★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK218 > 316.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
「二度と過ちは繰り返しません」 の奇妙なフレーズは どう生まれたのか?三流の維新 一流の江戸
http://www.asyura2.com/16/senkyo218/msg/316.html
投稿者 軽毛 日時 2016 年 12 月 28 日 14:28:49: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

三流の維新 一流の江戸
【第10回】 2016年12月28日 原田 伊織
「二度と過ちは繰り返しません」
の奇妙なフレーズは
どう生まれたのか?
徳川家康没後400年の年も終わりに近づいている。
江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。
私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきたが、はたして本当なのか?
ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。
そして、今回さらに踏み込み、「2020年東京オリンピック以降のグランドデザインは江戸にある」と断言する。
『三流の維新 一流の江戸――「官賊」薩長も知らなかった驚きの「江戸システム」』が話題の著者に、「二度と過ちは繰り返しません」の本当の意味を聞いた。


正義の基準は意外と脆い

原田伊織(Iori Harada)
作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など
 私たちは、明治維新という出来事以降の時代、即ち、明治時代以降を「近代」と呼ぶように教育されてきた。
 平成という現代は、まさにその近代の最中にある。
 単なる時代区分の呼称としてだけのことなら、これは殊更問題にすべきことではない。

 しかし、私たちが受けてきた教育、今も学校教育として施されている教育――これを「官軍教育」と呼ぶことについては、今やかなりの規模と広がりのコンセンサスが成立している――では、近代=先進的という意味を色濃く含ませて教え込まれるのである。

 いい換えれば、近代より前の時代=前近代は「後進的」な時代として否定すべきものという教育が、今もなお為されているのだ。

 このことは、日本列島の津々浦々、辺境の分校に於ける教育にまで、見事に徹底されている。
 洋の東西を問わず、古来、戦(いくさ)の勝者が「歴史を書く」ことは、ごくごく普通のことであった。

 多くの場合、勝者はその戦と戦に至ったプロセスの正当性を説くのだ。このことは、中国史に於いても西洋史に於いても何ら変わりはない。
 このことについて、それは誤りだ、間違いだなどということにほとんど意味はないのだ。
 一つには、正義というものにも普遍性がないからである。

 このようにいうと、正義はいつの時代でも正義であろうと、意外に思い、異議を唱える読者も多いことだろう。

 しかし、平成という今、私たちが正義としている価値や思想、行為は、ほとんどが西欧価値観によって正義とされているに過ぎないのだ。
 正義の基準とは、意外に脆(もろ)いもので、時にそれは揺れ動くということを知っておかなければならない。

 問題は、勝者の書いた歴史は一定期間を経て一度は検証されるべきものであるという宿命ともいうべき性格をもっているということだ。

 人類の歴史を紐解けば、どの民族でも五十年、百年という時間を経てそれを行っている。
 ゲルマン民族がヒトラー台頭の歴史を自ら厳しくみつめ直したことも、身近な一例といえるだろう。

「二度と過ちは繰り返しません」
という奇妙なフレーズ

 ところが、一人近代日本人のみが、これを行っていないのである。
 いや、例えば、広島、長崎への原爆投下という悲劇について、
「二度と過ちは繰り返しません」
 と誓っているではないかという反論があるかも知れない。

 しかし、これは実に奇妙なフレーズである。

 私どもの世代は、幼い時からこの言葉を嫌というほど聞かされて育ち、今も八月になるとこの言葉はメディアを通じて露出頻度が高まる。
 少年時代の私は、これを唱える日教組の教師に激しい反撥(はんぱつ)を覚えたものである。

 このフレーズにいう「過ち」とは、何のことか。
 原爆投下のことか。
 いや、だとすれば、私たち日本人が「繰り返しません」と誓うのはおかしいではないか。
 それを誓う必要があるとすれば、それはアメリカ合衆国国民であろう。
 あの二発の非人道的といわれる殺人兵器を日本人に対して使用したのは、アメリカ人である。

 このことは、明々白々な事実であり、つい昨日のことであって「アメリカ人が原爆を投下した」という事実については、何人(なんぴと)もこれを否定することはできないのだ。
 いや、この場合の過ちとは、原爆投下を招いた戦争のことをいっているのだとする見解がある。

 恐らく、このフレーズの解釈としてはこれが主流であろう。
 二度と他国を侵す戦争は止めようというだけなら、私も全く同意である。
 そもそも特定の偏った思想をもつ者を除いて、侵略戦争賛成などと考える者がいるはずがないではないか。

 ところが、先のフレーズが「原爆投下を招いた戦争」のことをいっており、日本人として二度とそういう過ちを繰り返さないでおこうと誓っているのだとすれば、私たち日本人は原爆投下は私たち日本人にそもそもの原因があると宣言していることになる。
 自分たちがあの戦争を仕掛けなければ、原爆投下はなかったのだと。つまり、悪いのは私たちであったと悔いているのだ。

ルーズベルトとトルーマンの正体

 もし、あのフレーズの意味するところがそうだとすれば、冗談ではない。
 繰り返すが、原爆を投下したのはアメリカ人である。
 私は、原爆投下だけではなく、東京大空襲も、大阪、名古屋、徳島、青森、富山等々、日本列島各都市への空襲も、武器も何ももたない非戦闘員を無差別に殺戮することを明白に意図して行っている点で、重大な戦時国際法違反であり、「人道に反する重大な戦争犯罪」であると認識している。

