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銀行が廃れる時代に、資産運用ビジネスはどう変貌するか
http://diamond.jp/articles/-/156908
2018.1.24 山崎 元:経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員 ダイヤモンド・オンライン
銀行は固定電話のように廃れる
銀行業は、携帯電話やスマートフォンが登場して、固定電話が減ったような調子で廃れていくのではないか、というのが筆者のイメージだ。
固定電話は、携帯電話(いわゆるガラケー)、スマートフォントと同じように「通話」という機能を持つが、その後、メールやチャットアプリ、SNSなど、主にスマートフォンで利用できる機能が発達した。今や、音声通話の電話を掛けてくる人は、申し訳ないが「付き合うのが面倒な人」だという印象を持つような時代だ(「うざい人」とまで言おうとは思わないとしても…)。
自宅に固定電話がない世帯も少なくないし、連絡手段としての電話番号も以前ほど気にしなくなった。インターネットは、ユーザー自身が固定電話回線を持たなくても問題なく利用できる。
職場でカラオケに行った際に、女性上司(50代だろうか)が、小林明子さんの「恋におちて」を歌った場合、歌詞の「ダイヤル回して、手を止めた〜」の部分の意味が分からない若い社員が、既に多数いるのではないだろうか。
さて、銀行業界では現在、「RPA」(Robotic Process Automation)と総称される、人がマウスやキーボードを使って行うような入力操作を自動化するソフトウェアロボットの活用が進みつつある。
RPAは、指示に基づいて定型業務を行うロボットなのだが、これだけでも銀行のルーティンワークへの効果は絶大だ。また、これと学習機能のあるAIを組み合わせると、銀行の支店業務のほとんどがソフトウェアとロボットの組み合わせで可能になることが想像に難くない。印鑑の照合も、本人確認も、既に機械の方が正確になりつつある。
まじめで堅い銀行業界は、これまで仕事を定型化してマニュアル化してきた分、ソフトウェアとロボットよる仕事の置き換えが他業界よりも容易だろう。また、人件費が高い分、置き換えによるコストダウン効果が大きい。職員が常駐し、顧客の相手をするような支店は、固定電話の設置台数以上のスピードで減っていく可能性がある。
スマートフォンによる固定電話の駆逐に相当しそうな“分水嶺”は、仮想通貨やブロックチェーンの技術を利用した決済が、銀行口座と無関係にできるようになる段階だろう。これまで、資金の決済を通じて銀行が持っていた顧客の経済行動に関わるデータが、銀行が持つ情報の“縄張り”から流出してしまうからだ。
銀行業界、金融庁、日銀などが協力して、銀行口座と結びついた仮想通貨を普及させる可能性はある。しかし、ブロックチェーン自体のデータ改竄に対する強度は強固なので、銀行以外の主体によるより使い勝手のいい仮想通貨に、取引の“主役”を取られる可能性が十分あるし、競争相手は国内だけでなく海外にも存在する。何らかの法整備などによって、仮想通貨ビジネスの中で銀行を生き残らせようとする方向性はそもそも筋悪だし、うまくいくとは思えない。
そしてやがては、信用の供与自体が、個人や企業などの間で直接的に行われるようになるだろうし、預金に代わる運用を個人が利用する観点では、「分散融資」を行ってリスクを低下させて安定運用するようなプログラムがあっておかしくない。銀行業務の中核はこうして、ソフトウェアに置き換えられていくに違いない。
筆者は、特に技術知識に詳しいわけではないし、想像力が豊かだとも思っていないが、現在知られている程度の知識でも、銀行業にはこのような未来が見える。
資産運用ビジネスはフィンテックに置き換わるか
ところで、元ファンドマネージャーで、現在は資産運用関係の本などを書くことの多い筆者にとって、意識の上で銀行業の衰退はいわば“隣町の火事”だが、資産運用ビジネスがいわゆるフィンテックによって置き換えられることはないのだろうか。
筆者はこれまで、AIによる運用の可能性やロボアドバイザーなどの登場に関して、「これらによって、人間による運用やアドバイスは要らなくなりますか?」という質問を受けた際に、「人間を負かして、一方的に稼ぐことは、AIには難しいのではないか」「アドバイスをもっと自動化できる可能性はあろうが、ロボアドバイザーに人間が取って代わられるイメージはない」といった、どちらかというと人間による運用ビジネスの存続に好意的な答えを返すことが多かった。
