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自由と民主主義を破壊し続けるアメリカが中東に執着する理由(その3:イランのクーデター)(櫻井ジャーナル)
http://www.asyura2.com/17/kokusai21/msg/715.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 1 月 24 日 21:21:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

自由と民主主義を破壊し続けるアメリカが中東に執着する理由(その3:イランのクーデター)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201801240001/
2018.01.24 櫻井ジャーナル


シリアでCIAがクーデターを目論む4年前、1953年にカーミット・ルーズベルトとロッキー・ストーンはイランでクーデターを成功させている。同じことをシリアでも行おうとしたわけだ。

イランはイギリスにとって重要な植民地で、ここでの略奪は国を支える重要な柱だった。そのイランで民主化が進み、イギリスの重要な利権だったAIOC(アングロ・イラニアン石油)の国有化をイラン議会は1951年に決定する。

それに対し、イギリスではアン・キャサリーン・スウィンフォード・ランプトンという学者が1951年3月22日付けのタイムズ紙に匿名で、AIOC国有化はイラン国内で高まっている緊張を外に向けるために行われたとする記事を書いた。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

そうした圧力もあってムハマド・モサデク首相は7月16日に辞任、アーマド・カバム・サルタネーが後任になる。これは国民の意思に反することだったことから5日間で色を辞することになる。21日にはモサデクが再び首相に選ばれた。

当時、ソ連は中東を中立地帯にし、アラブ人に統治させようと提案していたが、これをアメリカやイギリスは拒否する。自分たちの利権を手放すことになるからだ。

それに対し、イギリスはクーデターを計画、秘密工作を始める。その責任者としてランプトンが推薦した人物はオックスフォード大学で講師をしていたラビン・ゼーナー。1943年から47年までテヘランのイギリス大使館で広報の仕事をしていた。イギリスの対外情報機関MI6はブート作戦を作成、都市部の組織や南部の族長たちを使ってテヘランを支配下におこうとした。

その一方、イギリスは単独でクーデターを成功させることが難しいと考え、アメリカに接触する。イランの利権が欲しいアメリカは協力することを決める。米英両国がモサデクの後継者と考えた人物はファジオラー・ザヘディ将軍。第2次世界大戦中、ナチスとの協力関係が問題になり、イギリスによって拘束された経歴の持ち主である。(Richard J. Aldrich,"The Hidden Hand," John Murray, 2001)

計画が動き始めるとモサデク派と見られていた主要な将校が誘拐され、殺害され、7月19日にになると、カーミット・ルーズベルトが「ジェームズ・ロックリッジ」の名前でイラクからイランへ入り、山間部の隠れ家から作戦を指揮することになった。

アメリカでイランでの秘密工作を主導したのはジョン・フォスター・ダレス国務長官とアレン・ダレスCIA長官の兄弟。ふたりともウォール街の大物弁護士だった。

1953年3月にアレンはNSC(国家安全保障会議)で革命の危機を訴え、それを阻止しないと全世界で算出されている石油の60パーセントをコミュニストに握られると主張したのだが、出席者の約半数はクーデター計画に反対する。アイゼンハワー大統領もモサデクの政策に反対していなかったようだ(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)が、ダレス兄弟の意思は固く、3月中にアイゼンハワー大統領は計画を承認、5月中旬にアレン・ダレスは部下をキプロスに派遣して現地のMI6要員と情報交換させている。

ダレス兄弟にはモサデクを排除しなければならない事情があった。ふたりはサリバン・アンド・クロムウェルという法律事務所の共同経営者だが、この法律事務所の顧客リストにはAIOCも含まれていたのである。アメリカという国ではなく、法律事務所の利益のためにクーデターを成功させる必要があった。

6月25日にモサデク政権を転覆させる準備の許可を弟のアレン、そしてカーミット・ルーズベルトに出している。モサデクを倒す目的で「エイジャクス(アイアース:トロイ戦争の英雄)作戦」が練り上げられたのはこの頃である。(Richard J. Aldrich,"The Hidden Hand," John Murray, 2001)

このクーデターはきわどいところで成功、米英の傀儡だったムハマド・レザー・パーレビを国王とする独裁体制を復活させることができた。1954年にAIOCは社名をBPに変更している。このパーレビ体制は1979年にイスラム革命で崩壊するまで続く。

このイランをアメリカはイスラエルやサウジアラビアと共同で属国化、略奪の場にしようとしている。2011年にシリアへ侵略部隊を送り込んだ勢力の中にはこの3カ国以外に、サイクス-ピコ協定(オスマン帝国の領土分割などを定めた秘密協定)の中心だったイギリスとフランス、オスマン帝国の復活を夢見たトルコ、天然ガスのパイプライン建設をシリアに拒否されたカタールなどが含まれる。(続く)


 

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コメント
 
1. 2018年1月24日 21:54:27 : uJRHiUIqDQ : rzZhDfLw80Q[354]
デモの波 起こし揺さぶる イランでは

2. 2018年1月25日 13:34:57 : x4SD1Zk57E : 7uWsLigaK_Y[144]
その「鬼畜米英」帝国主義勢力に支えられたイランのパーレビ国王だが、イランの国名を「イラン帝国」と改め、国内には開発独裁体制を敷き、反対派を弾圧。一方で膨大な石油収入で近代化を無理矢理進めた。パーレビ体制を支える米英から膨大な軍備を購入した。

パーレビ国王はダンディさを売り物にし、自らジェット機の操縦かんを握って操縦し、それを西側メディアは大々的に報道した。趣味も世界の高級車収集で、そのコレクションは世界有数であった。しかし国民の不満は静かに高まっていた。

イラン革命
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E9%9D%A9%E5%91%BD

●解説で、この革命は全く民衆の力で成就されたと書かれているが、子分を失った米英がイラン革命政権を連日非難していたことと、ソ連がそこから間隔を置いた報道をしていたことが思い出される。
(註 当方は当時、BCLでロンドンBBCやモスクワ放送を聴いていました。今でもやっています。)

それ以来、イラン革命政権を目の仇にする米英は、連日プロパガンダ放送を繰り広げているのである。イランの国民の不満を高め、政府転覆に結び付けようと工作しているのだ。
(ロンドンBBC、アメリカBBGが行なうラジオ・ファルダなど。)


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