんです。

運営者 なるほど、そうですね。感覚で分かるものについては徹底してアプローチするということですね。

田代  その点で日本人は甘いんです。たとえば、中国の書法家の作品とくらべると、日本の書道家の書はどこか甘いところがあります。なぜかと言うと、われわれは漢字が書けなくても、ひらがなやカタカナでごまかせるじゃないですか。

でも、中国人は漢字が書けなければ何も伝えられない。漢字が読めなければ何も読めない。◯音(ピンイン)という中国語のローマ字書きのシステムはありますが、それを使って読み書きするのは幼稚園の年少組までで。幼稚園でも年長組になると漢字で絵本を読みます。幼稚園を出た段階で、「東京文化学園」を、ちゃんと「トンチンウェンファシュエエン」と読めます。そうした漢字だけの国の書法は、ひらがなもカタカナもある日本の書道と厳しさが違うのは当然です。

運営者 ということは、唐代に顔真卿なんかが確立した書法は、そういうスタイルを徹底したたものだったんですねえ。

中国人は遅刻しそうになっても連絡しない


田代  そういう意味で、中国の書法は、すごく切羽詰まったものがあります。しかし、その文字は、決して言を尽くさないし、言は意を尽くさないんです。不思議な言葉の体系ですよね。

運営者 意外です。僕はあの書が雄弁に真理を語っているからこそ、彼らは何世紀も大切にしてきているのかと思っていました。意外とそんなに信用してないんですね。

田代  中国人にとって、漢字というのは交通標識みたいなものなんです。それを北京の人は北京語で読むし、上海の人は上海語で読む。でも、お互いそれを声を出して読むと、さっぱり意味がわからないんです。

運営者 あくまでも記号なんですね。

田代  でも交通常識だから、なんとなく意味は伝わります。もっとも、伝わるのは、本当に言いたかったことの何分の一かです。

運営者 その他、中国人を理解するために覚えておかなければならないことは何ですか。

田代  日本人が中国人を理解するのは難しいですよ、とにかく中国は日本と全く違う社会ですから。

 例えば中国には非常に大きな企業がたくさんありますよね。だけど私から見るとあれは普通の企業には見えないんです。

運営者 どういうことですか。

田代  中国の会社では、個人レベルでさえもそうなんだけど、「ほうれんそう」がないんですよ。

運営者 「報告、連絡、相談」ですね。

田代  日本の企業に入るとまず最初に研修で厳しく教わるのは、「何事も報告、連絡して上司と相談せよ」ということです。そうしなければ集団として機能できないと日本では考えています。

 中国の企業は正反対で、報告しない、連絡しない、相談しない。

運営者 社会性がないってことじゃないですか。

田代  いえ、中国人は社会性が非常に高いんです。日本人以上に高いでしょう。日本社会よりも中国社会の方が長く続いているわけですから。日本以上に、アメリカと、うまくやっている。でも、「報連相」は、しません。

 約束の時刻に遅れてしまうと、日本人だったら、すぐに携帯電話で、「すみません、遅れてます」と連絡しますよね。

運営者 ええ。

田代  中国人は、まずしません。「定刻になっても自分が現れていないのだから、遅れていることは明らか。それをあえてもう一度言う必要があるのか」ということで、自分から連絡はしません。だから、中国人に「すみません、私いま遅れています」と電話したら、「当たり前のことをいちいち言うな」と、かえって不機嫌にさせてしまいます。

運営者 そこにいないんだから(笑)。


食べられるものはすべからく食べる


田代  「何でそんな当たり前のことを言うのか」ということです。

 あいさつでも、日本人はすぐに「暑いですね」とか「暖かくなりました」とか天気の話をしますが、中国人は天候のことを挨拶に使いません。中国人にすれば「わかってるよ、同じところにいるんだから。そんなわかりきったことを口にすることに、なんの意味があるのか」ということです。

運営者 それじゃ話の接ぎ穂というのが・・・

田代  彼らは話の接ぎどころが違うだけなんです。天気の話はしません。

 中国のおもしろさは、あいさつをしないことにもあります。おはようもお休みも、ただいまも行ってきますもありません。なぜならば見れば明らかだから。

 中国でただいまというのは、「私は来ました」で、答える方も「あなたは来ました」という言い方ですから、単なる確認事項ですよね。

運営者 「アイム・ホーム」に近い感じですね。

田代  おはようも言う必要はありませんよね。お互いの起きていることはわかるわけですから。

運営者 解らんでもないですけどね。

田代  中国の文化は日本とはコード体系が全然違うんですよ。

 ただ問題は、日本人と中国人とが、同じ服を着て、お互いに黙って座っていたら、相手が日本人か中国人か、全然わからないですよね。それくらい、日本人と中国人とは、人種的には非常によく似ている。だから、日中双方とも、お互いに「そこまで言わなくてもわかるでしょ」と思っているわけですが、そこがお互いの国に行って暮らしている日本人と中国人にとっては悩みの種なんです。

運営者 なるほど。
  話が戻りますが、「おいしそう」というのは褒め言葉なんですか。

田代  中国人が日本の家庭で飼われているチャウチャウ犬を見て、「あれは今、ちょうど食べ頃ですね。そろそろ食べるんでしょ?」「日本では食べないですよ」「なんてもったいない。それなら私がこれから料理して、田代さんにご馳走しますよ」「それはちょっとやめてください」なんて会話が実際にあるんです。

 食べられるものは、すべからく食べようとしますね。

運営者 本当にテーブル以外の4つ足のものは食べるんですね。

田代  日本では、「人を食う」というのは人をバカにする意味ですよね。でも中国では実際に食べちゃうんです。

運営者 「水滸伝」の世界になってきたなあ。


中国人を食事に誘うときはよほど考えたほうがよい


田代  中国では、古代の王様が「美食に飽きた」と料理人に言ったら、料理人が自分の子供を調理して王様に差し出して褒められたというのが、忠義のエピソードとして伝えられていますよ。

 あるいは、垓下の戦いで、大英雄である項羽が虞美人の行く末を嘆き哀しんだ歌は有名です。その後彼は自ら虞を刺し殺したのですが、その続きを読んでみると項羽は虞を食べちゃってるんですね。日本の漢文の教科書は、そこは省略してしまっています。

 孔子の弟子で論語に最も頻繁に登場する子路は、衛の国の高官になったのですが、政敵に倒され、塩漬けの刑で「醢」にされてしまいました。孔子は嘆き哀しんで、自分の家にある醢、つまり塩漬け肉を捨てさせ、それ以降、口にすることはなかったと、伝えられています。

運営者 つまりそれまでは、人肉の醢を食べていたかもしれないのですね。

田代  それまで孔子が食べていた「醢」が人肉の塩漬けでなかったとは、『論語』にも『礼記』にも明記されていませんし、後世の儒家たちもその点を追求していません。喫人つまり人肉食は中国の文化ですから、喫人の経験の有無は、人物に対する評価の基準ではないのですね。

運営者 という文化であったということですね。

田代  善いか悪いかの問題ではないんですよ。喫人の習慣が有ったと中国を非難するのは、自分の民族が世界で一番というエスノセントリズム(自民族中心主義)でしかありません。

運営者 もちろん。文化的差異を論じているわけですから。

田代  重要なのは、それくらい、中国人にとって、食べることがとても大切だということなんです。

 ですから、うかつに中国の人に、「食事をしましょう」と言わないほうがいいです。

運営者 なぜなんですか。

田代  中国人に対して「食事をしましょう」ということは、「あなたと私は、切っても切れない仲になりましょう」と誘っているのと同じことなんです。

 最近はそうでもないようだけど、一昔前にしばしばあったトラブルで、こんなものがあります。中国人の女性の留学生が大学院でがんばっているんだけど、学力不足で博士号がとれそうもない。そこで、大学院の指導教授は、「研究者への道をあきらめさせ、転身を図らせたほうがいい」と考えている。そこで、その指導教授は中国人の女性大学院生を食事に誘い、そうした趣旨を伝えようとする。でも、これが、トラブルのもとになります。

 日本の会社でサラリーマンが上司から食事に誘われると、「降格? 転勤? 下手すると解雇?」かとヒヤリとしますよね。ところが中国人はそうは思いません。食事に誘うことは、これから特別な関係になりましょうという意味か、特別な関係をこれからも継続発展しましょうという意味なんです。

運営者 へー。

田代  だから、日本人の指導教授から食事に誘われた中国人の大学院の女学生は、「一晩考えさせてください」と答えるわけです。そのうえで、「お受けします」となって、教授から指定されたレストランに向かう彼女は、「先生からプロポーズされるんだ」と思っているかもしれません。

 食事の席で指導教授が「君の学力では博士号の取得は難しいから、別の道を考えたほうがいいよ」とか言っても、彼女の頭にはそんなことは入ってきません。食事に呼ばれ、それを受けているということで、頭がいっぱいになっているんですから。

 しばらくして何が起きるか。彼女は大学の学長に、「私は○△教授から食事に誘われて応じたのに、いつまでたっても正式にプロポーズされません。今の奥さんと離婚したという話も聞きません。何ということでしょうか」と、ねじ込むことになるわけです。

 ですから、中国でよく挨拶に使われる言葉に、「喫飯了◯」(チー・ファン・ラー・マ)があります。直訳すると「飯を食べましたか」ですが、単なる挨拶であって、食事に誘っているのではありません。日本人が「熱いですね」と挨拶しても、涼しい喫茶店に行きましょうと誘っているのではないのと同じです。日本人が同じ季節にいることを確かめ合うことで挨拶するように、中国人は同じく食後であることを確かめ合って挨拶しているのです。

自分が認めた人に対してはとことん礼を尽くす


運営者 中国では、親族以外の人と食事をするということは、とてもまれなことなのでしょうか?

田代  中国でビジネスをするとき、飛び込み営業をやると、「お話を聞きましょう。ああそうですか。分かりました。では、またね」と、あしらわれます。

 それにも懲りずに何回か行っていると、そのうちお茶が出るようになります。
 さらに頑張ると、お茶にお菓子がつくようになります。

 もっと頑張ってると、食事に誘われます。それで、ようやく「商談に応じましょう」ということなんです。

運営者 なるほど。

田代  人前で一緒に食事をしているということは、「自分はこの人間と特別な関係にあると思われてもかまいません」という意味なんです。だから、中国ビジネスの第一段階は、相手を何とか食事に持ち込むことなんです。これが難しい。

 そういうわけですから、男女であれば、食事を申し込むというのは大変なことなんです。

運営者 西洋でも、そういうことではあるんですけどね。

田代  それよりも、もっと重たいんです。日本は軽すぎますね。これも善い悪いの問題ではないですけど。

運営者 ということですね。

田代  それから、中国の宴会には決して二次会がありません。それは、食べるという瞬間を共有していることを大切に思っているからなんです。

運営者 大切に思っているのなら、二次会にも行けばよいのでは。

田代  二次会という言葉自体がないんですよ。

 中国人は、人間と人間の関係を、ある意味で日本人よりもずっと大切にします。

 「この人は自分の朋友(ポンヨー、友人)だ」と思った相手への友情は日本人以上に厚いです。

運営者 そのつながりの厚さというのは、どのようなものだと考えればよいでしょうか。

田代  あくまで、自分が認めた人に対しては礼を尽くすということです。

 例えば上海に行ったときに、北京の友人に電話をしたら、ホントにやってくるんです。それで「実は私、すぐまた帰らなければなりません」といって、30分話しただけで、北京に帰っちゃうんです。

運営者 すごいなあ。というか、ちょっと重たい友情ですね。

中国の食事の席に取り箸がない理由


田代  そう。だから中国では、友達になるというのはそのくらい重たいことなんです。

 友達になった中国人はこちらの無理をきいてくれます。しかし、むこうもこちらに無理をいってきます。どこまで無理をきいてやり、きいてくれるか。それが友情の尺度なんです。

だから、中国で会食は、お互いの人物を測りあう重要な場面であって、神経を使って、へとへとになります。

運営者 そうすると、日本人がそれを意識せずに中国人と会食するのはまずいですね。

田代  大変に軽蔑されます。

運営者 なるほど。

田代  テーブル・マナーも大切です。中国のテーブル・マナーでは、取り箸というのはないんです。自分の直箸で、相手が食べる分を取ってあげるんです。

運営者 あっ、さっき田代さんが私の分を取ってくれたのはそれですね。

田代  お互いがそうするわけです。

 これは、ある意味では毒殺防止法でもあります。最初から取り分けてあったら、自分の皿に盛ってある料理にだけ毒が入っている可能性がありますからね。

運営者 日本の酒席のマナーでお流れ頂戴やら返杯やらをするのも、同じ理由です。

田代  ところが中国では、お酒は上から下に注ぐものなんです。上の立場のものが、下の立場の者にお酌します。

 だから中国の宴会に行くと、そこにいる共産党の一番偉い人が、テーブルの間を走り回って、お酌しています。

運営者 日本人はそれを見て感動するかもしれないけれど、実は中国ではそれは普通なんですね。

田代  そうです。お互いがお酌をするということは、対等な立場であるということを表すわけですから。

運営者 日本ではお酌をしてもらうのは目上のように思いますが、中国ではそうではないわけですね。

田代  そうです。対等な関係にはなかなか持ち込めないです。

「自己人」=「刎頸の友」


運営者 中国の社会は、昔の日本と同様に、お互い同等の権利を持つ者が集まった社会ではなく、身分に上下をつけて固定化したがる社会という感じでしょうか。

田代  中国人は日本人とは違って、組織に何の執着もありません。

 だから転職は当たり前だし、外国に移民することも当たり前なんです。自分の可能性を生かせる場所が中国よりも日本であるのなら、日本に行く。

 その意味では、中国型組織というのはありえません。

運営者 では、個人の一対一の関係ではどうでしょうか。対等なパートナーというのはありえるのでしょうか。

田代  中国人の持っている人間関係の観念は、同心円状なんです。

 つまり、まず中心に自分がいます。自分のすぐ周りには、「自己人」(ジー・ズー・レン)=「自己と同じ人」という、最も親しい友人が一人か二人います。これは、「自分と同じ人だと思ってもらってよい」、「この人とだったら、私は一緒に殺されても悔いはない」というくらいの友人です。

運営者 「刎頸の友」ですね。

田代  そうです。わかりやすいのは「三国志演義」に出てくる劉備と関羽と張飛との関係ですよね。

運営者 「桃園の誓い」ですね。

田代  彼らは居酒屋で意気投合し、裏庭に行って、「同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、願わくば同年、同月、同日に死せん事を」と誓います。これが「自己人」です。

 その周りに、そこまでいかない友人がいます。「一緒に死ぬつもりはないんだけれど、利益は一緒にしよう」という人たちです。

 そういうふうに、距離が遠くなればなるほど、だんだん扱いが落ちていきます。

 これは非常に明確で、中国の人たちは、「この人は自分の自己人だ」と思ったら、どこまでも無理をききます。

 たとえば、「今日は給料日ですよね。給料を全額貸してください」と言われた時に、何も聞かずにぽんと貸すのが自己人なんです。しかも一切証文など取りません。そこで証文を求めたら、その時点で自己人としての友情は終わりです。

運営者 なるほど、よくわかります。今のお話を知らずに「三国志」を読んでも、登場人物の行動がよくわからなくて、「なんでこんなに他人のためにバカみたいなことしてるんだろ」と思うところが多いのですが、今のお話で合点がいきました。

田代  自己人との約束は何があっても守る、それが守れないと中国人社会では生きていけません。

「中華思想=中国は無条件に正しい」の理由


田代  自己人との約束は何があっても守る、それが守れないと中国人社会では生きていけません。

 自己人に借りができたら、その借りはいつかは返すんです。例えば江沢民が総書記の時の国務院閣僚の中に、どう見ても閣僚にはそぐわないような経歴の人がいたんです。どうも、その人は、江沢民が若いときに工場で同僚だったらしい。それだけで最高幹部になった人もいます。おそらく江沢民氏が苦しかった時に、助けてあげたんでしょうね。その恩を、自分が出世を極めたときに、返しているんです。

 自分が出世したら、昔恩義を受けた人を弊履(履き潰した草履)のように捨て去るということは、中国人では絶対に許されません。ある意味で最大のスキャンダルでしょう。

運営者 ということは、江沢民前総書記も胡錦涛総書記も、日本に来ると田中角栄の娘である田中真紀子を訪ねていますが、あれは日本政府に対する当てつけでやっているのではなくて、ホントにそう思ってやってるわけですね。

田代  そうですよ。トウ小平は「田中角栄は井戸を掘った古い友人だ」と言っています。自己人が一番の親友だとすると、知り合いは「朋友 ポンヨー」です。「老朋友 ラオポンヨー」が日本でいう友人ですね。中国の人たちからすると、田中角栄はかなり高い水準の友人なわけです。

運営者 それは、私は全く理解していませんでした。

 しかしそうした同心円上の対人関係把握は、中華思想的なものにつながるような感じがしますね。

 いや、質問を変えましょう。中華思想というものをどのように理解すればよいでしょうか。

田代  中華思想というのは、ある意味で悪口であって、中国人はあまりそういう言い方はしません。あれは日本語として、中国人の傲慢ともいえる世界観の、いわく言いがたいところを指してるんです。

運営者 日本ではそういう意味になってるんですね。

田代  中華思想があるとすれば、「中国人は無条件に正しい。なぜか、それは中華だから。世界最高の文明人であるから、野蛮人よりも正しい」ということでしょう。

運営者 とっても傲慢じゃないですか。

田代  でもそれは彼らからすれば、古代からの文明が今に生き長らえている国は、中国のほかにどこにあるのかということです。「ピラミッドは素晴らしい。インダスも、メソポタミアもそうだ。しかし今はそれらの文明をつくった国はもうない。あるのは廃墟だけ。しかし中国は違う。北京を見よ。上海を見よ」ということです。

運営者 それは確かにそうです。別に何の文句もありません。


中国の歴史、それは「創造的破壊」


田代  でもこれは壮大な幻想なんです。というのは、古代の文明をつくった人たちと今の中国人とはあまり強い関係があるとは思えないからです。

 なぜかといえば、唐の時代まで中国の人たちは床に座っていました。今の日本や韓国と一緒です。ところが唐の時代になって、今の椅子ベッド文明に移行しました。それは唐の王朝をつくった人たちがトルコ系だからなんです。西方異民族の習俗が入ってきたんですね。

運営者 はー。唐の時代は国際的な交流があったと認識していますが、そもそも成り立ちがそういう国であったということなんですね。

田代  胡瓜には「胡」という字が入っていますね。キュウリはサマルカンドから入ってきたんです。ピーマンもそうです。14世紀にサマルカンドにチムールという天才的な軍人が出現して、ジンギスカンの末裔を名乗って大暴れしてチムール朝を建国します。その時に入ってきたのがピーマンです。キュウリやピーマンは、もともと中国にはなかったものなんですが、今では中国の料理に欠かせない食材です。

 それからかなりの野菜はインドから来ています。日本でわれわれが食べている野菜の半分以上は、インドから中国経由で日本に入ってきたものだと考えてよいでしょう。その典型は、さといもです。よくさといもを食べて、「うーん、縄文の味がする」などと言っていますが、それは壮大なロマンティックな勘違いです(笑)。

運営者 なるほどー。

田代  ですから中国ははるか昔から、外国のいろいろなものを取り入れるということを普通にやっているんです。そう考えると、改革開放政策によって中国が一変したというのも当たり前のことです。

 その前の毛沢東は徹底したしたスターリン・システムを導入したわけですから。

運営者 外国からの新しい文化を取り入れるということは、普通だったわけですね。

 ただそのスターリニズムの過程で、大躍進があり文化大革命があり、その都度数千万人の人が死んでいるわけですが、そういう社会変動に対しては中国人は強いということでしょうか。

田代  中国の歴史を一言でいえば、それは「創造的破壊」ですよ。

 例えば中国の人を、京都に招待し、きちんと説明してあげると、とても感動されます。なぜなら、中国に京都のような古い建物は、残っていないからです。中国にある建物は、古くてもせいぜい明代のものでしょう。京都や奈良のように1000年以上残っている建物は一つもないですよ。万里の長城だって、残っているのは明の時代に作られたもので、秦の始皇帝が作ったものはもっと北の方にあってほぼ風化してしまっています。それを遺跡として発掘しているくらいですから。

 というのも、中国では、政権が代わるたびに、旧政権が作った王宮をすべて破壊し尽くし、まったく新しい都をつくってしまうからです。

 日本は、もったいないから旧政権が作ったものも大切に使っています。秀吉の聚楽第だって、解体されて西本願寺に移築されているわけです。しかし、中国人はそんなケチなことはしません。易姓革命の度に、都のすべてが紅蓮の炎に包まれてしまいます。

運営者 そうですね。

文革の2年後に改革開放に走る大転換もアリ


田代  ですから、中国を中国たらしめているシステムは残っても、そのシステムに盛り込むコンテンツ(内容物)は次々と変わります。それに中国人は何の躊躇もありません。

 だから10年間、国家機構まで廃絶させた文化大革命が終わってわずか2年後に、国家の根本方針を180度変えて、改革開放路線に突っ走ることができるんです。

 そういう大転換も、中国では極めて簡単です。しかし日本では滅茶苦茶難しいですよ。

運営者 だって、憲法すら変えられないんですから。

田代  そう。今の中国の憲法なんて、5年おきの共産党大会のたびに変えてるんです。

運営者 法隆寺が1400年残るのであれば、日本国憲法も、1400年残るということですね。

田代  だから中国は唐の時代に床に座る生活から、椅子ベッド生活に移行し、清の時代には弁髪をたらしているわけです。

 チャイナドレスは満州族の貴族の女性の服で、なぜスリットが入っているかというと乗馬するためなんですね。

運営者 もともとは乗馬服なんですね。

田代  それが中国の一般女性の服に広がったわけです。日本で例えて言うと、チマチョゴリを日本女性が和服の代わりに着ているようなものですよ。それについても彼らは何のこだわりもありません。

運営者 ということは、「中国四千年」とかいって古い国だと威張っているけれど、別に古い国であるというわけではないんですね。

田代  基本システムは古くても、コンテンツ(内容物)は古くありません。いつでもニューです。

 それから中国と日本の大きな違いを知るには、いま中国で必ず再放送されているドラマが何かを知るとよいですよ。日本のドラマなんですけどね。

運営者 なんですかそれは?

田代  2つあります。ひとつは「サインはV」です。

運営者 へー。

田代  もうひとつは山口百恵さんの「赤いシリーズ」です。どちらも中国語吹き替え版が、今でも再放送され続けています。

運営者 だってずいぶん大昔のドラマですよ。

田代  でも、中国では、みんな感動して視てます。

運営者 いったいどこにそんなに魅力があるんですかね?


