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中国が渇望する「南シナ海有事」に備えよ
中国新聞趣聞〜チャイナ・ゴシップス
日中外相会談、4時間20分の「先」を読む
2016年5月4日(水)
福島 香織
4時間20分に及んだ日中外相会談。駆け引きの先に見えてきたのは、「南シナ海有事」の色濃い影だ(写真=ロイター/アフロ)
日本の外相・岸田文雄が実に4年ぶりに訪中し中国の外相・王毅と会談した。いよいよ日中関係改善かと期待した向きも多かっただろうが現実はそう甘くない。冒頭、王毅は「もし、日本側が本当に誠意をもってきたならば、中国側は歓迎する」と述べ、「中国の古語に聴其言、観其行(その発言を聞き、行動を見る)と言う言葉がある。今日は外相、あなたがどのような中日関係改善をもっているか、その意見を聞きたい。もちろん、同時に日本が本当に着実にそれを実行するかも見るつもりだ…」と、中国人ですら、何、この上から目線?と驚くほどの高圧的な態度であった。
しかも以下の四つの改善要求を突きつけた。@歴史を直視、反省し、「一つの中国」を重要な政治基礎とすることを厳守。A中国脅威論や中国経済衰退論をまき散らさない。B経済面で中国を対等に扱い、互恵を基礎に各領域の協力を推進する。C日本は中国に対する対抗心を捨て、地域の平和・安定に尽力せよ。
岸田VS王毅、本命は南シナ海問題
会食もいれた4時間20分もの会談の中身は報道ベースによると、中国の海洋覇権問題、つまり東シナ海と南シナ海をめぐる両者の応酬であったようだ。産経新聞によれば、岸田は、王毅の反論に対して「立場を述べるだけなら報道官でいい。その上でどうするか考えるのが外相だ」と、かなりキツイことを言ったようだ。中国の外相に何の権限も与えられていないことは当然承知しているだろうに。しかも、王毅は中国の対台湾外交の失策の責を負わされかねない立場にあり、ことさら傲慢な姿勢をテレビ画面で見せつけるのは、彼のきわめて官僚的保身意識の表れだと感じている。
ちなみに私を含め、私より上の世代の記者にとって王毅は、日本メディアに対しても率直に意見交換をしてくれる「話のわかる官僚」というイメージを持っているだろう。国際会議の場のホテルロビーなどで王毅を見つけて「王毅さーん!」と日本語で呼びかけると、立ち止まって日本語で記者たちの質問に応じてくれることもよくあった。あのころの彼を思いだしながら、今の外相という責任だけ負わされる何の権限もないポジションで、日本に横柄な姿勢を示して、政権への忠誠をアピールするしかない姿を見ると、ちょっと哀れを催す。
今回の岸田訪中の最大テーマは、喫緊の危機、つまり南シナ海問題ではないかと思う。中国は日本の介入を牽制したい。そのために、岸田を北京に招待したのだろう。その最大のテーマについての話し合いは、報道を見る限り平行線に終わったようだ。それが良かったのか、悪かったのかは最後に述べたい。
まず、南シナ海がどういう状況か整理しておこう。
南シナ海関連の最近のニュースをざっと見返すと、まず4月25日付の香港紙サウスチャイナモーニングポストが、中国は年内に南シナ海のスカボロー礁(中国名・黄岩島)の軍事拠点建設に着工すると報じた。ソースは解放軍周辺筋で、それによると南シナ海の上空監視を完璧にするための前哨基地にするつもりで、計画では滑走路建設も含まれているとか。中国船による測量がすでに開始され、これに懸念を強めた米国は連日のようにA10攻撃機を飛ばしている。A10は少々被弾しても帰還できる「不死身の攻撃機」の異名をとる対地攻撃専用機だ。米国の本気の怒りがうかがえる。
だが中国国防部報道官・呉謙は記者会見(4月28日)で、スカボロー礁軍事拠点化計画に対する質問に対しては「私は承知していない。メディアの扇動じゃないか」とうそぶきながらも、「黄岩島は中国固有の領土であり、その主権と安全を守るために各種危機に対応する権利を有する」と言ってのけた。さらに米国が昨年10月来、三度に渡って行っている「航行の自由」作戦に対し「南シナ海情勢を攪乱している」と非難し、「中国に対する政治的軍事的挑発であり空海における不測の事態を招きやすい」と警告している。一方、米国防長官アシュトン・カーターもスカボロー礁問題について「軍事衝突につながるおそれ」に言及。つまり双方が、軍事衝突の可能性をにおわすチキンレース的な挑発合戦に入っている。
