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安倍政権はなぜこんなに強いのか
幹部人事を握る「内閣人事局」が官僚機構を動かす
2016.5.20(金) 池田 信夫
安倍首相主催の「桜を見る会」1万6000人招待
安倍晋三首相主催の「桜を見る会」で記念撮影する首相夫妻(中央)と招待客(2016年4月9日撮影、資料写真)。(c)AFP/TORU YAMANAKA〔AFPBB News〕
5月18日に発表された今年1〜3月期の実質成長率は、うるう年の影響を除くと0.1%。2015年度の通期では0.8%と、民主党政権時代の2012年を下回る。同時に発表されたGDPデフレーター(物価上昇率)も低下が続いて0.1%とゼロに近づき、安倍首相も「アベノミクス」と言わなくなった。
首相が政治生命をかけた安保法制も、憲法審査会で自民党の参考人が「憲法違反だ」と述べたおかげで、国会は大混乱になった。しかし内閣支持率は50%を超え、安定している。
なぜ政策は失敗続きなのに、「安倍一強」と言われるのだろうか?
民主党の「政治主導」はなぜ失敗したのか
いちばん簡単な答は、「野党がだめだから」ということだろう。民進党は夏の参議院選挙に生き残るために共産党と共闘し、「安保法の廃止」や「消費増税の再延期」など無責任な政策を掲げる万年野党に回帰している。それがどういう運命をたどるかは、昔の社会党をみれば分かる。
もう1つは、小選挙区制の効果がようやく出てきて、派閥の力が弱まったことだ。中選挙区制の時代には派閥が選挙とカネの面倒をみたので、党執行部の指導力が弱かったが、派閥を無視して組閣した小泉内閣あたりから総裁や幹事長の権限が強まった。
しかし「意思決定の政府への一元化」を公約した民主党政権は党内抗争で空中分解し、事務次官会議を廃止して「政治主導」で政務三役が命令しても、官僚は言うことを聞かなかった。1年ぐらいで交替する閣僚の言うことより、役所の決定が最優先だからである。
省内の人事も大臣官房の秘書課が決め、事務次官が大臣の承認を受ける。法的には大臣に人事権があるが、拒否権を行使することはまずなく、たまにあると大事件になる。したがって実質的な最終決定者は事務次官であり、人事は官僚機構の中で完結していた。
キャリア・ノンキャリアというのは法律のどこにも書いてない身分で、戦前からの高等官/判任官を継承したものだ。戦後改革で霞が関全体を統括する「人事院」が置かれたが、これは各官庁から提出された名簿を承認するだけの名目的な機関だ。
政策決定もボトムアップで、法案の起案は課長補佐が行い、課長はそれを省内や他省庁と折衝し、審議官以上の幹部は「族議員」に根回しする。その了解を得て法案が政務調査会で決まると総務会で全会一致で了承され、閣議はそれを事後承認するだけの調印式だった。
サラリーマンはみんなそうだと思うが、組織で働く人間は自分の処遇を決める人のほうを向いて仕事をする。いろいろなポストを渡り歩き、天下りまで役所に面倒をみてもらう「超終身雇用」の官僚はとりわけその傾向が強い。
小泉改革が成功したのは、霞が関の人事を知り尽くしている飯島勲秘書官と、竹中平蔵氏の合理主義がうまく噛み合ったからだ。政務三役がいばり散らすだけの民主党政権(2009年9月〜2012年12月)の「政治主導」が空回りに終わったのは当然だった。
公務員制度改革への長く曲がりくねった道
第1次安倍内閣(2006年9月〜2007年8月)で行政改革担当相になった渡辺喜美氏は、公務員制度改革をスタートした。年功序列や天下りを廃止し、能力主義にしようというのが公務員制度改革の当初の狙いだったが、挫折して渡辺氏は離党した。
麻生内閣(2008年9月〜2009年9月)は内閣官房に「内閣人事局」を設置し、採用試験や昇進基準などの人事院の所掌・権限を移管することになった。これに対して人事院の谷公士総裁がマスコミに反対意見を表明し、公務員制度改革推進本部の会議に欠席するなど異例の騒ぎになったが、人事院は実質的に廃止されて内閣に人事権が移った。
その後も官僚機構の抵抗は続き、現役出向という抜け穴ができて天下り禁止は骨抜きになった。これは官僚が役所に籍を置いたまま民間企業に出向し、出向先で退官して役員になるもので、実質的には役所が給与を負担する天下りだ。
これは民主党政権でも続き、その実態を国会で証言した古賀茂明氏(公務員制度改革推進本部審議官)が左遷される事件も起こった。民主党政権は官僚の定年を延長して天下りをなくす方向で改革を考えていたため、内閣人事局の構想は頓挫してしまった。
マスコミも天下りばかりに注目していたが、本質的な問題は内閣がトップダウンで各官庁を指揮する議院内閣制が無視され、各官庁がタコツボ的に意思決定を行って役所どうしで根回しし、それを内閣が事後承認する下剋上の意思決定システムなのだ。
人事に注目した「影の首相」菅官房長官
第2次安倍内閣(2012年12月〜)は内閣人事局構想を復活させ、2014年5月から全官庁の審議官以上の幹部の人事を内閣人事局が決めることになった。これは当初ほとんど注目されず、「600人もの人事を官邸が動かせるはずがない」と官僚も甘くみていた。
しかし内閣人事局に注目したのが、菅義偉官房長官だった。それまで霞が関全体の人事を統括するのは官房副長官(事務)で、官僚が各官庁の調整をする慣例になっていたが、菅氏は初代の内閣人事局長に官房副長官(政務)の加藤勝信氏を起用した。幹部の人事権を官僚から取り上げ、政治家に任せたのだ。
表向きの目玉は「女性の登用」だったが、もっと大事なのは官邸の意向を受けた幹部の配置だった。今まで年功序列で決まっていた経産省や総務省の幹部ポストに安倍首相の秘書官経験者が抜擢され、財務省の幹部を「片道切符」で厚生労働省に転籍させるなど、前例のない異動が行なわれた。
これによって官邸と党との力関係も変わった。従来は族議員が官僚との窓口になっていたが、官房長官が政策ごとに各官庁の幹部を集めて官邸に「特命チーム」をつくり、トップダウンで官庁を動かすようになった。
このような官邸主導の人事は始まったばかりだが、これが定着すれば政府と党の関係も変わる。軽減税率に抵抗した野田毅税調会長を更迭する、前例のない人事も行われた。
「安倍一強」で党内に表立った反対勢力が出てこない背景には、こうした人事改革があるというのが、関係者や専門家の見方だ。
トップダウンの意思決定にはリスクもある。官邸主導の先駆けだった日銀総裁の人事は、金融政策に素人の黒田東彦氏を総裁に起用して失敗に終わった。NHKの籾井勝人会長は、組織に大混乱を起こしている。
しかしその責任は安倍首相にあり、彼が更迭すると決めればできる。それが失敗すれば、野党が追及して政権交代すればいい。少しずつ日本の政治は、政党内閣が政治の方向を決める「普通の民主政治」になりつつある。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46900
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