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中島岳志氏「現代は戦前の社会とそっくり」(C)日刊ゲンダイ
政治学者・中島岳志氏 「政治と宗教の接近」を強く危惧 注目の人 直撃インタビュー
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/176037
2016年2月29日 日刊ゲンダイ
安倍政権下で全体主義がよみがえるのではないか。またまた学問の世界から、こんな問いかけがわき起こっている。昨年は立憲主義を否定する安倍政権の暴挙に対して、憲法学者が立ち上がった。
今回はというと、政治学者の中島岳志北大准教授と宗教学者の島薗進東大名誉教授が議論した本(「愛国と信仰の構造―全体主義はよみがえるのか」集英社新書)で、ナショナリズムと宗教が結びつきつつあることに強い警鐘が鳴らされたのである。安倍内閣の閣僚のほとんどは伝統的な社会を理想とする、宗教色の濃い「日本会議」に所属している。5月のサミットも皇室とゆかりの深い伊勢神宮のある伊勢志摩で行われる。政治と宗教に対して、国民は今こそ敏感になるべきだ。
■かつてのように宗教と政治が近づいている
――「報道ステーション」では辛口コメントが痛快な中島さんですが、ナショナリズムと宗教の関係に焦点を当てて、対談本を上梓された。キッカケは何ですか?
新自由主義とグローバル化が進行した結果、社会が流動化して、自分のよりどころのなさに不安を感じている人々が大勢いますが、そうした人々を魅了するのが、よりどころのなさを解消してくれるナショナリズムと宗教です。このふたつが結びついた宗教ナショナリズムが暴走すると、とても危険なことになるのです。
――戦前の日本がまさしくそうだった?
はい。ナショナリズムは健全な民主主義を育む可能性もある一方で、「日本人であるか、ないか」だけを指標にして、排外主義的な、間違った方向にも傾きやすい。そうした偏狭な愛国心が、宗教と深く結びついたときになにが起こるのか。戦前の日本では、国家神道などの宗教が、天皇や日本という祖国を信仰の対象とすることで、ナショナリズムを過激化させ、全体主義の時代になだれ込んでいき、大きな戦争にまで突入していきました。
――そういう戦前と現代の日本はよく似ている?
第2次世界大戦前の日本でも、社会の流動化が進み、現代と同じように個人がバラバラになって砂粒化していた。経済的な閉塞感という意味でも、恐慌が続いた戦前の社会は、現代とそっくりです。
――明治維新から太平洋戦争突入までがおよそ75年間なんですね。昨年は「戦後70年」でしたが、戦後から現在まで、ほぼ同じ年月をかけて戦前と似たような歴史過程を歩んでいるという分析も本で紹介されていた。
社会の雰囲気は、いわゆるひと世代、25年ごとに変化すると社会学者の大沢真幸さんが言っていますが、この75年間は、3つの時代に区分できます。明治維新後の最初の25年間、つまり維新後の第1期は、欧米列強の仲間入りを果たそうと富国強兵に努めた時期でしたが、同じように敗戦後の第1期には戦後復興を目標にして高度経済成長を達成した。戦前の第2期においては日清・日露戦争に勝ち、「アジアの一等国」としての地位を固め、一方、敗戦後の第2期は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」として隆盛を極めた。しかし、どちらも50年を過ぎて第3期に入ると社会基盤のもろさが表立ってくる。戦前の第3期には恐慌があり、血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件などテロ事件が相次ぎ、全体主義にのみこまれていった。このときドライブをかけたのが、国家神道などと結びついた宗教ナショナリズム、いわゆる「国体論」です。戦後の第3期はバブル崩壊と金融危機が本格化した1995年から始まるのですが、この年、オウム真理教事件が起き、その後も社会不安は消えないまま、戦前のごとく、じわじわと政治と宗教が互いに近づいてきています。
青年の鬱憤がナショナリズムと宗教に結びつく
「宗教ナショナリズムの暴走が心配」と中島氏(C)日刊ゲンダイ
――政治と宗教の接近の代表例ともいえる日本会議の設立も第3期に入ってすぐの1997年でした。日本会議は自民党の発表した憲法改正草案を積極的に支持していますが、あの草案には「国旗国歌を尊重し、家族は助け合え」といった内容が書かれています。
一昨年、安倍政権は、集団的自衛権行使のために憲法9条の解釈改憲を閣議決定によって行いました。実質的な改憲が立法府を通さず、内閣の中で自己完結的に行われたのです。国民が選挙で選んだ代表は立法府にいる国会議員たちです。内閣だけで完結する政治は、「主権在民」の基本が破られた、尋常ならざる状態だと思います。ここで選択肢を誤ると、立憲主義も民主主義も根こそぎになり、戦前以上にひどい全体主義国家になってしまうのではないか。そのくらいの危機感を持っています。
――日本会議と安倍政権との蜜月のような構図は政教分離を定めた憲法20条には違反しないのですか?