大統領選を控えたフィリピンでは、対中外交も争点になっている。有力候補のロドリゴ・ドゥテルテ(現ダバオ市長)は「祖父が中国人だから中国とは戦争しない」と語る親中派候補。対する、マヌエル・ロハス(前内務自治相)やグレース・ポー(無所属上院議員)は「国際社会と足並みをそろえる」という表現で対米関係強化による中国との対立の方向性にある。フィリピン選挙の結果も多少関係しようが、南シナ海における偶発的軍事衝突というシナリオは十分に考えられるレベルの緊迫度である。
フィリピン、ベトナムとの係争を契機に
こうした南シナ海危機の状況は、今、突然、降ってわいたものではない。
スカボロー礁については、2012年のいわゆるスカボロー礁事件(フィリピン海軍の中国漁船拿捕をきっかけに。フィリピン海軍と中国監視船が一カ月以上対峙した事件)がきっかけで、中国の実効支配が進むことになった。
フィリピン側が国際海洋法に従って提訴して、軍を撤退させたのに対し、中国側は自国の領土であることは明白だとしてこれを無視し、居座り続けた。翌年6月には、スカボロー礁に大量のセメントなどが運びこまれて軍事施設を建設しようとしているのではないかとフィリピン軍事関係者が衛星写真をもとに訴えていた。
スカボロー礁埋め立て問題の前には、ベトナムとの領有を争うファイアリークロス礁(永暑島)の滑走路建設問題があった。ファイアリークロス礁は1988年のスプラトリー諸島(南沙)海戦によって中国が実効支配下に置き、軍事関係者が常駐し要塞化している。2014年8月にこの環礁の埋め立て造成がはじまり、2015年1月から突貫工事で3000メートル級の滑走路が建設され、2016年1月には民間機の離発着テストが行われた。4月には解放軍の軍用機(Y−8輸送機)が着陸したことが公表された。これは表向き重病の工事関係者を緊急搬送するためということだが、中国がこの滑走路が軍事使用に耐えうるかをテストしたかったということは想像できる。
時を前後して、パラセル諸島(西沙)のウッディー島(永興島)に解放軍の地対空ミサイルHQ−9を配備したほか、J-11戦闘機、JH−7戦闘爆撃機などの配備が確認され、西沙の軍事拠点化も着実に進めて来た。さらに党中央機関紙・人民日報傘下のタブロイド紙・環球時報が南シナ海における海上浮動式原発の建設計画を報じた。ソースは中国船舶重工集団幹部で、空母遼寧を改修したのもこの会社だ。報道では、目的は燈台などの民事用電力としているものの、これをそのまま信じている人はほとんどいない。
南シナ海で原発が必要なほど膨大な電気需要があるというならば、それは軍事拠点化に伴う需要、あるいは海洋資源開発を進めるつもりだと考えるのが普通だろう。しかも、南シナ海に原発を造る意味というのは単なる電力供給というだけでない。原発の存在を理由に中国が民間機の飛行制限を求める可能性もあるし、実際、原発上空の飛行を安全のために民間機は避ける。そうなると事実上、中国の制空権を認めた、というような既成事実と受け取られる可能性もあろう。
中国には「内政のための外交」しかない
2015年9月、習近平は訪米時、「南沙の人工島を軍事拠点化するつもりはない」と言明したにもかかわらず、南シナ海の人工島の軍事拠点化への布石を着々と打っており、そのことが11月のASEAN首脳会議の場で指摘されると「習主席は軍事拠点にしないとは言ったが、軍事施設を建設しないとはいっていない」(劉振民外務次官)という詭弁を弄した。
4月頭には解放軍制服組トップ(中央軍事副主席)の范長龍がファイアリークロスを視察しており、「軍事拠点化しない」「民事利用」といった建前をもはや中国は守ろうともしていない。私の個人的な見解を言えば、挑発というレベルを超えて、どうみても中国は「紛争」「危機」を起こしたがっている、すでにそのための作戦は静かに進行中だろう。
