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手抜きだらけの東京モーターショー、楽しませる気概はどこへ
http://diamond.jp/articles/-/147210
2017.10.30 井元康一郎:ジャーナリスト ダイヤモンド・オンライン
東京モーターショーが開幕した。展示場を回っての印象は、“手抜き感”が満載で貧相なブースや張りぼてのようなコンセプトカーが目立ち、見に来てくれた人を楽しませようという気概が感じられない「究極のコストダウンショー」。これでは東京モーターショーの衰退は止まらない。(ジャーナリスト 井元康一郎)
会場の印象は
「究極のコストダウンショー」
日本自動車工業会主催の東京モーターショーはもういらないんじゃないか――。
報道公開日の2日間、東京モーターショー会場の国際展示場を回って抱いた率直な感想だった。
海外勢はドイツ、フランス勢など一部を除き、日本で販売している海外ブランドにもスルーされ、国際モーターショーの命である多様性はまるでなし。日本ブランドも自工会会長企業である日産自動車をはじめ、ショーにかける情熱は往年とは比べ物にならないほど希薄。よく、日本ユーザーのクルマ離れと言われるが、これでは「自動車メーカーの日本離れ」である。
会場の印象を一言で言えば、「究極のコストダウンショー」。
ブースのつくりからコンセプトカーをはじめとする出品内容まで、何もかもが安普請なのである。
東京モーターショーはかつて、2階建てブースの建設が規制されていた。が、それでは国際モーターショーにふさわしい演出ができないということで、97年に2階建てブースが解禁されたという経緯がある。
以後、会場はクルマを上方から見られる空中回廊を仕立てたり、立体展示が行われたりと、独創性に富んだ演出の饗宴が展開されるようになった。
ところが今や、規制などなくとも2階建てブースはほとんどなく、大半のメーカーは平置き。それどころか、ブースを囲うパネルも高さをケチったものが多く、天井や背面の壁がモロ見え。制作費の安いドラマのセットもびっくりの寒々しさだ。
コンテンツが充実していれば、そんなブースの“貧相さ”も気にならないというものだが、肝心の中身の“ケチり方”はブース以上のものがあった。日本メーカーは各社、とりあえずワールドプレミア(世界初公開)モデルを出している。が、内容的には悲惨なものだ。
コンセプトカーの
“張りぼて”ぶりに呆れてしまう
かつてはコンセプトカーを製作するのは膨大な費用と手間を必要とするというのが常識であったが、第2次大戦後に後発として本格参入した日本の自動車メーカー各社も今や立派な古参組。
ショーカー製作のノウハウも蓄積され、ちょっとしたコンセプトカーを作ることなど朝飯前だ。今回のショーカーを見ると、その“朝飯前モデル”のオンパレード。
往年の本気モードのコンセプトカー群を知る人々はその“張りぼて”ぶりに呆れるであろうし、現代しか知らない世代は逆に、自動車業界が打ち出す先端感は「この程度のものか」と、これまた興味を示さないだろう。
結果、コンセプトモデルではマツダが次世代で目指すデザインを、職人技を駆使して形にした「コンセプトクーペ」がやたらと目立っている状況であった。
東京モーターショーが元気だった時代は、各社がそのくらいの情熱をショーカー製作に注いでいたことを思うと、東京モーターショーもとことん落ちぶれたものだと慨嘆せざるを得ない。
主催者、自工会の出し物に至っては、誰がこんなものを考えたのかと言わざるを得ないものだった。「未来のモビリティを仮想体験してもらう」という趣旨で、ビッグサイト西館に300人収容可能な大型のドームシアターを設置した。
筆者はデジタルプラネタリウムの番組制作を生業の一つとしている。その経験から、ドーム投影にふさわしいコンテンツを作るには相当な予算が必要なのだが、どういう内容になっているのかと興味津々で観てみた。果たしてそこに投影されたのは、PC-9801時代のCAD線画かと思うような原始的な映像だった。
