http://www.asyura2.com/16/kokusai16/msg/606.html
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前向きに読み解く経済の裏側
移民を追い出しても米国経済は大丈夫なのか
トランプ政策を検証する(1)
2016/12/05
塚崎公義 (久留米大学商学部教授)
ドナルド・トランプ氏(トランプ次期米国大統領。以下同様)は、移民に対して強硬な発言を繰り返しています。選挙が終わってから、若干のトーンダウンは見せていますが、移民に厳しい政権運営が行われる事は確実です。そうした中で、「移民が可哀想だ」という感情論はさておき、「米国経済を支えている移民を追い返してしまって米国経済は大丈夫か?」という疑問を持つ人も多いようです。筆者は大丈夫だと思っていますが、今回は米国経済と移民の関係について考えてみましょう。
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最下層の仕事は移民が担当
米国は、移民の国です。最初に到着した移民が先住民族を駆逐して土地の支配者となり、アフリカから黒人を連れて来て奴隷にしました。自分たちがやりたくない3K労働(キツイ、キタナイ、キケン)を押し付けるためです。奴隷が禁止されると、今度は新しく移民として入国した人々に3K労働を押し付けたのでしょう。それでも貧しい祖国にいるよりは、豊かな米国で3K労働に従事する方がマシだったので、多くの人々が次々と移民として入国して来たのでしょう。
こうして、「先に入国した移民が、後から入国した移民を自分より下に置くことで、少しずつ国内の地位が上昇していく」というシステムが成り立っているのでしょう。
余談ですが、そうして豊かに暮らしていた白人の中流階級が、グローバリゼーションによって生活の安定を脅かされている事に危機感を感じ、グローバリゼーションに反対しているトランプ候補に投票したのだと言われています。
グローバリゼーションは、移民として入国してもいない中国人やメキシコ人が安い給料で作った製品が、自分たちの仕事を奪うようになったということで、白人の不満の源となったはずです。だからこそ中国製品に高関税をかけるといった主張に白人たちが共感したのでしょう。
いま一つは、移民が多すぎて、3K労働だけでなく、自分たちの仕事にまで参入して来て自分たちの仕事を奪っている、と考えているのでしょう。だから、移民を追い返すというトランプ候補の主張が支持されたのでしょう。
本音と建前の落差に疲れている白人たち
もちろん、「白人は有色人種より先に移民してきたのだから偉いのだ」などと表立って言う人は少ないでしょうが、世の中には、本音と建前があります。建前はともかく、本音ではそう思っている人々が、自分たちの生活レベルが下がって来た時に、後から来た移民に仕事を奪われている事に怒りを感じることは自然なことなのでしょう。
余談ですが、建前を追求し過ぎて「ポリコレ」を追求し過ぎたために、米国人が息苦しさを感じ、これがトランプ候補勝利の一因となった、という指摘があるほど、最近の米国では建前が重視されているようです。ちなみに、ポリコレとは、ポリティカル・コレクトネスの略で、たとえばメリークリスマスと言うと非キリスト教徒が傷つくので、「シーズンズ・グリーティング(季節の御挨拶)」と言うべき、といったことです。
しかし、米国では、ほんの数十年前までは、公然と人種差別が行なわれていたわけです。だからこそポリコレが必要だとされているのでしょう。ポリコレを強調しすぎるくらいでないと、様々な差別が公然と行われかねないから、という事なのでしょう。これを裏から見れば、建前とは別に本音が厳然と存在している、という事になります。人種差別についても、人々の意識としても実態としても、存在していると想像されます。
そこで以下では、ポリコレを忘れて、「米国政府や米国人の本音」を筆者なりに想像してみます。筆者自身が「移民には3K労働が相応しい」と考えているわけではありませんので、誤解のないように御願い致します。
違法移民と適法移民の区別が重要
移民は、米国経済にとって必要です。白人たちも、それは充分理解しているはずです。新しく流入する移民が全くいなければ、3K労働の担い手が不足してしまうからです。したがって、一定数の新規移民が合法的に流入して来ることは、コンセンサスとなっているはずです。
問題は、違法に入国してくる移民です。これは、米国政府が必要と考えている3K労働者の数に上乗せして流入して来る人々だからです。この人々は、招かれざる人々なのですから、メキシコとの間に壁を作って流入を阻止する事は「望ましい」ことです。すでに入国している不法移民も、追い返す事が「正しい」ことです。なぜならば、彼等は違法入国者であり、米国が必要としていない人々だからです。
米国で3K労働に従事する労働者が足りないのであれば、違法移民の一部を合法化すれば良いのですが、そうでない限りは追い返せば良いのです。
本稿の冒頭で、「米国経済を支えている移民を追い返してしまって米国経済は大丈夫か?」という疑問を持つ人も多いようです、と記しました。そうした人々には、合法的な移民と違法な移民を明確に区別して考えていただければ幸いです。
日本は3K労働者不足を移民で補うべからず