では中国は、なぜここまで、米国やフィリピン、ベトナム相手に危険な挑発をするのか。不測の事態、偶発的軍事衝突が起きて、中国が得をすることがあるのだろうか。
ここで、重要なのは、中国には内政があって外交がない、あるいは内政のための外交という発想しかない、ということである。内政というのは簡単にいえば権力闘争である。中国の権力闘争が激化していることは各メディアで繰り返し述べられていると思うが、今一番、危ういのは軍制改革の行方である。
習近平政権は年初から四大総部(総参謀部、総政治部、総後勤部、総装備部)を解体し、新たに作る15の専門部局に機能を分散、さらに陸軍中心の七大軍区から、陸海空が同等の存在感を発揮する五大戦区に大幅な軍制改革を行った。また、4月20日、中央軍事委員会統合作戦指揮総指揮(コマンダー・イン・チーフ)の肩書を自ら名乗り、迷彩服で統合指揮センターを視察。軍の総帥権は中央軍事委員主席にあり、習近平はその地位にあるのだが、さらに作戦総指揮を自らとるという姿勢を打ち出した。
この軍制改革は、建前上は強軍化が目的であるが、実際のところ習近平個人の軍権の掌握が目的であるとしか思えない。軍令と軍政を分けないで軍が正常に機能するのか、とか、習近平に戦略や戦術が分かっているのか、といった問題以前に、左手で敬礼してしまうほど軍のしきたりにうとい習近平が自ら作戦指揮を執るなど、強軍化とは逆走しているだろう。
また習近平は政権のトップになってから、徐才厚、郭伯雄といった江沢民政権時代の権力を継承する軍長老を汚職摘発の名目で排除。その一方で、自分のお気に入りの将校を出世させてきた。趙克石や李暁峰、王安竜、苗華、蔡英廷といった面々で、多くが南京軍区出身、特に第31集団軍出身である。第31集団軍は通称アモイ軍とよばれ、習近平が福建、浙江省勤務にあった時代に人脈を築いた。だが、アモイ軍はいわゆるB級(乙類)集団軍。A級(甲類)集団軍よりも格下に見られている。
このA級、B級は革命戦争中の戦績や活躍によって振り分けられている。B級集団軍出身者は解放軍内部的には“弱い格下部隊出身”という目で見られがちである。軍権掌握のために自分と仲のよい将校を出世させるやり方は、中国の指導者では当然の手法であるが、習近平の場合、“実力不足の将校がコネで出世”した感が丸出しで、軍内では不満のムードが蔓延している。商品紹介記事しか書けない窓際記者が、社長が変わったとたんいきなり外信部長とか政治部長になって、あれこれ指示を出すようになったら、生え抜きのスクープ記者たちは素直に従えるか? そういう不満である。
たとえば、苗華は第31集団軍から陸軍政治畑を歩いてきて、2014年6月蘭州軍区政治委員となったが、その半年足らずでいきなり海軍の政治委員となり2015年7月には海軍上将になっている。陸軍中将からいきなり海軍上将、しかも人事権を握る政治委員となれば、海軍内で不満は起きないだろうか。
七大軍区を五大戦区に塗り替える改革も、事実上、失敗と見られている。この軍制改革は、習近平に敵対する徐才厚派閥の多い瀋陽軍区と郭伯雄派閥の残る蘭州軍区の解体であったが、結局、瀋陽軍区と蘭州軍区は北部戦区と西部戦区としてほぼもとの形のまま残った。それだけ陸軍内の習近平改革に対する抵抗が強かったということでもある。
「フルシチョフの失脚」になぞらえて
つまり、今のところ習近平の軍制改革は順調でなく軍内の不満はかなりくすぶっている。この状況を一発逆転する一番簡単な方法は「局地的戦争」で、習近平体制の軍で戦果を挙げることである。特に、海軍に具体的な戦果を上げさせ、陸軍の利権・権力を削ぐには海戦である。だから南シナ海危機を習近平は望んでいる、と私は思うのだが、どうだろう。
これは私の思い過ごしであればよいのだが、例えば最近、日本に移住を表明した香港在住の著名軍事アナリスト平可夫も、こんな指摘をしている。彼は習近平の軍制改革を1964年のフルシチョフの失脚の原因となった旧ソ連の軍制改革になぞっている。フルシチョフは1955年から大幅な軍のリストラを行い1964年6月にはついに陸軍司令部を廃止する。それが軍の不満をよび、十月政変の直接の導火線となった。同じように、今回の軍制改革はおそらく習近平が決定的な政治的危機をもたらすことになると予想している。
