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妙なこだわりやプライドが、「つながる力」を阻害しているかもしれません(写真:プラナ / PIXTA)
40代は「一生食える力」の最貧困世代である 佐々木俊尚が語る「ゆるいつながり」の大切さ
http://toyokeizai.net/articles/-/156628
2017年02月06日 佐々木 俊尚 :ジャーナリスト 東洋経済
これからの時代、私たちはもっと上を目指す上昇志向でもなく、もっと外を目指すクールなアウトサイダー志向でもなく、「いまこの瞬間に全意識を傾けながら」ゆるくつながる生き方が普通になると説く佐々木氏に、その考え方とベストセラー『ライフ・シフト』の共通点を語ってもらった。
■日本の企業システムは、長い老後を考えていない
『ライフ・シフト』は11万部のベストセラーとなっている(書影をクリックするとアマゾンのページにジャンプします)
長寿社会というと、多くの日本人はネガティブな印象をもっているのではないでしょうか。認知症や孤独死などの問題がメディアでも取り上げられ、「老後」というと何となく不安感が漂う。でも『ライフ・シフト』は長寿社会をポジティブに捉えているところが今までになかった視点で、面白いと思います。
日本でも、大企業に就職できれば一生安泰という時代は終わりました。グローバリゼーションで業界構造も様変わりしましたし、昔のように企業にぶら下がっていれば何とかなる時代ではなくなりました。しかも100歳ライフなら定年後の人生は約40年も続く。その間どう生きていくのか。
じつのところ、日本の産業構造は、それを考える仕組みにはなっていません。役所でも大企業でも、専門性がないまま定年を迎えてしまう人が多い。たとえば大企業の出身で、外回りや管理部門をひと通りやって「私はゼネラリストだ」と胸を張る人がいる。しかし人材コンサルタントにいわせると、そういう人は役に立たないそうです。彼はゼネラリストではなく、“その会社のスペシャリスト”だから。
日本の企業は調整の仕事がやたらと多い。「この話はまずあの人に通せ」とか「俺はそんな話聞いていないぞ」などと言い出すオジさんが必ずいるから(笑)。トップダウンなら1カ月でやれるのに、調整が必要で3カ月かかってしまう。日本の労働生産性の低さはこうしたところに起因します。
いずれにせよ、調整の仕事を懸命にこなして定年を迎えても、その人がやってきた仕事は企業内の人間関係というインフラのうえでしか成り立ちませんから、一歩会社の外に出るとその能力は発揮されない。つまり自分の専門性を育てるような仕事をしていかないと、定年後にあまり明るい人生は開かれないのです。
一方で、すべての人が会社に依存せず個人の力で食べていこうとすると、弱肉強食の世界になってしまいます。ここが難しい。とりわけフリーランスの世界では、しゃべりのうまいやつが成功する傾向にあります。コミュニケーション能力に長けていて、交渉するのが上手。
日本でも1990年代に成果主義だと盛んに言われていましたが、結局、自分の成果をでかい声で言える人が勝つ。成果が見えづらい管理部門の人はどうなるのかと問題視され、いつの間にか言われなくなりました。
私は、個人が専門性を意図的に高めていくと同時に、「ゆるいつながり」が必要だと思っています。仲間とかチームといった共同体です。第2の人生は、そういうところに目を向けてもいいのではないでしょうか。ノマドワーキングについて書いた拙著『仕事するのにオフィスはいらない』(光文社)でも触れているのですが、フリーランスはいずれ単体ではなく、チームによる仕事が当たり前になってくると私は考えています。プロジェクトごとに結成したり解散したり、再結成したり。
企業でもそうした組織論が語られるようになってきました。従来のように部長、課長、係長といった縦割りの構造ではなくて、プロジェクトごとにチームを作り変えるという仕組みです。今は長期計画が立てられない時代といわれています。何が売れるかもわからない。短期的に小ロットで試してみて、うまくいったら量産するし、失敗だったらすぐに撤退する。機動力が求められますから、組織もそれに対応できるように変わっていくのだと思います。
