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真珠湾攻撃75年目の真実 〜なぜ対米通告は遅れたのか? 通説は「完全な誤り」だった(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/16/warb19/msg/430.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 12 月 31 日 02:26:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


真珠湾攻撃75年目の真実 〜なぜ対米通告は遅れたのか? 通説は「完全な誤り」だった
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50619
2016.12.30 近藤 大介 『週刊現代』編集次長 現代ビジネス 


■通説は「完全な誤り」

日本時間の12月28日早朝、安倍晋三首相が、現職の首相として初めて真珠湾を訪問し、オバマ大統領とともに日米和解のスピーチを述べた。

このテレビ映像を、万感の思いで見守っていたのが、井口武夫元ニュージーランド大使(86歳)である。父親は、1941年12月の日米開戦時、ワシントンの日本大使館で参事官を務めていた井口貞夫元駐米大使。日米開戦当時、11歳だった井口武夫氏も、ワシントンで日本大使館が混乱していく様子を、鮮明に記憶しているという。

そんな井口氏が、生涯をかけて取り組んでいるのが、なぜ真珠湾攻撃の際の日本の対米通告が遅れたのかという問題である。

2008年に『開戦神話――対米通告はなぜ遅れたのか』(2011年に『開戦神話――対米通告を遅らせたのは誰か』として増補改訂)を出版した井口氏が、最新の研究によって明らかになった真珠湾攻撃と日米開戦の真実について明かした。

             

以下、井口氏との一問一答である。

近藤:安倍首相が真珠湾で、17分近くにわたるスピーチを行いました。これをお聞きになってどう思われましたか。



井口:非常に画期的な出来事だったと思います。それと同時に、これで日米開戦の問題にフタをして、おしまいにしてはならないという思いです。

近藤:真珠湾攻撃に関しては、アメリカ側から、宣戦布告のない奇襲攻撃だったとの非難を受けています。

東京裁判では、外務省幹部たちが「最後通牒のアメリカへの手交が遅れたのは、ワシントンの日本大使館の怠慢のせいだった」「日本大使館が最後通牒の案文の修正に手間取ったからだ」などと証言し、それらが通説となってきました。

でも、そうした俗説は誤りだったのですね。

井口:完全な誤りです。

陸軍参謀本部が米国に開戦の意図を察知されることを恐れて、最後通牒をアメリカ側に通告するのを遅らせようとした。それに外務省本省が協力させられたのです。

ハル・ノートに絶望して対米開戦を決意した日本政府は、米国に企図を察知されないため、身内であるはずのワシントンの日本大使館にも、対米開戦について秘匿し続けました。

井口:開戦直前の11月28日付の「844号電報」では、ワシントンの野村吉三郎大使に、「実質的ニハ打切トスル他ナキ情勢ナルカ先方ニ対シテハ交渉決裂ノ印象ヲ与フルコトヲ避ケルコトトシ」と警告しています。

また、米国との交渉最終期限になっても交渉打ち切りをまったく通報せず、交渉打ち切りの結論部分の最終覚書を、開戦当日の12月7日朝(ワシントン時間)にようやくワシントンの日本大使館が受領し、その後、同日午後1時にアメリカ政府に手交すべき訓令が届いたのです。

真珠湾攻撃開始は、その約20分後の同日午後1時19分です。

すなわち、ハワイ奇襲攻撃機の空母発艦まで交渉を続けるような外交姿勢を保持しながら、外交関係の断絶通告も最後通牒も出さないまま、真珠湾を爆撃したというわけです。

大使が米国側に対米覚書を通告したのは、同日午後2時20分のことでした。真珠湾攻撃から1時間が経っていました。その後、ワシントンの日本大使館が通告遅延の全責任を負わされた。これが真相です。

近藤:通告遅延の経緯を、具体的に順を追って説明してください。

井口:通告文書は、いわゆる「902号電報」ですが、全文が長かったため、日本時間の12月6日午後8時30分から14部に分けて、通告全文を、外務省電信課から東京電報局を経由して、ワシントンの日本大使館宛てに発電開始しました。1部から順に始めて、13部を7日午前0時20分に送信しています。 

最後の14部は結論部分で、最重要の部分でした。14部は午前1時には打ち終えて、それから1時間以内に東京電報局から米国向けに中継される手筈でした。予定通りなら、ワシントンの日本大使館は、米国東部時間で12月6日のうちに、全14部と訂正電報を受領していたはずです。

つまり、ワシントンの日本大使館では、米国東部時間で6日深夜には全文を解読し、タイプ浄書できたのです。その時点で、真珠湾攻撃までまだ半日の余裕がありました。

近藤:ところが、そうはならなかったわけですね。

井口:なりませんでした。14部が東京から発電されたのは、日本時間の7日午後4時でした。軍部と外務省本省が、意図的に14部の発電を、15時間も遅らせたのです。

■軍部、恐るべし

近藤:前述のように、真珠湾の奇襲攻撃をアメリカ側に悟られることを恐れたわけですね。

井口:その通りです。さらに、ルーズベルト大統領の「親電」問題も加わりました。

日本時間12月7日正午、ルーズベルト米大統領からグルー駐日米国大使に宛てた、昭和天皇への親電が、東京電報局に届きました。

この親電を陸軍が差し押さえ、その解読が完了するまで14部を打電しないよう、外務省に圧力をかけたのだと思います。その間に、陸軍と外務省が親電を極秘に解読し、内容を検討した結果、14部に修正を加えたのでしょう。