なぜ山口百恵は中国人にとっての美の基準なのか


田代  「サインはV」はよくわからないんですが、赤いシリーズはよくわかります。

 特にあのドラマは、中国人を理解するにはとても大事です。コン・リーって、「さらば、わが愛/覇王別姫」とか「紅いコーリャン」に出ている、中国を代表する国際女優がいますよね。カンヌ映画祭の審査員までやってます。

運営者 すごいなそれは。カンヌ映画祭の見識を疑いますが。

田代  あの大女優がテレビで話していたのですが、「なぜあなたは女優になったのか」と聞かれて、「小さいときから、どの村人からも「お前は山口百恵にそっくりだ」と言われたので、自分は美しいのだとわかり女優になりました」と答えていました。つまり中国人にとって、「山口百恵=女性美の基準」なんです。
 今、日本人はどうですか。山口百恵さんのこと覚えてますか?

運営者 若い人は全く知らないでしょうね。

田代  私も「赤いシリーズ」は見たような見ていないような、という感じなのですが。

運営者 だって、全部同じなんだもん。

田代  そうですね。中国での吹き替え版には、精密なスーパー・インポーズで中国語のセリフが入ります。どう訳しているのかがおもしろくって、ずっと見ていて、どんなドラマか分かりました。

 おっしゃるとおり、全部ストーリーは同じです。とても可憐な美少女がいました。だけど不幸な事故で不治の病にかかります。毎週次第に病状が進行し、最終回で亡くなります。ああ悲しい。

 ところで、岡本さん、最終回の臨終の場面、覚えてますか?

運営者 いやー、とても。というか、恐らく見たことはないと思います。

田代  わたしは中国語吹き替え版で見たばかりなので印象が鮮明です。最終回に、臨終の床で山口百恵さん扮する主人公の美少女は、宇津井健さん扮するお父さんの手に手を伸ばして、「お父さんありがとう、自分の仕事も投げ打って、こんなに献身的に看病してくれて」と言います。

 そして、次に、三浦友和さん扮する恋人になんて言うか。そこで彼女は恋人の手を取らないんです。じっと恋人を見て、「いい人を見つけてね」と言い残して、彼女は自分の運命を受け容れて死んでいくんです。

運営者 とっても日本的じゃないですか。

田代  それを見て中国人の男たちは、みんな泣いてしまいます。

運営者 不思議ですなあ。そんなに感動するのか。日本的な情緒が分かってるじゃないですか。

田代  中国の男たちにすれば、「これが感動せずにおられようか」と思うものがあるんですよ。

 中国の男たちが異口同音に言うのですが、中国人の女性が山口百恵さん扮する主人公の立場なら、「なぜこんなに若く美しい私が病み果て死んでいくのに、周りの俗人どもは、のうのうとのさばって生きていくのか」と思って、天を呪い、地を呪い、親を呪い、最後に恋人の手に爪を立て、ぎりぎりと皮膚を引き裂きながら、「私が死んだ後、どんな女でも1秒以上見つめたら、あなたはその目から腐りはてていくんだよ」と言いながら死んでいくに違いない。絶対にそうだと。

 それに比べて、山口百恵はあんなに美しく可憐なのに、恋人に「いい人を見つけてね」と言って死んでいく。これは泣かせるなあと言って、泣いているわけです。

運営者 なんとも言葉もない話ですが・・・。

中国の家庭内において女性は圧倒的に強い


田代  それに比べて、山口百恵はあんなに美しいのに、「いい人を見つけて」と言って死んでいく。これは泣かせるなあと言って泣いているわけです。

運営者 なんとも言葉もない話ですが。ただ、中国の女性がそうであろうということは、今日これまで田代さんのお話をうかがってきたから、おそらくそうであろうなあと納得できるのですが、もしいきなりそのお話を伺ったら、いくら中国人でもそんな根性悪な女はそんなにいないだろうと思うのが、普通の日本人の感覚ですよ。

田代  中国の男たちは、ものすごい恐妻家なんです。中国の家庭で、女性は本当に圧倒的に強いです。

運営者 基本的には、共働きであるということはあるんですよね。

田代  それとは関係なく、無条件に強いです。専業主婦でも強いですよ。だから、中国の男性は家の中では大変な緊張状態を強いられています。中国の新聞を読んでいると、「いくらなんでもこれはやり過ぎだろう」という事件が載っていたりしますね。

運営者 たとえば、どんなんです?

田代  夫婦で家で酒を飲んでいて、夫の方が酒に弱く、先にベッドに行って寝ちゃったんですよ。それで妻が「足も洗わずにベッドに入って寝た」と怒って、起こそうとしたのですが夫はいびきをかいて寝ている。それで妻は毛布に火をつけたのですが、毛布が化繊だったのであっと言う間に火が回り、夫は焼け死んでしまいました。それどころか近所にも延焼して大騒ぎになりました。

 それで中国共産党の偉い人が、「これはいくらなんでもやりすぎ。せいぜいバケツの水をかけるとか、ほうきでひっぱたくくらいにすべき」とかコメントします。

運営者 そんなことが共産党で議論されたのですか。

田代  党は、軍隊から国家そして経済から夫婦生活まで、何でも指導します。だから党員が7000万人以上もいて、企業の管理職や専門職は大半が党員なのです。

 ともあれ、中国の会社では、「昨晩、奥さんを怒らせてしまい、ベッドのそばで長い時間ひざまずかされたので、どうも膝(ひざ)の具合いが良くないです」と言って、膝をさすっている男はよくいますよ。

運営者 アメリカ女性もひどいとは聞きますが、それ以上ですね。

田代  あんなもんじゃないですよ。中国では、恋人であっても、何年間連れ添った古女房であっても、手を握るのもキスをするのも、すべて女性の許可をもらってからのことです。それを、酔っぱらって帰ってきて女性の承諾もとらずに抱きつこうものなら、中華鍋で頭を殴られる可能性は大です。

 そのくらい中国の男たちは家庭では緊張しているので、会社にやってくると実にくつろいだ晴れ晴れとした表情で、「ああ、ようやく、一息ついた」とお茶を飲み、しばらくしてから「あっ、仕事しなくちゃ」といって仕事にかかるんです(笑)。


中国女性は「お前が一番よい女だ」では納得しない


運営者 うーん、どう理解すればよいのかわからないお話なのですが、そういう文化なんだろうなあということが一つと、何でそんなに女性が強いんですか?という疑問が浮かんできますよね。

田代  その点は謎なのですが、偶然の産物なのかなと思うんです。中国で、いろんな偶然の過程を経て、女性が徹底的に強いという文化が形成されてきたんだろうと思います。

 だから中国の北京大学や精華大学といった一流大学の男子学生の夢は、欧米の金融機関の中国支店に勤めて高給をもらい、豪華マンションに住んで、超一流の腕前の料理人を雇い、ディナーのテーブルの向かい側に座っている女性は、日本人の山口百恵さんにそっくりの女性・・・というのが理想なんだそうです。

運営者 かなり歪んでると思いますよ(笑)。

田代  一番重要なのは、その理想の一番最後の項目ですよ。

 日本の男性は浮気が奥さんや婚約者にばれた時に、「やっぱり、お前が一番いい女だ」と言うのが一番ですね。これで何とかなるかもしれません。

 しかし、同じシテュエイションで、中国の女性に「お前が一番いい女だ」なんて言おうものなら、火に油を注ぐ結果になってしまいます。

 「一番だ」というのは、他と比較した上で一番なわけですよね。

運営者 そうです。

田代  中国の女性は、他の女性と比較されること自体が、そもそも許せないんです。

運営者 絶対的な存在でなければならないということですね。

田代  だから中国の歌謡曲によく出てくるワンパターンのフレーズは、

 [イ尓]是我的一切

 つまり、「あなたは私の一切」。これです。これしかありません。こう言わないと、中華鍋でぶん殴られてしまうリスクが高まります(笑)。

 だから中華思想というのは、「中国は世界のどの民族よりも素晴らしい」ということではないのです。「無条件に中国は素晴らしい」というのが、中華思想の根本なのです。

運営者 なるほど、とってもよく理解できました。
 ただ、ぼくは中国の女性と付き合う自信もないし、中国自体と付き合う自信もだんだんなくなってきましたが・・・。


「中国」は中国共産党の子会社にすぎない

運営者 その次に、中国人のことはちょっとよくわかりすぎたので(笑)、この辺で置いておいて、その次に中国の政体について教えてほしいです。中国はひとつの国家として考えるべきなのか、政府の中心にある軍などのプレーヤーについても同等に見ておかなければならないのか。どう考えておけばよいのでしょうか。

田代  中国には、日本でいう意味での政府はありません。

 「政府」という言葉はあります。でも、それは、日本語の役所とか役場という意味です。例えば中国人がたくさん住んでいる東京都の豊島区豊島区役所に行くと、入り口に中国語で「豊島区政府」と掲示してあります。

運営者 そうですか、なるほどー。上海政府とか、そういう感じですね。

田代  上海人民政府は、「上海市にある中国共産党が作った役場」という意味なんです。

運営者 国家がないと困りませんか。

田代  困らないでしょうね。中国には、近代政治学で言うところの国家の概念はないんですから。

運営者 中国には国家がないと考えなければならないですか。

田代  中国には国家がないと考えたほうが、中国はわかりやすいです。

 中国を会社にたとえると、こうなります。

 まず、中国共産党という持ち株会社があります。その100%子会社が2つあって、ひとつは中華人民共和国。もうひとつは人民解放軍です。

 ただし人民解放軍のほうが先にできたので、中華人民共和国よりも格上の子会社です。

運営者 そういう認識が、中国の理解としては便利なんですね。

田代  はい。中国共産党というのは、従業員数7300万人を誇る大会社なんです。その下に最初に作った子会社が人民解放軍です。その後に中華人民共和国を作りました。どちらの中にも共産党員だけのグループが形成されています。これを党組織、党委員会といいます。

 この党組織、党委員会が実際のマネジメントをおこないます。党組織、党委員会の責任者のことを「書記」といいます。中国で「書記」は実権をもつ責任者という意味です。というのも、昔の中国では字が書けるだけで実権をもつ責任者になれたんです。清の時代には字が書ければ、人を殺しても罪に問われなかった。そのくらい漢字の体系を使いこなす人材を育成するのは難しいのです。

 7000万人を超える中国共産党員のうち、5000万人くらいは会社に入っています。それ以外の人たちは人民解放軍と国家機関に所属しています。会社の中では、まず董事長つまり会長がいて、総経理つまり社長がいます。しかし、それとは別のポストとして、その会社の党組織あるいは党委員会の書記がいるわけです。書記と董事長ないし総経理とが同一人物のこともあるし違うこともありますが、違う場合には書記が文句なく本当に実権をもつ責任者なんです。

運営者 はい。


共産党支配は、外部には隠されている

田代  中国で「負責人」つまり責任者とは書記のことです。外交部や財政部といった省庁においても、その中に党委員会、党組織の書記がいます。部長つまり大臣と書記とのどちらが偉いかといえば、無条件に絶対に書記の方が偉いんです。中国の国家機関、軍隊、病院などありとあらゆる社会団体の中に党組織、党員会があって、その書記が本当の責任者なんです。

 そして中国の中にたくさんいる書記の頂点に立っているのが総書記です。

運営者 それはおぼろげながら知ってはいるんですけれど、その仕組みって機能するもんなんでしょうか。なんか屋上屋もいいところで、リーダーが多いだけで、ほんとに合理的な、つまり競争力がある仕組みなのかなという感じがするんですけれど。

田代  この仕組みがちゃんと機能しているかどうかが分かるのは、やる気になれば何でもできるということです。

 たとえば北京オリンピックの開会式。あれほど一見ルーズに見える中国人たちが、秒刻みの式典を何時間にもわたって破綻することなく実行できたんですから。

運営者 どうせどこかでとちるだろうとタカをくくっていたら、とちらなかったですね。

 しかし、最近あまり顕在化していないですけれど国営企業の問題とか、中国の組織はいろいろと問題を抱えていると思いますが、いま田代さんがおっしゃったマネジメントシステムで何とかやっていけるもんなんでしょうか。

田代  中国でマネジメントというのは、この仕方しかないんですよ。

 うんと親しくなった中国人に、「中国の人にとって中国共産党って何?」と尋ねると、「常に正しく、決して誤ることのないもの」と答えてくれます。彼らにとって、中国共産党こそが、新中国をつくり、新中国を運営し、新中国の将来を設計し、未来に向かって人民を指導するという存在なんです。

運営者 それはまさに神ということであって、結構なんですけれど、現実と乖離しているのではないのかと僕なんかには思えるんですけれどね。

田代  いえ、今の認識は、中国の人たちは、なかなか外国人には見せたがりません。

 中国の公司つまり会社の経営者は、適当に挨拶するだけの外国人には、肩書きが「○△公司董事長」とか「○△公司総経理」と書いてある名刺を渡しますが、本当にビジネスをしようと思う外国人には、「○○公司党委書記」という本当のポストが書かれてある名詞をくれます。「党委」とは党委員会で、本当の経営陣のことです。

運営者 なんか仮面をかぶっているような気がしますけど。彼らの意識の中では、共産党はかなり大きいわけですか。

田代  大きいなんてものではありません。すべてですよ。天よりも地よりも親よりも大切なんです。


「出世すること」と党員になることは同義


運営者 そうした意識がある限りは、北京政府は大丈夫かもしれませんね。

田代  北京人民政府は北京にある地元役場です。それはいつ改廃されるかわかりません。しかし、誰もが「胡錦濤同士を総書記とする中国共産党中央委員会を信じている」と宣言します。

 ただし、中国共産党は選挙で選ばれたわけではありませんから、つねに公約した以上の実績を示さなければなりません。その結果が20年以上続く高度成長です。

運営者 一党独裁ですからね。

田代  あれはあえて近代政治の用語を使えば、一党独裁ではなくて、一党支配です。

 独裁というのは、まだ競合する相手があることを示しています。でも中国の場合は、先ほど来お話しているように、競合関係を許しません。ですから中国共産党にも、競合的な政党は存在しないんです。中国共産党は、中国をマネイジする唯一の政党なんです。

 たとえば、中国の家庭ドラマで、頑張っているお父さんが、会社の廊下を歩いていると、幹部から「君ちょっと」と呼ばれ、「そろそろ人民のために奉仕しないか」と言われます。

運営者 「共産党に入らないか」ということですね。

田代  党員というのは、なりたくてなれるわけではないんです。仕事を頑張り成果を出しているうちに、入党のお誘いがくるんです。日本でいえば、「君そろそろ部長になるのはどうかい」という感じで。

運営者 役員への道が開かれるということですね。

田代  つまり、出世するということと党員になるというのは同義語なんです。

運営者 僕は、その辺のことは山崎豊子の「大地の子」を読んで知ったのですが、あの舞台は1970-80年代の話ですよ。だからその当時はそうだったのだろうけれど、さすがに21世紀の今は変わったのではないのかと勝手に想像していたのですが、そんなことはないんですか。

田代  変わってませんね。入党を奨められたが断ったことを自慢する知識人がいるくらいですから。

運営者 それは驚きです。中国は恐ろしいほどの変化を遂げているのに、その部分だけは変わっていないんですね。

田代  ますます拡張しています。その証拠に、党員数は7000万を超えたわけですから。これは中国人の13人に1人が共産党員であるということです。大人の7-8人に1人ですから、管理職の人口にあたるわけです。

 もっと言うと、中国で党員というのは、もちろん偉い人のボンボンは入っていますが、それはごくわずかで、管理職か高級技術者のことを指す訳です。それが共産党員です。党員になるということはそういうポストにつくということです。

 雑誌の世界でいえば、編集長は党員です。


共産党は「 人間が作ったモノ」だから信じられる


運営者 党員以外の人が編集長になるということはないわけですね

田代  中国では法律で、メディア会社の社長は共産党員であることが義務づけられています。したがって、彼らは法律以前に、共産党の規律に従わなければなりません。

運営者 それはわかりやすい。

田代  ですから、共産党の意向に沿わない記事が中国で出てきたらびっくりなんです。それは手違いかミスか、あるいは、戦略的なリークですよね。

運営者 たまにそういうのが出て話題になりますが、それはあくまでも手違いか戦略的リークなんですね。

 ということは、改革開放政策を押し進めて、とっても赤い資本主義になっているように思うけれど、根っこのところはしっかり共産党が押さえているということなんですね。

田代  例えばドバイでどんなに超高層ビルが建っても、イスラムの世界であることには変わりはないわけです。

運営者 それと同じわけですね

田代  アラブではアラーの神が地上に降り立ち、中国では中国共産党が降臨したのだと考えればいいわけです。ただし、アラーは人間を超越した絶対神ですが、中国共産党はあくまでも人間が作ったものなのです。 中国人にとって世の中のすべては人間が作ったものなんです。だから、中国人は人間の手が入っていないものには何の関心もありませんから。

 日本人はサンゴ礁を見て「わー。、すごいなあ」と喜ぶじゃないですか。

運営者 ええ。

田代  中国人はサンゴ礁を見て、「あれはだれが作ったものですか」と聞くので「海中の虫です」と答えると、中国人は「ああそう」と言って寝てしまいますよね。壮麗な夜明けや夕焼けを見ても、まったく面白くありません。

 だから中国では、「これは素晴らしい景色だ」と詠んだ杜甫や李白の詩が岩に巨大な文字で彫り込んあったります。ああして初めて、自然の光景が価値あるものになるんですね。

運営者 「赤壁賦」を読んだ蘇軾の字で「赤壁」と岩に大きく彫り込んでますもんね。場所が全然違うんですけれど。

田代  そうでなければ意味がないんです。「赤壁」と高名な詩人が書いているからこそ意味があるんです。

 中国の詩人は日本よりも欧米よりも高い社会的地位を得ています。李白や杜甫は新しい価値の創造者なのです。杜甫や李白が詩に詠んだ景色からこそ素晴らしいのであって、虫が作ったサンゴ礁は全く無価値なんです。

運営者 僕はああいうふうに岩に彫るのは美観を損ねると思っているんですけれど、中国人はそうは考えないわけですね。

田代  ああしてこそ初めて美になるんです。


漢字…個人の好みが入ってはならない世界


田代  故宮博物館の素晴らしい水墨画も、皇帝が画讃を書き、大きな御璽を押してますよね。ああされたからこそ、超一級の芸術品になっているんです。

運営者 ぼくはまたそこがどうしても理解できないんです。

 ある程度案配を考えて讃を書いたり、落款を押したりしているのは分かるんですけれど、うるさくなっているだけじゃないかと思うんですよね。だけど中国では、乾隆帝の讃があると価値が上がるんだそうですね。

田代  中国では芸術家もすべて、国家一級音楽士、国家二級音楽士・・・と格付けがついています。そして国家一級だから、金を払ってでも聞きに行くんです。

運営者 分かりやすい権威主義だな。

田代  ですから中国ではなかなか市民社会は成立しないんです。

運営者 僕なんかは、中国が本当に市民社会になったら怖いなと思ってるんですけどね。

田代  そういう条件は非常に揃いにくいということが分かりやすいのは、アメリカ人にアルファベットを書かせると、メチャクチャわかりにくい字を書くじゃないですか。それは習字という習慣がないからです。中国人はどんな人でも、極端に言えば乞食でも立派な漢字を書きますよ。

 つまり漢字をきちんと書くことに象徴されるように、中国では個人の好みが入ってはならないんです。

 たとえば犬という漢字を書く時に、尻尾を大きくしたした方がよいということではだめなんです。中国はそのように、上からがっちり枠を決めなければみんなが困ってしまう社会なんです。

 秦の始皇帝の焚書坑儒は、日本では完全に誤解されています。「焚書」は、漢字のフォント統一をしたということなんです。それ以前には同じ漢字でもいろいろなフォントがあったのを、「これが正しい統一フォントである」と始皇帝は決定して、異字体を使った文書を全部焼いたというのです。「坑儒」は、それに反対する学者を、地下牢に入れて妨害活動を封じたということです。

 それをあとから儒者たちが、自分たちの価値を上げるために、始皇帝は虐殺を行ったというホラを吹いたということですよ。

運営者 まあ、中国人がホラを吹くのは当たり前だし。ましてや儒学者というのは一番ひねくれた連中ですからね。

田代  それもね、中国人の場合は、さっきから言っているように暗示しているだけなんです。「暗示をどう受け取るのかはあなた次第」ということですから。

運営者 それが白髪三千丈になるわけですね。まあそういう文化だということです。善い悪いは別として。


メンツを気にするから「割り勘」にしない


田代  その中国は、今や世界の誰もがビジネスにしても政治にしても外せない国になってきています。

運営者 そうなってきていますね。

田代  もっと言うならば、日本の方が外されてきていると思ったほうがよいでしょう。

運営者 そうですね。

田代  例えば2008年にハーバード大学の大学院に入学した日本人はたった7人だそうですよ。

運営者 えっ、そんなに少ないんですか。

田代  その一人に聞いてみたら、中国人の入学者は100人以上いるかもしれないというんですね。つまりアメリカの知恵袋である超一流大学から、「もう日本人はいらない」と判断されてしまったということですよ。

 たった7人の日本人留学生の一人も、お父さんがハーバードで学位を取っているのです。そういうコネがなければ、アメリカの超一流大学は、「日本人よりも中国人を優先的に入学させる」と判断しているのです。アメリカの大学だって、20年後、30年後の自分たちの繁栄を考えていますからね。

運営者 もちろん、アメリカの大学は、まず自分たちの経営を考えていますから。

田代  そうすると、人口が減って今でさえ存在感のない日本よりは、中国の方が有望という考え方は当然理解できますよ。

  それから、中国人は自分の「人間力」をすごく気にしていますよ。

運営者 それは意外です。自己中心的な人間は、そういうことは気にしないもんなんですが。

田代  中国人は自己中心的であると同時に面子(メンツ)を大切にするからです。

 たとえば、中国人は決して割り勘はしません。たとえそれが何十人の大宴会であろうが、一人が払うんです。

運営者 それはどういうことですか、一体。払うのはだれなんですか、どういう立場の人なんですか?