■40代にとっての安定とリスク
『ライフ・シフト』では世代の違う3人が登場しますよね。70代のジャックは「教育・仕事・引退」という3つのステージを歩み、従来の価値観のままで逃げ切れる世代です。20歳目前のジェーンは、偶発的な出会いを大切にして、自分の専門性を高めていっています。
日本でも35歳以下の世代はこうした世界観をもっている人が多い。1980年代生まれの「ミレニアルズ」ですね。彼らはシェアハウスに住むことに抵抗がない。プライバシーの感覚とか、見知らぬ他人への信頼感とかが上の世代とは異なります。大企業志向がある一方で、一生そこにしがみついていこうという感覚もなく、多様な生き方があることを知っている。生まれたときから不況ですから、結構あっけらかんとしているんです。
問題は今の40代、『ライフ・シフト』でいうならジミーの世代です。たとえば今45歳だとしたら、定年まであと15年。いまさら劇的に生き方を変えられません。家族もいるし、今の年収を維持したい。守るものがあるから、思いつきで会社を辞めてIターンするという冒険もできません。
でも本当にそうでしょうか。あと15年の間、組織の中でここまでのポジションにいくだろうという青写真を描いていても、だいたい外れますよ(笑)。もはや安定した業界も企業もない、先行き不透明な時代です。そんななかで会社員人生を送るのと、いきなりIターンして田舎に行くのと、どちらが重い決断かなんて誰にもわかりません。むしろ誰かと偶然の出会いで意気投合して、会社を辞めて田舎に行くほうが明るい老後が待っているかもしれない。
漫然と会社勤めを続けるより、すばらしい出会いがあって人生を切り開いていけるなら、少なくとも後者のほうがモチベーションは上がりますよね。
持ち家があるとか、結婚しているとか、貯金があるとか、それらが安定した人生の証しという価値観は変わりつつあります。個人的にはおカネよりも人間関係のほうが大事だと思っているんです。リンダ・グラットン氏のいう無形資産にも通じます。いい友人がたくさんいて、共同体感覚をもっていれば、そんなに困ることはないんじゃないか。
その共同体では何もかも自分で背負うのではなく、自分のできることを共同体に提供できればそれでいい。コミュニケーション能力が高くなくても、共同体の中でその能力に秀でた人に助けてもらえばいいんです。そうした相互作用が今後、社会のセーフティネットになっていくのではないかと私は見ています。
■テイカーでなくギバーになれ
では、これから40代がどこに共同体を求めるか。会社共同体はすでに崩れかかってきているし、シェアハウスにも抵抗がある世代です。拙著『レイヤー化する世界』(NHK出版)にも書いたんですが、まずは複数の共同体に所属することです。スポーツのチームとか、ボランティア活動とか、あるいは飲み仲間でもいい。顔が見えていることが大事。
ちなみにインターネットはその共同体を維持するための手段です。疎遠にならない仕組みがSNSによって可能になりました。リアルの関係性とそれを支えるネットの存在という相互作用で、コミュニティが形成されている。こうした共同体感覚を複数の場でもつことが重要です。
もうひとつは「奪おうとしないこと」です。アダム・グラントが『GIVE & TAKE』(三笠書房)という書で指摘したとおり、これからはテイカー(自分の利益を優先する人)ではなく、ギバー(惜しみなく与える人)が成功する。インターネットの存在やフラット化した組織で、テイカーは可視化されやすくなってきましたから、最終的には「あの人はずるい」と信頼を失うでしょう。逆に自分の損得を考えずに人に情報を提供したり助けたりしている人は、短期的には損をしているかもしれないけど、長期的には信頼度が高まって得をする。そういうギバーになることが大事です。
私自身、人に何か頼まれたとき、引き受けるかどうかの基準って、その人がいい印象だったかどうかが結構重要なポイント。損得で考えないとおカネがなくなるのではないかと思いきや、意外にそうでもない。またどこかから仕事の依頼が降ってきて収入につながる。この10年くらいで学びました。
また今の時代、大事なのは経済的貧困ではなく文化的貧困に陥らないことです。たとえばIターンして年収200万円という人は少なくありません。では、彼らは貧困かというと、そうとは限りません。
