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[真相深層]慰安婦合意「朴家の50年」
父娘の絆、批判勢力と対峙 対北朝鮮、日韓関係の試金石に
旧日本軍の従軍慰安婦問題をめぐる昨年末の日韓合意を受け、韓国では反対派の批判がやまない。それでも朴槿恵(パク・クネ)大統領は「今できる最高の合意になるよう努力した」と強気を貫く。合意は父から娘につないだ「朴家の50年」の総決算でもあった。
慰安婦問題は朴氏にとって特別な意味がある。
1979年、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が韓国中央情報部(KCIA)部長に暗殺された。当時27歳だった長女、朴槿恵氏は5年前にも朴大統領を狙った凶弾で母を失っており、2人の妹弟を抱えて不遇の日々を過ごすことになる。
「歴史をただす」
この間、韓国を18年率いた朴正熙氏に対する「独裁者」や「親日派」との批判を浴び、側近からも次々と背を向けられた。どん底を経験した朴槿恵氏が89年、公の場に10年ぶりに姿をみせた。口をついて出たのは亡き父の名誉回復だった。父が主導した61年の軍事クーデターを「救国の『革命』だった」と擁護し「大事なのはゆがめられた歴史をただすことだ」とメディアに語った。
「父は立派な先生で、私はまじめな生徒だった。『国益最優先』という父の政治信念は確固としていた」。母の死後にファーストレディー役を5年務めた当時を自叙伝でこう振り返っている。
2013年、大統領に就任した朴槿恵氏は「第2の『漢江の奇跡』を起こす」と宣言した。その後も「経済革新3カ年計画」や途上国向け「セマウル(新しい村)運動」を国内外で発信した。いずれも60〜70年代に朴正熙大統領が掲げたスローガンの改定版だ。歴史教科書を検定から国定制度に戻す決定にも、野党は父の軍事政権時代を美化しようとしていると警戒するが、朴氏は「正しい歴史を学ぶことができなければ魂に異常を来しかねない」と一蹴する。
強い絆で結ばれた朴家のアキレスけんが慰安婦問題だった。1990年代に表面化し、個人の財産・請求権が「完全かつ最終的に解決された」とした65年の日韓請求権協定締結時には想定されていなかった。国内の革新系は朴正熙氏が日本からの経済協力を優先し、謝罪や賠償をおろそかにしたと非難を強めた。
残された「宿題」
自らの任期中に決着させなければならないと朴槿恵氏は考えた。生存する元慰安婦46人の平均年齢は約90歳と高齢だ。日韓国交正常化50年が終われば勢いが失われ、未解決の懸案として韓国現代史に刻まれてしまう。それは尊敬する父の業績を傷つける。「時間がない」と繰り返し、機会あるごとに解決を訴え続けた。その姿は「父が残した『宿題』を片付けようとする娘のよう」(ソウルの外交筋)に映った。
国交正常化当時、ソウルに戒厳令を宣布してまで反対論を押し切った朴正熙氏を、日本で支援したのが安倍晋三首相の祖父、岸信介元首相だった。61年に東京で面会し、岸氏は朴氏の背中を押したという。その「孫と娘」が半世紀後の昨年末、再び日韓を動かした。
合意後もソウルの日本大使館前では毎週、合意破棄を訴える元慰安婦支援団体が主導する集会が続く。韓国政府が「解決へ努力する」と約束した少女像の周りには大学生らが座りこむ。慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」も韓国世論の不満が残る。
慰安婦合意はどれか1つでも触ったらすべて崩れる積み木細工のようだ。それでも今回は日韓外交で論じられてきた「勝ち負け」でなく、互いに歩み寄った点に価値があると専門家は語る。14日に自民党議員が慰安婦を「職業としての売春婦だった」と発言した際、韓国政府は批判のトーンを抑え、日本では安倍首相や菅義偉官房長官が早期収拾に動いた。批判勢力からの逆風のなか、「大統領の決断」のもとで当局が持ちこたえているのが韓国の現状だ。
今年に入ってすぐに北朝鮮の核実験が襲った。「今度こそ北朝鮮に思い知らせないといけない」と朴氏の強硬姿勢は父親譲りだが、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の出方は予測がつかない。安倍首相と朴大統領は昨年末の電話で、安全保障分野の協力強化へ意見を交わしていた。慰安婦妥結の成果を試す格好の機会となっている。
(ソウル支局長 峯岸博)
[日経新聞1月27日朝刊P.2]
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