田代  それは、これまでの経緯から決まるわけですけれど、基本的にはその場で決まります。大事なことは、自分が払うと決まったら、絶対に文句を言わない。「割り勘にしたい」なんて言ったら、中国人は「ああ、この人は自分との会食はこれで最後にしたいんだな」と受け取ります。それで関係は終わりです。

 割り勘をしないということは、おごられた側がおごった側に借りをつくることになります。それは「次はあなたが払ってくださいね」、「次は私が払いましょう」ということで、関係の継続を意味します。

運営者 その気持ちは日本人も判る感覚です。


中国人は効率性をあまり考えない


運営者 だから田代さんの今までのお話を伺っていると、日本人が理解できることと理解できないお話が混ざっていて、しかも理解できる話でも、日本人と同じ感覚である部分と、恐らく日本人と違う感覚で成り立っているんだろうなという部分があると思います。その区別がつかないなという気がしますよね。

 さっきの「割り勘にしない」というのは、日本の体育会系的な社会では、「先輩が後輩の分を払う」ということで決まっているわけですが、今の話を聞くと、目上の者が目下の者の分を払うということでもないようですね。

田代  そうですね。たとえば、日本では結婚披露宴は一回だけですよね。

運営者 そうですよ。

田代  ところが中国では、原則として、披露宴は2回あります。金持ちの家どうしの結婚なら、大抵そうです。

 まず新婦のお父さん主催の披露宴が行われます。日本の披露宴との違いは、司会者もいなければスピーチもありません。ただ食べるだけです。日本のように会費を取るなどというケチなことは言いません。全額、新婦のお父さんが持ちます。レストランの外には巨大なメニューが張り出してあって、一品ごとにいくらなのかが明記され、総額がいくらかも書かれてあります。「どうだ貧乏人ども、指をくわえて見てろ」という感じです。

 翌週の日曜日、ほぼ同じ顔ぶれを集めて、新郎のお父さん主催の披露宴が開かれます。もちろん、全額が、新郎のお父さん持ちです。

 そういうわけで中国の結婚式の披露宴は2回開かれます。日本のように披露宴の費用を両家で折半するなどということは絶対にありません。新婦のお父さんが披露宴をやった後に、新郎のお父さんが前回を上回る規模の披露宴を行い、それぞれ費用を全額持つわけです。

運営者 それは、文化人類学的な話ですが、カナダのアルゴンキン・インディアンの部族間で行われる、ポトラッチと言われる破滅的な互酬的贈与に近い話だと思うんです。

 一方の部族が全財産を他方の部族にあげてしまうんですね。そうすると次に、それをされた部族は、お返しとばかりにそれを上回る規模の贈与を行うんです。そういう時期をずらした原始的な交換として類型化されるような話です。貶めて言っているわけではなくて、パターンとしてそういう感じがします。

田代  中国人は日本語の「もったいない」という言葉の意味が分かりません。「もったいない」と言うのは、「私はケチです」とか「私は貧乏です」と言ってるように聞こえるようですね。

運営者 でも「もったいない」の精神を理解していただけないと、「やっぱり中国人は地球環境破壊の急先鋒じゃないのか」という感じもするんですけれど。

田代  それはまあ、あるかもしれません。というのも、中国人は日本人のように効率性ということをあまり考えないからです。だって効率性というのは抽象概念じゃないですか。


株式投資すべき銘柄は党が指導してくれる


田代  それはまあ、あるかもしれません。というのも、中国人は日本人のように効率性ということをあまり考えないからです。だって効率性というのは抽象概念じゃないですか。

 例えば株式投資でも、PERとかPBRは全く気にしないようです。むしろ中国共産党の金融部門の人たちは、PERとかPBRを人民に教えようとするんだけど、人民は聞く耳がないみたいです。

運営者 そしたら、中国人は何を基準にして株式投資してるんでしょうか?

田代  安ければ買う、高くなったら売るということです。

 例えば中国では、日本で言うところの整理ポスト株に入れられて値下がりした赤字企業の株式に買いが殺到するんです。その結果として、赤字企業の銘柄が生き返ってしまいます。共産党の金融担当の幹部の人が、「何のために株式市場があるのか。それは企業を淘汰するためである。ところが中国では悪い企業ほど株に買いが集まる」と嘆いています。

 だから、中国の上場企業の経営者の中には、証券取引所の責任者に「うちの会社を整理ポストに入れてくれ。そしたらカネが集まるから」と頼んだりするそうです。日本だと、ありえませんよね。

運営者 うわー、すごいなあ。

田代  整理ポストに入ったら中国では「しめしめ」ということなんです。だからアメリカの大学に留学して経済学博士号をとっているような共産党の若手幹部は2007年の段階で、「中国はこれではいけない。株価は高すぎる。赤字企業は値幅制限いっぱいまで値段を下げさせてやる」といって、共産党主導で赤字企業の淘汰を進めたんです。

 一方で人民には、「もっと立派なブルーチップ(優良株)を買いなさい」と進めるわけです。「ブルーチップの定義は何か」と尋ねたら、「それは党が指導する」ということです。

運営者 なるほど、恐れ入りました。いいじゃないですか、赤い資本主義なんだから。

田代  だから、善い悪いではなくて、中国は党の指導でみんなが行動しているのですね。

運営者 そこが特異な点ですね。

田代  重要なのは、日本だと権力には自ずと権威が伴います。ところが中国では、そんなことが一切ありません。どんなに権力を持っても、中国人は権威を認めません。なぜかというと、みんな家に帰れば、奥さんにはいつくばっているわけですから

運営者 その点には、ちょっと同情しますね。

田代  ですから会社で書記が威張って訓辞しても、誰も聞いてないわけです。

運営者 心の中ではそうなんですか。


「今日も中国共産党はおおいに権威を高めました」


田代  だって家に帰ったら、妻に媚びまくっているわけでしょう。

 中国の朝は、夫が朝ご飯を作ってから妻を起こすんですよ。中国の会社は午後5時になったら男は誰もいません。だって4時45分になったらみんながスタンバイして、5時の終業のサイレンが鳴った時点で会社や工場を出てスーパーに走っています。そして食材を買って6時までに家に帰り、夕飯を作っていると妻が帰ってきます。帰ってきた妻は、「ご飯、何時?」と聞きます。

 みんな、そうやって暮らしているわけですから、いくら書記が威張って演説していても、4時半になったら「あのう、そろそろ書記も夕食の準備をしなくて大丈夫ですか」と、みんなが心配しはじめる・・・。

運営者 マンガじゃないんですから(笑)。

田代  そういうことがあるので、権力と権威がくっつかないんです。そこで中国では、権力が権威を保つために、派手なパフォーマンスが必要なんです。オリンピックとか、宇宙開発とか。

運営者 ホントなんですか、それ?

田代  中国のニュースでは、胡錦涛総書記や温家宝首相が、炭鉱の落盤現場や洪水の現場に行って、総書記や総理が自ら救助活動の陣頭指揮をとる光景が、せっせと報じられます。

 アナウンサーは、総書記や総理が「こういう事故は二度とあってはならない」という指示を全国に伝えたと述べ、最後に厳かに、「今日も中国共産党はおおいに権威を高めました」と述べてニュースを終えます。そういうふうにして、中国では毎日「水戸黄門」をやってるんです。

 だから、みんな日本の政治家と違って、中国の書記は本当に忙しい。

運営者 温家宝も地震の時には現地に行ってうろうろしてましたからね。

田代  前総理の朱鎔基はもっと派手でしたよ。堤防が決壊し洪水が起きている現地に飛んで、視察するわけです。そうすると堤防が手抜き工事で鉄筋が入っていないということがわかります。そうするとドシャブリの雨の中で、朱鎔基総理が、「こんなオカラのような堤防を作ったやつを俺は許さない」と怒りをぶちまけ、兵隊に棺桶をもってこさせます。そして、現場の責任者に対して、「こんないい加減な堤防を作ったやつをしょっ引いて、この棺桶に入れろ。できないなら、お前が棺桶に入れ。それも嫌だったら、おれを殺して棺桶に入れろ。さあどれを選ぶ」と言います。

 現場の責任者が「命がけで党と人民のために働きます」と言うと、朱鎔基は「好」(ハオ、「よし」)と言い、自らバケツを握りしめ、逆巻く濁流の中に入っていこうとするんです。そうすると、閣僚や兵士たちが「私たちがやります」と言って、朱鎔基を押しとどめ、解放軍兵士による壮大なバケツ・リレーが始まるわけです。

 こうした光景を含むニュースを全国放送するわけですが、その最後にくるアナウンスは、「今日も中国共産党はおおいに権威を高めました」なのです。

運営者 そういうの、大慶の油田の記録映画で見た事ありますね。
 しかしまったく不思議なのは、人類で最も現実主義的な中国の皆さんが、そのニュースを見ていたとして、本当に「党の権威が高まったな」と感じるとは思えないのですが。

田代  それくらいで党の権威は上がらないですよ。だから宇宙ロケットを打ち上げなければならないんです。


権力・地位・メンツが大切


田代  簡単には党の権威は上がらないですよ。だから宇宙ロケットを打ち上げなければならないんです。

運営者 彼らにとっては、党の権威を高めるということは国家存続のためにどうしても必要なことなんですね。

田代  いや、共産党にとって国家というのは、自分たちの目的を達成するためのヴィークル(手段)の一つにすぎないないんです。国家は軍と並ぶ党の子会社なんですから、あくまで共産党が中国の主体なんです。

 だから中国の子供たちが学校で歌わされるのは、「共産党がなければ新しい中国はない」という歌なんです。

運営者 とっても楽しそうな歌ですね(笑)。

田代  これを幼稚園児たちが手をつないで、歩きながら歌っているんです。とてもかわいらしいですよ。

運営者 子供の時から歌わせれば、それなりの洗脳効果がありますよね。

田代  全然ないんですよ。

運営者 えっ、そうなんですか。

田代  洗脳できるのは、抽象的な概念、ふやふやしたあいまいなものが好きな人だけですよ。だから日本人はすぐに洗脳されるんです。

運営者 ということは、現実主義の塊のような中国人は洗脳できないということか。カネで釣るしかないのかな。

田代  ただ、中国の人たちは現実主義者なんだけれど、お金が欲しいというというわけではなくて、むしろ地位がほしいんです。

 地位を守るためには、さっき言ったようにたとえ100人の宴会であっても全額自分が払うようなことをするんです。そのためのお金が欲しいわけです。メンツを守るためですね。

運営者 メンツというのは、地位と同じようなものなのでしょうか。

田代  いえ、ちょっと違いますね。

運営者 では、中国人にとってなぜ地位が重要なのでしょうか。

田代  中国人は、日本人とは違って、「無位無冠だけれどあの人は立派な人だ」と言って人を認めるようなことは絶対にしないからです。

 具体的にその人がどれだけの権力を持っているかが問題なんです。中国では「権力、権限、権利」はすべて同じ言葉です。「権力」で表現される同義語なんです。

 ですから旦那が家に帰ってきたら、奥さんが勝手に新しいソファーを買っていたとしても、「なぜこんなもの買ったんだ?」と言おうものなら、奥さんに「家の中のことは私の権力よ」と言われてしまい、ベッドの側に一晩中ひざまずかされたり、テラスに押し出されてしまうんです。

 中国では、権力が大きければ大きいほど、立派な人だとみなされるんです。


部長なら、部内のパソコンを家に持って帰ってもよい


田代  それでその権力が大きければ大きいほど、立派な人だとみなされるんです。

運営者 うーん、繋がらない。私にはそういう発想は無理です・・・。

田代  孔子の夢も、帝国宰相になることでした。

運営者 そうですね、孔子はただのひねくれものですからそうだと思うのですが、だけど昔は「竹林の七賢」とかいたわけじゃないですか。

田代  あれが評価されているのは日本だけで、中国ではまったく評価されていません。

運営者 あれーっ、そうなんですか。まいったなあ。

田代  歴史のおつまみですよ。

運営者 日本では大人気なんですけどね。「清廉」といったイメージで。

田代  中国人が言うところの「能力」というのは、自分が勤めている国家機関や軍隊や会社の器物を、どれだけ私物化できるのか、その度合いのことなんです。

 だから中国で妻に「あなた会社で能力あるわよね?」と聞かれた夫が「うん」と答えたら、妻から「じゃあパソコンを一台持って帰ってきて。子供に使わせるから」ということになるわけです。

運営者 業務上横領じゃないですか。

田代  中国じゃそうじゃないんですよ。中国では、部長が、部内のパソコンを持って帰ることは、全く合法なんです。

運営者 全く合法なんですか?

田代  他の部のパソコンを持って帰ったら違法ですよ。窃盗ですから。

運営者 それはそうでしょうけれど・・・。

田代  ということは、社長になればその会社のすべてを私物化してよろしいということになります。

運営者 なるほど。

田代  総書記になれば、中国のすべてを私物化することができるわけです。

運営者 ということになりますね。江沢民と胡錦涛のムチャクチャな暗闘が伝えられていましたが、バックにそういうことがあるのかなと考えれば、まあわからんでもないなという感じもします。


政治がすべての価値の源泉


運営者 所有権の概念が、われわれと根本的に違う感じがしますね。ほんとにジャイアニズムで、強者であれば「ボクのものはボクのもの、君のものもボクのもの」というのが、偉くなれば、権力を握れば通用するという感じがあるわけですね。

田代  その代わり、権力者はチャリティー活動などには熱心に参加します。

運営者 中国で一般的なチャリティーというのはどういうものがあるんですか。

田代  たとえば、乞食に施しをしてやるとか。
 共産党の偉い人たちは、いつもポケットに相当の札束を入れていて、乞食を見たら、路上の缶カンの中に結構まとまったお金をかならず入れていきます。

運営者 あの、共産中国には乞食なんか存在しないのが建て前なんじゃないですか。

田代  オリンピックのおかげで北京からほとんど追い出されてしまいましたが、乞食は存在しますよ。見ていると、ほとんどの人民は無関心ですが、共産党の幹部の人たちは、きちんと施しをしていますよ。

 四川の大地震の時も、寄附金の金額が人民日報に掲載されたじゃないですか。だれがいくら寄付したか。

運営者 そういえば、国別の寄付金額も積み上げて報道されていたというニュースを見ましたが。

田代  ジャッキー・チェンなんかすごかったですよ。大枚をはたいて、ますます人気が上りましたね。

 これは日本とは全く違う感じですね。

運営者 私にはわからない感じなんですが、寄付した金額が大きければ大きいほど、その人は偉いということになるんでしょうか。

田代  そうですね。中国ではそのように、すべからくお金が必要ということです。だからお金が欲しいんだけど、それはお金そのものが欲しいわけではなくて、お金を使うことによってメンツを保つことができるからです。

運営者 そういう動機があってお金を稼ぐことに励むのであれば、まあそれは悪いことではないのでしょう。

田代  日本と中国が徹底的に違う点は、中国では政治がすべての価値の源泉なんです。

運営者 政治というのは、何だと考えればいいでしょうか。

田代  権力を操ることですよ。


国有化の時代のアメリカの金融政策は中国がリードする


田代  権力を操ることですよ。

 例えば「中国四大美女」っているじゃないですか。

運営者 西施、王昭君、楊貴妃、貂嬋ですか。

田代  貂嬋は『三国志演義』に登場するからフィクションなんですけれど、みんな政治がらみじゃないですか。祖国を守るために敵国の王を色仕掛けで籠絡させようと献上された西施のように、政治に絡んでこそ中国では美女の価値があるんです。日本のような純粋美女という発想がありません。

運営者 なるほど、「傾城」なんて言い方にも表れてますね。

田代  さっき申し上げたように、美術品でも皇帝が画讃を寄せたからこそ芸術品になるんです。「純粋の美」というのも、中国にはないんですね。

運営者 故宮博物館に行って、北宋汝窯のコレクションを見ましたが、あれらを乾隆帝が持っていたということは関係なしに、そこに美を見出すことができると思うけどなあ・・・。

田代  政治によってこそ中国では価値があるんですよ。唯一例外は、李白や杜甫といった800年前の大詩人たちです。

運営者 彼らは別格なんですか? だって、連中は出世しなかった筆頭じゃないですか?

田代  そう。ところが中国では、詩人だけが皇帝とは別に新しい美を創造することができる存在なんです。

運営者 そういう美の創造があるということはわかっているわけですね。うーん。でもまあ、そういう文化なんだな。

金融危機で、世界は中国にとって都合よく一変する


田代  アメリカは今や、金融機関を事実上どんどん国有化してるじゃないですか。

運営者 ええ。

田代  あれをやっていたら、中国のアドバンテージはどんどん上がりますよ。
 だって、何もかも国家がマネージするということであれば、中国は「それは中国に任せてください。中国は何百年もそうやってきましたから」ということですからね。アメリカはおそるおそるやってるわけですから、中国にしてみれば赤子の手をひねるようなものですよ。

運営者 アメリカがケインズ政策を手放してからずいぶん経ちますからね。

田代  ところが、アメリカ政府がAIGの株式を80%持つんですから、中国工商銀行と一緒じゃないですか。株式会社になった国有企業の運営方法は、中国が一番よく知ってるわけですよ。だから、「今までアメリカは、モルガン・スタンレーやゴールドマン・サックスが金融業を牛耳ってきた。でもこれからは中国共産党が指導してあげましょう」と思っているわけです。冗談でも不遜でもなく、本当にそう思ってます。

運営者 それをまともに受け容れるアメリカ当局の人間は誰もいないと思いますけれど。

田代  でも、パフォーマンスの点でアメリカは負けているんです。その事実を日本人は見るべきだと思いますね。

 EUは、「中国と産油国にはIMFに追加出資しなさい」と言ってるんだけど、日本には言って来ていません。「日本は金は持っているけれど、何もできない」と見限られているんですよ。

 何をやろうとしても、野党がうるさくて何もできないということが分かっているし、08年10月8日のアメリカとEUの協調利上げに日銀はまったく参加しようとしませんでしたから。その時は「日本は利下げの余地はありません」と言ったのに、10月末になって金利を0.2%下げても、世界の誰も相手にしてくれません。

 10月8日に利下げしておけば、「やはり日本はアメリカのベストフレンドだ」と称賛されていたんですけどね。

運営者 でもね、日銀はできなかったでしょうね。0.5%まで公定歩合を上げるだけでも必死だったんですから。「それをまたなんで利下げしなければならないんだ」と思っていたでしょう。結局08年末までに0.1%までじりじり下げたんですから、かなり見苦しいですよ。

田代  でも、いまアメリカは国家存亡の時ですからね。金策のためにカバンを持って走り回ってる中小企業の社長みたいな状態なんですから。

運営者 「銀行が閉まるまでに金が欲しいんだ」ということですから。

田代  今のアメリカは「同情するなら金をくれ」なんです。

運営者 田代さんの中国人に関するお話は、私にとって驚くべきものでした。距離的にも近いし、文化的にも大きな影響を受けている国なので、だいたい同じような人間なんだろうとか、黙っていても理解し合えるだろうと思っていたのですが、どうやらまったく違う人々のようなので、理解し合うまでにはかなりの時間がかかりそうな気がしますね。

 それで、中国人や中国という国がどういうものかということは、なんとなくおぼろげながらわかりました。その中国がいまや、経済的にも世界に進出してきたわけですが、それが日本にとってどのような影響を与えるのか、世界にとってどうなのかというお話に踏み込んで伺いたいと思います。

田代  いまの金融危機の結果、世界は一変すると思いますよ。それも、かなり中国にとって都合よく一変するでしょう。

運営者 自由主義経済諸国がボーッとしていたら、そういうことになるでしょうな。

田代  中国人は決定的な自信を持っています。中国人にとって、すべての民族は少数民族なんです。

運営者 その認識は、別にまちがってはいないでしょうね。

田代  物理的に正しいですからね。


中国にとっての北京オリンピックの意味


田代  だからふつうの国なら、口で言うだけのことを、本当に実行してしまうんです。

 たとえば今までのオリンピックで、外国での聖火リレーに自分の国から護衛隊を送った国があったでしょうか?

運営者 なかったと思いますよ。聖火防衛隊には驚かされました。

田代  しかもその国にいる中国人を大量動員して、自国の国旗だけを持たせて組織的な応援をさせた国があったでしょうか。

運営者 なかったと思いますよ。しかもそれをやって恬として恥じない。中国はそういう国なんだということが、あれで世界中に認識されました。

田代  かといって、どの国も北京オリンピックをボイコットしませんでした。中国から得られる膨大な利益を手放したくないからですよ。

運営者 それは一つの解釈であって、違う角度から見れば各国が自由貿易の価値を認めているからボイコットしないんだという言い方もできると思いますよ。

田代  自由貿易であれば、政治的な思惑は必要ないわけです。

運営者 オリンピックに対して、普通の国は政治的な思惑は持たないわけですが、中国はそうではなかったというだけです。中国にとっては北京オリンピックは完全に政治的な祭典であったわけですね。

田代  そうです。日本人が完全に思い違いをしているのは、中国には、北京オリンピックを経済発展のジャンピング・ボードにしようという発想は全くないんです。あれは100%、共産党の権威を高めるための政治イベントです。

 開会式での子供の歌の口パクや、少数民族の衣装を着て出てきた子供全員が漢民族の子役俳優だったとか。あれは、中国で開かれる国慶節などの重要イベントでは、いつもやってることなんです。子役として普段使っている子供たちだから、ああいう大イベントでもあがらずに務められるわけです。だから口パクや子役を使うのは当たり前でしょ、ということです。

 「何を非難されているのかわからないけれど、そんなにみんなが気にするのであれば、ホスピタリティーとして今度から公にするのはやめましょう。徹底して秘密にしてあげます」くらいの感じです。

運営者 その言い分はよくわかりました。だけど西側諸国からすれば、やはりやらせとしか見えないです。そこには何か感覚のズレがありますね。

田代  そうですね。しかしそこに感覚のズレがあったとして、彼らは自分たちの方が姿勢を正そうとは考えません。

運営者 それはもちろん。だって西側だってそう考えているわけですから、お互いさまですよ。

田代  しかし中国側がどう考えているかというと、「中国は正しい、なぜならば世界の中心だから」と思ってるんです。

共産党は株価を完全にコントロールできる


運営者 そうしますと、とりあえず政治的なことを置いておいて、そうした国が世界的な市場経済の中で発展していくことができるのかどうかですよ。

田代  たとえば、08年9月からの各国の為替レートを見てみましょう。世界的に、円以外の通貨はドルに対して為替レートを下げ、一部の通貨は対ドル為替レートが暴落しています。しかしこれだけの経済変動の中で、人民幣の対ドル為替レートは、ほとんど微動だにしていないんです。実質ドルペッグしているんです。この状態が維持できるというのは、すごいことですよ。市場での銀行の外国為替の取引による為替変動を、すべて国家の側でキャンセルさせているということなのですから。

運営者 そうですね。

田代  それから上海の株価は06年から07年にかけて暴騰しましたが、そのピークはいったいいつだったかというと、07年の中国共産党大会の開会2日目なんです。

 それからずっと下がってきたのですが、08年の9月19日の金曜日と休み明けの23日の月曜日の2日続けて、中国の大型銘柄はすべて、ぴったり10.0%値上がりしたんです。

 それはどうやったかと言えば、保険会社や年金基金に株を買わせたわけです。

運営者 それは、誰かに見せつけるためにやってるんですね。

田代  「世界経済がこれほど大変な状況になっていても、共産党は人民のためならいつでも株価は上げてあげますよ」というアピールなんです。

運営者 共産党の権威を高めたわけですね。

田代  こんなこと、他のどこの国でできますか?

運営者 アメリカは、そういうことをしないという主義ですから。

田代  では中国人は聞くでしょうね、「個人投資家にとってどちらが幸福な国でしょうか?」と。

運営者 だったら、上海市場も香港市場も、不動産市場も含めて、損してる人いっぱいいるわけだから、「政府が相場を上げてくれ」と言うんじゃないでしょうか。

田代  それについては彼らは、科学発展とか、和階社会(調和のとれた社会)とか理屈があるんです。

 中国は所得税がありません。名義上はあるんですが、実際は徴収していないんです。だから中国の税金の主力は「増値税」という付加価値税です。

運営者 そうなんですか。

田代  これって、貧乏人にとってはすごくきついでしょ。だからどうするかというと、金持ちの持っている資産を、そうやって強制的に吸い上げるわけです。

運営者 はー、そういうことか!

