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知ってて書かない「新聞」は『週刊文春』の"後追い"ばかり
http://mainichibooks.com/sundaymainichi/column/2016/06/12/post-910.html
サンデー毎日 2016年6月12日号
牧太郎の青い空白い雲 連載573
50年近く「ブン屋稼業」をしているが、これほど「新聞の無力」を感じたことはない。いま新聞は「権力」に跪(ひざまず)いているのではないか。
「週刊誌だから自由に書かしてもらう!」とばかりに、前回は「五輪裏金疑惑をスクープした雑誌『FACTA』って何だ!」と題して、この雑誌の健闘を紹介した。ついでに新聞、テレビは「電通の疑惑隠し」をしているんじゃないの?と書いた。
まだ「客員編集委員」という立場で毎日新聞社から「小遣い」をもらっているのに......悪口になって申し訳ないが、一人ぐらいは自ら「新聞人の無力」を白状しなければ!と思った。
しかし、「覚悟の新聞記者」は他にもいた。5月23日の『毎日新聞』の山田孝男記者のコラム「風知草・電通に聞きたいこと」である。
「東京五輪招致の不正疑惑で最も気になるのは、広告代理店大手『電通』が果たした役割である。売上高で日本一、世界第5位の『電通』は......自らは手を汚さず、腐敗の慣行に便乗するのか」
と小気味よく書いている。
大新聞、テレビにとって、「お友達(悪友?)」の大手広告代理店を真っ向から批判する。これを読むと『毎日新聞』も捨てたものではない。
× × ×
しかし、新聞はスクープ合戦で週刊誌に負け続けている。はっきり言えば、昨今は『週刊文春』の"後追い"ばかりではないか。
清原和博被告の覚醒剤使用、甘利明・前経済再生担当相の賄賂疑惑、舛添要一都知事の公金ネコババも......。すべて『週刊文春』の特ダネである。新聞が無力だから「権力」はやりたい放題だ。週刊誌がなければ、政治家やスポーツ選手の悪事は野放し状態だ。
『週刊文春』のかつての名編集長・花田紀凱(かずよし)さんは『夕刊フジ』のコラム「天下の暴論」の中で、"新聞の劣化"を嘲笑(あざわら)っている。評論家・日下公人(くさかきみんど)さんが20年も前に「なぜ、新聞はつまらないのか?」という理由をこう指摘した、と解説する。
(1)最近の新聞は取材力が衰えている。取材力不足のまま報道する。
(2)だから報道に迫力がない。迫力がないから解説に逃げる。
(3)勉強不足だから解説も道徳論に逃げる。
(4)道徳論も結論を言うのは勇気がいるから一般的な願望を述べるに終わる。
まさにその通り。だから、新聞はつまらない。
コラムの名手、前出の山田孝男記者の論陣も結局、道徳的になって......察するに「電通」の圧倒的な影響力の前で、新聞社は「どうしたものか?」と思案して、とりあえずお茶を濁したというのではあるまいか? そう邪推する読者もいるかもしれない。新聞に「勇気と取材力」が欠如しているのではないか。
× × ×
かつて新聞は月刊『文藝春秋』にやられたことがある。
1974年、この雑誌は田中角栄首相(当時)の金脈問題を大特集した。そして、時の首相を辞任に追い込んだ。
この特集は、ジャーナリストの立花隆さんを中心にしたチームが、登記簿や政治資金収支報告書を徹底的に調べ上げ、地べたを這(は)うような取材した。この時、大新聞の政治記者は「あんなこと、みんな知ってること」と無視しようとしたが、世間は『文藝春秋』の努力を支持した。それと同じことが今、起こっている。
『週刊文春』がスクープした「清原の覚醒剤」「舛添さんの公金ネコババ」も新聞記者は知っていた。甘利さんの賄賂疑惑は大新聞に情報が提供されたというが、なぜか無視した。なぜ、新聞は知っていたのに書かないのだ!
四十数年前、田中角栄の金脈問題で『文藝春秋』に負けた大新聞はそれでも生き延びた。でも、時代は変わった。
ネットの時代、新聞は情報を独占できない。新聞よ! 地べたを這え! 知ったら書け!
今週も、後輩に嫌われる雑文になってしまったようだが......許せ!
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