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国後・択捉島の扱いを理解するために(『日本の国境問題』より)
@戦後日本は千島(国後・択捉)を放棄、
A千島の帰属は米国はソ連に貴方の物と約束、
Bしかし国後・択捉ソ連領で日ソ国交回復しようとした日本にダレス恫喝、
この史実国民知らないー(孫崎享氏)
http://www.twitlonger.com/show/n_1sp2n5f
2nd Sep 2016 市村 悦延 · @hellotomhanks
北方領土の国後・択捉島の扱いを理解するには次の3項目が必要です。
残念ながら、日本国民はゆがんだ形でしか理解していません。
1. 第2次大戦後、日本はこの国後・択捉島の領有権はどのように決定されたかー日本は放棄―
2. 放棄された国後・択捉島を誰が領有するかの問題、米国はソ連に貴方の物と約束
3. 1956年の日ソ国交交渉の時、何故、米国は日本が国後・択捉をソ連の領土と認めることを米国が反対したか
1. 第2次大戦後、日本はこの国後・択捉島の領有権はどのように決定されたかー日本は放棄―
第二次大戦後、日本はポツダム宣言を受諾しています。
「八 カイロ宣言ノ條項ハ履行セラルベク又日本國ノ主權ハ本州、北海道、九州及四國竝ニ
吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」
日本は本州、北海道、九州及四國以外は、「吾等(連合国)ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」に合意し、
連合国側は戦後国後・択捉を含む千島は日本領から除外しています。
さらにサンフランシスコ講和条約での扱い
―吉田首相、千島放棄に合意。千島に択捉、国後が入っていることを明言―
サンフランシスコ講和条約(一九五一年九月八日署名)において、
第二章(c)は「日本国は千島列島に対するすべての権利、請求権を放棄する」とした。
その直前九月七日吉田首相は
「千島南部の択捉、国後両島が日本領であることについては帝政ロシアも何らの異議を挟まなかったので
あります」と述べている。
この吉田首相の演説は二つの意味で重要である。
一つは「「千島南部の択捉、国後両島が日本領である」という「択捉、国後固有の領土論」
は国際的支持を得られず、日本は千島列島全体の放棄を受諾せざるを得なかったことである。
今一つは択捉、国後を千島南部と位置付け、放棄した千島に入れていることである。
昭和26年10月19日、西村条約局長は衆議院での国会答弁において、
「条約にある千島の範囲については北千島、南千島両方を含むと考えております。
しかし歴史的に北千島と南千島はまったく立場が違う」と答えている。
更に昭和26年10月26日 衆議院本会議において(サンフランシスコ)平和条約の承認を求める際、
日米安全保障条約特別委員長田中萬逸氏は
「遺憾ながら條約第二條によつて明らかに千島、樺太の主権を放棄した以上、
これらに対しては何らの権限もなくなるわけであつて、国際司法裁判所に提起する道は存しておらない。
またクリル・アイランドの範囲は、いわゆる北千島、南千島を含むものである」と説明している。
この流れをうけて、昭和34年2月25日最高裁判所第二小法廷は「出入国管理令違反被告事件」において
「昭和二七年四月二八日発奴の日本国との平和条約二条(C)は、
“日本国は千島列島……に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する”旨規定しているのであって、
同日の外務省令一二号で千島列島に関する規定が削除されたのも右条約の趣旨に基くものであるから、
同日以降、千島列島に属する国後島は、出入国管理令の適用上においては、
同令二条一号にいう本邦には属しないこととなったものと解するを相当とする」との判決を出している。
国際的にみても、フランス政府はサンフランシスコ条約の千島の扱いについての日本側照会に対し会に対して
「サンフランシスコ会議議事録は千島の範囲に関し言及している。
特に日本代表が国後、択捉を南千島として言及しているところに注意を喚起する」と述べている。
(松本俊一著『モスクワにかける虹―日ソ国交回復秘録』)
こうして日本はサンフランシスコ条約においても択捉、国後を主張しうる立場にない。
2. 放棄された国後・択捉島を誰が領有するかの問題
2:米国、ソ連の参戦を求め、代償に千島、樺太をソ連に与える
ポツダム宣言で「日本の主権は本州、北海道、九州、四国と連合国側の決定する小島」とされ、
連合軍最高司令部訓令(21年1月)において,「千島列島、歯舞群島、色丹島等を除く」としている。
千島列島が何故日本領とされなかったのか。
これを理解するには第二次大戦中の米ソ関係を見る必要がある。
日独の敗戦が濃厚になってから、ルーズベルト大統領の最大の関心は
「如何に少ない米国の犠牲者の下に日本の無条件降伏を引き出すか」である。
この情勢判断はルーズベルト大統領の死後(1945年4月)引き継いだトルーマン大統領も同じである。
彼は『トルーマン回顧録』に次のように記している。
「我々の軍事専門家は日本本土に侵入すれば、