満州事変記念日、この日は党は何かやってくれる


運営者 ということは、中国の市場で株が値上がり値下がりしているように見えるけれど、実はそれは税金をとっているだけなんだということですか?

田代  その一方で、90平方メートル未満の住宅を買うときの住宅ローンの金利は、強制的に大幅に引き下げられています。だから庶民が本当に自分が住む家の住宅ローンは格安にしています。しかし金持ちが投機で買うような、鍵さえ開けたことがないような家については、価格をどんどん下げているわけです。

運営者 市場主義経済の観点から見て、外国企業に対してムチャクチャを言ってるだけではなくて、国内でもムチャクチャやってるということですね。

 つまり、中国で金融商品や不動産価格が騰落しているということは、完全に国家がコントロールしていると見ていいわけですか。

田代  例えば08年9月18日になぜそれをやったのか。

 9月18日は、満州事変が始まった日なんです。だから人民は皆、「共産党はこの日は何かやってくれるだろう」と期待しているんです。そして08年9月18日に共産党は、証券取引税の引き下げ、証券からの利益に関する税金の大幅減税、個人所得税の免税、この3点セットを宣言しました。

 それに加えて、国有の巨大保険会社や年金基金に株を買わせて、大型銘柄に関してはすべて10.0%値上がりさせたわけです。このとき共産党を信じて株を買った人は、2日間で10%の値上がり益を手にしたことになります。

 そういうことができるわけです。為替レートだっておんなじです。ポールソン財務長官が北京に来るたびに、あるいは温家宝がワシントンに行くたびに、人民幣の対ドル為替レートがちょっとハネ上がるんです。

運営者 ちゃんと土産を持たせてやることができるわけですね。

田代  そうです。面白いでしょう。

運営者 面白いというよりは、なんか無理があるように思います。

田代  しかし中国人からすれば、そのような政治的配慮がないものは信用できないんです。

 日本人はその逆で、市場が政治的配慮から外れて自律的に動いていれば信頼したくなります。中国人はそんなものは信頼しません。

 だって中国には、クレジットカードがないんですよ。一応「信用カード」というのがあるんですけど、あれはデビッドカードです。中国人はクレジットカードの仕組みを「信じられない」と言います。

運営者 政府がクレジットカードを発行しても信用しませんかね。

田代  信用しないと思います。北京に中国の皇帝が作った公園があって、そこに手漕ぎのボートがあるのですが、それに乗ろうと思ったら補償金が500元かかるんだそうです。バスが1元、タクシー初乗りが10元なのに、公園の手漕ぎボートの補償金が500元ですよ。まったく人を信用していないんです。

 そういう社会ですから、高額なものほど現金払いです。マンションの頭金や自動車の頭金は現金が原則。口座振り込みではなく、業者の窓口に本当に札束を並べて払うんです。そうでなければ、相手から断られてしまいます。だから、「ロールスロイスを買う」なんて言ったら、100元札が上限ですから、大変なことになるんです。
 ことほど左様に、彼らは抽象的なことは信じません。アメックス発行のトラベラーズチェックですら全く信用しません。「これ何?」てなもんです。

運営者 とってもよくわかります。


所得倍増政策への世界からの期待


運営者 それで、こういうことなんじゃないでしょうかね。アメリカは移民を受け入れて人口は3億人を突破しました。それで「自由主義で頑張ろう」という腹づもりです。一方中国は、共産党支配の下、13億人といわれる人口パワーが経済力を支えて、いま田代さんがおっしゃったようなマジックを可能にしています。

 今後の世界は、たぶんこの両者による力のせめぎあいになるんでしょうね。

田代  『フォーリン・アフェアーズ』の08年6月号に、 フレッド・バーグステンが「米中によるG2形成を」という論文を書いています。あの雑誌に出たということは、すでにアメリカの政策オプションに入っているということでしょう。

運営者 民主党政権だし、民主党寄りのバーグステンだし。

田代  英文のタイトルはPartnership of Equality、「対等のパートナーシップ」です。

運営者 そんなもん、中国の辞書にはありませんよ。

田代  日本語訳がうまいですよね。08年10月末のThe Economistでは、「アメリカの連邦準備と中国が利下げしました」と報道されていて、日本の利下げなんかニュースにもなりません。世界がそういうふうになっちゃったんです。それは大きいですよね。世界経済にとって一番怖いのは、中国が米国債を買わなくなるか、売り出すことです。

運営者 もちろんそうです。今までは同盟国である日本がTBを買っていたから安心だったわけで。しかし本当に中国と共存することが、アメリカを盟主とする自由主義経済の国家群にとって利益になるのかどうか。現在の危機を乗り越えるための苦し紛れの判断ではなくて、その先数十年を想定した深慮がなされているのかということに関しては、検証が必要だと思いますよ。

田代  今のアメリカに、その余裕はないですよ。

運営者 「なんでもいいから、助けてください」になっちゃってますからね。

田代  日本は頼りにならないし。アラブの連中はよくわからないし。比較するとまだ中国のほうがよさそうだなと。

 しかも中国には、今回の金融危機に対して奥の手があります。中国共産党が、「中国の内陸部の農民の所得を、2020年までに2007年の水準の倍にする」と宣言したんです。地球人口の8分の1の人間の所得を12年間で倍にすると宣言したんですよ。これに対して、日本以外の国は色めき立っています。フィナンシャル・タイムズなんか、「中国が世界を救うのではないか」と。

運営者 話のつながりからいうと、党が公言した以上はやるということですよね。

田代  実現させなければ、党が権威を失い崩壊してしまいますからね。

運営者 もし中国の農民層の所得が倍になれば、これは経済的には非常に大きな意味があると思います

士は己を知る者のために死す


運営者 ちなみに共産党は、改革開放路線以後、経済見通しについて大きなまちがいや失敗をしたことはあるんでしょうか?

田代  いっぱいありますよ。それについて中国人の特徴をもうひとつつけ加えるとすると、「とりあえず」ということがあるんです。

 とりあえず大躍進をやってみました。とりあえず文化大革命をやってみました。今度は、とりあえず改革開放やってみました。とりあえず証券市場も作ってみました・・・。

運営者 大躍進は失敗したけど、改革開放は今のところはうまくいっていると。国家による証券市場のコントロールも成功していると・・・。

田代  中国の人たちに政策について「どうですか」と聞いてみると、「とりあえずやってみました」と答えるんです。

 日本人はハッとしますよね。だけど彼らは結果が出ていないことは信じないから、「今はこれをとりあえずやっています」としか言いようがないんです。「だけど明日はどうなるか分かりませんよ」ということです。

運営者 だから契約が成り立たないんでしょうね。

田代  友好的な人間関係が継続されなければ、契約も守られないでしょう。しかし友好的な人間関係が保たれてさえいれば、契約のありなしは関係なしに、その人間関係を極めて重視するんです。

運営者 でもその友好的な人間関係というのは、利益がともなっていて初めて継続するものではないんですか?

田代  利益だけではないんです。司馬遷の「史記 刺客列伝」に「予譲の義」というのがあります。予譲という刺客は敵である王の暗殺に失敗するのですが、最後にその敵から「なぜお前はそこまでして私の命を狙うのか」と訊かれて、「私が仕えた王は私のことを国士と呼んでくれた。それに報いるために、あなたの命を狙うのだ」と答えるので、狙われている王のほうが「何たる素晴らしい男だ」と言って感動しちゃうんです。

運営者 「士は己を知る者のために死す」の話ですね。

田代  「キミは有能だから」とおだてて使うのは、ビジネスの話ですよ。でも予譲の場合は「私のことを国士と呼んでくれた人間のために私は死ぬ」というわけです。そこなんです。中国人は、自分を認めてくれる人は、自分の金銭的な利益にならなくても、とことん大切にします。

 自分をただ利用しようとしているだけの人間は、どんなに利益になっても、ダメなんです。

運営者 「利用」という言葉についてですが、日本のビジネスマンが中国に行って、「どうぞわれわれを利用してください」と言ったら、中国人にとってはそれは「相手のことを骨までしゃぶる」という意味なんだと聞いたことがあります。


中国人にだまされるのには、理由がある


田代  それはそうです。「あなたは私の一切、唯一無二の人です。比較の対象はない。私の中国でのビジネスパートナーは、あなたしかいないんです」と言ってくれる人間なら、中国人は信頼を守ります。

 「他の相手もいるんだけれど、とりあえずおたくと仲良くやりましょう」「いろいろ比較検討した結果、御社にお願いしたいんですけど」というのでは全然ダメなんです。そういう会社は、中国人から徹底的に利用され、だまされて、最後はポイされるでしょう。そういうケースは珍しくありません。

運営者 それを知ると知らないとでは、えらくつき合い方が変わってきますね。

田代  日本人だって、自分がダメだと判断した人間に対してはひどく冷たいじゃないですか。基準が違うだけなんです。

 中国では、酒を飲むのはいいけれど、酔っ払うのはダメだし、乾杯と言ったのに飲み干さない人間は「そんな簡単なことさえ、自分が口に出したことを実行できないのか」と、えらく軽蔑されます。

 だって中国の乾杯用のグラスはすごく小さいじゃないですか。それは絶対に飲み干すことができるように小さくなっているんです。「乾杯」といって、杯に口だけつけてすぐに置くなんていうのは、一番ダメです。「こいつは信用できない」と思われてしまいます。そうすると彼らは、そこで一切関係を切るか、徹底的に利用し尽くすか、どちらかですよ。

運営者 それは単に、当たった相手が悪かったわけでもなく、慣習上の問題でもなく、これまで田代さんがお話しされたような深い文化的な理由があっての話なんでしょうね。

田代  結構簡単なことなんですけどね。

運営者 あのう、ふつうの日本人にはわかんないですよ。

田代  日本人が「自分たちの基準で中国人とビジネスをやりたい」と思ったら、相手の中国人に徹底的に説明しなければなりません。何時間いや何日を費やしてでも、相手の中国人が本当に納得するまで徹底的に、「日本ではこうするんだ」「日本ではこうしててはいけないんだ」ということを、相手が「もういいです。よくわかりました」と言っても、一切合財をどこまでも具体的に説明し尽くさなければ、日本人が日本の基準で中国人と付き合うのは不可能です。それを可能にするには、中国のことを熟知しているコンサルタントと、そのコンサルタントと密接にコラボレイトできる能力を持つバイリンガルの通訳とが、絶対に必要です。

http://www.ikaganamonoka.com/intr/tashiro1/


6. 中川隆[-13440] koaQ7Jey 2018年6月21日 10:00:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15946]

特別番組「中国人に恋愛はあるのか?〜真実の中国史」宮脇淳子 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=WcABTmvWqro

7. 中川隆[-13452] koaQ7Jey 2018年6月21日 11:33:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15964]

【宮脇淳子】中国美女の正体 [桜H24-4-19] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=vwBGh84gvs0

2012/04/19 に公開
東洋史家の宮脇淳子氏をお迎えし、元産経新聞記者のジャーナリスト・福島香織氏と御一緒に著された新著書『中国美女の正体』を御紹介いただきながら、外見からは想像もつかないほどに、精神性も価値観も日本人とは大きく異なる中国人の、中でも"美女達"の繰り出す謀略から、自身と国を守るための術はあるのか、日本人が知っておくべき彼らの本音と思考について、温かい叱咤激励とともに お話しいただきます。


▲△▽▼


交際クラブは完全会員制であることが多く、男性は入会金と紹介手数料を支払う。コースによって料金プランは異なり、女性会員数1万3000人を誇る某大手クラブでは、スタンダードコースが入会金3万円、紹介手数料2万円なのに対し、VIPコースは入会金11万円、紹介手数料6万円。さらにその上の「特別VIP」コースまである。
 これだけの金額を支払うのだから、女性は容姿端麗が大前提。モデルやCA、タレントの卵、レースクイーンなどえりすぐりだ。


一方で、思わぬ“罠”が仕掛けられている場合もある。交際クラブを通じて元モデル女性と結婚寸前までいった50代男性の証言。

「スタイルも良く、エッチもうまい。それでいて、チャラチャラしたところがなかったので、すぐに結婚前提の交際を始めたのですが…。のちに彼女が中国人であることが分かり、私の自宅に彼女の親族が次々と転がり込んでくるようになったのです。向こうは家族を大事にする文化だそうで。気付けば自宅を占拠されてしまいました」

 別れを切り出した際には、彼女と親族に取り囲まれ、散々罵声を浴びせられた揚げ句「手切れ金まで要求された」(同)という。
https://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/1042540/



8. 2018年6月21日 21:54:31 : 8wqIguzTdc : TYkwLONCjGs[-12]

中国人は、人間と機械の中間的な存在だよ^^

(心)というものが不在^^

非生物的だ^^

この辺りは(人の心=良心が無い)朝鮮人とも違う^^

朝鮮人には、人の心は無いけれども(獣の心)は有る^^

なので、その行動は(心)により支配される部分が大きい^^

中国人は(心)は無く、(計算・打算)でしか動かない^^

その計算には、未来は不在で(今)しかない^^

(権威絶対)の学歴主義であり、日本の官僚とよく似ている^^

(権威)を掴むため(贈賄)が常習的になり^^

(権威を掴む目的)が(収賄を可能にするため)というのも、日本の官僚と通じる部分だ^^

(@権威の嘘)は正しく、(A権威の偽り)は真実、(B権威の誤り)は隠蔽される^^

@ABの目的を果たすため、権威に成れなかった者は、罪を犯したと定義され(全ての責任を負って消される)^^

中国が、然う成った理由は、中国の宗教観の欠如にある^^

中国には、宗教というものは普遍な存在に成らず「儒」「老荘」と云う2つの哲学が、中国人の意思を形成している^^

「儒」の概念=権威主義が、権威に群がり、権威に媚び、権威に隷属する中国人の人間性を形成し^^

「老荘」の概念=無関心が、権威の不正に対して、決してコレと対峙しない、戦わない中国人の人間性を形成している^^


すなわち中国人は^^

現代中国人の在り方のまま、1810年間生きてきた^^

では^^

現代中国人の在り方を決定付けた、1810年前の出来事とは何なのか?^^

其れこそ、陳羣(字=長文)が編纂した(九品官人法)である^^

中国は、この時(公務員=官僚という定義)を生み出してしまった^^

この時以来^^

中国は、GDPで1/10000以下の北方騎馬民族の侵入に、ただの1回も勝てない国家に成り下がった^^

押し込み強盗である侵入騎馬民族から、官僚は、ただの1回も中国国民を守ることは無かった^^

官僚は、侵入者である騎馬民族に媚び、諂い、阿ることで、自身=官僚の地位を保全した^^

新たな支配者は、官僚の媚び、諂い、阿りに腐敗し、その支配者もまた、GDPで1/10000以下の異民族の侵入によって滅びた^^

官僚は^^

また国家と国民を裏切って^^

この侵略者に媚び、諂い、阿ることで生き延び^^

中国という国は、官僚によって延々とこれを繰り返し^^

いつしか侵略国家とは、北方の異民族に限らず、南方の海洋より訪れる西洋人も加わり^^

これにも中国官僚は媚び、諂い、阿ることで自分たちは生き延び^^

とうとう、明治の日本に亡命し、明治維新の精神によって革命を起こした孫文によって^^

明治維新の精神に倣い(全ての官僚は皆殺しにする)と^^

睦仁天皇が、正に日本において官僚(武士)を皆殺しにしようとしたように^^

腐ったものは切って捨てるしかないと定義されるまで、生き延び続けたのである^^


だから、中国の歴史は^^

(官僚を置いてはいけない)(官僚=心を失った者)(共産主義が間違っている)という^^

人類普遍の法則について、それを証明するものであるのだ^^


9. 中川隆[-13550] koaQ7Jey 2018年7月01日 07:43:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16294]
真夜中の世界に生きている人の中には、表社会から弾き飛ばされて転がり堕ちて来た人間も多い。なぜ、彼らは表社会から弾き飛ばされたのか。それは、基本的に表社会でのルールを破ってしまったからだ。
表社会にはいろいろな窮屈なルールがたくさんある。守らなければならないルールは多い上に、協調性も求められる。そこから逸脱すると、次第にそこにいられなくなってしまう。

犯罪を犯した人間は、有無を言わさず表社会から弾き飛ばされる。しかし、それだけではない。粗暴な態度だったり、ルーズな性格だったり、極端に利己主義であっても、表社会から弾き飛ばされることになる。

男も女も関係ない。年齢も関係ない。あまりに協調性がないと、男でも女でも何歳でも弾き飛ばされる。

表社会から弾き飛ばされると、行き着くところはアンダーグラウンドの世界しかない。そこが彼らの居場所になる。

表社会では信頼と人生の経歴がとても重視されるが、アンダーグラウンドではそんなものは必要ない。誰が今までどんな人生を送っていようが、そんなことはまったく関係ない。

重要なのは、目の前にいる人間が「自分に役に立つのか立たないのか」「利用できるのかできないのか」「金になるのかならないのか」そういった現実的な利益だけである。

言わば、徹底した利己主義と現実主義で成り立っていると言ってもいい。

そういった世界では、他人を無防備に信じたらどこまでも利用され続ける。金をたかられ、トラブルを押しつけられ、踏みにじられる。

醜悪な世界では、人を信じるというのは美しいことではなく、単に弱みになってしまうのである。利用されてしまうのだ。

だから、アンダーグラウンドに長くいる人は早くから「無防備に何かを信じてはいけない」という哲学を、否が応でも会得していくようになる。

信じたら終わりなのだ。

悪人が誰かをワナにはめるときは、まわりを見回して最も騙しやすい人、無防備な人、知恵の足りない人を標的に選ぶからである。

一般的に、警戒している人間をワナにかけるような面倒なことはしない。警戒心のない人間をワナにかける。騙しやすい人間から騙す。襲いやすい人間から襲う。

だからいつも純真で無垢な人間から騙されていく。


多くの日本人は、もともと「人を信じて生きる」「信頼関係を大切にする」という生き方が身についている。外国で多くの日本人がカモにされるのは、そういった性格が裏目に出ているからでもある。


どんなに気を付けても無駄だ。目の前にいる人たちの裏の顔は、決して見抜くことはできない。推理小説では一番怪しくない人が犯人であることが多いが、アンダーグラウンドもそうなのだ。信じられそうな誠実なタイプが一番タチが悪い。


東南アジアのアンダーグラウンドにのめり込んでいった男は多いが、生き残っている男たちと破滅していった男たちの違いは、自分に何らかのルールを持っていて、そこから逸脱しないようにしているかどうかだろう。

破滅していった男たちは、状況に流されて行き当たりばったりに行動しているが、生き残る男たちは自分をコントロールできている。中には、ストイックなまでに「自分の掟」を守っている男もいる。

そのルールは男によって違っているのだが、そういったポリシーが彼らの身を助けているのは間違いない。

私自身が悪人のひしめくアンダーグラウンドで生き残るために身につけたのは、「かわす、逃げる、関わらない」ということだった。

私ごときがアンダーグラウンドの人間たちに、狡猾さで勝てるはずがない。また、私は相手が悪人なのか善人なのかを確かめる能力すらもない。

だから、私はアンダーグラウンドの人間たちとは「刹那的」にしか関わらない。刹那的であれば、いかに相手が悪人であろうとも、できることはたかが知れている。

今日知り合って「この男は騙しやすい」と思われても、明日会わなければ、何かを仕掛ける準備などできるはずもない。

そんな世界では、正直言って「人間関係などはないほうがマシ」なのだ。

アンダーグラウンドに堕ちていった人間たちは、最後は孤独になっていく人間が多いが、これはそういった世界特有の殺伐さが次第に身につくからだ。

他人を信じないことが身を助ける世界なのだから、それが身につけば孤独になって当然なのである。

そうやって孤独が生き残る術(すべ)として身についた人間は、何か改心するきっかけがあって表社会に戻っても、あまりうまくいくことはない。

堕ちた男、堕ちた女は、往々にして表社会に戻ろうと努力するのだが、しばらくするとまた裏側に堕ちてしまうのは、人間関係の構築方法があまりにも表側と裏側とでは違ってしまうことにも要因がある。感性が違ってしまう。


「堕ちた女性は、這い上がってもまた堕ちる」というのは、そういったことを指している。

堕ちた人間はまた堕ちる。這い上がってもまた堕ちていく。感性が違ってしまったら表社会でうまくいかない。
https://blackasia.net/?p=8071


10. 中川隆[-13526] koaQ7Jey 2018年7月01日 19:51:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16300]

中国人が住む場所や国籍には全くこだわらない理由
7/1(日) 16:00配信 マネーポストWEB

中国には一人で暮らすという発想がない?(上海)


 日本人のほとんどは、中国人の「働き方」を理解していない。20年近く中国各地を訪ね歩き、

『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)
https://www.amazon.co.jp/%E8%A8%80%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%A9%98-%E7%8E%B2/dp/4101213518/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1530442219&sr=8-1&keywords=%E8%A8%80%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F

を上梓した橘玲氏と、上海の寿司店の職人やホストなど、さまざまなアルバイトを経験し、

『ルポ 中国「潜入バイト」日記』(小学館新書)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AB%E3%83%9D-%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%80%8C%E6%BD%9C%E5%85%A5%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%88%E3%80%8D%E6%97%A5%E8%A8%98-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E8%A5%BF%E8%B0%B7-%E6%A0%BC/dp/4098253283/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1530442254&sr=8-1&keywords=%E3%83%AB%E3%83%9D+%E4%B8%AD%E5%9B%BD+%E6%BD%9C%E5%85%A5%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%88+%E6%97%A5%E8%A8%98

を著わした西谷格氏が、「日中の労働者」の価値観の違いを語り合った。
.

橘:中国人は仕事に関してドライで、職場を第一に考えるという意識がない。中国人には、家族や“朋友”しか信用しないという哲学が根底にある。朋友は「同門の友」という意味で、日本でその関係にいちばん近いのはヤクザの義兄弟です。
.

 問題になっている情報漏洩も、朋友から「調べてよ」と頼まれたら嫌と言えないから。会社よりも朋友への忠誠心のほうが高い。
.

西谷:日本人とは逆。
.

橘:どうしてそうなったのかというと、中国は人が多すぎるから。競争が激しすぎて、騙す人間がたくさんいる。だから、信用できる助け合いネットワークがないと生きていけないんです。
.

西谷:中国に移り住んだとき、私も「知り合いや家族は住んでるのか?」とやたらと聞かれました。「いない、一人で来た」というと、「よく生きていけるね」とびっくりされました。
.