グルー駐日大使にルーズベルト大統領の親電が届けられたのは、東京電報局への入電から10時間半後でした。

そしてグルー大使から親電を受け取った東郷外相が、天皇陛下にお見せする翻訳全文の決裁を終えたのは、それからわずか1時間15分後のことです。

陸軍などが事前に親電を解読し、要約文のようなものができていたからこそ、そのような神業に近い作業が可能となったのでしょう。

井口:また、14部が打電されたのが7日の午後5時であることとも、時間的に符合します。

14部は、原案では「合衆国政府が現在の態度を持続する限り今後交渉を継続するも妥結に達するを得ず」と、条件付きで交渉打ち切りを通告する内容でした。それを、「合衆国政府の態度に鑑み今後交渉を継続するも妥結に達するを得ず」と、手書きで改められました。

ルーズベルト大統領は親電の中で、友好と和平を訴えています。そのため原案のままでは、「米国が友好的態度を続ける限り交渉は妥結しない」と解釈されてしまうため、修正する必要があったのです。

近藤:わずか1日、2日のうちに、ずいぶんといろんなことが起こっていたんですね。

井口:軍部は、他にも細工をしていました。日米開戦の1ヵ月前にあたる1941年11月8日、ワシントンの野村大使から東郷茂徳外務大臣宛てに、重要訓電は時間的余裕をもって発信されるようにという要請をしています。

その中で、今後は重要電報には、冒頭に「very urgent」(大至急)と付けるようにと要請しています。なぜなら、「very urgent」とあれば、電報を受け取った米国の通信社が24時間対応して、深夜だろうが日本大使館に届けてくれるからです。それがただの「urgent」(至急)だと、他のものと一緒に翌日回しにされてしまうからです。

ところがなんと、大至急で処理すべき対米最終覚書の電報「902号電報」には、「urgent」(至急)の表示さえなかった。

そのため、ワシントンの日本大使館では、他の至急度指定の電報を優先的に解読するという混乱が生じたのです。

さらに、「902号電報」14部と訂正電報2通を米国政府に7日午後1時に手交せよという「907号電報」は、外務省本省での作成時には「大至急」となっていました。

ところが東京電報局で中継された際に、参謀本部通信課の干渉を受けて、「至急」に改竄されてしまいました。そのため、ワシントンの通信社が日本大使館に配達するのを、翌朝回しにしてしまったのです。

近藤:すべては東京の軍部によって仕組まれていたというわけですね。

井口:そうです。他にも、米国政府に手交した「対米最終覚書」が、ハーグ条約に従った国際法上の最後通牒ないしは開戦通告ではなかったという問題もあります。

開戦当時、東郷外相の下で戦争回避に尽力した山本熊一米国局長が、12月3日から5日にかけて、この原文を起案しました。その結論部分は、「将来発生する一切の事態に付ては合衆国政府に於てその責に任ずべきものなる旨合衆国政府に厳重に通告するものなり。」となっていました。

つまり、武力行使の可能性を警告する最後通牒の形式を取ったわけです。日本は、日露戦争でも第一次世界大戦でも最後通牒を出していますので、同様に国際法に従ったわけです。

ところが、12月6日の大本営・政府連絡会議で、軍部が、米国に開戦意図を秘匿するため削除を要求しました。結局、改まった結論部分は、「今後交渉を継続するも妥結に達するを得ずと認むる他なき旨を合衆国政府に通告するを遺憾とするものなり」。すなわち、交渉打ち切りのみを伝える文書にすり替わってしまったのです。

近藤:本当に、軍部恐るべしですね。

井口:そうなのです。今回の安倍首相の真珠湾慰霊の旅を契機として、開戦の真実を多くの人々に知ってほしいと思います。



 

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コメント
 
1. 2016年12月31日 07:52:59 : 0JFWqaUiq2 : i1dQ9OkWYyM[14]

つまり軍部が悪い。外務省は被害者だ・・・親子で外務省にお勤めの方の御意見。

 終戦後の占領下、開戦当時の駐米大使館の職員の破格の待遇とその後の抜群の出世ぶりを知っておる者には、上記の「真相」も裏が有りそうに感じる。 


2. 2016年12月31日 08:07:42 : 1qF0gYWAsA : VnNIzCCg@TA[4]
軍部が悪いのはそりゃそのとおりだろうが、問題はそうした体制をなぜ放置しここまで野放図にさせたのかというそもそも論に言及せねば、官僚一家の積年の恨みつらみの吐露で終わってしまうし、外務省も被害を受けたと言いたいのはわかるが当時戦争やむなしの国家体制を築き上げてしまっておいて、軍部の暴走を言われても共感できん。

3. 2016年12月31日 08:25:30 : 4wnaEWkfPM : Xyeda77IoQY[296]
外務省のトップがエージェントだった事実を隠蔽するために陸軍に罪をかぶせたい勢力が今存在していることがよーくわかった。

4. 2016年12月31日 09:57:07 : 1xowL8UA62 : 3Nv3TtE4PIo[36]
>日本時間の12月28日早朝、安倍晋三首相が、現職の首相として初めて真珠湾を訪問し、オバマ大統領とともに日米和解のスピーチを述べた。

冒頭からこんな書き出しの文章なんて読む気がうせた。
何が現職の首相として初めてなんだよ。

この人はタイムリ−に現在の情勢を掴んでいないのだろう。そんな状況で75年前の事実を正確に論評できるはずがない。

明日顔を洗ってから出直して来いと言いたい。


5. 2016年12月31日 10:29:27 : qNApj6abVo : pmR1FMr_lBA[31]
東京裁判で、ル-ズベルトには攻撃があると伝えていた、とアメリカ諜報部員。

日本からの電信を盗聴・解読していたと権限している。

アメリカの名誉回復裁判でも、ハワイ連合司令長官の名誉が、回復されている。

ルーズベルトが、伝えなかった事が、明らかになった。

アメリカ国民の戦争開始の動機にするため、わざと大敗を帰す陰謀であった。
911同時多発テロもしかりですね。アメリカも、進歩していないようです。

故に、真珠湾攻撃では罪に問われなかった。

はっきり、歴史教育で解説していません。日本が全て悪い、となっている。

敗戦国だからなんでしょう。歴史は勝者が書くものですから、、、

アメリカ国なんて、ゲスの国ですよ。 現地人から土地を奪い国を建てたのですからね。現地人の大半が殺戮されました。歴史が浅い国なのです。
中東の嫌われ国家;イスラエルと同じですかね?