日本の入国管理政策は、「高度な人材は積極的に受け入れるが、単純労働者は受け入れない」ということを基本としています。そこには3K労働は移民に任せよう、という発想はありません。むしろ、移民が流入して単純労働者として安い賃金で3K労働に従事すると、日本人の雇用が失われてしまう、という事が懸念されているわけです。
そうした中で、介護労働者が不足しているため、外国人を介護労働者として受け入れようという人が増えてきました。労働者として受け入れて、仕事をやめたら帰国してもらうのか、移民として日本に移り住んでもらうのか、という点は論者によって区々ですが、本稿ではそこは置いておきましょう。
日本では最近まで、介護労働者だけが不足していました。それならば、介護労働者の待遇を改善して、一般の失業者が介護に従事するようにするべきでしょう。「財政赤字を減らすために介護報酬を低く抑え、それによって介護労働者の賃金が低く抑えられている」ことが原因ならば、選択肢は二つしかありません。「もっと税金等を投入して、介護労働者の待遇を改善する」「介護労働者不足なので、介護サービスを半減する。しっかり介護して欲しいなら、自費で介護師を雇うべし」の二つです。
最近になり、少子高齢化と景気回復の影響で、全般的に労働力が不足して来ました。「それならば、幅広く外国人労働力を活用しよう」という論者も多いようですが、これも感心しません。労働力が不足してきたからこそ、ようやく失業者が減り、非正規労働者の待遇が改善してワーキング・プアがマトモに暮らせるようになったのです。これからは、省力化投資が増えて、日本経済の効率性が高まっていくと期待されます。
ここで外国人労働力を導入して労働力不足が解消してしまったら、せっかく減った失業者が増え、ワーキング・プアの生活が再び悪化し、せっかく期待された日本経済の効率化も進まないでしょう。
ちなみに、「技能実習生」といった名目で実態としての単純労働者が流入している、実際には不法滞在している外国人が単純労働に従事しているケースも多い、といった話も耳にしますが、筆者は詳しくないので、その点についての言及は控えておきます。
企業にとっては、失業者が増えて非正規労働力が安価に雇えることは都合が良いかも知れませんが、それは決して日本経済全体にとって望ましいことではない、ということなのです。充分気をつけたいものです。
http://wedge.ismedia.jp/articles/print/8365
ベストセラーで読むアメリカ
トランプ支持者たちの貧しい生活が浮き彫りに
黒人より絶望深い白人労働者たち
2016/12/02
森川聡一
■今回の一冊■
HILLBILLY ELEGY
筆者 J.D. Vance
出版社 HarperCollins
無名の31歳の弁護士が書いた回想録が今、アメリカで売れている。本人も本書の冒頭で、本を書いて出版するに値する偉業を成し遂げた人間ではないと告白する。そんな人物が書いた回想録がなぜ、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに17週連続でランクインしているのか。最新の12月4日付ノンフィクション単行本部門でも4位につけている。
ベストセラーとなった理由は、アメリカを二分した今年の大統領選挙と密接な関係がある。筆者はいわゆる「錆びついた工業地帯」(Rust Belt)と呼ばれるアメリカ中西部のオハイオ州の出身だ。トランプ次期大統領を支持する貧しい白人労働者の家に生まれ育った。自然と回想録の内容も、かつては鉄鋼業などで栄えた地域の荒廃、自分の家族も含めた白人労働者階級の悲惨な日常を描くものになっている。まさに、今年の大統領選でトランプ氏を支持した人々の日常を映し出す。
「中南米からの移民や黒人よりも悲観的」
『HILLBILLY ELEGY』
(J.D. Vance,HarperCollins)
筆者は本書のなかで、母親が結婚・離婚を繰り返し、薬物中毒になって働かず、こどものころは近所の祖母の家に身を寄せて育った体験を語る。そうした恵まれない環境のなかでも、筆者は地元の高校を卒業して海兵隊に入隊したあと、オハイオ州立大学を経て、名門エール大学法科大学院を卒業し弁護士となった。自分で努力して貧困から抜け出した筆者は、白人労働者階級の苦境を政府や政策のせいにはしない。教育制度を見直す必要性や、自助努力の不足なども指摘する。
しかし結果的に、日本人の読者にとっては、「トランプ支持者は、こんな人たちなんだな」と、納得できる内容になっている。例えば、白人労働者たちの悲惨さについて次のように指摘する。
What is more suprising is that, as surveys have found, working-class whites are the most pessimistic group in America. More pessimistic than Latino immigrants, many of whom suffer unthinkable poverty. More pessimistic than black Amricans, whose material prospects continue to lag behind those of whites.
