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露ウラジオストクで開催された東方経済フォーラムで挨拶を交わす安倍首相(左)とプーチン露大統領(右、2016年9月3日撮影)〔AFPBB News〕
ポピュリズム跋扈の中、日露急接近で世界史は動く 米国が最も恐れる対米独自外交路線に安倍は踏み切れるか
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48073
2016.10.7 W.C. JBpress
文中敬称略
9月中旬に行われたロシア下院選挙は、周知の通り与党の圧勝という結果に終わった。50%を切るような投票率の低下に助けられた結果だ、と米紙は書く。だが、米国でも投票率の40%台は珍しくもないから、選挙への無関心についてそう偉そうなことをあまり言えたものでもあるまい。
その選挙直前の週に、日本のメディア関係の方々とモスクワを訪れる機会があり、選挙戦終盤の日本のイメージとは程遠いその街で、ロシアの政治や経済の専門家たちから様々な意見を聴取して回った。
9月初めにヴラジヴォストーク(ウラジオストク)で行われた日露首脳会談からまだ日も浅く、12月のロシア大統領V.プーチンの訪日が公表された後だったから、面談相手への質問は何と言っても日露関係、つまりは領土問題と平和条約交渉に集中する。
当たり前の話とはいえ、4島は多分日本に返還されるよ、などと頼もしいことを言ってくれる相手は皆無。その多くが、「プーチンは資金や投資ではなく、信頼関係を重視する。この信頼関係がなければ話はまとまらない」と強調する。経済支援という1990年代の発想はもはや通用しない、と念も押してくる。
■相互信頼構築の皮算用
経済協力にいくら努めても4島が戻ってくるわけではない、となれば、日本で指摘される「ロシアが経済だけを食い逃げする」「いいとこ取りで終わる」という議論がもっともらしく聞こえもする。
しかし、一歩下がって考えれば、彼らがそのつもりなら、最初から「経済と島はバーターではない」などと自ら強調する必要もないはずではないか。
彼らの力点は一様に「信頼関係」に置かれている。「その点に日本は十分な注意を払っていないようだが」として、外交誌編集長でロシア外交のブレーンの1人でもあるF.ルキヤーノフは次のように解説する。
「過去20年以上にわたって(それは日本の責任でもないが)欧米がロシアへの約束を何度か破り、それが理由でロシアは誰も信用できなくなってしまった」
「それを考えれば、重要なのは平和条約締結という形ではなくその実体(相互信頼)に求められる。領土問題に関するプーチンの基本姿勢は『両国間の関係の質的変化を伴わねば、その解決はあり得ない』なのだ」
「それは、ロシアがこれまでに、中国、カザフスタン、エストニア、ノルウェーといった国々とどう領土問題を解決してきたかを見てみれば分かるはずだ。経済関係などを通じて信頼関係が醸成されれば、それが結果的に政治関係の緊張緩和につながっていく」
こうして両国間の相互信頼を強調するところは、ロシア人とこれまで付き合ってきた経験値に照らし合わせると確かにその通りと頷けなくもない。
肝胆相照らす、とまではいかないにしても、気持ちが通じ合える仲にならねば・・・飲んで無防備な泥酔状態に互いに陥る仲にでもならねば・・・仕事なんぞできない、である。
そうなると、これは理屈を超えた情の世界の問題でもあるということになる。互いにトモダチになれるのか? だが、それ以前に多くの日本人は「相互信頼」という言葉そのものに、そしてそれがロシア側から言われ出すことに引っかかってしまうだろう。
2国関係では得てして一方は、常に自分は友好的かつオープンであると自負してそれに何ら疑いを差し挟まず、そうした関係が達成されていないならそれは相手に何か原因があるから、という考えに流れやすい。日本人とてその例外ではない。
だから、「相互信頼」などと言われても、善意の塊のようなこちらにとっては当然至極の話で何をいまさら、と訝しく思い、さらには、ロシアが適当に何かを隠し立てする美辞麗句に過ぎないのでは、と推し量る結果になる。ロシアが相手だけに、有体に言えば「お前だけにはその言葉を吐かれたくはない」だろう。
どうやらロシアに対して、まだ相互信頼を積極的に見出していこうという流れには乗れそうもない。ならば、それがないままならこれから先は? を考えたならどうなるだろうか。
■領土問題が平行線たるゆえん
領土問題のこれまでの日露間の議論は平行線をたどるのみであった。割り切ってしまえば、領土問題は元々が議論で片が付くような代物ではない。それは世界史の中で常に戦争を伴ってきた。奪われたら腕ずくででも奪い返すしかない。