筆者自身が、運用の仕事が好きだというバイアスもあったかもしれないが、何といっても大きな理由は、これまで商品化されてきたロボアドバイザーが「フィンテック」と仰々しく呼ぶには全く足りない貧相で、役に立たないものだったからだ。
そもそも、「性格判断のようなアンケートにユーザーがいくつか答えたら、最適な資産配分と運用商品の組み合わせが求まる」という建て付けが無理だし、同時に全く古い。また、高い手数料を正当化するためなのか、不必要に複雑でもったいぶったポートフォリオを返す点がうさんくさい。「ボロアドバイザー」と呼ぶとしても、「アドバイザー」と名づけるのがもったいないくらいのものだ。
顧客の側からよく考えてみると、相手が人間であってもロボを自称するソフトウェアであっても、自分の運用を資産配分レベルから丸ごと「相談」しようとする行為自体がそもそも不適切だ。結果が、顧客にとって最適なものである可能性は小さいし、顧客にとってプロセスがブラックボックス的なこともよくない。
このようにわざわざお金を払っている顧客の状態を悪くしているのだから、ロボアドバイザーはそもそもサービスとして方向性からして間違っているのだ。
リスク資産の適切な組み合わせは、顧客がアクセスできて管理できる商品の中かから、低コストなものを組み合わせて、親切な誰かが教えてあげたらそれでおしまいだ。
リスク資産にいくら投資したらいいのかについては、顧客の経済状態や今後の人生計画などの影響を受けて決まると考えられるが、その決め方は中学生や高校生くらいでも身につけられる程度のノウハウだ。
そしてこれは、他人、特に金融機関には決して「相談」しない方がいい性質の問題だ。自分の経済情報をわざわざ渡して、加えて余計なセールスを受けるリスクを冒すのだから、金融機関の相談には近づかない方がいい。
では、家計の分析や、リスク資産への投資額の決め方などを、人間ではなく、ソフトウェアやロボットなどに置き換えることは可能なのかが問題になるが、これは十分可能であるように思われる。
つまり、こと資産運用に関して、FP(ファイナンシャルプランナー)、FA(ファイナンシャルアドバイザー)と名乗っている人たちのサービスは、ソフトウェアで十分(場合によっては「十二分」くらいに)置き換え可能だろう。これは、有望なビジネス分野の一つかもしれない。ただし、運用アドバイスのサービスそのものについては技術的なバリアが低いので、競争によるサービスの価格の低下がかなり早いことは覚悟する必要があるだろう。
ファンドマネージャーは必要か
筆者が過去に関わった仕事の中で、個人的には好きなものの一つだが、ファンドマネージャーという職業は残るだろうか。
主に、株式のポートフォリオ運用をイメージしてだが、これまでの資産運用業界でイノベーションと呼べるような大きな革新は、筆者の心証では、以下の四つであったように思う。
(1)ポートフォリオによるリスク分散の考え方(1950年代)
(2)インデックスファンド(1970年代)
(3)マルチファクターモデル(1970年代)
(4)ETF(1990年代)
順に、(1)リスクとリターンと分散投資の考え方、(2)市場平均に投資するという有利なアイデア、(3)ポートフォリオのリスクを具体的に計測できるツール、(4)ポートフォリオを自動組成して売買する仕組み、ということになる。
運用ビジネス先進国である米国にあっても、投資家は、最終的に中身の性質がはっきりしていて、安価に組成されているポートフォリオを部品として手に入れることができればいいのであって、高いコストを払ってアクティブファンドに投資してファンドマネージャーの判断に委ねることの不利に気づきつつある。近年、運用資金は、アクティブファンドからETFを中心とするインデックスファンドに流れつつある。
このためインデックスファンドでは、運用手数料を含めた経費率の引き下げ競争が激化しており、この傾向は日本の運用ビジネスにも表れるようになりつつある。
恐らく、「つみたてNISA」などを通じて運用の啓蒙が進むと、インデックスファンドばかりでなく、アクティブファンドも運用管理費用の引き下げが、遠からず必要になるだろう。
端的に言って運用業界は、そのサービスの価値に対して、これまで高い手数料を取り過ぎてきたのではないだろうか。
ちなみに「スマートベータ」は、アクティブ運用としては手数料が安いが、二昔くらい前のクオンツ運用の単純なものを、「安価なアクティブ運用」として商品化しただけのものなので、現在あるものには全く魅力を感じない。