「さらに驚くべきことに、白人の労働者階級はアメリカの中で最も希望を持てないでいる集団だという調査結果がある。中南米から移民してきた人々よりも悲観的だ。ラテン系の多くが考えれらないような貧困に苦しんでいるのにだ。さらに、黒人の米国民よりも悲観的だ。黒人のほうが金銭的な成功の面で白人に比べ立ち遅れ続けているのにだ」
白人労働者たちの日常生活での素顔
本書では、筆者が幼少期に見聞きしたことを回想しており、こうした貧しい白人労働者階級がどんな人たちなのか、生身の姿を浮かび上がらせる。特に、自身の祖父母に関する記述が興味深い。
Mamaw told Papaw after a particularly violent night of drinking that if he ever came home drunk again, she'd kill him. A week later, he came home drunk again and fell asleep on the couch. Mamaw, never one to tell a lie, calmly retrieved a gasoline canister from the garage, poured it all over her husband, lit a match, and dropped it on his chest. When Papaw burst into flames, their eleven-year-old daughter jumped into action to put out the fire and save his life.
「祖父が酔っ払って夜に大荒れしたあと、祖母は祖父に今度酔って家に帰ってきたら殺すと言った。一週間後、祖父はまた酔って家に帰りソファで眠りこけた。有言実行の人である祖母は、そっとガレージからガソリンが入った容器を持ってくると、祖父にガソリンをぶちまけ、マッチをすって火をつけ、祖父の胸の上に落とした。祖父が突然、火だるまになると、11歳の娘が飛んで駆けつけて火を消し命を救った」
家庭に恵まれなかった筆者は祖父母に育てられたようなもので、祖父母に関するエピソードは豊富だ。筆者がまだ幼いころ、親族の葬儀に参列していて礼拝堂のイスのうえで寝てしまったことが大騒動になった昔話も傑作だ。葬儀が終わって参列者がみな建物の外に出たところで、祖父母は筆者がいないことに気づいた。誘拐されたと勘違いした祖父は自分の車から44口径のマグナムを持ち出し、祖母にも拳銃を渡して、教会の敷地から出る2つの出口を封鎖して、出ていく車を一台ずつ止めて捜索をしたという。実際は、幼い筆者は葬儀場の中で寝ていたのだが。
高速道路のサービスエリアのトイレに娘が入り、なかなか出てこないので何者かに襲われたとのではと不安に思った祖父が、拳銃を手にして扉を蹴り破って女子トイレに突入した話なども出てくる。あるいは、祖母が歳をとってからケガをして、一時的に介護施設に入ったとき、もし寝たきりになるようなら、祖母の44口径マグナムで頭を打ちぬき殺してくれと頼まれたという思い出も出てくる。筆者も子供のころから祖父に射撃を習ったおかげで、海兵隊の新兵訓練所では、ライフル銃の射撃では最上位の評価を得たという。
白人労働者たちの日常生活での素顔がわかり、本書はとても興味深い。こうした人々にとって、アメリカ東海岸のエリートたち、あるいはその象徴であるヒラリー・クリントン氏の言葉が胸に響くものであるか疑問だ。まだトランプ氏の不適切な発言の方が共感を呼ぶのではないかと、勝手に納得してしまった。
アームコと川崎製鉄の合併がもたらしたもの
さて、筆者が育ったオハイオ州のミドルタウンという町は、アメリカのアームコという名門企業の製鉄所を中心にかつては栄えた企業城下町だった。アームコが1989年に川崎製鉄と合併した以降も、地元の人々は日本への反感もあり、川崎の名前を使わずにアームコと呼び続けたという。アメリカ中西部に押し寄せる国際化の波と、それに対する白人労働者たちの複雑な心境が次の一節では鮮明だ。
The other reason most still call it Armco is that Kawsaki was a Japanese company, and in a town full of World War U vets and their families, you'd have thought that General Tojo himself had decided to set up shop in southwest Ohio when the merger was announced. The opposition was mostly a bunch of noise. Even Papaw−who once promised he'd disown his children if they bought a Japanese car−stopped complaining a few days after they announced the merger. "The truth is,"he told me,"that the Japanese are our friends now. If we end up fighting any of those countries, it'll be the goddammned Chinese."