 つまり、ルーズベルトやトルーマンは、ヒトラーと全く同列の戦争犯罪人であるということだ。

 因(ちな)みに、市民への無差別空爆によって死傷者を一人も出さなかった都道府県は数えるほどしかなく、それは、文字通りの絨毯爆撃であった。

 こういうことをいうと、直ぐ私が大東亜戦争を賛美していると非難するのが戦後日本人の一般傾向であるが、それは非論理の極みと心得るべきであろう。

 現実に、私はこのことで火炎瓶、硫酸瓶、塩酸瓶の標的にされてきたが、私が指摘しているのは、米軍による非戦闘員の無差別大量殺戮のことであり、そもそも大東亜戦争に走ったのは何故かという問題とは全く別に扱うべきアメリカの国家犯罪であるということなのだ。

 即ち、大東亜戦争に走った原因、歴史的背景を具(つぶさ)に検証して世界の後世に資するかたちで整理、引き継いでいくのは私たちの民族としての仕事であり、それに対して原爆投下に代表される戦争犯罪は、独立してアメリカ人が戦争犯罪人として裁かれるべき問題であるということなのだ。

 ここに、戦の勝者が歴史を書くということについて二つのことが混在している。
 そして、それは今もなお全く検証して整理されていないのである。
 昭和二十(1945)年以降、日本の教育、特に歴史教育を支配してきたのはGHQ(連合国軍最高司令部総司令部)である。

 この問題は、それこそ今日の読者諸兄の生活、子どもたちの学校生活のあり方に直結する問題であり、本書の全編をこれに費やしてもまだ事足りないことだが、次回、簡潔に述べよう。

原田伊織(Iori Harada)
作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など
http://diamond.jp/articles/-/111455  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
1. 新共産主義クラブ[2844] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2016年12月28日 14:41:58 : kpqeZimp6w : slX3fQYAY58[41]
  
 執筆者と投稿者は、亀井静香ファンクラブのメンバーだろうな。
 
 亀井静香ファンクラブのような『反米右翼』が、安倍晋三と麻生太郎の指示を受けて小沢一郎氏に抱き付いて、安倍晋三の長期政権をもたらしたのだと、私は思っている。
 

2. 2016年12月28日 16:39:08 : d8auqYtBT6 : 4BHWEBSTMQc[4]
江戸も明治も関係ないと思います。日本語は主語を省略して意味をあいまいにできるように作られています。英語その他でも一人称を示す言葉は一つしかありませんが日本語では少なくとも十数個はあります。自分がどうかということよりも相手との関係でどの一人称を使うかが決まります。

ただこれでは自分の意見はどうなのか。自分の頭で考えたことはどうなのか、といった点においてあいまいで弱い部分はあるかなとは思います。

日本語には美徳として 和 というものがありますがこれが個を強調することを妨げているかもしれません。


3. 2016年12月28日 17:12:14 : Gir3rbMEVc : k6xo8uzGgoU[105]

   《安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから》
   
   この広島の原爆死没者慰霊碑は1949年広島平和記念都市建設法が成立したのを機に作られ、1952年8月6日除幕式が行なわれた。正式名称は「広島平和都市記念碑」である。したがってこの碑文の主語は「広島市民」と考えるのが妥当である。

   しかしそれでは「過ち」を犯したのが「広島市民」と、とられかねないので、後から主語は「世界人類」だと言い出す連中がでてきたが、1952年当時この碑文について「世界人類」の合意は得られていないだろう。

   この碑文は、感傷的な雰囲気だけで実体のない空疎な碑文だ。次のような碑文に書き改めるべきだろう。

   「私たちは 再び核兵器による虐殺が繰返されないことを願い 被爆死没者の霊前に不戦を誓います   20XX年 広島市民」



4. 2016年12月28日 18:10:39 : 0JFWqaUiq2 : i1dQ9OkWYyM[10]

 アメリカ様と戦争する様過ちは 繰返しませぬ。これからはアメリカ様に従って弱い国と戦争するから安心してください・・・。

 安倍の頭の中では、こうなっているんだ。

 


5. 2016年12月28日 18:25:41 : Uth8eW5rTM : nMv1Hu096QY[28]
> ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。

原田伊織の「明治維新とは民族としての過ちだ」は、当時に日本の置かれた国際政治状況を無視しており、世界の歴史を知らない愚かな主張であり、全く間違っている。

もし、日本が日露戦争を起こさなかったら、満州と朝鮮はロシア領となっていただろうし、その次は日本もロシアの支配下に入っていただろう。
日本が日露戦争を起せたのは、近代的な陸軍や海軍を持てたからであり、それが可能になったのは、明治維新政府が欧米の政治制度、教育制度、軍事制度を取り入れたからであり、明治維新政府が出来たのは、薩摩・長州の強力な活動があったからである。

原田伊織は当時の薩摩・長州の若者が持った危機意識を全く理解できておらず、そのような者が現在の問題に意味のある意見を出せるとは思えない。


6. 2016年12月29日 21:00:06 : qNApj6abVo : pmR1FMr_lBA[27]
主語がない。

これは日本文ではありません。

アメリカが、書かせたもの?。

誰が、過ちを繰り返しませんと言っているのだろうか?

アメリカ人に違いないですよね。

日本人が、原爆を落としていないのですからネ、、二つも落としたのですよ。

トルーマン、ル−ズベルトは、ヒットラ-と同じ、人類に対する犯罪人です。

オバマ大統領は追悼の意を述べたネ。考え深かったです。


  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK218掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
政治・選挙・NHK218掲示板  
次へ