アメリカと親しくしていた国は、全て反米になっている事実、あなた、どう考えますか?  

正体は、収奪国家なんですアメリカは。

日本の将来の姿が読めてきますね。


6. 2016年12月31日 11:10:42 : Uth8eW5rTM : nMv1Hu096QY[31]
> 真珠湾攻撃75年目の真実 〜なぜ対米通告は遅れたのか? 通説は「完全な誤り」だった

通説は正しい。
「ハル・ノートに対する対米覚書」という事であれば、大使館員は万全の態勢で入電を待機するのが当然だろう。しかし、大使館員全員が中華料理屋で寺崎英成書記官の送別会で出払っていて、この電報がとんでもなく重要なものだとは誰も認識していなかった[1]。
大使館員の使命感の無さと怠慢は言語道断である。

ソ連は、1945年(昭和20年)4月5日に、日ソ中立条約の破棄を通告した。
ソ連の対日宣戦布告はモスクワの日本大使へモスクワ時間1945年8月8日午後5時(日本時間:午後11時)に渡された。
ソ連軍の攻撃は8月9日午前零時に開始され宣戦布告との間は1時間。
しかし、その電報は日本へは発信できなかった[2]。
ソ連、今のロシアが如何に巧妙に事を運ぶ国であるかが良く分かる。
ソ連は大西洋から太平洋までの広大な領土を獲得した大侵略国家である。
日本とは月とスッポンである。

[1] 真珠湾攻撃のあとでわが国が対米宣戦布告をしたのは故意か過失か
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-asyuracom-221.html
ネットでいろいろ調べると、たとえば次のURLではこう纏められている。
http://royallibrary.sakura.ne.jp/ww2/gimon/gimon6.html
「12月6日午前6時30分(ワシントン時間、以下同じ)
 901号電発信。内容は「ハルノートに対する対米覚書を別電902号で送る。長文なので14部に分ける。極秘。アメリカ側通告時間は追って指示。いつでも手交しうるよう準備せよ」、通称パイロットメッセージ。 
時間不明 :「機密漏洩防止の為覚書作成にはタイピストを使わぬ事」の指示。
12月6日午前6時30分:902号電1部目発信、
12月6日午後0時30分:902号電13部目発信、
12月7日午前2時00分:902号電14部目発信
12月7日午前2時30分:904号電発信 内容は「7日午後1時(ホノルル時間7日7時30分、日本時間8日午前3時)に野村大使よりハル国務長官に本件対米覚書を直接手交せよ」
この最後の904号電が大使館に配達されたのは7日の午前7時頃。
電信員が解読してタイプが終わったのが午前10時30分、902号電14部目が午前11時30分。

しかし、ここで大使館員の不手際により、暗号解読、タイピング作業に予想以上の時間がかかり、開戦後のワシントン時間午後2時20分頃に宣戦布告文が手交された。」

この文書がどれだけ長文なのかと疑問を持ったので、国立公文書館アジア歴史研究センターのHPにその日本文及び英文が読めるので探してみた。
(文書を読むには、メインページに案内されているDjVuプラグインのダウンロードが必要。)
メインページ : http://www.jacar.go.jp/ 
該当ページ  : http://www.jacar.go.jp/nichibei/reference/index05.html
確かに長文ではあるが、「ハル・ノートに対する対米覚書」という事であれば、大使館員は万全の態勢で入電を待機するのが当然だろう。13部までが6日の昼過ぎに受信したのであれば、丸一日の余裕があるので充分に時間があったはずだ。最後の902電14部目は7日の未明に受信しているが、英語の原文はたかだか7行程度の文章だ。宇佐美保氏HPの次のURL にその英文が掲載されている。
http://members.jcom.home.ne.jp/u33/i%20think%20030719gmtyn.htm
通説に良く書かれている、「大使館員は英文の暗号解読やタイピング作業に手間取った」というのは、重要な事実を隠した書き方だ。事実は、こんなに重要な仕事があるにもかかわらず、米国大使館員は全員大使館を出払ってしまっていたという言い訳をしている。いったい何があったのか。

当時、アメリカ大使館の電信官であった堀内正名氏は、戦後の昭和21年6月20日に提出した「日米開戦当時華府大使館デノ対米通告ノ電報解読並ニ浄書ニ関スル事実ニ付テ」という回答書に、この日の経緯について驚くべきことを書いている。先ほど紹介した宇佐美氏のHPに原文が出ている。
「…電信課員ハ本件通告電報ノ十三本目迄ヲ処理シタ時ハ、之ガ緊急電報デモナカッタシ又内容カラシテ最後的ノ緊急且重大ナモノトハ認識セズ非常ナ緊迫ハ感ジナカッタ。…同夜(六日夜)(本件電報十三本目迄解読後)館員全部ガ支那料理屋デ寺崎書記官ノ南米転勤送別会ヲヤッテイタ様ナ次第デ、他ノ館員モ同様本件電報ヲ以テ最後的ノ重大電報トハ認メテ居ナカツタ様ニ思ウ。…」
なんと、大使館員全員が中華料理屋で寺崎英成書記官の送別会で出払っていて、この電報がとんでもなく重要なものだとは誰も認識していなかったというのだ。
また本来タイプを打つべき奥村勝蔵一等書記官は、緊迫の12月6日の夜の送別会の後に知人宅にトランプをしにいったという証言もあるのだそうだ。