彼らにはコミュニティがあるし、近所の農家から野菜や米をもらって生活しているから、おカネもそんなにかからない。一方、年収が400万円あっても、都心に住んで高い家賃を払って友人も少なくて、毎日コンビニ弁当を食べている。どちらが文化的貧困かは明白でしょう。
先日、NPOグリーンズ代表の鈴木菜央さんと可処分所得の話をしていたんですが、年収1000万円を稼いでいても、専業主婦の奥さんと子供が2人いたら、結構カツカツです。そのうえ、多くの人は年収に見合った生活を送ろうとしたがる。やたらと高層のマンションに住んでみたり、輸入車を買ってみたり。すると日々の生活がますます苦しくなる。
でも年収200万円で、生活にかかるおカネが100万円。残りが可処分所得になるのだとしたら、月に1度は東京の高級フレンチにも行ける。車だって、とりあえず走れば中古のカローラでいい。そっちのほうが、よっぽど豊かな生活といえるのではないか。
もちろん文化的貧困の度合いを定量的に測ることは難しいのですが、少なくとも「こうあらねばならぬ」という呪縛から抜け出してみてもいいんじゃないかな、と思いますね。
私は20代の友人がたくさんいるんですが、彼らを見ていると、人と仲良くなるのが非常にうまい。あっという間に知らない者同士でつながっていくし、年齢なんか誰も気にしないんですよね。ヒエラルキーの世界で生きていないんです。
役所や大企業にいる人は、入社年次をやたらに気にする。自分より上か下か、その序列で関係性が決まるからです。要するに自分のポジショニング。でも今は、年齢による感覚の違いはなくなりつつあります。40代でも60代でも、20代と同じ音楽を聴いていたりする。フラットな社会では自分のポジションを規定しにくいんです。何を軸にしていいかわからないから、ともかく知らない人とでも仲良くなっておく。彼らが意識しているかどうかは別として、それがフラットな社会の生存本能だと思います。
■ヒエラルキーが壊れると死ぬまで働ける
「若い世代とどう付き合っていったらいいかわからない」という声も耳にしますが、そういう人は年齢とか経験値でマウンティングしているんじゃないかな。大事なのは、自分が偉いと思わないことです。
私自身、会社員時代はそうした序列にどっぷり浸かっていましたけど、テクノロジーやメディアなど、常に動き続ける対象を取材してきたせいか、自分がかつてもっていた知識や経験にあまり価値を置かなくなりました。新聞記者時代の経験で役に立っていることといえば、インタビュー力ぐらい。
ヒエラルキー構造が崩壊すると何が起こるか。死ぬまで働けるんですよ。相互作用の社会は特にそうです。ヒエラルキーの中では自分の居場所が固定されますが、相互作用の社会なら、その人の能力や人柄、あるいは人間関係によってその都度、居場所が変わっていく。40歳のときにできる相互作用もあれば、80歳のときに生まれる相互作用もあります。そう理想どおりにいくかどうかは別としても、全体としてそういう方向にいかざるをえない。『ライフ・シフト』の100年人生の生き方にも通じると思います。
これからの長い人生をどう生きるか。ロールモデルとなる存在はいません。従来の価値観に縛られている人は、暗澹(あんたん)たる気持ちになるかもしれない。でも変化を楽しめるかどうかが大事。どうせ価値観も働き方も激変していくんですから、楽しまないともったいないと思いますよ。
佐々木 俊尚(ささき・としなお)/ジャーナリスト。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。毎日新聞記者、月刊アスキー編集部を経て、2003年よりフリージャーナリストとして活躍。ITから政治、経済、社会まで、幅広い分野で発言を続ける。最近は、東京、軽井沢、福井の3拠点で、ミニマリストとしての暮しを実践。『キュレーションの時代』(ちくま新書)、『レイヤー化する世界』(NHK出版新書)、『家めしこそ、最高のごちそうである。』(マガジンハウス)、『そして、暮らしは共同体になる。』(アノニマ・スタジオ)など著書多数。
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