The Kawasaki merger represented an inconvenient truth: Manufacturing in America was a tough business in the post globalization world. If companies like Armco were going to survive, they would have to retool. Kawasaki gave Armco a chance, and Middletown's flagship company probably would not have survived without it.
「ほとんどの人がアームコと呼ぶ理由はもうつひとつある。川崎が日本の会社だからだ。町には第二次世界大戦に従軍した退役軍人とその家族がたくさんいる。合併が発表されたときは、東条英機がオハイオ南西部にまできて店を開く、という受け止め方だった。反感は根強くかなりの不協和音を生んだ。しかし、祖父でさえ合併発表から数日後には文句を言うのをやめた。かつて、自分の子供たちに日本車を買ったら勘当だと言っていたのに。祖父はわたしにこう言った。『本当を言えば、日本人は今や俺たちの友人だ。もし俺たちがどこかの国と戦うとしたら、それはくそったれの中国人たちだ』と」
「川崎との合併は不都合な真実を示した。アメリカの製造業はグローバル化が進んだ後の世界では競争力を失っていたのだ。アームコのような会社が生き残るには事業を再構築しなければならなかった。川崎はそのチャンスをアームコに与えてくれた。ミドルタウンの基幹産業だったアームコはそれがなかったらおそらく生き残れなかった」
白人労働者たちはまさに、自分たちの問題として、国際化の波に直面してきたわけだ。筆者が育った町では貧困が広がる一方、貧しい人々を助けるための福祉政策が悪用されている現実もあった。地元のスーパーでアルバイトをしてレジ係を担当した筆者は次のような実態を知る。
I also learned how people gamed the welfare system. They'd buy two dozen-packs of soda with food stamps and then sell them at a discount for cash. They'd ring up their orders separately, buying food with food stamps, and beer,wine,and cigarettes with cash. They'd regularly go through the checkout line speaking on their cell phones. I could never understand why our lives felt like a struggle while those living off of government largesse enjoyed trinkets that I only dreamed about.
「人々が福祉政策をいかに悪用しているかも私は知った。政府支給の食券で1ダース入りの炭酸飲料を2つ買って、それを割引価格で転売して現金を手に入れるのだ。実際に買い物するときは食券で食べ物を買い、(食券では買えない嗜好品である)ビールやワイン、タバコは現金でといった具合に、分けて支払うのだ。そういった人たちはいつも、携帯電話で話をしながらレジを通っていく。わたしには理解できなかった。わたしたちが暮らしに困っている一方で、政府から援助を受けて生きている人たちが、わたしでさえ持っていない携帯電話をなぜ使えるのか」
そもそも、自分たちでさえ苦しい生活なのに、政府から支援を受けている人たちがなぜ、いい暮らしをしているのか。白人労働者階級が政府に抱く不信感は想像に難くない。結局、既存の政治家やエリートたちは自分たちのために、何もしてくれないのではないかとの不満につながる。先のみえない暮らしのなかにいる人々に、オバマ大統領は次のように映っていたという。
President Obama came on the scene right as so many people in my community began to beleive that the modern American meritocracy was not built for them. We know we're not doing well. We see it every day: in the obituaries for teenage kids that conspicuously omit the cause of death(reading between the lines:overdose),in the deadbeats we watch our daughters waste their time with. Barack Obama strikes at the heart of our deepest insecurities. He is a good father while many of us aren't. He wears suits to his job while we wear overalls, if we're lucky enough to have a job at all. His wife tells us that we shouldn't be feeding our children certain foods, and we hate her for it−not because we think she's wrong but because we know she's right.