何という緊張感のない職場だろうと思ってみても仕方がないが、それでも堀内氏は13本の電報は7日午前1時までに全部解読し、残りの電報が来るのを待ったが、午前5時半に帰宅。7日午前9時半ごろに電報がついている旨の電話連絡があり、午前10時に登庁して解読に着手。肝心な部分を原文のまま引用する。
「一、次デ普通電解読に着手セルガ、之対米覚書ノ第十四通目ニシテ其ノ出来上リタルハ丁度正午頃ニシテ、電信課員一同間ニ合フベシト思ヒ喜色アリタリ。」(同上HPより) と、12時ごろには解読が完了していたと書かれている。

奥村一等書記官が送別会の後に大使館に戻り、13本の浄書を早目に完成していたら、14本目の浄書を付け加えるだけの作業であり、それほど時間がかかるものではなかったはずだ。大使館から国務省までの道のりは徒歩10分程度だったので、約束の1時に届けることは余裕で間に合ったことなのである。
とすれば、奥村一等書記官は懲戒処分にされてもおかしくないほど罪が重いと誰しも思うのだが、全く処分されることなく1952年には外務省の事務次官に栄転し、1969年には勲一等まで授与されているのも妙な話である。
そもそも最後通牒よりも送別会を優先したことが真実なのだろうか。戦争が始まろうとしている緊迫した時期に、異動があったり送別会があるのも奇異に感じるのだが、本当に米国大使館の職員はこんなに怠惰だったのかと永年疑問に思っていた。

[2] ソ連対日宣戦布告
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A3%E5%AF%BE%E6%97%A5%E5%AE%A3%E6%88%A6%E5%B8%83%E5%91%8A
布告はモスクワ時間1945年8月8日午後5時(日本時間:午後11時)、ソ連のヴャチェスラフ・モロトフ外務大臣から日本の佐藤尚武駐ソ連大使に知らされた。事態を知った佐藤大使は、東京の政府へ連絡しようとした。モロトフ外相は暗号を使用して東京へ連絡する事を許可した。そして佐藤大使はモスクワ中央電信局から日本の外務省本省に打電した。しかしモスクワ中央電信局は受理したにもかかわらず、日本電信局に送信しなかった。


7. 茨城T[29] iO@P6VQ 2016年12月31日 12:45:01 : ApCwdxqObg : Jh5ct@PVMBs[1]
>井口:完全な誤りです。
 陸軍参謀本部が米国に開戦の意図を察知されることを恐れて、最後通牒をアメリカ側に通告するのを遅らせようとした。それに外務省本省が協力させられたのです。

〇やはり、そうでしたか。私もそう思っていました。
 宣戦布告をしないで開戦に入ること、それは国際社会では嫌われること、山本五十六が最も恐れていたことでした。
 昭和天皇と陸軍の暴走、これが日米開戦の真実ですね。


8. 2016年12月31日 18:30:56 : YRLPp57XEk : y9x2E_QQktI[43]
ところで何が通説なのかね。そんなものはないよ。受け止め方は日米で当時から全く異なっていた。その結果をうまく効果的に利用したのはアメリカだったこともわかっている。日本=悪のプロパガンダは大成功となった。

どこをどう訂正する必要があるのかね。本当に先に通告したいならやり方は他にいくらでもあったはず。日本は通告を遅らせ不意打ちで攻撃を成功させたかったしアメリカは汚い日本が先に攻撃を仕掛けたとして厭戦気分のあった米国民の気持ちを一気に開戦へと動かすことに成功した。

どこも訂正の必要はない。


9. 2017年1月01日 00:30:19 : zTCiy2Y4p6 : EdMOhdK2TcU[1]
東京裁判は米国にとっては「騙し討ち」の責任者をあぶり出し、

「殺人罪」として裁くのが主たる狙いでもあったが、

法廷の審理で通告遅れは故意ではなく不測の過失だったことが認められ、

判決文は訴因から除外している。

つまり、東京裁判では奇襲攻撃は明確に否定されているのである。

そもそもアメリカは当時すでに暗号の解読に成功しており

文書が手交される前に内容を知悉(ちしつ)していた。

ルーズベルトは12月6日の午後9時半過ぎに十三部を読み、

「これは戦争ということだね(This means war.)」とつぶやいたという。

アメリカは日本が戦争を始めるという事をとっくに知っていたのである。

ハルノートを突き付け日本を戦争に仕向けたのはアメリカだ。


10. 2017年1月01日 10:54:30 : CNwfthizyY : N1PCOpNvv38[1]
通達が間に合おうが間に合わなかろうがどのみち負けていただろう。
真珠湾後も次々に戦線を拡大していった驕り高ぶった日本軍の動きを見れば
敗戦は必然。
陰謀論に縋る失敗を認めたくない愚かな者たち。
自作自演の9.11などとは明らかに性質が異なるのである。

11. 2017年1月01日 10:58:46 : CNwfthizyY : N1PCOpNvv38[2]
ここで歴史を直視せず「悪いのはアメリカだ!」と喚く連中に限って
オスプレイや日米地位協定を有難がるのである。
支離滅裂である。

12. 2017年1月01日 11:14:50 : CNwfthizyY : N1PCOpNvv38[3]
「仕向けられた」と言いながら一方では大東亜戦争だの聖戦だの解放だのと美化するの何なのか。
次々と他国に攻め入った点では同じだろう。真珠湾に戦艦いようがいまいが同じである。
逃げ遅れた艦船に爆撃を加えただろう。
都合の良いことは「自分達のおかげ」都合の悪いのことは「外国のせい」
これでは歴史を直視することは出来んね。

13. 2017年1月01日 18:19:28 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1102]
>>11>>12さんの まことに仰る通りなのである、真珠湾が米国のやらせだとか謀略だとかの論理は 単なる責任転嫁
米国による策謀が 多少はあったとしても あの戦争の原因の大部分は 日本側に有る事は厳然たる事実
ただし この 「宣戦布告の遅れ」 についてだけは、本当に 外務省官僚の怠慢やミスだったのか怪しい

