かぐや姫 神田川 - YouTube https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%8B%E3%81%90%E3%82%84%E5%A7%AB++%E7%A5%9E%E7%94%B0%E5%B7%9D「中学校の卒業式の日、担任の先生が教室でギターの弾き語りをしてくれた。それが「神田川」(1972年、かぐや姫)だった。歌い終わると、最後の歌詞の意味が分かるかとクラスに問いかけ、誰も答えられないのを見て、その男の先生がこういった。 “あと10年もすれば分かる日が来るだろう。これは人生の宿題にしておく。”」 その最後の歌詞とはこうである。 「若かったあの頃 何も怖くなかった ただ貴方のやさしさが 怖かった」 つまり友人女性から「“貴方のやさしさがナゼ怖かったのか”という意味が今になってもよく分からないから教えてほしい。貴方は国語教師だから分かるでしょう」というわけである。 歌詞の全体を紹介しておかないとフェアではないので、ちょっと長くなるが次のとおり。 「貴方はもう忘れたかしら 赤い手ぬぐいマフラーにして 二人で行った横丁の風呂屋 一緒に出ようねって 言ったのに いつも私が待たされた 洗い髪がしんまで冷えて 小さな石鹸カタカタ鳴った 貴方は私の身体を抱いて 冷たいねって言ったのよ 若かったあの頃 何も怖くなかった ただ貴方のやさしさが 怖かった」 いろんな答えが紹介される。 1 あなたから優しくされればされるほど、いつか別れの日が来たとき、つまり、今の幸せが失われたときのショックは逆に大きくなると思って怖くなる、だからそんなに優しくしないで。 これが著者の答えだが、直感に頼り過ぎる読み方として友人女性からあえなく却下される。 次に、歌詞の範囲から導けるぎりぎりの論理的な答えとして 2 私を粗末に扱う一方で、優しくもしてくれる貴方。もしかしたら、ほかに好きな人がいるのではないか。その優しさは偽りの優しさなのではないか。そう思うと怖くなる。 ところが、「この答えはあまりにもありふれていて“人生の宿題”にはなりません」と、これも否定される。 とうとう白旗を掲げた著者だが、意外にも同僚の数学教師から次のような解答が導かれる。 3 この女性は彼との同棲生活に多少の不安を持っています。悪い人間ではありませんが、理想や夢ばかり追って地に足がついていないような、まあ、男はみなそうですが、そういう人間として彼を見ている。もしかしたら別れることを考えていたのかもしれません。 ところが、彼がときどき見せる優しさに触れると、その決意はたちまち揺らいで、またしても彼の胸の中に包み込まれてしまう。コントロールが利かなくなるのです。 神田川は学園紛争全盛の時代を回顧した歌です。当時は親も教師も警察も怖くはなかった。強く出てきたら強くやり返せばよかった。しかし彼は違います。ここというところで優しく接してくるのです。それは無意識のものでしょうがその優しさを前にすると、彼女は険を削がれ無防備になってしまう。自身が操縦不能になってしまうのです。だから、彼の優しさだけが怖かったのです。」 模範解答があるわけではないが、“大人の知恵が盛り込まれている”この解釈こそが正しいと著者は確信する。この新解釈を友人女性に告げると、大いに納得した様子だったが、こうも言った。 「ほんとうは作者に正解が聞けるといいんだけどね」 実はここからがこのブログのポイントになるのだが、著者に言わせると「それはちょっと違う!」 「作者に正解を聞いてもあまり期待できません。理由は簡単です。作者が自分の思いを正確に表現できているとは限らないからです。正解は作者の頭の中にあるのではなく表現の中にこそあります。問うべきは書き手はどういうつもりで書いたかではなく、どう読めるかです。“読み”は文字どおり読み手が主導するものなのです。」 https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/008bae948eae11c931eabc1b013915bb
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