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甘利事件に残された「ナゾ」 〜告発者の狙いは何だったのか?
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47960
2016年02月18日(木) 伊藤博敏「ニュースの深層」 現代ビジネス
■「仕事師」の正体
国会で、甘利明前経済再生担当相の秘書らが都市再生機構(UR)に対して口利きをした問題が取り上げられ、高級自動車「レクサス」を“おねだり”していた音声データが公開されるなど、大物政治家とその秘書の「権力をカネにする」という意識が、以前と変わらないことが明らかになった。
同時に「口利きの有無」というあっせん利得処罰法など、犯罪に関わる部分と無関係なことから、ほとんど取り上げられていないが、「一色武とは何者か」という告発者の素性については、事件の持つ意味を考え、背景事情を知るためにも必要なことだろう。
現在、62歳の一色武氏は、『週刊文春』と同誌が仲介したメディアにしか登場しないので、“縛り”がかかっているのか、素性はほとんど明かされていない。これまで4回の文春報道で明らかなのは以下の通り。
・20代の頃から主に不動産関係の仕事をしていた。
・その縁で、甘利明代議士の父で衆議院議員の正氏とも面識があった。
・一色人脈のひとりが正氏の書生をやっていたI氏で、ともに漁業権の売買に関する相談を甘利明代議士にしたことがある。
・補償を求めた薩摩興業の代理で千葉県企業庁を攻撃していた右翼団体に所属していたことがある。
・その右翼団体の後を引き継ぐ形で、薩摩興業総務担当者として活動した。
・甘利事務所には、URへの口利き以外、労働ビザの発給に絡み、2回、金銭(1回20万円)を支払った。
不動産業者、漁業権売買、右翼団体構成員、補償交渉代理人、労働ビザの斡旋……。これでは本業はわからない。というより本業はなく、面倒な交渉事に登場して話をまとめるブローカーといっていい。この種の人は、「仕事師」と呼ばれることもある。一色氏の知人の言葉がそれを裏付ける。
「カネになることはなんでもする、そのために必要なものはなんでも利用する。不動産業者といっても転がし専門。彼が親しくして、一緒に漁業権に取り組んだというIさんは、平塚の自民党系同和団体のボス的存在だった人。
また、右翼団体というのは北方領土に取り組んでいた八王子の団体だが、一色氏にそんな意識はなく、右翼の傘の下に入りたかっただけ。労働ビザは、フィリピンパブで働く女の子のためのものだった」
■問題となった土地を「解剖」する
この種の人は、暴力団構成員が“正業”として不動産、金融、人材派遣、飲食などの事業を営み、総会屋が企業から賛助金を得て、同和団体や在日朝鮮人の団体などが、差別問題に取り組んで権益を得ることができた時代には少なくなかった。
バブル期に政官財を横断して活躍した在日韓国人の許永中氏、大阪の同和団体支部長だった小西邦彦氏といった「仕事師」をすぐに思い浮かべることができる。
交渉内容をICレコーダーで録音、接待の領収書は記録して保存、政治献金のコピーまで取っておく粘着質は、「仕事師」に共通するものではないが、イザとなると開き直って相手を追い詰める材料を入手しておくのは、彼らにとって必須であり、一色氏もそのひそみに習った。
お車代から始まって、接待のランクを上げ、最後は女を抱かせ、高額なプレゼントを贈るのは、「仕事師」ならずとも、篭絡の“常道”で、レクサスを要求するまでズブズブの関係に持っていったのは一色氏の“腕”である。
それにしても気付かされるのは政界の意識の古さである。法律が整備されて、暴力団、右翼、総会屋、圧力団体の多くが反社会的勢力と認定され、彼らの活動領域は狭まり、同時に企業側にコンプライアンス意識が高まって、反社の行き場はなくなった。
それは同時に、一色氏のように反社ではないがグレーゾーンに生息して「表」と「裏」の仲介役となる「仕事師」の存在価値を減じさせた。なのに、政界だけは政治資金を吸い上げる道具として、一色氏のような存在を未だに重宝していたのである。
さらに、一色氏を「交渉人」とした薩摩興業も、「カネのためなら何でもする存在」で、今回、巨額補償を引き出すまでの工作はあざとく、そもそも補償をいいつのる正当性があるとは思えない。