橘:一人で暮らすという発想がないんですね。一方で人的ネットワークさえあれば、住む場所や国籍には全くこだわらない。
.

西谷:華僑は世界中どこにでもいます。国籍は自分にとって“便利な国”を選ぶくらいの感覚でしかないですよね。仕事も同じで、条件のいい会社にすぐ移る。だからブラック労働も、中国では起こり得ない。“辞めたいのに辞められない”という日本人労働者の感覚は、中国人には奇妙に映るでしょうね。
.

橘:辞めればいいじゃんと。日本だと、社員は会社に滅私奉公して、その代わりに会社に守ってもらうという感覚があるから、無理難題を押し付けられても我慢しますが、中国人にそれはない。
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西谷:中国人はたしかに身勝手で自己中ではありますが、日本人も少しは見習ってもいいのかもしれません。
.

※週刊ポスト2018年7月6日号


11. 中川隆[-13415] koaQ7Jey 2018年7月06日 17:37:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16333]

39人の死刑囚 を見送った男の話 : 生きている死人 「活死人」 の苦しみ  (福島 香織 : 日経ビジネス)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110808/221981/?P=1


2011年8月17日
 7月下旬から8月にかけて、ドイツ旅行に行ってきた。目的の1つに、ミュンヘンに訪問学者として滞在している友人の華人ジャーナリスト、周勍氏へのインタビューもあった。

 周氏は日本で『中国の危ない食品―中国食品安全現状調査』(草思社刊)を出版し日本を訪れたこともある。当時は民放テレビにも出演したので、ひょっとすると長髪の小太りの気のよさそうなこの男の顔を知っている人もいるかもしれない。

 この本の原本が中国で出版されて間もないころ、私も食品安全問題を集中的に調べていた時期があり、彼からアドバイスをいただいたことがある。それ以来のお付き合いだ。周氏は小説家養成機関の北京師範大学魯迅文学院を卒業し、当初は小説家として期待されていたものの、途中でジャーナリズムの道に進み、1989年の天安門事件では北京以上の規模だった陝西省西安市の学生運動を指導して、約2年間、反革命扇動罪で監獄に入った。

 彼の人生は曲折に満ちて、それはそれで非常に興味深く、物書きとしてはそそられるテーマだが、今回、ご紹介したいのは、彼が投獄中に目の当たりにした「中国の死刑」だ。


■執行の1週間前から 手足を板に固定される

 中国は毎年、推計数千人の死刑が執行されている死刑大国である。90年代末までは公開処刑もあった。だが、実際に死刑囚が監獄の中でどう過ごしているのか、どのように死刑が執り行われているのかは、秘密のベールの向こうだ。それを実際に目の当たりにしてきたのだから、彼の体験は貴重である。

 「私は獄中にいたとき、死刑囚のお世話をしたことがあるんだよ」と、周勍氏はミュンヘンのルードヴィッヒ・マクシミリアン大学近くの自宅で手料理をご馳走してくれながら、話し始めた。ちょうど、福建省アモイ市の大汚職事件「遠華事件」の主犯の頼昌星氏が逃亡先のカナダから中国へ送還された後、本当に死刑は免れるかどうか、という話題から、死刑制度についてどう思うか、と私が尋ねた時だった。彼は「死刑制度には絶対反対である」と答えた後にこう語ったのだ。

 「中国では死刑囚は死刑執行の1週間前から手足を板に固定されて身動きが取れない。死刑の恐怖で自殺するのを防ぐためだ。だから自分でご飯も食べられないし、排泄もできない。私は食事を彼らの口元に持って行って食べさせたり、小便を催せば、それを盆に受けて取ってやったり、世話をしたりしたんだ。もちろん大便もな。板には尻のところに穴があって、その穴から盆に受ける。そのあと、尻を洗ってやるんだ。人としての尊厳もくそもないだろう」

 私に目を丸くした。「さすがに、今は違うでしょう。それ、20年前の話ですよね。今はそんなひどいことはないでしょう」。

 周氏は「今も変わらないよ。中国では今も、死刑囚は“活死人”(生きている死人)として扱われるんだ」と言った。そして、中国の“活死人”の味わわされる苦しみについて、考えてほしい、と言葉を継いだ。


■悲鳴を上げかけたので、縄で首を…

 周氏は西安市の監獄で「死刑囚のお世話係」の仕事を割り振られていた。それはどの服役囚も敬遠する嫌な汚れ仕事である。「お世話」したのは100人以上になるだろう。死刑が執行されるその瞬間まで見届けたのは39人だ。全員、銃殺刑だった。中には未成年もいた。刑務官に虐待された者もいた。

 「最初にお世話した死刑囚は18歳の湖北人さ。見たところ、まだ子供だった。でも、18歳以下は死刑にできないからね。2万元の盗みを働いて逃げる途中、人を殺してしまった。監獄の中には監獄ならではの経済社会があって、やはりカネがないと食べるものもない。その子供には、誰もカネや食べ物を差し入れてやる家族がいないから、いつも腹をへらし、のどの渇きも癒やせないでいた。誰か水を分けてくれ、と何度も哀れにせがむ声が監獄内に響いていた」

 「ある日、そいつに血液検査の日が来た。血液検査というのは、死刑執行の2週間前に行うもので、つまり死刑執行後に迅速に臓器移植を行うためにするんだ。運よく臓器移植のレシピエントにあう血液でなかったら、死刑は延期だ。だから血液検査のお呼びがかかると、死刑囚は苦悩し、自暴自棄になりやすい。そこで、自殺しないように手足を縛る必要が出てくる」

 「私はその子が哀れで、1度、カップ麺を食べさせてやったことがある。私が家族から差し入れにもらったものだ。彼の死刑執行に立ち会った。銃殺される前に、悲鳴を上げかけたので、縄で首をきつく締められたよ。鶏を絞め殺すような音がして、銃殺刑が行われる前にはもうぐったりしていた」


■姉の電話番号を私に託した死刑囚

 「『皮管王』という言葉がある。監獄用語で一種の典型的な変態刑務官を指す言葉だ。特殊な管を囚人の尻につっこみ虐待して興奮する変態だ。そういう虐待も行われていたのを私はこの目で30回以上見た。死刑囚の尻は熟して破裂したトマトのようになって、その夜、医者が脱脂綿を2缶使っても、血が止まらなかった。その『皮管王』は朝鮮戦争の帰還者だったよ。」

 「西安の京劇役者で、街を歩いているイタリアの女性を怪我させた罪で死刑となった武安民と言う男もお世話もしたよ。彼は麻薬常習者で、カネが欲しくてイタリア女性からカバンをひったくろうとしたら、抵抗されて、怪我を負わせた。そのイタリア女性の職業が警官だったので、死刑という重い罪になってしまった。性格の明るい愉快なやつで、彼が来たので監獄内は少し明るくなったよ。しかし、彼にもやはり『血液検査』の日がきた。板に張り付けられた格好の彼に、してほしいことはないか、と尋ねたら、たばこが吸いたい、という。それで、私はできるだけ、彼にたばこを与え、火をつけてやった」

 「死刑の前の晩、彼はふと、『周さん、あんたいいやつだなあ』と言ってくれたよ。『あんたはいつか、シャバに戻れるんだろ? だったら、ちょっと頼みがあるんだ。姉に、電話してほしいんだ。オレが一番、苦労かけたのは姉なんだ。オレの父親はオレが3歳の時に亡くなってね。死んだ理由ははっきりしないけれど、あんたと同じように政治運動やっていたせいだと思う。母親はオレと11歳の姉を置き去りにしてどっかいっちまったから、姉がオレを育ててくれたようなもんだ。それでも姉は医科大学に合格し、おれも省の芸術学校に入学した。オレがクスリなんかに手を出さなきゃ…。もう長いこと手紙すら書いていない…』。そう言って電話番号を私に託したんだ」


■今も執行を見届けた39人の顔 を覚えている

 「私は今も、死刑執行を見届けた39人の顔を覚えている。どんなに振り払おうとしても、その顔が浮かんでくる。でも怖くてずっと人は言えなかった。この話を初めて公にしたのは、2010年2月のジュネーブで開かれた死刑廃止世界会議の席だよ。知人に招かれて参加してみたら、いきなり壇上に立たされて、演説しろって言われてさ。で、長い間、のどの軟骨に刺さって化膿していた魚の骨のように、その時突然、口から飛び出してしまった」

 こういう経験に立った上で、彼はこう締めくくった。

 「死刑って何のためにやるんだ? 結局、国家の権威を強化するためだよ。人の命を奪っていいのは国家だけだ、ということを大衆に知らしめるためだよ。それは犯罪被害者の家族のためでもなければ、正義のためでもない。日本はどうだい?」

 彼のこの経験については、私は初めて聞いたので、しばらくぼうぜんとしていた。


 私は死刑廃止論者ではない。かといって、死刑を支持するか、と問われれば誰が人の死を望むだろう。しかし、もし自分の愛する人が、理不尽な理由で残虐な方法で殺された場合、犯人の死を望むか、と言われれば望むかもしれない。遺族が「極刑を望みます」と言い、死刑判決が出た時に、遺影にそう報告できてよかったと、涙を流す気持ちを想像してみる。

 少なくとも周氏の話は、中国の死刑制度の残虐さであって、それを聞いて、だから日本も死刑制度を廃止すべきだ、という風には説得されない。唯一、死刑執行を待ってほしい、と思うとすれば、それは1%でも冤罪の可能性がある時だろう。しかし冤罪を無くすことと死刑の是非を同じ土俵で考えるべきなのか、分からない。


■「反対しないのは、文明の進歩が足りないのでは?」

 私はこう答えた。

 「日本の死刑囚はもっと人道的に扱われていると思うよ。最後に望む食事を与えられると聞いている。死刑が国家の権威の強化になるという言い方もあるが、日本の場合、国家の中枢を選ぶのは国民の選挙。もし国民の過半数が死刑の廃止を望めば、政治家はそれを争点にして選挙戦に挑めばいいのだから、比較的速やかにそれは実現できるだろう。中国の問題は、死刑を執行する国家が民の選んだ政府でないという点、そして死刑囚に対する虐待と、最低限の人としての尊厳が守られていないということだ」

 周氏は「日本国民が死刑に反対しないのは、それは文明の進歩が足りないのではないか。ドイツは大戦中は大量の死刑が行われたが、今では死刑は非文明的で野蛮だという結論に至った。もうヨーロッパではどこも死刑は行っていない」と言う。だが、私は日本の場合、もう少し根本的な違いがあるような気もする。一言でいえば「死」に対する観念の違いと言うべきか。

 良い悪いは別にして、「生き恥をさらす」という言葉があり、時に生きることより死の方が楽だ、美しいとする考えがある。病気や不慮の事故で「苦しまずに死ねた」ことは遺族にとって慰めだ。死者が覚悟の上で迎える死ならば、遺族はまだしも救われるだろう。遺体の損傷が少なく丁寧に葬儀を執り行えることも遺族にとっては大切なことだ。死そのものは悪でも懲罰でもない。重要なのはその迎え方と迎えた後だ。日本人が臓器移植にいまだ強い抵抗があるのは、死後の尊厳の問題もある。

 理不尽に残虐に他人の命を奪い、遺体に対する尊厳をも踏みにじった犯罪者に対し、かなり長い裁判のプロセスを踏み、それなりの配慮の上で厳粛に死刑が執行され、その後にきちんと清拭され、翌日、遺体を遺族に引き渡されるのだと聞けば、多くの日本人的感覚としてはさほど野蛮と感じないのではないか。


■日本人も中国の司法で裁かれる

 周氏と私のこの議論は平行線に終わった。私は死刑囚と面談したことも、死刑執行に立ち会ったこともないので、死刑というものを具体的に想像できないのかもしれない。彼が20年もの間、人に語れずにいたこの経験がどれほどの悪夢であったか。

 ただ、思うことは、中国の国際化に伴い、日本人を含む外国人が中国の司法で裁かれるケースも増え、実際に日本人死刑囚の死刑も執行されている。国情によって司法の裁く罪の重さが違うのは当然だとしても、守られるべき共通の人間の尊厳はある。たとえ、よその国のことであれ、自国のことであれ、そのことは無関心であってはならないだろう。


12. 中川隆[-13803] koaQ7Jey 2018年7月30日 21:52:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17383]

皇帝たちの中国 宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%9A%87%E5%B8%9D%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD+%E7%AC%AC+%E5%9B%9E

13. 中川隆[-13779] koaQ7Jey 2018年7月31日 22:18:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17419]

特別番組「真実の中国史」宮脇淳子 海上知明 倉山満【チャンネルくらら・4月4日配信】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=FzyKwtAmBf0


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特別番組「日本人は毛沢東が書き換えたウソの歴史に騙されてきた〜真実の中国史」宮脇淳子 海上知明 倉山満【チャンネルくらら・4月10日配信】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=D8fDflyvM5c


真実の中国史[1840-1949] (PHP文庫)
宮脇 淳子 : http://amzn.asia/0qx4IO0

教科書で習った中国史は、
現代中国に都合のいいように書き換えられたものだった!

日清・日露戦争の意義、満洲建国の実相、孫文や毛沢東の実像について、
日本人は驚くほど誤解している。

それというのも、毛沢東が、中国共産党の歴史的正統性を証明するために、
日本から影響をうけたということを、歴史からいっさい抹殺したからである。
本書は、気鋭の歴史学者がアヘン戦争から中華人民共和国設立まで、
日本人が知っておくべき中国史の真実に迫ったもの。

次々と明かされる歴史の裏側″に触れることで、あなたも、
日本人の歴史観が、いかに歪んだものかに気づかされるに違ない。
ロングセラー、待望の文庫化。

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特別番組「中国人に恋愛はあるのか?〜真実の中国史」宮脇淳子 海上知明 倉山満【チャンネルくらら・4月25日配信】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=WcABTmvWqro


14. 中川隆[-13776] koaQ7Jey 2018年8月01日 05:39:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17419]

【宮脇淳子】中国美女の正体−サイン本プレゼント[桜H24-4-19] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=vwBGh84gvs0

2012/04/19 に公開
東洋史家の宮脇淳子氏をお迎えし、元産経新聞記者のジャーナリスト・福島香織氏と御一緒に著された新著書

『中国美女の正体』
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%BE%8E%E5%A5%B3%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%882545%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90/dp/4894518597


を御紹介いただきながら、外見からは想像もつかないほどに、精神性も価値観も日本人とは大きく異なる中国人の、中でも"美女達"の繰り出す謀略から、自身と国を守るための術はあるのか、日本人が知っておくべき彼らの本音と思考について、温かい叱咤激励とともに お話しいただきます。

___


●その国の女性を知れば、真実がわかる!
日本にとって迷惑な国といえば、
あなたはどこの国を思い浮かべるだろうか?
尖閣諸島問題、太平洋2分割構想、空母建艦……。
そう、何かと茶々を入れてくるかの国である。

現在、GDP世界第2位の国家・中国は、
日本を抜いて、本当に金持ち国家となったのだろうか?
そして、日本は中国とビジネスをうまくやっていけるのだろうか?

外国とつき合う際、最も重要なことは
「その国のことを理解する」ということ。
その点について、日本人は中国を知らなすぎる。
中国人は相手の懐に入り込んで、
相手が引こうものなら、さらに懐へ詰めより、
妥協点を見いだす国である。
引くことがよしとされる日本人の美意識は、
中国には通用しない外交なのである。

では、かの国を知るための鍵となるのは何か?
それが「中国の女性」を知ること。
しかし、日本人が知る中国の女性は、ほんのひと握り。
人口13億人の中国で、少なくとも6億人以上いる
中国人女性を知れば、
中国の本当の姿が見えてくる。
この本で“中国の女性”を初めて語る。

●あなたも中国美女に騙されてみる?
日本のビジネスマンが中国女性に接する場所といえば、
やはり“夜の学校”ではないだろうか?
日本ではスパイというと映画の世界を想像するが、
中国には危険な罠が待ち受けている。
いわゆる「ハニー・トラップ」と呼ばれる罠だ。
そこまでいかなくても、
中国の印象を良くするための工作員がいるという。
中国美女は“したたか”に生きる。
しかし、これすらも中国人女性の一部でしかない。

1人っ子政策で育った80后(バーリンホウ)や90后(チューリンホウ)、
田舎(農村籍)から都市(都市籍)へ出稼ぎに来る女性、
南部、北部、東北部、沿岸部、内陸部と
ありとあらゆる地域に住む女性たち、
モンゴル、チベット、ウイグルなどの少数民族など、
中国はひとくくりなどできないのだ。

そんな彼女たちは、何に幸せを求めているのか?
結婚? お金? 一族?……。
そして、彼女たちは日本男子をどう思っているのか?
中国の嘘を暴く東洋史学者と
中国の現場を知り尽くすジャーナリストという
2人の女性著者が、日本を、中国を斬る!

____


日本人の必読書の一つ 2016年7月5日


 日本人にとって、シナ大陸にいる56以上の異民族の女性について知る余地もなく、朝鮮半島の5つの異民族の女性についても同様だ。日本は天皇陛下を家長とした単一民族の大家族で、皇紀2676年(2016年)も続く世界最古の民主主義国家だ。共産主義・独裁政権の多民族国家に囲まれてはいるが、日本人は何も知らない人の方が多い。

 シナ大陸は中国共産党(中共)の共産主義思想の独裁政権だ。北朝鮮も金一族の共産主義思想の独裁政権。これらはソ連(現、ロシア)の傀儡帝国としてソ連の秘密警察KGBが作り上げた。韓国はシナ大陸の小型版で多民族国家。表面上は何から何まで日本の真似をしているので、あたかも民主主意に見えるが、実は同じ民族だけで支配階級を固めており、彼らの独裁政権となっている。縁故採用でその既得権益は守られている。ロシア大陸も多民族国家の独裁政権で、超富裕層は全員がユダヤ人だ。1917年のロシア革命でユダヤ人に「背乗り」されたのだ。

 こういう不安定で危険な「帝国」に囲まれているにもかかわらず、日本の學校では何も教えていない。故に日本人男女は見も知らぬ周辺国の異民族を外見だけで判断し、勝手な想像で恋に恋をして結婚したりするという幼稚さだ。「隣国に寛大な民族は、必ずその国によって滅ぼされる」これが海外では常識であり、海外では異民族は絶対に信用しないし、寧ろ警戒する。しかし、敗戦後の弱国となった日本では、わざと無知・無能にされている日本人が、周辺国の異民族の工作にどんどん引っ掛かり、結婚して混血児を沢山生んでいる。

 この本では「中共メンバーの漢民族の女性たち」について語られている。漢民族は計算高く、全ては金・金・金だ。愛だの恋だのとは無縁な民族だ。金になる異性なら何をされても離れない。精神的に絡みつき、とことん生き血を吸い上げる。共産主義思想で教育されているので「宗教は麻薬で悪だ」、「和の心」など理解できない。例えば、シナ大陸では他人の子が自動車事故で死にそうでも、少女が強姦されていても、誰も助けない。我が身を守るだけだ。金にならない処か損をするだけだからだ。

 宮脇教授のこの本は、日本人男性は全員、一度は読んでおくべき必読書だろう。シナ大陸も朝鮮半島も、日本とはその考え方が全く逆だからだ。
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%BE%8E%E5%A5%B3%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%882545%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90/product-reviews/4894518597/ref=cm_cr_arp_d_paging_btm_next_2?ie=UTF8&reviewerType=all_reviews&sortBy=recent&pageNumber=2#R2WK57TU9MOWC7


15. 中川隆[-13775] koaQ7Jey 2018年8月01日 05:42:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17419]

【宮脇淳子】中国は何故かくもずうずうしいのか?[桜H24-5-21] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=MZoWnKT6jTA


譲り合い、相手に合わせる日本と、押して自らの場所を広げる中国。

そういう処世術のみならず、あらゆる面における発想そのものが異なる国として中国を認識することの重要性や、それを知らしめるための役割を果たしていないメディアの現状などについて、東洋史家の宮脇淳子先生に存分に お話しいただきます!


16. 中川隆[-13775] koaQ7Jey 2018年8月01日 07:02:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17428]
中国「食品汚染」本当の原因は…現地人の衝撃告発
7/30(月) 10:00配信 現代ビジネス
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180730-00056718-gendaibiz-int

汚染されたある村の話

 中国人の友人が筆者に送ってくれたあるメールが、中国の「食の実態」の一端を表しています。導入部が少々長い説明になりますが、きわめて興味深い話なので、全文を以下に翻訳・紹介しましょう。

 〈中国の農作物は、しばしば水によって汚染させられています。そしてそのことを、人々は「仕方がない」と諦めています。これは、私の故郷の、広東省と江西省の境にある、小さな村の話です。

 この村が所属するS市O県に住む人々の大多数は、客家(注・中国の「移動民族」)です。私たちの先祖がここにたどり着いて、村を形成するとき、その条件は周囲に豊かな緑に覆われた山があり、そこに水源があることでした。

 私の故郷の村も例外でありません。さしわたし200メートルほどの小さな村に沿って、10mほどの幅の小川が流れています。地元の人たちは、この川を尊崇の念を込めて「大河」と呼んでいます。10年に一度ほど発生する、洪水などの災害時を除いては、川の水は常に澄みきっていて、魚、エビ、カニ、タニシなどが数多く棲息しています。村の人々は、それらの生鮮魚介類を、無尽蔵に食べることができたのです。

 村の中には「大河」と結ばれた井戸がたくさんあって、お湯を沸かしてご飯を炊いたり、大河の畔で洗濯をしたりします。大河からは小さな水路が村中に張り巡らされ、畑の農作物を灌漑します。

 しかし10年数前のこと、ある異変が起こりました。村外の誰かが、村の周囲を取り巻く山々の中から、豊富なレアアースの鉱脈を発見しました。それから業者によってレアアースが掘り出され、その過程で、大量の炭酸アンモニウムなどの腐蝕性の化学残土が大河に流入し、透明だった川の色は濁黄色に一変してしまったのです。

 初めのうちこそ、発掘が一区切りついた数日後には、もとの澄んだ流れに戻っていたのですが、発掘が繰り返されるにつれ、やがて濁黄色の残土は河底に沈殿し、豊富にいた魚やエビやカニなども、ほとんど姿を消してしまいました。沈殿した泥の中に潜って魚介類を採ろうとした村人は、後で体調を崩してしまいました。

 やがて「大河」と「井戸」は村人から見捨てられ、河岸には衣類などの廃棄物が無数に散らばり、無残な姿に変わり果ててしまいました。

 そのような状況なので、村人たちは山間部の渓流から厨房やトイレに直接水を引きます。しかし、その渓流の水も汚染されていきました。最後には、発掘の手が及んでいない、村の一番奥に聳え立つ「お婆さんのたぶさ(注・髪を結った「もとどり」のこと)」と呼ばれる村の最高峰付近に水源の泉を確保し、そこから村に水を引くことで、やっと危機を脱出することができたのです。

 でも不思議なのは、村人たちが、川の水質が重金属汚染の規準値を明らかに超えていると知っているのに、何事もなかったように汚染された川の水を灌漑して耕作を続け、その土壌で育てられた作物を市場に納めていることです。そして村人たち自身は、「お婆さんのたぶさ」の泉から引かれた清水で育てた作物だけを食べているのです〉

 多くの中国人は、中国の食物に、化学汚染をはじめ様々な問題があることを知っています。それは、この村の人々だけではないでしょう。

 筆者が実際に食べてみて、個人的に最も「ヤバい」と感じるのは、意外かもしれませんが、果物です。中国の町で売られている果物の多くに、独特のかび臭さやアルコール臭のような、異様な味を感じるのです。どうやら防腐剤が注入されているのではないか、と思います(検査をしたわけではないので、筆者だけの感覚かもしれませんが)。欧米資本の大きなスーパーでも、街角の小さなお店でも同じ。農薬の影響を別として、心配ならば、もぎたての果物を食べるしかありません。

 汚染されていると分かっていても、それを改善しようとはしない。「仕方がない」と諦めているのでしょう。そして、ちゃっかり「自分たちだけの避難方法」も用意している…筆者の友人のように、少数の人々が「それでいいのだろうか?」と疑問を持ち始めていることも、また確かですが。


17. 中川隆[-13633] koaQ7Jey 2018年9月01日 08:11:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18139] 報告

2018年09月01日
年収70万円の中国で300万円の車が買えるのはなぜか

平均的な中国人がマンションと高級車を買うには年収の35年分が必要


画像引用:https://www.kaigaiijyu.com/wp-content/themes/kaigaiijyu/images/photo/china_property_3.png


年収70万でなぜ300万の車が買える?