「オバマ大統領はまさに、わたしの町の多くの人々が現代アメリカの実力主義社会は自分たちのために出来上がったわけではないと思い始めたときに登場した。わたしたちは自分たちの暮らしがうまくいっていないことをわかっている。毎日、そうした現実を目にしている。あえて死因に触れていない10代の若者の死亡記事(行間を読むと薬物の過剰摂取が死因だ)、借金まみれで時間を無駄にする若い娘たち。バラク・オバマをみると、われわれは大きな不安感を抱いてしまう。オバマはいい父親だが、自分たちはそうではない。オバマは仕事にあったスーツを着ているが、自分たちは上下つなぎの作業服だ。しかも、幸運にも職があればの話だ。大統領の妻は子供には、ある種の食べ物を与えるべきではないと言う。そういうことを言う彼女のことをわたしたちは嫌いだ。間違ったことを言っているからではなく、言っていることが正しいとわかっているからだ」
無名の若い弁護士が書いた回想録だが、白人労働者たちの苦境と絶望、既成の政治システムに対する不信が伝わってくる。大統領選でトランプ旋風を生んだアメリカ社会の現実がみえてくる。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/8332
定年バックパッカー海外放浪記
マルタにある、外国人労働者問題の解決のヒント 続・地中海遥かなり(第2回)
2016/12/04
高野凌 (定年バックパッカー)
[秋のマルタ、シシリーを巡るキャンプ旅]
(2015.9.29-10.26 28日間 総費用22万円〈航空券含む〉)
キャンプ旅の問題点は“シャワー”と“酔っ払い”
10月1日 午前中はバレッタ市内を見物。荷物を引いて石畳の旧坂を上り下りしながらエルム要塞まで歩く。高級リゾートのスリーマ(Sliema)の海辺に午後2時頃到着。海辺のプロムナードの街路灯の真下にテントを設営。
スリーマ湾からバレッタ市街を望む
10月2日 日本出発以来シャワーを浴びていないので、近くの大きなホテルのフロントで事情を説明したらフィットネスクラブに温水シャワーがあるという。有り難く久しぶりに洗髪して髭をそり体中の垢を落としてさっぱりとした。午後は完全休養とし海を眺めながらビールを飲む。
10月3日 約2時間歩いてセント・ジュリアンのビーチに移動。海辺の高級ホテルが立ち並ぶ大通り沿いに設けられたウッド・デッキのプロムナードの端にテントを設営。深夜でも車の交通が絶えない大通りに面しているので治安面はOKと判断。午前2時頃数人の騒がしい声がして「ポリスだ。起きろ!」と大声で叫んでいるのでテントから顔を出すと酔っ払いがふざけているようだ。「何の用だ。警察を呼ぶぞ」とライトを向けると酔っ払いの三人組は慌てて逃げ出した。
マルタは地中海マグロ漁の拠点
マルサシュロック漁港
10月9日 マルタ本島西部のメリッハ・ビーチからローカルバスを乗り継いで東端の漁港マルサシュロックまで半日かけて移動。
地元の漁師に聞くと天気予報では夜半から今年初めて季節風のシロッコが吹いて嵐になるので今日は休漁日なのだという。それでほとんどの漁船が繋留されているとのこと。漁師はマルサシュロックは歴史的に地中海マグロ漁の拠点であり漁船の大半はマグロ漁船(tuna boat)であると自慢。
ビクトリアの大城塞のなかの大聖堂
ただし近年は地元の若者は漁師にならず慢性的に人手不足でありエジプト・リビア・チュニジアからのアラブ人の出稼ぎや元難民を雇っているという。さらに最近ではアジア人の出稼ぎも増えているという。
尚、マルタ全体で目につくのはフィリピン女性のベビーシッター、メード、ナースである。マルタは気候が良く英語圏であるため欧米人向け高級療養施設が多いがナースの多くはフィリピン女性である。
マグロ漁を担うインドネシア青年達
港をぶらぶら散歩しているとマグロ漁船では漁網の繕いをしたり、甲板を洗ったり、機関や電気系統の修繕をしたりと多数の漁船員が作業している。アラブ系やアジア系が多い。そのうち「コンニチワ」「ゲンキデスカ」「ニホンジンデスカ」など盛んに日本語で呼びかけられる。
一隻の漁船からアジア系の数人が手招きして岸壁とマグロ漁船の間に差し渡したハシゴを渡って来いとジェスチャーで示している。面白そうなので慎重にハシゴを渡り漁船に乗り移る。3人の漁船員と握手して挨拶を交わす。やけに日本語が上手なので尋ねると3人はインドネシア人であり日本でマグロ漁に三年間従事したという。めちゃくちゃに陽気であり親日ムードが溢れている。「コウチ」「ムロト」「シミズ」「ヤイズ」「ミサキ」など日本の地名がどんどん飛び出すがどうもマグロ関係の漁港のようだ。