問題となった土地は、千葉ニュータウン北環状線の道路予定地にある。ここは、千葉県議会で何度も取り上げられた因縁の地だ。1991年に死去した地主が、千葉県企業庁に道路用地として土地を売却しながら、その周辺地も含めて産業廃棄物を不法投棄したからだ。
「70年代の半ば頃から、地主が小高い山のようになった山林、田畑を削って、建設用土砂として運び出し、その跡地を15メートル以上も掘って、産廃の不法投棄を始めた。それこそ建設残土から家具家電まで。燃やせるものは燃やして投棄していった。その結果、元の丘状態になった。何が埋まっているかわからない。行政も警察も、何もやってくれなかった」(地元住民)
地主は、罰金など2度の刑事処分を受けており、何もしなかったわけではない。ただ、投棄が終了する85年頃まで、強制的な排除をすることなく、実質的に放置していたという意味で、行政も警察も不作為を貫いた。
千葉県船橋市に本社があった薩摩興業が、「産廃の山」に本社を移し、そこを事務所兼資材置き場とするのは91年12月である。不法投棄の地主と先代社長が友人で、安く借りることができた。
■補償金が面白い具合に出てきた
だが、本来「ゴミの山」は、まず、ゴミを撤去するのが“筋”で、その状態のまま構造物を設置することは許されない。さらに現地の地目は「畑」で、建物は認められず、よって登記もされていない。
道路予定地の産廃の取り出し現場
薩摩興業は、建設用型枠の工事業者であり、15年3月期の売上高が約3億8000万円という中小企業。地主との関係から土地を借りた先代社長は、02年6月に退任、後を受けた息子の現社長が、道路建設工事を見越して移転費用を得ようと、07年頃から活動を開始した。
利用したのは右翼団体だ。先代社長が、台湾問題に取り組んでいた相模原の右翼団体幹部だった関係で、現社長が同団体の会長(故人)に相談。その会長の体調が思わしくないということで、実際の活動を請け負ったのは八王子の右翼団体。両団体、合わせた活動費は300万円。その八王子の団体の構成員が一色氏だった。
薩摩興業の目標は5億円だった。相模原の団体会長が、懇意の青森県出身の元閣僚(引退)に相談した時、「5億円ぐらいは取れるだろう」という言葉を得ており、それが薩摩興業の皮算用となった。
しかし、右翼団体の千葉県企業庁に対する働きかけはうまくいかなかった。地主との間に賃貸借契約は発生しているものの、そこは前述のように不法投棄の現場であり、専有占拠した資材置き場の一部は千葉県企業庁の土地にかかっていた。
両者の言い分は平行線を辿り、やがて交渉権は千葉県からの委託を受けたURの手に移った。そして、右翼団体を離れ交渉担当者となっていた一色氏が、13年5月、甘利事務所に陳情に出かけ、同事務所の指示で、内容証明郵便を送ったあたりから、面白いように補償金が出てきた。
先行移転補償1600万円、再配置建て替え補償2億2000万円、工事によるコンクリートのヒビや建物の修繕補償数千万円(金額は非公表)……。
確かに、違法物件であっても財産権は発生しよう。しかし、その権利が「ゴネ得」によってもたらされようとするなら、「政治家の口利き」によって調整するのではなく、裁判所で決着をつけるべきだろう。
不法投棄がまずあり、次に違法建築物が建てられ、コンクリートを打って既得権益化したうえで、右翼を動かし、次に政治家を使って、圧力に弱いURから高額補償をもぎとった。一色氏はさらに補償費が取れると踏んで、甘利事務所を使った、という構図だ。
■なぜ「自爆テロ」を行ったのか
一色氏は、「仕事師」としての役割を十分に果たした。また、篭絡された秘書も同様に役割を果たし、昨年10月から今年1月までの間に、2億2000万円以降の上乗せ補償交渉は8回に及び、金額は未公表ながらURは数千万円を出したうえに、さらに1億円超の移転費用を提示していたという。
その段階で、記事化を前提に、『週刊文春』にすべての資料を渡し、自爆テロを行ったのはなぜなのか。
カネにならないことをやるのは、「仕事師」の範疇から逸脱しており、理由として考えられるのは、URや甘利事務所とのトラブルではなく、むしろ発注サイドである薩摩興業との関係だろう。同社は、一色氏にどのようなプレッシャーを与えたのか。
自爆テロは謎のまま残ってはいるが、それによって、大物政治家の変わらぬ生態が表面化し、事件化は必至の情勢。同時に、今回の騒動と事件化を通じて、政治資金とURのあり方が論議されるのは、唯一の成果となりそうだ。
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