さらにキューバ危機を引き起こしたフルシチョフと、南シナ海で強硬な軍事拠点化を進める習近平は、ともに米国を見くびり、不必要に米国を刺激し、自分の力量を過大評価しているという点でも共通していると指摘している。キューバ危機は回避できたが、同じようなきな臭さが南シナ海に蔓延しているという認識は持つべきだろう。ただ平可夫は、南シナ海や東シナ海で限定的な衝突が発生すれば、むしろ軍事的メンツをつぶされるのは中国の方で、それが、軍の習近平に対する不満爆発の導火線となる、という見立てを示している。
もう一つ、習近平が局地的な軍事衝突を望んでいるのではないか、と想像するのは、ケ小平の先例に倣おうというのではないか、という見方だ。
1979年の中越戦争、それに続く1984年の老山を戦場とした中越国境紛争は、ケ小平の軍権掌握と軍制改革推進が、その目的の一つであるという説がある。文革終了によって復活したケ小平は、文革で混乱した軍の整理に着手するが、その過程で自分が信頼する第二野戦軍出身の将校を重用、その人事の正当性を戦争に勝利するという形で認めさせることが軍権掌握の早道であった。
ケ小平は旧ソ連に強い敵意を持っていたが、さすがに大国ソ連に戦争を仕掛けるのは文革の疲弊が抜けきっていない中国には荷が重いので、その手先とみなすベトナム相手に“懲罰戦争”を仕掛けたとも言える。解放軍はベトナム民兵にぼこぼこにやられるのだが、国内では勝利宣言を行い、結果としては軍権掌握、軍制改革の推進力となった。さらに軍制改革と軍の近代化を確かめる場として84年に中越国境紛争を起こす。激戦ながらなんとか雪辱を晴らし、この勝利をもってケ小平指導体制が確立することになる。
こういう先例があるものだが、習近平も同じようなシナリオで動く可能性はあるだろう。習近平が抜擢した軍の幹部たちにも中越戦争、中越国境紛争経験者がけっこういる。
他人事ではない。妥協なく備えよ
そういうふうに考えると今の南シナ海は非常に危機的な状況であると認識すべきである。キューバ危機のように、ぎりぎりのところで回避されるかもしれないし、中越戦争のように本当に局地戦が起きるかもしれない。だが具体的なことを少しは想像しておくことだ。
たとえば、南シナ海危機が本当に起きたとき、安保法制の存立危機事態に相当するとみて、米軍やフィリピン軍の軍事行動に同盟国として参与するか否か。参与するとしたらどのレベルまでか。南シナ海問題に日本は無関係だと判断して静観の構えをすれば、結果としてどういう事態が想定されるか。
日本にとってもシーレーンである南シナ海が中国の軍事拠点化すれば、これは日本の存立危機に通じる話であるし、次に中国の軍事実力によって実効支配のターゲットとなるのは尖閣諸島だろう。私は、他人事にしてはいけないと思っている。
今回の外相会談の詳細はまだ明らかになっていないが、南シナ海の問題について、日本が妙な妥協をしていないのならば良かった。そのことで日中の政治的関係改善が遠のくことになっても、長い目でみれば、それは地域の平和に利することになるだろう。
新刊!東アジアの若者デモ、その深層に迫る
『SEALDsと東アジア若者デモってなんだ! 』
日本が安保法制の是非に揺れた2015年秋、注目を集めた学生デモ団体「SEALDs」。巨大な中国共産党権力と闘い、成果をあげた台湾の「ひまわり革命」。“植民地化”に異議を唱える香港の「雨傘革命」――。東アジアの若者たちが繰り広げたデモを現地取材、その深層に迫り、構造問題を浮き彫りにする。イースト新書/2016年2月10日発売。
このコラムについて
中国新聞趣聞〜チャイナ・ゴシップス
新聞とは新しい話、ニュース。趣聞とは、中国語で興味深い話、噂話といった意味。
中国において公式の新聞メディアが流す情報は「新聞」だが、中国の公式メディアとは宣伝機関であり、その第一の目的は党の宣伝だ。当局の都合の良いように編集されたり、美化されていたりしていることもある。そこで人々は口コミ情報、つまり知人から聞いた興味深い「趣聞」も重視する。