インデックスファンドの運用は、寡占化しやすい装置産業だが、AIと呼ぶほど大げさなものでなくても十分ソフトウェア化できるはずだ。ETFをうまく使うことができると、相当にローコストな商品が可能なはずだし、現実的に、低手数料化したインデックスファンドにあっては、インデックス業者のインデックス使用料(資産残高に対して年間3ベイシスポイントくらい取る場合がある。暴利だ!)が問題になっているような状況もある。
今後、意欲のある個人が資産運用のベンチャーを考える場合、運用会社を立ち上げてファンドマネージャーになって成功しようとするよりも、インデックスベンダーを競争相手にして、「運用に向いたインデックス」をより良心的な価格で提供すると案外面白いかもしれない。
アクティブファンドのファンドマネージャーは、まだまだ残るだろうし、やり甲斐のある面白い仕事であり続けるかもしれないが、彼らの商品(=運用サービス)の価格は、急速な下落傾向をたどる可能性がある。
銀行員に就職するのと、ファンドマネージャーを目指すのと、どちらが不利なのかは、一概には決められない問題なのかもしれない。
仮想通貨時代の資産運用業を想像してみた
少々想像を膨らませてみよう。
いわゆる「お金」を金融機関の口座間でやりとりする時代から、ブロックチェーンの技術を使った仮想通貨で、個人同士や企業同士が直接支払いを行い、たとえば、有益な情報提供や優れた芸術の提供者には仮想通貨で、いわば「投げ銭」するような経済活動が一般化するときは、案外すぐにやってくるかもしれない。
こうした社会・経済を、サービスにコインを払うようなイメージで「トークンエコノミー」、あるいは個人の「価値」が主に評価されてやりとりされるという意味で「価値経済」などと呼ぶようだ。
さて、そのように特徴づけられる状態を仮に価値経済と呼んだ時に、価値経済の下で、資産運用ビジネスはどのようなものになるか。
感動を与えてくれた相手に、ネットを通じて仮想通貨で投げ銭する世界があるとしよう。それでは、この感動の生産者が、将来の投げ銭を見込んで当面の活動に必要な「価値」(仮に仮想通貨で支払われるとしよう)を調達するような場合に起こる「価値」の流れは、現在の株式投資における投資家から資金調達企業へのお金の流れと同質だ。
ただしここでは、資金調達を手伝う証券会社や、アナリストといった中間介在者が中抜きされて、投資家が感動への期待と共に自分で価値を支払っている。
さて、これでよければ誰にとっても人生は楽なのだが、それを「お金」と呼ぶとしても「価値」と呼ぶとしても、他人が自分に何かをしてくれるように促す力に相当するものについて、個人は(1)「価値」を稼ぎ、(2)将来に備えて「価値」を貯めて、(3)その「価値」を効率良く運用し、(4)将来は保有する「価値」を取り崩す、といったことが必要である状況には変化がなさそうだ。
この場合、(1)稼ぎはそれなりに努力するとしても、(2)と(4)における計画性に加えて、(3)の効率性の向上が必要になるだろう。
誰もが、自分が望むだけの「価値」を、いつでも手に入れられるわけではないのだろうから(注;この点についてはもっと楽観的な意見もあるが、楽観論が現実的だとは思えない理由がいくつかある)、個人や企業が貯め込んだ「価値」を運用する手段は必要なはずだ。
そしてこの場合、「価値」の運用・投資先はリスク分散されていることが、「価値」を保有している個人にとっては合理的だろう。「価値」の投資先は、現在の上場会社の株式のようなフォーマルで重苦しいものである必要は全くなく、何らかのビジネスや社会活動のクラウドファンディングであってもいいし、人気を集めそうなユーチューバーのビジネスプランでもいい。
こうした「価値」の投資先に関する情報を収集し、リスクと期待リターンを計算して、適切に分散投資されたポートフォリオを作り、願わくは運用に「感動」の要素も付加してくれるようなサービスは、恐らく人間には能力的に無理があり(大金持ち相手でなければペイしないだろう)、AIを使った運用サービスが構築される必要があるだろう。
この時代の資産運用のAIが、どのようなものになるのかは興味深い問題だが、まず「儲かる投資先を探す」意図に重きを置くものが工夫され、その後、AI運用者自体の平均を利用するような、いわばインデックス運用のような発想のプログラムが有効となって、最終的にはETFのように組成されて自動運営され、投資家にとっての「価値」運用のコストが大きく下がることになるのではないかと予想しておく。
さて、歴史は繰り返すだろうか?
(経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員 山崎 元)
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