それは 戦後 野村吉三郎に対する米国の態度に、なにやら意図が感じられる訳で それはウィキでも確認できる
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戦後[編集]

終戦後の1946年(昭和21年)8月に、野村は公職追放となるが、アメリカ対日協議会[3]の面々[4]は積極的に野村に近づき、定期的に(違法ではあるが)食料や煙草を送り、経済的に苦しい野村の便宜を図った。メンバーの一人であるウィリアム・リチャーズ・キャッスルは、野村を「日本を正しい道筋で、再び重要な国家となるように再建するのに役立つ人物の一人だ」と評した。

1953年(昭和28年)3月24日、同郷の松下幸之助に請われ、松下電器産業の資本傘下となった日本ビクターの社長に就任。空襲による会社や工場施設の焼失、戦後の労働争議などでの危機的経営を創生期の親会社で疎遠となっていたアメリカRCAと技術支援契約を結び再建の道筋をつける。

追放解除に伴い、吉田茂の要請で再軍備問題の調査にあたり、海上自衛隊の前身、海上警備隊創設に深く関わる。これが縁で1954年(昭和29年)の第3回参議院議員補欠選挙(和歌山選挙区)に出馬・当選し、参議院議員となり、続く第5回参議院議員通常選挙(和歌山選挙区)にも当選した。

この54年の参院選を、CIAが資金提供および選挙対策で支援しており(選挙資金の管理は藤村義朗元海軍中佐)、CIA日本支局長ポール・ブルームが当選を祝福する手紙を送っている。また、野村とアレン・ダレスとの連絡役だったアメリカ対日協議会のハリー・カーン(『ニューズウィーク』外信部記者)は、CIAにも関係していた国務省企画部長フランク・ウィズナーに、野村をポスト吉田の首相候補とみなしてその当選を喜ぶとともに、「われわれの機関の政治問題の情報提供者だった」として、野村がCIAや国務省への情報提供者であるとの報告をしている。55年の保守合同後に鳩山一郎が台頭し、緒方竹虎が急死してからは、CIAは岸信介を総裁候補に見立てて資金提供を開始している[5]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%9D%91%E5%90%89%E4%B8%89%E9%83%8E
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どうでしょう、まるで 悪者にしてしまった野村への“罪滅ぼし”みたいなものを感じるのは私だけでしょうか


14. 2017年1月09日 03:17:14 : PVaNSG1p8U : NgaS5349thY[4]

日本共産党の不破氏の弁によると、スターリンはもちろんのこと、ソ連共産党も中国共産党も間違ってるんだそうで・・??
要するに「正当な共産主義思想を継承しているのは、我が日本共産党しかない」と言いたいんだろう。
そもそもの創始者マルクスがサタニストだった事実を知らないわけでもあるまいに。(知らないふりか)
先の大戦への関与についても、「平和主義の我が党は戦争反対の立場をとっていたから、当然戦争責任など爪の先ほども無い」と主張してるが・・どう考えても無理筋だ。


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NAVERまとめ

日本人が知らなければならない歴史の真実【ソ連の策略】【拡散希望】

日本とアメリカが戦争しなければならなくなったのはソ連のせいです。

更新日: 2015年05月08日 nippondesuさん
https://matome.naver.jp/odai/2130527430107993901


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大東亜戦争とスターリンの謀略
http://bewithgods.com/hope/japan/25.html


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マスコミが報道しないニュースを伝える市民有志の会のブログ

ソ連のスパイに操られたルーズベルト政権と戦った日本

2016-05-05 21:18:30
http://ameblo.jp/anti-slantedmedia/entry-12157308219.html(全文転載)


●先の戦争の責任は誰にあるのか?今の日本は、日本政府さえも事実が分かっていながら、国会議員、地方議員が下手に発言をしようものなら、簡単に首が飛ぶ。国民の意識が変わりつつある現状でも、日本人が本当のことを言えない。街頭では、民族差別、人種差別とは全く関係のない演説をしていても、「ヘイトスピーチ辞めろ!」「差別主義者帰れ!」と罵詈雑言の嵐です。と思えば、一方では「天皇制反対」「天皇は戦争犯罪者」などと、とても日本国内とは信じがたいデモ、あるいは日章旗を侮辱するデモが公然と行われています。これだけ見ても、戦後の日本がどれだけ狂っているかお分かりでしょう。

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●戦争責任は誰にありますか?それは、国内だけで言えば日本共産党でしょう。「戦争法案」反対、「平和を守れ」とは良く言ったものです。日本が日米開戦に突入していった原因は、世界恐慌や覇権争いで世界侵略を繰り返してきた欧米諸国がとうとう太平洋で、日本と直に対峙することになってしまった等色々ありますが、日米開戦を仕組んだもの達がいたことをなぜ日本のマスコミは無視するのか?先日、パナマ文書が公開され、世界を衝撃の渦に巻き込みましたが、同様に1995年にアメリカが公開した「ベノナ文書」もそれ以上に日米にとっては、衝撃の事実だったはず。それなのに、マスコミは無視しました。当然、国民は報道されないので知らないまま。


以下は1995年アメリカの国家安全保障局が公開した『ヴェノナ文書』(ソ連のスパイの暗号文を解読した)によります。『ヴェノナ文書』は現在全世界に公開されており、CIAのサイトでどなたでも閲覧することが可能です。