特に北京のように古く歴史ある政治の街においては、その知人がしばしば中南海に出入りできるほどの人物であったり、軍関係者であったり、ということもあるので、根も葉もない話ばかりではない。時に公式メディアの流す新聞よりも早く正確であることも。特に昨今はインターネットのおかげでこの趣聞の伝播力はばかにできなくなった。新聞趣聞の両面から中国の事象を読み解いてゆくニュースコラム。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/218009/050200044/
米中が早期批准へ共同声明
エコロジーフロント
パリ協定の読み方(2)、年内発効の可能性も
2016年5月2日(月)
上野 貴弘/電力中央研究所 社会経済研究所 主任研究員
4月22日、「パリ協定」の署名が始まった。2020年以降の温暖化対策を定めたこの条約に、排出大国・米国と中国の他、日本など175カ国・地域が署名した。今後、各国の締結が進み、2016年内に発効すれば、大統領選後の政権交代による協定離脱が懸念される米国も、離脱が難しくなる。電力中央研究所社会経済研究所の上野貴弘・主任研究員が、パリ協定の「読み方」を解説する。
4月22日、ニューヨークの国連本部で「パリ協定」の署名式が開催され、175カ国・地域の代表が署名した。日本も署名した他、温室効果ガスの排出大国である米国と中国もこの日、署名した。
米オバマ大統領と中国の習近平国家主席は3月31日、ワシントンでの核安全保障サミット開催に合わせて会談。温暖化対策に関する共同声明を発表し、署名開始の日に両国が署名することを明らかにした。
同時に両国は、年内に早期に批准(締結)に進む意志を明確にした。共同声明は、米中が他の国に対しても、同様に早期の批准を求めていくと表明しており、日本国内でも今後、パリ協定への批准のタイミングが議論されそうだ。
「パリ協定」が効力を持つには
パリ協定は現時点では法的効力を持たない。今後、各国が署名と「締結」を行い、一定の要件が満たされると、法的効力を持つようになる(発効する)。
オバマ政権は、22日の署名後、今年中のできる限り早い時期にパリ協定に締結する見通しだ。米国では通常、国際条約の締結に際して上院の3分の2以上の同意が必要になる。しかし一定の条件の下では議会の同意がなくても、行政協定として大統領権限で締結可能である。オバマ大統領は共和党が優勢な議会の同意なしに、行政権限で締結すると見込まれる。
中国は、全国人民代表大会の常務委員会で締結の決定を行う。全人代は年に1度、15日ほどの会期しかないが、常務委員会は2カ月ごとに開催される。年内の締結決定は可能だ。
2015年12月パリで開いたCOP21でパリ協定が採択された(写真:UNFCCC)
各国が必要な国内手続きを経て締結を進め、「締結国数が55カ国以上」かつ「締結国の排出量が世界全体の55%以上」になると発効要件を満たし、その30日後に法的効力が生じる。
米国と中国の2国だけで、世界全体の排出量の約38%を占める。2016年内に、パリ協定は発効するだろうか。
全排出量の12%に当たる欧州連合(EU)は、全加盟国の国内手続きとEU全体での手続きが必要で、協定の締結に相当の時間を要する。「2030年に1990年比で少なくとも40%削減」というEU全体の目標を加盟国間に割り振る作業も批准の前に必要だ。そのため、今年中の批准は難しいと予想される。7.5%のロシアは署名式で締結の意思を示したが、その時期は明らかにしていない。京都議定書の批准を2005年まで先延ばしした経緯があり、動きが読めないところがある。
次いで約4%と排出量が大きいインドは、締結に際して議会の承認を必要としない。そのため、政権が意思を固めれば速やかに締結できると見込まれる。
これに続くのが3.8%を占める日本、2.5%のブラジル、2%弱のカナダ、韓国、メキシコだ。署名式に際して、カナダ、メキシコ、インドネシア(約1.5%)、オーストラリア(約1.5%)、シエラレオネ(約1%)、アルゼンチン(約0.9%)、カザフスタン(約0.8%)などが今年中に締結する意思を示しており、米中にこれらの国々を合わせれば約50%となる。今年中に55%に達する可能性が見えてきた。