日本軍の大部隊をアジアと中国大陸に釘付けに出来た場合でも、
少なくとも50万人の米国人の死傷を見込まなければならない。
従ってソ連の対日参戦は我々にとって非常に重大なことであった」
従って米国にとってソ連の対日参戦は極めて重要である。
ルーズベルト大統領はテヘラン会議(1943年11月)でソ連の対日参戦を要請し、
ヤルタ会議で「千島列島がソヴィエト連邦に引き渡されること」の内容を含むヤルタ協定が結ばれた
(1943年11月)。この事情はグロムイコ元ソ連外務大臣著『グロムイコ回顧録』(読売新聞社、八九年)
に詳しい。
「(ヤルタで)彼の書斎にいくとスターリンは一人でいた。彼に心配事があることを察知した。
スターリンに英語で書かれた書簡が届いたところだった。彼はその書簡を渡しに渡し、
“ルーズベルトからだ、彼との会談が始まる前に、彼が何を言ってきたか知りたい”と言った。
私はその場でざっと翻訳した。アメリカはサハリンの半分(注。この時点で北半分はすでにソ連のもの)と
クリル列島についての領有権を承認すると言ってきたのだ。
スターリンは非常に喜んだ。『米側は見返りとして次にソ連の対日参戦を求めてくるぞ』と言った。
すでにテヘラン会議の時にルーズベルトはスターリンに対して対日戦の協力を依頼していた。
テヘランでこれらについて原則的な理解に到達していたが、確固たる合意はなかった。
この手紙の中でサハリンとクリル列島に対する言及があってはじめて最終合意が結ばれたのだった」
ヤルタ条約は日本を拘束するものではない。しかし米ソを拘束する。
米国は日本の抵抗を減じ、米軍の被害を少なくすることを望んでいる。
今日米国は長崎・広島への原爆投下の理由を、「米軍の被害を出さないためだった」としている。
同様に米国としては、ソ連が参戦し関東軍が日本に帰れなくしておくことを強く望んでいる。
ソ連が参戦する見返りに、樺太(南半分)と千島列島という餌をソ連に与えたのである。
このルーズベルトの約束は次の大統領トルーマンに引き継がれた。
連合軍一般指令作成過程での受け持ち地域に関するトルーマンとスターリンのやりとりは
興味ある史実を含んでいる(出典『日露(ソ連)基本文書・資料集』)
スターリン発トルーマン宛進展密書(45年8月16日)
「一般指令第一号が入った貴信受領しました。次のように修正することを提案します。
一:日本軍がソ連軍に明け渡す区域に千島全島を含めること
二:北海道の北半分を含めること。境界線は釧路から留萌までを通る線とする」
トルーマン発スターリン宛通信(8月18日受信)
「一般指令No1を、千島全てをソ連軍極東総司令官に明け渡す領域に含むよう
修正することに同意します。
3:1956年の日ソ国交交渉の時、何故、米国は日本が国後・択捉をソ連の領土と認めることを
米国が反対したか
この日ソ国交回復交渉に米国は大きい影響を与えた。
「二島返還やむなし」として解決を図ろうとする日本側に強い圧力をかけている。
重光外相はこのモスクワでの会談の後、
スエズ運河に関する国際会議の政府代表としてロンドンに行く。
ここでダレス長官を訪問して、日ソ交渉の経過を説明した。
この会談の模様を再度、松本俊一著『モスクワにかける虹』から見てみたい。
「(1956年)8月19日に、重光葵外相(この時、日ソ平和条約の日本側全権を兼任)は
ダレス長官を訪問して、日ソ交渉の経過を説明した。
ダレス長官は、“千島列島をソ連の帰属にすることは、サンフランシスコ条約でも決まっていない。
従って日本側がソ連案を受諾することは、日本はサンフランシスコ条約以上のことを認めることとなる。
かかる場合は同条約第26条が作用して、
米国も沖縄の併合を主張しうる立場に立つわけである”という趣旨のことを述べた。
重光外相はホテルに帰ってくると私を呼び入れて、やや青ざめた顔をして“ダレスは全くひどいことをいう。
もし日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたら、
沖縄をアメリカの領土とするということを言った”とすこぶる興奮した顔つきで話してくれた。
重光氏もダレスが何故にこの段階において日本の態度を牽制するようなことをいい、
ことに琉球諸島の併合を主張しうる地位に立つというがごとき、
まことにおどしともとれるようなことを言ったのか、重光外相のみならず、私自身も非常に了解に苦しんだ」
ダレス長官はさらに追い打ちをかける。9月7日谷駐米大使に、
「日ソ交渉に関する米国覚書」を手交する。
8月19日は重光外相に日本が「国後、択捉をソ連に帰属せしめたら」
米国は「沖縄を併合する」と脅した。
9月7日は「米国はサンフランシスコ和平条約による一切の権利を留保する、
平和条約はチャラになる」と谷駐米大使を脅している。覚書には次の記述がある。
「日本はサンフランシスコ条約で放棄した領土に対する主権を他に引き渡す権利を持っていないのである。
このような性格のいかなる行為がなされたとしてもそれはサンフランシスコ条約署名国を
拘束しうるものではなく、かつ同条約署名国はかかる行為に対しては
おそらく同条約によって与えられた一切の権利を留保するものと推測される」
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