だが、それが真実であっても、現実には意味がない議論だ。そのために新たに戦争をこちらからやらかそうと主張したところで、まあ今の日本では正気の沙汰とは扱われない。
ならば、言論の力で島を取り戻せるのだろうか。この点での歴史上の事実認識やその解釈を巡っての日露間の議論は、詳細をいじり出したらきりがないのだが、これまで平行線をたどるだけだったことは皆が認めざるを得ない。
議論とはいうものの、日本ではその根底に「米軍にコテンパンにやられ、倒れる寸前だったヨレヨレの日本に攻め込み、その後の敗戦のどさくさに紛れて他人の土地を分捕っていった奴ら」というロシアに対する思いが流れる。
だが、ロシア側にもそれに対抗する感情や理屈は星の数ほどある。そして、国際世論も、「法と正義」という人類普遍の価値を標榜する日本の主張の下になぜか集まってこない。
その中でロシア人も日本人も、世論調査に答える大多数がこうした相手から出てくる細かい議論や感情、それに第三者のスタンスを知らずに終わっている、というのが実情だろう。言論は、暴力の否定という意味で大変な価値を持つものなのだが、それは必ずしも問題解決の万能薬であることを意味はしないのだ。
ならば、ここでそうした恩讐を超え、思い切って問題に終止符を打つか、互いに歴史への蟠りを抱えながら半永久的に今の状態を続けるか、のいずれかしかない。そして今、首相の安倍晋三はその前者の道を選択したように見える。
恩讐を超える――それは多分に理屈の世界ではない。ロシアの専門家たちはそう言いたいのだろう。どちらがどちらを言い負かすか、の目的を捨てることでもあり、もしプーチンが「引き分け」と述べた際にそこまで思いを致していたとすれば、彼も中々の哲学の持ち主なのかもしれない。
彼らによれば、机上演習で構築された「相手が欲しがるものを与え、こちらが欲しいものを取る」というアプローチは、その中では通用しない。最初から、ギブ・アンド・テイク(Give and take)の構図を見せてしまったのでは、それはロシア人が受け止める「相互信頼」でもなんでもないということになってしまうからだ。
これにも異論はあろう。国際関係では「相互信頼」は外交辞令でしかない。そこら中の国際関係でこの用語は氾濫状態だ。それに、それが情に根差したと言うなら、そんな一時の感情に国の進路を委ねるなど危険極まりないではないか、となる。
英国の政治家がかつて喝破したごとく、永遠の敵も永遠の味方もいない、あるのは永遠の国益だけ、のはずだからだ・・・。
だが、もしロシア人が(そして、実は日本人も)、外交が駆け引き100%の世界でもなく、しょせんは人間と人間との関係であり、最後は情に行き着く「信頼」もその中の価値観の1つとして意味を持つ、と理解するのなら、それを無視することはもはや賢明ではないのかもしれない。
■メディアのから騒ぎが領土問題を難しく
昨今、日本では領土交渉関係の記事がメディアを賑わす――2島で終わるのか(世論調査を根拠に、それすら難しかろうと評するロシアの専門家もいるが)、それ以上があるのか。12月までこの状態が続くだろう。それが衆院解散にまで結び付く話となれば尚更の話である。
この状況の中で、日本の外務省高官は日本のメディアに対して、「『国民に説明できる解決策が簡単に見いだされる』と、世論の過大な期待が高まることは望ましくない」と述べている。同じ趣旨を、F.ルキヤーノフも、「政治的に注目されなければそれだけ領土問題は解決が早くなる」と指摘していた。
世論が過熱し、蓋を開けたら皆が仰天し、その挙句に日比谷焼打ち事件勃発、などは政府にとって何としても御免蒙りたいところ。安易なポピュリズムよりは、まだ無関心の方がマシなら、年明けに選挙があってもロシアの下院選並の投票率で収まることをひょっとしたら期待しているのかもしれない。
今回の面談先との対話で日露関係以外のトピックスとなると、シリア問題と米露関係が出てくる。そのいずれもが、日露関係にも影響を与えかねない。
露紙の軍事評論家であるP.フェリエンガウエルによれば、8月下旬のロシア国防省幹部会議で極東大陸部北端からヴラジヴォストークに至る千島列島に沿った防衛線確立政策が承認された。
その目的は、オホーツク海での核兵器安全移動の確保で、この海を外国へ向けて閉ざして完全に支配下に置くことにあるという。
これは冷戦時代の対米防衛思想そのもので、このためには国後・択捉間の海峡のみならず、歯舞・色丹を除いたすべての島嶼海峡が重要になるという。つまりは、「軍事的にもはや歯舞・色丹以外の千島諸島を、一部たりとも外国に渡すわけには行かない」、なのだ。