嵐を避けて港に繋留されているツナ・ボート(マグロ漁船)
日本の技能実習制度で来日して3年間の期限内いっぱいマグロ漁船で働いていたという。3年の研修期間終了後インドネシアの故郷に戻ったが高賃金の仕事が見つからない。知人が「マルタに行けば日本で習得したマグロ漁の技能を活かせて高収入が得られる」と教えてくれたのでマルタに来たという。口コミでマルタのマグロ漁の話が広がり現在マルサシュロックだけで100人のインドネシア人がツナボートで働いているという。
千葉県外房の漁村のママチャリ部隊
野営した公園横の駐車場から見たバレッタ市街をバックに昇る朝陽
陽気なインドネシア青年達と交流したら千葉県の漁村の光景を思い出した。“続地中海の旅”の一か月前の8月に自転車で千葉・茨城・福島・栃木をキャンプ旅した。外房の漁村を自転車で走っているときに中古のママチャリに乗っている中国人の若者のグループを何度も見かけた。コンビニやスーパーやランドリーショップでも多数の中国人青年と出会った。彼らも漁業関係の技能実習生(研修生)であった。
ある日の夕暮れ時に外房の御宿の近くの小さな海浜公園でテントを設営し公園のテーブルでビールを飲みながらコンビニ弁当を食べていた。近くにバーベキュー設備、水場、トイレもあり野営には最適である。そのうちに中国人男女6人がママチャリに乗ってやってきた。発砲スチロールの箱から魚介類や肉を取り出し早速バーベキューを始めた。青年4人は漁船に乗り、少女2人は水産加工をしているという。6人は同郷人で大連出身。6人は夜遅くまでおしゃべりしていたが、朝起きると6人の姿はなくバーベキューして飲み食いしていた場所はきれいに片付けられていた。
少子高齢化と若年労働力不足
外房に限らず日本ではいわゆる外国人労働者が急増している。愛知県や群馬県の自動車関連産業に従事しているブラジル人は地域でコミュニティーを形成しているのを目の当たりにした。既に日本の産業にとって技能実習生を含めて外国人労働者は重要かつ不可欠な存在になっている。その一方で日本では外国人労働力に対して長期的戦略的な取り組みが見えてこないし、少子高齢化問題に対しては保育園・託児所の整備などの対症療法のみである。
人口の少ないマルタでは多数のアラブ系の元難民・移民がサービス業、農業、漁業に従事している。中世からの要塞都市であるビクトリア(ラバト)でバスを待っていた時に雑談した地元の紳士は難民問題に話が及ぶと熱弁をふるい出した。
マルタ本島の南西部の海岸線は切り立った断崖が続く
マルタ本島の南西の入り江にあるポパイ村
第一次世界大戦時にセメントで補強されたエルム要塞
「リビアやサブサハラから政情不安や生活苦からマルタに流れてくるアラブ系の難民・移民・出稼ぎは数十年前から問題化していた。さらに2010年からの数年間のアラブの春の混乱期には短期間に大量の難民が流入した。政府は何か所も難民収容施設を建設したし、難民が合法的に仕事に従事できるように法制度を整備した。現在は難民の流入が落ち着いていくつかの難民収容所は閉鎖するか規模を縮小した。現在元難民は合法的に就業して税金も納めているが市民権や永住権は認められていない。従って公教育を受けられず選挙権もない中途半端な存在だ。難民・移民を労働者不足対策として受入れたが長期的にマルタ国民として受入れてゆくという戦略の下に法整備を急がないと社会不安要因になると危惧している」
外国人労働者受入れ先進国のマルタの事例から日本の針路について学ぶべきではないか。近い将来の深刻な労働力不足に対応するためには今から優秀な若年外国人労働者を積極的に受入れ合法的な外国人就業者を増やしてゆくべきである。同時に彼らに市民権・永住権を賦与してさらには日本への帰化を促進するプロセスを明確化して広く門戸開放すべきではないか。せっかく日本で技能習得した若者を一律3年で追い返してしまうのでは“もったいない”。
純粋に日本人だけで日本国を維持しようとすれば人口の大幅減少と国力低下は防げない。積極的移民誘致政策により優秀な若年外国人労働者を大量に増やすことで日本の真の国際化は促進されるし、多様な“新日本国民”の出現により技術革新や持続的な経済成長も可能となると考える。