もし年収70万円で300万円の車を買う人が居たら、普通ではないと感じるだろうが中国ではこれが普通です。

中国の平均年収は70万円に過ぎないが、150万から300万円の車が飛ぶように売れている。

中国は関税が高いので輸入車の値段も高く、トヨタのカムリ約330万円、ランドクルーザーは約2380万円もする。


レクサス LSは2600万円から4300万円もするが、これらは輸入車なので20%以上の関税が課せられている。

中国現地生産のクラウンは430万円と日本仕様より安く、VWジェッタは約120万円、フォードフィエスタは約110万円くらいです。

VWポロは150万円くらいから、VWゴルフは170万円から230万円ほどと国内生産車は日本よりも安い。


メーカーは低価格車は国内製造するので輸入車は500万から1000万円以上もし、日本以上に高根の花となっている。

少し考えただけでおかしいと気づくのは、日本人は年収400万円くらいで120万円の軽自動車に乗っている人が大勢います。

日本人が車に払う金額は年収の3分の1から2分の1で、年収以上の車を買うのは「計画性のない人」の疑いが強い。

年収の20倍の借金をしないと車と家は手に入らない

ところが中国人の平均年収70万円なので、コンパクトカーですら年収の2倍します。

年収の2倍を現金で払えるはずがないのでローンになるが、「年収の2倍」を返すのがどれほど困難かは借金がある人なら想像がつくでしょう。

しかも中国で売れている車の平均価格帯は200万円台で日本と変わりません。


2008年のデータでは個人所有の車は1500万台だったが2017年に1億5000万台以上に増えていた。

年収70万の人が300万円の車を買うと年収の4倍以上で、年収500万の人が2500万円の家を買うのと同じ家の値段です。

中国人は普通に考えたらありえないような借金をして車を買っているのです。


その理由は中国では車は威信財(ステータスシンボル)なので、高級車に乗っていることがその人の価値になります。

車以上にステータスを表すのは住宅やマンションだが、こちらは年収の30倍にもなっています。

車が年収の2倍で家は年収の30倍なので、中国人は年収の20倍から30倍もの借金をしています。


日本では年収400万から500万の人が住宅ローン平均2000万円なので、年収の4倍から5倍に過ぎません。

中国人が車と家にどれだけ命をかけているか分かる数字です。
http://www.thutmosev.com/archives/77381033.html

18. 中川隆[-13630] koaQ7Jey 2018年9月08日 07:54:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18328] 報告

2018年09月07日 豚の尻尾が無い清国人 / 支那人であることが恥ずかしい (後編)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68731471.html


日清戦争後、敗北を喫した支那から沢山の清国人留学生がやって来たのはよく知られている。有名作家の魯迅もその内の一人で、彼は満洲族が漢族に押しつけた辮髪を殊のほか毛嫌いしていた。しかし、普通の支那人留学生は鈍感なのか、この怒れる医学生とは違って、自国の風習を気にせず、長い辮髪をクルクルっと頭に巻き付けて、その上から帽子をチョコンとを被せていたそうだ。この格好を見た当時の日本人は、滑稽さに堪えられず、彼らを「チャンチャン坊主」とからかったので、プライドの高い魯迅には相当な屈辱感になっていた。ちなみに、魯迅が自らの辮髪を切ったのは、日本に来てからのことである。異国に来て様々な苦悩はあったけど、魯迅は日本で近代文明を学び、日本人から多大な恩恵を受けていた。彼の息子である周海嬰は大の日本ファンで、日本の服装を身に纏い、口にする食べ物や薬も日本製を好んだそうで、とりわけ日本のチョコレートが大好物であったという。後進国の支那から来た若者にとって、日本は本当に憧れの先進国だった。

  日本や歐米諸国に住む支那人は、滅多に口にすることはないけど、支那人であることを心の片隅で恥じることが時折ある。昔の辮髪姿を思い出したくない、というのも一つの表れで、自分の祖先がみすぼらしい劣等民族であったことに我慢がならないのである。いくら4千年の歴史を有するとか、世界四大文明の一つとか言っても、同じ社会状況が何世紀ものあいだ、グルグルと螺旋状に廻っていただけで、目覚ましい進歩なんか有り得ず、停滞したままの惰眠社会というのが実態であった。清朝時代に支那大陸を訪れた西歐人や日本人が目にした支那というのは、糞尿が撒き散らかされた汚穢の大国といったところで、いくら建物に立派な文字が書かれていても、街中に鼻を突くような異臭が満ちていたから、孔子も論語もあったもんじゃない。上海を訪れた尾崎咢堂は、街中に充満する悪臭対策として、タバコをスパスパ吸って、自分の鼻を鈍感にさせていたそうだ。(「遊清記」、『尾崎行雄全集』第二巻、平凡社、大正15年)

Chinese pig tail 3Chinese pig tale 1


(左: 辮髪の支那人青年 / 右: 辮髪を切ってもうら支那人)

  第21世紀に入ってからというもの、支那人の流入が激化し、日本全国津々浦々に支那人の姿が現れるようになった。彼らの永住や帰化が増えれば、当然、支那人と結婚する日本人も増え、我が国の遺伝子プールに支那人の精子や卵子が混ざることになる。言うまでもなく、支那人の親を持つ混血児は日本で育つから、我々と同じように日本語を流暢に喋るが、彼らのナショナル・アイデンティティーが「日本人」になるのかどうかは定かではない。というのも、日支混血児は片親の血筋で以て大勢の支那人、すなわち祖父母、叔父伯母、従兄弟、遠い親戚と「同胞」になってしまい、いくら支那文化を拒絶しても、肉体的に支那人の仲間になってしまうのだ。日支混血児が親の支那名を避け、日本名を望むのは、支那人の血統を恥じているからだろう。支那人の母親を持っている子供は、訊かれない限り学校の友人に母親の素性を打ち明けないし、どうやって父親と出会い、結婚に至ったのかを話したくない。まさか、いかがわしい仲介業者の手引きで来日し、会話もできぬまま農民の父親と籍を入れた、なんて言えないじゃないか。話を聞いた友人は、密かに「それって、合法的な人身売買か、国籍売買じゃないの?」と思ってしまうからだ。もっとも、日本人はその場の「空気」を読んだり、「察し合い」の精神を持っているから、露骨な感想は述べない。

Chinese 0083Chinese Lesson to John Chinaman

(左: 支那移民を排斥するポスター / 右: 支那人を茶化す風刺画 )

  そう言えば、在日支那人や進歩的文化人が「支那」という慣習的な国名を嫌い、「中国」という紛らわしい国名に“こだわる”のも、「野暮ったい支那」との絶縁を願うからじゃないのか。支那人といったら、汗と垢が皮膚にこびりついた苦力とか、長い口髭を生やした役人、実学を伴わない穀潰しの儒者、残忍非道の匪賊といったイメージしかない。大陸の何処を捜しても、日本人の模範にしたい「立派な支那人」なんか見当たらず、仮に居たとしても、それは紳士を装った詐欺師や極悪人だったりする。支那人の骨董商にかかれば日本人なんか赤児も同然で、闇市で仕入れた贋作を大切に取り扱い、「いやぁぁ、日本の旦那さん、ワタシの店に南宋時代の天目茶碗アルヨ。ワタシ日本人好きだから、アナタだけに内緒で売ってあげる ! 特別に安くするから、どう、買わないか? 」と囁いてくる。猜疑心の薄い日本人は、掘り出し物と錯覚し、精巧に作られた偽物を高値で買うと、茶碗を両手で抱えながら「得したなぁ」と無邪気に喜ぶ。一方、大儲けした支那商人は「日本人、単純ねぇ」とほくそ笑む。戦後、日本の骨董商に調べてもらって、「騙された !」と臍(ほぞ)を噛む日本人が如何に多かったことか。

  またもや脱線したので話を戻す。日本人が「中国」と言えば、広島とか岡山の地域を指す。固有名詞にも混乱が生じており、我々の日常会話にも支障をきたしている。例えば、「中国銀行」は日本の金融機関なのに北京にありそうな銀行名だし、「中国自動車道」と聞けば「上海か南京の幹線道路か?」と思ってしまうだろう。敗戦後、外務省が支那を「中国」と呼ぶよう指令を発したから、マスコミが追従し、一般国民も言い換えるようになったのだ。でも納得できない。大正時代にドイツ帝國が崩壊し、ワイマール共和国になったことがあるが、その時、日本人は態度を改めてドイツ人を「ワイマール人」とは呼ばなかった。オーストリアの言語も「ドイツ語」と呼び続け、「オーストリア語」とは呼ばなかったはずだ。しかし、現代の日本人は北京語や上海語を「中国語」と呼んでいる。それなら、オランダ語を「ゲルマン語」と呼べばいいのに、依然として慣習を守っているから何とも不思議だ。一般の日本人は、ヨーロッパ人に対しては率直にモノが言えるのに、支那人を前にすると急に遠慮がちになるんだから、心の底で支那人は「劣等民族」と思っているのだろう。

  支那人はどうして嫌われるのか? この疑問に対する答えはごまんとあり、説明し始めると長くなる。でも、一つだけ挙げるとすれば、支那人には「悪魔回路」が自然に備わっているという点だ。石ノ森章太郎の代表作、『人造人間キカイダー』を思い出してもらえば分かるけど、キカイダーの人間態ジローには不完全ながらも、最善の行為を取ろうとする「良心回路」が内蔵されていた。しかし、彼の宿敵「ハカイダー」には、キカイダーの破壊のみを目的とする「悪魔回路」が埋め込まれており、情け容赦なく殺戮の限りを尽くす。日本人は悪魔の囁きに悩みながらも「善き行い」を選ぼうと欲するが、支那人は悪魔を利用してまでも「私益」を得ようと図る。日本や米国に住みつく一般の支那人が、北京政府の工作員に躊躇わず協力するのも、銭を中心に物事を考えているからだ。国家への忠誠心とか公共利益の尊重といった精神は、支那人の頭にも辞書にも無い。しかも、倫理道徳は最低ときている。道路で子供や老人がクルマに轢かれたとき、即座に近寄って来るのは、人命救助のためではなく、所持品に金目の物があるかどうかを調べるためだ。日本人は「三人寄れば文殊の智慧」と言うが、支那人が三人集まれば窃盗団が結成され、分け前を巡って二名が命を落とす。

  日本人は昔から支那人と接触しているのに、ちょっと時間が経つと直ぐ忘れる癖がある。彼らの常識と我々の常識には異次元ほどの違いがある。例えば、支那には歴史的に兵匪や土匪が絶えなかったが、近代になって共産主義が浸透すると、共匪までもが出現し、地方の都市や農村を襲ったそうだ。共産党の方針は、狙った土地に暴動を企画して無産階級を扇動すると共に、小学校の教員や私塾講師を入党させ、幼い子供達に共産主義思想を注入しようと謀った。そこで第十八軍の第二師団が共匪掃討作戦に出たそうで、ある特務管䔥営長が容疑者として一人の私塾教師を捕縛し、色々な引っかけを用いて自白させたという。この捕囚によれば、幾多の教員は皆共産党に加盟して、宣伝工作に従事し、金銭までもらっていたそうだ。しかも、共産党が成功した曉には、百畝の田んぼと一軒の家、一人の妻を与えるという約束まであったという。(一色忠慈郎 『支那社会の表裏』 大阪屋號、 昭和6年 p.211)

Opium Chinese 2China old times 001


(左: 阿片を吸引する支那人 / 右: 刑罰を受ける支那人)

  これを聞いた日本人なら「えっっ、女房まで・・・!?」と驚いてしまうだろう。高校の先生は教えてくれないけど、支那では女が「景品」になっていたのだ。共産党に協力して金と家と女を頂戴するなんて呆れてしまうが、小学校教員の俸給は雀の涙ほどだったから、みんな共匪に従ったそうである。金銭の誘惑に弱い支那人は、倫理や神仏なんかどうでもよく、先ず以て現世の利益に傾く。「学校の先生なのに・・・」と思う日本人は甘い。支那大陸では警官や判事だって銭で動くから、「正義」という概念が始めから無い。日本では「嘘つきは泥棒の始まり」と言うが、支那人がこれを聞いたら「嘘つきが泥棒になって何が悪いんだ?」と逆に訊いてくるはずだ。支那人の日常生活で「嘘」は二酸化炭素よりも多いから、「嘘つき」という罵倒語は意味を成さない。日本ではヤクザでも仁義を守っているから、「オジキ! 話が違うじゃねえか!!」と仲間内で喧嘩になる。支那社会で正直なのは詐欺師くらいで、なぜ「正直者」かと言えば、一般の支那人と異なり「他人を騙す職業」との自覚を持っているからだ。

  先ほどの悪役「ハカイダー」も日本人の性格を持っていて、卑劣な騙し討ちではなく、一対一の決闘でキカイダーを倒そうとする。支那人の悪党なら毒殺という手段も有るだろう。しかし、それだと日本の子供たちは「卑怯者 !」と怒って、そっぽを向くから人気番組にならない。日本の時代劇でも同じで、本当に残虐な悪党は登場しないことになっている。例えば、子供を誘拐して身代金を要求するゴロツキの場合、せいぜい脅迫文を送りつけるくらいで、子供の指を切断するとか、片方の目玉を剔って親を脅しつけ、大金を催促するなんてことは有り得ない。(支那人の恐ろしい「肉票」については、拙書『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』を呼んでね。) 長寿番組『遠山の金さん』も似たようなもので、御白洲に連れてこられた悪徳商人は、御奉行様の桜吹雪を目にして、「あっ、あの時の遊び人だ !」と思い出し、「もう駄目だ !」と観念するが、支那人ならば、「その入墨がどうしたんですか?」と質問し、決して自分の容疑を認めないだろう。だいたい、桜吹雪の入墨を見たって、「私には何のことやら分かりません」とシラを切ればいいだけだ。支那でのお裁きだと、事前に賄賂を渡しておけば無罪放免になる。お金で転ばない支那人はいないだろう。

  支那人に生まれることは本当に不幸だ。一般的に「支那人」と呼ばれる人々は、祖先が誰なのか分からないし、支那大陸というギャングランドに生きていた人というくらいの定義で、虐殺を生き延びた人々の子孫と思った方がいい。現在の支那人というのは、北方の遊牧民とか女真族、契丹人、蒙古人、ウィグル人、ペルシア人、山岳民族や南支の少数民族など、正体不明の雑種民族である。だから、支那人にとって「国家」というのは血族くらいで、いくら同じ大陸に住んでいようとも「支那国民」とは有名無実で、みんなが赤の他人だ。こうした支那人が日本に来て国籍を取得している訳だから、日系日本人を同胞と思わなくても当然だ。日本人だって如何にして帰化支那人を「日本人化」したらいいのか分からない。それよりも、こうした異邦人を受け容れてしまうと、我々の方が不利益を蒙ることになる。支那人の子が公立学校に混じってくると、支那人に遠慮した歴史教育になってしまうのだ。日本人教師は生徒の中に支那系の子供がいることで、本当の支那人を教える事ができなくなる。もし、具体的な過去を述べたら、日本人の子供はビックリするし、日支混血児は授業を休みたくなるだろう。したがって、日本の教師はなるべく不都合な歴史を避け、支那人生徒を傷つけない授業を行うことになる。日系日本人の「知る権利」は紙屑同然となり、外来生物の子供に配慮した教育方針になってしまうのだ。

  一般の日本国民は暢気だから気付かないけど、面子を重んずる支那系帰化人は、その恥ずかしい出自を隠すため、日系日本人に「支那人への罪悪感」を植え付け、赤裸々な支那人を詮索させないよう画策する。支那人は「攻撃は最大の防禦なり」と分かっているから、日本人の精神を徹底的に叩き潰し、自分たちが作った「思考の枠組み」に入れてしまうのだ。支那人が拵えた「考え方」に嵌まった日本人は、自分がどんな洗脳をされたのか解らないから、常に支那人が得意とする土俵で戦う破目になる。謀略戦や心理戦なら支那人の独壇場で、日本人ではとても勝つことができない。譬えて言うなら、寝技を不得意とするボクサーが総合格闘技に出場し、柔術の達人と試合をするようなもので、愚かなボクサーは相手のタックルを喰らって、不得意な寝技で闘う事になる。格闘技ファンなら、寝技に持ち込まず、立ち技だけで試合を進めた方がいい、と判断するが、教科書を丸暗記するだけの学校秀才には分からない。なぜなら、有利戦を知らない素人は、相手の得意技で不利になっている事すら分からないからだ。「ヘイト・スピーチ」に怯えている日本人は、支那人の得意分野に引きずり込まれていることに気付いていない愚者と同じ。支那人を撃退するには、日本人の方から積極的に攻撃を仕掛け、自分の得意分野で闘うことである。とににかく、我々は支那人や朝鮮人から「民族差別だ !」「人権蹂躙だ !」と非難されても、「それがどうした。お前らなんか目障りだ。国籍を取っても日本人じゃないぞ。さっさと差別の無い祖国に帰れ !」と反論すべきだ。アジア人というのは「タカリ」を専門とする総会屋とか、イチャモンをつけてくるヤクザと同じだから、怯んだ姿を見せてはならない。断固とした態度を示すのが闘いの基本である。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68731471.html

19. 中川隆[-13366] koaQ7Jey 2018年10月11日 05:36:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19111] 報告

2018年10月10日
中国とスウェーデンの非難合戦 観光客がホテルでトラブル
http://www.thutmosev.com/archives/77787520.html

中国人家族は「泣きまね」「痛いふり」をして金をせしめようとした

画像引用:https://www.whatsonweibo.com/wp-content/uploads/2018/09/Swedishpolice.jpg

スウェーデンと中国の対立

スウェーデンと中国が観光客のトラブルが原因で外交的に対立している。

始まりは9月2日のできごとで、中国人家族3人はストックホルムの宿泊施設に予約10時間前に到着した。

家族3人はロビーで滞在しようとしたが、ホテルは外に出るよう要求し、なおも居座る家族に警察を呼んだ。




警察は3人を外に連れ出したが、乱暴な扱いをする場面が動画投稿され、家族は警察が暴力をふるったと訴えた。

これに中国大使館が介入し、なぜかスウェーデン政府に謝罪を要求してエスカレートした。

ホテル側は他のホテルを探そうとしたが家族らが騒いだので通報したと説明している。


中国メディアも騒動に参加し、国民の怒りを煽る報道をして謝罪要求や抗議運動をエスカレートさせた。

特に中国政府系メディア(環球時報)は裏付けや確認をせず、「被害者」の中国人観光客の話を事実として報道した。

この辺は自称・慰安婦の話を事実として国民に触れ回った韓国政府や韓国メディアに似ている


中国メディアはセンセーショナルな見出しで注目を集め、見た人の憎悪を掻き立てて金儲けをした。

目撃者によると中国人家族はゴネ得を狙いホテルや警察に不当な要求をし、つまみ出されるときに転んだふりまでした。

サッカーのワールド杯でネイマールが「泣きまね」や「転んだふり」をしていたが、ホテルのロビーでああいう事をした。

スウェーデンテレビは金のために謝罪

それを撮影してさもホテルや警察から暴行されたように装い、謝罪や賠償で金をせしめようとさえした。

要するにこの中国人家族は最初からホテルに難癖をつけて、謝罪させた上に金儲けをしようと狙っていた。

スウェーデン国営放送も中国国営メディアに反撃に出て、9月21日に「反中国番組」を報道した。


番組では台湾とチベットがない地図を用いて、問題になった動画をバラエティ風に茶化した。

中国人が外で用を足すことや、犬を食する習慣、中国人観光客の行儀が悪い点などを面白おかしく放送した。

中国大使館にくわえて中国外交部(外務省)も、スウェーデン政府に正式に謝罪を要求した。


中国政府はスウェーデンが中国人の人権侵害しているとし、本国の中国人はスウェーデン大使館に抗議活動をしている。

中国政府の要求は「スウェーデン政府は調査し報告しろ」と植民地に対するような命令だったので、より一層スウェーデン人の怒りを買っている。

スウェーデン・テレビは9月28日に番組で、番組が一部の中国人を傷つけたと謝罪した。


だが謝罪番組で全世界が赤く塗られた世界地図を写して、「ぜんぶ中国だ」と皮肉を付け加えた。

そして「中国人には謝罪するが中国政府には謝罪しない」と付け加えた。

スウェーデンは周辺国と中国人観光客を奪い合っており、観光産業から謝罪圧力があったと考えられている.