◆コミンテルンの動向:1919年レーニンは世界に共産主義革命を起こすため国際共産主義ネットワーク『コミンテルン』を設立。日米両国を戦争へと誘導するためアメリカにアメリカ共産党、日本にコミンテルン日本支部日本共産党を設立。日本を敗戦に追い込んで共産主義革命を起こすことを目指した。満州事変後、中国を支援するため各国の共産党に対日経済政策を行う様に指示。1933年、第7回コミンテルン大会で、米,英を日,独と対立させソ連の味方にするように指示。

◆アメリカ共産党の動向:アメリカ国内で、日本と闘う中国を支援する世論を形成するために『アメリカ中国人民友の会』という国民運動組織を作った。数々の出版社に仲間を送りこみ「日本=侵略国家」の世論を形成した。『反戦・反ファシズムアメリカ連盟』という外郭団体を作った。教職員組合(AFT),産業別労組(CIO),アメリカ反戦会議,宗教界,スポーツ界,芸術界を集めて反戦の為の国民運動組織を作る。日本を侵略国家と位置付け、アメリカの敵を共産主義国家ソ連、中国から日本へ転換させるのが目的。アメリカのシンクタンク『太平洋問題調査会(IPR)』を乗っ取り、シナ事変以降次々と反日的な政策を提案する。シナ事変の翌年、『日本の中国侵略に加担しないアメリカ委員会』をニューヨークで結成した。『AMERICA’S SHARE IN JAPAN’S WAR GUILT』というパンフレットを6万部作って、連邦議会,キリスト教団体,労働組合に配布してロビー活動を開始。日本の中国侵略に加担しない為に、アメリカは中国を助けるべきだと宣伝した。

◆太平洋問題調査会(IPR)の動向:日本の中国侵略を批判するブックレットを刊行。『汝の敵日本を知れ!』という啓蒙用の反日パンフレットを米軍,政府関係者に大量に供給した。宣伝映画『Know the Enemy』を軍人達に見せ「日本は世界征服を企てている」「国家神道で日本人を洗脳し中国で南京大虐殺をやった」と洗脳していった。盧溝橋事件の1カ月前に毛沢東、周恩来と秘密の会談をし、盧溝橋事件が起こると直ちに「日本は中国を侵略した」と反日キャンペーンを開始した。

◆反戦・反ファシズムアメリカ連盟の動向:1937年、名称を『アメリカ平和民主主義同盟』に変更。日本の中国侵略反対デモや対日武器禁輸を国会に請願する活動を開始した。平和を唱っているが目的は日米戦争勃発。『中国支援評議会』という実動部隊を設置し、コミンテルンが事務局を乗っ取った。全米で徹底的な反日運動を始める。

◆アメリカ政府の動向:ルーズベルト大統領は、対日牽制の意を込めて中国国民党政府に2千5百万ドルの借款金を決定する。1941年3月、ルーズベルト大統領はラフリン・カリー大統領補佐官(ソ連のスパイ)を蒋介石政権に派遣し対中軍事援助について協議。4月カリー補佐官は日本を中国大陸から約5百機の戦闘機や爆撃機で空爆するJB355計画を立案。7月大統領は承認。しかし間に合わなかった。同月、財務省通貨調査局長ハリーデクスター・ホワイト(ソ連のスパイ)の提案で在米日本資産は凍結され、日本の金融資産は無価値となり、日本は実質的に破産に。11月ホワイトは対日最後通牒となったハルノート原案を作成し、東條内閣を対米戦争へと追い込んだ。

◆FBIの動向:FBIはIPRがおかしい事に気づき1944年IPRにスパイが入り込んでいる可能性を極秘調査報告している。ルーズベルト大統領にIPRに調査を入れる事を求めたが許可されなかった。

◆日本の外務省:1938年7月、若杉要(ニューヨーク総領事)は、宇垣一成外務大臣に対して機密文書を提出している。「シナ事変以降アメリカの新聞社は、日本の侵略からデモクラシーを擁護すべく苦闘している中国という構図で中国の被害をセンセーショナルに報道している。ルーズベルト政権と議会は、反日報道に影響を受けた世論によって、どうしても反日的になりがちだ。在米反日宣伝組織は、共産党系が主導権を握り『反ファシズム、デモクラシー擁護』が各種団体の指導原理となってしまっている。アメリカ共産党の真の狙いは、デモクラシー擁護などではなく、日米関係を悪化させてシナ事変を長期化させ、結果的に日本がソ連に対して軍事的圧力を加えることができないようにすることだ。(ルーズベルト政権の反日政策の背後にはアメリカ共産党がいることを強調し)共産党による日米分断策動にのらないようにすべきだ」と報告した。しかし、極秘文書でごく一部の日本人にしか伝わらずマスコミ,国民は知らなかった。軍部も知らず、アメリカけしからん!としか思っていなかった。それがソ連の狙いだった。
中国共産党は日米戦争の勃発によって「太平洋反日統一戦線が完成した」と声明。アメリカを使って日本を叩き潰す事ができるようになった。やったー!と歓喜した。
1995年、アメリカの国家安全保障局は、ソ連のスパイの暗号文を解読した『ヴェノナ文書』を公開した。1980年に解読が終わっていたが、冷戦時代でソ連に暗号の方法を変えられては困るため公開ができなかった。2004年、共和党のジョージ・(パパ)ブッシュは、アメリカ保守主義同盟40周年大会の記念講演で、ヤルタ会談に同席したルーズベルトの側近アルジャー・ヒス(ソ連のスパイ)らを告発した『タイム・マガジン』記者のチェンバースをアメリカ保守主義のリーダーとして高く評価。2005年、ブッシュ(ジュニア)大統領はラトビアで演説し、アルジャー・ヒスが関与したヤルタ協定(東京裁判の前提)について、史上最大の過ちの一つだと強く非難。ロシアのプーチンも中国共産党も反発。コミンテルンはなくなったが、後継組織としての世界的なネットワークは残っている。エデュケーション・インターナショナル(教育労働者世界連盟),反原発やジェンダーフリーを訴える組織,日教組,日本共産党などがある。
現在、エデュケーション・インターナショナルは、「日本の歴史教科書は軍国主義化、右傾化して許せない」というキャンペーンをアメリカ,中国,台湾,ドイツ,インドネシア,フランスでやっている。日本共産党は説明するまでもない。


