http://www.asyura2.com/16/warb19/msg/434.html
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(回答先: 真珠湾攻撃75年目の真実 〜なぜ対米通告は遅れたのか? 通説は「完全な誤り」だった(現代ビジネス) 投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 12 月 31 日 02:26:05)
対米戦争開始から75年を経過してもなお、対米通告の遅延問題が中心的話題になっていることが日本政治思想の停滞性を物語っている。
石油禁輸をはじめとする様々な経済制裁を科されていた1941年12月の状況において、日本が対米戦争に踏み切らなければならない理屈(必要性)や対米戦争回避の選択肢に関する吟味(“損得勘定”)がきちんと議論されるべきなのに、ほぼ等閑視されている。
経済制裁を打ち破り自立自存の道を進む選択をしても、対英蘭戦争は不可欠だが、対米
戦争は必要ではない。(日本から米国に戦争を仕掛ける必要はなく、米国が参戦の世論を醸成して対日戦争に踏み切ることができたなら受けて立つ流れ)
この問題については、今年7月に投稿した
「1941決意なき開戦 堀田江理著 真珠湾攻撃までの道のり描く:正統的な政治学や歴史学では解けない対米開戦の理由」
http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/954.html
を参照していただきたい。
次の疑問を提示したいのは、1941年12月7日(米国時間)に手交することになっていた「対米通告」文書の性格である。
井口氏は、手交が遅れた原因が軍部とりわけ陸軍参謀本部と外務省本省にあるという総括をしているが、あの通告が期限通り(真珠湾攻撃開始前)に手交されたとしても、「宣戦布告のない奇襲攻撃」という米国政権の非難やその説明を受けた米国民の怒りを回避することはできなかったという視点が欠落している。
幸いなことに井口氏は通告の内容について書かれているので、それを読み解けば、あの「通告」が宣戦布告とは言えないことがわかる。(末尾に関連個所引用)
結論を言えば、あの通告は、日米交渉の打ち切りを宣言したものであり、宣戦布告を意味するものではないから、「宣戦布告のない奇襲攻撃」=“騙し討ち”という謗りを免れることはできないのである。
交渉の打ち切りがそのまますぐに戦争を意味しないことは、井口氏が、「ハル・ノートに絶望して対米開戦を決意した日本政府は、米国に企図を察知されないため、身内であるはずのワシントンの日本大使館にも、対米開戦について秘匿し続けました」と説明していることからも類推できる。
「直前の11月28日付の「844号電報」では、ワシントンの野村吉三郎大使に、「実質的ニハ打切トスル他ナキ情勢ナルカ先方ニ対シテハ交渉決裂ノ印象ヲ与フルコトヲ避ケルコトトシ」と警告して」も、駐米日本大使らが対米開戦近しと判断しない(対米開戦を秘匿できる)のなら、真珠湾攻撃前に米国連邦政府が、「合衆国政府の態度に鑑み今後交渉を継続するも妥結に達するを得ず」という通告を受け取っても、日本がすぐに戦争を仕掛けてくると判断しない(国民向けに騙し討ちと説明できる)のは自然である。
最後に、井口氏の言説で奇妙に感じるのは、
「14部は、原案では「合衆国政府が現在の態度を持続する限り今後交渉を継続するも妥結に達するを得ず」と、条件付きで交渉打ち切りを通告する内容でした。それを、「合衆国政府の態度に鑑み今後交渉を継続するも妥結に達するを得ず」と、手書きで改められました。
ルーズベルト大統領は親電の中で、友好と和平を訴えています。そのため原案のままでは、「米国が友好的態度を続ける限り交渉は妥結しない」と解釈されてしまうため、修正する必要があったのです。」
の部分である。
真珠湾攻撃に向け機動部隊の作戦が発動されているのだから、ルーズベルト大統領の天皇向け親電に何が書いてあろうとも、「合衆国政府が現在の態度を持続する限り今後交渉を継続するも妥結に達するを得ず」と条件付きで交渉打ち切りを通告する内容ではなく、「合衆国政府の態度に鑑み今後交渉を継続するも妥結に達するを得ず」と通告するほうが“誠実”と言える。
「合衆国政府が現在の態度を持続する限り今後交渉を継続するも妥結に達するを得ず」と、“米国の交渉態度が変わることを期待する”内容を書きながら、すぐさま真珠湾攻撃=対米戦争に踏み切っていればより大きな非難を浴びることになるだろう。
【オリジナルスレッドからの引用】
「近藤:真珠湾攻撃に関しては、アメリカ側から、宣戦布告のない奇襲攻撃だったとの非難を受けています。」
「井口:開戦直前の11月28日付の「844号電報」では、ワシントンの野村吉三郎大使に、「実質的ニハ打切トスル他ナキ情勢ナルカ先方ニ対シテハ交渉決裂ノ印象ヲ与フルコトヲ避ケルコトトシ」と警告しています。
また、米国との交渉最終期限になっても交渉打ち切りをまったく通報せず、交渉打ち切りの結論部分の最終覚書を、開戦当日の12月7日朝(ワシントン時間)にようやくワシントンの日本大使館が受領し、その後、同日午後1時にアメリカ政府に手交すべき訓令が届いたのです。
真珠湾攻撃開始は、その約20分後の同日午後1時19分です。
すなわち、ハワイ奇襲攻撃機の空母発艦まで交渉を続けるような外交姿勢を保持しながら、外交関係の断絶通告も最後通牒も出さないまま、真珠湾を爆撃したというわけです。
大使が米国側に対米覚書を通告したのは、同日午後2時20分のことでした。真珠湾攻撃から1時間が経っていました。その後、ワシントンの日本大使館が通告遅延の全責任を負わされた。これが真相です。」
「14部は、原案では「合衆国政府が現在の態度を持続する限り今後交渉を継続するも妥結に達するを得ず」と、条件付きで交渉打ち切りを通告する内容でした。それを、「合衆国政府の態度に鑑み今後交渉を継続するも妥結に達するを得ず」と、手書きで改められました。
ルーズベルト大統領は親電の中で、友好と和平を訴えています。そのため原案のままでは、「米国が友好的態度を続ける限り交渉は妥結しない」と解釈されてしまうため、修正する必要があったのです。」
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