20. 中川隆[-13601] koaQ7Jey 2018年11月13日 12:15:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20635] 報告

日本で民泊した中国人女子大生、家主は酷い使用状況を晒す 2018.9.23



 観光で日本を旅行した3人グループの中国人女子大生が9月上旬、5泊6日で利用した大阪府内の民泊施設に大量のゴミや落書きを残すなど、散らかし放題、汚し放題で帰国したことに中国内でも批判が高まっている。民泊施設の所有者は清掃費用を追加請求したが、3人が支払いを拒否したことで、所有者はネット上に写真を公開した。

 この民泊施設のあまりの惨状に、中国共産党機関紙「人民日報」系の国際問題専門紙「環球時報」(電子版)や華僑向け通信社「中国新聞社」(同)など中国の官製メディアもこの事実を報道し、女子大生を批判。中国共産党直属のメディアが中国人を批判するのは異例だけに、彼女たちの行動があまりにも非常識だったことがうかがえる。ネット上で、「(3人の)国籍を取り上げてもよいくらいだ」との厳しい声が寄せられている。

 この所有者によると、19歳の女子大生3人は6月、民泊サービス大手のAirbnb(エアビーアンドビー)を通じて予約。所有者は彼女たちがチェックインの際に、ゴミの分別や宿泊時の注意点を詳しく説明。「ベランダにある3個のごみ箱にごみを分類して入れてほしい」と伝えていた。

 ところが、彼女らがチェックアウトしたあと、民泊のマンションに行ってみると、部屋のいたるところにジュースの缶やペットボトル、カップ麺の容器、使用済のトイレットペーパーやティッシュ、ガイドブックなどのゴミが大量に散乱。使用済みの女性生理用ナプキンも洗濯機の上に放置されるなど、部屋に入った瞬間、悪臭が鼻につくほどのひどい状態だったという。
また、女子大生らは利用客伝言ノートに、所有者を侮辱する罵詈雑言や大便の形の絵文字まで書き残していた。所有者はメディアの取材に「これまで見たことのない状態だった」と明らかにしている。

 所有者は写真をネット上で公開。さらに、女子大生たちに「部屋の清掃代に3000円かかったので、倍の6000円を支払ってほしい」と要求したが、3人は「宿泊費はもう支払っている。自分の家ではないので清掃費は払えない」として支払いを拒否。

 しかし、3人のあまりにも非常識な対応に、ネット上では批判が沸騰。あるネットユーザーは個人情報をもとに、彼女らの自宅の電話番号を割り出し、直接電話をして謝罪を求めるなど行動がエスカレートした。

 さらに、環球時報などの官製メディアも彼女たちを批判的に報道するにいたって、3人は中国版ツィッター「微博(ウェイボ)」上で、「私たちが悪かった。いまからでも許しを請いたい。問題解決のために最善を尽くしたい」と謝罪し、追加の清掃料金の支払いに応じたという。

 Airbnbもホームページ上で、「われわれも、今回の事例を調べて、適切な対応をとりたい」とのメッセージを掲載している。

21. 中川隆[-13632] koaQ7Jey 2018年11月16日 06:54:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20770] 報告

中国、「独身の日セール余聞」前日に値札上げ当日値下げの「カラクリ」2018年11月16日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13571598.html

やっぱりと言うべきか。「独身の日セール」にはカラクリがあった。前日に値札を釣り上げ、当日に下げて、あたかも値引きによる「バーゲンセール」を装ったというのだ。ニセ物商売で名高い「中国商法」が、真っ当な商売をするはずがない。経済倫理に欠ける中国ビジネスの一端を表わしている。

『大紀元』(11月15日付)は、「独身の日セールで取引総額5・1兆円、不当な割引表示で多くは値下げされていないか」と題する記事を掲載した。

(1)「中国では11月11日は「独身の日(双11)」と呼ばれ、大型ネットショッピングデーとなっている。中国の各ECサイトの取引総額は5.1兆円で、日本の年間電子商取引(EC)規模に匹敵する取引額だ。報道によると、京東に出品されているあるブランド寝具は通常価格229元のところ、独身の日セールの直前に379元につり上げ、セール期間中は再び249元に引き下げて『35%OFF』をうたっていた」

日本でも値札を書換えるだけで、大幅な値引き販売のような「偽商売」は、厳しく規制されている。「独身の日セール」では、その熱気に押され、あたかも「大バーゲン」という幻想をあたえる販売法が取られている。中国消費者は、詐欺商法が横行している現実を知るべきだろう。事前に、通常価格をチェックしておくぐらいの用心深さが必要になってきた。

(2)「このように、セール幅を強調するために、淘宝や京東などECサイトの出店店舗はセール直前に製品を通常価格から2倍近く値をつり上げ、セール日に再び引き下げるという操作が行われている。中国メディアの記者は11月11日の前週までに、淘宝と京東からそれぞれテレビや蒸し器など50の製品をカートに入れた。セール前日の10日21時頃、この100点すべての価格が上昇した。セール日には、それぞれ10点ほどの製品の価格が下がった。こうした問題は昨年から指摘されていた。中国消費者協会の報告によると、2017年の独身の日でセール品とうたわれた製品のうち8割は、通常価格よりも値引きされていなかったという」

2017年の独身の日でセール品とうたわれた製品のうち8割は、通常価格よりも値引きされていなかった、という。こういう「詐欺商法」は消費者を欺くものだ。この種のニュースも、習氏の指示で検閲されて「没」にされていれば、消費者は知るよしもない。情報管理の統制国家は、消費者に不利益を与える。

22. 中川隆[-13641] koaQ7Jey 2018年11月17日 03:25:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20809] 報告

トイレふいた布で食器まで 中国五つ星ホテルの実態暴露
11/16(金) 19:02配信 朝日新聞デジタル

清掃員が汚れたタオルを使ってコップを拭いている場面=中国のSNSに投稿された動画から


 世界的な五つ星ホテルの清掃員は、客が使ったタオルでコップもトイレも拭いていた――。中国の著名なネットユーザーが高級ホテルの清掃の実態を動画付きでSNS上に暴き、衝撃が広がっている。ホテル側は事実関係をおおむね認めて謝罪し、衛生当局も検査に乗り出した。

【写真】シャンプーを使ってコップを洗うホテルの清掃員=中国のSNSに投稿された動画から

 問題の動画は14日夜、中国版ツイッター微博に「コップの秘密」と題して投稿された。投稿主は、かつて政府高官が身につけている高級腕時計の値段を暴き、反腐敗運動の一助になったことで知られるネットユーザーだった。

 投稿主は、自らがこの1年に宿泊した14の高級ホテルで、国の基準を無視した不衛生でずさんな清掃が行われていたと指摘。清掃員が客の使ったタオルで風呂やトイレを掃除し、客室のコップまで拭いている様子などを撮影した動画を投稿した。名指しされたホテルは、シャングリラやシェラトン、コンラッド、リッツ・カールトン、フォーシーズンズなど国際的な五つ星高級ホテルばかりだった。

23. 中川隆[-13654] koaQ7Jey 2018年11月20日 20:00:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20956] 報告

2016年06月19日
失踪した香港書店関係者 中国公安に拉致されたと告発

中国に拉致されていたと証言する林栄基
引用:https://contents.newspicks.com/images/news/1612867


2015年10月に中国批判を展開していた香港書店関係者5人が相次いで失踪し、7ヵ月後に4人が戻っているという事件が起きました。

このうち書店店長が香港で記者会見を開き、中国公安に拉致されて監禁されていたと証言しました。


失踪した書店店主

香港で反政府系の出版物を扱っていた書店兼出版社の関係者5人が、15年10月に相次いで失踪する事件がありました。

当初から中国公安に連行されたのではないかと噂されていましたが、5人のうち4人が香港に帰っています。

8ヶ月ぶりに香港に戻った店長の林栄基が記者会見を開き、中国に拉致されていたと告白しました。



香港ではイギリスとの返還条約によって、中国の法律は適用されず、自治権がある事になっている。

実際は守られておらず、例えば香港総督は中国共産党が推薦した人しか立候補できず、投票もできない。

2015年には香港で雨傘運動という大規模な民主化デモが起きたが、中国の特殊部隊が制圧していました。


返還条約では中国軍や中国警察、中国公安は香港では活動しない事になっていました。

公式には中国は香港に干渉していない事にしているが、書店失踪でも中国公安が香港から連れ去った疑いがありました。

店長の林栄基によると2015年10月24日に、香港から広東省深圳に入ったところを拘束されました。


列車で浙江省寧波市まで護送され、その間目隠しと手錠をされていました。

連行したのは中央専案組という共産党幹部直属の部隊で、狭い部屋に閉じ込められていました。

公安は香港から顧客リストを中国に持ち帰るのを条件に釈放し、林栄基は6月14日に香港入りしました。


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引用:http://stat.ameba.jp/user_images/20160103/17/unarigoe/9f/7e/j/o0800045313530724142.jpg

拉致と脅迫で忠誠を誓わせる手口

その後林栄基は香港の支援組織に接触し、中国には戻らず記者会見で公安の所業を告発しました。

「銅鑼湾書店」は香港島の繁華街コーズウェイベイにあり、共産党実力者のスキャンダル本を得意としていた。

中国では共産党関係者への批判は法律違反だが、香港では以前は適用されず自由に販売していた。


だが中国は香港への支配を強め、香港でも違法化の流れが進んでいます。

香港で出版された批判本は中国に密輸され、習近平や江沢民、毛沢東らを糾弾した本が密かに庶民に渡っていました。

書店の5人が失踪した後、12月30日に株主の妻に不明の夫から電話が掛かってきました。


夫は「自主的に捜査に協力しており、拘束されてはいない」などと妻に語ったが、公安に言わされているのは明らかでした。

その頃香港では書店関係者の釈放を求める市民デモが起きていて、沈静化するために電話を掛けさせたようです。

他の失踪者からも家族に電話が掛かってきて、彼らは後に香港に返されたが、一人は拘束されたままです。


中国政府や共産党は公式に説明していないが、マスコミを通じて「禁書を中国に持ち込むのは犯罪」と書店を批判しました。

失踪した李波、張志平、呂波の3人も2016年3月に香港に戻ったが、連行された状況の説明が食い違っている。

「香港から公安に連れ去られた」と言っていたのに、後になって「そんな事は言っていない」と発言を変えています。


拘束されている間に、香港から連れ去ったのを喋らないよう脅されたと推測でき、一人が戻っていないのは人質かも知れません。

3人は口を揃えて「拉致されていない」と言い、捜査をしないように香港警察に懇願までしています。

さらに「銅鑼湾書店」の閉鎖も発表され、何も無かったかのように解決しようとしています。


こういう事が中国の手口なので、住民や市民らが賛成していても、決して額面どおりには受け取れません。

家族を拉致して人質に取り、中国に忠誠を誓わせるくらいは平気でやっているからです。

記者会見した書店店主も家族や人質に危険が及べば、突然証言を翻して「自分の意思で協力していた」と言い始めるかも知れません。
http://www.thutmosev.com/archives/61948260.html

24. 中川隆[-13653] koaQ7Jey 2018年11月20日 20:01:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20956] 報告
2018年11月20日
中国で「景気悪化」ニュースが報道禁止になった

株価が暴落しているなどの報道は禁止されている

画像引用:https://portal.st-img.jp/detail/02a5d08c046dde236df1235018362356_1535075707_2.jpg


景気悪化は報道禁止

中国で最近経済ニュースへの締め付けが厳しくなり「景気が悪い」などの表現が禁止されたという。

英紙フィナンシャルタイムズによると、中国経済にマイナスの印象を与える報道をするなという指示がされている。

ここで説明すると中国のあらゆるメディアは国家資格をもつ記者が執筆していて、無資格で記事を書くと違法になる。





政府は記者を選別することが出来、指示に従わない記者は記者免許をはく奪されたり「失踪」することになる。

記者にとって政府は親会社のようなもので、意識としては公務員に近い。

さらに新聞やテレビ、ラジオ、大手ネットメディアはすべて国営か公営企業、良くて共産党傘下で民間の報道メディアは存在していない。


もし個人や私企業が中国政府の許可を得ずに出版や報道をしたら、香港の書店のような目に合う。

(失踪した香港書店関係者 中国公安に拉致されたと告発http://www.thutmosev.com/archives/61948260.html)参照

2018年になって報道規制当局は貿易戦争や経済減速などの文字の使用を禁止し、後ろ向きの報道をしないよう指示した。


当局担当者が一日に何度も編集者に電話してきて、細かい指示を出しているという。

こうした干渉はネットメディアにも及び、ネットだから自由だというのは中国では通用しない。

2017年から中国では、サイトやブログ開設には政府発行の許可証が必要になり、政府指定の検査官の承認が必須になった。

インターネットにも自由はなし

むろん政府に都合が良いサイトやブログしか許可証は発行されないので、膨大なサイトが閉鎖され今も消え続けている。

匿名ブログなど存在せず政府が執筆者を把握しているので、経済悪化のニュースを書かないよう指示を出している。

スマホのニュースアプリも同様に政府の支配下にあり、毎日政府の担当者から電話があり削除命令や指導がある。


中国ではSNSも実名登録制でネット上には表示されないが、政府はIDで個人を識別できる仕組みになっている。

中国版ツイッター(この呼び方は不適切だが)の微博(ウェイボ)では数千人の公安部隊が世論誘導のためにネットに書き込んでいるのが分かっている。

だれかが政府批判を書き込むと即座に別の誰かが否定し、最後に政府称賛になるのはこのためです。


政府批判の書き込みはAIが監視して即座に削除され、隠語などで書き込んでも公安部隊が手動で削除します。

このように中国では紙メディアでもネット媒体でもSNSでも、政府批判を書くこと自体が不可能になってきています。

外国のサイトに書き込むのも困難で、中国からツイッターなど外国の「反中国サイト」への接続ができない。


迂回手段だったVPNも中国では遮断されたので、たとえばこのブログも中国からは閲覧できません。

中国人が海外旅行好きなのは、国外に出れば自由に外国のネットが使えるからというのもあります。
http://www.thutmosev.com/archives/78193321.html

25. 中川隆[-13691] koaQ7Jey 2018年11月29日 17:21:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21370] 報告

2018年11月29日
中国の「人さらい」問題とは? 少子化で他人の子を登録


中国人が子供を紐でつなぐのは誘拐防止のため

子供をさらうのが普通?

日本は少子化に悩まされているが中国も同じで、今後少子高齢化が避けられないとみられています。

中国では長く続いた一人っ子が廃止され、出生率上昇が期待されたが、長期下落傾向は変わらなかった。

一方で平均寿命はどんどん延びているので、今後30年ほどで急速に日本化が進みます。




日本では子供ができない家庭は不妊治療に励み、アメリカでは養子を貰うが中国は変わっている。

子供がない家庭は他人の子供を自分の子供にしてしまい、自分の子供として届け出る。

中国の出生登録はとてもゆるく、出生後5年から10年経って届け出る親が非常に多い。


このため「今年の出生数」は5年以上経たないと確定せず、毎年少しづつ増えていきます。

それはともかく中国のひとさらいが面倒なのは、さらって自分の子供として育てるので発覚しにくい。

身代金を要求したりしないので手掛かりは無し、さらった相手が役所に自分の子供として登録したら法的に相手の子供になる。

子供の1%が失踪する国

中国ではつい10年ほど前まで農村で「子さらい」「嫁さらい」が普通に行われていました。

中国は男子が多く女子が少ないので、嫁は簡単に見つからないから、その辺で見かけた女子をさらって嫁にする風習もありました。

日本人旅行者が中国農村を訪問したら、つかまって「嫁」にされかけたという話もありました。


子供も女性も自分の子供や嫁にするだけでなく、そうした需要があるのでヤミ市場も存在している。

金儲け目当てのグループにさらわれてしまうと、子供や嫁が欲しい人が購入し、転売されてしまいます。

さらに治療のために移植を待っている患者のために、「移植」されてしまう場合もあります。


手口としてはたまたま目にした場所でというのが多いが、自宅に侵入してさらっていく場合もある。

こうした荒っぽいことをするのは非合法グループで、高く売れそうな子供に狙いをつけています。

毎年20万人の子供が失踪していて、その大半は人さらいと見られています。


出生数は約1800万人なので、なんと生まれた子供の1%が行方不明になっています。

逆に言うと出生届が出された子供の1%は、他人の子をさらって登録した可能性があります。
http://www.thutmosev.com/archives/78282023.html

26. 中川隆[-13748] koaQ7Jey 2018年12月11日 17:54:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21952] 報告

中国、「不思議」モンスターペアレントが多いワケ?「政府も一緒」2018年12月11日


中国は、ファーウェイ副会長の逮捕で沸騰している。カナダ政府への威嚇は、まさに「モンスターペアレント」そのものである。この言葉は、親が自分の子どもについて、学校や教育委員会へ執拗な苦情や要求を出すという意味の「和製英語」である。

中国では、この「モンスターペアレント」に似た行動が大きな問題になっている。子どもも親も、傍若無人の振る舞いをするのだ。中国政府も同じことをやっている。APEC(アジア太平洋経済協力会議)では、自国の主張を共同声明に入れさせるべくねばって、ついに声明が出せずに終わった。そして、今回のファーウェイ問題。モンスターペアレントよろしく、カナダ政府を威嚇している。

『サーチナ』(12月11日付け)は、「中国にはなぜ『モンスターペアレント』など周囲を顧みない人が多いのか」と題する記事を掲載した。

(1)「中国メディア『今日頭条』(12月4日付)は、中国の公共交通機関で見られる『一部の乗客の理解できない行動』について、『彼らの周囲を顧みない行動は一体何が原因なのか』と嘆く記事を掲載した。記事は、中国社会に大きな衝撃を与えた路線バスの転落事故に触れ、『走行中のバスが橋から川へ転落し、幼児を含む13人の死者が出たが、その原因が運転手と乗客の喧嘩であったことは社会に大きな衝撃を与えた』と指摘。その喧嘩も『乗客がバス停ではない場所での下車を要求し、それを運転手が拒否したこと』が原因であり、これによって運転手はハンドル操作を誤り、バスは川に転落したのだった」

中国社会は、政府を含めて「唯我独尊」的な振る舞いが極めて多く、顰蹙(ひんしゅく)を買っている。この原因は、欧米に共通の「市民社会」の経験がなく、自己と他人の認識が不明瞭であるからだ。人間の価値基準は、保有財産の多寡にあるという極端な慣行がある。中国がGDPで世界2位になって、途端に威張り散らし始めた裏には、こういう「財貨万能」という考えがある。だから、金持ちにはへつらい、貧しい人には横柄になるのだ。

欧米の市民社会では、個人の独立を認め合い、相互扶助精神が行き渡っている。これが、権力からの圧迫を跳ね返す原動力になった。過去と断絶する「真の革命」が実現した背景である。中国は、過去と断絶できず専制政治の殻が今もついている。個の認識=他者への尊敬の念がない。モンスターペアレントが発生する理由であろう。個人も政府も、相手を尊重する気持ちがないので、いつも軋轢を生んでいる。

(2)「続けて、『こうしたことは中国では決して珍しいことではない』と主張し、公共の乗り物で子どもや親が周囲を顧みずに迷惑をかける行動は普通に見られると紹介、乗務員が注意しても効果がなく、頭を抱えているのが現状だと指摘した。では、こうした『周囲を顧みない行動の原因』は一体何が原因なのだろうか。記事はまず、『私的な空間と公共の場の境界が付かなくなっている』人が多いこと、また、『自分が被るデメリットが不確かな場合や明確な罰則がない場合は聞く耳を持たない人が多い』と指摘。他にも、『体制の取り決めに従うことに慣れ、自分で判断して行動できない人が多い』という要因も挙げた」

このパラグラフでの指摘は、その通りである。

@ 私的な空間と公共の場の境界が付かなくなっている人とは、自己と他者の境界線が不明確であることを指す。こういう振る舞いをすれば、相手がどう思うか。その配慮がないのだ。

A 自分が被るデメリットが不確かな場合や、明確な罰則がない場合は聞く耳を持たない人が多いとは、ルール(社会規範)を守ることが、お互いにメリットになるとの認識欠如である。行列を破って自分が利益を得たと思っても、相手が同じことやれば損害を被る。ルールは、社会全員が利益を平等に受けられる「知恵」である。

B 体制の取り決めに従うことに慣れ、自分で判断して行動できない人が多いとは、中国に市民社会の歴史のないことの証明である。自分たちのことは、自分たちで決められない。これが、個人の自覚を奪っている。

中国は、政府も個人も民主主義の欠如がもたらす坩堝の中にいる。習近平氏は、「中華再興」でなく、中国人一人一人が自由に自らの人生を決められる。そういう社会をつくることが先決だろう。習氏は、中国最大の「モンスターペアレント」だ。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.com/archives/14238206.html

27. 中川隆[-13238] koaQ7Jey 2019年1月02日 16:52:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22216] 報告

特別番組「中国人の善と悪はなぜ逆さまか〜宗族と一族イズム」
石平 倉山満【チャンネルくらら・12月30日配信】 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=OIKKE71Xp-s

中国人の善と悪はなぜ逆さまか 宗族と一族イズム – 2018/12/5 石平 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/481911350X/ref


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広東省農民「オラの村が隣の村との戦争で焼き打ちされたんだが…」 
2010-05-16 11:52:14 |

広東省・福建省ネタ2003年ごろ、大学で上海人の学生と知り合った。
当時、卒論で中国の農村を調べようかと思っていた俺が
彼に何か面白い話はないかと聞くと、こんな答えが返ってきた。


上「中国の農村はヤバい。俺たち都会の人間は、
  農村で人を轢いても現場で車を止めるなってことになってる。
  すぐに現場を離れて隣の村まで行ってから、警察に電話するんだ」

俺「なんですぐに助けないの?」

上「助けたいのはやまやまだけど、後が怖いんだよ。
  村人がワラワラ寄ってきて、轢いた人間をリンチして車をボコボコにするんだ。
  その場を離れないと自分の命が危ない」

俺「……そう」


話を聞いた当初、上海人はここまで農民への偏見を持っているのか、と
ちょっと不愉快になった。

だが、後にいろいろと調べてみると、どうやら彼の話はネタではなくマジなのだ。
中国南方の農村(特に広東と福建)は、非常にバイオレンスな顔を持つのである


事件の舞台は中国のディープサウス、広東省最西部。

東山鎮の脚踏村(あしぶみ村)という、名前からして田舎テイスト溢れる村だ。
場所は下記であり、瀬戸内海に浮かぶ旧水軍根拠地の村のような地域をイメージすればいいと思う。  

ちなみに、事件に関わる地名は「広東省湛江市東山鎮脚踏村」及び同「調文村」だが、
これは日本の地名に置き換えると、それぞれ

広東省 湛江市 東山鎮 脚踏村
     ↓
●●県 ××郡 △△町 大字○○

こういう感じになる。


今回の事件は脚踏村と調文村の戦いだが、
つまり大字の町内会レベルで焼き打ちとリンチを繰り返している訳なのだ。

さらにすごいことに、両村の村人がネット上にも事件を持ちこんで
互いに荒らしと叩きに明け暮れている模様である。


械闘が盛行する18世紀と、ネットを駆使する21世紀が同居。
あまりにもカオスすぎる現代中国の農村。
それではご覧ください。

―――――――――――――――――――――――――――――――

【湛江市東海島東山鎮脚踏村、1.28事件の真相告発!】
原題:「湛江市東海島東山鎮脚踏村1.28事件真相!」湛江板
http://tieba.baidu.com/f?kz=709201131

  ※スレ内では、脚踏村の行為やその側の人間の発言をピンク、調文村の好意や発言を緑で表示することにした。


湛江市東海島東山鎮脚踏村で発生した1.28事件は、
更なる暴力事件である2.3事件を引き起こし、
脚踏村の村人の家庭59戸の家屋と家産が悲惨な破壊を被った。

なかでも村人の家5戸は屋内の現金がすべて持ち去られ、
一部の家屋は白昼堂々と焼き打ちにあった。
売店1軒は略奪し尽くされ、無辜の村人3人が殴られて重傷だ。


事件の詳細:

1月28日早朝、
脚踏村の村人が車列を組んで新婚の花嫁を迎えに行って村に戻る際、
東山鎮の調文村出身の新郎・唐某という人物と一悶着があり、
婚姻の車列に参加していた数人の脚踏村の村人が
唐某を殴りつけて重傷を負わせた。


1月29日、
脚踏村の無関係の村人が用事で村の外に出た際に、
事故があった調文村の村人が三叉路まで彼を追跡し、
調文村へと拉致して殴りつけて重傷を負わせた。


2月1日、
(先日、脚踏村の村人に殴られた)調文村の村人・唐某が病院で死亡。
村の不良分子が他の村人を扇動し、白昼堂々と
東山鎮の中心部にある脚踏村民が経営する薬局を襲撃して破壊した。店はほぼ全壊。


2月3日午前、
調文村の数百人の暴徒が組織的に2隊に分かれ、
暴徒の1隊は東山鎮中心部の脚踏村民が経営する店舗をすべて破壊(計3店)。

もう1隊(約200人)は脚踏村へと攻め込み、
罪もない村人を殴りつけ、用意したガソリンに火をつけ民家数軒を焼き打ち、
無数の家屋を打ち壊した。

現地の派出所には飾り物のような警官が十数名しかおらず、
暴徒が村に攻め込んで悪行を働いているのを知るまで1時間もかかった。


現在、調文村の暴徒は尚も現地の主要交通路をバスで封鎖し、
外に出ようとする脚踏村の村人と思われる人間を殴りつけている。
政府と天に対して敵対行為をおこなっているのだ!