◇アメリカの中のスパイ達

・トーマス・A・ビッソン〜日本国憲法制定,皇室典範改正に関与。『日本の中国侵略に加担しないアメリカ委員会』発起人。ソ連のスパイ。

・ハリーデクスター・ホワイト〜日本の在米資産を凍結、ハルノートの原案を作成。ソ連のスパイ。

・アルジャー・ヒス〜ルーズヴェルトの側近、ヤルタ会談に同席。ソ連のスパイ。

・マクスウェル・スチュワート〜雑誌“nation”の編集者で『アメリカ中国人民友の会』会長。『日本の中国侵略に加担しないアメリカ委員会』発起人。ソ連のスパイ。

・フィリップ・ジャッフェイ〜雑誌『china today』の編集長。雑誌『アメラシア』を創刊。太平洋問題調査会(IRP)のトップ。『中国支援評議会』常任理事。『日本の中国侵略に加担しないアメリカ委員会』発起人。ソ連のスパイ。

・オーエン・ラティモア〜『パシフィック・アフェアーズ』という雑誌の編集長。ソ連のスパイ。

・エドワード・カーター〜太平洋問題調査会(IPR)を乗っ取り事務総長になった。ソ連のスパイ。

・ハーバート・ノーマン〜東京裁判に関与しA級戦犯を決定。昭和天皇、マッカーサー会談に通訳として同席。ソ連のスパイ。

・冀朝鼎(キチョウテイ)〜蒋介石のブレインで、財務大臣秘書官。中国国民党の資金を牛耳る。中国支援評議会』常任理事。ソ連のスパイ。

・フレデリック・ヴァンダ―ビルド・フィールド〜IPR事務総長秘書。ソ連のスパイ。

・陳煥章(チンカンショウ)〜中国国民党のブレインで、ゾルゲ(ソ連のスパイ)のメンバー。

・胡適(コテキ)〜中国国民党元駐米大使で『中国支援評議会』名誉副会長。

・フランク・プライス〜在中宣教師、中国国民党のスパイ

・アール・リーフ〜元中国特派員で中国国民党のスパイ。

・ジョージ・フィッチ〜中国YMCA主事で中国国民党のスパイ。

・ラフリン・カリー〜大統領補佐官。1941年4月日本を空爆するJB355計画を立案。ソ連のスパイ。

参考図書:コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾―迫り来る反日包囲網の正体を暴く  著:江崎道朗

参考youtube動画:平成25年08月04日「ヴェノナ文書が暴いたルーズヴェルトの戦争責任」講師:江崎道朗

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日本共産党  しんぶん赤旗

日本共産党創立90周年記念講演会

日本共産党の90年をふりかえる

不破社研所長の講演
http://www.jcp.or.jp/web_policy/2012/07/post-468.html(一部引用)

(略)

・・ソ連も中国も、言葉だけの攻撃ではありません。それぞれが国の総力を挙げ、日本国内に反日本共産党の戦線を広げると同時に、内通者をもり立ててニセの「共産党」をつくり、本気で日本共産党をつぶそうという大干渉作戦でした。

 世界でも二つの大国の党から同時にこうした乱暴な干渉攻撃を仕掛けられた共産党は、ほかにはないのです。

(略)

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日本が好きなだけなんだよ

2012.03.20 Tue 19:31
Edit

共産主義は平等の仮面を被ったサタニズム(悪魔主義)か?!
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-853.html

(略)

●無神論者ではなく、サタン教徒だったカール・マルクス

アシュケナジー系ユダヤ人の思想家、経済学者のカール・マルクス。1818年のプロイセン(現在のドイツ)で生まれた。「資本論」を著し、社会主義(共産主義)者達の精神的な支柱となった。

カール・マルクス、悪魔への道 上 大紀元
http://www.epochtimes.jp/jp/2010/12/html/d92841.html

(略)

・・やがてカール・マルクスは大学在学中にジョアンナ・サウスコット(Joana Southcott)主宰のサタン教に入信した。1837年11月10日に彼は父親への返信に、「私は脱皮した。聖なる主が私の体を離れ、新たな主が宿った。私は真の凶暴に占有された。私はこの凶暴な魂を鎮めることができない」と書いた。・・

(略)

聖書啓示録では底なし地獄について「悪魔そして堕落した天使に用意されたもの」と書かれているが、マルクスは全人類をこの地獄に落とそうとしていた。

(略)

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日本共産党の正体
http://81.xmbs.jp/asyuracom-222215-ch.php(一部引用)

(略)

「戦前の日本共産党」

●戦前の代表的な左翼組織のひとつに日本共産党があります。時折、共産党は戦前、戦争に反対したのでエライと信じる人がいますが、これは大変な誤解です。
●当時の共産党は、革命の原動力としての戦争については肯定していた。日本の軍事力弱体化と、それによるソ連コミンテルンによる「資本主義支配からの解放」(すなわちソ連からの侵略)を円滑にするために、反対していただけである。

●この時代の共産党は、共産主義国による資本主義国に対する戦争は、党規及び実質両面において肯定しいていた。戦争一般を否定していたわけではないのである。


 ■共産党の略歴を記す。

●日本共産党はソ連コミンテルン日本支部として生まれた。世界共産主義革命を成すための日本支部とでもいうべき組織だ。現在の日本共産党は旧ソ連政府や支那政府との対立を偽装するが、かつては完全にソ連コミンテルンの支配下にあった。その活動を見ると、現在の中核派や革マル派以上のテロ組織と言っていい。日本共産党は査問と称するリンチ殺人を繰り返した。こういった殺人は現在の宮本顕治名誉議長も行っている。