おそらく機材をレンタルする時点で予算の大半を使い果たしたのであろうが、人並みの判断力があれば、この映像を見た段階で出品を取りやめるレベルである。おそらく、どこぞの代理店に丸投げ同然の状態だったのであろう。
入場料は値上げしたけど
値段分の価値はない
スーパースポーツやプレステージクラスのようなドリームカーブランドが出品せず、地元の日本勢、主催者である自工会に至るまで“手抜きのオンパレード”となった東京モーターショー。
それでも無料、ないし入場料500円くらいで見せるというのであれば、これもありだろう。しかし、この内容で入場料をむしろ値上げし、1800円も取るというのだから、心臓が強いことこのうえない。
自工会関係者の一人は、「映画も1800円なのだから…」と値段の根拠を言い放ったという。が、映画だってハズレの作品を見たときには「金を返せ」という気分になるものだ。
2年前の前回、東京モーターショーはその前の回から入場者を9万人も減らし、81万人にとどまった。このときも展示内容が低調な中、マツダが「RX-VISION」という流麗なデザインのロータリースポーツコンセプトを出品して注目を集め、「あれがなければ80万人さえ割っていたと思う」と、当時の自工会会長企業だったホンダ関係者が胸をなでおろしたくらいだった。
今回はその悪評を跳ね返さなければならない回のはずだったのだが、入場料が値上げになったにもかかわらず、“内容の貧相さ”にはむしろ磨きがかかった格好だ。
今の日本は若者にとどまらず、ユーザーのクルマ離れが懸念されているという状況である。クルマの購入意欲が比較的高い団塊世代が高齢化でクルマから降りたあかつきには、「どこまで市場が縮小するかわからない」と危惧する声が出ているくらいだ。
そのユーザーにクルマに興味を持ってもらうためのものであるはずの東京モーターショーに、高い入場料を払って行った人が貧相なコンテンツを見せられたら、どういう感想を持つだろうか。
中身が薄いショーをやれば
リピーターが減るのは当たり前
東京モーターショーには現役の経営者だけでなく、元首脳も大勢訪れる。
会場を歩き回っているとそういう元首脳と頻々と顔を合わせるのだが、「グローバル化が進む中、市場としては小さい日本のモーターショーが苦しいのはわかる。しかし、何回も連続して中身が薄いショーをやれば、リピーターが減るのは当たり前だ。今回がそのとどめを刺すことにならなければいいが」などと、行く末を心配する声ばかりが聞かれた。
なぜ東京モーターショーの衰退が止まらないのか。
理由の一つは、この元首脳が言うように、自動車産業のグローバル化が進んでいることだろう。市場規模の小さな日本でわざわざブランドをアピールする必要などない、という判断が出てくるのは無理からぬところだ。
しかし、原因はそれだけではない。地元日本のメーカーの“熱意のなさ”もさることながら、それ以上に問題なのはモーターショーに関する自工会の考え方が完全に方向性を見誤っていることだろう。
東京モーターショーはもともと世界のショーの中でも独自のポジションにあった。欧州フランクフルトや北米デトロイトのようなビジネスショーでもなければ、ASEANのタイ、中国の広州のように会場でクルマの商談が行われる販売ショーでもない。
クルマというコンテンツで来場者を楽しませるという、ありそうで他にないショーだったのだ。
出品をとりやめる海外自動車メーカーが続出し、北京、上海など中国のモーターショーに存在感を奪われる中、自工会はこのところ、日本の技術開発力を誇示するハイテクショーにすることで東京モーターショーの威厳を回復させようとした。
「ハイテクショー」というのは
身の程知らず
完成検査にまつわる不祥事で活動を自粛する前まで東京モーターショーの顔役を務めた西川廣人・自工会会長は、「量より質。各社の先端技術を持ち寄り、存在感のある世界一のハイテクショーにしていきたい」と語っていた。
実は東京モーターショーのハイテクショー化の試みは今に始まったことではない。存在感を急速に落としはじめた2009年以降、自工会はずっと同じようなことを言ってきた。そして、毎回失敗していた。