1.28事件から2.3事件にかけての負のスパイラルの結果、
現地の警官が村人の安全と財産が残酷にも破壊されるのを
現場で目の当たりにし(つつも何もできず)、
政府の関係部門は社会の秩序を守るという威信を失うこととなった。
現地の治安は大地震の後のごとき無政府状態だ!


1月28日にはリンチ事件から被害者が死亡し、
さらに続いて脚踏村の無辜の村人が暴力を受けて重傷を受け、
村人が経営する店舗が破壊と強奪を受け、
2月3日には暴徒が村に攻め込んで悪行の限りを尽くす。
現地の警察は解決能力が無く、片目をつむって見逃して暴徒のなすがままだ。


正義はどこにある!
政府はどこにあるんだ!!


5 名前:名無し人民@ヒャッハー!
野蛮すぎるだろ。


9 名前:名無し人民@ヒャッハー!
無辜の村人たちの為に、政府が(この混乱を)正しい道に戻してくれるよう願う。

  ※前時代的な暴力のカオスに対して何らかの対応を示せるのは、やはり前時代的王朝たる「お上」なのかもしれない。
   中国の農民の認識として、この発想はあり得るところかと思う。


10 名前:名無し人民@ヒャッハー!
>>6
政府が正しい道に戻したとして、死者はどうなるよ?


13 名前:名無し人民@ヒャッハー!
これは貴様ら脚踏村の村人が報いを受けたのだ。
天知る地知る、って知っているか?

  ※対立する調文村の村人による書き込みと思われる。


14 名前:名無し人民@ヒャッハー!
死者は無辜の被害者だぞ…。
なんで法律で解決しないんだよ…。

まさか脚踏村の無関係の村人まで責任があるって言うのか…?
今度は脚踏村の村人が調文村の村人を襲撃することだってあるかも…。


15 名前:名無し人民@ヒャッハー!
>>14
カマトトぶるんじゃねえよ


17 名前:名無し人民@ヒャッハー!
みんなダメだろ。
村人は無辜の被害者だが、全ては起こってしまった。
人も死んだ。
村も荒らされた。

どうしようもない。


19 名前:名無し人民@ヒャッハー!
>用意したガソリンに火をつけ民家数軒を焼き打ち、
>無数の家屋を打ち壊した。
>現地の派出所には飾り物のような警官が十数名しかおらず、
>暴徒が村に攻め込んで悪行を働いているのを知るまで1時間もかかった。
これは道理が許さない。
政府が罰してくれることを望む!

  ※脚踏村の村人による書き込みかもしれない。


20 名前:名無し人民@ヒャッハー!
当時の状況を知らない人間が、何の権限があってこの事件を批判するんだ。

死んだ唐某は幼い頃に父を亡くして
兄妹数人とともに女手ひとつで育てられた。
彼の母さんは大変な思いで育てたんだぞ。


唐某だって結婚をしたかったんだ。
家は貧乏だったかが、家族がみんな一緒なら幸せだと言って暮らしていた。
なのに、まさか恋人を家に送った帰りに、恋人の村(脚踏村)の
騒ぎ好きの不良どもから殴り殺されるとは。

唐某はなにも悪いことをしていない。無実だ。
彼が半死半生の目に遭うまでリンチされた件、こちらにこそ道理があるのか?


唐某の死は無念だったと思わないか?
もちろん、唐某の村の人間がとった行動は間違っている。
これでは更に多くの無辜の人間を傷つけることになる。

とにかく、感情的にならずに正しい方法で解決してほしいと思う。

  ※最初に殴り殺された唐某について、>>1とやや異なる情報が載せられている。
   おそらくは調文村の村人の書き込みだろう。

   おそらく、調文村の唐某は脚踏村の女の子と付き合っており結婚。
   だが、もともと村同士の仲が悪かったかして、唐君は結婚当日に脚踏村の村人により撲殺されたのだ。

   (中国では結婚式の際に、知り合いが新郎新婦にいたずらをする「鬧房」という習慣があり、
    その悪ふざけの過程で誤って新郎を殺した可能性もある)

   そして、新郎側の村はリベンジのために脚踏村を襲撃した…、というわけである。


22 名前:名無し人民@ヒャッハー!
>>19
>これは道理が許さない。
お前たち脚踏村の娘は、これから外の村に嫁に行けると思うなよ!
お前らの村の娘を嫁にしようとしたら、新郎が村人に殴り殺されたんだ!

野蛮な村人どもめ!
こんな村には、今後は誰も行きやしないさ!!

  ※調文村の村人による書き込みだろう。


25 名前:名無し人民@ヒャッハー!
(脚踏村と調文村がある)東海島の島人はヤクザみたいに言われているけれど、
どうやら噂は間違いないようだな。

こんなに常識の通じない地域は、
放置して勝手に殺し合いさせておけばいいと思う。


27 名前:名無し人民@ヒャッハー!
法治社会ではこういう事件は法律によって解決される。
だが、調文村の村人は集団で脚踏村に攻め込んで
(日本軍のような)「三光作戦」を実行した。

これは旧社会的で野蛮な行為だ!!


29 名前:名無し人民@ヒャッハー!
犯罪を犯したんだ。
お前らの子どもに至るまで略奪し尽くしてやるぞ。

唐姓の人間を許さない!!

  ※脚踏村の村人による書き込みだろう。
   中国南方の農村では、村が丸ごと同じ一族…という場合がある。
   (そのため、1人の体面を傷つけると「一族の恥」ということになり、こういう復讐が行われる)。

   最初の死者・唐某の出身地である調文村は、おそらく唐氏一族の村。
   ゆえに、脚踏村の村人は唐氏の一族郎党を憎むに至るのである。


47 名前:名無し人民@ヒャッハー!
君子はたとえ10年がかかっても仇討ちをおこなうものだ。
調文村をこのままにはしておけん!

  ※脚踏村の村人による書き込みだろう。


56 名前:名無し人民@ヒャッハー!
お前ら、戦いを続けて楽しいか?
それで家族や愛する人が巻き添えになって死んだらどうするんだ?

それでもまだ戦うのか?


69 名前:名無し人民@ヒャッハー!
唐一族は恐ろしすぎる!
脚踏村の1万人の村人が、数千人の唐氏一族に踏み荒らされたのだ。
(略)


82 名前:名無し人民@ヒャッハー!
脚踏村はもともと良くないことばかりしてきた。
二十数年前にも(似たような械闘で)大事件を起こしているしな。

しかし調文村も野蛮だ。
村の勢力を頼みにする大人が多すぎる。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

この後もスレは荒れ続け、両村の村人による

「お前の村を滅ぼしてやる!」
「貴様らこそ滅亡しろ!!」

という物騒な書き込みがたびたび見られた。

…ところで、ちょっと話を変える。

中国において、農民が役所を襲撃するといった暴動(官民衝突)はしばしば発生しており、大紀元(法輪功のニュースサイト)なんかで報じられることが多いのもご存知の通り。

そして、中国崩壊論者の人がこれらに対してホルホルして
「共産党独裁政治への庶民の不満が高まっているのだ!」という
根拠として引用したりする。


だが、暴動を起こす農民というのは、このスレで見ればわかるがごとく、
リミットブレイクを非常に容易に起こす人たちなのである。
大した理由じゃなくても暴れるのだ。


一見すると識者ホルホル系の官民衝突のようでも、役所への反乱に見えて
実は単なる村同士の(どうでもいい理由での)戦争が
飛び火しただけというケースも多いのではないか。

また、実際に地方の役所が無道な場合(これも多いのだ)でも、
抗議に立ちあがった農民が知らん間に目的と手段を逆にしてしまい、
「とりあえず暴れたからそんでいいやw」となって
問題の解決を求めないケースもあるのではないか。

良くも悪くも彼らの単純さと不条理さを舐めてはいけないと思う。

暴動といっても、即・反政府や反共産党につながる性質のものとは限らない。
党と軍がひとまず綻びを見せずに存在する限りは、
農民による村レベルでの暴動は、中央から見れば中学生のニキビ程度の日常茶飯事の小事件だ。

「中国にはよくあること」で流せる話なのである。

普通は現場レベルで放っておくし、
ちょっと目立ったら(大規模化したら)、クレアラシル(武装警察)を塗ればいい。
この程度では、脳味噌や人体(共産党や国家)に影響を与えるには及ばない。


…なので、「どこどこで農民が反乱!」というニュースを聞いた際、
すぐに「中国崩壊への第一歩だフハハ」と大喜びしても
只のヌカ喜びだと思うのだ。

「反乱」の背景とか経緯をよく調べた方がいいし、
それが大規模化しかけたところで鎮圧されているようなら、
むしろ「中国の体制は(現時点では)盤石だ」という根拠にすらなり得る。

ニキビは、もちろん疾病要因もあるものの生理体質的な理由でできることも多い。
当たり前のように生まれる赤ニキビに、すぐにクレアラシルを塗れるのは、
共産党が最低限はお肌のケアをしているということである。


もっとも、ニキビの現場にいる人はたまったものじゃなかろうが…。
これが中国の農村だからしょうがない。


http://blog.goo.ne.jp/dongyingwenren/e/a370aaaca87869d375aa1d5ce930e919
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広東省農民「オラの村が隣の村と戦争をはじめるらしいんだが…」

2009-11-08

広東省・福建省ネタ今回取り上げるのは、広東省の「械闘」である。


…と言っても何のことやらわからない読者が大部分だと思うので、
ここはひとつYahoo辞書先生に語句解説をしてもらうことにしよう。


 かい‐とう【械闘】
 革命前の中国で、水利や地境などの争いなどを原因として起きた
 部落や労働者集団間の武力闘争。清代には華中・華南に多かった。


中国南部の械闘には、「宗族」と呼ばれる父系血族の集団同士で争われる例が多い。
(→要するに、陳さん一族VS張さん一族みたいな感じでのガチバトル)


一族と言っても、勢力は数百人以上。一村以上の単位での総動員である。

外部から傭兵を連れてきた場合は数千人以上が激突する大合戦となり、
海外に渡った華僑の親戚たちが銃や火砲まで援助してくるのでタチが悪い。
村は、平時から堀や砦が築かれて完全武装だったりする。

械闘は清代の康煕雍正年間(18世紀初頭)から盛んに発生するようになり、
なんと20世紀前半の中華民国時代まで普通に続いていた。
広東省や福建省で特に多く、台湾でも日本統治時代の直前まで盛んにやり合っていたらしい。


…宗族の械闘の原因は、当初は

「うちの一族の村の水を取るな」とか「うちの一族の風水を切る場所に墓を作るな」
という相応の理屈に基づいたものだったようだが、
何百年も対立しているうちに当事者たちも理由を忘れてしまい、
なぜ戦っているのか不明のままドンパチやっていることも多かったようだ。

民国初期に福建省の統治を担当させられた役人が、上司の袁世凱に
「こいつらマジで洒落ならん。勘弁」
と報告していたりするから余程の事なのである。


そして「新中国」の成立後。

農村の宗族組織や封建的な支配関係は共産党様によって解体され、治安も向上。
械闘の風潮はおさまった、とされている。

だが、どうやら実際のところは全然おさまっていなかったようなのだ。


百度の「広東」板より、ディープすぎるスレをご覧ください。


原題「械闘」 広東板
http://tieba.baidu.com/f?kz=269824098


俺たちの村は広東省汕頭市潮南区、司馬浦仙港郷の辺りにあるんだが、
隣の村との関係がずっと良くないのだ。
歴史上、たびたび武力衝突をしていたのだが、
20年前からは特に大規模な闘争は起こっていなかった。

しかし、先月30日に俺の村の共産党支部書記が
(奴は十年以上この職にあり、偽造タバコを作って儲けている地方皇帝だ)
隣の村に行って先方の代表と話をして、帰ってくるや隣村と戦うと言うんだ。

少なくとも鉄パイプ300本以上、ライフル十数本を準備した。
村の老人たちの大部分は開戦を支持している。

派出所の警官がやってきたが、
あれやこれやとタライ回しをされるだけで、解決できないままに去っていった。

地方皇帝いわく、
各戸ごとに少なくとも1人を動員せよ。
出さない家は敵を攻撃するついでに打ち壊す。
各戸ごとに100元を拠出せよ。
戦死した場合は10万元の見舞金を保証する。

昨夜、俺はさまざまな奇怪な声を耳にしながら寝た。
今日、戦いを始めるらしい。
すべての準備は完了して掛け声を待つばかりのようだ。

これは何時代だよ?
なんで俺の村はこんなことやってるんだ?

みんなすまない。
この事を拡散して多くの人に知らせてくれ。


広東の海陸豊地域では、俺が小学生のころまで烏旗軍と紅旗軍が戦っていたぞ。
なにか事があって紛糾すると、烏旗勢力に属する村と紅旗勢力に属する村とが棍棒を持って村境に集まるんだ。

中学に上がってからは似たような事件はもう無くなった。

烏旗軍と紅旗軍は政治とは関係ない。
宗族と関係があるんだ。


  ※海陸豊地域…現在の広東省東部・汕尾市に位置する海豊市と陸豊市のこと。
         民国時代には、軍閥革命家の彭湃という人物が「海陸豊ソヴィエト」という
         カオスな名前の政権を樹立したりもしている地域である。
           


  ※烏旗と紅旗…もともと、福建省や広東省は「宗族」という父系血族の団結がめちゃくちゃ強い地域。
           村ひとつがまるごと「李」さんや「陳」さんの宗族だったりする。
           (→中国でよく見る「李家鎮」とか「陳家囲」なんかの村名を想像するとわかりやすい)

           で、宗族同士が械闘(=武力衝突)をやってるうちに、
           戦国時代のように宗族や村が合従連衡して連合軍を作る場合がある。烏旗と紅旗もそのひとつ。
           この手のケースは清代中期から盛んになり、福建省仙游県の「烏旗軍と白旗軍」の対立とか
           福建省晋江市の「東佛軍と西佛軍」の対立とか、類似例は数多くある。

           現在はさすがに正面切っての大戦争はやらないようだが、
           暗黙の了解で隣の村が敵対派閥に属していたりする。現地に工場なんかを作る場合は注意が必要。


…清代の中国(特に南部)の農村部では、
科挙に合格したが官僚にならずに地元に残った
「郷紳」という半官半民の実力者が村や宗族を牛耳る事例が多かったという。

悪徳郷紳(=土豪劣紳)のなかには、
密輸や汚職で私腹を肥やしたり、械闘を扇動するような手合いもいたらしい。


いっぽう現代の中国の農村では、地域に土着して土皇帝と呼ばれるようになった
下級共産党幹部が過去の劣紳にかわって村を牛耳っているようである。


儒教イデオロギーが「中国の特色ある社会主義」に変わっただけで、
結局は現代の中華人民共和国も、下層部では歴代中華王朝とそっくり。
そんなことを今回の事例から感じる次第。


…おらこんな村いやだ。
http://blog.goo.ne.jp/dongyingwenren/e/dbd9f05454ebcc6ef12699aaaeaba4e8

28. 中川隆[-12814] koaQ7Jey 2023年1月02日 06:55:31 : fq1x42yv8Y : bUpuZ2ZRTnY0MjI=[3] 報告
アジア人物史月報 - 内田樹の研究室
2023-01-01
http://blog.tatsuru.com/2023/01/01_1844.html

姜尚中さんが編集にかかわっている『アジア人物史』というシリーズが出ることになって、月報にエッセイを頼まれた。

 歴史の風雪に耐えたものだけが生き残り、歴史の淘汰圧に耐えきれなかったものは消えてゆく。よくそう言われる。でも、それほど軽々しくこのような命題に頷いてよいのだろうか。私はいささか懐疑的である。
 たしかに「棺を蓋いて事定まる」という古諺の意味なら私にも分かる。ある人がどれほどの人物だったのか、その人の事績がどれほど意義のあるものだったのかは生きている間には確定しない。死んでからそれなりの時間が経たないとほんとうのところは分からない。その通りである。でも、死んでからあまり時間が経つと、それはそれで分からなくなる。死んで50年くらいまでなら、史料もあるし、記憶している人もいる。でも、100年くらい経つと、文書は四散し、生き証人は死に絶える。1000年も経つと、日常生活の中でその人の名が口の端にのぼるということは、よほどの例外的人物以外についてはなくなる。
 だが、それでよいのだろうか。
 歴史の淘汰圧はつねに正しく、残るべきものは必ず残り、消えるべきものは必ず消える。歴史という審級は過たず残るものと消えるものを判別するという信憑のことを「歴史主義」と仮に呼ぶとする。「歴史は絶対精神の顕現過程である」とか「歴史は真理が不可逆的に全体化してゆく過程である」とか「歴史は鉄の法則性に貫かれている」とかいう考え方をする人たちのことを私は「歴史主義者」と呼ぶ。私が勝手にそう命名しているだけで、別に一般性を請求する気はない。そして、これもまた個人の感想であるが、私は歴史主義に対してかなり懐疑的である。
「・・・の時代は終わった」とか「これからは・・・の時代だ」とかいう広告代理店が好む言葉づかいは典型的に歴史主義的なものである。だが、The latest is the best 「一番新しいものが最高だ」というのは、少し考えればわかるけれど、まったく事実ではない。
 今ここにあるものは存在する必然性があるから存在するのであり、今ここにないものは存在すべきではなかったから存在しないのであるというタイプの単純な「リアリズム」と「歴史主義」は同一の思考のコインの裏表である。 
 歴史主義は政治的ステイタス・クオを正当化したい人々や、消費者の欲望を亢進させようとする人々にとってはたしかにきわめて好都合なイデオロギーだろう。だが、もう一度繰り返すが、これはまったく事実ではない。
 私たちの目の前に今あるものだけが「歴史の風雪に耐えて生き延びたもの」「存在する必然性のあるもの」であり、ここにないものは「歴史の風雪によって淘汰されたもの」あるいは「存在する必然性がないもの」だということはない。そもそも私たちの目の前に今あるものの相当部分は少し経てば(場合によっては数か月ほどで)「歴史の淘汰圧に耐えきれず消えるもの」なのである。
 だから、ひねくれた言い方になるが、歴史家は「歴史という審級」の判定力を軽々には信じるべきではないと思う。
 いや、別に私がそんなことを言わなくても、おそらく職業的な歴史家というのは実は「歴史の判定力」をそれほど信じていない人なのだろうと思う。もし「歴史の判定力」をほんとうに信じていたら、打ち捨てられた古文書を渉猟したり、誰も訪れることのない旧跡の由来をたどったりすることをしないはずだからである。記憶すべきことが忘れられ、讃えるべき功績や糾弾されるべき悪行について語り継ぐ人がいないという事実を歴史家ほど熟知している人はいないはずだからである。
 だとすれば、歴史家の本務はむしろ「歴史の淘汰圧」に抗うことではないか。歴史家ひとりひとりの判断において「語り継ぐべきこと」を史料のうちから掘り起こし、今に蘇らせることこそが歴史家の仕事ではないのだろうか。
 
 司馬遷の「列伝」の第一は伯夷列伝である。伯夷叔斉は王位を辞して野に逃れ、周の禄を食むことを拒んで隠棲して餓死した仁者である。司馬遷はなぜ伯夷叔斉のような徳者が餓死し、盗蹠のような悪人が富貴を究め天寿を全うするのか、その理不尽にこだわった。「天道は是か非か。」そして、伯夷叔斉が今に名をとどめ得たのは孔子の功績によると書いた。仁者賢人の名がさいわい今も記憶され、顕彰され得たのは孔子の事業である。「天道」がそうしたのではない。
 司馬遷が「列伝」の筆を「天道はしばしばアンフェアである」という伯夷叔斉の逸話から起こしたことは偶然ではないと思う。司馬遷は賢人や仁者を記憶のアーカイブにとどめるのは天の仕事ではなく、人間の仕事だと考えたのである。
 歴史家は「私がここで書き留めておかないと人々の記憶から忘れ去られてしまうかも知れない人」を選り出してその「列伝」を残す。司馬遷は「歴史そのもの」に人物の良否を判定する力するがあるとは考えなかった。誰の事績を書き残し、誰の徳性や叡智を称えるべきか、非とすべきか、それを決めるのは歴史家ひとりひとりの見識であると考えた。私は歴史家の構えとして、これは正しいと思う。
 私たちの世界は今どこでも「歴史修正主義者」たちが跳梁跋扈している。彼らは「歴史の淘汰圧」が実はあまり信用できないということをよく知っている。真実を否定することも、作話を正史に記載させることも可能であることを彼らは知っている。歴史そのものには必ず真実をその正しい地位に就け、虚偽を「歴史のゴミ箱」に投じるだけの力はない。この仕事について、私たちは「天道」からの支援を当てにすることはできない。その責務を果たすのは一から十まで歴史家なのである。
 この『アジア人物史』の企図は司馬遷の「列伝」のそれに通じるものだと思う。私が読んだ範囲では、執筆者たちがその事績を詳細に語ってくれた人物のほとんどを私は知らなかった。しかし、「ほとんどの読者が知らない人物」の事績を語り、集団的記憶に刻み付けておくことこそが歴史家の最もたいせつな仕事の一つなのだと思う。
(2022年5月18日)
http://blog.tatsuru.com/2023/01/01_1844.html

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