★阿修羅♪ > 経世済民123 > 524.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
戦後日本経済史が教えてくれること 戦後の日本経済史を15分で振り返ってみよう(WEDGE)
http://www.asyura2.com/17/hasan123/msg/524.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 9 月 06 日 14:42:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

戦後日本経済史が教えてくれること 戦後の日本経済史を15分で振り返ってみよう
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/10474
2017年9月4日 塚崎公義 (久留米大学商学部教授)  WEDGE Infinity


 戦後の焼け野原から今まで、72年間の日本経済は、どのように推移して来たのでしょうか。知っているようで知らないことも多い戦後の日本経済史について、大きな流れを15分で振り返ってみましょう。

 戦後の日本経済は大きく3つの時期に分けられます。復興から高度成長へ(1945〜1973)、安定成長からバブルへ(1974〜1990頃)、バブル崩壊後の長期低迷期(1990頃〜)です。青年期、壮年期、老年期、といったイメージですね。

          

戦後の焼け野原からの復興、そして高度成長

 敗戦により焼け野原となった日本は、すべての物が不足する中、激しいインフレに見舞われながらもたくましく復興し、10年ほどで戦前の経済規模にまで回復しました。戦勝国の賠償要求が軽かった事は、幸運でしたし、政府(GHQ)が新円切り替え、経済民主化等を断行し、傾斜生産方式等を採用したことなどが奏功したとも言われています。

 加えて、日本国民が頑張ったことが大きかったのでしょう。日本人は戦前から教育水準が高く、勤勉な国民性もあり、優秀な労働力でした。工場は焼けてしまいましたが、日本人の優秀さまで失われてしまったわけではなかったのです。

 戦後10年ほどで復興を成し遂げた後、1973年までが高度成長期と呼ばれる時期です。次々と新しい工場が建ち、生産力が急激に増し、人々の暮らしは急激に豊かになって行きました。毎年10%近い経済成長で、敗戦国から一気に「世界第二の経済大国」に「のし上がった」のです。

 近年の中国経済が急速に拡大して来ましたが、当時の日本経済も似たような状況だったわけです。余談ですが、筆者は中国経済の研究者には、高度成長期の日本経済を学ぶようにアドバイスをしています。

高度成長期前半は外貨が、後半は労働力が不足



 復興期から高度成長期の前半までは、外貨が不足していました。すべての物が不足していましたが、特に資源等は輸入せざるを得ないので、外貨、特に米ドルが大量に必要でした。ドルは日本政府が印刷するわけに行きませんから、日本企業が輸出を増やして海外からドルを持ち帰ってくる必要があります。



 しかし、日本は焼け野原で、外国人が欲しがるような物は、なかなか作れませんでした。そこで政府は、ドルを稼げる産業を積極的に育成すると共に、「貴重な外貨は、国内で作れないものの輸入に使うこと。国内で作れるものは輸入せずに国内で作ること」という政策を採ったのです。

 高度成長によって立派な工場が建ち、輸出が増えてくると、外貨不足は解消に向かいましたが、今度は労働力不足が深刻化しました。幸い農村部では、トラクターの導入などにより労働力に余裕があったので、中学や高校を卒業した「金の卵」と呼ばれる若者たちが、大量に都会に働きに出て来たのです。それでも都会では労働力不足が深刻でしたが。

 金の卵といえば、NHKの連続テレビ小説「ひよっこ」の主人公がそうですね。彼らが都会で結婚して「核家族」を作り、盆や暮れに帰省して「帰省ラッシュ」の原因となっているわけです。日本経済の成長を牽引してくれた彼らに感謝です。

 高度成長期は、1973年の石油ショックで終わります。もっとも、石油ショック自体は単なる引き金であって、石油ショックが来なくても、遠からず高度成長は終わっていたでしょう。高度成長から安定成長に以降する時期だったからです。

 石油ショックからバブルまでが安定成長期

 石油ショックからバブル期(87年頃から90年頃まで)までの日本は、安定成長期です。年平均4%強の成長率でしたから、高度成長期に慣れた人々からは「落ち着いた成長率」に感じられたでしょうが、今の感覚では大変な高成長だったわけです。



 高度成長期は、量の拡大が顕著でしたが、安定成長期は日本製品の品質が向上したことが特徴的です。高度成長期の日本製品は「安かろう悪かろう」と言われていたが、バブル期には「日本製品は品質が良いから高くても買いたい」と言われるようになっていたのです。

 1985年にプラザ合意(先進国が集まり、ドル安誘導をする事に決めた会議)があり、その後3年間で大幅な円高になりました。これも日本製品の品質向上に寄与することになったのです。品質より価格の安さを重視するものは、アジアから輸入すれば良いので、日本では値段が高くても売れる品質の高い物だけを作れば良い、ということになったからです。