この米露関係を悪化の一途に追いやるのはウクライナに続くシリア問題であり、これも周知の通りシリア政府軍とロシア空軍がアレッポ奪取に大手を懸け、そうはさせまいと動く米国との関係が冷戦後最悪の状態、と評されるまでになっている。
9月の初めに両国間で一度は和平交渉を成立させたかに見えたが、その直後に起こった米軍のシリア軍への誤爆や(ロシアの一部では誤爆とは信じられていない)、ロシア機の関与が疑われる国連の人道支援車列への空爆事件の発生で、それは頓挫してしまった。
米露双方ともに問題を抱える。レーム・ダックの米大統領、B.オバマの下でペンタゴンは徹底した反露路線を崩さず、何とか話をまとめようとする国務長官、J.ケリーの足を引っ張る。議会も同様、そしてボスのオバマとも方針が一致とはいかず等々で、同長官も、もうやってられない、と弱音の1つも吐く。
ロシアとて米国を嗤えない。1年前にシリアへ参戦した際には、遅くとも今年の初め頃までにはアレッポを落してB.アサド政権を何とか維持できる状態に持って行こうとの目算だった。
しかし、主役となるべきアサド政権軍が予想以上にだらしなく、そして肝心のアサドが、戦局の転換で気を良くし過ぎて誇大妄想にでも陥ったのか、ロシアの言いなりにはならなくなってしまった。
■自らへの反省意識が全くない西側
その昔のアラブ民族主義の時代から、スラヴにアラブはしょせん理解できない、と言われてきた。今回も同じ轍を踏む憂き目に遭いかけている。なぜ性懲りもなく、なのか。
カーネギー・モスクワセンター所長のD.トレーニンは、西側との折り合いが悪くなってしまったために、ロシアが求めた独自の外交戦略の結果が、シリアへの介入とアジア・太平洋地域に向けての東進政策だったと言う。
折り合いが悪くなった理由の、西側に騙されたというロシアの思いについては何度かこのコラムでも触れた。要はソ連末期のM.ゴルバチョフと欧米が交わした合意 − 東にNATO(北大西洋条約機構)勢力を拡大はしない、がその後いとも簡単に破られたことに端を発している。
ロシアにとってみれば、その後のウクライナ問題も、泥沼化した中東問題も、無定見な西側が最初に踏み込んできた、だから防衛するしかない、ということになる。
だが、西側ではこれとは正反対に、先に狼藉を働き始めたのはロシア(と中国)で、だから「危機感を覚えた米英などの軍・情報機関が本気で巻き返しに動き出した・・・」と論じている。
どちらが先に悪さをしでかしたのかで、見方は正反対になる。特に西側では自らへの反省意識が零に近い。これでは欧米とロシアの溝はその埋まりようがない。その中で欧米では、ソ連帝国復活を目指し、武力による領土拡張も厭わない「邪悪」なプーチンのイメージが形成されていく。
米の大統領選では、民主党候補のH.クリントンが、そのプーチンを悪の権化と名指して憚らない。ロシアが犯人とされる民主党へのサイバー攻撃がその火に油を注ぐ。外交儀礼などどこへやらのロシアへの罵詈雑言乱発に対し、ロシアの知識層はそこに、ベトナム戦争の時代ですら見られなかった米国の自信喪失、あるいは知的頽廃を垣間見ている(1、2)。
クリントンが次期大統領なら米露関係は絶望的だ、と多くのロシアの専門家が一致していた。ネオコンの続投を確信するからだろうし、さらにその深層には、今の米国は相手にできるようなまともな状態にはない、という見方が横たわる。
その中で安倍の対露外交は生き残れるのだろうか。そこに問題の本質が現れてくる。問われているのは日露外交と言うよりは、むしろ米国が最も危険視する日本の対米自主外交の可否なのだ。そこに膨張中国を見据えた日本の国家百年の大計を重ね合せなければならない。安倍の心労やいかばかり、である。
最近は、権力欲にまみれきっている「邪悪」なプーチン、と断じて憚らない西側のメデイアですら、実は彼が疲れてきており、再来年の大統領選では次の世代にその座を譲る可能性も、などと書き始めてきている。
治世16年で漸く、である。これまでの働きぶりを見れば、疲れない方がおかしい。10倍近くの国力を持つ米国を相手に丁丁発止を演じるなど、誰にでもできることではない。
他国に彼の隠れファン(中国ウォッチャーによれば、習近平もその1人らしい)がいるのも、日本が大国・ロシアを打ち負かした日露戦争に新たな国際時代の幕開けを見ようとした当時の人々の気持ちに似た何かを、彼に感じるからなのかもしれない。
そのプーチンの姿は、彼に14回も会っている安倍の眼や心にはさてどう映っているのだろうか。
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