戦前の日本が国家神道を政治の道具にしたように、他の宗教を抑圧したり、信仰の自由が侵されるような政治を行えば、それは違憲でしょう。現状はそこまでいっていないけれども、この先も、そんなことがあってはならないと思います。ひとつ注意を払っておいたほうがいいのは、戦前に唱えられた神社非宗教説です。日本は明治維新で近代国家をつくる際、「神道というのは日本人の生活様式であって、宗教ではない」(神社非宗教説)という考え方を構築して、欧米に対して、政教分離原則や信教の自由を保障している「ふり」をした。しかし、戦前の日本で実際に起きたことは、国家神道を中心に置いた宗教ナショナリズムの台頭でした。
――戦前と戦後では、若者の閉塞感も似ていますね。自己の存在について思い悩んだ「煩悶青年」と呼ばれる戦前の若者たちと今の若者たちの共通点というか。
重なって見える部分は多いですね。「煩悶青年」の一部は、戦前第3期の血盟団事件などのテロ事件を起こしました。こうした戦前のテロ事件と、2008年の秋葉原連続殺傷事件などは似ています。しかし違う点は、戦前のテロ事件は、ターゲットがはっきりしていたこと。国体としての天皇と自分たちの関係を邪魔する者、これを殺せば、雲が晴れる。そういう考え方で社会を困窮させた財界人などを殺していく。でも、秋葉原事件は無差別殺人でした。現代では誰が自分に不幸を強いているのかが不透明です。だから、殺す相手は誰でもかまわない。こうした青年の鬱屈が過激なナショナリズムや宗教と結びついていくと、それが暴発する恐れがある。
■ポピュリストの強い言葉に大衆が引き寄せられる危険
――殺人までは犯さなくても、新自由主義経済で格差が拡大し、多くの人がはけ口やよりどころを求めている。こうした抑圧感があります。
日本人が戦後初めて本格的に大きな不安を感じたのが95年の阪神淡路大震災でしょうね。戦後日本がつくってきた「強い経済」という物語が、目に見える形で崩壊した。東京で起きた地下鉄サリン事件もしかりです。その時に何が起きたかというと、「断言にすがる」風潮です。95年に一番売れた本は「脳内革命」。ポジティブシンキングで、すべて解決できるという根拠の薄いスピリチュアル本です。松本人志の「遺書」、小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」も売れた。国民が強い言葉に一斉に群がったんですね。「強い経済」という柱が折れたら、日本人はこんなに弱かった。私は20歳でしたが、驚いたのを覚えています。
――95年よりもっと、国民の不安は増大しているのではないですか?
そのとおりです。そして、さらに大きな不安に襲われるのは、米国という後ろ盾を失った時でしょう。今の日本は米国に従属していて、安倍首相も自身のイデオロギーよりも米国の方針を優先させる。ただ、近い将来、間違いなく、米国は東アジアにおける「警察官」の役割を放棄し、撤退していく。戦後ずっと米国頼みでやってきた日本を「何をやっても『ごっこ』でしかない」と評論家の江藤淳氏が鋭く批判しましたが、その「ごっこ」の時間が早晩、終わる。そのとき日本人は不安に耐えられず、強烈なポピュリストの強い言葉、例えば橋下徹のような政治家の言葉に大衆が無防備に引き寄せられ、全体主義が深まっていくのではないか。
――そのとき宗教ナショナリズムにも人々は吸い寄せられる?
宗教ナショナリズムの暴走も心配です。ただ、難しいのは、だからといって宗教を捨て去ることができないということ。人間というのは本質的に宗教的な存在でしかありえない。一方、ナショナリズムにしても、「国民に主権をよこせ」という運動から出てきたのであって、大事なものです。両者は切り離せないので使い方を間違えないように、あらかじめ取扱説明書と解毒剤を用意しておかないといけない。それを考えるうえで、日本は格好の失敗事例をたくさん持っている。それが戦前の宗教ナショナリズムや全体主義の歴史です。これを鑑のようにじっくり見る必要があるのです。
▽なかじま・たけし 1975年生まれ。大阪外大卒、京大大学院で博士号を取得。北海道大学法学部准教授。テレビ朝日「報道ステーション」レギュラーコメンテーター。「愛国と信仰の構造」はアマゾン政治部門1位に輝く。
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