 バブル期には、「日本経済は世界1だ。21世紀は日本の時代だ!」といった陶酔感が国中に蔓延し、ちょうど金融が緩和されていた時期だったこともあり、地価と株価が急騰しました。「世界1の国の地価や株価が高いのは当然だ。今までが安すぎたのだ」と投資家たちが考えたのです。銀行も、「土地を担保に融資をすれば、取りっぱぐれないだろう」と考えて、土地購入資金を積極的に融資したため、地価が一層上昇した、というわけです。

バブル崩壊後の長期停滞期が30年近く続いている状況

 バブルが崩壊すると、バブル期の投資等の反動で、景気が悪化しました。各社は立派な工場を、各家庭は立派な耐久消費財を既に持っていたので、新しく工場を建てたり耐久消費財を買ったりする需要がなかったのです。

 90年代の後半になると、銀行の不良債権問題が深刻化し、倒産する大手金融機関が続発するなど、金融危機が発生します。バブル期に不動産購入資金を融資した分の多くが不良債権化し、銀行が耐えきれなくなったのです。「金融は経済の血液」ですから、金融危機により景気は大きな打撃を受けました。

 政府と日銀は必死の努力で金融危機を抜け出しましたが、財政赤字が拡大したり、日本企業が借入恐怖症に陥ったり、様々な後遺症が残りました。

 2000年には米国でITバブルが崩壊し、2008年には米国でリーマン・ショックが発生し、日本の輸出が大打撃を受けて日本経済に大きなダメージとなりました。日本経済は、内需が弱いので、輸出が打撃を受けると、それがそのまま景気への打撃となってしまうのです。

 ITバブルとリーマン・ショックの間、日本国内では小泉内閣による「構造改革」が行われていました。理念としては「需要を増やすことより、供給側を強化することを重視する」ということでしたから、たとえば「不良債権処理を促進したことで倒産が増加し、景気が悪化するのではないか」、といった不安が筆者をはじめ多くの景気予測関係者の間で高まっていました。

 結果としては、海外経済が比較的好調で輸出が伸びたことなどから、景気はむしろ緩やかな回復を続けました。小泉内閣も、本当に危ないこと(りそな銀行の破綻処理)などは回避しました。実は景気のことも気にしていたのかもしれませんね。

 日本経済は、リーマン・ショックの痛手から立ちなおった後も、低迷を続けていました。そこに登場したのがアベノミクスです。これは、「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」のいわゆる「3本の矢」を掲げて登場した安倍総理の経済政策のことです。

 当初は景気が順調に回復し、アベノミクスを評価する人が多かったのですが、「消費税率引き上げに伴って一時的に落ち込んだだけだ」と思われた景気が、思ったほど回復しなかったこともあり、最近ではアベノミクスの副作用を気にする人の方が増えてきているようにも見えます。

 もっとも、失業者は減り、就業者は増え、労働力不足から非正規労働者の時給も着実に上がっていますので、アベノミクスが一定の成果を収めたことは疑いのないことであり、筆者は素直に評価したいと思っています。



 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
1. 2017年9月06日 16:08:55 : qNApj6abVo : pmR1FMr_lBA[1295]
評価する、は間違い。

低賃金では、雇用は増える。低賃金のしたのが雇用増大、団塊の世代が退職したのが失業率現象の原因で、賃金が上がっていないのは、失政そのものである。

アベノミックスで良くなったのではない。

経済学者は、まともな学者はおりますが、表に出られませんね、これが問題だ。

いい加減な市場原理主義の御用学者・馬鹿経済学者が表に出ている。

反省してもらいたいね。


2. 2017年9月06日 18:03:30 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1838]
「戦後日本経済史が教えてくれること」

それは、戦前の日本を支配していた 「戦争で勝つ事が日本の国を富ませる」 という考えが
≪全くの幻想≫であった事を 教えてくれるのである

そうでなければ、北は樺太 南は台湾から南洋諸島 西は朝鮮半島から満州と 今現在とは比べものにならない
広大な領土 植民地を誇っていたあの大日本帝国が 実際は 情けないほどの貧乏国家であった事実と

武力を背景に獲得した領土を すべて残らず取り上げられた戦後の日本が これ程までに経済発展するなど
絶対に有り得ない事であるという事


要するに 戦前の日本の経済を “蝕んでいた存在” それは、軍部と外地(領土)であったという事
軍部への予算と 外地へのインフラ整備に あまりにも国家の財を喰われてしまい 国内産業育成を
完全に疎かにしたせいで、日本国内の経済は その力を まったく発揮できないでいた