他方、「55カ国以上」については排出量の小さい国々がカギを握る。マーシャル諸島など太平洋の一部の小島しょ国は必要な国内手続きを完了し、署名後すぐに締結した。執筆時点で15カ国が締結済みである。この動きが広がれば、年内に55カ国に至る可能性もありそうだ。
年内に発効なら、次期大統領の離脱は難しい
協定28条は(親条約である気候変動枠組条約から脱退しない限り)、協定発効後3年間は脱退できないと定めている。
米国では11月に大統領選挙があり、来年1月に新政権が発足する。仮に共和党政権となって、オバマ政権が主導した協定からの離脱意思を持ったとしても、2016年中に発効すれば当面、脱退が難しくなる。
米国の参加は、パリ協定の実効性を確保するためには欠かせない。パリ協定の発効と大統領選の行方を注視する必要がある。
自国の削減目標は、自国で決める
パリ協定の中身についても概説したい。
パリ協定の5つのサイクル
協定は、すべての国が「NDC(自国で定める貢献)」を5年ごとに提示する5年サイクルを義務付けた。NDCとは温室効果ガス削減目標のことだ。
5年サイクルは、図に示すように、(1)世界全体での取り組みの総括から始まる。第1回の総括は2018年に行われる。次に、(2)総括の結果を踏まえ、すべての国が同じ年にNDCを提出する。提出年のCOPの9〜12カ月前に提出することが義務付けられており、次回の提示は2020年である。2025年目標を掲げる米国などはこの時に2030年目標を示す。パリ協定は次期目標は当期目標よりも前進するとしており、米国は2025年目標を上回る目標を提出することが期待される。日本は2030年度目標を掲げているが、この時に現行目標の再提示か、目標の更新を行う。
NDCの提出がCOPの9〜12カ月前に設定されているのは、この期間に(3)各国のNDCに対する世界の理解を促進し、NDCを積み上げた世界全体の排出水準を2度や1.5度といった温度目標に照らして評価するためだ。
先進国・途上国の差を付ける「自己差異化」
続いて(4)各国が目標達成に向けて国内措置を実施し、隔年で排出量と吸収量の実績を示す目録やNDCの達成状況を報告。報告を基に、専門家などがレビューしたり、多国間で検討し合ったりする。(5)NDCの実施や報告・レビュー義務などの順守に課題がある場合は、今後新たに作る委員会で取り組みを促す。罰則は設けていない。
実効性強化へ対策促す仕掛け
すべての国で共通する取り組みと、差を付けた取り組みがある。
共通しているのは次の2つ。まずはNDCの準備と提出、維持、その達成を狙った国内措置の追求が、すべての国に共通する義務となった。
次に、排出量と吸収量の目録や達成状況の隔年報告、専門家レビューや多国間での検討も共通義務となる。
一方、差異化したのは次の通りだ。まずNDCという仕組みにより、目標を「自己差異化」する。つまり、どの国も自国の事情を踏まえて削減目標を作ることで、結果的に各国の事情を反映した差異化に至る。ただし、協定は先進国には総量削減の継続、途上国には経済全体の排出抑制・削減への斬次移行を求めた。加えて途上国は削減するために支援を受けられ、透明性を強化する際にも、柔軟な措置が取られる。
パリ協定は、NDCの達成を義務付けていない。しかし、NDC策定時には提出時期を世界全体でそろえることで国際的な関心を高め、NDC実施時には各国の達成状況のレビューにより透明性を高めて、国内外で圧力が働くようにし、実効性を担保することを狙っている。
ただし、透明性強化や世界全体での総括の運用規則は今後の交渉に委ねられており、パリ協定の実効性を左右しそうだ。
本記事は、「日経エコロジー」2016年2月号(1月8日発行)の記事に、その後の動向を踏まえて加筆・修正したものです。
このコラムについて
エコロジーフロント
企業の環境対応や持続的な成長のための方策、エネルギーの利用や活用についての専門誌「日経エコロジー」の編集部が最新情報を発信する。
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