移民政策に関する議論を避けてもっぱら保育所待機児童問題などを論っても少子高齢化問題の抜本的解決には至らないとマルサシュロックのマグロ漁船団を眺めながら思った。
⇒第3回に続く
コゾ島の中心都市ビクトリアの19世紀に建てられたオペラハウス
http://wedge.ismedia.jp/articles/print/8254
定年バックパッカー海外放浪記
地中海遥かなり(第1回)
不退転の覚悟で海外放浪するという心構えができた瞬間
2015/08/12
高野凌 (定年バックパッカー)
ギリシアの島々と南イタリア周遊(2014.3.31-6.26)
・総支出50万2000円 往復航空券9万8000円含む
・エーゲ海→イオニア海→マテラ洞窟住居→アマルフィ―海岸→イスキア島
ロードス島 永い航海の果てに
4月8日午前9時、アテネから一昼夜の航海を経てフェリーボートはロードス島オールドタウンの新港に投錨した。
デッキからロードス島の騎士団の要塞、白く輝く旧市街を望見。永年憧憬してきた世界がそこにあった。早春の陽光のもと、青い蒼い空と海と白い街並みが100%眼前にある。まさに夢に描いてきた完璧な地中海世界がそこにあった。そして無限の自由な時間。
サラリーマン生活という長いトンネルを抜けていきなり明るい世界に飛び出したような歓喜と開放感。記憶は一気に一年前にフラッシュバックした。
北京の歌姫「ルシア」
2013年5月1日。私は北京にいた。サラリーマン生活最後の任地の北京で黄金週間(ゴールデンウイーク)の休日。私は60歳の定年を間近に控え、5月末には帰国の予定であった。
ルシア。三里屯のカフェテラスで
その日の午後、北京の六本木と称される三里屯(サンリートン)のカフェテラスで25歳のジャズ・シンガーであるルシア(中国名:沙沙)とお茶をしていた。午前中、彼女が出演する北京市主催の野外ステージでの音楽祭があり、彼女は地元のバンドをバックにオリジナルのロックを数曲歌った。そのあと慰労を兼ねてイタリア料理のレストランで食事をして、ぶらぶら三里屯を散歩していた。
当時私は記念すべき退職後の最初の旅の目的地をギリシア・南イタリアの地中海とするか、またはモロッコを中心とする北アフリカとするか迷っていた。そのことをカフェテラスでルシアに話すと彼女は間髪をおかず中国語(北京官話)で断定するように言った。
『あなたが地中海に行くなら、わたしも行くわ』
その一言で決まった。不退転の覚悟で海外放浪するという心構えができた瞬間でもあった。
ルシアとの出会いは更に数か月遡る。同年1月のハイヤットパーク・ホテルの最上階のバー・ラウンジだ。
そのころ私は60歳で定年退職し、残りの人生を『自由気ままに海外放浪する』という、平凡なサラリーマン生活を送ってきた自分にとってはかなり大胆で破天荒な決断をしていた。北京に単身赴任していた私は電話で家内にその旨を説明したが、どうも真意は伝わらず、親しい人達にも打ち明けて相談してみたが、自分の決断に今一つ自信または確信が持てなかった。
『定年退職おじさんの海外放浪一人旅』
周囲では65歳以前に自ら進んで仕事を辞める人間は皆無であり、『定年退職おじさんの海外放浪一人旅』というコンセプトを仔細にかつ客観的に眺めると『そもそも老後の資金は大丈夫?』『余り面白味がなさそう?』『みじめっぽい?』『長続きせず飽きるんじゃない?』などなど悲観的になるばかり。
中国駐在時代、チェン・イン(胡笛奏者)とライブ演奏後に写る筆者
大きなプロジェクトを成功させるために事前に小規模の実証実験をすることがある。それにより机上の空論が実現可能か否か事前に検証する訳だ。そこで私は北京でオフの時間は一人で何か面白いことを実践することにより、海外放浪一人旅の疑似体験をして一人旅コンセプトが実現可能で、かつ面白いことを実証しようと思い立った。
その第一弾としてそのホテルの最上階ラウンジに赴いた次第。当夜9時頃にラウンジに到着すると北京の夜景が一望できるバー・ラウンジは満員御礼状態。かなり派手な美人ジャズ・シンガーがピアノ、ベースをバックに“Misty”を歌っている。それがルシアであった。
私が片手を挙げて会釈すると、彼女は妖艶な微笑みを浮かべ歌いながらステージ脇の一つだけ空いているテーブルを指してそこに座れとサインを送ってきた。数曲歌ってステージが休憩になると彼女は私のテーブルに来て中国語と英語のチャンポンでおしゃべりしていたが、ひょんなことから『おじさん海外放浪一人旅』構想について吐露することになった。