一昔前は よく言われた事に 「戦後の経済発展の理由に 日本人の勤勉さと手先の器用さがある」 という
もっともらしく聞こえるフレーズがあったが ちょっとまて 戦前の日本人だって 手先は器用だし
勤勉さは むしろ戦後の日本人を 上回る程 真面目で勤勉だったはずだ

戦争に負けたから急に 日本人は真面目になった訳でもないし 手先が急に器用になった訳でもない
戦前の日本人も 戦後の日本人も まったく同じ日本人なのである

戦前の日本と 戦後の日本 違いが在るとすれば 「軍部と外地」 これだけである

要するに 軍部と外地が 日本の国の経済を食い潰していた寄生虫だったという訳である
外地 占領地 という【赤字店舗】をリストラできて 軍部という【金食い虫】を排除して V字回復した流通企業と
まったく同じ構図なのです

● 軍 および外地(占領地植民地)が、国家に富を もたらす事は 絶対にない ●

これこそが、【戦後の日本経済史が教えてくれる事】なのである


3. 2017年9月06日 20:50:42 : 2FbCg9vijk : ylRMDBXhDG8[658]
ガタが来た 無理に片意地 張ったツケ

見栄張って 梯子外され 自信ゼロ


4. 2017年9月07日 00:58:43 : 9itsY3ckcr : YRR2XFLTwIo[3]
塚崎公義 (久留米大学商学部教授)  

1957年東京都生まれ。1981年東京大学法学部卒業後、日本興業銀行に入行。米国UCLAにてMBAを取得の後、調査部主任部員、財団法人国際金融情報センター調査企画部長などを経て、2005年4月に、久留米大学へ。
『増補改訂 よくわかる日本経済入門』 『退職金貧乏 定年後のお金の話』『老後破産しないためのお金の教科書―年金・資産運用・相続の基礎知識』など

それ以前にしょせんは「WEDGE」だ


5. USER[17] gnSCcoJkgnE 2017年9月07日 02:59:07 : ec5C2vDjSU : aSHPXHF@09I[17]
● 軍 および外地(占領地植民地)が、国家に富を もたらす事は 絶対にない ●

 日本の歩みを見る限り、まったくその通りだと思います。目を覚まされた気がしました。

 しかしながら、例えば過去の英国はこれによって最大の帝国を築き、潤ったわけであり、第二次世界大戦の終わるころまではどの国も目指したことであります。

 それが今ほぼ消え去っているのは、この原則によるものなんでしょうか。歴史は何を教えてくれるのでしょうか。


6. 2017年9月07日 13:08:22 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1842]
5さん 大英帝国を始め ポルトガルやスペインなど 侵略と植民地支配によって栄華を誇った国は
中世期までは 確かに有りました が それは 「鉄砲さえ持ち込めば制圧できた」 という時代までです

武器兵器が発達し過ぎた近代においては 完全に「赤字店舗」 なのです
搾取できる利益よりも 軍備への投資の方が はるかに巨額なのです

だから、ポルトガルも スペインも 大英帝国すらも 近代に於いては凋落著しい結果となって
三流国に転落しているのです

途上国は 独立させて 平和的な経済交流によって資源を獲得する方が 遥かに安上がりなのです
これが 第二次大戦以降 途上国が次々と独立を果たせた 最大の理由だと私は信じます。


7. USER[18] gnSCcoJkgnE 2017年9月11日 16:06:06 : ec5C2vDjSU : aSHPXHF@09I[18]
なるほど・・・

とすると、アメリカという国は第一次世界大戦のあたりには、既に他国に先んじてそのことを十分に分かっていたということであります。決して正義感が強いとか個人主義であるとか、そうではなくて経済学的に考えて損をしない方法として結論を出していたことになります。

どうやってそれを学んだのか、アメリカの歴史をしらべてみたい気がしてきました。


8. USER[97] gnSCcoJkgnE 2018年2月24日 22:51:16 : ec5C2vDjSU : aSHPXHF@09I[97]

 アメリカ史を読み終えました。

 アメリカという地に渡ってきた欧州の人間は、今までのしがらみから解放され、決して裕福ではなかったものの、神から与えられた広大な土地の中で自由な発想と精神を持ちながら人生を送れる機会を得たわけです。そういう地を独立によって得たともいえます。

 (ま、人間が存する世界、何も問題がないという場所はどこにもないと思います。例えばインディアンにとっては残酷とも言える結果であったわけです。)

 うらやましい限りです。支配・被支配を意識せずに生産また余剰生産品を売ることにより生活を成り立たせていく、理想的とも言える体制が可能であったわけです。より豊かな生活を考えるなら、自分の生きる場は確保できているから、さらに余剰生産品とその市場を増やせばいい。(楽観的な捉え方ですが・・・)