まず、グローバル化が進み、日本勢もワールドワイドで企業活動を行っているという状況の中、シリコンバレーを擁するアメリカ、スタートアップ企業が次から次へと生まれる中国、年間1700万台の消費地であるEUなどを差し置いて、東京が他を圧倒するハイテクショーになれると考えるのが身の程知らずもいいところである。
それだけではない。先端技術をエンドユーザーに「面白い」と感じてもらうのは、実はとても難しい。
例えば、自動車業界で話題となっているビッグデータへの接続技術、コネクテッドひとつとっても、当の自動車メーカーが何をやれば素敵な未来を築けるかということについて、確固たるイメージを持てていないのだ。
「コネクテッドで自動運転が高度化する」「交通需要マネジメントが進んで渋滞がなくなる」「カーシェアをやりやすくなる」――。
こうしたステレオタイプの主張が多くのメーカーのブースでオウムの物真似のごとく垂れ流されていた。それ以上のイメージはないのかと言いたくなるところだ。
体験プログラムも操作によってリアルでない動画をイメージとして見せられる程度。3Dコンテンツを見慣れた現代の若者たちにとっては、子どもだましの域を出ないとしか感じられないであろうものばかりである。
結局、先端技術をナマで見せて面白がってもらえるのはビジネスショーの話であって、顧客がお金を払ってクルマを楽しみに来るユーザーショーである東京モーターショーで先端技術をテーマにする場合、それで何を見せるか、無から有を生み出すようなクリエイティビティこそが重要だ。
悲しいかな、遊びより労働を上に置くのが絶対善と考える生真面目な国民性の日本にとって、先端技術で遊びを想像するのは苦手分野。先端技術は得意分野という単純思考で勝負をかけてみたら、世間から見ればそれは苦手分野だったというわけだ。
見に来た人を
いかに楽しませるか
筆者は2000年代、東京モーターショー事務局のインナースタッフとして、公式リリースである東京モーターショーニュースの発行に関わっていたことから、毎回会期中はずっと会場周辺に寝泊まりし、毎日ショーを見て回っていた。
10年ひと昔とよく言われるが、2007年までのショーは展示、アトラクションとも充実しており、来場すればクルマのテーマパーク的に1日遊べるようなショー作りが辛うじてできていた。
バブル期の熱狂を別にすれば、最も盛り上がったのは2005年であろう。今のようには先端技術頼みではなかったが、欧米からも今度は東京モーターショーで何を見られるのかと、大勢のジャーナリストが詰めかけていた。
今回のプレスセンターの様子を見ると、少なくとも、欧米から取材に訪れる記者の姿は激減し、ほとんど見かけなかった。中国メディアの取材も以前とは比較にならないほど減った。
その中で増えたという実感があったのは、ASEAN諸国からの来訪者だった。しかも、東京モーターショーに関するイメージも悪くない。アジアンモーターショーでは出品モデルの大半が新興国向けの低価格ラインであるのに対し、日本では先進国向けの商品を多数見られることと、日本車が頑張れば一般人にも手が届くという存在であることから、イメージが良いということもあるだろう。
このASEANからのインバウンドが、今回の東京モーターショーを見た中で唯一のプラス材料だったと言っていい。
新技術、新潮流が続々と生まれる自動車業界。その中で「日本は最先端ですよ」ということを誇示することにのみ目が行き、お金を払ってクルマを見に来た入場者を楽しませるという本来のミッションを完全に見失った観のある東京モーターショー。
今回、入場者が何人集まるかはわからないが、次回はちょっとでもお金を使わないようにといった自己都合は捨てて、「見に来た人たちを心から楽しませるために、自分たちは何をやれるか」という原点に立ち返って、東京モーターショーを再興させてほしい。
少なくとも、「クルマを見る楽しさ」という一点においてすら、世界のビジネス系モーターショーに負けているエンタテインメントショーというのでは、話にならない。
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