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ヤマト運輸・中興の祖の小倉昌男氏(左)/(C)日刊ゲンダイ
弱きを助け強きをくじく 小倉昌男氏の理念は消えたのか?
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/201901
2017年3月21日 日刊ゲンダイ
森健氏の傑作ノンフィクション「祈りと経営」で描かれたヤマト運輸・中興の祖の小倉昌男は、私生活で悩みに悩んだ人物だった。「一般的には規制改革で官僚とやり合った闘士のイメージを持たれていますが、むしろ学者然とした穏やかな人」とは企業コンサルタントの柴田昌治氏の感想だ。その小倉が育てたクロネコが危機に瀕している。
「組織が大きくなると根っこが腐り始める」
生前の小倉昌男(05年に80歳で死去)が予言していた通りのことが起き始めている。小倉が嫌った官僚組織と一緒だ。
ヤマト運輸の連結従業員は19万6582人。ひたすら拡大路線を突き進み、増収増益をくり返してきた。しかし、ここ数年は思ったほどの利益が挙がらず、そのツケが賃金未払いや長時間労働といった従業員へのシワ寄せとなって表れている。
小倉のモットーは「全員経営」。「私は従業員という言葉が好きではない。必ず社員と呼ぶようにしている」と話したこともあった。その彼の思いが、死後10年ちょっとで簡単に忘れ去られてしまったのだろうか?
「今でも小倉元社長の理念は生きており、各事業所では朝礼で社訓を唱和しています」(ヤマト運輸広報担当者)
その内容とはこうだ。
一、ヤマトは我なり
一、運送行為は委託者の意思の延長と知るべし
一、思想を堅実に礼節を重んずべし
最初に「社員が最大の資本」と言い切り、最後で「企業倫理(コンプライアンス)の重要性」を訴えている。
それなのに今は社員が後回しになっているようだ。
雲助のような古い体質の運送業界を変えたのも小倉だった。
「小倉さんは76年に家庭向け小口貨物を始めたパイオニア。ただ、これだけなら外国でも当時やっている企業はあったが、小倉さんのスゴイところは、自宅まで荷受けに行くことを考えついたこと。主婦が重い荷物を持って配達所まで運んでくる苦労を助けたいというのが発想の原点で、おばあちゃんでも電話一本で荷物を出せます」(ジャーナリスト・中森勇人氏)
■社員のためにならないと思えば三越も切った
バブル景気に向かう頃には「スキー宅急便」「ゴルフ宅急便」をスタート。共働き世帯が増えた88年には「夜間お届けサービス」も始めている。これが結果的に現在の過剰サービスによる社員の疲弊を生むわけだが、小倉は社長時代に配達料の値下げを要求する三越百貨店の申し出を断り、取引停止にしたこともある。社員のためにならないことはやらなかった。
「小倉さんは社長を退任した後、北海道を皮切りに玲子夫人を伴って全国の事業所視察をしています。その際、所長クラスには大変厳しい言葉を吐いたが、末端のドライバーたちにはやさしく接したと言います」(前出の中森氏)
「祈りと経営」を読むと、自分の出張費はもちろん会社に請求するが、夫人の分の旅費とホテル代は必ず自腹を切ったという。会社を私物化せず、公私の別は潔癖なまでに守ったのだ。その小倉は晩年、保有していたヤマト株をすべて売却。私財46億円を投じて障害者福祉に尽力した。弱い人ほど助ける――今の経営陣が最も忘れてならないことだ。
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