 そしてアメリカは市場として海外へと目を向ける。海外の地を支配するのではなく、利を得るための場所ととらえる。これがアメリカの基本的な政策になっていったわけです。自分の住む場所に余剰生産を行う場所を持っているわけで、海外侵略そして植民など考えなくてもよい。生産品を売る場所の心配だけすればいい。これが他国とアメリカの違いであるわけです。

 長い間にアメリカも変わっていくはずです。どうしようもない支配・被支配の関係が生まれ、人口があふれ、狭い暮らしにくい国へと変容する可能性も大きい。

 アメリカがあることによってぎりぎり救われている今の世界だが、やがてどこもかしこも支配層と被支配層の2つでできた世界となり、侵略戦争も含めて奪い合いの歴史が再び始まりそうな気もする。



9. 投稿のあんちゃん[825] k4qNZYLMgqCC8YK_guGC8Q 2021年5月04日 16:00:24 : uesRfraV4w : eFZHTnVJSGxyWnc=[88] 報告

 もぎせか世界史講義というのを聞かせてもらって思うこと。

 アメリカに渡ってきたヨーロッパ語族はこの広大な土地のあちこちに生きていた縄文時代から進歩のない生活をしていたインディアン達を追いやり、そこを農地や牧草地に変えていった。インディアン達を滅亡への道に向かわせたと言ってもいい。

 インディアン達はそれに対抗する力は持てなかった。

 理由は、広く農耕を行わずとも移動しながらでも何とか生きていける自然があった、小さなグループそれぞれでも自然の中で長い間やってこれたという歴史があるからであろう。

 大規模な農耕と富の集積また自然の気まぐれで起こる災害への対応はいずれも技術の進歩を促す。また農耕にせよ牧畜にせよ、余剰な生産は流通をもたらし、そこに人と人の間に多くの触れ合い(情報交換)が行われ、技術はさらに進歩する。インディアン達はそうしたものが持てなかった。

 どこの大陸でも、この農耕が貧富の差を生み、上下関係を作り出し、土地(富)の奪い合いということが発生し、小さな争い果ては戦争というものに繋がっていく。
 
 インディアン達がアメリカで大規模な改良を加えた中での農耕を行って生活している段階であったなら、多少劣っていたにせよヨーロッパ語族も簡単には手を出せなかっただろう。

 しかしそうではなく、ほとんどが開いた土地にしか見えなかったわけである。「新大陸」という言葉はそこからくる。だからアメリカは次々に「開拓」という名のもとにヨーロッパ語族により占領されていった。それは大航海時代以降のアジアの植民地化よりひどいやり方である。

 アメリカは国外に戦争を仕掛けて領土を奪おうするという気がないのは、もうすでに国内でそれと同等なことをやってしまっているからである。今のところ更なるものは必要としない。必要なのは市場である。
 

 


10. 投稿のあんちゃん[826] k4qNZYLMgqCC8YK_guGC8Q 2021年5月04日 16:17:42 : uesRfraV4w : eFZHTnVJSGxyWnc=[89] 報告

 同じく、もぎせか世界史講義を聞いて

 アメリカの南北戦争も、その本当の理由は「奴隷制」をめぐってのものではなく、これまた北部の市場とての南部の確保が目的であったらしい。そのために60万人が死んでいる。

 アメリカはそのあたりから市場の確保を第一として戦争をしているようだ。経済を目的とした戦争である。だからなるべく自国の死傷者を出したくない。


11. 投稿のあんちゃん[827] k4qNZYLMgqCC8YK_guGC8Q 2021年5月05日 15:32:55 : uesRfraV4w : eFZHTnVJSGxyWnc=[90] 報告

 「西部開拓史」という本のレヴューを読んで思うこと。

 開拓とは「山林・原野などを切り開いて田畑や居住地・道路をつくること。」だそうだ。

 つまり当時のヨーロッパ語族にとってアメリカ全体が開拓して手に入れるべき「人の所有していない(生活していない)、無人の荒野」であって、だからこそ所有権を主張した者がさきものがちで所有できる場所であった。

 所有権という考えを持たなかったインディアン達には訳が分からなかっただろう。そしてそのスキを突いたやくざ的収奪行為が堂々と行われたのである。

 今この日本に住んでいても、自然のある領域を線で囲って、ここは自分(あるいは国)のものだと所有権を主張するしくみというのは、納得がいかない。

 その考えを持ち込むことにより、アメリカはヨーロッパ語族により奪い取られたということである。

 ヨーロッパ自体がこの土地の所有権の問題でずたずたにされ、殺し合い、果ては戦争により奪い合うことがすでに行われており、その延長がインディアンの悲劇を生んだということになろう。


  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 経世済民123掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
経世済民123掲示板  
次へ