●また、拐帯や更に強盗、詐欺、恐喝などを行う犯罪組織でもあった。(例えば共産党は、昭和七年十月六日、川崎第百銀行大森支店を襲撃している)。それゆえ、当局は共産党員を次々摘発した。これを現在、共産党は「弾圧」と呼称している。これらの事実は現在、全て隠蔽されている。前の選挙により、社民党の国会議員が激減した分、共産党の議員がかなり増えた。

●共産党が国政への影響力を着々と不気味に蓄えているにもかかわらず、マスコミがこれらの事実をあまり取り上げない理由は何か。それは共産党へのシンパシーを感じる人間がマスコミ関係者にいることと、そもそも共産党の実態に無知であることが考えられる。しかし何より、共産党からの告訴などによる嫌がらせを恐れてのことだろう。嫌がらせのために告訴を行うのは、サヨクの常套手段なのだ。

●現在、共産党の戦前における真実を語ることはタブーになっている。恐ろしいことだ。終戦後、殺人罪で服役していた宮本は、終戦のどさくさにより思想犯と混同され出所する。なお、戦前における共産党が行った犯罪というタブーを真っ向から記述した研究書があるので、興味のある人は参考にして頂きたい。かなり綿密で具体的な研究書である。

書名 :日本共産党の研究 一から三巻。
著者 :立花隆
出版社:講談社


 ■「戦争の誘発原因のひとつになった左翼」

当局の弾圧により転向した沢山の左翼が、近衛新内閣のイデオローグである昭和研究会に参加した。昭和研究会の主張は、「反自由主義経済」、「反資本主義」、「統制経済と挙国一致による高度国防国家の建設」、「英米本位の世界秩序を打破し、大東亜共栄圏を建設する」などである。

●つまり、ナチスばりの完全な国家社会主義なのだ。近衛新内閣に入り込んだ左翼は、左翼の言う英米など帝国主義国同士の戦争へと巧みに誘導する。当時の朝日新聞などは、国連脱退を称賛しきっている。●こういった左翼の誘導もあり、やがて日本は戦争へと突入する。

(略)

 ----------------------------↓はネオナチ(?)のお方らしいが、参考までに紹介する。


民族の監視者

国家社会主義日本労働者党

11月11日

日共リンチ殺人事件と日本共産党の真実
http://nsjap.blog.jp/archives/51536058.html(抜粋)


日本共産党の宮本顕治らが昭和8年12月23日から翌24日にかけて、小畑達夫・大泉兼蔵両氏に対して行った執拗且つ凄惨を極めたリンチ拷問殺人事件について、当時の新聞及び訊問調書等を用いながらその真相を炙り出す。併せて日共が喧伝する左記リンチ殺人事件に係る宮本らの釈放及び復権についても旧刑事訴訟法等の法令その他に依りその嘘を暴く。長文であるがぜひ一読願いたい。

(略)

[32初期非表示理由]:担当:要点がまとまってない長文

15. 2017年1月10日 16:56:27 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1123]
ヴェノナ文書 とは 

あくまでも ソ連の暗号を解読しただけであり、ソ連の思惑が そうであった事を示しているだけで
それがどのように第二次大戦に影響を及ぼしたかまでは、まったく証明できるものではないからして
@ ウヨ連中お得意の責任転嫁 あるいは A 単なる陰謀論 の、どちらかですな
_________________________________________

(ウィキより)
解読で明らかになったこと[編集]
アメリカの元共産党員であったE・ベントリー(英語版)とW・チェンバース(英語版)が、1948年のアメリカ下院非米活動委員会において、ソ連のNKVD(「内務人民委員部」。KGBの前身)の在米責任者であるボリス・ブコフ(英語版)大佐が、アメリカ政府内にソ連の諜報活動網を構築していたと指摘した。その内容と、当時財務次官補の要職にあったハリー・ホワイト(太平洋戦争の最後通牒であるハルノートを草稿した人物)が「Jurist(ジュリスト)」「Richard(リチャード)」というコードネームを持つソ連のスパイであった事実が、ファイルの解読で確認された[6]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8E%E3%83%8A
_________________________________________

ハルノートが 日米開戦の元凶であるかの物言いは、ウヨ連中の大嘘で 単なる責任転嫁でしかなく
しかもそのハルノートの内容は 従来の米国の主張を再確認するだけのもので ウヨ連中が大袈裟に言ってるような
特段 強硬な内容ではない という事が ハルノートを正確に分析すれば判る事
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n73649

そして、ハルノートが日本に突き付けられた頃には 日本の機動部隊が ハワイ近海に向けて抜錨した後である
米国との戦争を決定したのは ハルノートの出される遥かに以前、11月の御前会議である
したがって、ハルノートが 日米の戦争の原因とは 間違っても言えない訳であるから
ハルノートを作成したのが ソ連のスパイだったのかどうかは 大した問題では無い
そもそも、ハルノートじたい すでに大勢に影響は及ぼしていない

※ 外交交渉に一縷の望みを残していたのは、あくまでも東郷外相などの非戦派和平派が 死に物狂いで抵抗し
辛うじて首の皮一枚の望みを 残していただけで、有って無いようなものだった事は言うまでもない事 ※


とどのつまり、あの戦争の原因の大部分は 日本側の謀略と侵略行動にある いわゆる軍部の暴走である

「張作霖爆殺事件」「柳条湖事件」「満州建国」「華北分離工作」「対華21ヶ条要求」「第一次上海事変」
「川島芳子」「南部仏印進駐」「甘粕正彦」「石原莞爾」「里見機関」 これらで検索すれば
戦争の原因が日本側にある事実が、洪水のように溢れ出てくるのです。




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