途端にルシアの表情が変わり真剣モードに。人生一期一会であり自分の夢にチャレンジすべきとのご託宣。ルシア自身、共産党地方幹部の娘という恵まれた環境に育ち大学で経営学を学び北京で大手企業に就職したが、それを捨てて「ボーカリスト」の道を選んだとのこと。最初は后海(北京の新しいナイトスポットで湖の周りに多数のクラブやライブハウスがある)の小さな店で無給の見習いとして歌っていたが才能を認められ、紆余曲折を経て一流のステージで歌うことができるようになったと。
自信たっぷりのステージマナーからは信じられないがなんとまだ25歳とのこと。彼女の夢は自分のバンドを持ち、さらに自分が社長として音楽プロダクションを経営することであると相当に野心的。いずれにせよ25歳のジャズ・シンガー(クラブ歌手)と定年間近のオジサンが意気投合したのである。
それから彼女のステージを週に1、2回聴きに行き、休日には郊外で遊山したり、街で食事したりして人生を語り合う同志(共産党用語で理想を共有する仲間)となった。ルシアを通じて多くの音楽関係者と知り合いになり北京のナイトライフが広がってゆき、おじさん一人旅でも十分に面白いことを実証できたサラリーマン生活最後の5カ月間となった。
万里の長城でポーズを決めるルシア
おひとり様はつらいよ
4月8日午前11時、新港から歩いて一時間半。ロドスタウンの旧市街のエーゲ海を見下ろす洒落たバルコニー付の50室くらいの小さなホテルに投宿。ベッドからでもエーゲ海が一望。清潔なツウィン・ベッド・ルームで一泊19ユーロとお得。期待感が上限まで高揚。
さっそくビーチに散歩にゆき写メを畏友のKM氏に送信。ほどなく返信あり。曰く「景色も貴兄も青いね! ひとりでフラフラしてるの。昔、会社を辞めて次の仕事を始めるまで、しばしの休息と東北一人旅。50歳だった。黒石温泉におひとり様で泊まったら、飯盛り女が『お客さん、何があったがわがんねえけど、気を落とさずにねー』と……。夜中に襖がスーッとあいてお婆が小生の息があるのを確めに来たよ」。
夕刻7時過ぎにホテルに戻るとまだ明るいのに玄関は締まりフロントも無人であった。そういえばレセプションのおねえさんが「夜間玄関は施錠しているので出入りのためにキーを渡しておきます」と言ってたっけ。よく見るとオフシーズンのため他にゲストはいないらしく全館真っ暗で静まり返っている。
部屋に戻りバルコニーで海に沈む夕陽を見ながら、雑貨屋で買って来たサラミソーセージ、チーズをパンに挟んで食べながらビールを飲んだ。部屋にはTVもなく街には人気がなく、8時前に夕陽が沈みきってしまうと、かなり私のテンションも下がってきた。あとは冷たく風が吹く暗闇だけの世界。寝るには早すぎるし、さりとて何もやることもない。豪華なベッドにひっくり返り天井を見ながら瞑想するだけの長い夜。結局、黒石温泉とおんなじだ!
なぜオフシーズンはホテル代が安いのかやっと理由が分かった。このホテルに6泊したが、毎晩同様の「長い夜」であった。最終日にやっと5〜6人のロシア人一行がチェックインしてきた。この経験から下記2点がオジサン放浪旅の基本原則となった。
@ 宿泊は一人部屋を避けて共同部屋(ユースホステルのようなドミトリー形式)とするべし。 注)欧米・アジアなど海外では共同部屋はほとんど男女共用であり、ルームメイ トとは自然とお友達になり一緒に炊事したり遊びに行ったりすることになる。
A 面白そうなホモ・サピエンス(人類)に遭遇したら必ず自分から話しかけること。 注)シーズンオフの時期や余り観光客が行かないような地域を旅行していると、人に会うことが稀で何日も人間(=現代文化人)としての会話ができないことが多々ある。地元の人間が英語や日本語で話しかけてくるときは99%当方のお金目当てである。
現地語しか解せぬ地元の人たちとは言葉が通じなくても3分間は適当に楽しく交流できるが、それ以上は無理であるし無意味のように思える。従い小生が解する言語(英語、中国語、スペイン語、韓国語など)で交流できて対等の立場で、多少なりとも知的な会話を楽しめるホモ・サピエンスとの遭遇は貴重である。
⇒第2回に続く。
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